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2007年10月30日

突然の党首会談に疑問を抱く

  突然の党首会談に疑問を抱く

  本格的な政権交代が起こらない限り政・官・財の癒着はなくならないと考える者にとっては、なんとしてでも小沢民主党に頑張ってもらいたいと思うだろう。私もそう考える一人である。
  しかし小沢民主党を支持する者たちにも幅がある。根っからの民主党支持者や、小沢一郎という政治家に心酔している支持者は小沢民主党を必死で応援するに違いない。今こそ民主党の公認を得て政治家になる絶好のチャンスだと計算する連中や、民主党が政権をとれば裨益する連中なども、そう考えて小沢代表に媚びたりする。
  しかし、自公政権の悪政を変えるためには野党第一党の民主党が勝つしかない、勝つためには小沢一郎党首しかいない、としか考えない私にとっては、小沢代表が突然に福田首相との党首会談に応じた事について疑問を抱かざるを得ない。
  今のメディアは小泉自民党支持から小沢民主党誕生に舵を切ったごとくだ。だから総じて小沢民主党に好意的だ。今回の突然の福田・小沢党首会談の実現についても今のところ批判的な記事は見当たらない。
  しかし、私は、このタイミングで、小沢民主党党首が福田首相の会談要請に応じた事はどう考えてもおかしいと考える。国民に分かりやすいように党首会談は国会で行う、談合はしない、などと格好のいい事を言って安倍首相の要請を突っぱねた小沢党首である。なぜこのタイミングで福田首相の誘いに応じたのか。しかもこれからも更に会談を重ねるという。小沢代表からはその変化の説明は一切ない。しかも党首会談の中身は国民に知らされることはない。
  この事についてまともなコメントをしているメディアや政治解説者が一人もいない中で、10月30日の朝日新聞が、「党首会談は、小沢氏にとっても渡りに船という面もある」と書いた。つまりテロ特措法で強硬姿勢ばかりを貫いていては国民の支持を失う恐れがあるというジレンマが、小沢民主党にもあるのだという。朝日新聞はまた突然の会談決定の背景について、「何か大変な事態が起こっている」(小沢氏周辺)、「大連立があるかもしれない」と、などという関係者の内話を紹介している。
  あれほど対決姿勢を示していた小沢民主党党首が、突如として解散時期や、テロ特措法の落としどころや、ましてや自民党との大連立の話をしたとすれば、国民を愚弄した話だ。そういえばその前日に与謝野馨と小沢一郎との囲碁決戦のパフォーマンスが仰々しく報道されたばかりである。政治生命をかけた緊張ある政局のはずがこんな馴れ合いでいいのか。この思いが私一人の杞憂であることを願うばかりである。


 

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2007年10月29日

地代を滞納し続ける米国大使館。それを許し続ける日本政府

地代を滞納し続ける米国大使館。それを許し続ける日本政府

  10月29日の朝日新聞の一面トップに、「地代を10年間滞納し続ける米国大使館」という記事を見つけた。私がなぜこの記事に注目したかといえば、3月20日の私のブログで、この事を取り上げた事があったからだ。そして、それから半年以上もたつというのに、米国の不払いが続いていることを知って、改めて驚いたからだ。
  これは一体どういうことなのか。どう説明すれば理解が出来るのだろうか。赤坂の国有地を米国に貸与したのは1890年(明治23年)の賃貸契約であるという。物価水準の上昇などを考えれば、その都度賃料を上げるのは経済活動の常識であろう。日本政府は1974年と83年のわずか二回、賃料を上げただけだという。そして98年に三回目の値上げをしようとしたら、米側が反発し、それ以来支払いを拒否し続けている、というのが新聞の説明である。
  どう考えてもおかしい。賃上げが飲めないから旧地代を払う、というのならまだ分かる。しかし一切の地払いを拒否し続けているのだ。わずか年間250万円である。ちなみに英国大使館の地代は、広さが米国大使館の三倍弱であるとはいうものの年額3500万円である。英国大使館は一番町にあるらしいが赤坂と比べて地代が特段高いわけではないだろう。天下の米国が米国大使館の地代である年額250万円を滞納しているのである。そして今年の12月に時効が成立して踏み倒されることになりそうなのだ。
  おりしも来年の3月には在日米軍駐留経費の日本側負担額(思いやり予算)の特別協定が期限切れとなり、あらたな交渉が行われている時である。ちなみに2007年度の思いやり予算は2173億円であるという。当初の日米地位協定では認められない費目が、いつのまにかどんどんと米国の要求に押し切られ、協定を変えることなく認められていった。「思いやり」で出来ない事もやってやれ、などというふざけた政治家の一言で、違法な支払いを政府が国民の了解もなく行ってきたのだ。
  その上わずか年額250万円の地代までも米国は支払いを拒否しているのである。一体どういうことなのか。この事をブッシュ大統領は知っているのか。世界は知っているのか。米国は恥ずかしくないのか。それとも米国を甘やかして堕落させたのは日本政府の方なのか。不可解である。本当に分からない。
  一つだけはっきりしていることは、この卑屈な米国に対する態度こそ、わが国の対米外交の姿であるという事だ。

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2007年10月28日

米国がどういう要求をしてきているか、政府はすべて国民に開示すべきだ

米国がどういう要求をしてきているのか、政府はすべて国民に開示すべきだ

  一連の防衛省疑惑のなかで、アフガン給油の数量の誤りを知っていながら官邸に知らせなかったという問題がある。これについては、「そんな事はありえない、隠蔽のための方便である」などと野党は攻撃している。私もそう思う。
   しかしその真偽をここで論ずるつもりはない。官僚が握りつぶしていたという前提で話を進める。
   この問題について、塩川正十郎という福田派の元代議士が28日のTBSの番組で防衛省を、「たるんでいるの一言だ」と叱っていた。防衛官僚を悪者にして福田政権を守ろうとする、あからさまなすり替え発言である。
   そうではない。自衛隊幹部や内局幹部がそれを知っていて官邸に上げなかったとすれば、それは理由があるからなのだ。「たるんでいる」という話ではないのだ。その理由とは何か。それは米国の要求があまりにも理不尽であるからだ。米国のやっている事が国民に説明できない事だからだ。困り果てた末に、隠すのだ。嘘をつくのだ。報告をためらうのだ。
  かつて日米経済摩擦が激しかった頃、外務省の北米局長が「もはや今のアメリカとまともに付き合おうとする者は外務省にはいない」と発言して皆を驚かせた事があった。現職の担当局長がそう言ったのである。
  外務省は常に米国の不当な要求に悩まされ続けてきた。それにも関わらずそれをはねつけることが出来ず、最後は不当な要求を呑まされる。後に残る最大の仕事は、それを国民にどうごまかすかである。外務省の最も重要な仕事がこの繰り返しなのだ。この事をうまく運ぶ者が出世していくのだ。
  おそらく今の米国はもっと理不尽な要求をして来ているに違いない。憲法違反を堂々と要求し、イラク戦争への協力を次々と求めて来ているに違いない。それらの要求は国民に説明できない事ばかりである。それを一々官邸にあげたところで官邸が答えを出してくれる事はない。首相が米国の不当な要求を跳ね返してくれる訳ではない。それどころか小泉前首相のように、ブッシュの言う事をすべて飲め、国民への説明はお前らが考えろ、と言われるのが落ちである。だから官僚はやむにやまれず隠すのだ。報告しないのだ。
  テロ特措法がどのような形で決着しようが、米国の不当な要求はそれで終わらない。普天間基地移転問題の早期決着、思いやり予算の増額、テロとの戦いへの限りない協力などが目の前にぶら下がっている。おそらくやがて自衛隊基地までも米軍に開放しろと言ってくるに違いない。歯止めがないのだ。
  どれ一つとっても国民に説明できないものばかりだ。それを隠し、嘘をついて国民を欺く事になる。そんな仕事ばかりやらされているから外務、防衛官僚はモラルが低下するのだ。劣化していくのだ。
  米国との外交を、正しく、毅然なものにする唯一の方法は、米国の要求をすべて国民に開示し、国民の声を背にして外交を行う事である。米国は日本国民に対して不当な要求を繰り返す事は出来ないだろう。日本の国民が米国をボイコットするようになれば困るのは米国だからだ。


 

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2007年10月27日

防衛疑獄解散が現実味を帯びてきた

07-10-27

 防衛疑獄解散が現実味を帯びてきた

  昨日のブログで、今の政治は、一つでもいいから目の前の問題をすっきりと解決してみせろ、と書いた。この問題を選ぶとすれば、厚生労働省の薬害問題も重大であるが、やはりなんといっても防衛省疑惑であろう。事態の進展次第では福田自民党は思わぬタイミングで解散に追い込まれる可能性が現実味を帯びてきた。野党の追及力が試される。ここで解散に追い込めないようであれば千載一遇のチャンスを逃す事になる。
  今の私に特別の秘密情報があるわけではない。しかし官僚として外務省や防衛省の内部事情を知っている私は、直感的にこの問題が政局につながるのではないかと感じる。その理由はいくつかある。
  一つは、やはりなんと言っても、防衛省の武器調達にかかわる長年にわたる疑惑の深刻性である。それは、武器調達という金額の大きさだけではない。武器という特殊性、専門性、機密性の隠れ蓑の下で不透明に処理されてきた武器調達、それを防衛議員と防衛官僚が独占してきた事実、その裏で当然のごとく起こりうる防衛産業と防衛族、防衛官僚の癒着と天下り構造、しかもこの疑惑が、テロ特措法延長問題の審議中に炸裂し給油情報の隠蔽が防衛官僚によりなされていた事まで明らかにされてしまった事、などである。
  二つ目は、従来はこのような問題は、自民党、検察・司法当局、メディアの間での阿吽の呼吸で落としどころが決められ、決して最後まで追及されることなく幕引きがはかられてきたのであるが、国民の間での政治不信、官僚不信がここまで高まっている現状においては、それを行う事は政権にとってマイナスであり出来ないということだ。この事は民主党にとっても同じことが言える。すでに報道されているように、山田洋行の献金疑惑は民主党の議員にも及んでいる。だからといって民主党が自民党と手打ちをするようなことがあっては一気に国民の信を失う事になる。民主党には、肉を切らせて骨を砕く覚悟がなければ政権は取れないという覚悟が求められるのだ。
  三つは、今回の防衛疑惑を徹底追及していけば、日米軍事同盟の実態そのものに関係してくる問題に発展する可能性があるという事である。決して守屋前防衛次官のゴルフ接待疑惑、倫理規定違反問題、などという瑣末な問題ではない。防衛省の制服のみならず内局も流用疑惑をつかんでいたという事、しかも防衛省と権限争いをしている外務省さえもが、対米従属というその一点で、この流用を隠蔽していたという疑惑、さらには、このような隠蔽を、果たして総理や大臣が本当に知らなかったのかという疑問、これらの点を徹底的に追及していけば、日米軍事同盟のいかさまに突き当たることになるのである。密約の繰り返しによって国民を欺いてきた戦後の日米安保体制の虚構に行き当たることになるのである。小泉総理が最後の訪米で守屋防衛次官を同行させたという異例や、守屋次官が普天間基地移転に強行姿勢を崩さなかったなどという事は、すべて日米軍事同盟関係の実態が対米従属そのものである事を物語っているのである。だからこそ自民党政権は守屋次官を切り捨てられるのか、守屋次官を追い込んで開き直られる事が怖くないのか、とう問題があるのだ。
  果たしてこの問題はどのような展開となるのか。週明けの国会では民主党の実力と本気度が試される。しかしそれはまた、共産党や社民党の護憲政党としての腕の見せ所でもあるのだ。
  

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2007年10月26日

一つずつ解決する、一つでもいいから解決する

一つずつ解決する、一つでもいいから解決する

  メディアが問題を消費しまくっている。連日同じような問題が、大騒ぎして繰り返される。それに対する野党の追及があまりにも遅く、鈍い。
  テロ特措法、防衛省疑惑、旧厚生省の薬害責任、相次ぐ食品偽装、年金問題と社会保険庁の責任、亀田一家の反則、朝青龍問題、時津風部屋の集団リンチ、政治家の政治資金規正法違反などなどが、入れ替わり立ち代り報道される。
  いずれも一時は洪水のように大騒ぎをし、やがて何も本質的な解決のないままに、次々と発生する新たな問題のまえに忘れ去られていく。
  思い出してほしい。政治資金規正法違反で佐田行革大臣が辞任した事から始まった今回の政治とカネの問題は、松岡元農相の自殺事件で社会を驚かせた。しかし今では、総理や野党党首のそれ以上の不正が明るみになっても、何も追及されることなく他の問題にメディアの関心が向けられる。年金問題にしてもそうだ。参院選の最大の問題であった社会保険庁の年金詐取、浪費に対する怒りは、何一つ解決策が示されないまま議論が停滞してしまった。
  どうしてこうなのか。一つは、メディアが、問題の重要性を区別することなく、同じ問題を競って取り上げるからだ。そこには何が国民にとって重要かという問題意識はない。権力者の巨悪をこそ真っ先に追及すべきであるというメディアの使命感はない。しかも、ニュースを報じたり、コメントしたりする人々は恵まれた立場にある連中ばかりである。報道機関と一緒になって番組の視聴率引き上げ競争のほうに関心が向いている。メディアが問題を消費していると私が言うゆえんである。
  もう一つの理由は、政治に、特に野党の政治家に、問題追及の能力と戦略がないからだ。なぜ守屋の証人喚問をすぐに行わないのか。なぜ枡添えは厚生労働省の役人の責任を問い詰めないのか。なぜ野党は問題ごとにもっと多くのスター議員を輩出させて国民に訴え、政府・官僚の言い逃れを出来なくするように追い込まないのか。その任を果たせるまともな議員がいないというのか。
  政治家が本気になって動けばメディアが取り上げる。メディアが取り上げる事になれば、国民の知るところになる。国民の関心が高まれば、政府・官僚は動かざるを得ない。
  今からでも遅くない。政治家とメディアは目の前の諸問題を一つ一つ解決していってほしい。一つでもいいから国民が納得できる形で最後まで解決してほしい。それには問題の優劣をつけて順番に議論することだ。亀田親子の問題と防衛省の疑獄事件や厚生労働省の薬害問題のどっちが国民にとって大きな問題であるというのか。朝青龍のトンズラと時津風部屋の集団リンチ事件とどっちが深刻な問題であるというのか。答えは明らかである。
  誰もが重視する問題から事に真っ先に取り組む。それこそが最善の選挙対策であり、政権獲得策である事を、野党の政治家は知るべきである。


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2007年10月24日

一日も早い解散・総選挙をのぞむ

 一日も早い解散・総選挙をのぞむ

  気がついてみたら16日以来ブログを更新していない。他意はない。書く気が起きなかっただけだ。
折から紅葉の美しい季節である。日本の一番の宝は四季に恵まれた自然であるに違いない。その自然の美しさに身を置くとき心が浄化されていく気がする。
  それにしてもである。一週間たって政治状況はますます悪くなっている事に驚く。日本という国が壊れていく事に気づく。
  胸に手を当てて考えるてみるがよい。参院選挙後の3ヶ月間、一体政治が国民に何をしてくれたというのか。年金問題は何一つ解決していない。政治とカネの問題は、あまりにも多くの政治家の疑惑汚染が次々と明るみになったことにより、誰をどう追及していいかわからなくなってしまい、結局はうやむやになった。
  テロ特措法に至っては予想通りの展開になった。毎日のように与野党の政治家が給油の是非を論じているが、こんな問題は二次的な問題なのだ。「米国のテロとの戦い」にこれ以上付き合っていくべきかどうかが問題なのだ。「米国のテロとの戦い」に付き合うことが果たして世界が日本に期待している国際貢献かどうかと言うことなのだ。それを正面から議論すべきなのだ。
  10月23日の毎日新聞「知られざる給油活動」がはっきり書いている。日本が給油活動をしていたことなど世界は何も知らないのだ。大騒ぎをするのは日本と米国だけである。その米国はイラクの平和回復をあきらめ、ついに長期的な米軍駐留を言い始めた。米国は給油よりも日本がイラクから手を引く事を許さないのだ。終わりのない米軍のイラク占領に日本を引きとどめたい、それだけなのだ。
  無能な政治のもとで日本列島に何が起きているか。ここに書くまでもないだろう。官僚の犯罪的不正が次々と明るみになり、社会には凶悪犯罪や偽装事件が後を絶たない。経済に目を転じるとインフレが忍び寄り、その一方で増税議論がまかり通るようになった。間違いなく国民生活は苦しくなっていく。
  なぜこのような日本になってしまったのか。なぜ自公政権ではもはや解決できないのか。それは政権交代の起こらなかったこの国の政治が官僚組織と癒着しているからだ。その官僚組織が権力に安住して劣化いていったからだ。司法も警察も検察もすべて官僚である。それゆえに正義が実現されず、官僚が政治に従属し、国民の幸せよりも権力の維持と組織防衛を優先するからだ。その結果巨悪が放置され、そのつけが国民に押し付けられてきたからだ。
  この現状を打開するためには一刻も早く解散・総選挙が行われるべきだ。一刻も早く自民党から民主党への政権交代を実現する必要がある。そして民主党でもまた山積するこの国の問題は解決できない。そのことがたちまち明らかにされる事になる。その時こそ、この国の政治が変わる時である。
  どのように変わるか、変わった後によい政治が実現するか、それは誰にもわからない。しかし少なくとも今のように自民党と民主党が、お互いに総選挙に勝つことばかりに奔走して、国民生活をないがしろにしている状況よりははるかにましだ。一日も早い解散・総選挙をのぞむ、それだけである。それしか今の閉塞状況は打開できない。
 

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2007年10月16日

いまこそ日米軍事同盟の実態を直視する時だ(後編)

   いまこそ日米軍事同盟の実態を直視する時だ(後編)

  政府が国民に真実を説明することなく(詭弁を重ね続け)、それを野党が国会で厳しく追及することも出来ず、従ってほとんどの国民が何も知らないままに、日本の防衛政策は米国の戦争に協力するものになり下がってしまった。もちろんこれは憲法9条の完全な否定である。
  テロ特措法はそのような米軍への従属的な安保関連法の、ほんの一部である。テロ特措法に違反して行われてきた補給活動は、数ある安保関連法の欺瞞の、氷山の一角なのである。
  その氷山の一角さえ満足に追及できない今の国会において、日米軍事同盟そのものの違憲性を正面から喝破できるできる政治家は今の日本にはいない。そうであればこそ、少なくとも我々国民は、そのあまりにも膨大な憲法9条違反の積み重ねを、ここであらためて振り返り、確認しておく必要がある。 前田哲男元東京国際大学教授は近著「自衛隊 変容のゆくえ」(岩波新書)において見事にこの作業を果たしている。その著書に敬意を表しながら、以下まとめてみる。米国に従っていく事が正しいと、誰が本気で思うというのか。そういう国民がいるとすれば、それは自己欺瞞か売国者に違いない。
  1951年サンフランシスコ平和条約締結によって、わが国は米国を中心とする西側自由主義陣営の一員として国際社会に復帰した。その同じ日に日米安保条約が署名された。以来、米軍駐留と引き換えに極東ソ連軍からわが国を守る、いわゆる日米安保体制がはじまった。
  冷戦構造を前提に作られたこの日米安保体制は、しかし、1989年の冷戦終結とともに根本的に見直される必要に迫られた。そしてこれに対応する米国の動きはすばやかった。
  1993年に発足したクリントン政権は「ボトムアップレビュー」と呼ばれる「軍事力と基地配置の全面的な見直し」をはじめる。
  1995年2月、クリントン政権の国防次官補ジョセフ・ナイ(国際政治学者)はナイ・リポート(イニシアティブ)と通称される文書を公表し、「日米同盟はアジアのみならず世界の平和と安定の維持という広範な利益をもたらしている」事に言及し、冷戦後の日米同盟のあり方について日本側に見直しを迫る。
  1996年4月、来日したクリントン大統領と橋本龍太郎首相との首脳会談で、「日米安全保障共同宣言―21世紀に向けての同盟」が発表される。この宣言は、ナイ・イニシアティブに沿って、地理的範囲を取り払った共同行動への移行宣言であった。つまり本来ならば安保条約を見直すべきところを、政策決定の形で安保再定義を行うという超法規的ごまかしの始まりであった。
  同時にこの宣言で1978年に合意された「ガイドライン」(日米防衛協力のための指針)の見直しをはじめる事に合意する。
  1997年9月、「新ガイドライン」の最終報告が両国政府に報告、了承される。この新たな文書の中で、唐突に、「日本周辺における事態=周辺事態」という言葉が現れる。この周辺事態の概念は、地理的なものではなく、事態の性質に着目したものであるという、最後まで曖昧なものである。
  1998年4月、「新ガイドライン」の実効性を確保する為の「周辺事態法」が閣議決定され、直ちに国会に上程される。
  1999年5月 周辺事態法が成立。国会審議の過程において政府は最後まで周辺地域の地理的特定には応じようとしなかった。法案には自衛隊による米国軍への後方支援もあわせ定められた。交戦中の米軍を後方支援することは憲法に違反することはないと、政府は突っぱり続けた。
  2000年11月、船舶検査活動法成立。周辺事態法でいう後方支援活動の中に、政府は当初外国船舶の臨検も含めようとした。しかしこれは「国の交戦権」の行使に触れるきわどい支援活動であったため、国会論戦を切り抜ける自信がなかった政府は法案から一旦外した。しかし米国からの強い要請に抗しきれず翌年、名前を「臨検」から「船舶検査活動」に変えて成立させた。
  村山、橋本、小渕、森の間に進められた一連のわが国の防衛政策の対米従属の動きは、小泉首相の5年半で完成された。そしてその間に9・11が起きて、米国が終わりのない「テロとの戦い」に突入して行った。ブッシュ政権は米軍の再編を進め、在日米軍の再編と自衛隊の従属を小泉政権に求めてきた。小泉首相はこれをすべて丸呑みした。
  2001年10月、テロ対策特別措置法成立
  2003年12月イラク人道復興支援特別措置法成立
  2005年10月29日、日米安保協議委員会(いわゆる2プラス2)で「日米同盟:未来のための変革と再編」文書が採択される。これは「テロ」と戦う米国の米軍再編に対する全面的協力であり、95年のナイ・リポートから始まる「安保再定義のフナーレ」である。本来ならば安保条約改定、憲法9条改憲という形で国会、国民の前で議論さるべき歴史的一大事を、政府間の合意文書で応じてしまった。
  小泉首相が完成させた米軍への従属への置き土産は、安倍政権になって2007年1月9日、自衛隊法の改正という形で実現される。これは表向けには防衛庁の防衛相への昇格であるが、その実態は自衛隊の海外活動を「公認」し、さらにそれを「本来任務」としたことであった。
  もはや日米政府に残された課題は憲法9条の破棄だけである。しかも9条改憲はもはや急ぐ必要はない。憲法9条の下で、憲法9条を完全に否定する事を粛々と進めていけばいいからだ。大手を振ってどんどんと憲法9条違反が積み重ねられていく。もはや憲法9条が有名無実となり、皆があきらめた時に論争なく改憲すればいいのだ。
  今の国会議員の中から一人でもいい。現れてくれないだろうか。憲法9条を掲げて日米軍事同盟のこれ以上の進行を食い止める事の出来る政治家が。斉藤隆夫や石橋湛山の如く、その言葉で平和を訴え、米国からの自立を国民の心に共振させる事のできる最強の護憲政治家が。
  

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2007年10月15日

いまこそ日米軍事同盟の実態を直視する時だ(前編)

いまこそ日米軍事同盟の実態を直視する時だ(前編)

  思い起こせば、すべての始まりは、小沢民主党代表の7月31日の次の言葉から始まった。
「(テロ特措法延長に)以前反対したのに今度賛成というわけがない」
  そうではない。参議挙の結果民主党が多数を占めた時点で、民主党の法案反対の意味がまったく違ってきたのだ。以前であれば反対しても影響はなかった。しかしこれからは民主党の反対によって延長廃止がにわかに現実的となってくる。
  私は8月6日のブログで、民主党はいずれ「落しどころ」を見つけだろう、見つけるべきだ、と、おおよそ次のように書いた。
  本気で延長反対を貫けば「日米軍事同盟の是非」という本質論にたどり着くことになる、しかしそのような本質論を今の民主党が正面から自民党と論議しても勝てない、なぜなら民主党も日米同盟容認の政党であるからだ、だから安保問題を政争論議の中心にすべきではない、ましてや政権交代を目前にして最後の戦いを挑もうとしている小沢民主党にとっては得策ではない、対米従属外交への不満は右からも左からも高まっているけれど、いまだ一般国民の意識は日米軍事同盟から本気で自立しようとするところまで熟していない、だから米国が本気で怒りだせば国民は不安になる、それを逆手にとって自民党がテロ特措法反対は「国益に反する」などと言い出せば、「とまどえる群集」である一般国民は「延長やむなし」という考えに傾く、ここで延長が認められれば日米軍事同盟を見直すという選択肢が永遠に遠のいてしまう、延長廃止になって日米関係に摩擦が生ずれば小沢民主党は責任をかぶせられる、だから小沢民主党は早い段階で自らに有利な落しどころを見つけるべきだ・・・と
  私は今でもそう思っている。しかしその後の状況は大きく変わった。「落しどころ」がどこに行きつくのか予想することを難しくさせてしまった。
  その最大の理由は、なんと言っても給油がイラク戦争に転用されていた事実が明るみに出た事だ。この疑惑が明らかにされないままに給油延長は出来ない。だから民主党が、納得いく説明が得られるまで反対を貫く事は正しく、かつ必要な事である。その意味で民主党は強硬にならざるを得ない。
  しかしもう一つの思わぬ想定外が出てきた。小沢代表が、国連決議によって認められたアフガン国際治安支援部隊については、民主党が政権を取ったら自衛隊を派遣する、それは合憲である、と発言したのだ。しかも、これは党の決定事項だから、反対なら民主党を離れればいいとまで言った。
  ここに至って、テロ特措法延長を巡る論議は混迷する事になる。一方において自民党からの小沢発言違憲性の攻撃を招き、他方において民主党内の護憲派を刺激することになった。これからは毎日のように色々な立場からの論争が繰り返されるであろう。格好のメディアネタになってしまった。
  私には小沢民主党代表の真意がわからない。そう思っていたら、今日発売の週刊ポスト10月26日号に一つの考えが提示されていた。小沢党首は計算済みであるという。自民党を早期に解散・総選挙に追い込む作戦であるという。自公分断作戦であり、民主党内へのショック療法であるという。
  本当にそうであろうか。しかし、たとえそうであっても私はその作戦は正しくないと思う。それは、政界大再編につながる混乱を招く事はあっても、次回総選挙での政権取りを最優先した場合、必ずしも有利に事態が展開するとは思えないからだ。
  しかし、ここまで来たらもはや論争は避けられない。そうであるならば、一気に政界大再編に突き進む事になるのも悪くはない。
  政治は一寸先は闇だ。「テロ特措法延長の是非」などという瑣末な議論から始まった国会論争であるが、この際共産党や社民党、あるいはその他の政党の真の護憲論者は、政治家としての信念を貫いて、今こそ日米軍事同盟の是非を巡る本質的論戦に挑んでもらいたい。
  テロ特措法延長問題をきっかけに、本当の意味での政界大再編の総選挙、すなわち、単なる政権交代の総選挙ではなく、平和国家日本か戦争国家日本か、そのいずれを選択すべきかを問う、政界大編成の選挙になる可能性が出てきたのだ。
  これに関連し10月14日の東京新聞における佐々木毅学習院大教授の言葉を紹介する。佐々木教授は「時代を読む」というコラムの中でこう書いていた。ねじれ現象となって動きのとれない国会ばかりが強調されているが、そうではない。参院で否決された法案は衆院の三分の二の再議決で成立させる事ができるという憲法の規定が厳然としてある。与野党がこの憲法の規定の趣旨を正しく認識し、憲法遵守の精神があるのであれば、与党が野党の意見に耳を傾けるのは当然であり、野党も参院の多数の力を安易に濫用できない、政治家もマスコミも、ねじれ現象に「悪乗り」することなく、国民の為にベストな政策を進めていくべきだと言っている。
  そしてその後に次のように言っている。この発言こそ、私が最も注目した発言である。
「・・・日本の政党政治と二院制の関係が、厄介な問題を含んでいる事は否定できない。その根源には憲法問題がある。やがてその矛盾が沸騰点に達することがあるかもしれないが、今はなおそうした事態ではない・・・」
  いや、ひょっとしてその時期がいままさに訪れつつあるのではないのか。真の政党政治とは、憲法9条改憲の是非、すなわち日米軍事同盟をこのまま一気に強化させていくのか、それともここで踏みとどまって米国から自主・独立した平和外交に舵を切るか、その根本問題に沿って正面から国会論戦ができるような政治状況にならなければ嘘だ。
  日本は今猛スピードで戦争国家米国に従属させられようとしている。在日米軍基地が、日本を守る為の基地から、米国の戦争の為の基地に再編されようとしている。日本を守るはずの自衛隊が、日本とは無関係の米国の戦争の為に、米軍に命令されて中東にかれだされていく。この事は政局争いの為にする議論ではない。事実なのだ。そしてその事実が国民の目から隠されたまま、て深く・静かに、しかし猛烈なスピードで進んでいるのだ。
  思えば1995年のナイ・イニシアチブから始まり、96年のクリントン・橋本首脳会談による日米安保共同宣言、それを受けた97年の新ガイドライン、98年の周辺事態法を経て、ついに2005年にブッシュ・小泉の手による米軍再編への全面的協力(日米同盟:未来のための変革・再編)によって、憲法9条が否定され、日本の安全保障政策が完全に米国の戦争の中に埋没してしまった。この現実を今こそ国民の前に提示されなければならない。日米軍事同盟の実態については次回のブログで告発する(続く)。
  

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2007年10月13日

政治家として「死ぬ」事になる

政治家として「死ぬ」事になる

 「ねじれ国会」の解消策としてよく引き合いにだされるのが大連立だ・・・
こういう言葉ではじまる10月13日の毎日新聞「発信箱」で松田喬和論説委員が興味深いエピソードを紹介していた。最近出版された「私の後藤田正晴」(講談社)の中の秘話であるという。
  その昔1960年、日米安保条約改定を強行したのと引き換えに、岸信介は退陣した。その時岸信介の子分である福田赳夫は岸の後任に、西尾末広民主党委員長を推薦したという。世の中の反岸路線をかわそうとする目くらまし作戦である。しかし西尾は「政治家として死ぬことになる」と固辞してこの目論見は頓挫した。
  このエピソードを福田赳夫が披露したのは、極秘裏に訪れた土井たか子元社会党委員長らであったという。冷戦が崩壊し、方向転換を模索していた社会党が自民党との連立を考えていた時のことであった。
  極秘会談の後、福田は言っていたという。「村山さんでも、土井さんでもいいのではないか。国政を任せて心配ない」と。
  村山擁立工作で一番暗躍したのは旧福田派であった。特に福田元首相は熱心だったという。その福田の連絡役が小泉純一郎で、社会党は良く会っていたという。
  その後の歴史は村山富一が自民党に担がれて連立政権の首相となり、自民党を延命させた。それと引き換えに社会党はそれまでの主義・主張を捨てて「政治家として死ぬ」事になった。社会党は三分割され、主流が民主党に流れ込んだ。残った社民党は生き残りをかけて日米同盟論者の小沢民主党と連立を組もうとしている。政治家として死のうとする政治家ばかりになってしまった。
 

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2007年10月13日

内田樹のユダヤ文化論についてー私家版・書評

 内田樹のユダヤ文化論についてー私家版・書評

 内田樹(たつる)という仏文学者がいる。学者といってもどのような学問的業績を収めた学者かは知らない。私には学者と言うより雑誌や著書で社会時評しているエッセイスト、評論家と思える学者である。特段のイデオロギーに偏することなく、保守系でもありリベラル的でもあり、賛同できる意見があり、賛同できないところがあり、そういう意味で、私は彼の脱イデオロギー的な言論については関心を持って読んで来た。
 その内田が最近「私家版・ユダヤ文化論」(文春新書)を出し、小林秀雄賞なるものを取ったと宣伝されているので、早速本屋で買い求めて読んだ。勿論その本を買い求めた最大の理由は、ユダヤ人に関する知識を少しでも持ちたいと思ったからだ。
 私がユダヤ人に関心を持ったのは最近の事である。2000年前後に米国デトロイトに勤務して、ユダヤ系米国人の存在と影響力を体験したのが始まりだ。そしてユダヤ人への関心が決定的になったのは、その後レバノンと言うイスラエルと国境を接する中東の小国に勤務して、毎日のようにイスラエルのレバノン・パレスチナに対する暴挙を目撃したからだ。これほどレバノン・パレスチナ人を苦しめるイスラエルという国、その国を支えるユダヤ人、それは一体どういう存在なのかと毎日考えながら暮らしたからである。
  内田の本を読んで驚いた。100%ユダヤ絶賛の本だ。もっとも冒頭に彼は書いている。「これは私家版とあるように、私個人の知的関心に限定して書かれたユダヤ人論である。ユダヤについて中立的で正確な知識を得たいと思う人は、この本をそのまま書棚に戻されて、より一般的な入門書を手に取られた方がよい」と。そんな事を言われてももう買ってしまったのだ。読むしかない。どんな本であろうが、知識を得るには参考になる。
  この本は一言で言えば、世にあるユダヤ人に対する偏見や反感はまったく根拠のないものであり、反ユダヤ主義は殆ど病気であると言うものだ。とくにユダヤ人が世界を裏で牛耳っているといういわゆる陰謀説は、世界を分断統治しようとしているエリートたちが自分たちに向かってくるユダヤ人を牽制する反ユダヤ主義の典型であるというのだ。
  私はそのような内田の私家版・ユダヤ文化論をとやかくいうつもりは無い。陰謀論なるものも面白いとは思うが私はそのすべてに賛同するものではない。ユダヤ人をめぐる膨大な過去の歴史的背景についても興味は無い。しかし内田はなぜ今日の最大の国際問題であるイスラエルのパレスチナ弾圧政策について一言も言及しなかったのか。あまりにも片手落ちだ。
   どのようなユダヤ論であれ、そしてそれが文化論であれ、私は今日のユダヤ人を語る時パレスチナ問題を抜きには語れ無いと思う。目の前に繰り広げられているイスラエル・パレスチナ紛争の不正義について沈黙することはできないと思う。私はパレスチナ人をここまで虐待し続けるユダヤ政府が許せない。正確に言えばシオニズムが許せないという事であるが、今のイスラエル国民の殆どが党派を超えて反パレスチナである以上、イスラエル政府の暴挙を許す大半のユダヤ国民が許せない。 
  13日の読売新聞はイスラエル軍がエルサレム東部のパレスチナ人地区の強制収用に乗り出したという記事を掲載していた。11月に中東和平の国際会議が予定されているというこの時期に、エルサレムの帰属という最も困難な問題を歪める行為を平然と行うイスラエル政府。ふたたびパレスチナ人の抵抗とこれを弾圧するイスラエルの暴力が繰り広げられるであろう。耐え切れない流血と犠牲がやってくる。
  そういえば2000年9月にシャロン首相(当時)はエルサレム旧市にあるパレスチナ人の聖地アル・アクサ寺院を訪問すると言う挑発を行い、これを契機に第二次インテファーダが起きた。それを押さえつけるイスラエルの暴力が今日まで続いてパレスチナ人を絶望的な状況に追い込んできた。
  ホロコーストの犠牲者であり、それを売り物にしているユダヤ人が、なぜここまでパレスチナ人を弾圧できるのだろうか。
  今日の反イスラエル感情は内田が言う様な「根拠のない反ユダヤ主義」などではない。およそユダヤ人に関しては無関心、中立的であった私のような人間でさえも許せないと思わせるイスラエル政府の暴力とパレスチナ人弾圧・虐殺。いくら私家版といえども、今日のユダヤ論を語る時、目の前で繰る広げられているこの問題に一言も触れない事は、許されない事だと私は思う。

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2007年10月12日

在日米軍の無法ー今度は青森だ

 在日米軍の無法―今度は青森だ

 昨日のブログで北海道室蘭市に米国原子力空母キティホークが寄港するという問題について書いた。
 今度は青森だ。12日の朝日新聞が、在日米軍が昨年4月に「民間用の青森空港を使用したい」と要請し、青森県がこれを拒否した事が、県の内部資料でわかったとスクープした。拒否するのは当たり前である。民間用の空港が、どうして米軍機との共用ができるというのか。
 私がこのブログで明らかにしたいのは、内部文書で明らかになったわが外務省の対応である。なんと外務省は県に対し、「空港を米軍に使用させろ。断るのであれば航空法や県条例に根拠はあるのか。日米地位協定では使用できる事になっている」などと申し入れてきたという。
  それでも断る県に対し、外務省は国土交通省を使って頼み込ませたという。
  それでも断った県に対し、外務省が「国土省から説明を聞いたが、再考しろ」と重ねて圧力をかけた。せめぎあいは翌日も続いたという。
  三村青森県知事は最後まで断り続けた。結局外務省の下っ端事務官はあきらめた。
  この一連のやり取りで何がわかったか。それは、米国の不当な要求は、筋を通せば断れるということだ。むしろ、ゴリ押しをするのは外務省の下っ端役人である。米国の機嫌をとろうとする官僚なのだ。国民に無理な要求を飲ませようとするのは、公僕であるはずの官僚なのだ。本当に重要なら外務大臣が知事に直接要請すべきだ。そうすれば嫌でも国民の前に明らかにされる。その不当さが暴露される。それは出来ない。その程度の要求なのだ。
  在日米軍がらみの、このような不条理は、恐らく全国いたるところで起きているに違いない。それらがすべて国民の知るところにならないといけない。
  もはや日本を守る事のない、米国の「テロとの戦い」為の在日米軍基地の為に、なぜ日本中が在日米軍がらみの話に、ここまで苦しまなければならないのか。誰もこの事に疑問を抱かないから外務省の下っ端官僚がむちゃくちゃな仕事をしているのだ。

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2007年10月11日

ああ、日本が消えていく。戦争国家米国に従属させられて消滅していく

 ああ、日本が消えていく。戦争国家米国に従属させられて消滅していく

  10日は講演で札幌を訪れていた。秋の北海道はいい。その爽快な気分を一つの新聞記事がぶち壊してくれた。
  帰りの朝、札幌駅で手にした11日付北海道新聞に、米海軍第七艦隊の空母キティホークが今月26日―31日に室蘭港へ寄稿するという記事があった。住民の間に懸念の声があがっているという記事があった。
  しかし室蘭市の新宮正志市長は北海道新聞の取材に対し、「断る理由はない」と述べ寄港を容認する考えを示したという。なんという市長だろうか。わかっているのかキティホークが大手を振って寄港すると言う事の意味を。市当局は、キティホークが核搭載をしているかどうについて、外務省から「事前協議がない以上、搭載はないと判断する」との回答を受けたと話しているという。わかっているのか室蘭市は。外務省がこれまでにどれほど平気で真っ赤な嘘をついてきたかと言う事を。
  もはやキティホークの受け入れは確実である、そう北海道新聞はあきらめ顔で書いていた。残念でならない。
  つい先日も非核三原則を破る密約の新たな証拠が米公文書により見つかったと報道された。それでも外務省は平然と「密約はない」と一蹴した。
  インド洋補給燃料のイラク戦争への転用疑惑に対し、米軍より「転用はない」との報告を受けたと、政府は国会で答弁した。野党はその明らかな嘘に対して、本気で政府を追及できないでいる。
  すべて嘘である事は皆が知っている。しかし誰も本気でその嘘を追及しようとしない。皆があきらめているのだ。野党議員はもとよりメディアもそして国民までもが。
   いつから日本はこんな嘘まみれの国になってしまったのか。かつてはこんな事はなかった。国会審議が中断し、政府が何らかの対応を迫られた。国民も反発した。今はすべてが押し通されていく。民主党が参議院で多数を占めたというのにこの体たらくなのだ。
   民主党の旧社会党の連中は何をやっているのか。旧社会党出身の代表代行は何をやっているのだ。陰の外相は何をやっているのだ。いまこそ彼らの出番であるはずなのに、その姿が全く見えない。その声が聞こえない。安全保障の論議が出来ないのだ。
  日米同盟を重視する小沢代表が、一人で自民党・官僚・米国連合軍と対決している。これでは勝てるはずはない。おまけに小沢代表は「テロとの戦い」には日本は協力するといっている。危ないから戦闘地域に自衛隊を出さないのは無責任だといっている。国連決議があれば戦闘地に自衛隊を派遣しても合憲だといっている。それは憲法違反だと、あの自民党に逆襲されているのだ。これはパラドックスだ。
  かつて私はこのブログで何度も警告した。テロ特措法を自民党との争点にしてはいけない。いまだ日米軍事同盟の危険性に国民は気づいていない。その国民を小沢民主党では目覚めさせる事は出来ないと。
  私はあらためて言う。今度のテロ特措法問題が単なる政争の具に終わり、日米軍事同盟のあり方についての根本的な見直し論議に発展していかなければ、結果として日米軍事同盟は加速、固定化していくと。もはや二度と日米軍事同盟見直しの機運は起きてこないと。かくて日米軍事同盟は永久的に固定化していくのだ。
  民主党は、それでも衆議院選挙に勝つかもしれない。そして政権交代が実現するかもしれない。自民党が勝つよりはいい。私も一度は民主党に政権を取らせたい。そのチャンスは今をおいてない。
  しかし私が素直に喜べないのは、民主党が政権をとっても日米軍事同盟は変わらないからだ。日米軍事同盟が見直されない限り、日本の自主自立はありえない、平和外交は有り得ない、憲法9条は、たとえ守られたとしても完全に形骸化する。
  憲法9条を死守すると叫んでいる国会議員は一体何をやっているのだろうか。何を考えているのだろうか。我々一般国民が何を叫んでも限度がある。政治家が率先して戦わなければならないのだ。国民を引っ張っていかなければならない。その為に政治家は巨額の報酬と大きな特権とそして何よりも自由な時間を与えられているのだ。
  ああ、この国の政治家の中から一人でもいいから出て来てくれ。米国との軍事同盟を終らせない限り平和国家日本を取り戻す事は出来ないと声をあげる政治家が。米国の鎖から解き放たれない限り、日本の明るい将来はないと力強く公言できる本当の政治家が。一人でもいいからそのような政治家が現れて欲しい。そのような政治家が現れるなら、私はその人の足元にひざまずいて、残りの人生を捧げてもいいと思っている。 

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2007年10月10日

拉致家族が気の毒でならない

拉致家族が気の毒でならない

 しばらく政局がらみの話を書く気にならない。無意味と思えるからだ。
 民主党が反撃にあっている。小沢党首のあらたな政治資金疑惑が発覚したり、小沢党首が唱える自衛隊のアフガン派遣が自民党の反撃にあっている。世論調査では自民党が支持を延ばし民主党が支持を下げている。政権交代の勢いが一気にしぼみつつある。あれほどの追い風を受けていた民主党がこの体たらくだ。民主党はやはり弱体だ。結束力がない。人材がいない。国民の期待に応える魅力がない。
  しかし自公政権は勘違いをしないほうが良い。悪あがきをしないほうがよい。もはや自公政権がこのまま復活する事はない。好き勝手できる時代は終った。仮に次の総選挙で「負け」を防いだとしても、6年間は逆転参議院のままだ。参院で否決された法案を衆院で再議決するためには三分の二の多数決を必要とする。自公がいくらこれからの衆院選で頑張っても、その数を取ることは不可能だ。要するにねじれ国会は当分続くのだ。どちらも自分たちだけで政治を動かす事はできないのだ。
  そしてそれは国民にとって理想的なのだ。どちらも国民の方に顔を向けなければならない。政策を国民の前で競い合わなければならない。自公勢力を支援する国民も、民主中心の連立を支持する国民も、自分たちの政治を実現する事は出来ない。
  「支持政党なし」の国民が主役になる時代が来る。自公政権でも民主中心の政権でも、どちらでもいいから、正しい政策を実行しろ、と注文をつける国民こそ主役になる時代が来るということだ。我々国民は、究極の政治批判者になり、年金を返せ、税金をねこばばするな、経済を活性化させろ、米国に追従するな、といった要求を、政治家や官僚にどしどし要求し続け、まともな仕事をしない、できない政治を批判し、監視し続ければいいのだ。
  この国の政治家と官僚たち、そしてそれらに迎合して自らも権力者であると勘違いしているマスコミ幹部たちは、決して一般国民の視点に立っていない。弱者の気持ちを分かろうとしない。それは至るところに現れているが、今日のブログで取り上げるのは拉致問題への取り組みである。
  今発売中の月刊誌「正論」11月号に、拉致被害者の一人である有本恵子さんの父親、有本明弘さんの手記が掲載されている。「どうしても言いたい!拉致隠蔽に群がった政・官・マスコミへの根本的不信」と題するこの告発記を読んで、私は強い怒りと深い悲しみにとらわれずにはいられなかった。およその推測はしていたが、この国の指導者たちの国民無視がこれほど酷いものとは思わなかった。
 かつて外務官僚が「わずか10名ぐらいの事で日朝国交正常化が妨げられてはならない」という暴言を吐いた事があった。私はかつての同僚がそのような気持ちで仕事をしている事を残念に思った。しかし、これは外務官僚だけの考えではなかったのだ。与野党の政治家が国を挙げてそう考えていたのだ。本気で拉致被害者の救済に立ち上がる指導者はいなかったのだ。だからいつまでたっても拉致問題が解決しないのだ。
 拉致家族は最初から今日まで切り捨てられ続けてきたのだ。そして今後もそうなるに違いない。官僚であったからよく分かるのだが、我々国民は国を相手にどんな願いを繰り返してもどうにもならないのだ。誰も助けてくれないのだ。それどころか国の機嫌を損ねると仕返しをされるのだ。意地悪をされるのである。なんという国であろうか。
  これは有本さんの告発の核心であるのだが、なぜ拉致問題は解決しないのか、それは勿論一番悪いのは北朝鮮の金正日政権である。しかし金丸訪朝以来拉致問題を隠蔽したまま国交正常化を急いだこの国の政治家と外務官僚、そしてそれに加担したマスコミの姿勢こそ罪深い。特に許しがたいのは「拉致は無い」と言い張って北朝鮮との友好関係を唱えていた左派イデオロギー政党の政治家と信奉者たちである。今でも反省するどころか、国交正常化を急ぐ事ばかり唱えている。
  平和や憲法九譲の大切さを訴えるのもいい。テロ特措法をめぐる論議を続けるのもいいだろう。日米軍事同盟の危険性を糾弾するのもいい。格差社会を問題とする事もいい。しかし拉致された国民一人さえ救えない国とは何か。政治家とは何か。私は拉致問題の行く末だけは、あらゆる動きを見逃す事無く追跡して行こうと思っている。

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2007年10月08日

野坂昭如の連載「七転び八起き」ほか

  野坂昭如の連載「七転び八起き」

  毎日せっせと新聞や雑誌を読んでいると、色々な出会いがある。その中の一つが毎日新聞に連載されている野坂昭如の「七転び八起き」である。
  野坂昭如といっても若い世代は知らない人が多いと思うが、昭和の高度成長期に活躍した作家であり、今でいうマルチタレントである。タレント参議院議員でもあったが、直木賞作品「火垂の墓」で戦争の悲惨さを訴えたりする全共闘、左派の硬骨漢でもある。
  その野坂は今では77歳のれっきとした老人となった。数年前に脳梗塞で倒れ現在リハビリ中という。その野坂が毎日新聞に4年ほど前から断続的に書いているのがこの「七転び八起き」である。 自らの過ぎし人生を思い起こしながら書いている、とりとめのない随想である。しかしその文章の中に、私は惹きつけられる言葉を時折見つける。勝手に決めつけて申し訳ないが、彼はこの先そう長くない自分の人生を自覚しながら、これがみずからの最後の作品であると思って書いているのではないか。不自由な自分の体と折り合いをつけながら、必死で、それでいて、ある種のゆとりを持って、生きている、その証としてこれを書いているのだと思う。
10月8日の文章には、次のような言葉があった。
・・・日本は小さな島国である。四面海に囲まれている。自給自足を捨てた資源のない日本は、諸外国と仲良くすることでしか生きのびられない。東洋のスイスである。国民がまずその事を知らなければならない。今、日本は前進するしかない。だが、時には立ち止まって考える事も必要である。日本はこれを忘れている・・・
 人間は遮二無二生きている時、絶頂にある時には見えない物がある。不遇の時、人生を降りた時にはじめて見える物がある。野坂の文章を読みながら、私はいつもそう思うのだ。


  それでもメディアに頑張ってもらいたい

 月刊「紙の爆弾」という雑誌がある。かつて「噂の真相」というスキャンダル雑誌があった。権力の悪を徹底的に告発・糾弾し続けた雑誌だ。それが廃刊になった後、今となっては唯一と言っていいほどのラジカル・スキャンダル雑誌である。
 その11月号に週刊金曜日の編集長北村肇のインタビュー記事があった。これが実に面白いのだ。
 北村は毎日新聞記者出身である。後に「サンデー毎日」の編集長も担当したが、そこで大手芸能プロダクション、バーニーズの内幕を追及した気骨あるジャーナリストである。それゆえに御用新聞記者から背を向けて、今では週刊金曜日の編集長となっている。
  その北村が、「雑誌の収入の半分以上は広告収入だから、広告主を全否定した商業誌は成り立たない、自分はそれでも圧力に屈することなく悪を追及したけれど、雑誌は倒産したら元も子もないわけだから、広告主に配慮して筆を曲げる事を一方的に批判する気にはなれない」と言っているのだ。いたずらにメディアの堕落を批判するのではない、この余裕がいい。
  テレビなどはもっと広告収入に依存しているのだろう。だから広告を取り仕切る電通などが幅を利かせるのだ。その現実を知らなければならない。メディアのジレンマに少しは同情しなくてはならないのかもしれない。
  メディアの商業主義の弊害はもう一つある。それは特ダネ合戦である。自社の特ダネは大きく報じるが、他社に特ダネされると後追い記事は小さくなる。沖縄返還のあらたな密約が発見された記事もその典型例である。
  10月7日の読売新聞は一面で、「核抜き本土並み」という沖縄返還の裏で、日米間に核持込の密約があった事をスクープした。この密約はこれまでにも様々な資料によって明らかにされてきた。しかし10月7日の読売新聞は、日大の信夫隆司という教授が米公文書の中からキッシンジャー元大統領補佐官のあらたなメモを見つけた事を報じた大スクープであった。だから翌日の各紙も一斉にこれを書かざるを得ない。しかしいずれも二番煎じだ。遠慮がちの小さな記事にとどまっている。
  しかしその中にも見落とせない記述がある。高村外務大臣が毎日新聞の問いに、「密約はなかった」と話しているのだ(10月8日)。
  この期に及んでもまだ外務官僚は嘘を言い続ける。その外務官僚の上に乗っかった政治家が、嘘を上塗りする。
  これはテロ特措法をめぐる虚偽答弁とまったく同じ構造だ。日米軍事同盟にかかわるおびただしい嘘の一部である。それは氷山の一角ではあるが、この国の外交の極めて深刻な病巣である。
  事実報道の特ダネ争いをするよりも、政府・官僚の嘘を追及する、その鋭さにおいてメディアには競い合って欲しいと思う。

  一般国民は政治論争に明け暮れる暇は無い(その2)

   10月6日のブログで私は書いた。「政治は政治家にまかせろ。それが政治家の最低限の仕事である。政治家は我々の税金で高額の給料を受け取っているのだ。我々がその政治家の行うべき仕事についてあれこれ議論に巻き込まれるのはおかしい。まともな仕事をしない政治家を監視し、批判するだけでよい」と。
   この私の考えを批判するかのような記事を10月8日の読売新聞の投稿欄で見つけた。
   法政大学教授・メディア文化論専攻の稲増龍夫氏が次のように書いていた。
   すなわち稲増教授は、小泉、安倍首相のパフォーマンス政治に疲れた自民党が福田非パフォーマンス政治に転じた事、そしてそれに皆が安心するという流れが出来つつある、この事に懸念しながら次のように言う。
    ・・・「落ち着いた政治」が、「政治に素人の有権者は、プロの政治家に任せておけばいい」という旧来型の密室政治への回帰を想定しているなら、それは絶対間違いである。
    パフォーマンスであろうがなかろうが、有権者の関心を積極的に喚起し、説明責任を果たしていくことはもはや不可逆的な流れである。「昔はのどかでよかった」と嘆く前に、役者=政治家、観客=有権者ともに、劇場の品格を上げることに力を注いでほしいものである。
  
   この意見はもっともだ。有権者が政治に関心を持つことはいい。政治家は常に国民によって監視されなければならない。それに私も異論は無い。しかし私が言いたい事は次の事である。すなわち現実はそう簡単に我々一般国民が政治論議に参加できない。ましてや政治に影響力を与える事はできない。それどころか有権者である観客は、メディアによって流される政治家と政治評論家、有識者の芝居を一方的に見させられるだけなのだ。彼らに影響を与えられる術をもぎ取られている。
   金を払って見に行く芝居は、つまらない出し物であればボイコットできる。お客様は神様なのだ。
ところが今の政治劇に対して一般国民はなす術が無い。政治議論の影響を与える事も出来なければ、議論に参加することさえ出来ない。一般国民が唯一政治に参加できるのは選挙の時だけであるが、その選挙さえも、国民の圧倒的な多数が解散・総選挙を望んでいるのに、政治家たちが自分たちの都合のいい時を選んで行う。
   国民が政治を監視できるシステムを作らない限り、メディアのおけ