豊下楢彦という国際政治学者ーその2-
豊下楢彦という国際政治学者―その2-
8月31日のブログで、私は豊下楢彦という国際政治学者の事を書いた。その時、私は彼の事を、「国際政治学者として一般的にどのような評価を受けているか知らない」という突き放した紹介の仕方をした。それはその通りである。学者の世界の評価がどのようにして定まるのか私は知らない。
しかし、学者、とくに社会学者の評価というものが、時流におもねったり、権力に追従して嘘を巧みに真実に見せかける作業にうつつを抜かすことではなく、真実に迫る努力をどこまで誠実に積み重ねているかということによって判断されるとすれば、私の豊下に対する評価は極めて高い。最も高いと言っていい。
それよりもなによりも、彼はいつも私の考えを正確に代弁してくれている。人が人を評価する時は、結局はその考えにどこまで共鳴できるかと言う事であろう。私が豊下を評価するゆえんである。
その豊下の言葉を9月2日の朝日新聞「耕論」に見つけた。「テロ特措法延長反対」を論ずる豊下は、次のように述べている。そっくり私の言葉にしたいと思うほどである。
「・・・テロ特措法を延長すべきかどうか。この議論を進める前に、そもそも『テロとの戦い』とは何なのか、問い直す必要があろう・・・仮にアフガニスタンが『テロとの戦い』の主戦場であると言うのなら、なぜ日本政府は、ビンラディンの影響力を根絶しないまま始められたイラク戦争を支持したのか・・・タリバーンの復活はパキスタンを拠点にしているとも言われる。それならばなぜ、『パキスタン問題』に正面から取り組んでこなかったのであろうか。核も、ミサイルもあり、テロリストが跋扈しているパキスタンの方が、かつてのフセインのイラクより、はるかに『脅威』なのではないか・・・『核の闇市場の問題』を放置したまま、なぜ日本政府はパキスタンの核保有を認知したのであろうか。
『テロとの戦い』が叫ばれているが、では、その戦いに『勝つ』とはどういうことになるのか。具体的な展望は何一つ示されていない・・・軍事力だけでは勝てない事は、歴史的にみても明らかだ。だからこそ、安保理決議に基づいた国際治安支援部隊(ISAF)の参加国からも、戦争の意味自体について疑問が噴出しているのだ。
米国のように、今なお『文明と野蛮の戦い』のようなとらえ方をしていれば、泥沼にはまり込むだけだ・・・テロ特措法が延長されなければ、日米関係が危機に陥ると見る人もいよう。しかし、これは日本にとってはチャンスでもある。日本外交の進路を、日米安保を最優先するか、安保理決議を重視するか、という二者択一に絞ることは不毛だ。
日本自身が、日米関係の歴史を踏まえつつ、独自の建設的な外交戦略をもつことだ・・・今回の問題を、日本がどういう戦略を持つか、自分の頭で考えるチャンスだ、ととらえたい。
