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2007年09月30日

沖縄の抗議集会にみる圧倒的な住民の力を国政に生かせないものか

    沖縄の抗議集会にみる圧倒的な住民の力を国政に生かせないものか


   9月29日、「集団自決」をめぐる教科書検定問題で沖縄住民が立ち上がった。95年の米兵による少女暴行事件の抗議集会が8万5千人だった。それを上回る11万の県民が結集した。11万という数字の大きさは抽象的でピンと来ないかもしれない。しかし報道写真で見る生身の人間の巨大な群れを見た時、その迫力に圧倒される。その一人一人が怒りでこぶしを挙げているのだ。これが東京の真ん中で行われていたらどうか。いかなる為政者もたじろぎ、おののくに違いない。この力こそ民主政治の力の原点ではないのか。
   私は琉球新報のインタビューに応じて、「集団自決」の日本軍強制の記述を削除した文科省官僚の保身的誤りを指摘した。そしてそれを許す政治的雰囲気を作ったこの国の指導者たちの、「歴史の真実」に対する不遜さを批判した(9月23日付琉球新報掲載)。そのような政府・官僚の無神経で軽率な態度に抗して立ち上がった沖縄県民に、我々は、たとえ遠くの地にあって何も出来ないとしても、深く共鳴し、連帯意識を持つべきである。名もない一人一人の怒りでも、それが結束した時は山をも動かすという事を、政府・官僚に思い知らさなければ政治は変わらない。沖縄住民の勇気ある行動がそれを示すことになる事を期待する。
  文部科学省は「検定意見は専門家が決めた。行政は口を挟めない」などと言って修正を拒否しているらしいが、救いようのない鈍感さだ。その対応は、やがて世論の批判の嵐にさらされ、撤回を余儀なくされるだろう。菅直人が「(政府が撤回に)応じないのであれば、国会の意思を問う。与党の中でも良識的な皆さんの協力を得たい」と沖縄で記者団に語ったらしい(30日、朝日新聞)。その言やよし。ならば一刻も早く政治家としてその言葉を実現すべきだ。
   私が今日のブログで書きたい事は、沖縄で見られたこの大衆の力を国政に生かせないかということである。今、日本の政治は途方もない不毛な政治状況にある。先日、国民の所得は9年連続で減少したという数字が発表された。大多数の国民が低所得に喘いでいる半面、一部の国民は所得増を享受しているという格差の実態もあらためて明らかになった。この格差拡大は、年金、介護など、我々のあらゆる暮らしに反映される。そしてその歪みが社会に反映し、国民の価値観さえも分裂しつつある。この国は本当に大丈夫なのか。
   一刻も早く対応策が取られねばならないのに、年金一つとってみても何の解決策も示されないままいたずらに日々が費やされていく。なぜか。それは与党も野党も、この国の政治家が、国民の為の政治を行うという本気さがないからだ。それ以前に能力がないのではないか。政争に明け暮れる事は出来ても、官僚を使いこなして正しい政策を策定・実施する能力が今の政治家には決定的に欠如しているのではないか。小泉チルドレンやタレント議員が無能なのは誰でもわかる。しかし、連日テレビに顔を売っている政治家たちでさえも、口先の論争は得意でも、政策を考え、実現する能力がある政治家はほんの一握りに過ぎないのではないか。だから政治がいつまでたっても国民の期待に応えられないのではないか。
  与党は、もはや誰の目からみても政権担当能力がないにもかかわらず、政権にとどまっている。野党は国民の怒りを背にしてとっくに政権交代を果たしていなければならないのに、与党を追い込む力も気迫もない。今頃になって選挙協力を始めるという呑気さだ。メディアは、国民の悲鳴をそっちのけで、連日のように与野党の政治家を出演させて不毛な議論を繰り返している。要するに娯楽番組の延長に過ぎない。
  かくなる上は、沖縄住民にならって、国民も、生活改善の為の政治の実現を叫んで、立ち上がるべきではないのか。100万人単位の集会を全国各地で起こし、一日も早い解散・総選挙を迫ったならば、政治家も従わざるをえないだろう。国民は、民主・社民・国民新党の連立政権を一日でも早く実現させるべきだ。そしてその政権に、この国の山積する諸問題の解決を迫るのだ。日米軍事同盟を解消し、米軍基地をこの日本からなくし、平和外交を世界に宣言する。その結果生じる巨額な予算を国民の生活改善のために使う。税制改革を含めた予算編成権を、官僚や政治家や大企業の独占物から、納税者の国民にまわす、官僚を正しく使いこなし、そういう政策を実施させる、そういう国民優先の政治の実現を迫るのだ。民主・社民・国民新党の連立政権でもそれに応える事は出来ないことが、たちどころに明らかになるであろう。行き詰まるであろう。それは彼らに能力がないからだけではない。政治哲学の不一致が顕著であるからだ。
   かくして自公連立も、民主・社民・国民新党の連立も、同じようにこの国を任すことが出来ないことが分かる。その時が一日もはやく来なければならない。その時はじめて本当の政界再編が起きるであろう。どのような形になるかはわからない。しかし既存の政党に飽き足らない国民の受け皿となる政治勢力が求められる事だけは確かだ。労働組合やイデオロギーに依存することなく、広く大衆の心を掴む、そういう政治勢力を国民は渇望している。そのような勢力がこの国の政治に生まれた時、日本は活路を見出す事ができるのかもしれない。

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2007年09月28日

ビルマと人権と日本外交

ビルマと人権と日本外交

  国名を1989年にビルマから現在のミャンマーに変えたのは、88年の軍事クーデターで政権を奪った今の軍事政権である。その軍事政権がその時アウン・サン・スーチーさんを自宅軟禁した。その軍事政権にとうとう民衆が立ち上がった。その民衆に軍事政権が銃口を向けた。唾棄すべき行為だ。もはや軍事政権は一刻も早く国際社会の手でボイコットしなければならない。私のささやかな抗議の意味を込めて、このブログでは旧国名のビルマを使う。
  評価しうる何物もないビルマの軍事政権をここまで甘やかしてきたのは、国際社会における「人権」意識の未熟さだ。
  欧米諸国は早くからビルマの軍事政権を批判し続け、制裁を訴えてきた。もちろん欧米は植民地政策を推し進めたかつての帝国主義の国々だ。今日でも、人権を唱える一方で、傀儡政権の人権抑圧には目をつむるダブルスタンダードぶりを見せる。それでも、世界史の中でいち早く民主革命を起こした国々である。人権問題の重要性については国民の間で認識の一致がある。人権問題に冷淡な人間は指導者として糾弾される。
  今回のビルマ軍事政権の暴挙に際し、国連安保理の制裁措置発動に一人反対したのが中国である。私はここに中国と言う国の限界を見る。私は中国が共産主義国であるから批判するのではない。人権に対する意識が、いつまでたっても低いところを批判するのだ。
  アセアン諸国もしかりである。いまでこそ難民流出をおそれてビルマに対する圧力を強めつつあるが、これまでアセアン諸国はビルマの軍事政権を批判してこなかった。それは、仲間どうしで批判し合わないというアジア特有の温情主義があるのかもしれない。しかしより正確に言えば、アセアン諸国はいまだ人権を最優先の価値と見ていないからだ。自らの国が人権抑圧をしているからだ。
  そして日本である。これまで日本はビルマの軍事政権批判に対しては欧米諸国と一線を画してきた。とくに米国がビルマの軍事政権に批判を強める中で、日本だけはビルマ軍事政権を擁護してきた。これをもって対米独自外交であると勘違いする向きがある。しかし本当はそんな立派なものではない。確たる理由のないビルマ擁護だ。
   ビルマという国はいまでこそ天然ガスなどの資源がある国であり、その限りで国際社会が重視し始めた国であるが、かつてのビルマは欧米諸国にとって取るに足らない国であった。だからその国へ日本がどのような政策をとろうとも見逃す事が出来たのだ。米国が関心を持たない限りにおいて、日本の自主外交が許される。その自主外交がビルマ軍事政権の人権抑圧に対する甘やかしである。
   歴代の日本の駐ビルマ大使はなぜかビルマ軍事政権に甘い。それはかつてのビルマが日本と共に英国と戦ったとか、ビルマ国民が親日的であるとかの理由によるのだろうが、本当のところは軍事政権に抑圧されたビルマ人に対する人権意識が希薄なのである。その一方でアウン・サン・スーチーさんに対しては距離を置く。英国に影響された運動家に過ぎないと突き放す者もいる。
  このような日本政府の態度を如実に物語っているのが、日本の指導者たちの一連の次の言葉だ。
「解決するには一体何をしたらいいか、外務省で一生懸命考えている最中だ」(福田首相 28日朝日)
「まだ(国連などで)具体化しているわけではない。直ちに制裁ということを、わが方から言及する必要はない」(町村官房長官 28日読売)。
「経済援助をとめても困るのは民衆だけ」、「制裁だけを声高に言えばいい欧米とは事情が違う」、「追い込めばミャンマーを中国に近づけるだけだ」(外務省幹部 28日 毎日)
  いずれも彼らが昔から繰り返してきたセリフだ。
 このような日本政府の人権音痴ぶりに抗するかのように、毎日新聞記者の次の言葉が光っていた。正確な日付を忘れたが、たしか9月24日ごろの毎日新聞であった。「記者の目」というコラムの中でアジア総局、藤田悟記者が書いていた。少し長くなるが、是非読者に読んで欲しいと思って抜粋する。
 政府よりも国民の方がはるかに人権に敏感であるところに、日本の将来への救いを見た。

「・・・どうして国民は立ち上がらないのかと私が問うと、(ビルマの知人は)『国民の間にはまだ88年の恐怖がしみついている』と悲しげに言った。それでも今回、軍事クーデター以来19年間の圧政に耐えかねた国民が立ち上がった。国民倫理を実践する仏教の僧侶たちが数万人規模で先頭に立った。
僧侶たちのデモ隊が22日、自宅軟禁の続く民主化運動指導者アウン・サン・スーチーさんの自宅前を通ったとき、スーチーさんが約4年ぶりに市民の前に姿を見せた。目撃者の話では。僧侶たちに向かって合掌したスーチーさんは涙を流していたという。
かつて私は数回、スーチーさんに単独インタビューする機会があった。彼女が部屋に入ってくると、室内の空気がピーンと張りつめる。圧倒されるような気丈さと清廉さを併せ持つ人だという印象が強く残っている。人前ではめったに涙を見せることのない彼女が泣いたことに、私は胸を打たれた。
軍事政権は、国民の間で絶大な人気のあるスーチーさんの軟禁を続け、その影響力をそぐ戦略を続けている。拘束・軟禁の期間は通算12年に及び、スーチーさんは外部との接触をほぼ完全に断たれている。孤独の中で、いつの日にか訪れるであろう祖国の民主化を願って日々の生活を送っている彼女が、軍事政権の圧政に対して立ち上がった僧侶たちの姿を目の当たりにして、思わず涙がこぼれたのであろう・・・
この危機的状況に際し、積極外交に乗り出して最悪の事態回避に出来る限りの努力をする国際的責務が日本にはあるのでないか・・・」

 日本政府や外務官僚はこの言葉を何と聞く。
 

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2007年09月27日

アーミテージの言葉

 アーミテージの言葉

 私にはこだわりがある。気にかかる人物の言動は徹底してフォローするのだ。徹底的といっても、今の私には格別の情報収集力はない。というよりも、およそ一般の市民、国民と同じように、新聞などの公開情報を通じてしか情報は入手できない。それでも、目にし、耳にした限りの情報でかなりの事がわかる。
 アーミテージ元国務副長官という人物がいる。アナポリス海軍兵学校を卒業後、ベトナムに従軍した軍人だ。73年に仏でベトナム和平交渉が行われた時、途中で戦いを止めるのは嫌だと言って海軍を去ったという戦争好きな男だ。ランボーのモデルとも言われ、その後もベトナム戦争の最終局面では軍に復帰し、危険な戦いをいとわずに積極的に参加している。根っからの軍人だ。
 2001年の米国のアフガン侵攻に際しては、協力しなければ空爆して「石器時代に逆戻りさせるぞ」とパキスタンのムシャラフ大統領を脅し、イラク戦争では、機密情報を漏らしたCIA工作員の身元をリークして報復するなどの卑劣な言動をした男だ。
 そのアーミテージは、国防省、国務省の役人になって以来、日本との関係を持つようになった。いつまでたっても米国との間でろくな人脈を築けないままの日本政府や外務省は、何かといえば、アーミテージを知日派、親日派と誉めそやして重用する。今回も日経新聞主催のセミナーにアゴ、アシつきで招待されて訪日したに違いない。
 そのセミナーでのアーミテージの基調講演録が、27日の日経新聞に大きく掲載されていた。その中で彼は次のように話しているのだ。
  「・・・民主党の小沢一郎代表はテロ特措法の延長を阻止しようとしている。湾岸戦争時に日本は「普通の国」になれと主張し、本まで書いた人間が反対するのは、大変皮肉なことだ・・・」
  問題はその後に続く彼の次の言葉である。
  「・・・米国にとって日本との関係が世界でもっとも重要なのは、日本が世界第二の経済大国であるためなどではない。日本の人々が政府を通じて米軍基地の使用を認め、安全保障上の(米国の)守備範囲を広げてくれるからだ・・・」
  これほど明確に米国の本音を述べた米国の高官がいたであろうか。在日米軍は米国のために日本にある事を認めた瞬間だ。
  さらにまたアーミテージは次のように述べている。
  「・・・米政権内の『アジアへの影響』の欠如を懸念する声はあがっている。実際、ネグロポンティ国務副長官以外はアジアにあまり詳しくはない・・・ただ、軍事部門の司令官クラスは米・アジア関係に精通しているので、日米関係の架け橋になるだろう・・・」
  とんでもない発言だ。米軍人が日本の事を一番よく知っているというのだ。在日米軍がらみの仕事を担当している軍人が日本の事を一番よく知っているというのだ。しかも日本という固有の国ではなく、アジアの一部としての日本であると言わんばかりだ。
  それに、ネグロポンティのどこが知日というのか。かつてネグロポンティが米国の国連大使であった時の実話である。日本は必死になって国連常任理事国入りを画策していた。わが国連代表部の同僚たちの最大の仕事は、わが国の安保理常任理事国入りについて米国の後押しを取り付けることであった。米国が強く支持してくれさえすれば、他の安保理理事国も最後は賛成するという読みだ。しかし米国は一向に態度を明確にしなかった。そのうち日本の大使が離任することになった。その大使が離任の挨拶にネグロポンティ大使を訪れた時の事だ。安保理常任理事国入りは日本の大使にとって勤務期間中の最大の課題であった。「どうか米国がわが国の常任理事国入りに賛成すると態度を明らかにしてもらえないか」と、まるで離任の餞別代わりに、最後のお願いだといわんばかりに、意を決して頼み込んだのだ。
  ところが、その時のネグロポンティ米国連大使の返答は人を食ったものだった。
 「何のことか。自分は忙しくて国連安保理改革の事はほとんどフォローしていない」というのだ。知日派どころか、日本軽視の男なのだ。
  日経新聞もアーミテージなどに高いギャラを払ってお説拝聴するのでなく、駐米特派員に米国との人脈を築き、一つでも多くの有益な情報を入手するよう命じたらどうか。

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2007年09月27日

日米軍事同盟の弊害を加速させる日本政府の怠慢

日米軍事同盟の弊害を加速させる日本政府の怠慢

  27日の朝日新聞「もっと知りたい!」で米軍横田基地やその関連施設で、ジェット燃料などの有害物質の流出事故が過去7年間で90件も起きていたにもかかわらず、地元自治体に通報されたのはたった1件だけだった事が報じられていた。
 流出事故を日本側に知らせなかった米軍の対応について、改善を申し入れる為に訪れた横田基地騒音訴訟弁護団に対し、外務省の担当官は、「通報権の判断は米軍に一任しているので問題はない」、と答えたという。
  これだけでも重大な官僚の怠慢であるのに、米軍が日本政府に通報しても、それが地方自治体に伝えられない事さえあったという。そしてその釈明が、「通報は、参考情報として寄せられたもので、(日米地位協定に基づいてつくられた日米合同委員会の)合意にもとづく通報ではなかった」、だから伝達しなかったという訳だ。
  聞くに耐え難い現実はまだ続く。たとえ情報が地方自治体に伝えられたとしても、自治体はなんの手出しも出来ないのだ。およそ主権を放棄したような日米地位協定によって、米国の治外法権が大手を振って通っている。そんな不平等条約を外務省が改める気配はまるでない。それどころかその条約を盾にとって住民に犠牲を強いているのだ。
  私は内部にあって見てきたから手に取るようにわかる。深い考えがあっての不作為ではない。やる気のない無能な官僚の単なる怠慢なのである。こんな仕事などは誰でもできる。良心に恥じる事のない鈍感な神経さえ持ち合わせていれば。
  上記の朝日の記事は、今の日米軍事同盟の現状を示すほんの一例である。テロ特措法延長問題が毎日のように取り上げられている。その論点が、「国際的に評価されている活動だから延長すべきだ」とか、「国連決議によって認められているか、いないか」などという、かみ合わない空論に終始している。
  しかしそのような議論をする以前に、誰が見てもおかしいところに焦点をあて、まずその真実を国民に提示すべきだ。アフガンでの活動の為の給油の殆どが当初よりイラク戦争に使われていた疑いが市民の手で明らかになった。事実に違いない。野党は外務省や防衛省に情報提供を求めているというが、そんな生ぬるい事では駄目だ。彼らが迅速に正しい情報を出すわけがない。
  小沢民主党党首は、今こそシーファー大使の来訪を求め、国民の前で真実を直接問いただすべきだ。シーファー大使はテロ特措法の延長について小沢代表の理解を得るためにはどんな極秘情報も提供すると約束したではないか。今こそ米国に問いただし、早急に真実を明らかにすべきだ。
  もし法律違反が犯されていれば、少なくとも現行のテロ特措法の延長は、誰が見てもそのまま認める事はできないであろう。燃料補給はしばし停止せざるを得ない。そのことについて米国は反論できない。
  と、ここまで書いてきてふと考える。そもそも石油の多くを、米国に支配されている中東から輸入している日本が、その米国に給油するとは一体どういう事なのか。米国が牛耳っている産油国から高い金を出して購入している日本。その代金は産油国とそれを支配する米国企業に渡っているのだ。
日本が給油を停止すれば米国は困ると日米同盟論者は騒ぐ。しかし、それでは、と米国は湾岸戦争時の130億ドルの請求のように、金をだせと応じてくるだろう。
  給油活動などと大騒ぎしても、所詮は、金は出すが汗をかかないとの批判を回避し、平和な日本にとって巨大な不良組織となっている自衛隊に国際貢献という名の耳障りのいい、安全な、「活動の場」を与える虚構であり芝居なのだ。
   私はつくづく思う。日米軍事同盟の弊害は、もちろん米国の一方的な軍事要請を受け入れた不平等、不均衡な同盟の内容そのものにある。しかしより深刻な問題は、日本政府がその内容を、せめて国民のために少しでも有利に運用しようと努力しない、その怠慢さにあるのだ。
   「日米軍事同盟は日本の国益にとって最優先されるべきものだ」などという論争を行うのもいいが、まず政府・官僚の怠慢と不作為を問うべきではないのか。米国を甘やかし、ただでさえ不当な日米軍事同盟を、ここまで国民に有害なものにしているのは、日本政府と官僚なのである。

 

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2007年09月27日

「背水の陣内閣」と語った福田首相

「背水の陣内閣」と語った福田首相

  本来の政治とは掛け離れて、現実の政治は、政治屋のあくなき権力闘争でしかない。そんな政治屋の権力闘争に、感傷を持ち込むのはお門違いであろう。それを承知でこのブログを書く。
  あれほど自民党政治に反発してきたのに、福田首相の記者会見を見て、私は不思議と、福田首相を応援したい気持ちにとらわれた。なぜだろうか?それは小泉、安倍と続いたパフォーマンス首相の「空疎で攻撃的な言葉」に苛立っていた私にとって、久しぶりにその言葉の意味を考えながら「首相の発言」に耳を傾ける事が出来たからだ。
  私が福田康夫という政治家にはじめて会ったのは、彼が政務次官をしていた時だ。その時私は豪州の大使館の公使であった。訪豪した福田政務次官と二人だけで、バーレイ・グリフィン湖畔のレストランで食事をしたことがあった。その時の彼の印象はおよそ政治家らしからぬ静かな印象であった。若輩の外務官僚である私にも丁寧に接するところがあった。
  その福田氏が、数年後に急浮上する。混迷する政局の中で森、小泉両首相の官房長官として頭角をあらわし、あの皮肉で、冷淡な物言いの政治家に変貌した。自民党政治に批判的であった私は、そのような福田氏に決して良い印象を持たなかった。所詮は自民党の政治家だ。愚かな森、小泉の自民党政権を守る番頭である。国民に事実を隠し、嘘をつき、詭弁を弄して自民党政権を守る政治家の一人でしかない。
  その福田が総裁候補に手をあげた。メディアは、「もう歳だから」といって総裁選を辞退した過去をあげつらい、なぜいまさら手を挙げたのかと批判的であった。福田総裁が選ばれた過程が派閥談合だと叩いた。組閣人事も面白みがない。自虐的、皮肉的な福田の性格は、世論を湧き立たせるには不足である。野党は、いつものように、口をそろえて古い自民党への回帰であると、福田内閣をこき下ろす。
  それらの批判、評価は当たっているだろう。私もそう思う。しかし私はそのような否定的な評価の陰で、政治家福田の真剣さを感じるのだ。記者会見で見せた福田の表情は過去の福田ではなかった。自らの内閣を「背水の陣内閣」と揶揄したり、総裁選に手を挙げた時に、「貧乏くじかもしれないよ」と皮肉った福田の物言いは、確かに斜に構えたいつものさめた福田の物言いだ。しかしそれでも私は、福田の真剣さを見て取るのだ。人は境遇によって確かに変わる。そこには政権政党最後の首相を覚悟した福田の顔があった。
  相次ぐ不祥事でさすがの自民党も国民から見放されつつあった。安倍辞任がそれを決定づけた。本来ならばその時点で自民党は政権を野党に渡さなければならなかった。いくら自民党が解散・総選挙を引き伸ばしたとしても、今度ばかりは勝てないだろう。そのような中で首相になった福田は、もちろん政治家であるから権力欲や野心はあるだろうが、最後の自民党首相を覚悟して総裁に名乗りをあげたに違いない。そして自民党もまた、小泉政治を否定して自民党を再結集できるのは福田しかいないと感じたのだ。
  メディアや国民は、これを談合だ、派閥政治だと批判する。しかし福田内閣でも国民の支持を回復で着なければ自民党は下野するのだ。そして今度下野すれば自民党は当分政権を取り戻す事は出来ないのだ。いまさら派閥争いをしたところで何になる。麻生が福田の後を狙って入閣を辞退したとすれば大きな間違いだ。福田はそれを感じたから総裁を引き受けたのだ。もっともこの期に及んでも権力争いを止められない政治家が多くいる。福田の組閣人事も中途半端だ。だから自民党は終っているのだ。
  どんなに福田自民党が頑張っても、日本が直面する深刻な諸問題を解決することは出来ない。政権交代は避けられない。それを十分に福田は知っているからこそ、自分が失敗したら政権を失う事になると公言して、正直に国民に訴えているのだ。
  野党はそんな福田を甘く見てはいけない。勝ち誇ったようにはしゃいではいけない。民主・社民・国民新党の連立政権が、自公政権より悪かったと言われないように、今のうちに精々自己研鑽にいそしんでおくことだ。連立政権がもろく崩れないように協力体制を固めておくことだ。
  なんだって?「政権を取る事が先決で」だって?これで政権が取れないようでは、野党は消え去るしかない。
 


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2007年09月26日

私はあなただ、あなたは私だ(参院選の報告と今後の活動方針)

 私はあなただ、あなたは私だ(参院選の報告と今後の活動方針)

  このブログは、先の私の参議院選挙立候補に際して、物心両面にわたって支援、支持をいただいた読者に向けて、報告と感謝の意を伝えるために書いたものです。私の選挙に関心のない読者におかれましては、このブログに限っては読み飛ばしてください。
  さて、7月29日の参院選から早くも2ヶ月が経とうとしています。もっと早く報告をさせていただくべきところでしたが、その後の政局があまりにもめまぐるしく展開していった為、選挙の反省と今後の身の処し方について、考えをまとめる暇もなく今日に至ってしまいました。
  ここに詫び申し上げますと共に、皆様方からいただいたご支持、ご支援にあらためてお礼を申し上げたいと思います。そして遅ればせながら選挙の報告をさせていただきます。やっと政治の将来が見通せてきたということです。

1.収支報告

   最初に、皆様から頂いたカンパ資金の収支報告をさせていただきます。このブログは不特定多数の読者に公開されていることから、ここでは概要の説明にとどめ、詳細につきましては本年末に行なう政治資金収支報告書の提出が終わった段階で、支援を頂いた方々の中でご希望される皆様に対し、その最終報告書を送付して詳細説明をさせていただく事にしたいと思います。
  カンパを始めた5月末から、政治資金規正法に従って、資金管理団体「天木直人と共に歩む会」を立ち上げ、専門の税理士に資金管理を依頼しました。規則に従って12月末に最終報告書を確定し、提出する事になりますが、寄付をいただいた皆様には、取りあえず、今回の選挙事務所を閉鎖し、残務整理を終えた8月2日現在での収支決算を次のように報告させていただきます。
  寄付収入総額9,262,767円、支出総額6,719,698円、残額2,543,069円となりました。
支出のうち選挙そのものに直接関わる経費として、9条ネットが負担した供託金600万円その他の選挙必要費に加えて、候補者天木直人自身の選挙運動強化のための追加必要経費(ポスター追加、チラシそのほかの資料作成、新聞広告掲載、全国遊説に伴う所要経費など)が必要になりました。このための経費が2,500,000円かかりました。
  他方、私はいわゆる政治活動を、5月中旬から選挙が始まる7月12日までのおよそ2ヶ月間に精力的に行ないました。その為の経費が(その主要な部分は全国の組織立ち上げのために移動した交通費、宿泊、滞在費であり、そのほか東京での滞在費、事務所借り上げ費、備品購入費、人件費など)4,219,698円でした。
  その結果8月2日の時点で残額は2,543,069円となりました。
  この経費はその後の私の政治活動(支援者の求めに応じて行う意見交換、講演会への参加経費、参加旅費・滞在費、資料購入費、通信費など)に使わせていただいております。それがなくなった時点で今回の寄付による私の政治活動は終了し、それを政治資金報告書に最終的に記録し提出する事になるわけです。
  皆様から頂いた寄付の内訳は、最小5円、最大100万円、平均して1万円、およそ1000名の方々から寄付を頂きました。短期間にこれほどの方々が、私のごとき一私人の選挙のためにカンパを寄せていただいた事は、大変な事だと思っています。その責任の重さに身が引き締まる思いでした。この事によって私は私の都合だけで軽々に政治活動を止める訳にはいかないと自覚するに至りました。
 寄付をいただいた方々に対しましては心よりお礼を申し上げると共に、皆様の期待に応える事のできなかった非力をお詫び致します。
 今後ともブログの執筆に専念するとともに、将来の政治参加の可能性について皆様と共に探求して行きたいと思っています。ありがとうございました。

2. 私なりの選挙の総括

 さて、選挙についての総括ですが、選挙結果が出た7月29日から今日まで、協力していただいた人たちはもとより、様々な人たちと意見交換を重ねてきました。
 当然のことながら関係者、支援者の人たちの間で意見の完全な一致はありません。負け戦を総括する事は決して楽しい事ではありませんでした。時として激論を交わすこともありました。それでも、共に選挙を戦った事による連帯感は確実に残りました。
 以下に述べる事は、皆様の様々な意見に謙虚に耳を傾け、そしてそれらを出来る限り尊重した上で、最後は自らの責任で下した私の今の考えです。そのつもりでお読みいただければ幸甚です。
 やはりなんといっても私自身の集票能力の欠如があります。知名度やアピール度その他選挙に勝つための個人的魅力が私には決定的に欠けていたという事です。この認識を大前提として、いくつかの主要点について書いてみます。
 (1) 9条ネット候補者としてのアピールが弱かったという事がまず指摘されます。9条ネットという組織は何か、それが不明瞭であり、国民の共感を得られなかったという問題があります。この点については、準備不足であったとか、メディアが取り上げてくれなかった、という理由もありますが、やはり9条ネットそのものが、一般有権者に不明瞭であったということです。
  なぜ新しい政党ではないのか。なぜ9条ネットの候補者だけでなく社民党その他の護憲候補者も応援したのか。立場の違った人々が「憲法9条を守るという一点で集まる」という事が果たして可能なのか。9条ネットという新しい組織は既存の護憲政党の足を引っ張る事にならないのか(護憲票をなぜ奪い合うのか)、などなどの疑問が選挙期間中に有権者から常に提起され、それに対する明確な答えを私自身最後まで見つける事はできませんでした。
  そもそも私自身が、9条ネットの母体となる主要団体(新社会党を中心に労働組合、みどりの会議その他の市民団体)の意図するところを十分理解しないまま、そして9条ネットが出来上がる過程での複雑な経緯を十分に知らないまま、9条ネットの共同候補者を引き受けてしまった、そこに私の根本的な矛盾があったと反省しています。
  結果として、支援者、9条ネット関係者ほかの多くの方々に迷惑をかけてしまった、その事を私はまず反省しなければなりません。
(2) 次に、候補者天木直人に限って言えば、9条ネットを支える主要組織が新社会党であったという事が、私のアピール度を減らす働きをしたという面があります。すなわち、読者の皆さんにはこのブログで繰り返し申し上げていますように、私は政治的には左翼イデオロギーはもとより特定の政治的イデオロギーに基づいて護憲を主張する者ではありません。国際政治の観点から見て、日本外交は、対米従属の日米軍事同盟関係から決別し、憲法9条を世界に高らかに掲げて自主・自立した平和外交でなければならない、そういう強い信念から、誰よりも強く護憲を訴えているのです。
  このブログを読んで私の支持者になった方々の多くも、9条ネットには関心はないが、天木個人を支持する、という人たちが多く存在しました。その私が9条ネットの候補者として立候補し、9条ネットの存在意義を訴えた事は、私の支持者のみならず、一般有権者にとっても、私の一貫性に疑義をもたせた結果となりました。実際のところ、9条ネットから選挙に出たことで私から離れて行ったり、批判を始める支持者も現れました。
(3) 三番目に、これは今後の私の活動のあり方にも関係するのですが、果たして私自身が目指している政治が、広く一般国民の受け入れられるものなのか、仮にそれが今の時点で一般国民の広く受け入れられなくても、それでも本気になってその政治的理想を貫き、いつかは実現していこうとする覚悟が、自分にあるのかという事です。
  私の基本的な考えは、既存の政治ではない政治をつくりたい、つまり既存の自民、民主のいずれが政権をとろうとも、そしてまたどのような既存の政党の連立政権ができようとも、権力は腐敗してその政治は真に国民の為の政治とはならない、特にその政治が、これまでの日米軍事同盟体制を本気になって変えようとしないかぎり、真の平和国家日本は実現できない、というものです。
  このように私の目指す政治と政治家は、既存の政党や政治家を全否定するまったく新しい政治、政治家像であるわけですが、この考え方が広く一般有権者の理解を受けるのはまだ時期尚早ではないか、ましてや今の選挙制度の下においてそのような主張を掲げて選挙に当選することは極めて困難ではないかという事です。
(4) そして最後になりますが、たとえ私が私がその理想を隠して妥協し、どんな形でもいいから勝てる選挙に臨む事にしたとても、勝てる選挙を行える参謀と支援者が必要だということです。そんな人は私にはいません。私が自分の考えだけで一人相撲を続けても、将来の見通しはなかなか開けて来ないという事です。


3.私の今後の方針

  以上の総括を踏まえて、私として今後どのように対処していくべきか。
  この点については、チャンスが来ればもう一度挑戦したいという気持ちを強く持つ一方で、今度選挙に出る時は文字通り最後の挑戦になるでしょうから、確実とは言わないまでも、勝てる可能性があると確信できるまでは慎重でありたいと思っています。
  そして今の政治状況では勝てる選挙が見つかる目処はまったくありません。私が自公の公認で選挙に出る事はありえません。民主党の公認を得て出馬するのが一番近道ですが、私が民主党公認を得られる可能性はありません。私は3年前の参議院選挙で菅直人党首(当時)から出馬要請を受けましたが、私の反権力の言動が危険すぎるという党内の一部の強い反対があって公認を得る事が出来なかった経緯があります。ましてや政権に近づいた今の民主党には自薦、他薦の候補者が殺到していると聞きます。そういう状況の中で民主党が私の公認を求めてくる事はありえません。だからといって今の護憲政党から私が立候補して当選する可能性も、これまたないのです。
  選挙は勝てるから出るのではない、理想を求めて出るのだ、当選の可能性は自分の手でつくるのだ、そう主張する方々もおられるかもしれません。私もそう思います。
  しかし理想を掲げて選挙をして惨敗したのがこの前の選挙でした。私がもう一度だけ理想を求めて出馬する時は、本当の意味での政界再編が起きて、日米軍事同盟を基本とする二大保守政党のほかに、イデオロギーとは離れた平和主義のあらたな第三勢力が日本の政治に必要になる時だと思っています。その機運が国民の中から彷彿として湧き上がってくる時であると思っています。
  私が9条ネットに参加する事を最終的に決断したのは、9条ネットを成功させればそのような機運を国民の間に起せるかもしれないと思ったからです。しかし9条ネットは成功しなかった。それは9条ネットの非力もありましたが、同時にまた日本国民の意識がいまだそこまで到達していなかったという事です。新しい政治の流れは無理をして作り出すだけでなく、政治状況の大きな流れと並行して生まれてくるのが本物なのだと思います。
  そしてここに来て、私はあらたな政治の予感を感じます。このままの流れでは次回の選挙で民主党政権ができるような気がしてきました。そしてその場合は、自公が下野して、民主党、社民党、国民新党などの連立政権ができます。その政権の最大の課題は、暮らしや経済政策の問題ではなく、間違いなく日米軍事同盟関係をどうするかという事だと思います。
  新しい連立政権は改憲を推し進めることはしないでしょう。しかし日米軍事同盟は確実に進展していくでしょう。一旦政権政党に入った社民党は、かつての社会党のように政権政党の立場を維持する事を最優先し日米軍事同盟を容認していくでしょう。これこそが、国民の目から隠された保守大連立政権のの到来ということです。下野した自公の政治家が日米軍事同盟に反対する立場をとるとは思えません。こうして憲法9条改憲なき日米軍事同盟体制が発展、深化し、当然視されていくのです。
  その場合にはじめて平和の為の第三勢力を求める声が国民の中から彷彿として湧き上がってくると思います。その時にチャンスが生まれると私は思うのです。
  今度の選挙を通して私の支持者にも変化が見られました。多くの人が離れて行った一方で、何があっても私を支持し続ける、あくまでも私の判断を尊重したい、と約束してくれる人たちが残りました。また私がブログでどのような意見を述べようが、たとえ意見が時として異なったとしても、私を支持するといってくれる読者が多くいます。私はそれで十分であると思っています。そしてそのような人たちとこそ、私が今後の活動を共にして行ける人たちです。
  私はいま、選挙直前に書いた私のブログを気恥ずかしい思い出読み返しています。選挙が始まる前の最後のブログで呼びかけた、「私はあなただ、あなたは私だ」の言葉は、選挙で惨敗した今となっては虚しく響くかもしれません。しかしこの言葉は、いまこそ使うべきではないのか。一度は忘れかけていたこの言葉を、再び新しい思いで使わせていただきたいと思います。
  激動する日本の政治情勢を透徹した目で見据えて、必ず我々に出番は来る、その時を信じて、その時に備えて、叡智と気迫を蓄えていく、これこそが今の私の心境であります。そのこころざしを共有し、私と一体になって挑戦していきたいと今でも考えている人たちに、私は感謝を込めて呼びかけます。
「私はあなただ、あなたは私だ。ともにあたらしいスタート地点に立って歩み始めたい」と。
 最後までこの報告に目を通していただいた方々に心から感謝しつつ報告を終わります。

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2007年09月25日

中東情勢を懸念する

 中東情勢を懸念する

  政局報道に明け暮れる日本のメディアは、外電を引用する形でしか断片的に報じないが、中東情勢から目が話せない。いくつかの懸念すべき事態が同時並行して急速に進んでいる。しかもそれらがすべて密接に関連している。イラク情勢が不透明な中で、パレスチナではパレスチナを分断し強硬派ハマスを壊滅して親米ファタハとの偽装和平を図る動きがある。レバノンでは大統領選挙を巡って、親米政権樹立の動きとそれに抗する反米勢力との間で、内戦の危機が顕在化しつつある。その中でも、やはり最大の危機はイランへの武力行使である。
  ブッシュ大統領の言動を見る限り、イラク情勢の混迷にもかかわらず、退任前に大きな行動を起そうとしているのではないか。もし中東が混乱するようになれば、今度こそ日本はその影響から免れない。一刻もはやく米国のテロとの戦いから距離をおくべきだ。日本の指導者に日本経済や国民の事を考える叡智があるのなら、そうすべきだ。
  果たしてイランへの攻撃はあるのか。もちろん私にはそれはわからない。秘密情報など何もない。しかし公開情報だけを断片的に拾ってみるだけでも、事態が急速に動いていることがわかる。
  今月6日、イスラエルがシリアを攻撃した。シリア政府は「イスラエル軍機は領空を侵犯し、爆発物を投下した」と発表しただけで、空爆の有無は明らかにしなかった。その一方でイスラエル政府は、異例の沈黙を守っている。
 この事が様々な憶測を招いた。「北朝鮮がシリアに核物質を移送しているとみてイスラエルは偵察飛行を繰返していた」(12日米紙ニューヨーク・タイムズ)、「標的は、北朝鮮から渡った核物質の地下貯蔵庫」(16日英紙サンデー・タイムズ)、「イランに対する攻撃の予行演習」(16日英紙オブザーバー)などである。
  憶測はさらに発展する。「ブッシュ政権が北朝鮮をけん制する為にシリア空爆を事前に容認していた」(21日米紙ワシントン・ポスト紙)、「私は最初からこの件に関与していたし、支持した。(オルメルト首相に攻撃成功)おめでとうと言った」(ネタニヤフ元イスラエル首相の19日夜のチャンネル1発言)などと報道され、物議をかもした。
  そして23日の英紙サンデー・タイムズが「6日の空爆前に、既にイスラエル特殊部隊がシリア北部の軍事施設を急襲し北朝鮮製の核物質を押収していた、米国はこれを確認した上で空爆を承認した」という米国とイスラエルの消息筋の話を伝えた。
  イランの核保有を最大の脅威と見るイスラエルは、イランの核保有は決して認めない。そのイスラエルの安全保障を米国の外交は最優先する。しかもテロ国家イランが核を保有する事を米国は絶対許さない。イランが核保有の準備を進める限り、イランへの攻撃は、「いつやるか」だけである。
 イランが核製造の技術を取得して実用化できる時期については専門家の間で意見が分れているが、23日のニューズ・ウィークは、イラクが核開発を止めなければ「08年は行動を起す年になる」というイスラエル筋の話を報じている。これに譲歩するかのように、アフマディネジャド大統領は米CBSテレビとのインタビューで「核爆弾は必要はない」と改めて核兵器開発の意図を否定した。
 私は六カ国協議における米国の出方に注目している。米国の最大の懸念はテロに核が渡る事である。北朝鮮がシリアにいまでも核技術を提供している事を確認し、それでも北朝鮮との話し合いを続けるとすれば、この矛盾をどう考えればいいのか。
  ここから先は根拠のない推測であるが、イランへの攻撃を行う事を決めているのではないか。そうであればもはや北朝鮮がいくらシリアに技術を提供しても関係はない。それどころかイラン攻撃はシリアや北朝鮮に対する有無を言わせない核廃棄要求になる。やはりブッシュ大統領の最後の仕事はイラン攻撃なのだろうか。時間はまだ一年もある。インド洋補給活動などという悠長な事を議論している時ではない。

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2007年09月23日

迷走するテロ特措法延長問題の核心を衝くー最終回

 迷走するテロ特措法延長問題の核心を衝くー最終回

  福田自民党総裁が誕生した。首班指名、組閣を経て、いよいよ福田自民党と小沢民主党の本格的な国会論争が始まる。そしてその先に解散・総選挙がまっている。自民党にとって文字通り後のない国会であり、民主党にとっては政権奪取を賭けた正念場の国会となる。
 既存政治を全否定する私でも、これから始まる福田自民党と小沢民主党の歴史的攻防にワクワクした思いで注目せざるを得ない。国民不在の政治劇ではあるが、どちらが政権を取るのか、そしてその政権がどのような政策を国民に提示するのかは、我々の生活に直結する。すべての国民は監視していかなくてはならないのだ。
  民主党は、国民の怒りの火を消さないためにも、戦略的には年金問題や政治とカネの問題で自民党を攻めるべきであろう。政策的には、地方を切り捨て、経済格差社会をもたらした小泉改革の行き過ぎをとがめ、その修正を迫るべきである。
  だから民主党はテロ特措法延長問題に固執してはならない。テロ特措法延長問題は国民の関心の中心ではない。その議論は国民の広い共感を得る性格のものではない。これが私の持論であった。
 しかし外交は私の関心事だ。おまけにここへ来てテロ特措法のいかさまが露呈された。海上補給の欺瞞こそ、米国のイラク攻撃を正しいと言って支持し、サマワへ自衛隊を派遣して憲法9条を蹂躙した小泉前首相の欺瞞を象徴的に表すものである。
  ひょっとして福田内閣を窮地に立たせる問題に発展するかも知れない。だから最終回は、テロ特措法延長問題を、果たして福田自民党はどう乗り切るのか、その事について書くこととする。

(1) 福田自民党は海上補給の継続にどこまで固執するか

  正直言って福田自民党の対応について私はわからない。何があっても海上補給の継続にこだわるのか、それとも海上補給が一時的に中断されても仕方ないと思っているのか。
  小泉、安倍両首相の時であれば対決姿勢で臨んだであろう。しかし福田自民党は違う。民主党を参院で勝たせたのは国民であり、その結果参院で多数になった野党があくまでも反対するのなら、無理をすることはない。無理をして国民の反発を招き、政権を手放すような事があってはならない、自民党が政権を維持し続ける限り日米同盟はゆるがない、そのように米国に説明して米国の了解と支持を得ようと考えるのではないか。私であったら間違いなくそうするだろう。
  米国が理解を示してくれるなら勝ちだ。海上補給を停止する責任は自民党にはない。その責任は野党にあると言うだけで良い。海上補給が打ち切られで生ずる論争において、野党の国際的な無責任さをあげつらえばいい。
   しかし、果たして米国は海上補給の中断を了承するだろうか。そのような福田自民党の態度に理解を示すだろうか。福田氏の発言や、米国との関係を重視してきたこれまでの自民党の政治家、そしてなによりも対米追従をあらゆる外交において最優先にしてきた外務官僚は、米国の要求を否定できるか。そう考えると、やはり政府・自民党はあくまでも海上補給の継続に固執するに違いない。その前提で議論を進めていく。

(2) 国連決議の工作に奔走した政府・外務省

  小沢民主党が延長反対の根拠にあげたのが米国のアフガン攻撃が国連決議によって承認されたものではないという事だった。
  私はこの理由付づけは決して得策ではないと思った。なぜならば国連決議などというものは、所詮は政治的妥協の産物であるからだ。しかもその作成過程や条文解釈はすべて政府・外務省に独占されている。国連決議をめぐる論戦は野党に勝ち目はない。
   もっとも、この小沢発言に振回されたのは政府・外務省であった。政府・外務省は早い段階から国会決議の裏づけを模索し、浅知恵でたどり着いた結論がアフガンへの国連治安支援部隊(ISAF)の延長を決める決議づくりに便乗することであった。日本の海上補給に関する謝意表明の文言を挿入するという低次元の外交工作を行なった。
   それがバレたばかりか、不快感を示したロシアが棄権にまわり、また、コンセンサスで安保理決議が成立しなかった事は遺憾だったとする中国代表の批判発言がなされる始末である。政府・外務省にこのような醜態を演じさせた訳だから、小沢発言も奏功したということかもしれない。
   米国の片棒を担ぐようなみっともない国連外交をわが外務省が行うことは今に始まったことではない。今から4年半前、米国のイラク攻撃を正当化させる国連決議づくりで安保理が割れていた時、日本は安保理メンバーでもなかったのに会議場外を走り回り、弱小の非常任理事国代表をつかまえては賛成するよう無駄な説得工作をした。
   しかし、たとえ政府の国連工作が作為的であり、それが醜態だと批判したところで、国連決議が成立し、その解釈が政府に独占されている以上、政府・外務省はそれを強引に解釈し、ゴリ押しすることは可能なのである。
  テロ特措法の延長が認められず、そして新法の成立が間に合わなくても、国連治安支援部隊の国連決議を根拠に、政府・外務省が海上輸送を継続させることはありうる。この点については後述する。

(3) テロ特措法の延長か新法か

   福田氏の発言を聞いていると、福田自民党はやはり正攻法で何らかの立法措置を講ずる事に全力を傾けるようだ。おそらく新法を提案してくるだろう。
   民主党は、延長法案にせよ、新法案にせよ、それを直ちに否決し、自民党に再議決を迫るべきだ。まちがっても審議を長引かせ、時間切れとなって海上補給の中断を招くような事態を招いてはいけない。ましてや民主党の方から提案などしてはいけない。
   審議を引き延ばし時間切れになるようなことになれば、海上補給を出来なくさせたのは結局民主党である、などという批判を招く口実を与えることになる。民主党は、再議決権を行使してまで強硬に法案を成立させるように自民党を追い込まなければならない。自民党にとってもこれは覚悟の要ることだ。福田自民党も強引だ、対米従属だ、という事を国民の前で見せつけることになる。選挙対策としてこれは避けたいに違いない。
  小沢民主党がテロ特措法延長に反対を言い出した時、私が主張した「落としどころ」がまさにこれであったのだ。

(4) 法律がないままに政策を行なう政府・外務省の欺瞞

   これから書く事は誰も指摘しないことである。そして今回のテロ支援法延長に際して現実に行なわれるとは限らない。しかし問題意識として念頭に置いておいたほうがいい。
   そもそも米軍再編に対するわが国の協力は、実は法的根拠のないままに、政府・外務省が政策決定一つで実施しているものである。
   今から数年前、外務省が米国から米軍再編への協力をはじめて求められた時、外務省は仰天した。それに応じる事は明らかな違憲であり、日米安保条約にさえも違反しているからである。そのためには改憲、改安保条約が必要だ。しかしこれは容易ではない。だからこそ米側の要求への返答をズルズル遅らせたのだ。
  しかし米国の怒りが爆発して結論を出さねばならなかった。小泉前首相もしびれをきらせた。そこで考え付いたのが、日米安保条約とはまったく別の論理である。つまり「世界の平和」に貢献する為に日米が協力するという事はあたりまえの事だ。それは政府が占有している政策決定の裁量の中にある、日米間の政策宣言、共同声明などで自由に行なえる、こういう論理を持ち出して押し通した。
  これは国民の財産や人権に関わる政治決定は法律に基づかなくてはならないという民主主義、法治主義の大原則に背馳するものである。しかも、政府はこの違法行為を、既に1997年の日米新防衛指針(ガイドライン)決定の際に犯している。すなわち日米両国は、1978年以来堅持してきた「日本への武力攻撃の際の日米協力」に加え、日本の有事とは関係がなくても日本の周辺事態における米軍の活動に日本側が協力するという違憲状態(集団的自衛権発動状態)を、日米外務・防衛閣僚間の政策合意だけで決定してしまったのである。国会における安全保障論議が急速に空疎化していったのもこの時からであった。米軍再編の具体的協力が進むにつれて、今後はガイドラインだとか声明などという行政間の決定で、法律の根拠なくした政策がどんどんと積み重ねられて行くに違いない。
  と、ここまで書いてきて、総裁選で麻生氏が197票を得票したというニュースが流れてきた。予想以上の集票だ。麻生氏の力も温存された。私が予言したとおりだ。小泉、安倍政権とは異なり、福田自民党は自民党の総力を結集して党の建て直しをはかろうとするに違いない。小沢民主党にとっても正念場がきたという事だ。
  

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2007年09月23日

    迷走するテロ特措法延長問題の核心を衝くーその2

   迷走するテロ特措法延長問題の核心を衝くーその2

  続編を書くのが少し遅れた。他意はない。コンピューターの接続に不都合が生じ、直すのに手間取った、それだけである。
  しかしその間にピースデポによる貴重な情報が発見された。国連決議をめぐる外務省の姑息な工作も露見した。私の書くネタも増えた。

  (1)小沢民主党にとっての落としどころ

  小沢民主党にとって今なすべき最大の課題は、自民党を早期解散・総選挙に追い込んで、選挙による政権交替を確実なものにすることである。
  そうであるならばテロ特措法延長問題への対応も、おのずとその観点から落としどころを見極めるべきである。
  この問題をきっかけに、対米従属外交を見直し、さらには圧倒的に違憲状態に進みつつある日米軍事同盟に歯止めをかける、それが小沢民主党の立場であり、その観点からテロ特措法に反対しているのであれば、私はそれを歓迎し、全面的に支持する。議論も正攻法で行なうべきである。
  しかし、繰り返し書いてきたとおり、今の民主党は決してそういう政党ではない。しかも小沢代表自身が大変身したというのなら別であるが、少なくともこれまでの日米関係に関する政治家小沢一郎の言動は、決して日米軍事同盟に反対する考えに基づいたものではない。
 そうであれば、何があっても補給活動を停止させるという事に固執して、自民党との間のガチンコ論争に巻き込まれる愚を犯すべきではない。
  海上補給活動を中心としている現行のテロ特措法は、少なくとも現時点では延長するわけにはいかないと繰返すだけでいいのだ。そう言ってボールをすべて、速やかに自民党にゆだね、補給が継続されようと、中断されようと、(民主党は反対であるが)その判断は自民党が国民に責任をもって決めるべきだと突き放せばいいのである。

 (2)アフガンの治安・復興は米国のやり方では成功しなかった

 具体的にはどうすればいいのか。それはまず自民党の対応を見極めることだ。テロ特措法の延長であれ、新法をつくるのであれ、自民党はどう対応するのであろうか。もし自民党の対応が何があっても海上補給を継続するものであれば、自民党はそれに見合ったリスクを犯すことになる。民主党は「海上補給を継続する必要性と妥当性が認められない」と繰返すだけでよい。間違っても民主党から先に対案を出すような事をしてはいけない。
  反対の理由は、「米国主導の軍事優先の政策では、アフガンの安定、復興はおぼつかない」という、誰の目にも明白な現状を指摘し、そうであるならば補給活動を無反省に継続することは無責任だ、とこの一点を強調すればよい。あらゆる国際情勢がこの主張に味方している。これからも米国の行き詰まりがより明白になっていく。

(3)ピースデポの告発は民主党にとっての最強の援軍である

  それに加えて給油活動がイラク戦争に流用されていた事を決定付けるあらたな証拠が提示された。これは民主党にとって大きな追い風である。
  アフガンでの活動支援のための補給活動が、実はその殆どがイラク戦争に使われていた、しかもそれを知った上で行なっていた、もしそれが事実であれば、沖縄密約などに象徴される「国民を欺き続ける日本外交」が、また一つ明るみに出たという事だ。その持つ意味は極めて深刻である。その時点ではわからなかった、とか、給油量の記載ミスであったとか、給油される石油を厳密に区別することはできない、などという性格のものではない。もっと確信的なものだ。日本はイラクに派兵する事は出来ない。それは憲法違反を犯すからというだけではない。自衛隊の血を流すわけにはいかないのだ。だから給油でイラク戦争を支援するほかはないのだ。梅林氏が言っている、「オイルローンダリング」なのだ。
  小沢民主党はこの問題をもっと重視すべきだ。政府、外務省に資料提供したり、国会で追及したりするだけでなく、シーファー大使を招致して国民の前で米国に問いただすべきである。シーファー大使は日本国民の前で、テロ特措法の延長ためにはあらゆる情報を提供すると約束した。はたして米国大使は日本国民に嘘をつけるかどうか。「この問題が明らかにされない限り給油活動の継続を認める訳にはいかない」というのは、誰が聞いても納得の行く理屈だ。反論できない理屈だ。給油活動の中断の責任を小沢民主党のせいに出来なくなる。
   しかも福田次期自民党総裁は当時官房長官であった。そして流用の事実は一切ないと明言していた。この問題は福田新政権が就任して真っ先にテロ特措法延長を行なおうとする際の、最大の問題となるに違いない。
   対応次第では自民党は追い込まれる。果たして福田自民党はどう対応するつもりだろうか(続く)。

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2007年09月21日

迷走するテロ特措法延長問題の核心を衝くーその1

 迷走するテロ特措法延長問題の核心を衝くーその1

  私がこのブログを書き始めてまもなく、私はある事に気づいた。私のブログは、筆者の身元を明かしてすべての読者に公開するブログである。いわば無防備のブログだ。しかも政府・官僚の間違いを正面から批判するブログである。国家権力を敵にして手の内のすべてをさらけだして書いている。それは危険ではないか。馬鹿らしくないか。その通りである。
  しかし私も官僚を長年やってきた人間である。単純ではない。計算高い。純粋な善人ではない。それなりの知恵はある。
  私のたどりついた結論は、「読まれる」ことを前提にして書くという事である。だから当然私のブログは脚色がある。もう一つ、どこから読んでも文句が言えない絶対的真実を書き続けるという事である。
  この作業に耐えられる体力、気力がなくなれば直ちに書くことを止めるつもりである。そう思って書いている。私がブログを書くのは自分との闘いであると思っている。
  35年間外務官僚を続けてきたとは言え、今の私は還暦を迎えたただの一市民だ。若い頃の自分に比べあらゆる面で衰えを感じる。手にする情報は皆が等しく共有する公開情報しかない。しかしそれでも私には自信がある。真実が見える。政治家や官僚の考える事が手に取るようにわかる。狂信的な自己過信とそれに耐えうる無私の自己犠牲の気持ちがある限り「正義は我にあり」だ。自らをごまかそうとする邪心が心の中に少しでも生じれば、その瞬間にこのブログを書き続けることは出来なくなる。
  前置きが長くなった。今日のブログは、迷走するテロ特措法延長問題についてである。何回かにわけてやや詳しく述べてみたい。重要なテーマであるからだ。私の考えを正確に伝えたいからだ。誰も書かない、書けない、本質を衝いてみせる。

(1)テロ特措法延長の是非はこの国の基本的あり方を問う問題である。
 
 小沢民主党代表がこの問題について発言したのは、たしか8月上旬であった。参院選での大勝利の直後である。私は瞬間的に、この問題が小沢民主党にとって、負担になると思った。なぜならば、この問題は年金問題や「政治とカネ」のスキャンダルと違って、複雑な議論に巻き込まれる政策問題であるからだ。しかもこの問題は、突き詰めていけば戦後62年続いた日米軍事同盟体制という国の根幹に関わる問題である。そんな問題に今の小沢民主党は進んで巻き込まれてはいけない。
  小沢民主党にとって目前の課題はなんと言っても政権奪取である。一日でもはやく解散・総選挙に追い込んで衆議院で勝利を収めることだ。その為には国民が圧倒的に怒っている年金問題と政治とカネの問題に集中して自民党を追い込むべきなのだ。

(2)テロ特措法延長問題は落としどころをはやく決めるべきだ

  そうは言っても、もう発言してしまった。シーファー大使を呼びつけて国民の前で大見得を切ってしまった。だから小沢民主党にとっての最善策は、自らに有利な形で落としどころを見つけるべきなのだ。
  小沢叩きを試みる連中はすでに色々な攻撃を始めている。これは今後も加速していくであろう。
その一つが、「シーファー大使を呼びつけて国民の前で会談を公開した」事が、無礼だ、傲慢だ、外交常識に欠ける、という事である。しかしそれは違う。
  大使の仕事は任国とのパイプを強化し、友好関係を促進し、情報収集を行い、広報や工作をして自国の国益を実現することにある。だから大使は何でもしなければならない。野党の党首と関係を築くのも重要な仕事だ。報道によれば、シーファー大使は親米派の前原などと会っておきながら、小沢とは一度も会っていなかったらしいが、これは大使の怠慢なのである。ましてや政権政党に近づきつつある野党の党首である。しかもテロ特措法の延長を要請するために理解を求めなければならない立場にある。シーファー大使が小沢党首を訪れるのは、外交的常識からも当たり前なのだ。
  会議が公開された事についても何ら問題はない。大使にとっては秘密にする事は何もなかったはずだ。むしろ日本国民に向けてテロ特措法の重要性と有益性をアピールできる絶好の場である。もし公開が絶対に嫌であれば、シーファー大使は断る事が出来たに違いない。そしてシーファー大使が強く非公開を求めたのであれば小沢党首はそれを拒否しなかったに違いない。あの会談は合意の上の会談であったのだ。困るのはすべてを秘密主義で誤魔化そうとする外務官僚だけなのである。
  話がそれてしまったが、私が言いたかった事は、インド洋における補給活動の継続を強く期待する米国の要求に対し、小沢民主党がどう対応すれば小沢民主党にとって最善であるかという事である。これが私のいう落としどころなのである。
  ブッシュ政権にとって今日本に補給活動を止められてはあらゆる意味で困ることになる。ブッシュ政権は最後まで「テロとの戦いは正しかった」と言って任期を終える覚悟である。その一方でテロとの戦いに勝利は見えない。イラクにしてもアフガンにしても状況が悪化している。つまり日々追い込まれているのだ。そんな中でもっとも米国を支えてきた日本が、この時点で手を引く事は、国内的にも対外的にもブッシュ政権にとって大きな痛手だ。だからこそテロ特措法の延長に固執するのだ。
  そんなブッシュ政権を叩くことが小沢民主党のすべき仕事ではない。ブッシュ政権はやがて終わる、米国国民もブッシュ政権を見捨てつつある、だから少しぐらいブッシュを怒らせても大丈夫だ、そう小沢民主党が高をくくっているとしたら大きな間違いだ。現実に給油が出来なくなったとすれば米国は小沢民主党を批判するに違いない。反小沢の自民党や自民党を支え続ける識者や国民は、米国と結託して小沢叩きを加速させるであろう。政権が現実的になった今、政権政党の党首を目指す小沢氏にとって、米国との関係で不要なエネルギーを使ってはいけない。それは決して得策ではない。

(3) テロ特措法延長反対を声高に叫んでいる連中は誰か

 私はテロ特措法の延長に反対である。それはテロ特措法が米国の間違ったテロとの闘いに加担するものであるからだ。そしてそれは憲法9条に反する違憲行為であるからだ。そしてその事を突き詰めていけば、戦後62年続いた日米安保体制、日米軍事同盟関係を根本的に変えなければ日本の将来はないと思うからだ。
 しかし日米軍事同盟関係を改めるということは、戦後62年続いた日本の国の在り方を根本的に変えることである。これは一政権の出来ることではない。国民の総意に基づいて、何代もの政権を経て戦後外交の舵を大きく切って行くことだ。
 性急に日米関係の転換を叫んでいる者は誰か。それは対米従属は不愉快だといった感情論に基づく国民であり、米国帝国主義粉砕といった左翼イデオロギー論者であり、これを機会に自民党との違いを鮮明にし、ぶれない民主党を示して世論の支持を失わないようにしようと考える政局論者である。しかしそのような連中は無責任な連中だ。本気で日米関係を変えようと思う者ではない。彼らでは日米軍事同盟関係は変えられない。
  私のこの意見を読んだ読者の中には、私が自民党支持か民主党支持かわからないだとか、対米従属批判を標榜してきた私が変節したとか、考えがブレているとか言うものがいる。笑止千万だ。私は、すでに述べたように、イデオロギー的左翼でもなければ、単純な反米主義者ではない。ましてや単純な民主党支持者ではない。
  私の最大の関心は、いつの日か日本が米国との軍事同盟から解き放たれて世界に拍手喝さいを受ける真の意味での平和国家日本を実現することである。憲法9条を世界に掲げて、どのような国からも敵視されない堂々とした絶対善を実施できる国に日本を導く事である。
  この理想を実現する事は容易ではない。左翼イデオロギーを掲げる日本共産党や旧社会党には出来ない。出来るものならとっくに実現できていたはずだ。旧社会党に至っては安保体制を容認する始末である。
  私は政権交替論者であるから野党第一党の民主党が政権奪取に近づいた今、何としてでも政権を取ってもらいたいと考える。そして民主党の指導者の中ではそれができるのは小沢一郎しかいないと思っている。だから小沢民主党を支持する。しかしそれ以上のものはない。
  何が何でも民主党を応援するという連中とはまったく考え方が違う。民主党が政権をとっても、私の求める日本をつくる事が出来なければ批判の対象になる。それよりも何よりも今の民主党の議員の顔ぶれを見る限り全体として自民党のそれよりも劣っている。こんな連中が政権をとって偉そうにされてはたまらないと思ったりさえする。しかも今度の総選挙では、勝てるとみるや、味噌も糞も民主党の公認を得て立候補しようと、秘書や官僚が民主党に群がっていると言うではないか。これでは二年前の小泉チルドレンの二の舞だ。
  私は単純な反米主義者ではない。米国の偉大さと恐ろしさを知った上で、その米国との関係を重視しながら米国からの自主、自立を実現すべきであるという考えを持つ保守・現実主義者だ。日本国民の利益を最優先する外交を行うべきであると考える国益優先論者である。
  そのような考えに立ったとき、小沢民主党の取るべき落としどころはおのずと明らかになっていく。それについて、次回のブログで書いてみる(続く)。

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2007年09月20日

フォートルイスと座間

 フォートルイスと座間

 フォートルイスとは米国シアトルの南80キロにある米軍基地の町である。そこには米陸軍第一軍団司令部がある。
 座間とは在日米軍のキャンプがある神奈川県の座間である。
 小泉政権下の日本政府は、国民に説明することなく、ましてや国民の了解もなく、米陸軍第一軍団司令部を神奈川県の米軍基地キャンプ座間へ移転することを承認した。米国の「テロとの戦い」を支持し、それにともなう米軍再編へ協力の一環である。これにより自衛隊の中央即応集団が米軍の司令下に置かれる事になる。
  ローレンス・レペタという米国人弁護士がいる。現在は大宮法科大学院の教授として日本に滞在している。そのレペタ氏が9月14日付の毎日新聞「世界の目」というコラムで書いていた。
  シアトル出身のレペタ氏は今年の夏にシアトルに里帰りし、その時シアトル高校出身のフットボールの名選手だった23歳の若者が戦死した事を知る。地元紙が大きく報じていたのだ。その若者は毎週10名の兵士をイラク戦争で失っているフォートルイス部隊の一人であった。
  12ヶ月の任務を終え、6月には帰還するはずだったその若者は、兵士が不足して駐留期間が15ヶ月に延長された。その延長一ヶ月後に犠牲となったのだ。若者はなんとか13ヶ月イラクで生き延びた。しかしそこで力つきた。
  「息子は(帰りたかったに違いないが)不平を言わず、命令を遂行する良き兵士だった」という父親の談話を引用しながら、レペタ氏は書いている。
  「・・・共産主義が敵でなくなったとしても、テロリストやイスラム過激派がいる。5年前、突然『悪の枢軸』に立ち向かうと述べたブッシュ大統領のような人間にとって、戦争はなくならない。一つの敵が消えても別の敵を見つけ出す。存在しない『大量破壊兵器』という嘘のせいで数十万人のイラク人、3000人超の米兵、(ほか多数)が命を落としている・・・」と。
  そしてその後に続くレペタ氏の日本人へのメッセージこそ、このブログで私が読者に伝えたいと思った事なのだ。
  レペタ氏は言う。
  「・・・イラク戦争はいつの日か終わるだろうが、米指導者たちは新たな脅威を見つけ、大統領が「予防(自衛)戦争」を宣言するだろう。(その時は既に)新司令部は神奈川県に移転済みかもしれない。次の不必要な戦争で(座間の日本兵はフートルイスの米兵士のように)米兵と共に戦地に赴くのだろうか・・・」
   このまま日米軍事同盟が一体化していけば間違いなく日本は米国の戦争に巻き込まれる事になる。日本の若者が犠牲になる。政府指導者、外務、防衛官僚は、レペタ氏のこの言葉をかみしめるべきだ。おのれの罪の深さに思いを馳せるべきだ。


 

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2007年09月20日

拉致問題に関する福田康夫の発言

 拉致問題に関する福田康夫の発言

   安倍辞任後の政局に関する新聞、週刊誌の記事は、可能な限りすべての記事に目を通したつもりだ。どの記事も似たり寄ったりの記事ばかりだった。感心させられるような鋭い解説はほとんどお目にかからなかった。その中でも、週刊文春9月27日号の「逃げ足の早い小泉純一郎こそ、どう考えてもA級戦犯だ」という記事は、私が見た記事のほとんどすべてが奇妙なまでに小泉前首相の責任に言及しない中で、ただ一つ「日本一の無責任男」という表現を使って小泉前首相を正面から批判していたという点で、俄然注目した。私はこの四年間、あらゆるところで小泉批判を繰り返してきた。よくここまで小泉批判が出来るものだ、この日本で私ほど小泉批判をしている者はいないだろうと、我ながらあきれるほどである。その私が驚いたほど的確で強烈な小泉批判であった。
  しかし私が今日のブログで書きたい事は小泉前首相の事ではない。まもなく日本の総理になる福田康夫が拉致問題にどういう発言をしていたかについてである。
  彼は総裁選の街頭演説の中で、「拉致問題は私の手で解決する」と大見得を切った。その言やよし。それを聞いて、私はひょっとしたら拉致問題は福田の手で動き出すのか、という期待感を抱いた。ところが前掲の週刊文春9月27日号に掲載されていた、福田康夫「オフレコ暴言録」を読んで、「こりゃ、だめだ」と思った。
  5年前の9月17日、日朝首脳会談で北朝鮮側は日本人13人を拉致した事を認め、うち8人の「死亡診断書」を提出してきた。その夜の完全オフレコの取材に福田はつぎのように答えていたという。
「・・・北朝鮮は、死亡者の一部を行方不明にする手もあったのに、正直に全部出してきた。誠実すぎるくらいといってはいけないが、誠実だった。金正日もリスクを負って決断している。拉致を認めると国内から批判が出てくる可能性もある。ハラを決めていたんだろう・・・田中均はいろいろ言われているが、今回の首脳会談に関してはパーフェクトだよ。(死亡日時をすぐに家族に伝えなかったのは)ちょっと気が緩んだんだろう。一日遅れちゃったけど、ちゃんとご家族に通知したんだからいいじゃないか・・・」
  福田はまた小泉に代わって行なった拉致家族への報告に際し、追及する拉致家族に対し、
 「黙って聞きなさい。あなたがたの家族は生きているんだから。あとの方は残念ながら亡くなられている・・・」
  と景色ばんだ。
 そして記者から、「拉致被害者の多くは拉致から、一、二年以内に死んでいたという話があるが」と聞かれてたのに対し、
「聞いていない。誰がそんな事を言っているんだ?(飯島秘書官が総理番との懇談の中で言っていたと記者に言われて)飯島!彼に情報が入るわけないだろう・・・」
 と怒った。

   この福田の傲慢さは何だ。拉致家族に対する冷たさは何だ。北朝鮮に対する寛容さはなんだ。
   拉致問題については外務省も政府も間違いなく国民に隠している事がある。福田首相が実現すれば野党は事実を明らかにするように福田に迫るべきだ。すべての情報を公開をし、政府と拉致家族と国民が三者一体となって解決策を見つけるように努力して始めて、あらたな希望が見えてくるに違いない。功名心に走る秘密外交はもはや限界に来ている。
   

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2007年09月19日

国連を利用してテロ特措法延長を画策する外務省

国連を利用してテロ特措法延長を画策する外務省

 今日のブログはこれで決まりだ。19日の読売新聞や日経新聞が大きく報じていた。報道のポイントは、急遽外務省が米国と結託して、日本の給油活動に謝意を表するという国連決議を成立させようとしているというニュースである。
 これが奏功すればすべて解決する。テロ特措法の延長はおろか、新法なども要らなくなる。明確な国連決議が成立するからだ。米国が動けば安保理主要国は賛成するに違いない。悪知恵ここに極まれりである。
小沢民主党がテロ特措法延長に反対した時、日本は国連中心主義だ、だから国連で承認されていない活動に協力できない、と言った。私はこれを聞いた時、直感的に危ういものを感じた。なぜならば国連決議などと言うものは、所詮は妥協の産物で、曖昧なものだからだ。しかも今の国連は残念ながら理想像に達していない。それどころか国際政治の駆け引きの場となり、外交官や国際官僚の独占物になっている。だから国連決議を政争の具にすれば、政府や官僚に圧倒的に有利となる。実はこのような考えは私もあの時考えていたのだ。国連の仕事に携わったものであれば誰でも考えつくことなのだ。
 やはりテロ特措法延長に反対するのなら、「米国のテロとの戦いは間違いだ、それに協力することは誤りだ」と正面から反対すべきだったのだ。
  外務官僚たちの悪知恵は巧妙だ。小沢民主党はアフガンに展開する国際治安支援部隊の活動には協力してもいいと言っている。国連決議があるからだ。その国連治安支援部隊を認める国連決議は近く延長される事になっている。だからその延長に際し、決議案の前文に日本の協力に感謝するといった類の文言を挿入する事を認めさせれば、堂々とわが国の補給活動が国連決議で認められることになる、少なくとも政府、外務省はそう言い張ることができる。既存の国連決議の延長に際して微調整することは容易なことだ。
  報道によると、はやければ18日に決議案が提出され、19日にも採択される見通しだという。このスピードは驚きだ。
  おそらくこの動きは水面下でかなり早い段階でから始まっていたに違いない。それが実現する見通しになったので、政府・外務省は情報を流し始めたのだろう。おりしも山崎拓自民党前副総裁は18日、都内の講演会で、新たな国連決議が無理な場合でも、安保理議長声明か事務総長談話によって、国連の要請する活動にすることが出来る、などと喋っている。
  私が見逃さなかったのは、この間まで国連次席大使をやっていた御用学者の北岡伸一が、19日の日経新聞「経済教室」のなかで、ハッキリとつぎのように言及していることである。
「・・・国連決議は融通むげなところであり、後の決議(国連治安支援部隊を設立した国連決議)で言及する形で米国の「不朽の自由作戦」を支持し、正統性を付与(すればいい)・・・」
北岡などもこの悪知恵作成に加担してきた一人なのだろう。どうやらテロ特措法延長問題は、世間が安倍辞任のドタバタ劇にごまかされている隙に、急転直下の展開を見せる雲行きになってきた。

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2007年09月18日

日朝平壌宣言の交渉過程を検証せよ

日朝平壌宣言の交渉過程を検証せよ

  小泉前首相が逃げていく。しかし逃がすわけにはいかない。どうしても問いたださねばならない事がある。それは、一つはブッシュ大統領のイラク戦争を支持した背景である。もう一つは日朝平壌宣言の交渉過程における裏取引についてである。野党は福田政権が発足すれば、真っ先にこれら二つの小泉外交の検証を求めるべきだ。
  このうち、イラク戦争を支持した背景の検証は、安倍首相が国会答弁でこれを約した。だから野党は福田政権に対し、それを誠実に実行せよと迫ればよい。福田政権から約束を取り付ければいい。
  今日のブログは日朝平壌宣言の裏に隠された小泉前首相と金正日との裏取引について書く。私はイラク戦争を支持した背景よりも、日朝平壌宣言の交渉過程の方がはるかに重大だと思っている。なぜならばイラク戦争支持は対米従属のなれの果てということで衆目は一致しているからだ。しかし突然の訪朝と性急な日朝平壌宣言の合意の背景はあまりにも不透明だ。北朝鮮との裏取引があったに違いない。私はその事実を情報通から聞いている。そうだとすれば小泉前首相と外務省は拉致被害者家族を裏切り、騙し続けた事になる。人道にもとる仕業である。
  18日の各紙は、9月17日で日朝平壌宣言からはやくも5年たったということで、特集記事を組んでいた。そのいずれもが拉致問題については解決の筋道がまったくたたないとしている。それは当たり前だ。すでに密約があり、それを破った日本は負い目があるからだ。強く出る事の出来ない事情があるにも関わらず、世論におされて強硬姿勢をとらざるをえないからだ。
  これに関連し、18日の新聞に小さな記事がのっていた。北朝鮮の平壌放送の論評である。それは拉致問題は解決済みだとした上で、日朝平壌宣言の事を「新世紀の朝日両国人民の利益、時代の流れに合致する歴史的な文書である」と高く評価し、宣言は今でも有効であると、改めて繰り返した。
  ここまで北朝鮮が平壌宣言を評価し、こだわるのはその理由がある。つまり小泉前首相は平壌宣言に合意する過程で、拉致問題の解決を曖昧にしたまま国交正常化と総額3兆円とも言われる経済援助を約束したのだ。
   拉致問題の完全な解決など小泉前首相は最初から求めていなかった。何人かを連れて帰れば、それで日本国民は納得するとギャンブルに出たのだ。そして金正日に対して援助と国交正常化を約束してきたのだ。ところが国内の反応がそれを許さなかった。だから動きが取れなくなった。ギャンブルに負けたのだ。世論に押されて北朝鮮に対し密約を破ってしまったのだ。だから北朝鮮は「拉致問題は解決済み」だと繰り返して言っているのだ。日朝平壌宣言を高く評価するのはその背景にある密約、すなわち日本の援助を早くよこせといっているのだ。
   拉致被害者家族の最大の間違いは、北朝鮮に対する強硬姿勢をとり続けている事だ。誰に入れ知恵されたか知らないが、制裁の一点張りになってしまった。これは大きな間違いだ。拉致被害者家族が迫るのは、北朝鮮ではなく日本政府だ。小泉前首相だ。制裁でも対話でも何でもいいから拉致された家族を取り戻してくれ、国交正常化でも経済援助でも何でも許すから、拉致家族を救ってくれ。北朝鮮が拉致家族を返してくれるなら、どんな譲歩をしてもよい。貴方が約束してきたのだ。貴方の手で取り返して来てくれ。もう一度金正日と直談判してきてくれ。こう言って小泉前首相に迫るべきなのだ。 
  小泉前首相や外務省は正直にすべてを白状すべきなのだ。そこから新しい交渉が始まる。交渉の進展に期待が持てる。これ以上拉致家族の心を弄んではいけない。


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2007年09月18日

政局談義ふたたび

政局談義ふたたび

 もう政局の話はしないつもりだった。しかし自民党の総裁選が終るまで馬鹿騒ぎは続く。国会で首班指名が行われ、福田自民党と小沢民主党の対決が始まらないうちは政治は凍結だ。参院選後2ヶ月もたって、政策は何一つ進展していない。気の遠くなるような政治不在だ。
 その間にもメディアは無意味な政治評論を繰り返す。番組を続けなければならないからだ。時間つぶしをするほかはないからだ。しかも誰も本当の事を言わない。言ってしまえば身も蓋もないからだ。何もわかっていない国民はそんな評論に踊らされる。
 そこでふたたび本当の事を書く。

1. そもそも今の政治や政治家は不用なのだ

  18日の朝日新聞投書欄の二つの投書に注目した。一つは自民党の総裁選などはどうでもいい、彼らのいう政策は実現して当たり前だ、それよりもまず、尊敬に値する政治家になれ、というものだ。もう一つは、総理大臣の資質を云々するよりも、総理大臣の検定試験をやったらどうか、政治家たちに首相を選ばせるから欠陥首相が生まれるのだ、というものである。
  これらの投書から明らかなように、もはや国民は既存の政治家や政党を相手にしていない。どの政党が政権をとろうと、誰がこの国の総理になろうと、どうでもいい。我々の暮らしを良くしてくれる仕事をしてくれれば誰でもいい。それが出来なければせめて税金ドロボーだけは止めてくれ、という事である。
  読者は9月21日号の週刊朝日を読まれただろうか。ついに週刊朝日まで書くようになった。「知れば知るほど腹が立つ 国会議員の特権」という特集記事だ。給与は月額130万円ぐらいであるが、文書通信交通滞在費という名目で、課税されない「つかみガネ」が毎月100万円、どの議員にも一律に支払われる。領収書が要らない金だ。事実上の給与である。政治資金規正法の改正でいま領収書を一円以上にするかどうかで大騒ぎをしている。しかし議員は領収書のいらない資金を毎月100万円貰っているのだ。
  おまけに現行の議員歳費法は「月割り計算」という理由で、7月29日に当選した参議院議員でも、実働わずか2日間で230万円全額をふところに入れている。これこそ究極の格差社会ではないのか。国会議員になりたがるはずだ。与党はおろか、格差がけしからんと叫んでいる野党議員も、誰一人「おかしい」と言う者が出てこない。「いくらなんでも貰いすぎだ」と辞退する議員も、「国民に申し訳ないから規則を変えよう」と提案する者も、ただの一人も出てこない。そんな政治家に国民の為の政治など出来るはずがない。

2.自民党は終わっていた。

  参院選の敗北とその後のスキャンダルの連続で、今度こそ自民党は下野することは明らかであった。しかも安倍の突然の辞任でそれが決定的となった。総選挙を待つまでもなく即刻政権交代が行われても良いぐらいだった。野党もメディアも国民も、もっと強く迫るべきだった。自民党が後継者あらそいで醜態をさらしていたら、おそらくそうなっていたかもしれない。
  福田康夫の登場で自民党は九死に一生を得た。メディアは急遽福田で一本化された事をとやかく言っているがピンとハズレだ。自民党はベストの選択をしたのだ。それしかなかったのだ。これは派閥争いではない。談合ではない。挙党一致で自民党を守ろうとしただけだ。急遽福田でまとまったということは、まだ自民党に政権を守ろうとする執念が残っていたという事だ。
  勿論小泉チルドレンなどという馬鹿な議員もいた。しかし彼らは所詮は自民党の事よりも自分の生き残りだけしか念頭にない政治家失格の連中ばかりだ。もう彼らの報道なんかするな。もうすぐいなくなる。
  中には片山さつきなどという狡猾な議員もいる。自分だけは他の馬鹿議員とは違う、福田でまとまれば今度は完全に福田チルドレンとなってテレビで応援しまくって、自分を売りだす。その醜態はしかし国民に見抜かれている。

3.何のための自民党総裁選か

   自民党は何故総裁選などを行って時間稼ぎをしているのか。それは、「密室政治で決めた」と国民に反発されないためだ。おまけに自民党総裁選を行う事によって、国民の関心を自民党に集める効果があるからだ。メディアが毎日報道する。いやでも国民は自民党の総裁選に注目する。手のいい自民党の選挙運動だ。その間は野党の事は視界に入ってこない。見事な作戦だ。
   麻生は正直だから言っている。自分が降りたら総裁選がなくなる、談合と批判される、だから負けることが分かっても出るのだと。福田との対比を国民に示す芝居をしているのだ。だからこの二人は本気で討論していない。競い合っている振りをしているだけだ。小泉と違って福田は麻生を敵視はしない。それどころか麻生が大負けして恥をかかないように総裁選の票さえも調整されるのではないか。数字の上では思ったよりも麻生に票を流すのではないか。福田内閣でも手厚く遇せられるに違いない。

4.小泉改革は否定され、小泉の政治生命は終った

   福田も麻生も、「小泉改革は引き継ぐが、改革の陰の部分に光を当てる」などと馬鹿な事を言っている。そうではないのだ。小泉改革は否定されたのだ。失言壁のある麻生は、既に口を滑らせているがもっとはっきり言うべきだ。「小泉の為に自民党は潰された、小泉はひでえ野郎だった」と。
   福田も麻生も、「旧守派だ」、「逆戻りだ」と批判されるので、「改革は正しかった」などと心にもない事を言っている。しかしそんな事を恐れる必要はない。そもそも小泉改革とは何だったのか。小泉改革のどこが国民にとって為になったのか。言えるものなら言ってみろ。小泉改革が正しいと思っている国民はB級国民だと電通などから馬鹿にされている。そんな連中が小泉改革の内容など分かるはずはない。
   不良債権問題が片付いたというが、それは小泉がいてもいなくても片付いていたのだ。税金を湯水のようにつぎ込んで無理やり銀行を助けただけの話だ。おまけに米国金融に売り渡したりしている。景気が回復したというが、弱者、消費者の犠牲の下に企業収益を図っただけだ。それが格差社会の原因だ。
   官から民へというが、その根本にある官の無駄遣い、官の削減などは、まったくなされていない。地方への権限移譲などまったく行われていない。
   小泉改革とは米国追随の一部の連中だけで経済政策を決めたインサイダー政治なのだ。彼らで利益を山分けし、その陰で一般国民が犠牲になった。そんな小泉改革を否定するところから自民党は始めなければ、今度こそ政権を手放す事になる。それを福田は知っている。
   飯島勲が小泉の秘書を辞めたというニュースは、実に大きなニュースだ。飯島のことだから裏があるような気もする。しかし冷静に考えると福田政権ができれば小泉再登場の可能性は完全に絶たれるわけだから、福田に嫌われている飯島が辞めるのは当たり前である。もし飯島の辞任が本物ならば小泉が政界から引退するということだ。
   小泉新党をつくるべく画策しているという噂がたえない。しかしこれほど間抜けな分析はない。自分の事しか考えない小泉に、新党の親分が務まるはずはない。その気もない。   
   飯島や武部が小泉を担ぎ出して生き残ろうと考えていたとしたら愚かだ。もはや何もかも終ってしまった。安倍辞任は、福田を誕生させ、福田の誕生は小泉の再登場を絶った。安倍は結果的に小泉を道連れに政治生命を失ったということだ。飯島辞任は当然なのだ。
 
5. 小沢民主党は福田自民党に勝てるか

  私は政権交代論者だ。その限りにおいて民主党政権が実現することを期待する。しかしただそれだけだ。民主党が政権をとれば今度は民主党のいかさまを批判することになるだろう。
  しかし小沢一郎という政治家に一度は政権を取らせたいという気もする。果たして小沢は政権をとれるのか。もちろんそれはこれからの展開次第だ。しかしこれだけはハッキリしている。福田自民党との戦いは安倍自民党との戦いよりはるかに難しくなったということだ。
  ついこの間までは流れは圧倒的に民主党にあった。今でも基本的流れは変わらない。解散・総選挙が早く行われるのなら政権を取る可能性は高い。
  だから自民党は何があっても総選挙を引き延ばそうとするだろう。国会再開後、小沢民主党がどこまで福田自民党を追い込められるかだ。しかし政策論では福田自民党は安倍自民党よりはるかに手ごわい。17日の東京新聞が書いていたが、民主党の鳩山幹事長は、軽井沢の鳩山グループ研修会で、「(福田自民党総裁候補が)『自立と共生』という話をした。私としては面はゆい。民主党の考え方が、ついに自民党からもしっかり出るようになったか」と嘆いて見せたという。福田が修正主義的なものを導入してきたら民主党との違いはなくなる。福田は「若者が希望をもてるような社会、お年寄りが安心してくらせる社会」をつくると繰り返し言っている。これは本音だろう。
  その一方で外交、安全保障面については、福田は改憲や集団的自衛権の問題を封印するだろう。そのかわり日米同盟の重要性を強調するだろう。小沢民主党はどう対応するか。 
  テロ特措法延長反対に固執するのはいい。しかし「米国のテロとの戦いは間違いだ」と否定できるか。米軍再編への協力は否定できるか。日米安保体制は否定できるか。在日米軍基地は否定できるか。
  私の最近のブログを読むものの中には、私が民主党のテロ特措法反対を批判しているといって、日米同盟賛成論者に変節したなどと言うものがいる。とんだ見当違いだ。私は日米安保体制に反対する。日米軍事同盟に反対する。だからこそ中途半端にテロ特措法延長だけに反対するなといっているのだ。中途半端な対米自立は、かえって本物の日米同盟の見直しを妨げる結果になる。国民を混乱させることになる。そして政権に手の届くところまで来た民主党を窮地に追い込むおそれがあると言っているのだ。見ているがいい。安全保障問題の論争では小沢民主党は福田自民党に追い込まれるだろう。
   だからといって年金や政治とカネの問題で攻めればいいというものではない。この話はもう国民にとっては聞き飽きた問題だ。もはや批判より、犯罪人を処罰し、年金をはやく満額支払えという事だ。批判ばかりしているとやがて飽きられる。


6. 護憲政党の出番はない

  一番困っているのは護憲政党だろう。共産党はまだいい。共産党だからだ。余程の事がない限りつぶれる事はない。もはや勢力を拡張することはありえないが、つぶれなければいいと割り切れば仲間内で頑張っていればいい。
  問題は社民党だ。社民党の売りは暮らしと憲法である。しかし福田自民党は社民党の要求に近づける政策をとるだろう。9条改憲は封印するだろう。そのかわり日米軍事同盟は進めていく。
   社民党は9条改憲反対、国民投票法反対とばかり言ってはいられない。しかも社民党は日米安保体制を容認した。米軍再編反対、在日米軍基地撤退と言える立場にはない。つまり社民党は福田自民党にケチをつけられないのだ。だから野党結束と言うほかはない。しかしそれは聞こえがいいが、民主党にすりよるほかはないのだ。かつての社会党の愚を繰り返す運命にある。連合と一緒に民主党に合流した連中に遅れて参加するということだ。小沢が福田との争いで数が必要と判断すればそれを認める。不要だと思えば相手にしない。

7.   保守二大政党か保守大連合か

   かくして保守2大政党の時代が本格的に来る。それは実質的に保守大連合でもあるのだ。日本の政治は、福田自民党によってついに来るべきところまで来るかどうかと言う事だ。間違っても護憲政党が勢力を伸張することはない。ましてやこの期に及んでも護憲勢力の結集の動きすら見せられないのだから。

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2007年09月17日

総理、政府の存在そのものが不要である事が証明された

 総理、政府の存在そのものが不要である事が証明された

  私がたびたびこのブログで指摘してきたことであるが、小泉前首相の唯一の功績があるとすれば、この国の総理は誰でもつとまる事を見事に証明してくれたという事である。
  もちろん、これは冗談半分だ。ところがそれが冗談でなかったのだ。小泉前首相本人がそう言っていた事を知った。
 17日の日経新聞「核心」に政治評論家の田勢康弘が「総理の器を考える」というコラムを書いていた。その中で小泉前首相にインタビューした時の小泉前首相の答えを引用したくだりがある。田勢はまず、安倍首相の祖父である岸信介元首相の次の言葉を小泉前首相に披露した。
 「・・・総理になるというのは、人間がいいとか悪いとか、善人であるとか悪人であるとかいうのではなしに、見識を持つか否かということですよ。要するに国の代表として国益を身を挺して守るというその能力がなければ、いくら善人でも総理としては駄目ですよ(岸信介証言録)」。因みに岸元首相は孫の事を「あれが総理総裁の器でないことだけは私にもわかりますよ」と語っていたという。
 小泉前首相が首相を辞める少し前に田勢は小泉前首相に、「(小泉前首相が自分の後継者に安倍氏を押した事について)安倍さんはその器ですか」と聞いたという。その時、驚くべき次の答えが返ってきたというのだ。
 「(総理を)やってみてわかったけど、総理なんてだれだってつとまる」
 そして、田勢は次のように続ける。
 ・・・(小泉氏は)指導者としての資質を以前から誰もが認めた(という)人ではなかった。可能性が高くないことを承知で私も総裁選出馬の背中を押した一人だが、あれよ、あれよと5年半もの長期政権となった・・・

  この田勢の告白は興味深いが、もっと驚くべき発言が与謝野官房長官からなされていたのだ。安倍首相の突然の引退声明とその後に続くこの国の政治状況は、誰がなってもつとまる総理の存在自体が不要であるという事を証明してくれた。
  安倍首相が機能性胃腸障害という聞きなれない病名で入院した13日の、その日の午後の記者会見で、与謝野官房長は「首相臨時代理は置かず」と表明した。その事について誰も疑問を呈することがなかった。それ以来一体誰がこの国の総理職を務めているというのか。代理を置かないという事は安倍首相が今でも国事を決定しているという事だ。誰かが入院中の安倍首相を訪れて、あるいは連絡をとって、裁可を求めているということだ。しかしこんな事が現実に行なわれているとは到底思えない。安倍は思考能力がないからあのような辞任をしたのだろう。雲隠れしたのだろう。つまり今月末にあらたな総理が国会で指名されるまでは日本は政府が存在していないも同様なのである。それでも国が動いているのである。
 偶然にも17日の朝日新聞に田中秀征元衆院議員が語っていた。自分が今自民党の幹事長になったらどうするかと問われて、
 「・・・うーん、解党するね。解党的で直しではなく、解党。だって自民党の存続自体は有権者にとって大きな意味があることじゃないから。これは民主党にもあてはまる・・・政権交代がどうとか二大政党がどうとかいうが、とりあえずひとつでいいから、まっとうな政党をつくってくれ、いい政権をつくっていい政治をやってくれ、というのが普通の有権者の思いだから・・・」
 これもまた今の政治は不要であるといっている事なのである。

 

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2007年09月16日

人の心とは、涙とは、そして人間とは

 人の心とは、涙とは、そして人間とは

  私がブログを書くときは、様々な状況で書く。普段は机に向かって一心に書くのだが、時には旅先で、時にはテレビを見ながら、音楽を聴きながら、あるいは酒を飲みながら書く。そのテーマは殆どが政治や外交や世の中の不正義に対する問題提起であり告発である。今も米国の中東政策の不正義について書いているところだ。
  書くことに行き詰まりテレビに目をやったら、たまたま動物とのふれあいのバラエテイ番組が流れていた。その日は過去に流した番組の名場面を再演する番組であった。司会者のみのもんたが、あの番組は思い出深い番組だったと紹介したその番組は、盲導犬がその役割を終えて、犬の養老院で老衰死を待つ犬と、それを介護し、看取る人の心の交流を描いた番組であった。
  この読者の中には、その番組を私と同様にたまたま目にされた方もいるだろうと思う。そういう方には、私がこのブログで表現する事がいかに無力であるかと思って読まれているであろう。たしかにあのシーンとそれを見た者の心の震えについては、到底文章では表現できない。しかし書いてみる。なんとか伝えたいのだ。
  盲導犬のラブラドールの寿命は14年ほどである。だから12歳ごろになると、その役目を終えて解放され、すべての盲導犬がそうであるかどうかは知らないが、晩年を犬の養老院で過ごす幸せな犬がいるのだ。
  まず盲導犬の調教師の男性が、犬の養老院に一匹のラブラドールを連れてくるところから始まる。その調教師は、長年首にはめられていた盲動用の首かせを自分の手ではずし、長年ご苦労だったね、と言って送り出す。この場面がまず感動的なのだ。いい歳をした大の男の目から涙が溢れ出す。もの心ついた時から盲導犬用に訓練され、その一生のすべてを盲導犬として過ごした犬を見てきた者だけが知る、ねぎらいと感謝の涙である。おそらくその犬の10年余りのひたむきな活動が走馬灯のように思い起こされてきたのだろう。つらい時もあったに違いないが、犬は一言も喋らずに働き続けた。いや、喋っていたかもしれないが人には伝わらない。その犬が年老いてお役ごめんになるのだ。もはや人間にとって何の意味もない。実利とか功利だけで考えるならば、後は死を待つだけの不要な犬だ。しかし人の心は実利や功利だけで動かされるものではない。もはや不要になって犬ではあるけれど、限りない愛情と惜別の情を抱き、思わず一掬の涙が流れたのだ。「よろしく頼みます」と言って、犬の養老院の職員に引き渡し、去っていく調教師と、よぼよぼと歩き出して養老院に向かう老犬の姿は、下手なドラマのシーンよりも圧倒的な感動がある。
  次に、養老院で働いている女性職員の犬に接する姿が映し出される。養老院で晩年を過ごす老犬は様々だ。比較的元気な犬もいれば横たわって動けない犬もいる。四肢が不自由になって歩けない犬もいる。そのような犬の一匹一匹に丁寧に接し、食事を与えたり、入浴させたりする職員が聖母のように見えてくる。
  そして最後は死を見取る犬と人間の心のふれあいである。横たわったまま一言も発する事のできない犬でも、その瞳だけは何かを物語っている。画面から訴えるラブラドールの瞳は、この上なく優しく暖かい。やがて犬は息を引き取る。この別れの場面は圧巻だ。その番組を見ているタレントのすべてが涙を流している。
  人の心とは、涙とは、そして人間とは何か。人間がどのように邪悪であっても、そしてこの世の中は限りない不正と悪が横行しているとしても、人は皆善人に戻る瞬間はある。神や菩薩に近づく瞬間がある。そこに救いがある。心がなごみ、癒される瞬間がある。

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2007年09月16日

アーミテージの言葉のすべてを否定する

アーミテージの言葉のすべてを否定する

  私が自らの経験で自信を持って語れるのは日本の外交であり、その中でも中東和平の問題である。だから16日の読売新聞一面に掲載されていた「地球を読む」の中のアーミテージ前米国務副長官の寄稿、「中東の安定化に関する日本の役割」について、どうしてもこのブログで反論しておかなくてはならない。中東問題について無知な日本人相手に、いかさまな主張を展開しているからである。
  もし読売新聞が、米国の要人の言葉を借りて日本人の頭を情報操作しようとしているのであれば、なるほどCIAの手先になって日本洗脳の片棒を担いだ正力松太郎(警察官僚から政治家となり、A級戦犯と指定されたが不起訴となって読売新聞の社主となる)を社主と仰いだ読売新聞のやりそうな事である。もしアーミテージの論が正しいと信じて、日本の読者を善意で啓蒙するつもりであるとすれば、無知もはなはだしい。中東問題をもう一度勉強し直して来いという事だ。
  アーミテージ発言の最大のいかさまは、昨今の中東の混迷の原因がイラン、シリア、レバノン、パレスチナの過激組織のせいであると一方的に決め付けていることである。パレスチナに対するイスラエルの圧制については一言も言及がない。それどころかイスラエルのオルメルト首相の弱体、不人気が、中東を不安定にしていると言っている。強いイスラエルが必要であると言っているのだ。この米国の一方的な親イスラエルの態度こそ、中東問題が混迷し続ける最大の原因であるのだ。
  つぎにアーミテージが述べている事は、アラブ世界内部の重心がエジプトからサウディアラビアに移動しつつあり、あらゆる和平計画の指導的役割はサウディアラビアが中心勢力になりつつある、それは好ましい、という指摘だ。それは決して正しくはない。米国にとってはそれが都合がいいかもしれない。しかしサウディアラビアにとっては致命傷になりかねない。反米が高まるアラブにおいては、エジプトにしてもサウディアラビアにしても、軍事独裁制や世襲王族制の国が米国に追従する事による内部崩壊が進みつつある。特にサウディアラビアの王族支配については、米国の軍事的庇護のもとに、王制の安全と引き換えに石油収益を米国と山分けしている事について、原理主義者の抵抗はもとより、一般国民の不満が高まりつつあるのだ。これ以上親米的な役割をサウディが中東問題で果たそうとすれば、原理主義、反米武装抵抗組織に政権が転覆させられかねないジレンマを抱えることになる。サウディアラビアほめ殺しだ。
  最後に、反米の嵐が吹きすさぶ中東において日本は信頼を得ている、だから中東全域の政治と出来事にもっと積極的に役割を拡大しろと、注文をつけている点だ。日本がこれまで中東から好印象を持たれていた事は事実である。しかしその日本が、9・11を契機に、これまでかろうじて保ってきた中立、等距離外交をすっかり放棄し、対米従属一辺倒になってしまった。その結果、アラブの信頼と好感を失いつつある。いまならまだ敵意を抱かれるところまで行っていない。しかし米国が日本に中東政策の代役をさせようとするのなら、そして日本が対米従属外交を中東の地においても行うのなら、日本は間違いなく中東の信頼を失う。そればかりか敵意さえ抱かせることになる。日本が危なくなる。
  日本人はアーミテージのいかさまな甘言にそそのかされてはいけない。

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2007年09月16日

優しい世代

  優しい世代

 12日の毎日新聞「発信箱」で、礒崎由美という記者が、「優しい世代」というタイトルのコラムを書いて一つの問題提起をしていた。東京でこの夏に行なわれた20歳―30歳の若者のトークライブにおける激論を聞いた後の所感であるという。
 会社や組織を嫌い、わが道を行くタイプは昔からいた。しかし最近の若者の労働観はどこか違うというのだ。
 「お金がなくても人間らしく暮らせればいいじゃないか」、「人をけ落としてまで生きたくない」、「社長だけ高い給料をもらうなんてオレには無理。一緒に働く人からどう見られるか考えたら、耐えられないもの」などと言う若者の言葉を聞きながら、その心象風景に当てはまる言葉を探せば、少し違和感はあるが「優しさ」ということではないか、と磯崎記者は次のように書いているのだ。
 「・・・ニートや引きこもり、うつ病。利益優先の経済活動に適応できない若者は増えている。団塊世代の親たちのように、組織の歯車となり、マイホームや老後のために働く生き方には魅力を感じない・・・自分に向き合い、仲間と支え合い、無意味な競争にさらされない。そんな仕事を追い求める・・・それを『甘い』と責めるのは簡単だが、もはやその優しさは社会システムに組み込まれている」のではないか、と言うのである。
  おそらく礒崎記者はバリバリ仕事をする有能な記者であろう。自分は決してそのような生き方をしない。人をけ落とさないまでも、すくなくとも自分は競争社会に勝ち抜いて成功しようとする上昇志向の人であろう。だからこの若者のトークに少し「違和感」を持つのだ。私自身がそうであるから磯崎記者の心が読める。
  しかし、彼女がこのような記事を書いたの、低賃金に甘んじても自分の好きな生き方をしたい、それが少しでも人にためになればそれだけで満足だ、という若者たちの生き方に、ひょっとしてそれも正しい生き方なのではないか、感じ始めたのではないか。もっと言えば、重労働低賃金に耐える青年から「お年寄りの笑顔を見るとつらい事も忘れるんです」と聞くと、自分の生き方よりも立派なのではないか、自分が果たしてそのような生き方ができるか、と、彼らの生き方に敬意すら抱き始めたのではないか。その思いが、彼女を「複雑な気持ち」にさせているに違いない。それもまた今の私の心境である。
 もう三年ほど前の話だが、私は講演で北海道の片田舎を訪れたことがあった。その時出会った若者の言葉を思い出す。可愛い奥さんと二人で東京から最近移り住んだというその若者は、土地を借りて乳牛の放牧で生計を立てていた。年収約300百万円と聞いて、「牛の数を増やせばもっと収入が増えるのに」とたずねた私に、「それはその通りです。しかし今は食べるものは自給自足だし、ここは物価も安いし・・・300万円あれば十分です」という答えが返ってきた。私は自らの愚問に恥じ入ったものだ。
思えば私の人生は、他の多くの同世代の人々と同じように、学歴社会、終身雇用制度の下に競争社会を生き抜き、勝ち抜いてきた。その生き方に悔いはない。しかしすべてが終わった今その人生を振り返る時、もっと自由な生き方もあったと思う。
そしてここから書くことが今日のブログの言いたい事である。うまく表現できないが私が言いたい事はこういう事である。
 経済的安定や社会的見栄と引き換えに、人をけ落としてまで出世競争に一生を終わる人生。それを放棄して、自分に忠実な、自由な人生を送ろうと決断する時、何が一番の障害になるか。
 それは自尊心でも、社会的見栄でもない。最後の決め手は経済的な不安である。たとえば若者が早い段階で最低限の家を確保でき、食費、光熱費などの物価が安くなり、病気になった時の国の保障が完備していれば、その若者の生き方の選択は無限大に広がることだろう。
  富豪や、贅沢三昧の生活に憧れる人はいるだろう。権力や地位を求めてしゃにむに働く人生を選ぶ人がいてもいい。しかしそのような人生に積極的な価値を見出さない人たちが、堂々と自分の好きな人生を選べるような社会こそ理想ではないのか。そんな社会を実現する事こそ政治の責任ではないのか。ところが現実はどうだ。生きていくだけであまりにもカネがかかる。少ない収入でももっと豊かな生活ができないのか。
  このような厳しい現状でも「優しい世代」が育ちつつあることは一つの救いである。その世代が増えていくような経済、社会環境をを整える事こそ政治の責任であると思う。誰が自民党の総裁になろうとも、誰がこの国の総理になろうとも、まず政治家は真剣な政治を行う事が先決だ。

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2007年09月15日

佐藤・マクナマラ会談が明かす沖縄返還交渉の原点

佐藤・マクナマラ会談が明かす沖縄返還交渉の原点

 15日の読売新聞が、14日に外務省が追加公開した沖縄返還交渉関係の外交文書を報道していた。これは一月ほど前に外務省が公開した外交文書が、報道関係者たちから「不十分だ」と抗議され、追加公開を約束したことに基づいたものである。
 その中に、67年11月に訪米した際の、佐藤栄作首相とジョンソン政権下のマクナマラ国防長官との会談記録が含まれ、これについて読売新聞が報道していた。私はこれに注目した。
 おびただしい数の外交文書を読みつくし、その重要性を見極める作業は、それを担当する人間の見識と問題意識に負うところが多い。だからこそ、発表する側の外務省担当者は、公開することが適切かどうかの判断ミスを恐れ、なるべく公表文書を絞ろうとし、読み解く側は、外務省が公開した文書の中から、外務省の担当官が見落とした貴重な極秘情報がないかと、目を皿のようにして読み解くのだ。壮絶な知的バトルである。我々読者は、そのようなバトルの産物としてメディアが報道する記事を、ありがたく読ませてもらって、隠された真実を知り、その意味を更にまた自分の知見で考えるのである。
 読売新聞が掲載しているマクナマラ国防長官の次の言葉は大きな意味を持つ。国会が正常に機能し、護憲勢力がしっかりしていれば、この記事をきっかけに日米外交の虚について大きな論争を挑む事が出来たであろう。なぜ沖縄が今日まで基地問題で苦しまなければならなかったか、その原点がここにあるのだ。
 マクナマラは佐藤に次のように語ったという。
「・・・問題は返還にあるのではなく、米国の基地にある・・・日本が、核の持込を許すのが困難なのは知っているが、自分の安全保障のためと納得すれば合意できよう。核・琉球・安保体制は相関関係にある・・・」
 これに対する佐藤の答えは、「『今の状態では論議するのは早い』と述べ、核や基地の自由使用について議論を避けた」となっている。
 しかし歴史的事実は、核導入も含めた沖縄の自由使用を日本が認めない限り、沖縄返還を米国が認める事はありえなかったのだ。結論ははじめから決まっていた。後はそれを国民にどう取り繕うかだけである。(西山太吉著「沖縄密約」、豊下楢彦著「集団的自衛権とは何か」参照。いずれも岩波新書)。
 佐藤首相が胸を張って沖縄住民や日本国民に発表した、「核抜き。本土並み」返還は、まったくの欺瞞であった。その欺瞞の序章がこのマクナマラ・佐藤会談であったのだ。
 外務省は密約の存在を認め、それを公表できるか。民主党が政権をとれば外務省に公表を命じることができるか。自民党から民主党への政権交代の真価は、この一点においても十分に試す事が出来る。

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2007年09月14日

政局論争はこれで打ち止めにして欲しい(2)

政局論争はこれで打ち止めにして欲しい(その2)

1. 福田の強みと弱み

   政治に疎い国民は、なぜこれほど急速に自民党が福田擁立に傾いたか、いぶかしく思う向きがあるかもしれない。たしかに福田は地味だ。それにこの期に及んでも「貧乏くじかもしれない」などと斜に構えている。この皮肉っぽいところが福田の欠点だ。世論向きではない。小泉人気が健在の劇場政治であれば、明らかに出番はない。
   しかしすでに述べたように、今の日本は劇場政治では乗り切れないほど問題が山積している。劇場政治にだまされる政治意識の低い国民は常に存在するが、大方の国民は、米国に言われるままの対米従属では日本はコケにされるだけだと気づき始めた。小泉型政治はもう駄目だ、と心ある国民は思い始めた。それに加えて、腐っても鯛ではないが、腐ってもやはり自民党だという国民は多い。かつて大鵬、巨人、目玉焼き、という事が言われたことがあったが、日本人の体制順応の気質は急にはかわらない。変われない。
   そしてなんと言ってもあの安倍の後だ。若くてイデオロギーに走った安倍の後は福田の手堅さが目立つ。自民党が結束して政権を死守しようとすれば福田しかなかったということだ。そして結束する自民党はやはり手ごわい。福田は小泉と違って人の意見を聞く。官僚にも受けはいい。受けを狙った派手なパフォーマンスを好まない。これらが今は福田の最大の強みとなったのだ。
    私が注目したのは、あの福田が、今回ばかりはその気になったことだ。そしてその理由として、「平時だったらこんな事にはならなかったが、今は非常事態だ。危機を救わなければならない」と心中を述べた事だ。これは本音だろう。この発言は迫力がある。安部の言葉とは違う。小泉の言葉とも違う。
    何故額賀は降りたのに麻生は勝てない総裁選にたつのか。それは出来レースであるからだ。総裁選を行わないと談合だという批判を招く。形式的に総裁選は必要なのだ。額賀と違って麻生は安倍の後任者として本命視されていた男だ。今となっては瘠せ馬の先走りとなったが、降りるわけにはいかない。しかし小泉と違って福田は話し合いを重んじる男だ。組閣では借りを返すだろう。損はない。
    野党は一斉に古い自民党に戻ったと批判するだろう。しかし福田暫定内閣はそうではない、緊急避難だ、自民党存亡の時に挙党体制で臨むのだ、といい続けていれば良い。そしてそれはその通りなのだ。福田自民党は小沢民主党と自民党の生き残りをかけて勝負してくる緊急自民党なのだ。
小泉によってボロボロにされた自民党を土俵際で引きとどめるには結果的に福田は適役なのかもしれない。ひょっとすると自民党再生の救世主となるかもしれない。

2. 小沢民主党は衆議院選挙で勝てるか

  そうは言っても今の政治状況は民主党に有利である事に変わりはない。早い時期に解散・総選挙に追い込む事が出来れば政権交代は夢ではない。だからこそ自民党は解散を引き伸ばし、社会民主主義的な政策を取り入れて着実に手堅い政策を推し進め、世論の支持をとり戻そうとするだろう。
  小沢民主党と福田自民党のせめぎあいは、まず解散の時期についてどちらが主導権を握るかにかかっている。
  小沢民主党は年金問題と政治とカネに集中すべきだ。国民の怒りの炎を絶やすことなく、自民党永久政権の弊害こそ諸悪の根源である、一度は本格的な政権交代を実現しなくては日本は変われない、と攻め立てるしかない。
  福田自民党は、暮らしと生活の問題に軸足を移し、社会民主的な政策を取り入れる振りをするだろう。改革という言葉を使い続け、つまり改革路線は変わらないと言いながら、決して新自由主義を唱える事はないだろう。「改革は止めない」という言葉を使い続けて、その実、小泉政策を否定するのだ。国民は改革の意味はわかっていない。改革と言い続けていれば安心するのだ。その程度の意識なのだ。間違っても増税などと言ってはいけない。景気抑制策をとってはいけない。
   小沢民主党との戦いはテロ特措法延長に絞って攻撃することだ。安倍の政治生命を奪った因縁のテロ特措法延長問題だ。弔い合戦のつもりで勝負するべきだ。
   テロ特措法に関する世論などあてにならないものだ。14日の毎日新聞の世論調査では補給活動賛成が49%、反対が42%と既に逆転している。この世論を見て民主党がうろたえているらしい。その通りなのだ。何が何でも反対だと言い続けるならば、やがて民主党は反対政党だということになって、国民にそっぽを向かれる事になる。
   それに福田自民党は、延長できなくても、安倍のように職を賭けるなどと大見得を切る必要はない。悲壮な気持ちになる必要はない。最善を尽くしたがそれでも民主党が反対した、日本国民の賛成にも関わらず民主党が反対した、と淡々と言えばいいのだ。まさに福田に打ってつけの役回りだ。そしてそれはその通りなのだ。福田の責任でも自民党の責任でもない。米国が福田を公約違反などと言うはずもない。親米の福田自民党が総選挙で政権を失うような事があれば、米国にとっても困るのだ。
今回の件で米国は明らかに小沢民主党に警戒感を持った。小沢民主党が政権を取るぐらいなら福田自民党のほうがいい、安倍では頼りなかったが福田自民党は大切にしなくてはならない、補給活動の停止は残念だが、日米軍事同盟を堅持し、米軍再編に協力してくれればそれでよい、政権交代が生きないように総選挙では福田自民党を応援しよう、もし米国がこのように考えるようになると、その時点で福田自民党の勝ちだ。福田は今からシーファーと協議しそのシナリオを作るべきだ。米国と手を組むのだ。

3. 小沢一郎のアキレス腱

  小沢自民党の誤りは、テロ特措法延長問題を政局の中心に据えたことだ。本人はその気でなかったかもしれないが、日米関係は日本の政治の最大の争点であることを軽視しすぎた。年金や政治とカネの問題は、一時的に国民の怒りを招くものであっても、国の基本に関わる政治的争点ではない。やはり日米安保体制の是非こそ最大の選択なのだ。
   小沢のもう一つの大きな誤りは、この一大政治争点を、党内の右派を説得することなく、旧社会党の連中と組んだ事だ。輿石を代表代行に重用し、テロ特措法担当の陰の外相に鉢呂を起用したのには驚いた。いずれも組合あがりの旧社会党員だ。しかも原則を曲げて安保体制を容認し、自民党と組んで社会党を潰し、その後は生き残りの為に連合と一緒に民主党に走った連中である。小沢は政策論でなく政局に重点を置いた。とてもまともに日本の安全保障政策について自民党と論戦する気構えがあるとは思えない。それは必ず大きな負担となって政権奪取の前に立ちはだかるに違いない。
  14日の日経新聞によれば民主党の前原副代表は、13日の朝日ニューススター番組収録で、「党内でもテロとの戦いに日本も加わる事が必要だという人間が相当いる。私がわかる範囲でも40-50人規模はいる」と述べたらしい。さらにまた、「小沢代表の考え方に関してはまだ党内でつめ切れていない。反対の理由が情報公開の不足なのか、憲法論議なのか、国連決議に解釈なのか、議論していかなければならない」とも述べたという。これは驚くべき発言だ。民主党内で基本論議のないまま、「反対」だけを固執していると暴露したのだ。これでは米国も怒る。自民党も怒る。国民も怒る。政治生命をかけた安倍は生真面目すぎたということだ。馬鹿を見たということだ。
   福田自民党はこの点を徹底的に衝くべきだ。展開次第ではこの問題で民主党は崩壊するかもしれない。結果的に、安倍は、自らの政治生命と引き換えに小沢民主党と差し違えする事になるかもしれないのだ。恥じをさらしたが自民党を救ったという事になるかもしれない。
    あの唐突の辞任が、ありえなかった福田の登場を実現し、そしてその福田がテロ特措法延長問題で反転攻勢する。下野必至の自民党を首の皮一枚で救うことになる、それはそれで戦後政治史の一大ドラマである。

4. 保守大連合連立か護憲勢力の蘇生か

   さて福田自民党と小沢民主党の勝負はどうなるのだろう。これからの日本の政治はどうなるのだろうか。それは勿論解散・総選挙の時期とその結果次第である。勝ったほうが暫くの間政権を維持する事になる。負けたほうは分裂する。そして程度の差はあれ、なんらかの政界再編が起きる。そこから先は予言の世界だ。政局評論の域を超える。だから私の評論はここで終わりにする。

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2007年09月14日

政局評論はこれで打ち止めにして欲しい(その1)

     政局評論はこれで打ち止めにして欲しい(その1)

    「政界は一寸先は闇だ」とはよく言ったものである。あっという間に政局が福田暫定内閣の方向に走り出した。これで決まりだろう。福田内閣がしばらく続き、いずれ解散・総選挙となって小沢民主党との最後の決戦を戦う事になる。その後にあらたな日本の政治が動き出すという事だ。
    はやくその時が来なくてはいけない。どのような選択になろうと、日本は新しい政治指導力の下に一刻もはやく立て直されなければならないのだ。テロ特措法問題、経済格差問題、年金・福祉問題、政治とカネの問題など、当面の諸問題について、政治家は政局にうつつを抜かす事無く、国民に早く答えを提示すべきだ。国民もくだらない政局に目を奪われることなく、どちらが政権をとってもいいから、早く答えをだせと政治家に迫るべきだ。その時に始めて国民も政治家も、日本の抱えている問題の困難さに気づくだろう。日本は崩壊寸前なのだ。
   メディアは政局の話ばかりにうつつを抜かしている時ではない。そんなに政局の話が面白いのなら、私が政治評論家となって解説して見せよう。どの政治評論より本質を突いた評論を書く。それ以上の論評はもう要らない。そう思って書く。少し長くなるが我慢して読んでもらいたい。引用は自由だが著作権は私にある。私が今の政局を語るのはこれが最後だ。そう思って読んでもらいたい。


1. 安倍(すべて敬称は略す)は政治家さえも辞めると言うべきだった

    安倍についての論評はもういいだろう。十分だ。
    「戦後レジーム」を唱えて急速に日本を右傾化させようとした安倍は、護憲派からは叩かれっぱなしだった。しかし私は安倍にはそれほどの反発を覚えなかったし、心配もしていなかった。いずれ行き詰ると思っていたからだ。彼にはその実力はないと思っていたからだ。
    私の批判の対象はあくまでも小泉だ。ここまで日本を米国に売り渡した小泉の大罪にくらべれば、安倍のそれは可愛いものだ。安倍は改憲や集団的自衛権容認という原則論を、出来もしないのに公言し、玉砕した。これでしばらくは改憲も集団的自衛権も凍結される。護憲論者たちもしばらくは護憲を叫ぶ必要はない。来るべき本格的政治の季節に備え体制立て直しに専念すべき時だ。
    小泉は、安倍と違って理念や原則を一切語らず、目に見えない形で日本経済を米国に売り渡し、 憲法9条下の平和日本を米国の戦争加担者にした。悪質きわまりない仕業だ。その点安倍は単純だった。自業自得とはいえ、追い詰められて辞任した。同情すら覚える。
    しかし辞任の記者会見を聞いてその同情心も吹っ飛んだ。ここまで情けない政治家であったとは呆れるばかりだ。安倍はあの時自分に正直であるべきであった。申し訳ない、何もかも投げ捨てて辞めたい、首相の座にしがみつきたかったけれどそれも限界だ、かくなる上は政治家も辞める、自分にその資格はない、そう言って国民の前に頭を下げれば、少なくとも一抹の潔さはあった。
    それを、この期に及んでも訳のわからない言い訳に終始した。麻生、与謝野に騙されたなどと言ってはならない事を口走った。挙句の果てに仮病まがいで朝青龍状態になってしまった。気の毒ではあるが、もう政治にはもどれない。もどらないほうが良い。政治生命は終っても、生きているだけでありがたいと思ったほうがいい。政治だけがすべてではない、そう思ってこれからの人生を頑張ってもらいたい。

2. 自民党は終りかけていた。福田でギリギリ踏みとどまった。

    後述するように福田自民党になって事情は少し不透明になってきたが、もし福田暫定内閣が実現せずに、このまま安倍の後継者争いで自民党がモタモタしていたら、そしてその挙句、麻生とか額賀らが総裁になっていたら、自民党は完全に終っていただろう。
    参院選挙の結果で示された国民の自民党離れは、その後の数々のスキャンダルによってますます加速されていた。その駄目押しが今回の安倍の辞任だ。政権政党の総裁が代表質問の直前に責務を放棄したわけだから、自民党は政権政党としての役割を放棄した事と同じである。解散・総選挙を待つまでもなく自民党の下野ということだ。民主党は不戦勝なのである。民主党の松原あたりが「今すぐ政権を民主党に渡してもいいぐらいだ」と息巻いていたが、今回ばかりは私は松原に賛成する。その通りなのである。
   しかし規則によってそうは行かない。政権交代はやはり衆院選挙の結果によって行われる。自民党は、もはやどう転んでも勝てそうもない事を自覚し、小沢民主党に勝てる最善の党首を一日も早く選んで挙党体制で臨むべきである。それはそうだろう。どうせ野党になるのに、いまさら総裁を争っている意味はない。
   ところが自民党にその動きがまったく見られなかった。それどころか派閥争いで後継者を選ぶ動きを見せ、議員の中には時間をかけて予備選までやって盛り上げようなどという呑気な事を口にする者もいた。これを見たとき、私は自民党は完全に終っていると思った。そこに急転直下福田でまとまった。さすがはしぶとい自民党だ。首の皮一枚でつながったと言う事だ。

3. 小泉自民党と小沢民主党の対決が見たかった

  福田暫定内閣は、今の自民党にとっては、勝ち目のない小沢民主党と対決する現実的なベストの選択である。それでも自民党は勝てる保証はない。しかし福田暫定内閣の下で穏やかな保守政策を重ね、解散・総選挙の時期をできるだけ延ばす事に成功すれば、勝負は面白くなってくる。
   私は、この前のブログで、「自民党は小泉を担ぎ出して、今すぐ総選挙に打って出るべきだ」と書いた。勿論これは非現実的なシナリオである。それを承知の上で私は、もしそうなれば面白い事になると思って書いた。なぜならば劇場政治に堕した今の政治においては、政権を手中にしかかっている小沢民主党に待ったをかけられるのは小泉しかいないからである。
  私は政権交代論者であるから自民党が生き残る事には反対である。しかもあの憎き小泉が再登場して自民党が復活する事は悪夢である。小沢さんには、個人的よしみはなにもないが、一度は政権をとらせたいという心情はある。だから、小泉が出てくる事を期待している訳では決してない。
  小泉再登場は有り得ないという前提で、そういうシナリオを半ば冗談で論ずるのである。そして、もしも万二に一つの可能性で小泉が再登場して、「俺と小沢のどちらを選ぶ!」と国民に迫れば、その時は、小沢は勝てなかったという意味で、自民党はそうすべきであった。しかしそうはしなかった。それほど小泉は自民党から敬遠されていたということだ。
  少し頭のいい国民は、小泉改革の弊害が安倍批判につながった事を知っている。だから、彼らは「国民はもう小泉には騙されない」という。それを知っている政治評論家も小泉再登場はないという。それはその通りだ。
  しかし今でも多くの国民は政策について関心はない。無知である。小泉改革の意味も知らずに小泉を支持した国民は多かった。彼らは今でも小泉支持だ。だから小泉が再登場すればどの自民党候補者よりも小泉は支持を集める。そしてそれは小沢の支持を上回る可能性が高かったのだ。小沢自民党にとってはそれは最悪のシナリオだ。 
  しかし、小泉再登場は完全になくなった。もともと可能性はなかったが、ゼロではなかった。だからこそ再登板の噂が絶えなかった。
  それが完全になくなったのは福田が出たからだ。というよりも、ここは微妙なところであるが、福田は小泉が出て来ない事を知って出馬を固めたのだ。そして福田がやる気を見せた時点で小泉は絶対に出ないと公言した。かくて小泉再登場のシナリオは完全になくなった。つまり阿吽の呼吸で「福田の出馬」と「小泉再登場なし」が同時決着したのだ。小泉と福田は元は同じ福田派であるが体質は正反対だ。自民党は小泉を否定して小沢と対決する事を決めたのだ。
   もともと小泉に再登板する気などない。自らの対米従属政策が完了し、そのほころびが出始める事を知っていた小泉は、絶妙のタイミングで辞める事ができたとほくそえんでいたに違いない。エルビスプレスリーを真似たパフォーマンスなどは、そのような小泉がある種の躁状態にあったということを示している。あとは野となれ山となれの心境だったのだ。
  そのようにしてうまく任期を満了した小泉が、そして政治的理想も政策能力もない小泉が、行き詰った今の日本を立て直すためにみずから泥をかぶって再登場するという事はありえない。ありうるとすれば唯一つ、自民党の反小泉の重鎮が、揃って小泉に頭を下げて、「自民党を救うのは貴方しかいない」、と言って頼み込む時である。つまり自尊心をみたす形で登場する場を皆が作ってくれた上での名誉ある再登場をする、という場合のみである。もちろん、その場合でも登場しなかったかもしれないが、ありうるとすればその時だけだということである。そして自民党はそうしなかった。負けてもいいから小泉だけは勘弁だということだ。
  次の選挙で落選間違いない小泉チルドレンたちが、一年生議員と言う立場も忘れてなりふりかまわずいくら頼み込んでも、小泉は間違っても動く事はなかった。それでも小泉チルドレンが大騒ぎをしたのは、彼らには自分の生き残りしかなかったからであり、メディアが彼らをフローしたのは格好のテレビネタであったからだ。所詮はそれだけのものであった。杉村とか歌を歌って当選した川条何がしとか、市長あがりの中川などが大声で叫んでいるのを見て私は吐き気を催した。政治家を直ちにやめろと怒鳴りたかった。まあ、それもあとわずかであるが。

4. 小泉の政治生命も終った

   話はそれるが、小泉の事についてもう少し書いてみる。小泉チルドレンや政治評論家の中には、小泉の再登場は将来の政界大編成の時だという者がいる。小泉はその時まで自分を温存しているのだという。しかしこれもピント外れだ。
  小泉再登場をめぐる今度の騒動ではっきりしたことは、繰り返して言うが、小泉チルドレンと称するろくでもない議員のほかには、小泉はもはや自民党のまともな議員からは相手にされていなかったということだ。小泉は、5年半もの長きにわたって政権を保持した事と引き換えに、その強引で異常な政治手法のゆえに自民党議員の広く、深い恨みをかった。恨みとまではいかなくても、間違いなく愛想をつかされたのだ。
  そうであるとすれば、今後の自民党に小泉の居場所はどこにもない。せいぜいポン友の森とか中川秀直あたりと酒を飲んで猥談するくらいだ。そいうえば国会で森と無駄話をして民主党の法案に間違って賛成したりしていた。
  小泉はかつて親父が引退した65歳になったら政治家を辞めるとうそぶいた。65歳を過ぎてもまだ議員にとどまっているのは、次男に地盤を譲るタイミングがまだ整っていないということだろう。それが整った時点で辞める。その程度の事しか彼の頭にはないのだ。後はテレビなどに出てハマコーみたいになればいい。使い道はいくらでもある。安倍と一緒に政治から引退すべきだ。
  自民党に居場所がないと言う意味では小泉が新党をつくるという憶測は一理ある。しかし少し考えるとそれが如何に非現実的かがわかる。
  福田と小沢が争うと言う事は、保守を維持しつつも、弱者に目を向け、対米自立外交を少しでも取り戻すという政策を、国民の前で競い合いということである。それは間違っても、小泉流新自由主義に戻ることではなく、また他方において一気に米国との軍事同盟を廃棄して自主平和外交に走るという左翼政権が生まれることではない。所詮は保守勢力の競いである。
  そうであるならば、政界再編といっても保守と護憲の対決という再編ではない。保守勢力間の再編の場合は、対米従属、新自由主義の小泉・竹中路線の回帰か、日米同盟を維持しつつ社会民主的要素を取り入れて軌道修正するかの再編である。そしていまや国民の大半は後者を選びつつある。人気があるといっても、これからの小泉に対米従属、新自由主義を引き下げて国民の大半の支持を得る魅力はない。小泉の周りに集まろうとしている政治家に政権を取れる器量のあるブレーンはいない。米国ももはや小泉を必要としていない。日本占領が完成した時点で用済みなのだ。政権がとれそうもない政界再編に小泉が興味を示すはずはない。
  かくしてこれからの政局は小沢民主党と福田自民党の最後の戦いとなる。そして小沢にとっては、小泉自民党と言う非現実的ではあるがそれが実現したら最悪だというシナリオではなく、福田自民党という少しばかり手ごわい現実的なシナリオと戦うこととなる。
  そして小泉、安倍タカ派ラインと戦う為に民主党内の左派と組んだ小沢戦略が、福田の登場という逆バネによって、その戦略が重くのしかかってくるのである。小沢の最後の正念場が近づきつつあるのだ。この続きは、福田と小沢の対決に絞って書く。そして日本の政治の将来は、政界大編成かそれとも緩やかな保守の大連立かについて書く(以下続く)。

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2007年09月13日

メディアの虚実を見抜く眼力

 メディアの虚実を見抜く眼力

 普通の人たちが世の中の動きを知る最も手短な方法は報道を通じてである。そしてメディアはその役割を担うものとされている。不偏不党がメディアの使命だ。特定の目的を持った組織が運営している広報用メディアは別として、一般のメディアが最初から最後まで嘘の報道をすることはありえない。メディアの報道は一般的に正しく報道していると見るしかない。
 ところが同時にメディアは嘘を報じる時がある。それは明らかな間違いの場合もあるが、誇張したり、物事の一面しか伝えなかったりする場合もある。そして巧妙に読者を誘導する情報操作的な場合など様々だ。単に販売数を増やす為の興味を煽る嘘報道もある。これから書く事はこのケースである。こういう事が行われているという事を知っておいてもよい。そんな裏話である。
  ニューズウィーク日本版の9月19日号は「東京特派員の告白」という特集記事をその号の目玉記事として載せていた。ジャーナリストのコリン・ジョイスが、イギリスの高級日刊紙「デイリー・テレブラフ」の東京特派員を7年間務めた経験を赤裸々に語っている。
  自分の見たことを理解し伝えることに全力を尽くそう、真実だけを書き送り、悪を暴く事に徹しよう・・・そう決めて東京特派員を始めたジョイスは、本社編集者の命令に従って妥協させられる連続だったという。靖国参拝よりゲイシャ、日朝首脳会談よりロボットやチカン。高齢化社会も三宅島も「面白おかしく書け」と命じてくる。報道の質よりも娯楽性を優先する新聞の一部に自分はなり下がっていたと語る。送った記事が原型をとどめないほど編集者の手で改ざんされそうになったという。
  そのような歪んだ日本の報道が行われる背景の一つは国際社会における日本の地位低下も関係しているとジョイスは言う、「テレグラフで働いた7年間、合計5人の国際部長と仕事をしたが、全員が、日本の記事を書いた事も、日本を訪れた事もなかった・・・これは偶然ではない。東京支局はもう、特派員の出世コースとはみなされていない・・・」
  外国報道が日本を歪めて伝える事がある例を私は個人的に体験している。私が外務省で南アフリカ問題を担当していた課長の頃だ。ロイター通信の記者が私に語った「どんな記事でもいいから日本を批判する記事を送って来い。それが嘘の記事であっても」という命令が来ていると。
  当時日本は南アフリカとの貿易量が多くて国際批判を浴びていた。しかしそれは多分に日本が悪者に仕立て上げられた面があった。欧米諸国はある意味で日本にくらべはるかに南アフリカの白人政権と結びつきが深かった。その批判をそらす為にどこかをヤリ玉に挙げなければならない。それには日本たたきが一番だというわけだ。
  このジョイスの記事で一つだけ救われる思いがした箇所がある。それは、「テロと戦争がひしめく国際面において、もっぱら日本は平和で明るい話題を提供してくれる国であった」という箇所だ。
グローバリズムと言う名の米国化によって日本の社会は変容しつつある。それでもまだ日本は欧米先進国に比べて平和で穏やかな国だ。まさしくこれこそが世界に誇れる日本なのだ。我々はそんな日本を大切にしなければならない。
 

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2007年09月12日

 自民党は終わった

 自民党は終わった

  今日のブログは、「仙波巡査部長、おめでとう」一つにするつもりであった。しかし安倍首相辞任とその後の混乱があまりにもひどいので一言書かざるを得ない。
  安倍首相の突然の辞任には勿論驚いた。しかしそれよりもその後の展開や、政治評論家たちのコメントを聞いて失望した。今の政治状況の異常さを誰も指摘しない。緊迫感がまるで感じられない。政治は政治家や政治に群がる政事評論家、政治メディアの無駄話のネタではない。国民生活に直結する真剣なものだ。山積する問題に対応できるよう一刻もはやく政治を正常化しなければいけないのだ。
  私は安倍首相の記者会見を聞くまでは、安倍首相の事を心配していた。このタイミングで辞任をもらす事は尋常ではない。自殺でもしかねないほど追い込まれているに違いない、ひょっとしたら記者会見に出てこれないのではないか、などと思ったからだ。  
  ところが、ノコノコと出てきて意味不明の言葉を繰返す安倍首相を見て、これは救いがたい無能力者であると思った。この期に及んでも答弁を逃げた。もはや一切の同情は不要だ。すべての責任は安倍首相にある。
  問題は自民党だ。自らの総裁がこの体たらくであるにもかかわらず、すぐに後継者を選ぼうとしない、できない。総裁選は月末までに、などと悠長な事を言っている。自民党はとうの昔に終わっていたということだ。本来ならば党をあげて緊急協議をし、間髪をいれずに新総裁を選んで国会に臨むべきであるのに、誰も指導力を発揮しようとしない。後任者選びで争っている場合ではない。総裁選でも話し合いでも何でもいいから、小沢民主党と闘える最善の総裁を選び、テロ特措法延長の新法を一刻も早く国会に提出して対決するのだ。それが出来ない自民党は、繰返すように、政党として終わっていたという事なのだ。
 民主党は棚からボタ餅だ。もはや解散、総選挙さえも不要である。不戦敗で政権を取ったも同然だ。嬉しさをかみ殺して黙っていればいい。下手なコメントを行なって国民の反発を招かないようにしろ。勉強を重ね、政権を取ったら直ちにまともな仕事ができるように準備しておくことだ。
 それにしてもマスコミはなぜ小泉前首相を引っ張りだそうとしないのか。自民党をここまで壊したのは小泉前首相だ。安倍首相を潰したのは小泉前首相だ。彼が出てきて小沢民主党代表と闘えば、これほど面白い政治ショーはない。小泉前首相の人気は今でも健在らしい。小沢民主党よりも好感度らしい。ならば自民党、国民、メディアにとって、小泉再登場が唯一の選択枝ではないのか。テロ特措法も年金も何もかも、小泉前首相が、「俺をとるか小沢を取るか」と迫れば、たぶん小泉前首相が勝つだろう。本人がどんなに嫌がっても引きずりだすのだ。メディアは一斉に小泉を追っかけまわすべきだ。
  この前のブログでも書いたが、小泉前首相が皆の期待に答えて再登場すれば、私は今までのあらゆる小泉批判を撤回し、決断する小泉前首相に敬意さえ抱くだろう。この期に及んでも逃げ回って沈黙を守る小泉前首相だから、私は小泉前首相を批判するのだ。卑怯だというのだ。自分勝手だというのだ。
  それにしても、今一番喜んでいるのはスキャンダル議員だろう。安倍首相辞任によって当分すべてが吹っ飛んでしまう。その間にメディアも国民も彼らのスキャンダルの事などすっかり忘れるに違いない。政局が落ち着いた頃は皆が忘れているだろう。しめしめという事だ。それはそれでご同慶の至りだ。
 

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2007年09月12日

仙波巡査部長、おめでとう

  仙波巡査部長、おめでとう

  今日のブログのテーマはこれしかない。この事だけを書く。
  愛媛県松山地裁は9月11日、愛媛県警巡査部長の仙波敏郎さん(58)の訴えを認めた。その訴えを全面的に認める判決を下した。画期的な出来事だ。
  今から二年半前、県警の裏金を内部告発した仙波巡査部長に対し、愛媛県警は組織をあげて仙波部長を排除、疎外した。その措置に対し、仙波さんは県警を相手取って損害賠償訴訟を求めて来た。その判決が下されたのだ。
  高橋正裁判長は、「配置換は造反への報復で、社会通念上、著しく妥当性を欠き違法」と全面的に原告の主張を認め、満額の損害賠償支払いを命じた。あわせて、程度を超えた口止め工作と、それに従わなかった為の懲罰人事について、当時の県警本部長の関与があった事を認定した。国家権力の組織的犯罪を認めた画期的判決である。この事はいくら強調してもしすぎることはない。この判決をきっかけに世の中が少しずつ変わって行く事を期待したい。
  仙波さんの告発を知ったのは、私が外務省を去って一年半ほどたっていた時だった。その時の私は、権力に抗って声をあげることの厳しさを身をもって感じ、孤立無援の心細さの只中にあった。だから同様の境遇にある人たちのニュースに敏感であった。
  雪印食品の不正を告発して排斥された冷凍会社社長、トラック運送業界の不正を告発して30年もの間閑職に放置され続けた会社員、政治的介入で番組を歪められた事を告発したNHK職員、耐震偽装を告発したために逮捕された社長など、いずれも一時的には脚光を浴び、注目はされても、その後は長く、厳しい人生を歩む事になる。
  一時的な正義感のために告発に走る事は「割りに合わない」ことなのだ。だから皆口をつぐむのだ。見て見ぬ振りをするのだ。その常識に抗う愚かな者、変わり者、組織を乱す者のみが告発者となるのだ。   
   しかし誰かが不正を告発しなければならない。そうでなければ不正は大きな顔をしてまかり通る。結果的に皆が被害を蒙る。告発者こそ正義の実現者、先導者なのだ。
   数ある告発の中でも、仙波さんの告発はとりわけ凄いものだ。なにしろ国家権力の中枢である警察の組織犯罪を、たった一人で正面から告発したのだ。官僚だった私は、それが如何に大それた事であるかよくわかる。国家権力の圧力の大きさを知っている。
   判決が言い渡された瞬間、仙波巡査部長の頬に一筋の涙が流れたという(9月12日毎日新聞)。それを読んだ時、思わず私も涙ぐんだ。彼の心境が、まるで自分の事のように、痛いほどわかるのだ。
   経験した事のある人はわかるに違いない。人間だれでも自分と向かい合ってギリギリの生き方をしてきた時、その結果がどうであれ、それが終わった瞬間にすべてから解放される。その時自然に涙がこみ上げてくる。どんなに強そうに見えている人であっても、その強さを持ち続けるために人知れず無理をしているのだ。自分に誠実であるほど負担も大きく、重い。その重圧から解放された時、涙があふれ出る。その涙こそ真実の涙である。
   仙波さん、おめでとう。支えてくれた人たちに感謝し、共に喜びをかみしめて欲しい。有頂天になることなく、今こそ言動を自重して欲しい。定年までの残りの二年を無事に過ごして欲しい。そして全国に存在する不遇の内部告発者の無念に思いを馳せて、彼らの英雄となり、彼らの心の支えとなってもらいたい。
   無事定年になってすべてから解放された時、杯を重ねて人生を語り合おう。

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2007年09月11日

映画評から映画を想像する

 映画評から映画を想像する

  阿久悠の惜別がメディアで語られている。驚くべき数の作品を残したものだと改めて感心する。
  映画か歌か小説家か、どれでもいいから、人の心に永遠に残る作品を一つでもいいからつくることができればどれほど素晴らしいことであろうかと思ったりする。いつか挑戦してみたいと夢を抱く。
  そこで今日のブログは映画についてである。
  9月11日の朝日新聞に沢木耕太郎の映画批評「銀の街から」が掲載されていた。その映画評を読みながら、映画「キャンディ」を想像する。
  人生は愚かで残酷なものだ。「幸せな人生はどれも同じだが、不幸な人生はそれぞれに異なっている」とは誰かの言葉である。これもその不幸の一つだ。
  不幸はとどまってくれない。不幸は容赦なく加速していく。しかし人はその不幸に、なんとか美しさを見つけようとする。ほんとうは不幸に美しさなどない。あるのは悲惨さだけである。絶望だけである。しかし人間である以上、その不幸に負けていく人間に美しさを見つけようとする。救いをどこかに求めようとする。ましてやそれが男女の恋の人生であれば。
  若く美しいふたりの男女が恋におちいるところから物語は始まる。
  詩人志望のダンと画家志望のキャンディ。
  冒頭のシーンが二人の人生を象徴する。二人は遊園地で楽しんでいる。高速のドラムの回転によって遠心力が生まれ、二人は壁に押し付けられながら幸せそうにキスをしている。だが、その壁が不意にはずれてしまうと、ふたりはどこまでもとばされていってしまうことになる・・・
  一緒に暮らしはじめたものの、ダンは定職につこうとしない。そのうちドラッグに手を染め、ダンに導かれてキャンディもやがてドラッグの常用者となる。二人に稼ぎがあるわけではない。家族や知り合いに無心してはドラッグを手に入れようとする・・・
  しかしそんな生活がいつまでも続くはずはない。質入をしたり、万引きしたり、他人の物を転売したり、果てはキャンディが売春を始めることになる・・・
  二人は徹底的に愚かである。愚かな二人の愚かな物語だ。だが、愚かさにもかかわらず二人は美しい。いや、愚かゆえに美しい、と沢木耕太郎は評する。
  二人はドラッグから抜けだそうと努力する。キャンディが妊娠する。盗んだ金で食料を買い込み、アパートの一室にこもってドラッグを断とうと必死の努力をする。希望を抱かせるほんの一瞬である。しかし、ドラッグは若い二人を手放すほど優しくはない。キャンディは死産をしてしまい、やけになった二人はまたドラッグの世界に戻っていく。
   二人はもつれあいながら、幸せだった「天国」から地上に落ち、そして「地獄」へと下降に下降を重ねていく・・・
  この映画のミソはキャンディ役のアビー・コーニッシュの美しさにある。その美しさがこの映画を美しく、痛ましくしている。キャンディの父親がダンに「おまえはあの美しい娘に何をしたんだ」となじるシーンがある。「あの美しい娘」と叫ばせるにふさわしい絶対的な輝きがキャンディにはある。その美しさがこの映画を際立たせているに違いない。

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2007年09月11日

小泉と小沢の戦いが見たい

  小泉と小沢の戦いが見たい

  私の期待が見事にはずれ、急速に次元の低い政局になってきた。総辞職発言をした安部首相が一人叩かれている。それを自民党が支えようとしない。国民も見放している。メディアも安倍批判一色だ。へそ曲がりの私は、そんな安倍首相を気の毒に思う。応援したくなる。
  この前のブログで私は小沢民主党にアドバイスをした。今度は安倍自民党にアドバイスをしたい。なぜそういう気になったか。それは民主党幹部の増長ぶりが目にあまるからだ。テロ特措法延長に反対する事の真の意味も分からずに、安倍自民党を追い込むという事だけで悪乗りしている。
  輿石東という民主党代表代行が、安倍首相の発言を捉えて、安倍発言は我々に対する挑戦である、と息巻いていた。しかし輿石は日教組に支えられた旧社会党の議員だ。旧社会党の総括も無しに生き残りの為に民主党に合流した男だ。そんな男にテロ特措法反対をいう資格はない。日米安保体制を認めながらテロ特措法延長反対を声高に叫ぶ人間を私は信用しない。
  小沢の限界は、そんな男と組まなければテロ特措法に反対できないという事だ。小沢がテロ特措法は間違いだと本気で思っているのなら、前原ら親米派と胸襟を開いて話し合い、彼らを説得してからテロ特措法に反対すべきなのだ。それを避けて似非左派と組むのはおかしい。真性左派に対する侮辱でもある。
  私の手元に興味深い記事がある。9月11日付の夕刊フジに連載されている、鈴木棟一の「風雲永田町」という記事だ。その中で、松本剛明前政調会長の次の言葉が引用されている。
「・・・いまインド洋で海自がやっていることは、テロ防止に有効な事は確かだ。アフガンだけでなく、イラク、南東アジア全域のテロを封じている。ただしこれは6年前にテロ特措法ができた時の趣旨から違った(外れた)事をやっているとも言える・・・いまやインド洋そのものが戦場で、アフガンを応援している法律で艦船を出しているのにはやや無理がある。正面からルールを決めてから動かさなくては・・・」
  これは凄い発言だ。テロとの戦いは正しいから、それを支援しなければならない、古い特措法を変えて、米国のテロとの戦いに堂々と協力できる新たな法律をつくるべきだ、そう言っているのだ。民主党は日米同盟の是非を巡ってまったく矛盾している政党なのだ。
  このような発言を公言する議員たちを説得しようともせず、旧社会党の議員と安易に手を組むという小沢一郎の手法はやはり邪道である。自民党はここを衝くべきだ。日米同盟の重要性について徹底的に小沢民主党に議論を挑むべきだ。あなたはいつから左翼の考えに同調するようになったのか、日米同盟を重視していた自らの主義主張を捨てたのかと。これは小沢にとって最も痛いところだ。
  そしてその役割を小泉前首相にさせるのだ。いまこそ小泉前首相を引きずりだすべきだ。いくら小泉が嫌がっても、頼み込んで引きずりだすべきだ。どんなに自民党が小泉にアレルギーがあるとしても、土下座してでも頼み込むことだ。そして小泉前首相が少しでも自民党に恩義を感じるなら、ここは義侠心を出してお返しをすべきだ。もし小泉が登場し、「テロ特措法は日本の命だ!」と叫べば、郵政改革に騙された国民の多くは今でもその気になるに違いない。小泉がそれをやるなら、あれほど批判してきた私はその小泉を見直す。
  私は悲しい。日本の将来を左右する日米同盟関係の是非について、真の議論なく世論に媚を売る形で低次元の政争が始まろうとしていることを。
  ええい、どうせ次元の低い日本の政治だ、政治家だ。それをまた面白おかしく報道する日本のメディアだ。いっそのこと、テロ特措法延長の是非を巡って、小泉前首相と小沢民主党代表のガチンコ勝負によって決着をつければいいのだ。安倍首相が唱えるテロ特措法延長が国民に受け入れられなくても、小泉前首相が延長すると言えば、国民はそれを支持するかもしれない。日米同盟の意味などどうでもいいのだ。そうなればこれはもう冗談だ。しかし所詮国民の意識はその程度なのだ。テロ特措法に反対しても在日米軍の存在には反対しないのだ。
  劇場政治に徹するなら、徹底的に徹してみるのもいい。そう割り切ると人生は悩まなくてよい。腹もたたない。

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2007年09月11日

ラ・パロマの曲が聞こえる

  ラ・パロマの曲が聞こえる

  いきなり唐突な事を書いてみる。このブログを毎日書き続けることは結構しんどいことだ。何がしんどいか。それは毎日その日のテーマを見つけて、誰からも文句の言われないブログを書こうと頑張るからだ。
  光市殺人事件の事を書いた8日のブログについては、一斉に批判のメールが来た。このブログの読者からくるメールであるから、さすがにバカヤローとか死ねとかいう低次元のものはない。それぞれもっともなメールだ。
  謙虚な(?)私は、そのようなメールからも学び取ろうとする。極力返事を書こうとしたりする。しかし批判を受けることはいい気がしない。馬鹿らしいから、そろそろブログを書くことを止めようかと思ったりもする。
  そんな時、なぜかラ・パロマという曲が聞こえてくる。私はこの曲が一番好きだ。クラシックもオペラもジャズもスタンダードも演歌も好きな曲は多々ある。しかしこの曲を聴くと私はすべてを忘れる事が出来る。心がなごむ。あのメロデーに私の外交官人生の遠い思い出が蘇ってくる。途中で頓挫してしまったが、悲しく、甘く、そして何かを追い求める懸命な外交官であった自分を思い出す。自分の人生そのものを感じるのだ。

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2007年09月10日

動き出した日本共産党

  動き出した日本共産党

  このところの政治ニュースといえば、参院選に大敗した安倍首相の辞任要求や自民党と民主党の攻防ばかりが報道される一方で、護憲政党の事はさっぱりニュースから姿を消した。
  その最大の理由は、やはり2大政党化が加速し、文字通り安倍自民党と小沢民主党の一騎打ちの行方が国民の最大の関心事になってしまったからだ。二大政党化の流れをメディアが意図的に助長しているという面もあるだろうが、今の政治に殆ど影響力を与える事ができなくなった護憲政党を取り上げても国民は関心を示さないというのがメディアが取り上げない理由でもあるに違いない。
  なぜ護憲政党は、選挙に負けたにもかかわらず、そしてその存在すらも危うい状況にあっても、メディアがとりあげるようなあらたな動きも見せようとしないのだろうか。
  そう思っていた矢先に共産党が大きな動きを見せてくれた。8日の第5回中央委員会総会の幹部会で、志位和夫委員長が、「次期衆議院選挙では候補者擁立を絞り込む」という方針を発表したのだ。9日の各紙が一斉に報じていた。
  共産党はこれまでおよそ勝ち目のない選挙区をふくめ殆どすべての選挙区に立候補を立ててきた事は周知の事実である。そのような選挙対策は結果的に自民党を利するから、「共産党は自民党の隠れ支援者ではないのか」などと揶揄もされてきた。それでも共産党は頑なに殆どの選挙区に候補者を立ててきた。一人の候補者も当選させられなくなって久しいにもかかわらずである。
  その共産党がついに立候補選挙区を大幅に絞ると宣言したのである。300ある小選挙区のうち擁立する選挙区が130前後に絞られる見通しであるという。これは大きな選挙戦略の変化である。
  問題はその理由である。その理由が「従来の方針のままでは、多額の供託金没収による財政圧迫など、マイナスが大きい」(志位委員長)というだけでは、いかにも情けない。しかし同時に志位委員長は幹部会報告で、「自民党と政策において大差がない」と言って批判してきた民主党とも「一致点で野党共闘を進める事は当然だ」などと延べ、また「たしかな野党」という従来のスローガンを改める考えも示したという。明らかに共産党内部で何かが起きつつある。それが国民の期待に答えるものであれば歓迎すべき動きである。野党間の選挙協力が進めば、まもなくやってくる総選挙において自民党はさらに苦しくなるだろう。
  次は社民党の番だ。一日も早く新しい動きを国民の前に示すべきである。

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2007年09月09日

勝負にでた安倍首相

  勝負にでた安倍首相

  参院選挙後の長い、緩んだ政治休戦の後に、いよいよ臨時国会が明日から始まる。政治とカネ、年金、テロ特措法、北朝鮮外交など、大きな問題が待ち構えている。いずれも国民的関心の高い問題だ。そう思ってこのブログを書いていたら、ビッグニュースが飛び込んできた。9日夕刻のNHKテレビは、安倍首相が記者会見で、「給油活動が継続できなければ総辞職する」と発言したと報じられたのだ。総辞職という言葉こそ使わなかったが、記者の質問に追い込まれた安倍首相が「職に固執するつもりはない」と言ってしまったのだ。
  すでに安倍首相は「インド洋での補給活動継続は対外公約である」とか、「継続できなくなれば私の責任は重い」などと覚悟を決めた発言をしていた。これを9日朝の各紙は大きく報じていた。またあの中曽根大勲位も9日朝のTBSの番組で、「継続できなければ安倍政権の生死にかかわる」と発言していた。しかし、今回は安倍首相自身ががはっきりと「職を賭してでも補給活動を続ける」と自分の口から公言したのだ。この事によって、完全に政局になってしまった。
  明日からのニュースはこの問題一色になるであろう。他の問題は吹っ飛ぶだろう。もし小沢首相がテロ特措法延長問題で安倍首相を解散・総選挙に追い込もうと当初から考えていたならば、望むところであるに違いない。今度こそ小沢首相と安倍首相が正面から激突することになる。
  しかしこの戦いは、小沢代表にとって必ずしも容易な戦いではない。それどころか米国、安倍自民党、そして保守有識者の団結による小沢たたきが加速するだろう。すでに街にでまわっている保守系のメディアは小沢たたきをはじめている。それが国会の開始とともに加速するということだ。
  果たして小沢民主党はどう対応すればよいのか。民主党は外交問題についてのブレーンが見当たらない。いたとしても前原らの日米同盟論者たちである。民主党内で十分な議論がおこなわれているとも思われない。孤立無援とも思える小沢代表に対し、私は次のような助言を行ないたい。
  まず、自民党の論理を甘く見てはいけないということだ。そしてそれに対し負けないだけの論理を固めないと論戦に負けるということだ。自民党の「テロ特措法延長」の主張は論旨が一貫している。つまり日米同盟は重要だ、テロとの戦いは国際社会の一致した合意だ、日本の補給活動は関係国から高く評価されている、ここで手を引けば責務を放棄することになり国際的評価を失うことになる、米国との関係は間違いなく不安定になる、これである。
  これに対し、国連決議がないから反対だとか、テロをなくすため日本独自の人道援助を行なえばいいとか、情報がないから判断できない、と言った迫力のない理由を述べていては、自民党との論戦には勝てない。そもそも「テロとの戦い」が誤りなのだ。だからその戦いを助ける補給活動は認められないと正面から反対すべきなのだ。もっともこれは日本共産党や社民党の論理だから民主党として主張できないというのなら、「武力ではアフガンのテロはなくならない。それどころか悪化した。これが過去6年間の活動でハッキリした」という現実を指摘すればいい。そして、これ以上補給活動を続けても解決策にはなり得ない、と、その一点を強調して反対すればいいのだ。これには反論しがたい主張だ。
  二つ目に情報提供については、これを補給活動に反対する消極的な理由とするのではなく、なっとく出来れば場合によっては協力する、だからすべて提供してくれと、積極的な武器にして攻めるべきだ。タイミングよく補給活動がアフガンでの活動に限られてはいなかったという疑惑が急浮上した。米国側はあわててホームページでの言及を削除したらしいが、その事実の確認も含めてこれを大きく取り上げるのだ。日本政府や安倍自民党にいくら要求しても逃げられる。シーファー大使に直接要請するのだ。シーファー大使はどんな機密情報でも提供すると大見得を切った。これを使うのだ。外務省あたりがあわてて米国にアプローチして隠そうとするだろうが、シーファー大使に真実を述べてくれと国民の前で要求すれば逃げるわけには行かないだろう。仮に少しでもテロ特措法違反の補給が明らかになれば、その時点で継続出来ない正当な理由が成り立つのだ。
  三番目に、国内世論の動向を慎重に見極める必要があるということだ。最近の世論調査によれば延長反対派が延長賛成派を上回っているという。しかしだから反対しても大丈夫だ、態度を変更すれば世論の支持を失う、と民主党が思っているとしたら危険である。世論はあてにならない。米国の日本軽視の態度に不満を抱く国民が、この際米国に抵抗して溜飲を下げているとすれば、そのような世論はまったく当てにならないということだ。そのような世論は、日米関係が悪化したとたん、「やっぱり米国に逆らったのは間違いだった」と手のひらを返すだろう。自民党の小沢批判に同調するだろう。日本国民は未だ確固とした対米自主外交の覚悟は出来ていないと見るべきだ。
  最後に、情勢次第では安倍自民党に補給活動継続をさせてしまったほうがいいという事も念頭に入れておいたほうがいい。それは決して譲歩ではない。新法をつくってなにがなんでも補給活動を継続するという自民党案に賛成してはいけない。賛成してしまったら、それこそ世論は民主党を見放すだろう。だから補給活動の新法にはあくまでも反対し、それを自民党が衆院多数で強引に成立させるという形に持っていくことだ。これなら主義を変えたことにはならない。補給活動は自民党のごり押しで継続されることになる。米国は満足する。そして強引に成立させた自民党にすべての責任をかぶせることが出来る。今後アフガン情勢が更に悪化して、撤兵を始める国が出てくるようになると、やっぱり民主党は正しかったという事になる。意外にこれが最善の高等戦術かもしれない。
  いずれにしても明日からの自民、民主の攻防は見ものである。メディアは世論調査を頻繁に行なって、国民はどちらの議論を支持しているかを正確に伝えるべきだ。かくてこのテロ特措法延長問題は、先が読めない最大の政治バトルに突入していく。 

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2007年09月09日

旧社会党の政治家たちよ、この福本の言葉を何と聞く

  旧社会党の政治家たちよ、この福本の言葉を何と聞く

   朝日新聞土曜版に福本邦雄という画廊会長(フジインターナショナルアート会長)の逆風満帆という連載がある。その9月8日連載④に、興味あるくだりを見つけた。
   因みに、この福本という人物は、知る人ぞ知る戦後政治の日本の黒幕の一人である。父はかつての日本共産党指導者の一人福本和夫であり、自らも共産党員であったが、除名された後一転してフジサンケイグループに入り、岸内閣の官房長官だった椎名悦三郎の秘書から政治の世界に入った人物である。最近は「表舞台 裏舞台」(講談社)という回顧録を出版して、政治通の間でのベストセラーとなっている。
  その福本が冒頭の朝日新聞紙上で、「長い政界とのかかわりで最も残念に思っていることは何か」と問われ、「社会党を自滅に追い込んでしまったことだ」と語った。この言葉を私は興味深く読んだ。
  野党に転落した自民党が、悪夢を晴らすかのように考え出した「自・社・さ」三党連立の事を鮮やかに思い出す。これはまぎれもなく戦後政治史の大きな出来事であった。
  村山富一をその気にさせようと福本らは懸命の策を弄したという。そして、それが行き過ぎに働いて、連立政権は成功したものの、日本の政治に禍根を残した、と福本は次のように言っているのだ。
 「・・・村山は日米安保を肯定し、自衛隊も認めた。『日の丸』、『君が代』も。時代には合ったが、結局、社会党を窮地に立たせることになった・・・日本は『対米追従』の歯止めの一つを失ったばかりか、右だけを肥大化させ、社会全体の右傾化を著しくさせてしまうことになった・・・」と福本は語った。すなわち自民党の延命には良かったが、日本の政治全体から見たら不幸であったというのだ。その行き着く先が今の政情なのだ。
   福本が皮肉で言っているとしたら傲慢な発言だ。福本が本心で反省しているのならば、存命のうちに福本は革新勢力の再生に尽力すべきではないのか。
   しかし、このブログで私が言いたい事は、そのことではない。一人の政界フクサーにここまで言われるほど自壊した旧社会党の政治家たちにこそ、この福本の言葉を聞いてもらいたいと思ってこのブログを書いた。
   あれから十余年。福本のいうごとく日本の政治状況は保守二大政党時代に加速して行った。三分割された旧社会党の生き残りの政治家たちよ。今一度あの時の総括を自らの手で行なって欲しい。当時はまだ政治家でなかった多くの現社民党の政治家たちよ。自分たちは関係ないと逃げるのではなく、旧社会党がなしえなかった真の革新勢力の実現を自分たちの手で成し遂げる気概を持つべきだ。その努力を必死で行なうべきだ。
  いよいよ明日からテロ特措法延長問題をめぐって自民党と民主党が政権をかけた歴史的攻防をくりひろげようしている。今こそ社民党の出番ではないのか。よもや「壊滅するくらいなら民主党に合流したほうがいい」などと思っているのではないだろうと信じたい。

 
  
 

  

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2007年09月08日

  犯罪情報を匿名の提供者から金で買うという制度

 犯罪情報を匿名の提供者から金で買うという制度

 9月7日の産経新聞が、未犯罪の情報を「匿名」の情報提供者から「買う」という制度を、警察庁が始めると報じていた。10月1日から試行的に行なわれるという。それを防犯活動のNPO法人である「日本ガーディアン・エンジェルス」に委託して行うという。
 これを目にしたとたん、密告制度が日本でもはじまるのではないかと直感した。
 不覚にも知らなかったのであるが、既に今年の5月から、殺人などの未解決の重要事件の解決に結びつく情報には、それを提供した者に対し公費から最高300万円の懸賞金を支払う制度が導入されているらしい。
 しかし、既に起きた犯罪の解決のために懸賞金をだす制度と、未発覚の犯罪情報に対して匿名の者から情報を買うという制度とは根本的に考え方が異なる。しかも情報が提供しやすいようにと匿名でも通報が可能となる点は問題だ。そしてそれを警察が直接受け付けるのではなく、受付業務を「民間」団体に委託する点にも疑問を持つ。
  凶悪、不可解な犯罪が急増しつつあるご時世だ。未発覚の犯罪をあぶりだして未然防止に役立つのであればいいと、多くの国民は思うかもしれない。
  しかしいくつかの基本的な点において疑問が生じる。それは監視、密告社会を助長するという事にならないか。情報提供者が匿名でもよいとなるとなおさらだ。金欲しさに無責任な密告が増えることにならないか。更にまたそれを特定の民間団体に委託させるという点だ。NPOでえあるといえども「民間」である。そもそも「日本ガーディアン・エンジェルス」とはどういう団体なのか。なぜそこだけが委託団体に選ばれたのか。そこに天下りや助成金といった不明な関係が生ずる余地はないのか。
 それよりもなによりも、予算を伴うこのような制度、国民の自由と人権にかかわる制度を新設するに際してどのような根拠法があるのか。警察庁の裁量で国民の知らないうちに導入されているのではないのか。私がたまたま知らなかっただけなのか。
 産経新聞のこの記事を、今後メディアがどんどんと取り上げ、広く国民の周知するところになり、そして国民の批判に堪えうる制度に発展していくことを期待するばかりである。

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2007年09月08日

訴えられた橋下徹弁護士の騒ぎに思う

訴えられた橋下徹弁護士の騒ぎに思う

  8日朝の日本テレビ「ウェーク」という番組で、司会者の辛坊治郎が胸を張ってこう発言していた。「私の番組で起きた発言ですから私は橋下弁護士を全面的に支持します」と。それを聞いた私は早速このブログを書きたくなった。
  私と辛坊とは考え方において対極にある。司会者である辛坊がエラソーにテレビの前で自分の正しさを自己主張する姿を朝っぱらから見せらつけられて不快である。しかしこの橋下騒動に関しては、私は辛坊と同じ立場であるのだ。その事を書く。
  タレント弁護士の橋下徹が訴えられた騒動は、単なる芸能ゴシップ騒動ではない。そこには「弁護士の責務」とは何かという深刻な問題が絡んでいる。
  事の起こりは、関西の娯楽討論番組「たかじんのそこまで言って委員会」(5月27日放映)で行なった橋下弁護士の懲戒請求発言である。あらましは次のごとくである。
  山口県の光市で1999年に起きた残虐な母子殺害事件の裁判を巡り、いわゆる人権弁護士団の弁護が行き過ぎであるとして、「たかじんのそこまで言って委員会」は盛り上がった。出演者全員が弁護団を批判した。その盛り上がりの中で橋下は、被告を弁護する連中は弁護士失格だといわんばかりに、「弁護士会にこれら弁護士の懲戒請求を行なえばいい」と発言した。これを聴いた視聴者から一斉に懲戒請求が起きた事を受けて、弁護士団が橋下発言は業務妨害だと訴えたのである。
  テレビの中で懲戒請求を示唆した発言の適否の問題はあるかもしれない。また私も出演したことがあるのだが、「たかじんのそこまで言って委員会」という番組は、出演者が意識的に極端な放言をし視聴者の溜飲を下げる事を売物にする娯楽番組である。その番組のレギュラー出演者である橋下は、営業的に過激な発言をしたのだろう。そのような橋下の発言を擁護するつもりはない。
  しかし、この橋下発言騒動をきっかけに、光市母子殺人事件の裁判の本質について考えて見たいのだ。
  被害者の夫であり、父親である木村洋という若い男性に、私はこよなき共感と敬意を覚える一人である。そしてまた、これほどの残酷な犯した被告に対し、理屈にあわない論理をもって弁護する弁護団に、大いなる疑問を抱いてきた一人である。
   弁護士の究極の使命は何か。それは顧客である被告の減刑の実現にあるという事かもしれないが、正義をまげてまで不当な減刑を勝ち取る事では決してないはずだ。正義の実現をゆがめてはならないはずだ。更にまた、巷間言われているように、死刑廃止論に固執する人権弁護士たちがその目的の為に裁判という場を利用して自己主張をしているとすれば到底賛成できない。因みに私は死刑容認論者である。自らの命をもって償わなければならない残忍な犯罪は確かにある。いかなる犯罪者に対しても死刑は絶対認められないという考えには、どうしても与する事はできないのだ。こう書くと必ず反発を受ける。イラク戦争に反対し護憲を唱える私は左翼と思われているが、死刑を容認し、北朝鮮の拉致問題を厳しく糾弾する私は、いわゆる左翼的な考えの人たちから批判される。対米追従を批判する私は同時にまた愛国主義者である。その意味で私は右でも左でもない。自由を何よりも重視すると言う意味でリバタリアンという事かもしれない。
   脱線してしまったが脱線ついでにもう一言書かせてもらう。最近私は自分は政治家にはつくづく向いていないのではないかと思ったりする。政治には妥協と駆け引きが不可欠である。政治的目的を達成する事を最優先しなければならないからだ。政治家になるためには本心を隠さなければならない。一人でも多くの支持者を確保しなければならないからだ。しかし私にはそれが出来ない。自分を偽ることが苦手なのだ。というよりも、どうしてもそれが出来ないのだ。
   外務省に入ってまだ駆け出しの時、私は省内で評価の低い上司になぜか可愛がられたことがあった。「君はわかりやすくていい」というのが彼の口癖であった。出世しそうな上司でも間違っていると思えば批判するし、皆が嫌う上司でも、いいところはそれを評価する、そういう私の「わかりやすい」ところが気に入られたのだろう。誰も相手にしないその上司を、私一人が擁護する時があった。そんな私に彼は感激したのだろう。出世の見込みのない上司に好かれるという事自体が、自分の評価を下げる事でもあるのだが。
  すべては遠い昔のことだ。官僚人生を捨てさって久しい今の私の言動をさまたげるものは何もない。あるのは反権力、反不正義の心と知識に対する謙虚さだけである。

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2007年09月07日

テロ特措法延長問題の議論がなぜ深まらないのか

 テロ特措法延長問題の議論がなぜ深まらないのか

  7日の読売新聞で元外務次官、駐米大使の栗山尚一(たかかず)氏が、「テロ特措法が延長されなければ日本は国際責任を放棄することになる」という激しい寄稿文をよせている。
  同様の反論は、8月27日の朝日新聞「視点」において、カート・キャンベル、マイケル・グリーンという米国元高官が異例の連名で行なっていた。
  その論理は共通しており、もとをたどれば、そもそもシーファー駐日大使が小沢民主党代表に対して反論したロジックと同じである。
  すなわち、テロは国際秩序に対する重大な挑戦であり国際社会が結束して対応しなくてはならない犯罪である。国際社会はそのようなテロとの戦いに対する危機意識を共有しており国連安保理や北大西洋条約機構(NATO)は決議を採択し、声明を発している。日本の協力はこれまでにも高く評価されてきた。ここで日本が支援を中止すれば国際責任を放棄することになり批判は免れない。
こういう論旨である。
  これに対し、民主党はいまだ正面からなんらの反論をしていない。私はキャンベルとグリーンによって連名投稿が寄稿された時、民主党が直ちに反論することを期待していた。しかし未だまとまった反論がどこのメディアにもなされていない。聞こえてくるのは、これまで反対してきたのだからその方針を貫くのは当然だとか、米国が始めた一方的な戦争だから賛成できないとか、人道援助による協力は行ないたい、といった断片的な言葉が、何人かの要人からバラバラに聞こえてくるだけだ。挙句の果てに鳩山幹事長に至っては、6日の浜松市での講演で、国際安全支援活動(ISAF)であれば(国連決議があるので)後方支援に限って協力できるかもしれないなどと言い出す始末だ。アフガンでの軍事活動は正しいというのか、自衛隊に犠牲を求めるわけにはいかないから後方支援で誤魔化そうとするのか。それでは自民党とまったく同じである。
  なぜ民主党はテロ特措法の延長に反対するのか。反対するのならなぜ正面から、米国・自民党の議論に反駁しないのか。米国のテロとの戦いは世界の平和と安全に決してつながらない、それは過去6年間の国際情勢の現実が証明している、国連決議は決して米国の軍事行動を認めているわけではない、ましてや国連加盟国に共同行動を取ることを求めてはいない、有志連合の行動は決して国際社会の総意ではない、いま急がれるのはテロとの戦いではなく、反米武装抵抗の最大の根源であるパレスチナ問題の公正かつ永続的な解決を急ぐことである、などという反論を、今こそ民主党は正面から行なうべきなのである。
  それよりもなによりも、テロ特措法に逸脱してイラクやアフリカでの米軍作戦にまで補給活動をしている疑義が明るみになった。なぜ米国に情報提供を求め、これを国民に提示して、テロ支援特措法のいかさまを国民に教えないのか。米国はいかなる情報も提供すると約束した。これを使わない手はない。
  民主党の内部事情からそれができないのか。それとも優秀な人材が民主党には不在なのか。いずれにしてもこのままの状況で国会審議に突入すれば、民主党は間違いなく劣勢に置かれることになる。政局がらみの動きに終始していては、最後は国民は離れていく。

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2007年09月06日

瀬島龍三とシベリア抑留の闇

07-9-6

 瀬島龍三とシベリア抑留の闇

 瀬島龍三氏が4日老衰のため死去した。95歳であった。5日の各紙はそれを一斉に報じた。
 瀬島氏の人生には二つの人生がある。太平洋戦争のほぼ全期間、大本営陸軍参謀として戦争運営の中枢にあり、敗戦を満州で迎えて旧ソ連軍の捕虜となり、シベリアに11年抑留された後1956年に釈放され帰国した、という軍人瀬島龍三と、帰国後1958年に伊藤忠商事に迎えられ、専務、副社長、会長と上り詰める過程で歴代の自民党実力者と深い親交を結び、その人脈から、戦後日本の政財界のブレーン的存在として力を発揮した、日本のブレーンとしての瀬島龍三である。
 「瀬島死す!」の訃報が流れた時、メディアが取り上げたのはもっぱら後者の瀬島であった。その業績の数々をたたえて冥土の餞(はなむけ)の言葉とした。
 私が瀬島龍三という人物について関心を持つのは、もっぱら軍人としての瀬島である。それもシベリア抑留時代に旧ソ連とどのような関係にあったか、その一点においてである。
 もう20年ほど前の話になるが、ノン・フクション作家保阪正康が書いた「瀬島龍三参謀の昭和史」(文芸春秋)を読んだ時の衝撃が忘れられない。それは一言で言えば、シベリアに抑留された日本兵を瀬島はソ連に売り渡したのではないかという疑惑である。
 戦時中の出来事はすべて悲惨である。比較する事自体が間違いだ。しかし東京大空襲や沖縄地上戦、そして広島、長崎への原爆投下にくらべ、シベリア抑留の悲惨さについての言及が少ないと感じるのは、私一人だけであろうか。シベリア抑留はもっと注目されてもいい。いや昭和史の負の遺産として日本国民が決して忘れてはならない歴史の一部なのだ。
  日本が降伏する直前の8月9日に、日ソ中立条約を一方的に破棄して宣戦布告した卑劣なソ連は、満州に侵攻して邦人60余万人を捕虜にして抑留した。そしてその捕虜の多くは凍土の流刑地シベリアの収容所へ送り込まれ強制労働させられた。6万人余とも言われる邦人が、終戦になったにも関わらず二度と日本の土を踏む事無く凍土の土と消えた。その無念と辛苦は想像に余りある。なぜ救い出す事ができなかったのか。なぜかくも多くの日本国民がシベリアに長く勾留されねばならなかったのか。有り得ない事ではあるが、もしも、もしもである。その裏で、日本の関東軍参謀がソ連軍と交渉し、賠償のかわりに日本兵を労働力として提供するという密約を交わしていたとすればどうか。
  この闇を追求しようとしたのが前掲の保阪正康の書であり、魚住昭ほか共同通信社社会部の手になる「沈黙のファイル 瀬島龍三とは何だったのか」(新潮社)である。
 もちろん瀬島自身はこれをきっぱり否定している。まったく根拠のない虚構だと一蹴している。
しかし「何もしゃべらずに逝ってしまった。(先の戦争を)自衛のためだったと正当化し続けた。自分の戦争責任に向き合って生きた、とは私には思えない」(魚住昭、5日付朝日新聞)、
 「(二日間で計8時間、瀬島さんを取材したが)最も聞きたかった、大本営参謀とシベリア抑留時代の事は、史実を詳しく話したがらず、最後まで不透明なままだった。肝心な事を聞くと、話を本質からそらす癖があった。」(保阪正康、5日付読売新聞)、
 「終戦前のソ連との交渉に深く関与した人物で、貴重な歴史の証言者。しかし、最後までついに肝心要のことはしゃべってくれなかった。対談などの機会に何度も『話すべきだ』と説得したが、口を開く事はなかった」(作家・半藤一利 同読売新聞)
などという関係者の言葉を、我々はどう受け止めればいいのか。
  「戦後日本を築いた偉大な先輩を失い、悲しみでいっぱいだ。行財政改革でお世話になったのみならず、政治、経済、文化、社会、あらゆる面で日本人を指導してくれた。」(中曽根元首相 同読売新聞)、
  「明晰な頭脳と明治人の気骨を併せ持つ方だった。戦前、戦後を知る日本人のリーダーの一人を失い、寂しい思いがする」(山口信夫 日本商工会議所会頭 5日付朝日新聞)という賛辞の陰で、また一つ昭和の闇が墓場まで持っていかれた。
 

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2007年09月05日

とっくに決まっている米国の北朝鮮テロ指定解除

とっくに決まっている米国の北朝鮮テロ指定解除

  さる3日、朝鮮中央通信が、「ジュネーブで行われていた6カ国協議の米朝作業部会で米国が北朝鮮のテロ指定を解除することに同意した」と報じ、4日の各紙が一斉にこれをとりあげた。
  これに対し日本政府は「従来の米国の方針は微動だにしておらず、北の発表は間違いだ」(首相周辺)、「指定解除は各施設の無能力化や拉致問題の解決などいくつもの前提条件をクリアしたうえで実現する話し」(外務省幹部)(いずれも4日付日経新聞)、「米国は解除しないと言っている」(外務省幹部)(4日付読売)、などと否定してみせた。しかし与謝野官房長官は、翌4日の記者会見で、「米国からは、『核施設の無力化や核計画の完全な申告が行われていない状況下では、テロ支援国指定解除を行う事はない』との説明を受けている。指定解除のタイミングについては、米朝間で合意したとは承知していない」(5日各紙)と微妙にトーンダウンした(5日各紙)。
   その一方で、安倍首相は4日、美根慶樹日朝国交正常化交渉担当大使に対し、「(過去の清算など)他の問題についても進展が図られるように努力してほしい」と指示した事を明らかにした(5日毎日)。美根大使も、「不幸な過去の清算を行い、国交正常化を実現するのが大目標だ」と、今回の交渉で「過去の清算」を全面的に押し出す積極姿勢を見せた(5日日経)。
  これら一連の報道は一体何を意味しているのか。それがこのブログの内容である。
  この点について、5日の日刊ゲンダイは本質をついた記事を書いていた。すなわち日米の専門家の間では米国が北のテロ支援国家指定を外すのは既定事実になっているというのだ。その通りである。後は、「核計画の完全な申告」と「核施設の無能力化」を北朝鮮が何時、どのような形で実行するかである。そしてどのような形であれそれを米国は了承する腹を決めているのだ。
   だからヒル次官補が日本政府に言った通り、「今の状況では解除する事はない」というのは正しいが、同時にまた、米国は既に核合意のシナリオについて譲歩する腹を固めているのであるから、その意味で北朝鮮の言うように、「米国はテロ指定解除に同意した」という北朝鮮の発表もまた正しい。
   問題は日本の出方である。日本だけが「置き去り」にされるという醜態だけは避けたい一心で、ついに日本政府は過去の清算を行う事を全面に出して譲歩する事を決めたに違いない。賠償という形は決して取りたくないから、巨額の援助をちらつかせて北朝鮮を話し合いに引き込もうとする。それは5年前の小泉前首相の手法と同じだ。違う点は、。それに加えて、過去をお詫びして清算する事を決めたのだ。大きな譲歩である。
   しかし国民や右翼の手前もあり、「拉致問題の全面的な解決」なしに国交正常化はないという建前を崩す事は出来ない。そこで何を持って「全面的な解決」とみなすかという事が決定的に重要になってくる。「全面的な解決」とは、必ずしも横田めぐみさんらの無事生還ではない。「全面的な解決」の内容こそ今後日朝間で策略をめぐらす最も重要な内容なのである。日朝間で手打ちを図るべく密議を重ねる事にである。
 日朝国交正常化は関係者すべてが熱望しているところだ。小泉前首相はもはや自分の手柄にならないから日朝国交正常化に関心はないかもしれない。それでも、きっかけを作ったのは小泉前首相だとメディアは持ち上げるだろうし、なによりも、ケチのついた拉致問題が終るわけだから、歓迎だろう。安倍首相は人気浮揚の決め手としたいから大歓迎である。外務省は時の政権を喜ばして評価を高めたい。拉致など存在しないと言い張って北朝鮮との関係を重視した政党、政治家は、その誤りに蓋をする事が出来るから国交正常化は大歓迎である。多くの国民はもはや拉致問題に関心はない。
  かくして国交正常化は皆が歓迎する事なのである。外務省が少しぐらいの裏工作をして北朝鮮と密議を図ってもメディアも国民もこれを許すだろう。少なくともそういう読みは政府や外務官僚にはある。
  そうだとすれば、そう遠くない将来に北朝鮮問題は解決するということである。いや、もっと正確に言えば、中東問題にすべてを優先するブッシュ政権が、みずから大統領でいる間に米朝国交正常化を行うという事が明らかになった時点で、外務省は何があっても日朝国交正常化を実現しようとするのである。
  切り捨てられるのが拉致被害者の家族たちだけだとすれば、あまりにも残酷な話である。
 

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2007年09月05日

「アルジャジーラ」カメラマンの6年間「収容所闘争」

「アルジャジーラ」カメラマンの6年間「収容所闘争」

 「戦争当事国の『公式発表』は、ほとんど例外なく嘘である。戦前の大本営(発表)しかり、ベトナム戦争しかり。もちろんイラク戦争も例外ではない。
 米国と米軍は、嘘を真実にするために、あるメディアが邪魔だった。中東のニュース・チャネル『アルジャジーラ』である。
 そのカメラマンの一人が、なんと6年間もわたって米軍に拘束され、あの捕虜虐待で悪名高い「グアンタナモ収容所」に送られていたのである・・・」

  このような書き出しで始まる雑誌サピオ最新号(9月26日号)の「メディアを裁く!」という記事を、今日のブログで是非とも紹介したい。

  サピオは偏った雑誌である。毎号、毎号、中国や北朝鮮の悪口を書いて溜飲を下げている雑誌である。そこに登場する常連の言論人は、いわゆる愛国的、国粋的、保守、反動的と呼ばれる限られた者ばかりだ。
  しかしどのような雑誌でも参考になる情報はある。どのような言論人の言う事の中にも共感できる発言を見つける事が出来る。

  サピオという雑誌で私がいつも感心して読む記事が、この「メディアを裁く!」である。これは、アメリカのメディアの最新動向を鋭くウオッチングする権威ある雑誌、コロンビア・ジャーナリズム・レビュー(1912年にジョセフ・ピュリッツアーによって設立されたコロンビア大学ジャーナリズムスクール大学院が発行元)のレイチェル・モリス記者による特約連載記事の邦訳である。その第158回である最新号(9月26日号)の記事の概要はつぎの如くである。

   ・・・2001年12月15日、アルジャジーラの記者、サダ氏とカメラマン、アルハジ氏は取材の為アフガン国境に近いパキスタンの町シャルダンにいた。アフガンに入国し、米国の作戦を取材する予定であった。彼らはそれまで何度も同じようにアフガンに入っていた。ところがこの日、サダ記者はパキスタン入国管理官から信じられない言葉を聞いた。
  「あなたは通れる。が、あなたの同僚はお尋ねものだ。ここに留まってもらうことになる」
   ・・・こうしてカメラマン、アルハジ氏の不幸が始まる。アルハジ氏はまず、カブールの地下牢に入れられ米軍の勾留下に置かれた。そして02年1月7日、米軍のバグラム空軍基地に移送された。その時の様子をアルハジ氏は後日こう語っている。
  「15分ほどヘリコプターで移動し、氷のように冷たいタール舗装の飛行場に投げ出された。半分気を失った私を、米軍警察官が蹴りつけ、殴った後、私の持っていたバッグを奪い、服をナイフで切り裂いた。そして警察官は、『お前は、ビンラデンのビデオを撮った』と、罪状を申し渡した・・・」
  アルハジ氏はそれから6ヶ月間、バグラム空軍基地で拘束された後、02年6月にキューバのグアンタナモ米軍基地捕虜収容所に移送される。それから今日まで、アルハジ氏はグアンタナモにいる唯一のジャーナリストである・・・
  ブッシュ政権は、04年6月に連邦最高裁判所の判決が出るまで、同収容所にいる囚人の法的権利を一切認めず、捕虜の公正な扱いを定めたジュネーブ条約に違反し続けた。最高裁判決を受け、米政府は渋々囚人たちのヒアリングを開始したが、アルハジ氏の拘束理由は猫の目のように変わった。
当初、アルハジ氏が言い渡された“ビンラデンを撮った罪”はどこかに消え、かわって『アフガンにミサイルを買いに行った』、『96年にミサイルを買ったことがある』、『9・11テロ後、アルカイダに資金援助した』などと主張がなされたが、いずれも弁護士によって事実無根が証明されている。それでも釈放されないままだ。弁護士は断言する。
  『アルハジが拘束されている理由はただ一つしかない。アルジャジーラのカメラマンであることだ・・・彼はこれまで130回に及ぶ取調べを受けているが、犯罪について聞かれたことは全くない。そのかわりアルジャジーラの記者や幹部のアルカイダとの結びつきについて繰り返し問いただし、アルジャジーラの内情をスパイするなら釈放する』とも言われている・・・
  今年(07年)1月、アルハジ氏はハンガー・ストライキを実行した。見る見るやせ衰えていったが、米軍が取った措置は次のようなものだ。
  ・・・体重が2割ほど減った時、私は椅子に革紐で縛り付けられ、医者が鼻の穴からチューブを差込み、それが胃に到達すると250CCの黄色い液体が流しこまれた・・・
   アルハジ氏は6月に入って、再びハンストに突入した。その決意を再び弁護士あてにこう書いている。
・・・妻よ、息子よ、心配するな。起こるべきことは、起こるべくして起きる。事実は事実である。太陽は再び昇るだろう・・・

 サピオの記事は今回の連載を次のように締めくくっている。

上記・モリス氏のレポートの後、多くの米メディアがアルハジ氏の動向に注目するようになった。8月15日には国務省の記者会見で関連質問が相次いだが、ブッシュ政権は、「彼の敵対が終るまで、アメリカは彼を拘束する権利がある」とコメントしている。

  アルハジ氏の例はアフガン、イラク戦争にまつわる米国の不正義のほんの氷山の一角であろう。どれだけの犠牲と無念がこの6年間で重ねられた事であろう。
  しかしまもなくそれも米国の撤退によって終る。米国のアフガン、イラク戦争が世界中の良心によって裁かれる時がくる。その時が一日も早く来なければならない。そして米国に従属し続けた日本外交の誤りが、どう言い繕っても弁解できないほど、明らかになるのだ。明らかにされなければ、日本外交の蘇生はない。

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2007年09月04日

小泉前首相は今何をしているのか

小泉前首相は今何をしているのか

 参院選挙の前後に小泉前首相の再登場が一部マスコミに取り上げられた事があった。私はそれを冷笑しながら読んだ。登場出来るものならやってみろ。そういう思いでこれをながめていた。
 登場できるはずはない。小泉前首相の対米従属政策が、ここまで日本の内政、外交を行き詰まらせたのだ。小泉前首相の強引で無責任な政治手法が、日本の政治をここまで破壊してしまったのだ。今さら再登場できるはずはない。
  それよりも、なによりも、彼の頭の中は空っぽだ。自らに理念や政策がなくては、再登場したくてもできるはずはない。それを一番よく知っているのは自分自身である。だから再登場を頑なに拒んでいるのだ。
 それでもなお小泉人気を書き立てるメディアがある。選挙応援演説でその人気振りが健在であったという報道がある。安倍後継の総理大臣候補に小泉前首相の名前が常に上位に挙がる。安倍内閣の閣僚の不祥事が出てくるたびに、小泉前首相ならこんな事にはならなかったと飯島勲前総理秘書官を持ち上げる。
  いいだろう。もしそれが正しいのであるのなら、自民党はひれふしてでも小泉再登場を求めるべきだ。国民は小泉再登場を熱狂的に叫べばいい。メディアはそう書き立てればいい。
  それよりも何よりも、小泉前首相に、日本や日本国民の将来の為に再登場してみせるという責任感、使命感があるならば、今こそ自発的に前面に出てきて政策論争に加わるべきではないか。テレビに登場して国民に訴えるべきではないのか。何よりもブッシュ米国大統領との本物の個人関係が構築されているのなら、今こそ米国を訪れて日米同盟関係をゆるぎないものにする努力をすべきではないのか。
  一体今小泉前首相は何をしているのか。何を考えているのか。あれほど国民の前でパフォーマンスを続けた小泉前首相だったのに、自分に都合の悪い状況になれば日本がどうなろうと知らん顔だ。どこまでも不届きな政治家である。

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2007年09月04日

瀬長亀次郎と日米関係

  瀬長亀次郎と日米関係

  たまたま目にしたNHK番組「歴史はその時動いた」で、米国統治下時代の不当な米国の政策に抗する瀬長亀次郎の活躍をあらためて知った。知識としては知っていた。しかし映像で見る姿や、その肉声を聞いて、私は深い感動を覚えた。このような真の政治家が一人も後に続かなかった事を残念に思う。
  政治家に必要な資質を一つあげろと言われれば、私はためらいなく「自己犠牲を厭わない生き様」と答えるだろう。それに付け加えるとすれば米国占領から日本を解放させる対米自主の資質である。それは自尊心や愛国心からくるものではない。日本国民の真の幸福を願うのであれば、日本は米国の占領から解放されなければならないという自覚だ。国民の為に、国民の苦しみに思いをはせて、「不屈」(瀬長亀次郎の言葉)の精神を持って抗うという資質なのだ。
  この二つを見事に備えた戦後の政治家が瀬長亀次郎である。そしてその対極にあるのが小泉純一郎である。
  今日のブログでは、米国から危険視され、不当投獄までされた瀬長亀次郎が、沖縄住民の支援を背景に米国を脅かし、最終的には沖縄返還の実現に道を開くまでになった、その歴史的事実に着目し、それを今後の日米関係構築のヒントにできないか、そのことについて書きたい。
  沖縄返還交渉が最終的に1972年に実現するまでの間には、瀬長が先頭にたって行われた苦しく、長い沖縄住民の戦いがあった。沖縄返還は決して佐藤栄作首相の手柄ではない。あたかも周恩来が岡崎嘉平太に、「田中さんが訪中したから日中国交正常化が実現したのではありません。あなたのこれまでの苦労が田中さんの訪中を実現させたのです」と述べて岡田を感涙させたごとく、沖縄返還は沖縄住民の努力なのである。沖縄住民が日本政府を動かし、そして米国を動かしたのだ。
  ライシャワー駐日大使が当時どう本国に打電していたか。NHKの番組はそれを教えてくれていた。このまま沖縄問題を放置すれば日米関係を揺るがす大きな問題に発展するおそれがあると本国政府に進言していたのだ。
  もちろん、だからといって米国は直ちに返還に応じたわけではなかったし、返還に応じたといっても「沖縄の自由使用を確保する」という大前提を日本政府に密約させた上での不誠実な返還であった。それでも「沖縄住民に共鳴する日本国民の反発によって日米関係が損なわれては元も子もない」という認識が米国を動かした事は間違いない。
  米国にとって他国の政権を支配する事は朝飯前である。しかしその国の国民の心を支配することはできない。それはベトナム戦争やイラク戦争の失敗を見てもあきらかだ。
  話はそれるが、4日の毎日新聞にアフガニスタンで拉致された韓国人一行の釈放の陰で、米国が黙認した裏取引があったのではないか、という推測記事があった。牧師ら男性が二人殺害された後、韓国では反米感情に火がつきかかっていた。「アフガン政府がタリバンとの交渉を拒んだ背景には米国の方針があった」と見た韓国メディアが「ブッシュ政権が人質の人命を尊重しないなら、韓国は米国に協力する必要はない」と主張、それに呼応して左派の政治家や団体が米国責任論を言い立てた。これ以上韓国国民の反米感情が高まり、テロとの戦いからの脱落などにつながればまずいと米国政府が考えたとしても不思議ではないというわけだ。もちろんこれは記者の推測である。しかし米国と言う国が、最優先の目的達成の為には、原則をあっさり破る国であることは北朝鮮との交渉方針の豹変を見ても明らかである。
  おりしもテロ特措法延長問題が日米関係の大きな問題に浮上しつつある。これについては「延長が認められないと日米関係が大きく損なわれる」という懸念が高まりつつある一方で、「日本国民の多数が延長を望まないのであれば米国もごり押しはできない」という意見も出始めた。
  はたしてテロ特措法延長問題の結末はどうなるのか。給油継続を断ち切ることができるか。見返りを米国に差し出す事なく、断ち切れるか。米国との関係は本当に悪化しないのか。それらは小沢民主党代表がどこまでブッシュ政権を正しく理解しているか、ブッシュ政権の最優先政策は何か、そしてなによりも、テロ特措法延長反対についてどこまで日本国民の支持を勝ち取る事が出来るか、にかかっている。
  政治家小沢の正念場であり、民主党の正念場であり、そして我々日本国民の正念場である。今私たちは歴史的な外交を目撃しようとしている。

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2007年09月03日

書評を書評する

 書評を書評する

 私は新聞の書評欄を好んで読む。その楽しみは二つある。一つは勿論どのような本が出ているかを知る事である。そして興味ある本を見つけたら入手して読もうと考えるが、それを本屋で買ったり、注文をしたりするのが面倒なので、たいていはそのままにして忘れてしまう。もっともそのすべてを購入しては経済的に大変だし、購入しても積読に終わってしまうだろう。だから書評を読んで、読んだ事にしたりする。
 もう一つは書評を批判的に読むことである。もちろんこれは自分が読んだ本に限られる。他人の書評を書評するつもりで読む。誰がどのような書評をしているかに思いをはせる。私も頼まれて書評を書いた事があるが、一冊の本を短い言葉で要約することは容易ではない。自分はどこに感銘を受けたか、筆者の思いはどこにあるのか、一人でも多くの読者に読んでもらうためにはどこをアピールすればいいのか、など色々な事を考えて書いた。これは告白になるが、時間に追われて書いた時などは、一部分しか読まずに、強引に書評した事もある。評者の考えを書評を通じて知る事もできる。
 さて、前置きはこのくらいにして、今日のブログは先週末の日経新聞の書評欄に出ていた本について書きたい。芝浦工業大学の藤田和男という教授が絶賛している、「石油 もう一つの危機」(石井彰著 日経BP社)という本である。この本は未だ読んだことがない。だから書評を読んで概要を知る。書評を読む際の一番目の楽しみのケースである。
  評者の藤田によれば、この本は、この4年間の原油価格の高騰がなぜ起きたのかについて、時系列にそのメカニズムを見事に論証している本であるという。
  その最大のポイントは、石油を巡る国際経済の枠組みは21世紀に入って三つの点で大きく変化したということだ。すなわち、石油は戦略商品から市況商品へ変容した、その背景として石油輸出国機構(OPEC)などの市場寡占度の大幅な低下がある、そして国際経済が産業資本主義から金融資本主義へ移行した、この三点である。もちろんこの三つは密接に関連している。
  ズバリ言えば、世界の原油価格決定権が、実際の需給バランスではなく、ニューヨークのWTI先物商品市場に移ったのだ。とくにここ二年間でヘッジファンドや年金基金などから600億ドル(約7兆円)以上が投入され、石油市場がカジノ化し、現実の需給とは無関係に、地政学的リスクや天災の思惑などで乱高下するようになったのだ。
  儲けているのは誰か。もちろん産油国であるが、中東の産油国を食い物にしている米国メジャーと、その企業と癒着している米国指導者たちである。たまたま石油資源に恵まれたというだけで、苦労せずに莫大な資金を手にする中東産油国の王族たち。私は1982年から4年のオイルマネーが世界を席巻していた時、最大の産油国サウディアラビアに勤務してこれを目撃してきた。彼らは米国にもうけさせて、自分たちもその利権を手にするのだ。そして米国の軍隊に自分たちの王族の地位を守ってもらう。その一方で多くのアラブの民が貧困と戦乱に苦しんでいる。テロの原点がここにある。
  何故いつまでも石油資源がエネルギー源であり続けるのか。1973年に起こった石油危機が私の最初の仕事だった。一バレルあたり34ドルまで値上がりした時、先進消費国が急遽集まって、節約、融通、代替エネルギー開発の三分野で結束した。この集まりが後のサミットにつながった。
  その時、太陽エネルギーとかオイルタール、オイルサンドなど、石油に代わる新エネルギーの開発が進められたがいずれも開発経費が高くてペイしない、一バーレル60ドルくらいにならないと開発のインセンテブがない、と言われて頓挫した。
  ところが今は70ドルを超えた。100ドルまでも上昇するといわれている。それでも一向に代替エネルギーの開発が進まない。なぜか。それは米国が石油から利益を得ているからだ。当分石油で世界経済を支配しようとするからだ。しかしそのうち石油はなくなる。おそらく米国は今必死になって代替エネルギーを開発しているに違いない。そしてその新しいエネルギーを支配できるようになった時点で、一気に世界のエネルギー源の転換を図るであろう。エネルギー源を支配する事は世界を支配することである。米国はそれを知っている。
  日本のエネルギー戦略も米国追従だ。高い石油価格のつけは、いつものように一般庶民に転嫁すればいいと政府は考えている。
 

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2007年09月03日

感銘を受けた言葉

感銘を受けた言葉

 昨今の政治は本当にひどい。スキャンダルの多さは何だ。カネにまつわる遺憾とお詫びがニュースにならない日はない。スキャンダル対策で仕事どころではないだろう。つまり政府が機能していないということだ。それでも日本という国は存在している、活動している。政府や政治家は不要なのだ。
とうとう安倍首相の事務所や石原伸晃政調会長のごまかしまで報道されるようになった。そういえば小泉前首相の会計処理の不正もかつて報道されていた。政治家全員が国会議員を辞めざるをえないのではないか。
  というわけで、あまりにも腹立たしいので、今日は気分転換のブログでも書いてみる。
  最近目にした感動的な言葉がある。古今東西の有名な感動的な言葉は無数にあるが、ここに書くのは最近目にした言葉である。個人的に感銘を受けた言葉である。こよなく主観的なものだ。そのつもりで読んでいただきたい。
  9月2日の朝日新聞の広告欄「朝日求人」に「五体不満足」の著者である乙武洋匡(おとたけひろただー敬称を略させていただく)の言葉があった。「両手両足に障害があるのは不便だったけれど、不幸ではなかった」という言葉は素晴らしい言葉だ。それ以上に、次の言葉が私の心を打った。「・・・『五体不満足』は世に出て、本当に多くの方に読んでいただいた。でもこれが僕の迷走になりました(笑)。本の中では、無意識のうちに明るく元気な自分ばかりを書いていたかもしれません。その存在が勝手に一人歩きしていったのです・・・自分で自分の中身がないことをよく知っている。でも実体のない乙武洋匡が別にいて注目を集める苦しさ。褒め称える人も数多くいれば、心無い言葉を投げる人もいる。等身大の僕を知っている周囲の支えがなければ、つぶれていたかもしれないですね・・・」。彼の苦しみはよくわかる気がする。それを正直に書ける勇気に感銘を受ける。彼の誠実な人間性を見る思いだ。
  もう一つ。8月31日の朝日新聞に出ていた中村哲の言葉だ。アフガニスタンを中心に井戸作りと医療支援を続けているNGO「ペシャワール会」代表の医師である。その彼がテロ特措法に反対する意見を述べていた中で語った言葉である。
  「・・・『殺しながら助ける』支援というものがありうるのか・・・」
  この言葉こそ、まさしく私が小泉前首相に投げつけたかった言葉である。イラク戦争が開始された直後、私は小泉前首相が世界に向かって「日本はイラク復興の為に最大の援助を行う」と大見得を切った映像をレバノンのCNNで見た。この時の怒りが私の人生を変えた。米国の砲弾が降り注ぎ、目の前でイラクの数千年の歴史が破壊され、大量の無辜の市民が殺されている時に、「人道復興支援をする」と胸を張る無神経さは何だ。「お前が今なすべき事は自己宣伝ではない。真っ先に米国に飛んでいってブッシュに戦争を止めさせる事だ」、私は心の中でそう叫んでいた。まさしく「殺しながら助ける支援というものがありうるのか」ということなのだ。
  ついでのついでにもう一つ。芥川龍之介が書いた桃太郎のパロディ作品を、9月2日の読売新聞「名作、ここが読みたい」というコラムに紹介していた講談師神田紅の言葉である。
  「私は幼い頃から正義感が強く曲がった事が大嫌いな子供だった。学生時代はその性格のおかげで友達にも恵まれたが、大人になると人間関係をギクシャクさせる原因にもなった。
  講談界に入って間もなくこの作品に出合った。
  主人公の桃太郎は怠け者の男の子。山や畑で働くのがいやで鬼が島征伐を思い立つ。昔話の桃太郎の逆説的ストーリーだ。
『所詮持たぬものは持ったものの意思に服従するばかり』で、桃太郎はキビ団子半分を餌に犬、猿、キジを家来にする。『持つ』か『持たぬか』で主従関係が決まってしまうのだ。
  また、犬は猿をばかにし、猿はキジをばかにし、キジは犬をばかにする。差別意識の三つ巴でバランスが保たれているあたりも、人間社会にあてはまると思った。
  平和に暮らしていた鬼たちは征伐され、結末では、今度は桃太郎に復讐するために海を渡ってやってくる。侵略する側とされる側が逆転する恐ろしさは、今も世界中にある。
  自分の『正義』は、相手にとっては『迷惑』なことかもしれない。社会は複雑で、人間関係は一筋縄では行かないのだという事を教えられた」
  芥川がこんなパロディを書いていたとは知らなかった。さすがに稀代のニヒリスト芥川だ。しかしこのパロディから学んだ神田紅という講談師もいい。一言神田さんに伝えたい。絶対的な正義というものは確かにあると。それは悪人にとっては「迷惑」であるかもしれないが、万人にとっては実現されなければならないものなのだ。神田紅さんには、持ち前の正義感を忘れないでがんばって欲しいとエールを送らせてもらう。

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2007年09月02日

豊下楢彦という国際政治学者ーその2-

豊下楢彦という国際政治学者―その2-

  8月31日のブログで、私は豊下楢彦という国際政治学者の事を書いた。その時、私は彼の事を、「国際政治学者として一般的にどのような評価を受けているか知らない」という突き放した紹介の仕方をした。それはその通りである。学者の世界の評価がどのようにして定まるのか私は知らない。
  しかし、学者、とくに社会学者の評価というものが、時流におもねったり、権力に追従して嘘を巧みに真実に見せかける作業にうつつを抜かすことではなく、真実に迫る努力をどこまで誠実に積み重ねているかということによって判断されるとすれば、私の豊下に対する評価は極めて高い。最も高いと言っていい。
  それよりもなによりも、彼はいつも私の考えを正確に代弁してくれている。人が人を評価する時は、結局はその考えにどこまで共鳴できるかと言う事であろう。私が豊下を評価するゆえんである。
  その豊下の言葉を9月2日の朝日新聞「耕論」に見つけた。「テロ特措法延長反対」を論ずる豊下は、次のように述べている。そっくり私の言葉にしたいと思うほどである。

「・・・テロ特措法を延長すべきかどうか。この議論を進める前に、そもそも『テロとの戦い』とは何なのか、問い直す必要があろう・・・仮にアフガニスタンが『テロとの戦い』の主戦場であると言うのなら、なぜ日本政府は、ビンラディンの影響力を根絶しないまま始められたイラク戦争を支持したのか・・・タリバーンの復活はパキスタンを拠点にしているとも言われる。それならばなぜ、『パキスタン問題』に正面から取り組んでこなかったのであろうか。核も、ミサイルもあり、テロリストが跋扈しているパキスタンの方が、かつてのフセインのイラクより、はるかに『脅威』なのではないか・・・『核の闇市場の問題』を放置したまま、なぜ日本政府はパキスタンの核保有を認知したのであろうか。
  『テロとの戦い』が叫ばれているが、では、その戦いに『勝つ』とはどういうことになるのか。具体的な展望は何一つ示されていない・・・軍事力だけでは勝てない事は、歴史的にみても明らかだ。だからこそ、安保理決議に基づいた国際治安支援部隊(ISAF)の参加国からも、戦争の意味自体について疑問が噴出しているのだ。
  米国のように、今なお『文明と野蛮の戦い』のようなとらえ方をしていれば、泥沼にはまり込むだけだ・・・テロ特措法が延長されなければ、日米関係が危機に陥ると見る人もいよう。しかし、これは日本にとってはチャンスでもある。日本外交の進路を、日米安保を最優先するか、安保理決議を重視するか、という二者択一に絞ることは不毛だ。
  日本自身が、日米関係の歴史を踏まえつつ、独自の建設的な外交戦略をもつことだ・・・今回の問題を、日本がどういう戦略を持つか、自分の頭で考えるチャンスだ、ととらえたい。

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2007年09月02日

護憲を叫ぶ左翼政党の課題

護憲を叫ぶ左翼政党の課題

 9月2日の毎日新聞「発言席」に大和総研チーフエコノミストの原田泰が政治批評を書いていた。新自由主義者と思える彼の考え方のすべてにかならずしも同意するものではないが、皮肉混じりに書いている原田の指摘を苦笑しながら納得して読んだ。
 たとえば「・・・金(財源)のないばらまき路線(小沢民主党)と、言葉ばかりの改革路線(小泉郵政改革)では大きな違いになりようがない・・・」とか、「・・・自民党は、建設会社、農協・・・などにカネを配り、それらの団体を集票マシンにして政権を維持してきたが・・・人々に直接ばらまき、その効果をアピールした(民主党)のほうが安上がりだ・・・」とか、更にまた「・・・官僚が、組織へのばらまきを推奨するのは当然だ。人々に直接配ったのでは天下り先が作れない・・・」と言った指摘はその通りだ。
 しかし私がこのブログで強調したいのは、原田の次の指摘だ。括弧の箇所は、いつものとおり私の補足解説である。
 「・・・(今度の選挙を見る限り護憲派も、改憲を唱える改革派も、国民の支持を得られなかった、と指摘した上で)
    従来は自民党と社会党の対立だった。社会党は日米同盟と資本主義に反対だから自民党でないと困る、と多くの(日本)人々は真剣に考えていた・・・(しかし今の自民、民主はどちらもそれを認めている。だから)どちらに投票しても大した違いはない(と国民は安心している。その結果)政治家の失言問題のような小さな事が政局になるのだ・・・」

  左翼政党はこの言葉を真剣に受けとめ、これからの戦略を考えるべきだ。どういう戦略をとるべきか。それが今日のブログである。

  原田は護憲と日米同盟反対を表裏一体としてとらえている。それが一般的な受けとめ方であろう。そして護憲も日米同盟反対も、日本では少数派だと原田は当然視している。確かに少なくとも今日まではそうだ。
  しかし、そのような国民の意識を変え、平和な日本を実現したいと、護憲政党が本気で考えているのなら、この二つを政策課題として分離し、戦略を見なおす努力をしなければならない。今までのように護憲や平和を叫ぶ事に終始するのではなく、日米軍事同盟の矛盾を国民に分からせる努力にシフトし、全力をかけてその作業に取り組まなければならないのだ。
  それは決して容易なことではない。しかしそれしかないと覚悟すべきなのだ。その為に勉強を重ね、人材を集めなければならないのだ。
  今度の参院選の自公敗北で改憲の動きは遠のいた。憲法解釈見直しの提言は事実上棚上げされる見通しであり(9月2日日経新聞)、衆参両院の憲法審査会は宙に浮いたままだ(9月2日読売)。安倍政権がこけたら改憲は当分の間話題にも上らないであろう。そんな政治状況の中で改憲反対、国民投票法粉砕を繰り返していては、ますます国民は離れていく。
  その一方で、平和国家日本を破壊する日米軍事同盟の深化が驚くほどのスピードで静かに進んでいる。佐藤正久の「駆けつけ警護」発言が放置され、戦車が公道を走り、迎撃ミサイルが公園に配備される時代になった。テロ特措法に基づいたアフガン支援の自衛隊補給艦がイラク戦争に参加している実態が米軍機関紙で明るみになった(9月1日赤旗)。「攻撃型空母の保有は許されない」とする88年の政府見解を平然と無視して、史上最大のヘリ空母「ひゅうが」が8月23日に進水した(8月24日各紙)。「ひゅうが」とは旧海軍戦艦の名前の復活なのだ。米軍再編への協力は国民を無視してどんどんと進められている。米軍の司令官が大量に日本に移り住みはじめた。米軍のグアム基地強化に支払われる莫大な予算というアメをちらつかせ、日本企業を取り込む受注説明会が開かれている。すべては「かけがえのない日米同盟」の所産なのだ。
   日米軍事同盟強化の流れを止めることは、改憲阻止を叫ぶよりもはるかに難しい。それは抽象的に平和を唱えたり、憲法9条の素晴らしさを繰り返す事とは違う。国際情勢を的確に把握し、戦争国家米国の外交の間違いを直視し、そしてそのような米国との同盟関係が、変化する国際政治の中でもはや時代遅れであり、わが国の国益に反する事であるということを、国民に理解させなければならない。しかしその難しい事を政治の場で行う事こそ、これからの護憲政党に求められている事なのである。
  そして今その千載一遇のチャンスが来ているのだ。「終わりのない戦争」に突入して自滅する米国と、その米国との軍事協力を進めて国力を疲弊させる政府の矛盾が、これからドンドンと明らかになってくる。さすがの国民も、その不合理に気づく時が早晩訪れる。
  それを見越してか、小沢民主党はテロ特措法延長反対に固執し解散総選挙を仕掛けるかのごとくだ。小沢民主党がどこまで本気かはわからない。しかしそのような小沢民主党の真意がどこにあろうとも、今こそ護憲政党は、日米軍事同盟の矛盾をついて安倍自公政権を解散・総選挙に追い込む動きを見せる時である。護憲政党は、政治家のカネや失言問題などではなく、安全保障問題で堂々と自公政権を解散・総選挙に追い込む覚悟をすべきだ。この問題でこそ小沢民主党と共闘をすべきなのである。

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2007年09月01日

国会議員とは何をする職業なのか

国会議員とは何をする職業なのか

 いつからこんな現象が日常茶飯事になったのかと思う。国会議員がやたらにテレビに出てしゃべりまくっている。ついこの前まではそうではなかった。最近急速にその傾向が顕著だ。
 私はこの風潮が不愉快で仕方がない。これは視聴率という名の営業優先の大衆メディアと、名前を売り込みたい国会議員の結託の所産だと思うからだ。
  テレビにとって国会議員は安上がりのタレントなのだ。その証拠に登場する議員はいつも同じ顔ぶれである。テレビ映りがいいか、喋りが上手いか、面白いか、あるいは苛められ役かのいずれかである。間違っても煙たい正論を吐いて政府やメディアを正面から厳しく批判する者は登場しない。
  その一方で国会議員はやたらにテレビに出たがる。それは最も効果的で安上がりの選挙対策であるからだ。醜態を晒そうが、無責任な放言を繰り返そうが、とにかくテレビで顔を売っておけば当選確実だからだ。それに無報酬ではあるまい。政治活動には歳費が出ているにも関わらず、政治活動(テレビに出る事が政治活動かどうか疑わしいが)をしながら報酬がもらえるのならこんなおいしい話はない。
  この風潮は、単に不愉快で済まされるものではない。本来威厳ある国会議員という職業が貶められてしまっている。テレビを見ていると良く分かるが、キャスターや評論家のほうが偉そうにしているのである。国会議員を弄んでいるのである。国会議員は彼らに媚びているのである。とくに残念なのは野党の国会議員だ。野党らしく、つまらない質問には、怒鳴り返すぐらいの気迫を見せてもらいたいのに、むしろ迎合している。野党の党首の中にはテレビ番組にレギュラー出演している者がいるが、それを見て本当に情けなくなる。野党党首には他にすることが山ほどあるはずだ。
 一体この国の国会議員は何が本業なのか。国会は立法府だから勿論法律をつくることである。しかしこの国は議員立法が極端に少ない。法律はすべて官僚がつくり、国会議員は殆どその内容を理解しないまま形式的な審議をして採決するだけだ。なかには採決の時だけ出席する者もいるらしい。
  国会審議がまた噴飯ものだ。与党議員の質問は八百長質問であるし、野党議員は審議する法律案の多さに押しつぶされて、まともな質問を考える余裕がない。こうして、誰も法案の中身を熟知しないまま、官僚の裁量権が極端に大きい法律がどんどんと作られていくのだ。
  我々が国会議員の活動をメディアで見せつけられるのは与野党の国会対策をめぐる攻防である。すなわち政局である。これが国会議員の主要な仕事になっている。そしてその政局に対応する為の内部の会合であり、その会合を取り仕切る各党にのポスト争いである。
  国会議員が国民に身近になるもう一つは醜聞が起きた時である。特に昨今はどの議員も醜聞だらけだ。だから醜聞の弁解や辞任、起訴などで頭をさげる国会議員を目にしない日はない。
  その他に国会議員は何をしているというのか。地元をまわって陳情を受けたり、利権がらみの密議を重ねているに違いない。しかしそれらは本来の国会議員の仕事ではない。自分の為の活動である。国会議員が国民に役立つ仕事を如何にしていないかは、参議院選挙の後一ヶ月もたつと言うのに、国会が閉店休業であったことから容易に想像がつく。国民のために緊急に解決を要する問題が山積しているというのにである。それでも歳費や特権を享受できるのだから、国会議員になりたい人間が殺到するのも無理はない。
  国会議員の本来の使命は何だろうか。これについての私の考えは機会をあらためて書く。読者も自分なりの意見を考えてみて欲しい。そして教えて欲しい。
 

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