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2007年08月31日

豊下楢彦という国際政治学者

豊下楢彦という国際政治学者

  書評のついでにもう一つ書いておく。豊下楢彦という国際政治学者がいる。私が彼を知ったのは「安保条約の成立」―吉田外交と天皇外交(岩波新書)ーを読んだ事がきっかけであった。
  その著書により、昭和天皇が、新憲法の下で政治的行為を行わない象徴天皇になってからも、単独でマッカーサーと何度も会見し、自らの保身の為に吉田茂に安保条約の早期締結を迫った事を知った。
  もっとも、前段は周知の事実であるが、後段は豊下の推論である。昭和天皇とマッカーサーの会談の真相は未だそのすべてが公開されていない。おそらく今後も公開されることはないであろう。だから豊下の推論はあくまでも推論にとどまって終る。しかし彼の推論は少なくともその著を読む限り説得力はある。そしてその推論が正しければ、われわれの戦後外交のイメージは一変する。
  豊下教授の国際政治学者としての一般的評価を私は知らない。しかしこのような意見を著書で明らかにする学者は、その実力や業績の如何にかかわらず、既成体制にとって容認できないということであろう。御用学者のようにメディアやマスコミなどで重用される事は決してありえない。
  その豊下が、同じ岩波新書から、「集団的自衛権とは何か」という最新著を先月上梓した。さっそく購入して読了した。教えられる本だ。タイムリーな本だ。
  その中で私が注目したのは、何と言っても、1960年の安保改定に先駆けて行われた重光葵外相とダレス国務長官とのやり取りの中の次のごとき米国の本音である。

・・・(1955年に行われた重光葵の訪米の目的は)日本には(全土にわたって)基地を提供する義務はあるが米国には日本を防衛する義務はない、という不公平極まりない旧安保条約の改定を要請することであった。
  このため重光は安保条約にかわる相互防衛条約案を携えて臨んだ。しかしダレスは重光の提案を門前払いする。(その表向きの理由は)安保改定を受け入れる大前提として、日本がまず憲法改正を行い、集団的自衛権の行使を可能にすること(であったが、実は重光案の中には米国として受け入れがたい項目があったのだ)。すなわち、「日本国内に配備されたアメリカ合衆国軍隊はこの条約の効力発生とともに撤退を開始するものとする」という項目があったのだ。
  ダレスはこれに激しく反発した・・・ダレスにとっては、日本が集団的自衛権を行使して「米国を守る」ことよりも、米国が日本の基地を特権的に維持し続けることの方がはるかに重要な意味を持っていた・・・ダレスの最大の獲得目標は、「望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利」の獲得にあった・・・
(米国にとっては)日本を独立させた以降も占領期の米軍の特権維持を保障するような条約を締結することこそが、死活的な意味を持っていたのである・・・

  一般国民は、岸信介の手による日米安保条約の改定が、それまでの片務的なものから対等なものに改められたと信じ込まされている。それが岸信介の一大功績であると思い込まされている。しかし実際は安保条約の改定によって米国の一方的な基地占有が固定化されたのだ。

 ついでに言えば、豊下が指摘するもう一つの重要点も見逃せない。それはいわゆる極東条項の起源についてである。
  極東条項とは、極東における共産主義の脅威から米軍が日本を守ると言う意味で、米軍の軍事行動を地域的に限定する条項であると解されている。だからこそ極東を超えたベトナムや中東地域での米国の戦争に日本から米軍が出兵することが、安保条約の逸脱であると批判される。
  ところが安保条約の交渉の経緯を検証すると、極東条項は米国の要求によって書き込まれた米軍のフリーハンド条項であるのだ、と豊下は言う。
  旧安保条約は、言うまでもなく、国連による集団安全保障(特定国との軍事同盟によって安全保障を図るという集団的自衛権の発動ではなく、国連加盟国全体によって潜在的な敵に対応し安全保障を図る事)が発動されるまでの過渡的な二国間条約にしたいとする日本側の考えと、自らの安全保障政策のために在日駐留軍を自由に使いたいとする米国の間のせめぎあいの結果、日本が全面的に譲歩して出来たものだった。
  言い換えれば、米軍の軍事行動を、国連憲章に縛られる事なく、米国独自の判断で一方的に行えるよう米国が要求してきた条項であった。そして、そのような米国の要求を受け入れざるを得なかった事を「汗顔のいたり」と考えた外務官僚が、その「悔恨」を背景に、岸政権下の安保条約改定交渉において削除を申し入れたところ、再び拒否されたといういわくつきの条項であった。
  豊下は次のように解説する。
「日米安保条約が国連憲章の目的と原則を再確認しその遵守を謳っている以上、米軍の行動には憲章51条の規定に従い『武力攻撃の発生』という縛りをかけることが必要不可欠であった。ところが譲歩の結果この縛りを欠くことになったため、またしても国連憲章を無視した米国の「一方的行動」を想定した条約となってしまった・・」

  賢明な読者は、私が豊下の著書の書評を借りて何が言いたいか、もうおわかりだろう。日米安保体制というものは、そもそもそれが成立した時点から改定される時に至るまで、一貫して日米の立場の違いのせめぎあいであり、そして最後は日本側が米国の要求に譲歩する、その産物であったということだ。
  そして私が強調したい事は次の一点である。それから半世紀がたって、今米国は米軍再編と言う名の全く新しい日米軍事関係を求めるようになった。その新しい同盟関係のためには、本来ならばあらたな条約交渉が必要である。ところが、いつしか日米関係は、米国はもはや日本側との交渉すら必要としていないほど支配的になり、その日本は交渉する気迫をとうに失い、いかにして国民を欺いて米国の要求を丸呑みするかに腐心する情けない国になってしまった。その二つの国の不均等な関係こそ今の日米同盟関係なのだ。
  そんな日本政府にとって、真実を指摘する豊下の新著は、百害あって一利なしということであろう。


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2007年08月31日

米国とイスラエル

米国とイスラエル

  久しぶりに一気に通読した。たまたま本屋で見かけて購入したジェームズ・ペトラスの手による「アメリカのイスラエルパワー」(高尾菜つこ 訳、三交社)という本である。米国とイスラエルの関係を教えてくれる文献はあまたある。しかし「アメリカの中東戦略のすべては、イスラエルの植民地拡大と覇権のために決定されている」と言い切るペトラス教授のこの本は、私が眼にしたどのシオニスト批判の書よりも本質に迫っている。
  ペトラスは言う。米国がイラク戦争を始めたのは決して石油の為ではない。イスラエルの安全保障のためだと。
  ペトラスは言う。米国は共和党(右)と民主党(左)とを問わず、すべての政治家はイスラエルの国益と一体であると。
  ペトラスは言う。シオニストに不利な情報は一切押さえ込まれ、有利な情報だけが誇張して報じられると。
  ペトラスは言う。米国の外交政策を声高に非難するチョムスキーでさえも、ユダヤロビーの影響については認めようとしないと。
  ペトラスは言う。ユダヤロビーの影響力によって、やがて世界は、イスラエルの残虐行為に対する抗議や、ユダヤロビーに対する一切の批判を、「憎悪犯罪」として処罰するようになるだろうと。
  ペトラスは言う。シオニストの完全な影響下にある米国の中東政策は、スパイ、拷問、暗殺、大量殺戮と、行き着くところまで行きつつあると。
  ペトラスは言う。イスラエルはパレスチナとの平和などまったく念頭にない。あるのはパレスチナ人のアパルトヘイト化(人権を剥奪した上での隔離)であると。
  ペトラスは言う。中東でのあらゆる戦争は、すべてイスラエルによって、年月をかけて、周到に計画されているものであると。
  ペトラスは言う。米国大統領や英国首相をはじめとする人道犯罪を犯した指導者に正義が行われない限り、平和と和解は実現されないと。
  そしてペトラスは最後にこう結ぶのである。
  「・・・我々には世界中に多くの同盟者がいる。米国民の懸念が深まっている今、我々の思想や疑問は共感を呼ぶはずだ。その第一歩を踏み出して、我々の国や政治、そして心を、植民地から解放しよう。そして植民地主義や新帝国主義のしがらみのない、民主的な共和国を再建しようではないか!」と。

 私はペトラス以上にシオニストに批判的だ。私はペトラスの最後の言葉ほど楽観的になれない。それでもこれだけは断言できる。日米軍事同盟重視を叫ぶ日本の政治家は、イスラエルと言う国を直視しなくてはならない。イスラエルと米国の結びつきを忘れてはならない。これが外交官生活の最後にレバノンに勤務した私がたどり着いた結論である。

 そして今日(8月31日)もまた、日常茶飯事のように、次のような記事が外報面に小さく報じられている。
 「・・・パレスチナ自治区ガザで29日、子供三人がイスラエル軍の攻撃により死亡した。イスラエル軍からの砲撃の破片で死亡したと見られている。イスラエル軍報道官は過激派が子供たちをロケット弾発砲装置などの回収に使っていると非難した・・・」
  

  
 

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2007年08月30日

外務省が公表した外交文書

外務省が公表した外交文書

 30日付で外務省が外交文書を公表した。20回目だと言う。最初に公開したのは76年だが、やはり何と言っても情報公開法(行政機関の保有する情報の公開に関する法律)が施行された2001年から、外交文書の公開が外務省にとって俄然重要な問題となった。
 今日のブログはこの問題について書く。もっともその内容は、今回公表された外交文書の持つ歴史的意味ではない。それについては今後多くの識者が読み解いていくことであろう。30日の各紙にもいくつかの興味ある解説記事が載っている。しかし所詮外務省が公表する外交文書であるから、ろくなものはない。
 私がこのブログで書きたい事は、外務省による情報公開の迷走振りである。外務省の内部からそれを見てきた者としてあらためてそう思う。当時の状況を体験的に振り返ってみたい。それがこのブログの目的だ。
 情報公開法が出来るという1990年代末の外務省の狼狽振りは相当なものであった。どうやって外交文書の公開に対応するかが連日議論されていた。そのために特別の部局が作られ、担当官までも選定された。
 問題はこの外交文書の情報公開という重要かつ困難な問題に取り組む態勢が弱体であったということだ。外交文書のすべてに目を通し、どこまでを公開するかの判断は、極めて高度な作業である。それを出来る者は最も外交を熟知し、どこまで公表すればよいかギリギリの判断をする優秀な職員でなければならない。極端に言えば、外務省の叡智を結集して取り組まなければならない一大作業なのである。
  ところが実際がそれを担当する部局も、担当させられる職員も、三流であったということである。外務省の愚かなところは、本来重視しなければならない総務的なところに三流職員を配置し、偉くなりたい一心の自称エリートが、われ先に脚光を浴びる外交の最先端に群がるということである。そもそもそのような外交の第一線の仕事は、誰がやっても大差はない。今日の外交に個人的スタンドプレーは必要ではないし、むしろ有害なのだ。
  重要な事は、目立たないが、的確な判断を必要とする内部の仕事なのである。情報公開法の施行に際して、外務省としてどう対応すべきかという問題こそまさにそのような重要問題であった。
  ところがそれが軽視された。公開さるべき情報の判断をする立場のポストに、判断のできない人間が配置された。面倒くさいからすべて非公開にしろとなる。あるいは判断できなければすべて焼却しろという事になる。まさにこの事が行われてきたのだ。情報公開法ができたら面倒な事になるから少なくともファイルのシステムを整えろと、金をかけて新しいファイルを導入したり、機密度のランキングを、極秘、秘、取り扱い注意、などと詳細に定めたり、保存期間を5年、10年、永久保存などとマニュアルを作って見たりしたが、肝心の判断を誰もしなかった。今から思えば驚くべき迷走振りである。
  その迷走ぶりは今もまったく変わっていない。改善する気も、能力もないのだから、改善されるはずがない。今回公表された文書が、米国や韓国などの関連諸国の情報公開にくらべてあまりにも内容が乏しいといって報道機関にねじ込まれ、一ヵ月後に再度追加公表する事になったという。一ヶ月間関係職員は大変な作業を強いられることだろう。しかもそれをやらされるのは三流職員だ。一流職員は安倍政権の浮上の為に外交を捏造することにおおわらわだ。外務省がまともな外交が出来ない最大の理由がそこにある。
 
 

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2007年08月30日

国会議員になりたがる理由がわかる

国会議員になりたがる理由がわかる

  これには驚いた。7月29日に当選した参議院議員がわずか3日間で7月分の給与全額を受け取っていたというのだ。29日は日曜日だから実働日は2日間だ。もっとも実働と言っても、選挙直後の国会議員にどんな実働があるというのか。横峯良夫などは娘の全英オープンに同行しキャディーをしていた。これが全国に放映されていた。
 月額130万円あまりの給与(歳費)はおろか月額100万円の「文書交通費」と称する使い放題の手当てまでフル支給されていたのだ。いうまでもなく、これらの金はすべて我々の税金だ。8月30日の夕刊紙日刊ゲンダイの大スクープである。
  民間会社は勿論、公務員でさえあらゆる手当ては日割り計算だ。参議院事務局の答えがふるっている。「法律で『議員は、その任期が開始する当月分から歳費をうける』と定められているから、従うしかない。おかしいなら議員が法律を変えれば済む話です」と言う。
  いいだろう。そんな不当な法律は即刻改めればいい。おりしもネットカフェー難民が報じられたばかりだ。経済格差がどんどん広がっている時だ。国会議員は自らを恥じて自発的に法律を変えるべきだ。それが出来ないようなら国会議員はいかさま連中が目指す究極の特権階級ということだ。
  せめて庶民の党である共産党や社民党の党首は、率先して行動を起こすときだ。なんとか言ってくれ。それが出来ないようでは野党もグルだ。横峯良夫が口を滑らせたように、「これで6年間の生活が保障された」と思っているのではないか。明るみに出た以上、この法律は変えざるを得ない。それでも国会議員の中から変更の要請が出てこないようでは、国会議員はすべてふとどき者の集まりだという事である。


 

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2007年08月29日

言いたい事を言ってみる

言いたい事を言ってみる

  好き勝手な事を書いている私のブログではあるが、それでも多少は知恵を絞って書いている。考えて書いている。自制して書いているのだ。
  例えば、知識や根拠の裏づけもないままやたらに自分の意見や感情を書きまくるブログがある。そんなブログにはしたくないと思って書いている。自分の得た知識や情報を読者と共有する、読んで少しは為になるブログであるべく心がけている。もっとも、その目的が達成されているかどうかは読者が判断することであるが。
  もう一つ、必ずしも自分の本心を100%吐露していないのだ。つまり読者に媚び、脚色しているところがあるのだ。人に見られないはずの日記を書く時でも、何故か人は自分を偽って書くという。しかし、そういう事でもない。読者からの激しい反発を受ける事が面倒なのだ。支持者を失う事へのためらいがあるのだ。
 更にもう一つ、自分の専門でもない事柄に大上段から意見を述べる事をためらうのだ。かつて私はこのブログで、昨今の一億総評論家ぶりを批判した事がある。すなわち門外漢のタレントや著名人が、政治・外交から社会問題、芸能問題にわたって、大きな顔で評論する風潮を批判した。そう批判した以上、同様の事をしたくない。
 少し前の記事になるが、8月22日の朝日新聞「経済気象台」というコラムに、「専門家は専門を語れ」という見出しで、政界、官界、財界の要人が、自分の専門を離れたあらゆる問題に大きな顔をして評論している事を嘆いている記事があった。「今の日本はアマチュアの発言で充満している。不足しているのは専門家による専門家らしい情報発信である」と書いている。それを裏返して言えば、私のいう一億総評論家批判という事である。テレビのワイドショーなどで毎日同じような顔ぶれのコメンテイターが、井戸端会議の域を出ないよもやま話にうつつを抜かし、そんな番組を掛け持ちして高収入を得ている。そんな連中がまじめな顔をして格差社会を批判したりする。
  と、まあ、建前を述べた後で、それでも、一億総評論家になって門外漢のコメントをしたくなる事がある。前置きと釈明が長くなったが、今日のブログでは日ごろの怒りをストレートにぶつけてみる。
  最近のニュースで何が滑稽かと言って、横峯良夫の釈明会見ほど笑わせてくれた事はなかった。めでたく国会議員になったばかりだ。ここでやめるわけにはいかないと開き直ったのだろう。あるいは、「よくもあんな人物を担ぎ出したものだ」と非難の矛先が来る前に、「記者会見をして報道はデマだと言え」と民主党から圧力がかかったのか。いずれにしても滑稽な記者会見だ。
  それにしても醜聞まみれだ。愛人を持つことはモラルの問題だ。賭けゴルフはれっきとした犯罪だ。しかしそんな事よりも、「参議院になったら6年間もの間2千万円以上の歳費がもらえる、これはおいしい」と愛人に嘯いていたと言う。これが大半の参議院議員の本音であるとしても、それを口に出したらおしまいだ。納税者にとっては許しがたい発言だ。民主党との政権争奪戦に突入した自民党は、横峯問題を徹底的に追及しろ。真相を突き止め議員辞職に追い込むべきだ。
  もう一つ、携帯電話の裏サイトで集まった見ず知らずの男たちが、まったく関係のない若い女性を、金目当てだけの理由で殺す、この異常さ、卑劣さを思う時、私の怒りは頂点に達する。小泉、安倍政権に対する怒りの比ではない。さすがに29日の各紙の社説は一斉にこの事件を取り上げていた。しかし評論する暇があれば犯人を市中引き回しの上、打ち首、獄門にせよ。かつて同様の発言をして顰蹙をかった政治家がいたが、私はかまわない。鬼畜にも劣るこのような犯罪人に対しても「死刑反対」と叫ぶ弁護士や人権論者には、私はどうしても賛同できない。かつて桶川事件という殺人事件があった時もそうだった。同様な残虐事件が最近とみに増えてきた。抵抗できない弱者をここまで残酷に殺すような人間を私は許せない。
  最後に朝青龍問題である。これほど馬鹿らしい問題はない。それを29日のNHKがトップで報じるのである。モンゴル帰国が許されたと。そもそもこの問題は単純明快である。仮病を使って巡業をサボったかどうかである。それを判定するのは容易な事だ。仮病であれば相撲協会の規則に従ってしかるべき罰則を科す。ただそれだけの事である。何故そんな簡単な事が出来ないのか。やれ「まいっている」、「やれモンゴルでの治療が必要だ」などと、ピントはずれに大騒ぎしている。日本を離れた飛行機の中で、朝青龍は早速酒をくらって日本の悪口を叫んでいることだろう。稽古で弱いものいじめをして怪我をさるような朝青龍は、その時点でとっくに横綱失格だ。もう十分稼いだ。とっとと消えうせろ。ただそれだけだ。

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2007年08月29日

テロ特措法延長問題と世論

テロ特措法延長問題と世論

 新内閣評価の世論調査を報ずる29日の各紙の中で、いくつかの新聞がテロ特措法延長の是非についての世論調査結果を掲載していた。たとえば朝日新聞は延長に賛成が35%に対して反対が53%、日経新聞では賛成が30%に対して反対が53%となっている。
 世論調査の数字がどの程度信頼できるかという問題はある。またこの種の世論調査はこれからも頻繁に行われ、情勢の推移によってその数字も変化していくに違いない。しかし少なくとも現時点の国民の考えをうかがい知る上で興味深い。
 この世論調査をみていくつかの論点を提起したい。読者がテロ特措法延長問題を考えていく上での参考にしてもらいたいからだ。
 まず指摘したい事は、思った以上に国民はテロ特措法延長に反対しているということである。私の記憶が正しければ、以前の国民の反応は、賛成、反対がもう少し拮抗していたような気がする。しかし今回の数字はかなり明確に反対の意見が示された。私は日本外交が対米従属から抜け出す事のできる唯一の条件は、国民が覚醒することしかないと思っている。つまり米国によって支援され、それゆえに米国からの命令を拒否できない日本の歴代の指導者といえども、国民の反対を押し切って対米従属外交を永遠に続ける訳にはいかないのだ。いくら米国に支持されても、いやそれ故に、国民の反発が強まって、親米、傀儡政権が倒れた例は世界中で枚挙にいとまがない。日本だけが例外であるはずはない。米国もそれを知っている。だからこそ米国はその国の世論を重視し、世論工作さえするのだ。その意味で今回の世論調査は米国も注目しているに違いない。
  当然ながらこの世論調査結果は与党と野党、とりわけ自民党と民主党の対応に影響を与えざるを得ない。ただでさえ国民の支持を失っている自民党は、世論に右顧左眄し、修正協議を含め一層の譲歩を行う姿勢を見せるであろう。他方、政権取りを目前にしている民主党は、ここで国民の支持を失ったら取り返しがつかないとばかり、これまた世論に迎合して強硬姿勢を示サざるを得ない。劇場型政治の格好のテーマだ。テレビも芸能ニュースなみにこの問題を取り上げることだろう。
  しかし問題はその先である。仮にテロ特措法延長反対がめでたく達成されたとしよう。それがそのまま日米関係の健全化につながっていくのか。もちろん日米関係の健全化とは、見せかけの自主外交の達成ということではなく、戦争国家米国との軍事同盟関係を断ち切り、米軍基地をこの日本から撤廃し、憲法9条に謳う平和外交を、近隣アジア諸国はもとより世界の国々と行う、そのような自主的な安全保障政策を打ち立てる事である。米国の戦争政策とは一線を画した日本の自主的な安全保障政策を打ち立てた上で、なおかつ良好な日米関係を確立するという事である。
  私が繰り返しこのブログで書いているように、中途半端な形でのテロ特措法延長反対は、反米感情を抱く一部の左翼や右翼の国民の溜飲を下げさせる事は出来ても、決して上記のごとき日米関係の構築につながらないという事である。非難さるべきは、不当な要求を日本に押し付ける米国ではない。どの国も自らの国益を相手に飲ませようとすることは当然である。非難さるべきは、一般国民の犠牲の下に、自己保身のために不当な米国の要求を丸呑みし続けてきた、この国の支配者層のなのである。その売国奴的対応なのである。
  その観点から言えば、今度の世論調査結果の内容と、それに対応する民主党の動きから目が離せない。
  まず世論調査であるが、延長に賛成とか反対とか言ったところで、その理由まで聞いて見ないとあてにならないということである。すなわち米国のテロとの戦いは間違いで、それに加担するテロ特措法は認められないという明確な考えを持って国民の5割以上が延長に反対しているのなら本物である。しかし、ただ単に米国の言いなりになるのはおかしいとか、テロとの戦いに協力するのは正しいが日本の協力は別の方法があるとか、自衛隊が犠牲になるのは反対だ、と言ったような理由であれば、健全な日米関係の構築という一大事業に進む事はおぼつかない。そもそも日本政府はこれまでテロ特措法の趣旨やそれに基づいた補給活動の実態などをことごとく国民に隠蔽してきた。そのような状況の中で、世論がどこまで正しい判断ができるというのか。
  世論がいかなる理由で延長に反対しているかという事は、同時にまた民主党がどのような理由で延長に反対しているか、今後も反対を続けていくか、という事に直接に関係する。今度の世論調査の結果、民主党の強硬姿勢は助長されるであろう。前原らに代表される親米保守の民主党の連中はしばらくは沈黙せざるをえないだろう。しかし小沢発言直後には修正に応じるがごとき柔軟な発言をしていた鳩山や菅らが、ここへきて「民主党が分かっていない」とか「延長拒否にいささかの変化もない」などと強硬な発言に転じたところに、民主党のうそ臭さを感じる。底の浅さを感じる。
  あくまでも反対の姿勢を貫くというその言やよし。それでは一切の代替案を拒否するのか。そもそもテロとの戦いへの協力が間違いであった、それに協力した小泉、安倍政権は間違いであった、だからアフガンにもイラクにも民主党は一切関与しない、そう米国に明言できるか。
  それとも、そこのところを曖昧にしたまま、アフガンとイラクは違う、国連決議がないからだめなのだ、テロとの戦いへの国際協力には積極的に協力する、日本は貧困撲滅への人道援助、資金協力を重視する、などと言った代替案を引っさげて米国や自民党と調整しようとしているのか。これを公開して行うのか裏で手打ちをするのか。小沢の了解の下で、表で小沢が強硬姿勢を繰り返し裏で小沢の代理が動くのか。これらの対応次第で小沢民主党への国民の評価も変わってくる。そして、その時に言う国民と言っても様々な層の国民、世論がある事を忘れてはならない。民主党はどの国民に顔を向けているのかと言う事なのだ。
  テロ特措法を政権交代の政争の具として利用しているに過ぎないと、世論やメディアに見透かされるようでは民主党は苦しい。実は追い込まれているのは自民党ではなく民主党なのだ。私が小沢代表に助言するとすればどう言うかは既に前のブログで書いた。もし私が自民党の参謀であれば、「なんでも民主党の案を丸呑みするから、国民のために最善の案を早く提示してくれ」と迫れと助言する。どのような対案が出てきても難癖をつけて、すべての責任を民主党にかぶせるような策略を考えろと助言する。米国はそのような自民党を助けるであろう。
  政権交代をめぐる最後の政局劇は、テロ特措法延長に関する小沢発言をめぐって、当事者の手を離れてどんどんと進展、変化していく気がしてきた。果たして小沢はそこまでを見通して最初の発言をしたのだろうか。もしそうであれば私が出る幕はない。そうでなければ、これからの2ヶ月は、近来まれに見る興味深い展開になるということだ。

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2007年08月27日

テロ特措法延長問題の行方ー読者からの反応に答えたい

 テロ特措法延長問題の行方―読者からの反応に答えたい

 テロ特措法延長問題については、既に繰返して述べているように、このブログでこれからも折に触れて書いていく。様々な状況の変化によりこの論点はどんどんと動いていくであろう。政局と絡んで問題の焦点も多様化して行くことすらありうる。だから最後の落としどころが決まるまで書き続けていく。目が離せない大きな問題だ。
 今日のブログでは、23日のブログで書いた「小沢代表に対する私の助言」について、あらためて私の意図するところを書く。あのブログの趣旨を正しく理解してくれた読者が多かった反面、何人かの読者から「あの助言には賛成できない」という意見が寄せられた。私がテロ特措法延長を助言することは到底理解できないというのである。残念ながらそのような読者は日米関係に対する私の考えを正しく理解していない。
 冒頭で述べたように、私はテロ特措法には最初から反対である。だから延長も反対である。しかしより重要な事は、この問題をきっかけに、わが国の外交の基本政策が、国民の多数の理解と賛同を得て、日米軍事同盟一辺倒から、憲法9条を世界に向けて高らかに掲げた平和外交へと転換されていかなければいけない、それを夢物語ではなく現実のものにして行かないと日本の将来はない、という事である。米国が終わりのない「テロとの戦い」を唱えだした事は、健全な日米関係の構築にとって千載一遇のチャンスであり、このチャンスを生かすには周到な戦略が必要であるということである。
 その観点から見れば、小沢発言はいかにも唐突であり、また日米軍事同盟を自主・平和外交に大転換する覚悟が小沢代表にあるのかどうかも不明である。その事は日米同盟関係を重視してきたこれまでの小沢代表の言動から見るとなおさらである。更に言えば護憲政党の反応は鈍く、また一般国民の意見も分れている。
 そのような中で、小沢代表だけが突出してテロ延長特措法反対を叫び続ける事は、この重要な国家の大事が政治がらみで不当に矮小化、疎外かされ、結果として、本来目指すべきところの健全な日米関係の構築が遠のく危険がある。それを危惧するのである。
 イラク特措法の延長は無理をして小沢代表が拒否しなくてもよい。国際情勢はまもなく米国の失敗を決定づけることになる。そしてその米国に追随し、憲法を踏みにじった小泉前首相、安倍現首相の誤りを白日の下に晒すことになる。国民を目覚めさせるには、もはやそこまではっきりと事態を進展させなくては駄目なのである。
  もう一つは米国を甘く見てはいけないと言うことだ。米国は不当な要求をする国だ。正論を唱えてもそれが自らの利益に反するならば受けつけない。一時的にせよ対日関係は悪化する。米国との関係から利益を得ている国民は一時的にせよ不利益を受ける事になる。そこで腰砕けになるようでは対日従属関係はよりひどくなる。固定化するおそれさえあるのだ。それだけは避けなければならない。
 確かに今のブッシュ政権は追い込まれている。しかし米国の政権が共和党から民主党に変われば米国の対日政策が変わると考える事は間違いだ。米国はテロとの戦いについては一致している。イラク戦争の評価を一変するかと言えば決してそうではない。ましてや日米軍事同盟の名の下に日本を従属させ続ける事が米国の国益であると考える点では同じである。だから日本の政治が対米自立に向かう事を決して容認しないであろう。
 その米国が唯一恐れるのは日本国民の覚醒である。自立である。米国はあらゆる手を使って日本国民を眠ったままに置こうとするであろう。日米軍事同盟が日本にとっても利益があると言い続けるだろう。果たして国民は自らの判断でこの呪縛から解放されるであろうか。今はまだその期が熟してはいない。言い換えればテロ特措法の延長問題は、本当は自民党と民主党の政権をかけた政争の問題ではなく、米国と日本国民が日米関係の将来について真剣に向かい合う形で解決されなければならない我々国民の問題なのである。そしてその時期はいまだ熟していない。
 もっとも、寄せられたいくつかの指摘については私もそれを受け入れる。たとえばイラク特措法の延長を認めたからといって、それで米国に恩を売ることにはならないという指摘があった。たしかにその通りだ。米国はそれを当然視するであろうし、たとえ延長が米国にとってありがたい事であったとしても、米国はそれに恩義を感じて見返りをくれるような国ではない。
 また、小沢民主党はあくまでも延長を拒否すればいい。対米配慮を最優先する自公政権に衆議院での三分の二の多数決による再決議をさせればいいのだ。という意見があった。それが確実に見通せるのであれば、それも一つの選択である思う。延長の責任を自公に押し付けるという意味でより戦略的であるかもしれない。
 しかし、そのような指摘はこの問題の本質論ではない。戦後62年間絶対的であった日米軍事同盟関係を、どうしたら変えられるのか。基地なき日本を実現できるのか。その一里塚としてこのテロ特措法延長問題を捉えなければならないのだ。それは憲法9条を守ると言うことよりもはるかに難しいことである。たとえ憲法9条が国民の手で維持されたところで、米軍再編に協力する形で日米同盟関係が維持、拡大されていけば、守られた憲法9条は更に空洞化する。
 一方的に反米を唱える事は容易である。憲法9条を守るだけが目的であればやり方もある。しかし、日米軍事同盟関係を本気で解消出来なければ何も変わらない。そしてその事は戦後最大の課題であるのだ。少なくともこれまでの指導者でこの問題に本気で取り組んだ者はいない。
 果たして小沢代表はそこまでの覚悟があるのか。そこまで小沢代表が考えているのであれば、私はその小沢代表を応援したい。その為の助言である。イラク特措法延長問題は、あくまでも一里塚である。しかし小沢代表の覚悟を見極める重要な一里塚なのである。
 

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2007年08月26日

荒畑寒村の言葉

 荒畑寒村の言葉

 よく言えば感性とか直感という事だが、悪く言えば単なる勝手な思い込みである。大学で国際政治の授業を取った時、私はなぜかもっともらしい事ばかり喋る現実主義者の高坂正尭よりも、ロシア政治思想史を教えながら保守的なことばかり喋っていた勝田吉太郎の授業を好んだ。もっとも不勉強な私は勝田の著作さえまともに読了することなく、ドストエフスキーとトクビルの事ばかり一人ごちていた勝田の記憶しかない。
 その勝田の言葉で今でも時々思い出すのが、荒畑寒村が好んで使ったという「師を持たず、弟子を持たず」という言葉である。この言葉に荒畑のひととなりを見る思いがするのだ。日本の社会主義、共産主義の草分けであるにもかかわらず、常に脇役の人生を送り、政治活動家というよりも作家的な荒畑寒村は、永井荷風と並んで、私が惹かれる想像上(つまり会った事のない)の老人である。
 その荒畑寒村のあらたな言葉を見つけてどうしてもブログに書きたくなった。25日の日経新聞に瀬戸内寂聴の「奇縁まんだら」という連載記事の34回に荒畑寒村のことが書かれていた。瀬戸内が荒畑寒村に初めて会った時は1968年、瀬戸内45歳、荒畑80歳の時であるという。その時の印象を瀬戸内は次のように書いている。
「・・・80歳とは見えない美男子で、細身に上質の紬の対の和服がよく似合い、何となく粋で、革命家というより、詩人という風情があった・・・正確な記憶力で、矢継ぎ早に話してくれる。声が明晰なのと、話術が噺家並みなので、ひたすら聞き惚れているばかりであった・・・ちょっと声がとぎれた時、やっと私が質問した。
『今、先生が一番望んでいらっしゃることは何でございますか』
今までと違う一段低い沈痛な声がかえってきた。
『もう一日も早く死にたいですよ。ソ連はチェコに侵攻する。中国はあんなふうだし、日本の社会党ときたらあのざまだし、一体自分が生涯をかけてやってきたことは何になったのかと、絶望的です。人間というやつはどうも、しようのないもんですね。この世はもうたくさんだ・・・』
いかにも荒畑寒村らしい言葉だ。今の護憲政党の衰退ぶりを見たら荒畑はなんと思っているとだろうかと重ね合わせてこの言葉を読んだ。もっとも荒畑が亡くなったのは1981年であるからそれから十年以上も生きたことになる。これもまた荒畑らしい。
 ところでこのブログを書くにあたって荒畑寒村の略歴を確かめようとウキペディアで調べているうちに、松岡正剛という著述家、編集者の存在を知った。これが凄い知識人なのだ。2000年2月の中谷宇吉郎の「雪」から始まり、2004年7月の良寛の「良寛全集」で終わる千冊の書評集「千夜千冊」はジャンルを超えた膨大な知識に裏打ちされた著作であり、熱心な読者の間で静かな反響を呼んだという。「荒畑寒村自伝」の書評もその中の一つとして収められている。
 それにしても世の中には多くの敬意を表したくなるような知識人がいるものだ。毎日、毎日、つまらない政治的なものに関わって限られた時間とエネルギーを費消することは、ひょっとして大変な時間の損失なのかもしれない。最近そういう気がしてならない。

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2007年08月26日

見逃される政治家の犯罪

 見逃される政治家の犯罪

 内閣改造や政権交替の話ばかりが騒がれる陰で、昨今の政治資金規正法がらみの政治家の犯罪的醜聞が放置され続けるている。
 この問題を考える時にいくつかの重要なポイントがある。
一つは、事務所費経費のごまかしで明らかなように、政治資金なるものの流用が長年にわたって公然と行われてきたことである。すでに多くの議員がうそぶいているように、殆どすべての議員がなんらかの不正処理を行っているに違いない。だから野党が追求しようとしても、逆襲されて腰砕けになる。
二つは、訂正し、責任を感じていると言って頭を下げる、それで免罪されるケースがあまりにも多いといういい加減さだ。しかも不正をした議員に対する政治的対応やメディアの追及におびただしい不公正が存することである。一罰百戒とか、トカゲの尻尾切りとか、武士の情けとか、様々な言葉が使われるが、弱い政治家が叩かれる一方で、内閣が吹っ飛ぶような大物政治家の不正が、いつもうやむやにされる。そこに政治的な作為が明らかに存する。
三つは、我々国民の無力ぶりである。いくらこれらの不正、不平等に怒ったところで、残念ながら我々は直接的には何も出来ない。せいぜい選挙で意思表示をする程度だが、選挙に大敗した安倍政権の居直りがここまで放置されるのだからどうしようもない。政党政治が国民のために機能しない限り政治の不正は放置され続けることになるのだ。
  それにしても、8月25日の朝日新聞社会面を見て、改めて腹立たしい思いを禁じえなかった。同じ紙面に長勢甚遠(自民)、玄葉光一郎(民主)、横嶺良郎(民主)の三つの醜聞がそろって掲載されていた。長勢の場合は関係NPO法人からの資金受領であり、玄葉の場合は談合関与の業者からのパーテー券購入であり、横嶺の場合は賭けゴルフの前科である。報道されているのが事実であればいずれも看過できない政治家の違法行為だ。
  横嶺の醜聞について彼を公認した民主党はどうとるつもりなのか、個人的に興味がある。というのも私には、三年前の参議院選挙の時、菅直人党首(当時)から立候補の誘いを受けたにもかかわらず、年金問題で菅が党首を辞めて岡田党首になったとたん、若手保守議員からの猛烈な反対にあって、あげくの果てに、「あなたが立候補すれば醜聞を暴かれる。民主党に傷がつくから公認することはできない」と面と向かって断られた不快な経験があるからだ。勿論私にはまったく身に覚えのない話だ。どんな醜聞なのかと聞いても答えてくれなかった。私を絶対に政治家にさせたくない外務省と民主党議員の一部が図った工作に違いない。私の醜聞の噂は今でも民主党内で流布されている事を私は最近確認した。今の民主党が私を公認することはなく、私が決して民主党の公認を求めようとしない理由がここにある。
  こころざしや政策だけで政治家になる事は出来ない。驚くほど卑劣で次元の低い世界だ。それでも政治家になりたい者が多いのは何故か。この答えの中に日本の政治の将来がかかっている。 

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2007年08月24日

地に落ちたブッシュの米国

 地に落ちたブッシュの米国

 ブッシュ大統領が22日にカンサスシティーで行った演説が、今日(24日)の各紙に一斉に報じられている。朝日の記事が一番詳しい。原文を確認していないが朝日の要訳を見る限り相当なものだ。

 「・・・ある晴れた朝、何千人もの米国人が奇襲で殺され、世界規模の戦争へと駆り立てられた。その敵は自由を嫌い、米国や西欧諸国への怒りを心に抱き、大量殺人を生み出す自爆攻撃に走った。
    アルカイダや9・11テロではない。パールハーバーを攻撃した1940年代の大日本帝国の軍隊の話だ・・・」

  この言葉から始まる日本への言及部分は、粗雑かつ一方的な歴史観に基づいた物言いである。いくら退役軍人を前にした演説であるといっても、世界が聞いている。
  ブッシュはこれまでにも、イラク戦争をはじめとした「民主化のための戦い」に米国は必ず勝利すると繰り返し強調してきた。そしてその際に必ず「かつての敵国日本が今では米国の同盟国となった」と付け加えていた。しかし今回の日本への言及は、日本の軍国主義をイスラム過激派と同列に置いている点で、はるかに刺激的だ。
  もっとも、ブッシュを「正しい」と言ってイラク戦争に加担した盟友小泉前首相は、「米国が日本を軍国主義から解放してくれた」と感謝の発言をした。それを許した日本国民であるから、このブッシュの演説も驚くには及ばないという事かもしれない。
  私が「ブッシュの米国は地に落ちた」と思ったのは、このブッシュ演説を知ったからではない。同じ日の24日の毎日新聞に、政府批判の抗議行動を行う市民を取り締まる機密マニュアルをホワイトハウスが作成していたと言う記事があった。22日の米紙ワシントンポストに掲載された記事を毎日新聞の記者が注目して記事にしたのだ。
  記事の要旨は次の通りである。すなわち04年7月に「ブッシュを憎悪する」と書かれたTシャツを着て逮捕された男女が国家賠償の訴訟を起こしていたのだが、その訴訟の過程で、ホワイトハウス側が機密文書である「大統領事前マニュアル」を裁判に提出した。その結果明るみになった。
  マニュアルによると、
 ①現場で大統領支持者のボランテア組織(抗議対策部隊)をつくり、抗議活動を起こしそうな市民をチェックする。
  ②会場をくまなく「散策」し、横断幕などを持っていないか、大統領批判のTシャツを着ていないかなど、報告する。
  ③抗議活動があった場合、メディア席と抗議団体の間に割って入り、報道陣から見えなくさせる
  ④(抗議団体から)不満の声があがった時は、『USA!USA!』と叫びメディアのマイクに抗議の声が拾われないようかき消す。
  ⑤最終手段として警備員が排除する。

  9・11以降の米国は確かに民主主義を放棄した。盗聴有り、拷問有り、逮捕状なき拘束ありと何でもありだ。そしてこのマニュアルである。驚いたのはこのマニュアルをつくるきっかけになったのが、「抗議の横断幕など見たくない」と叫んだブッシュの一言だったという。ブッシュの米国は確かに地に落ちた。日本と言う国がその米国に続かない事を願うばかりである。

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2007年08月23日

小沢民主党代表への助言ーテロ特措法延長問題

小沢民主党代表への助言―テロ特措法延長問題

  テロ特措法延長問題は間違いなく9月から始まる臨時国会の焦点になる。どのような展開になるのかとメディアから聞かれる事も増えた。私は勿論小沢民主党代表ではない。小沢代表の考えを知っている訳でもない。しかし私が小沢代表に助言できる立場にあるならば、なんとか次のように伝えたいと思う。これが今日のブログである。
  断っておくが私は米国の言う「テロとの戦い」を認めない。だから、米国の「テロとの戦い」に日本が協力する事には一貫して反対だ。テロ特措法はもとよりイラク特措法についても誤りであると考える。だからいかなる延長にも反対だ。更にいえば、米国が終わりのない「テロとの戦い」という誤りにのめりこんだこの機会を絶好のチャンスととらえ、米国との同盟関係を根本的に見直すべきであるとさえ考える。
  だから私は、小沢民主党代表が「米国が勝手に始めた戦争を支持するわけには行かない」と、テロ特措法延長に反対する考えを示した事を評価している。
  しかしである。私は小沢民主党がこのタイミングでテロ特措法延長反対にこだわる事は得策ではないと考えるのだ。テロ特措法が延長されなければ、今のブッシュ政権にとって大きな打撃となる。だからこそブッシュ大統領の盟友であるシーファー大使が血相を変えて小沢代表に再考を促したのだ。それにも関わらず延長を認めないならば、米国との関係を悪化させるリスクを負う。日米同盟関係を見直すという覚悟がなければならない程の一大事なのである。しかし今の政治状況は共産党や社民党でさえ本気になって米国との関係を見直す覚悟はない。ましてや自民党や外務省は日米同盟こそすべてであるという立場をとっている。一般国民もまた漠然と米国との関係悪化は得策ではないと思っている。そのような状況下にあって、小沢代表の手によってテロ特措法延長が阻まれる事だけは避けたほうがいい。
  ブッシュ政権はアフガンやイラクにおける「テロとの戦い」に失敗し追い込まれている。だからこそ最後の掃討作戦を仕掛け、一時的にせよ治安状況を改善させて、名誉ある撤兵を図ろうと必死である。そのような苦しい立場に追い込まれた米国を前に、アフガン作戦への支援を打ち切るとなると、ブッシュ政権は怒り狂うに違いない。どのような正論を吐いたところで今のブッシュ政権は聞く耳を持たない。米国は小沢代表を非難するだろう。日米関係は一時的にせよ悪化する。政府や官僚は、そして多くの一般国民は、やっぱり「良好な日米関係は重要だ」と言い出して、批判の矛先を一斉に小沢代表に向ける事になる。小沢代表を攻撃したい自民党は、ここぞとばかりに小沢代表を非難する。「だから民主党には政権を任すことは出来ない」と反転攻勢に打って出るだろう。民主党の前原グループも反小沢の動きを先鋭化するだろう。
  このような中にあって、本来ならばテロ特措法延長反対を支持すべきはずの護憲政党も、小沢代表を援護しないだろう。もっとも今の共産党や社民党に援護されたところで小沢代表にとっては何の助けにもならない。大騒ぎの果てに、対米関係は今まで以上に従属的となる。もはや永久化されるおそれさえ出てくる。こうなれば日本の将来は最悪の状況になる。
  それでは小沢党首はどうすればいいのか。最善の落しどころは何か。それは勿体をつけてテロ特措法の延長を認めることである。小沢代表は既に「テロ特措法延長の参考になるなら、どんな機密情報でも提供する」という異例の言質をシーファー大使から勝ち取った。そもそも、間違った米国の戦争を支持し、それに協力するという愚を犯した責任は小泉、安倍自民党政権にあるのだ。もう少し経てばその間違いが確定する。ブッシュ大統領はまもなくその責任を取って退場していく。だから、「情報提供を受けて再検討した結果、今しばらく協力を継続する事にした」と勿体をつけて、米国に恩を売ったほうが、小沢民主党にとってはるかに得策なのである。米国には感謝される。自民党や外務省は対米配慮からテロ特措法を延長したいのだから文句はない。国民も安心する。小沢代表が最終的に延長を認めたからといって、一部の反米、左翼派は別として、一般国民からの強い反発を招く事にはならない。前原らの民主党内反小沢グループにつけ込まれる事もなくなる。どう考えても最善の落しどころなのである。
 ところが報道される小沢代表の発言にいささかの懸念を抱く。一つはあくまでもテロ特措法延長に反対の強硬発言を繰り返している事である。二つ目に、代替案として、小沢代表は「テロの根源である貧困に何らかの形で支援するてだてが出来ればいい」(22日日経新聞)として、ODAを活用したアフガン復興支援を考えている事である。しかし米国にとってこのような協力はテロ特措法の代替案には決してならない。見当違いの代替案なのだ。三番目に、小沢代表は国連決議を重視するあまり、国連決議で承認されている国際治安支援部隊への自衛隊派遣について積極的な姿勢を見せている(17日日経新聞)事である。しかしアフガンにおける国際治安支援部隊への参加は自衛隊員の犠牲を伴う危険な協力である。小泉、安倍両首相でさえ応じる事の出来なかった協力である。それを国連決議があるから協力すると言うのであれば、間違いなく小沢批判が起きる。
 果たして小沢民主党はどのような落しどころを考えているのであろうか。民主党内部の議論から目が離せない。

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2007年08月22日

「駆けつけ警護」発言を報じないメディアと野党の責任

「駆けつけ警護」発言を報じないメディアと野党の責任

 しばらくブログを書く事から遠ざかっていた。猛暑のせいでもあるまいが、新聞、週刊誌、雑誌の政治記事に面白いものがまったくない。あれほど大騒ぎをした年金問題もなんの解決策もないままもはや忘れ去られようとしている。参院選挙の自民党大敗も、安倍首相の居座りも、何事もないまま一ヶ月が経とうとしている。本来ならば緊迫した政治状況になるはずがこの弛緩はなんだ。27日以降は内閣改造でメディアは大騒ぎをするだろう。しかし騒ぐだけ無駄だ。誰が大臣になろうが何も変わらない。問題が山積しているというのに見るべき政策のないままに時が過ぎていく。それが許されているのだ。
 小泉前首相は、「誰が首相になってもこの国の首相はつとまる」という事を見事に証明してくれた。そして安倍首相は、「政府や内閣など不在でも日本はやっていける」事を目の前で証明しているのだ。
 そんな中で私が今注目している当面の問題が二つある。佐藤元自衛隊員の「駆けつけ警護」問題とテロ特措法延長問題の成り行きである。これには目が離せない。このうちテロ特措法の延長問題についてはこれまでも書いてきた。今後も折に触れて書いていく。
 だから今日のブログでは「駆けつけ警護」問題について書く。この問題は、これまでのところまったくと言っていいほどメディアが取り上げない。インターネットの世界では毎日のように大騒ぎになっているというのに、新聞やテレビはまるで発言そのものがなかったかのように無視し続けている。これは異常だ。あたかも一つの大きな意思が働いて黙殺しているかのようだ。このまま「駆けつけ発言」問題は終ってしまうのか。いや、断じてそうさせてはならない。そうは行かないだろう。
  事の発端は8月10日のJNNで、佐藤参議院議員(元陸上自衛隊サマワ派遣隊長)が、「駆けつけ警護」を行うつもりだった、法によって裁かれても覚悟のうえだった、と発言した事である。  
「駆けつけ警護」という聞きなれない言葉の意味するところは概ね次のごとくである。すなわち、今の憲法の解釈では集団的自衛権は認められていない。だから同盟国の軍隊が戦闘に巻き込まれても自衛隊は助けることが出来ない。しかし情報収集などの理由により現場に駆けつけて敵の攻撃に巻き込まれれば、憲法で容認されている個別的自衛権の発動という名目で応戦できる。だから「意図的に駆けつけて戦闘に巻き込まれる状況を自らつくりだし、敵の戦闘に参加する、そういう意味だ。
  佐藤発言は重大かつ深刻である。意図的な脱法行為であるというだけではない。違憲行為を承知の上で行おうとしていたのだ。その事が図らずも本人の口から発覚したのだ。佐藤はただの自衛官ではない。サマワへ派遣された初代の陸自隊長である。その隊長が「法に裁かれる事を覚悟して行うつもり」でサマワ派遣隊を率いていたのだ。
  佐藤の意図を政府や官僚が知らなかったのであれば、もちろんシビリアンコントロールの逸脱である。しかもその考えが佐藤個人の考えにとどまることなく幹部が了承した自衛隊制服組の組織的な考え方であったとすれば、これはシビリアンコントロールの逸脱を通り越して軍事クーデターである。ひょっとして政府、防衛省が知っていたのかもしれない。そうであれば国家が違憲行為を犯していたということだ。 
  何としてでも真相が追究されなければならない。メディアはその重大性を国民に知らせ、国民に問題意識を持たせなければならない。それがジャーナリズムの使命ではないのか。国会の場であらゆる審議をした上で真実が国民の前に情報開示されなければならない。佐藤議員の議員辞職などで終らせてはならないのだ。
  それにしても、何故新聞やテレビが取り上げようとしないのか。佐藤の失言を大げさにしたくない理由が政府、防衛省にあるに違いない。だからこそ権力に迎合してしまったメディアが政府を窮地に追い込む事をしないのだ。そう思っていたら、ついに21日の読売新聞が社説の中で「駆けつけ警護」を可能にすべきだと堂々と書くに至った。佐藤発言が問題になる前に、先手を打って佐藤発言の正当性をアピールしているのだ。しかも読売新聞の社説は、小沢民主党が国連平和維持活動への参加に前向きな発言をした事を逆手にとって、「ならば国際標準にあわせて任務遂行の為に武器使用を認めるべきだ、自衛隊の海外派遣に関する恒久法の整備が必要だ」などと悪乗りする始末である。
  佐藤の「駆けつけ警護」発言が問題にされないばかりか、読売新聞のこのような社説が大手をふってまかり通る事を許す今の風潮に政治の劣化を見る。その最大の責任はもちろん野党の問題意識の欠如にある。国会から安保論争がなくなって久しい今の政治状況がある。野党政治家が佐藤発言を追及しなくて誰ができるというのか。それこそが野党政治家の仕事である。
 そもそも野党第一党の民主党は安全保障問題について政府・自民党と立場が基本的に同じである。だから佐藤氏の「駆け込み警護」発言を正面から取り上げようとしない。今こそ護憲政党を売り物にしてきた日本共産党や社民党の出番のはずである。ところが、日本共産党や社民党にこの問題で政府、防衛省を追及しようとする気迫はまったく伝わってこない。日本の政治状況は深刻である。


 

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2007年08月17日

藤井裕久という政治家

藤井裕久という政治家

 人の評価は容易ではない。ましてや直接に親交のない政治家が多くなった今の政治の世界において、特定の政治家の器量を的確に評価する自信は私にはない。そう前置きをした上で、私は敢えて言う。メディアを通じた言動を見る限り、私は今の政治家の中で藤井裕久をもっとも高く評価すると。
 その藤井のインタビュー記事が17日付毎日新聞に出ていた。その中のテロ特措法延長問題に関する藤井の言葉に私は瞠目した。彼は、小沢一郎が勇み足発言をした国際平和維持活動(PKO)への協力について、「・・・国連平和維持活動の形で日本が参加する可能性が必ずしもないわけではないが、治安維持が目的ならダメです・・・」とさりげなく軌道修正しているのだ。
 なぜこの発言が重要なのか。
 小沢民主党代表がテロ特措法延長問題に関し、「米国が一方的に始めた戦争には賛成できない」と言ったのは正しかった。ところが小沢代表はそのあとにすぐ「国連決議に基づいたものではないので協力できない」と続けたため自分を縛ってしまった。すかさずシーファー大使に、「国連決議を正しく理解していない」とつけこまれ、外務省や読売新聞(16日付勝股秀通解説委員)などから「アフガン攻撃は国連や国際社会が認めた戦いである」などと反論される余地を残した。
 わき道にそれることになるが、私であればその後に、たとえばこのように続けたであろう。「アフガニスタンの現状を見ると、武力によってアフガンを民主化させることはもはや不可能であることは明らかだ。国際社会もその誤りに気づき撤兵する国が増えつつある。そのような状況下において、11月以降も自動的に補給支援を続けることについては再考せざるを得ない。わが国の補給支援が有益である事が確認されればいつでも再開の用意はある」と。
 政府や外務省は小沢発言の原則論を突いて攻めてくるに違いない。そもそも国連決議などというものはどうとでも解釈できるものと相場が決まっている。私がまだ駆け出しの外交官であったころ、ジュネーブの国連代表部に勤務し、連日国連決議の条文作成に関与する事があった。そこで学んだ事は、国連決議の条文作りは、作成する当事者でさえ文章の意味が分からず作成しているという事実である。それほど曖昧な作業であるのだ。言い換えれば、関係当事国が自分たちに都合のいいように読める文章をぶつけ合い、妥協の結果同床異夢の決議文で手を打つという作業が、国連決議案作成の外交交渉なのである。これは冗談ではなく本当の話なのだが、作成当時の当事者に聞かなければ、その意味が分からないという国連決議がゴロゴロしているのだ。そういうわけだから、国連決議で合意されたものかどうか、などという議論に入り込めば、政府・外務省に圧倒的に有利になってしまう。丸め込まれてしまうのである。
  それよりも私が懸念する事は、小沢代表が、国連決議を重視するという原則論に固執するあまり、国連決議に基づいて設立された治安維持のための国際治安支援部隊(Internationl Security Assistance Force)に対しても、「国連平和維持活動と同じ性格を付与され、オーソライズされている」と発言し、これを容認する姿勢を示してしまったことである。
 国際治安支援部隊は確かに国連決議に基づいて創設された。しかしそれは伝統的な国連平和維持活動とは異なり、治安が悪化しているアフガニスタンなどで殆ど戦闘活動そのものに従事する部隊となっている。だからこそISAFに当初から参加しているNATO諸国でさえも、今では自国兵士の犠牲に対する国内の反発により、撤退機運が高まっているのである。さすがの小泉前首相や安倍首相も、みすみす自衛隊に犠牲者がでるようなアフガンやバクダッドへの派遣には踏み切れなかったのである。
  そのようなISAFへの協力に前向きな発言をしてしまった小沢代表は、この点を政府、自民党から突っ込まれることであろう。それをいち早く見抜いたのが藤井裕久である。だからさりげなく、「治安維持が目的ならダメです」と軌道修正をしたのである。
  さすがである。小沢代表は、これからの政局を乗り切るに際しては藤井裕久を最強の補佐役とし、その助言に耳を傾けるべきである。

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