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2007年06月10日

私はあなただ、あなたは私だ⑨

http://www.youtube.com/watch?v=A6G04MRT-_A
07年06月09日 リチャード・コシミズ氏講演にて客演 その1

http://www.youtube.com/watch?v=SuqM8aypnNI
07年06月09日 リチャード・コシミズ氏講演にて客演 その2

http://www.youtube.com/watch?v=RAf9JFlh1dg
07年06月09日 リチャード・コシミズ氏講演にて客演 その3

http://www.youtube.com/watch?v=_n4YiCL-e5E
07年06月09日 リチャード・コシミズ氏講演にて客演 その4


私はあなただ、あなたは私だ⑨

  9日の夕、私は京都で開かれたリチャード・コシミズ氏の講演を聞きに行った。コシミズ氏とは初対面であり、その背景も考え方も詳しくは知らない。しかし国際政治の真実に迫ろうとする態度と、真実を知る事によって国民は覚醒するという主張は私のそれとまったく同じである・
  いわゆる陰謀説と世間で呼ばれる彼の言説は、一般の人にとっては受け入れがたい面があるかもしれない。9・11は捏造されたものであるとか、世界はユダヤ資本に牛耳られている、ユダヤ資本は北朝鮮人、統一教会、創価学会を通じて日本を支配しつつある、日本の為政者たちはユダヤ資本によって選別され、彼らが自己の利益の為に日本とその国民をユダヤ資本に売り渡している・・・などというコシミズ氏の発言は、あまりにも胡散臭いから、政治家をこころざす者は距離を置くべきだと一般の人は考えがちである。もちろん私はそのような陰謀論を全面的に吹聴するつもりはない。
  しかしこの世の中には、信じられないほど意外な事が、我々のしらないところで起こっている事も事実である。外交官としての私の体験からも、コシミズ氏が指摘するいくつかを垣間見てきた。要するに真実に迫ろうとする事の重要性を認識する事である。そしてコシミズ氏が言っている事が事実かどうか確認されないとしても、そういう事もありうるという前提で世界の政治と経済を眺める柔軟な発想が必要であるということである。そしてそれが事実であったことがわかったとしても、あわてず、怒らず、失望せずに、最後まで正しい事を追及する強さが必要であるという基本姿勢である。悪は絶対に許してはならない。絶対善というものの強さを信じて、少しでも真実に近づこうとする努力が必要であるということである。その時の最重要な価値は人が人を搾取してはいけない。強者が弱者を食い物にしてはいけない。暴力は絶対に認めてはいけない、という価値観である。
 コシミズ氏の講演の前に私が冒頭で挨拶した部分を掲載したい

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2007年06月10日

国家と国民は一体なのか

 国家と国民は一体なのか

 6月9日の朝日新聞「異見新言」で萱野稔人という津田塾大准教授が、「国家と国民は一体なのか」というタイトルで一考察を書いていた。私の考えに近いものがあるので、それを要約して以下に述べてみたい。

 彼はまず1972年の日中国交正常化の周恩来の有名な言葉を引用する。「・・・中国人民は、ごく少数の軍国主義分子と広範な日本人民とを厳格に区別してきました・・・」。そしてこれに対する安倍首相の公開討論会における次の言葉を対比させる。「日本国民を二つの層に分けるという事は中国側の理解かもしれないが、日本側はみんながそれで理解してはいない。やや階級史観的ではないか」。
 そして、この安倍発言こそ「国家と国民は一体である」という安倍首相の国家観が現れていると萱野准教授は次のように述べるのである。

 「・・・国家の運営に直接かかわったり、役人や軍人として一定の権限を与えられたりする人間と、それ以外の国民とを区別してはならない、という発想に(安倍首相の)国家観が具現している。これが沖縄戦での『集団自決』に関して表明されると、軍の命令という要素をなんとか無化したいとする政府(文部科学省)の態度になるのである・・・
   しかし国家は社会の中でも特殊な存在だ。なぜ特殊かと言えば、それは国家だけが合法的に暴力を用いることができるからである。逮捕という形で人々の身柄を強制的に拘束したり、戦争というかたちで武力行使をしたりすることが法的に認められているのは国家だけである・・・国家と国民の間には明らかな非対称性があるのだ・・・」

 そして萱野准教授が締めくくっているように、国民側からではなく、安倍首相の国家観のもとで改憲の準備が進められているところに、国民側から見た危うさがあるのである。すべての国民がそうあるべきであると言うつもりはない。しかし国家と国民が「国家権力」という暴力を行使できるか出来ないかという点において非対称性である以上、「国家と国民は一体である」という国家観を拒否する自由は、国民側に残されなければならないのだ。

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2007年06月10日

サミットで成果を強調する安倍首相

サミットで成果を強調する安倍首相

 サミット不要論が言われて久しい。その指摘は今回のサミットでも多くの論調でみられた。そもそもサミットの発端は73年の石油危機にあった。あの時、西側の先進石油消費国は、産油国の石油カルテルに対抗すべく、石油の備蓄や融通、更には代替エネルギーの開発問題などについて戦略的な協議を重ねた。それが発展してフランスのジスカールディスタン大統領の提唱で76年にランブイエでの第一回サミットに発展して行ったのである。当時の私は、いまでは評論家となっている岡本行夫(一年先輩)らと下っ端事務官としてその担当に奔走していたのでその経緯をうよく知っている。
 このようにサミットはその成立当初こそ、経済問題に関する西側先進国の戦略的会議の意味を有しており、そしてそのような西側主要国の一員として日本が参加できたことに対する政府関係者の高揚感があったが、今ではすっかり年中行事のルーチーンとなってしまった。しかしサミットはなくならないであろう。なくすと言い出す者がいないからだ。主要国の首脳が定期的に集まること自体は決して無駄ではない。スリム化しビジネスライクに行なうのであれば批判されるものではない。
  問題はサミットを各首脳が自己の宣伝に使う事にある。政権浮揚に利用しようとすることにある。これはすべての首脳に言えることであろう。だから安倍首相ばかりを責めるつもりはない。しかしそれにしても今回の安倍首相の自己宣伝振りは鼻につき過ぎた。
  6月9日の東京新聞は「主張する外交」手応えあった、と次のような安倍首相の言葉を引用している。記者会見での安倍首相の自画自賛発言である。
 「・・・地球温暖化は、私の提案を軸として議論された。日本の提案が首脳会議に盛り込まれ、大きな成果として充実感を感じている」。「(拉致問題は)私が議論をリードした。議長総括として力強いメッセージを発出できた・・・」
  かねてから思うのだが、安倍首相はすぐに自分の事をいう。私の内閣、私が任命責任者、私の判断で・・・などである。それでも私は安倍首相には小泉前首相のような反発は感じない。

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