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2007年06月08日

私はあなただ、あなたは私だ⑧

私はあなただ、あなたは私だ⑧

 私を応援してくれる見知らぬ善意の人たちへ

  私が今度の参院選挙に立候補を決めてからほぼ二週間がたつ。東京都内に部屋を借りて一人暮らしをはじめてからというもの学生時代に戻ったようだ。自分はこれからどうなるのだろうと思いながら手探りの毎日を懸命に生きている。違うことといえば一瞬のように過ぎ去った40年の歳月である。あの時は不安な中にも無限の未来が広がっているような気がした。今は無限の将来も、青春くさい不安もない。自己に忠実に生きることは出来たという強がりと、残された余生に安息は来ないのかという不安だけが交錯する。自分だけの、いや人生を共に歩いた伴侶と二人だけの、無為の人生を送る年月がいくらか残ればそれでよい。それももうすぐ判明する。
  私はつくづく政治家に向いていない人間だと思う。わがままなのだ。人づきあいが苦手なのだ。自分を偽ることが出来ないのだ。そんな人間が成り行きで本格的な選挙を戦うことになってしまった。
政治家になるには選挙で勝たなくてはならない。選挙で勝つためには一人でも多くの人の投票を勝ち取らなければならない。そのためにはあらゆる手段を尽くさなければならない。知名度を上げることに躍起になり、組織の応援を頼み、等身大以上に自分を大きく見せて、他者との違いを際立たせる。それらのすべてを平然と行なう厚かましさがいるのだろう。この歳で自分らしくない振る舞いをすることはつらい。そんなことをしても長続きはしない。
  しかし、そんな無理なことでも今の私には出来る。うまく出来るかどうかはわからないが、自らにそれを課し、強いて、恥を晒して選挙を戦い抜く覚悟を私はしたのだ。
  これから本格化する選挙活動において私は様々な人の助けを必要とすることだろう。私の為に応援する人たちだけではなく、私を批判し、あるいは敵対する事になる人でさえも、私の選挙の伴走者である。選挙が終わればその人たちのすべてに私は感謝するつもりだ。
 しかし、私が最後に頼みとする人たちは、見ず知らずの私に励ましのメールを届ける労をいとわず、身銭を切ってまでカンパをしてくれた、個々の支援者であるあなただ。私はそのカンパに手をつける時、その責任の重さにたじろぎ続ける。あなたこそ私の本当の支援者である。いや、私はあなたであり、あなたは私だ。あなたたちは私の体の一部となってこの選挙に参加する人たちなのだ。私はあなたに代りに今度の選挙に参加しているのだ。私たちは一緒に頑張るのだ。そのあなたたちに私は今このメールを書いている。
 私はあなたが期待するほどの候補者ではないかもしれない。身銭を切ってカンパを受け取る程の人間ではないかもしれない。あなたたちの善意の票だけではとても勝ち目はないかもしれない。しかしこれだけは誓う。政治的な経験も、背景も、組織も、後援者も、余裕資金も、何もない私ではあるけれども、あなたの善意に動かされ、励まされ、そのこころざしを掲げて自分らしい選挙を最後まで貫いてみせると。
  私のその姿はメディアには決して報道されないかもしれない。けれど、私のこのブログを通じて、あなたには私の手で伝え続ける。姿も、声も、流す汗も、涙も、心の葛藤までも、すべて伝え続けていく。そして、たとえどのような結果に終わろうとも、あなたから支援してもらったカンパが続く限り、全国を回り、集会を開いて、一人一人に報告し、お礼をさせていただくつもりだ。私はあなたであり、あなたは私なのだ。

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2007年06月08日

霞ヶ関から一番嫌われている男

    霞ヶ関から一番嫌われている男

  発売中の週刊文春6月14日号、THIS WEEKの政治欄で、民主党の衆院議員である長妻昭(東京比例)氏が、今霞ヶ関で蛇蝎の如く嫌われている、という記事を見つけた。
  長妻議員の名誉のために断っておくが、これは彼の人間性とは何の関係もない。それどころか彼は国会議員として年金問題で連日鋭い追及を行なってその職務を全うしているまともな議員だ。
  国民にかわって政府の悪や不作為の罪を追及するが故に、政府・官僚から嫌われる。ここに今日の日本の政治の現実がある。国民の味方は政府・官僚の敵なのだ。逆に言えば、政府・官僚に気に入られる人たちの多くは、一般大衆を裏切って権力擁護に立つ人たちなのだ。

 週刊文春の記事は言いたい事はこうである。

 ・・・安倍政権を直撃した年金問題は、社会保険庁改革関連法案を集中審議した衆院厚生労働委員会において明るみになり、これにフタをしようと政府が強行採決しようとしたことから国民の不安と不満に一気に火がついた・・・
 そもそも長妻議員がこの問題を国会で初めて取り上げたのは昨年6月だった。「年金保険料を払っていたのに『未納』となっているケースがあると聞くが、こういうケースは何件あり、金額がどうなっているのか、きちっと調べて欲しい」と質問し、政府側が、「・・・年金の裁定は、58歳の時に『この記録に間違いありませんか』と通知し、ご本人が『違う』という場合には補正する処理をさせていただいている・・・」と答弁したことから始まった。
 支給開始前に本人に確認しているのだから年金受給者に実害はほとんどない。普通の議員なら「それもそうだな」と引き下がっておかしくないし、実際それ以上深追いする議員がいなかった。だからこそ、10年も前から問題が指摘されながら、ここまでの大問題に発展しなかったのである。
 ところが長妻議員は、国会質問に加え、文書で回答を求める質問趣意書を連発するなど食い下がり、「調査すると約束しろ」と迫った。それら一連のやり取りのなかで全体像が明らかになってきたのだ。このようなちょっとしたきっかけで大きな問題が明るみになることがある。おそらく同様の問題は無数に隠されたままに違いない。
 順送りで仕事を流してきた官僚は問題に気づきながら対応を怠ってきた。それが発覚したときに正確な対応ができない。あわてて作業を始め、その結果残業の毎日となる。長妻議員さえ問題提起をしなければこんな事にはならなかったのにと逆恨みする。かくして長妻議員が「霞ヶ関で一番嫌われている男」になる・・・

  人はなまけものだ。わかっていても、「わざわざ自分がするまでもない」と行動を起こさない。人は弱いものだ。注意をして人に嫌われる愚は犯したくない。それはそれで理解できる。凡庸な我われが簡単に正しい事を実践できるわけではない。しかし誰かがそれを行なわなくてはいけない。その事によって多くの人が救われ、多くの人の利益が守られるのなら尚更だ。それが政治家の仕事ではないのか。それをしない政治家ばかりであるから我々国民は救われないのだ。日本が劣化していくのだ。

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2007年06月08日

「平和に生きたい」と願っていた老婆を自爆テロに走らせたもの

「平和に生きたい」と願っていた老婆を自爆テロに走らせたもの

  今回の選挙で国民が関心を持つのが年金であり格差や教育、景気であるという。それは当然だ。それらは人々の暮らしに直結する目の前の問題である。しかしそういう問題に関心が行くのも平和であるからこそである。戦争はすべてを奪う。平和はすべてに優先する。
  昨年11月パレスチナで老婆が自爆テロに走ったというニュースを読者は覚えているだろうか。その詳細を私は6月5日の東京新聞であらためて知った。「パレスチナ占領40年、失われた故郷」という連載記事の第一回の記事だ。萩文明記者の渾身のレポートの要旨を以下に紹介する。この記事を読んで平和の大切さをかみしめたい。戦争や軍事を安易に口にする事を慎みたい。何よりも、戦争を行なう権力者たちを拒否、排除しなければならない。

 ・・・子供9人、孫とひ孫は約70人。パレスチナ自治区ガザで、身体に爆弾を巻きつけた70歳の女性ファティマ・ナジャルが、軍事攻撃を続けるイスラエル軍の兵士らに近づいて自爆した。パレスチナで最高齢の自爆攻撃である。
   「もし知っていれば、必ず止めた。テロリストでも戦闘員でもない。私たちの、かけがいのない母だから」と三男のサメイル(37)が悔やむ。
   ナジャルが子供のころには存在しなかったイスラエルは、第三次中東戦争(67年)でエジプト領ガザを占領したままだ。「平和に生きたい」。それがナジャルの口癖だった。だが、「イスラエルの戦車」対「パレスチナの投石」という構図の民衆蜂起がナジャルの生活を一変させた。石を投げた息子は逮捕され、自宅は破壊され、サメイルはナジャルの面前で何度も殴られた。別の息子たちも逮捕され、ナジャルは面会のため足しげく刑務所へ通った・・・
    「オスロ合意」で今度こそ平和に暮らせると思ったが平和は続かなかった。民衆蜂起が再開されるとイスラエルは徹底破壊に乗り出した。ナジャルの孫(18)がイスラエル兵に射殺された。泣き叫ぶナジャル。「なぜ、何の罪もない孫を殺したのか」。別の孫も重傷を負い、親しい友人の一家は女児一人を残して殺害された・・・
   積年の憎悪と屈辱。ナジャルは急速にハマスに傾斜していく。家族が一緒に、平和に暮らす。その小さな願いさえ、ガザではかなわない。絶望のガザで、イスラエル国家より長く生き、耐えてきたナジャル。その人生の結末は、サメイルの目には「占領が、温厚な母を自爆に駆り立てた」と映る。
   「テロは支持しない。だが、目の前でパレスチナ人を殺害するイスラエル軍に挑んだ母が、間違っていたとも思わない」とサメイル。その行為が、暴力の連鎖を拡大させるだけだと分かっていても・・・

   我々は、どんなにつらくても、どんなに苦しくても、この記事から目をそらせてはいけない。このような犠牲者はナジャル一人ではない。不条理な軍事力の犠牲になって人生のすべてを奪われているのはパレスチナ人だけではない。人間をここまで追い詰める米国の軍事優先政策は決して許されるものではないのだ。
   米国の軍事政策に協力する事は、誰がどう弁護してみても間違いである。なぜ今、憲法9条を変えなければいけないのか。それは「テロと戦う」米国から更なる軍事協力を求められているからだ。戦争を禁じている憲法9条が邪魔だからである。憲法9条を捨ててはいけない。憲法9条を守ろうと訴えることは正しいことなのである。「仕方がない」とあきらめることは怠慢に過ぎない。正義を求めるもう一人の自分から逃げていることだ。

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