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2007年09月11日

映画評から映画を想像する

 映画評から映画を想像する

  阿久悠の惜別がメディアで語られている。驚くべき数の作品を残したものだと改めて感心する。
  映画か歌か小説家か、どれでもいいから、人の心に永遠に残る作品を一つでもいいからつくることができればどれほど素晴らしいことであろうかと思ったりする。いつか挑戦してみたいと夢を抱く。
  そこで今日のブログは映画についてである。
  9月11日の朝日新聞に沢木耕太郎の映画批評「銀の街から」が掲載されていた。その映画評を読みながら、映画「キャンディ」を想像する。
  人生は愚かで残酷なものだ。「幸せな人生はどれも同じだが、不幸な人生はそれぞれに異なっている」とは誰かの言葉である。これもその不幸の一つだ。
  不幸はとどまってくれない。不幸は容赦なく加速していく。しかし人はその不幸に、なんとか美しさを見つけようとする。ほんとうは不幸に美しさなどない。あるのは悲惨さだけである。絶望だけである。しかし人間である以上、その不幸に負けていく人間に美しさを見つけようとする。救いをどこかに求めようとする。ましてやそれが男女の恋の人生であれば。
  若く美しいふたりの男女が恋におちいるところから物語は始まる。
  詩人志望のダンと画家志望のキャンディ。
  冒頭のシーンが二人の人生を象徴する。二人は遊園地で楽しんでいる。高速のドラムの回転によって遠心力が生まれ、二人は壁に押し付けられながら幸せそうにキスをしている。だが、その壁が不意にはずれてしまうと、ふたりはどこまでもとばされていってしまうことになる・・・
  一緒に暮らしはじめたものの、ダンは定職につこうとしない。そのうちドラッグに手を染め、ダンに導かれてキャンディもやがてドラッグの常用者となる。二人に稼ぎがあるわけではない。家族や知り合いに無心してはドラッグを手に入れようとする・・・
  しかしそんな生活がいつまでも続くはずはない。質入をしたり、万引きしたり、他人の物を転売したり、果てはキャンディが売春を始めることになる・・・
  二人は徹底的に愚かである。愚かな二人の愚かな物語だ。だが、愚かさにもかかわらず二人は美しい。いや、愚かゆえに美しい、と沢木耕太郎は評する。
  二人はドラッグから抜けだそうと努力する。キャンディが妊娠する。盗んだ金で食料を買い込み、アパートの一室にこもってドラッグを断とうと必死の努力をする。希望を抱かせるほんの一瞬である。しかし、ドラッグは若い二人を手放すほど優しくはない。キャンディは死産をしてしまい、やけになった二人はまたドラッグの世界に戻っていく。
   二人はもつれあいながら、幸せだった「天国」から地上に落ち、そして「地獄」へと下降に下降を重ねていく・・・
  この映画のミソはキャンディ役のアビー・コーニッシュの美しさにある。その美しさがこの映画を美しく、痛ましくしている。キャンディの父親がダンに「おまえはあの美しい娘に何をしたんだ」となじるシーンがある。「あの美しい娘」と叫ばせるにふさわしい絶対的な輝きがキャンディにはある。その美しさがこの映画を際立たせているに違いない。

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2007年09月11日

小泉と小沢の戦いが見たい

  小泉と小沢の戦いが見たい

  私の期待が見事にはずれ、急速に次元の低い政局になってきた。総辞職発言をした安部首相が一人叩かれている。それを自民党が支えようとしない。国民も見放している。メディアも安倍批判一色だ。へそ曲がりの私は、そんな安倍首相を気の毒に思う。応援したくなる。
  この前のブログで私は小沢民主党にアドバイスをした。今度は安倍自民党にアドバイスをしたい。なぜそういう気になったか。それは民主党幹部の増長ぶりが目にあまるからだ。テロ特措法延長に反対する事の真の意味も分からずに、安倍自民党を追い込むという事だけで悪乗りしている。
  輿石東という民主党代表代行が、安倍首相の発言を捉えて、安倍発言は我々に対する挑戦である、と息巻いていた。しかし輿石は日教組に支えられた旧社会党の議員だ。旧社会党の総括も無しに生き残りの為に民主党に合流した男だ。そんな男にテロ特措法反対をいう資格はない。日米安保体制を認めながらテロ特措法延長反対を声高に叫ぶ人間を私は信用しない。
  小沢の限界は、そんな男と組まなければテロ特措法に反対できないという事だ。小沢がテロ特措法は間違いだと本気で思っているのなら、前原ら親米派と胸襟を開いて話し合い、彼らを説得してからテロ特措法に反対すべきなのだ。それを避けて似非左派と組むのはおかしい。真性左派に対する侮辱でもある。
  私の手元に興味深い記事がある。9月11日付の夕刊フジに連載されている、鈴木棟一の「風雲永田町」という記事だ。その中で、松本剛明前政調会長の次の言葉が引用されている。
「・・・いまインド洋で海自がやっていることは、テロ防止に有効な事は確かだ。アフガンだけでなく、イラク、南東アジア全域のテロを封じている。ただしこれは6年前にテロ特措法ができた時の趣旨から違った(外れた)事をやっているとも言える・・・いまやインド洋そのものが戦場で、アフガンを応援している法律で艦船を出しているのにはやや無理がある。正面からルールを決めてから動かさなくては・・・」
  これは凄い発言だ。テロとの戦いは正しいから、それを支援しなければならない、古い特措法を変えて、米国のテロとの戦いに堂々と協力できる新たな法律をつくるべきだ、そう言っているのだ。民主党は日米同盟の是非を巡ってまったく矛盾している政党なのだ。
  このような発言を公言する議員たちを説得しようともせず、旧社会党の議員と安易に手を組むという小沢一郎の手法はやはり邪道である。自民党はここを衝くべきだ。日米同盟の重要性について徹底的に小沢民主党に議論を挑むべきだ。あなたはいつから左翼の考えに同調するようになったのか、日米同盟を重視していた自らの主義主張を捨てたのかと。これは小沢にとって最も痛いところだ。
  そしてその役割を小泉前首相にさせるのだ。いまこそ小泉前首相を引きずりだすべきだ。いくら小泉が嫌がっても、頼み込んで引きずりだすべきだ。どんなに自民党が小泉にアレルギーがあるとしても、土下座してでも頼み込むことだ。そして小泉前首相が少しでも自民党に恩義を感じるなら、ここは義侠心を出してお返しをすべきだ。もし小泉が登場し、「テロ特措法は日本の命だ!」と叫べば、郵政改革に騙された国民の多くは今でもその気になるに違いない。小泉がそれをやるなら、あれほど批判してきた私はその小泉を見直す。
  私は悲しい。日本の将来を左右する日米同盟関係の是非について、真の議論なく世論に媚を売る形で低次元の政争が始まろうとしていることを。
  ええい、どうせ次元の低い日本の政治だ、政治家だ。それをまた面白おかしく報道する日本のメディアだ。いっそのこと、テロ特措法延長の是非を巡って、小泉前首相と小沢民主党代表のガチンコ勝負によって決着をつければいいのだ。安倍首相が唱えるテロ特措法延長が国民に受け入れられなくても、小泉前首相が延長すると言えば、国民はそれを支持するかもしれない。日米同盟の意味などどうでもいいのだ。そうなればこれはもう冗談だ。しかし所詮国民の意識はその程度なのだ。テロ特措法に反対しても在日米軍の存在には反対しないのだ。
  劇場政治に徹するなら、徹底的に徹してみるのもいい。そう割り切ると人生は悩まなくてよい。腹もたたない。

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2007年09月11日

ラ・パロマの曲が聞こえる

  ラ・パロマの曲が聞こえる

  いきなり唐突な事を書いてみる。このブログを毎日書き続けることは結構しんどいことだ。何がしんどいか。それは毎日その日のテーマを見つけて、誰からも文句の言われないブログを書こうと頑張るからだ。
  光市殺人事件の事を書いた8日のブログについては、一斉に批判のメールが来た。このブログの読者からくるメールであるから、さすがにバカヤローとか死ねとかいう低次元のものはない。それぞれもっともなメールだ。
  謙虚な(?)私は、そのようなメールからも学び取ろうとする。極力返事を書こうとしたりする。しかし批判を受けることはいい気がしない。馬鹿らしいから、そろそろブログを書くことを止めようかと思ったりもする。
  そんな時、なぜかラ・パロマという曲が聞こえてくる。私はこの曲が一番好きだ。クラシックもオペラもジャズもスタンダードも演歌も好きな曲は多々ある。しかしこの曲を聴くと私はすべてを忘れる事が出来る。心がなごむ。あのメロデーに私の外交官人生の遠い思い出が蘇ってくる。途中で頓挫してしまったが、悲しく、甘く、そして何かを追い求める懸命な外交官であった自分を思い出す。自分の人生そのものを感じるのだ。

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2007年09月10日

動き出した日本共産党

  動き出した日本共産党

  このところの政治ニュースといえば、参院選に大敗した安倍首相の辞任要求や自民党と民主党の攻防ばかりが報道される一方で、護憲政党の事はさっぱりニュースから姿を消した。
  その最大の理由は、やはり2大政党化が加速し、文字通り安倍自民党と小沢民主党の一騎打ちの行方が国民の最大の関心事になってしまったからだ。二大政党化の流れをメディアが意図的に助長しているという面もあるだろうが、今の政治に殆ど影響力を与える事ができなくなった護憲政党を取り上げても国民は関心を示さないというのがメディアが取り上げない理由でもあるに違いない。
  なぜ護憲政党は、選挙に負けたにもかかわらず、そしてその存在すらも危うい状況にあっても、メディアがとりあげるようなあらたな動きも見せようとしないのだろうか。
  そう思っていた矢先に共産党が大きな動きを見せてくれた。8日の第5回中央委員会総会の幹部会で、志位和夫委員長が、「次期衆議院選挙では候補者擁立を絞り込む」という方針を発表したのだ。9日の各紙が一斉に報じていた。
  共産党はこれまでおよそ勝ち目のない選挙区をふくめ殆どすべての選挙区に立候補を立ててきた事は周知の事実である。そのような選挙対策は結果的に自民党を利するから、「共産党は自民党の隠れ支援者ではないのか」などと揶揄もされてきた。それでも共産党は頑なに殆どの選挙区に候補者を立ててきた。一人の候補者も当選させられなくなって久しいにもかかわらずである。
  その共産党がついに立候補選挙区を大幅に絞ると宣言したのである。300ある小選挙区のうち擁立する選挙区が130前後に絞られる見通しであるという。これは大きな選挙戦略の変化である。
  問題はその理由である。その理由が「従来の方針のままでは、多額の供託金没収による財政圧迫など、マイナスが大きい」(志位委員長)というだけでは、いかにも情けない。しかし同時に志位委員長は幹部会報告で、「自民党と政策において大差がない」と言って批判してきた民主党とも「一致点で野党共闘を進める事は当然だ」などと延べ、また「たしかな野党」という従来のスローガンを改める考えも示したという。明らかに共産党内部で何かが起きつつある。それが国民の期待に答えるものであれば歓迎すべき動きである。野党間の選挙協力が進めば、まもなくやってくる総選挙において自民党はさらに苦しくなるだろう。
  次は社民党の番だ。一日も早く新しい動きを国民の前に示すべきである。

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2007年09月09日

勝負にでた安倍首相

  勝負にでた安倍首相

  参院選挙後の長い、緩んだ政治休戦の後に、いよいよ臨時国会が明日から始まる。政治とカネ、年金、テロ特措法、北朝鮮外交など、大きな問題が待ち構えている。いずれも国民的関心の高い問題だ。そう思ってこのブログを書いていたら、ビッグニュースが飛び込んできた。9日夕刻のNHKテレビは、安倍首相が記者会見で、「給油活動が継続できなければ総辞職する」と発言したと報じられたのだ。総辞職という言葉こそ使わなかったが、記者の質問に追い込まれた安倍首相が「職に固執するつもりはない」と言ってしまったのだ。
  すでに安倍首相は「インド洋での補給活動継続は対外公約である」とか、「継続できなくなれば私の責任は重い」などと覚悟を決めた発言をしていた。これを9日朝の各紙は大きく報じていた。またあの中曽根大勲位も9日朝のTBSの番組で、「継続できなければ安倍政権の生死にかかわる」と発言していた。しかし、今回は安倍首相自身ががはっきりと「職を賭してでも補給活動を続ける」と自分の口から公言したのだ。この事によって、完全に政局になってしまった。
  明日からのニュースはこの問題一色になるであろう。他の問題は吹っ飛ぶだろう。もし小沢首相がテロ特措法延長問題で安倍首相を解散・総選挙に追い込もうと当初から考えていたならば、望むところであるに違いない。今度こそ小沢首相と安倍首相が正面から激突することになる。
  しかしこの戦いは、小沢代表にとって必ずしも容易な戦いではない。それどころか米国、安倍自民党、そして保守有識者の団結による小沢たたきが加速するだろう。すでに街にでまわっている保守系のメディアは小沢たたきをはじめている。それが国会の開始とともに加速するということだ。
  果たして小沢民主党はどう対応すればよいのか。民主党は外交問題についてのブレーンが見当たらない。いたとしても前原らの日米同盟論者たちである。民主党内で十分な議論がおこなわれているとも思われない。孤立無援とも思える小沢代表に対し、私は次のような助言を行ないたい。
  まず、自民党の論理を甘く見てはいけないということだ。そしてそれに対し負けないだけの論理を固めないと論戦に負けるということだ。自民党の「テロ特措法延長」の主張は論旨が一貫している。つまり日米同盟は重要だ、テロとの戦いは国際社会の一致した合意だ、日本の補給活動は関係国から高く評価されている、ここで手を引けば責務を放棄することになり国際的評価を失うことになる、米国との関係は間違いなく不安定になる、これである。
  これに対し、国連決議がないから反対だとか、テロをなくすため日本独自の人道援助を行なえばいいとか、情報がないから判断できない、と言った迫力のない理由を述べていては、自民党との論戦には勝てない。そもそも「テロとの戦い」が誤りなのだ。だからその戦いを助ける補給活動は認められないと正面から反対すべきなのだ。もっともこれは日本共産党や社民党の論理だから民主党として主張できないというのなら、「武力ではアフガンのテロはなくならない。それどころか悪化した。これが過去6年間の活動でハッキリした」という現実を指摘すればいい。そして、これ以上補給活動を続けても解決策にはなり得ない、と、その一点を強調して反対すればいいのだ。これには反論しがたい主張だ。
  二つ目に情報提供については、これを補給活動に反対する消極的な理由とするのではなく、なっとく出来れば場合によっては協力する、だからすべて提供してくれと、積極的な武器にして攻めるべきだ。タイミングよく補給活動がアフガンでの活動に限られてはいなかったという疑惑が急浮上した。米国側はあわててホームページでの言及を削除したらしいが、その事実の確認も含めてこれを大きく取り上げるのだ。日本政府や安倍自民党にいくら要求しても逃げられる。シーファー大使に直接要請するのだ。シーファー大使はどんな機密情報でも提供すると大見得を切った。これを使うのだ。外務省あたりがあわてて米国にアプローチして隠そうとするだろうが、シーファー大使に真実を述べてくれと国民の前で要求すれば逃げるわけには行かないだろう。仮に少しでもテロ特措法違反の補給が明らかになれば、その時点で継続出来ない正当な理由が成り立つのだ。
  三番目に、国内世論の動向を慎重に見極める必要があるということだ。最近の世論調査によれば延長反対派が延長賛成派を上回っているという。しかしだから反対しても大丈夫だ、態度を変更すれば世論の支持を失う、と民主党が思っているとしたら危険である。世論はあてにならない。米国の日本軽視の態度に不満を抱く国民が、この際米国に抵抗して溜飲を下げているとすれば、そのような世論はまったく当てにならないということだ。そのような世論は、日米関係が悪化したとたん、「やっぱり米国に逆らったのは間違いだった」と手のひらを返すだろう。自民党の小沢批判に同調するだろう。日本国民は未だ確固とした対米自主外交の覚悟は出来ていないと見るべきだ。
  最後に、情勢次第では安倍自民党に補給活動継続をさせてしまったほうがいいという事も念頭に入れておいたほうがいい。それは決して譲歩ではない。新法をつくってなにがなんでも補給活動を継続するという自民党案に賛成してはいけない。賛成してしまったら、それこそ世論は民主党を見放すだろう。だから補給活動の新法にはあくまでも反対し、それを自民党が衆院多数で強引に成立させるという形に持っていくことだ。これなら主義を変えたことにはならない。補給活動は自民党のごり押しで継続されることになる。米国は満足する。そして強引に成立させた自民党にすべての責任をかぶせることが出来る。今後アフガン情勢が更に悪化して、撤兵を始める国が出てくるようになると、やっぱり民主党は正しかったという事になる。意外にこれが最善の高等戦術かもしれない。
  いずれにしても明日からの自民、民主の攻防は見ものである。メディアは世論調査を頻繁に行なって、国民はどちらの議論を支持しているかを正確に伝えるべきだ。かくてこのテロ特措法延長問題は、先が読めない最大の政治バトルに突入していく。 

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2007年09月09日

旧社会党の政治家たちよ、この福本の言葉を何と聞く

  旧社会党の政治家たちよ、この福本の言葉を何と聞く

   朝日新聞土曜版に福本邦雄という画廊会長(フジインターナショナルアート会長)の逆風満帆という連載がある。その9月8日連載④に、興味あるくだりを見つけた。
   因みに、この福本という人物は、知る人ぞ知る戦後政治の日本の黒幕の一人である。父はかつての日本共産党指導者の一人福本和夫であり、自らも共産党員であったが、除名された後一転してフジサンケイグループに入り、岸内閣の官房長官だった椎名悦三郎の秘書から政治の世界に入った人物である。最近は「表舞台 裏舞台」(講談社)という回顧録を出版して、政治通の間でのベストセラーとなっている。
  その福本が冒頭の朝日新聞紙上で、「長い政界とのかかわりで最も残念に思っていることは何か」と問われ、「社会党を自滅に追い込んでしまったことだ」と語った。この言葉を私は興味深く読んだ。
  野党に転落した自民党が、悪夢を晴らすかのように考え出した「自・社・さ」三党連立の事を鮮やかに思い出す。これはまぎれもなく戦後政治史の大きな出来事であった。
  村山富一をその気にさせようと福本らは懸命の策を弄したという。そして、それが行き過ぎに働いて、連立政権は成功したものの、日本の政治に禍根を残した、と福本は次のように言っているのだ。
 「・・・村山は日米安保を肯定し、自衛隊も認めた。『日の丸』、『君が代』も。時代には合ったが、結局、社会党を窮地に立たせることになった・・・日本は『対米追従』の歯止めの一つを失ったばかりか、右だけを肥大化させ、社会全体の右傾化を著しくさせてしまうことになった・・・」と福本は語った。すなわち自民党の延命には良かったが、日本の政治全体から見たら不幸であったというのだ。その行き着く先が今の政情なのだ。
   福本が皮肉で言っているとしたら傲慢な発言だ。福本が本心で反省しているのならば、存命のうちに福本は革新勢力の再生に尽力すべきではないのか。
   しかし、このブログで私が言いたい事は、そのことではない。一人の政界フクサーにここまで言われるほど自壊した旧社会党の政治家たちにこそ、この福本の言葉を聞いてもらいたいと思ってこのブログを書いた。
   あれから十余年。福本のいうごとく日本の政治状況は保守二大政党時代に加速して行った。三分割された旧社会党の生き残りの政治家たちよ。今一度あの時の総括を自らの手で行なって欲しい。当時はまだ政治家でなかった多くの現社民党の政治家たちよ。自分たちは関係ないと逃げるのではなく、旧社会党がなしえなかった真の革新勢力の実現を自分たちの手で成し遂げる気概を持つべきだ。その努力を必死で行なうべきだ。
  いよいよ明日からテロ特措法延長問題をめぐって自民党と民主党が政権をかけた歴史的攻防をくりひろげようしている。今こそ社民党の出番ではないのか。よもや「壊滅するくらいなら民主党に合流したほうがいい」などと思っているのではないだろうと信じたい。

 
  
 

  

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2007年09月08日

  犯罪情報を匿名の提供者から金で買うという制度

 犯罪情報を匿名の提供者から金で買うという制度

 9月7日の産経新聞が、未犯罪の情報を「匿名」の情報提供者から「買う」という制度を、警察庁が始めると報じていた。10月1日から試行的に行なわれるという。それを防犯活動のNPO法人である「日本ガーディアン・エンジェルス」に委託して行うという。
 これを目にしたとたん、密告制度が日本でもはじまるのではないかと直感した。
 不覚にも知らなかったのであるが、既に今年の5月から、殺人などの未解決の重要事件の解決に結びつく情報には、それを提供した者に対し公費から最高300万円の懸賞金を支払う制度が導入されているらしい。
 しかし、既に起きた犯罪の解決のために懸賞金をだす制度と、未発覚の犯罪情報に対して匿名の者から情報を買うという制度とは根本的に考え方が異なる。しかも情報が提供しやすいようにと匿名でも通報が可能となる点は問題だ。そしてそれを警察が直接受け付けるのではなく、受付業務を「民間」団体に委託する点にも疑問を持つ。
  凶悪、不可解な犯罪が急増しつつあるご時世だ。未発覚の犯罪をあぶりだして未然防止に役立つのであればいいと、多くの国民は思うかもしれない。
  しかしいくつかの基本的な点において疑問が生じる。それは監視、密告社会を助長するという事にならないか。情報提供者が匿名でもよいとなるとなおさらだ。金欲しさに無責任な密告が増えることにならないか。更にまたそれを特定の民間団体に委託させるという点だ。NPOでえあるといえども「民間」である。そもそも「日本ガーディアン・エンジェルス」とはどういう団体なのか。なぜそこだけが委託団体に選ばれたのか。そこに天下りや助成金といった不明な関係が生ずる余地はないのか。
 それよりもなによりも、予算を伴うこのような制度、国民の自由と人権にかかわる制度を新設するに際してどのような根拠法があるのか。警察庁の裁量で国民の知らないうちに導入されているのではないのか。私がたまたま知らなかっただけなのか。
 産経新聞のこの記事を、今後メディアがどんどんと取り上げ、広く国民の周知するところになり、そして国民の批判に堪えうる制度に発展していくことを期待するばかりである。

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2007年09月08日

訴えられた橋下徹弁護士の騒ぎに思う

訴えられた橋下徹弁護士の騒ぎに思う

  8日朝の日本テレビ「ウェーク」という番組で、司会者の辛坊治郎が胸を張ってこう発言していた。「私の番組で起きた発言ですから私は橋下弁護士を全面的に支持します」と。それを聞いた私は早速このブログを書きたくなった。
  私と辛坊とは考え方において対極にある。司会者である辛坊がエラソーにテレビの前で自分の正しさを自己主張する姿を朝っぱらから見せらつけられて不快である。しかしこの橋下騒動に関しては、私は辛坊と同じ立場であるのだ。その事を書く。
  タレント弁護士の橋下徹が訴えられた騒動は、単なる芸能ゴシップ騒動ではない。そこには「弁護士の責務」とは何かという深刻な問題が絡んでいる。
  事の起こりは、関西の娯楽討論番組「たかじんのそこまで言って委員会」(5月27日放映)で行なった橋下弁護士の懲戒請求発言である。あらましは次のごとくである。
  山口県の光市で1999年に起きた残虐な母子殺害事件の裁判を巡り、いわゆる人権弁護士団の弁護が行き過ぎであるとして、「たかじんのそこまで言って委員会」は盛り上がった。出演者全員が弁護団を批判した。その盛り上がりの中で橋下は、被告を弁護する連中は弁護士失格だといわんばかりに、「弁護士会にこれら弁護士の懲戒請求を行なえばいい」と発言した。これを聴いた視聴者から一斉に懲戒請求が起きた事を受けて、弁護士団が橋下発言は業務妨害だと訴えたのである。
  テレビの中で懲戒請求を示唆した発言の適否の問題はあるかもしれない。また私も出演したことがあるのだが、「たかじんのそこまで言って委員会」という番組は、出演者が意識的に極端な放言をし視聴者の溜飲を下げる事を売物にする娯楽番組である。その番組のレギュラー出演者である橋下は、営業的に過激な発言をしたのだろう。そのような橋下の発言を擁護するつもりはない。
  しかし、この橋下発言騒動をきっかけに、光市母子殺人事件の裁判の本質について考えて見たいのだ。
  被害者の夫であり、父親である木村洋という若い男性に、私はこよなき共感と敬意を覚える一人である。そしてまた、これほどの残酷な犯した被告に対し、理屈にあわない論理をもって弁護する弁護団に、大いなる疑問を抱いてきた一人である。
   弁護士の究極の使命は何か。それは顧客である被告の減刑の実現にあるという事かもしれないが、正義をまげてまで不当な減刑を勝ち取る事では決してないはずだ。正義の実現をゆがめてはならないはずだ。更にまた、巷間言われているように、死刑廃止論に固執する人権弁護士たちがその目的の為に裁判という場を利用して自己主張をしているとすれば到底賛成できない。因みに私は死刑容認論者である。自らの命をもって償わなければならない残忍な犯罪は確かにある。いかなる犯罪者に対しても死刑は絶対認められないという考えには、どうしても与する事はできないのだ。こう書くと必ず反発を受ける。イラク戦争に反対し護憲を唱える私は左翼と思われているが、死刑を容認し、北朝鮮の拉致問題を厳しく糾弾する私は、いわゆる左翼的な考えの人たちから批判される。対米追従を批判する私は同時にまた愛国主義者である。その意味で私は右でも左でもない。自由を何よりも重視すると言う意味でリバタリアンという事かもしれない。
   脱線してしまったが脱線ついでにもう一言書かせてもらう。最近私は自分は政治家にはつくづく向いていないのではないかと思ったりする。政治には妥協と駆け引きが不可欠である。政治的目的を達成する事を最優先しなければならないからだ。政治家になるためには本心を隠さなければならない。一人でも多くの支持者を確保しなければならないからだ。しかし私にはそれが出来ない。自分を偽ることが苦手なのだ。というよりも、どうしてもそれが出来ないのだ。
   外務省に入ってまだ駆け出しの時、私は省内で評価の低い上司になぜか可愛がられたことがあった。「君はわかりやすくていい」というのが彼の口癖であった。出世しそうな上司でも間違っていると思えば批判するし、皆が嫌う上司でも、いいところはそれを評価する、そういう私の「わかりやすい」ところが気に入られたのだろう。誰も相手にしないその上司を、私一人が擁護する時があった。そんな私に彼は感激したのだろう。出世の見込みのない上司に好かれるという事自体が、自分の評価を下げる事でもあるのだが。
  すべては遠い昔のことだ。官僚人生を捨てさって久しい今の私の言動をさまたげるものは何もない。あるのは反権力、反不正義の心と知識に対する謙虚さだけである。

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2007年09月07日

テロ特措法延長問題の議論がなぜ深まらないのか

 テロ特措法延長問題の議論がなぜ深まらないのか

  7日の読売新聞で元外務次官、駐米大使の栗山尚一(たかかず)氏が、「テロ特措法が延長されなければ日本は国際責任を放棄することになる」という激しい寄稿文をよせている。
  同様の反論は、8月27日の朝日新聞「視点」において、カート・キャンベル、マイケル・グリーンという米国元高官が異例の連名で行なっていた。
  その論理は共通しており、もとをたどれば、そもそもシーファー駐日大使が小沢民主党代表に対して反論したロジックと同じである。
  すなわち、テロは国際秩序に対する重大な挑戦であり国際社会が結束して対応しなくてはならない犯罪である。国際社会はそのようなテロとの戦いに対する危機意識を共有しており国連安保理や北大西洋条約機構(NATO)は決議を採択し、声明を発している。日本の協力はこれまでにも高く評価されてきた。ここで日本が支援を中止すれば国際責任を放棄することになり批判は免れない。
こういう論旨である。
  これに対し、民主党はいまだ正面からなんらの反論をしていない。私はキャンベルとグリーンによって連名投稿が寄稿された時、民主党が直ちに反論することを期待していた。しかし未だまとまった反論がどこのメディアにもなされていない。聞こえてくるのは、これまで反対してきたのだからその方針を貫くのは当然だとか、米国が始めた一方的な戦争だから賛成できないとか、人道援助による協力は行ないたい、といった断片的な言葉が、何人かの要人からバラバラに聞こえてくるだけだ。挙句の果てに鳩山幹事長に至っては、6日の浜松市での講演で、国際安全支援活動(ISAF)であれば(国連決議があるので)後方支援に限って協力できるかもしれないなどと言い出す始末だ。アフガンでの軍事活動は正しいというのか、自衛隊に犠牲を求めるわけにはいかないから後方支援で誤魔化そうとするのか。それでは自民党とまったく同じである。
  なぜ民主党はテロ特措法の延長に反対するのか。反対するのならなぜ正面から、米国・自民党の議論に反駁しないのか。米国のテロとの戦いは世界の平和と安全に決してつながらない、それは過去6年間の国際情勢の現実が証明している、国連決議は決して米国の軍事行動を認めているわけではない、ましてや国連加盟国に共同行動を取ることを求めてはいない、有志連合の行動は決して国際社会の総意ではない、いま急がれるのはテロとの戦いではなく、反米武装抵抗の最大の根源であるパレスチナ問題の公正かつ永続的な解決を急ぐことである、などという反論を、今こそ民主党は正面から行なうべきなのである。
  それよりもなによりも、テロ特措法に逸脱してイラクやアフリカでの米軍作戦にまで補給活動をしている疑義が明るみになった。なぜ米国に情報提供を求め、これを国民に提示して、テロ支援特措法のいかさまを国民に教えないのか。米国はいかなる情報も提供すると約束した。これを使わない手はない。
  民主党の内部事情からそれができないのか。それとも優秀な人材が民主党には不在なのか。いずれにしてもこのままの状況で国会審議に突入すれば、民主党は間違いなく劣勢に置かれることになる。政局がらみの動きに終始していては、最後は国民は離れていく。

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2007年09月06日

瀬島龍三とシベリア抑留の闇

07-9-6

 瀬島龍三とシベリア抑留の闇

 瀬島龍三氏が4日老衰のため死去した。95歳であった。5日の各紙はそれを一斉に報じた。
 瀬島氏の人生には二つの人生がある。太平洋戦争のほぼ全期間、大本営陸軍参謀として戦争運営の中枢にあり、敗戦を満州で迎えて旧ソ連軍の捕虜となり、シベリアに11年抑留された後1956年に釈放され帰国した、という軍人瀬島龍三と、帰国後1958年に伊藤忠商事に迎えられ、専務、副社長、会長と上り詰める過程で歴代の自民党実力者と深い親交を結び、その人脈から、戦後日本の政財界のブレーン的存在として力を発揮した、日本のブレーンとしての瀬島龍三である。
 「瀬島死す!」の訃報が流れた時、メディアが取り上げたのはもっぱら後者の瀬島であった。その業績の数々をたたえて冥土の餞(はなむけ)の言葉とした。
 私が瀬島龍三という人物について関心を持つのは、もっぱら軍人としての瀬島である。それもシベリア抑留時代に旧ソ連とどのような関係にあったか、その一点においてである。
 もう20年ほど前の話になるが、ノン・フクション作家保阪正康が書いた「瀬島龍三参謀の昭和史」(文芸春秋)を読んだ時の衝撃が忘れられない。それは一言で言えば、シベリアに抑留された日本兵を瀬島はソ連に売り渡したのではないかという疑惑である。
 戦時中の出来事はすべて悲惨である。比較する事自体が間違いだ。しかし東京大空襲や沖縄地上戦、そして広島、長崎への原爆投下にくらべ、シベリア抑留の悲惨さについての言及が少ないと感じるのは、私一人だけであろうか。シベリア抑留はもっと注目されてもいい。いや昭和史の負の遺産として日本国民が決して忘れてはならない歴史の一部なのだ。
  日本が降伏する直前の8月9日に、日ソ中立条約を一方的に破棄して宣戦布告した卑劣なソ連は、満州に侵攻して邦人60余万人を捕虜にして抑留した。そしてその捕虜の多くは凍土の流刑地シベリアの収容所へ送り込まれ強制労働させられた。6万人余とも言われる邦人が、終戦になったにも関わらず二度と日本の土を踏む事無く凍土の土と消えた。その無念と辛苦は想像に余りある。なぜ救い出す事ができなかったのか。なぜかくも多くの日本国民がシベリアに長く勾留されねばならなかったのか。有り得ない事ではあるが、もしも、もしもである。その裏で、日本の関東軍参謀がソ連軍と交渉し、賠償のかわりに日本兵を労働力として提供するという密約を交わしていたとすればどうか。
  この闇を追求しようとしたのが前掲の保阪正康の書であり、魚住昭ほか共同通信社社会部の手になる「沈黙のファイル 瀬島龍三とは何だったのか」(新潮社)である。
 もちろん瀬島自身はこれをきっぱり否定している。まったく根拠のない虚構だと一蹴している。
しかし「何もしゃべらずに逝ってしまった。(先の戦争を)自衛のためだったと正当化し続けた。自分の戦争責任に向き合って生きた、とは私には思えない」(魚住昭、5日付朝日新聞)、
 「(二日間で計8時間、瀬島さんを取材したが)最も聞きたかった、大本営参謀とシベリア抑留時代の事は、史実を詳しく話したがらず、最後まで不透明なままだった。肝心な事を聞くと、話を本質からそらす癖があった。」(保阪正康、5日付読売新聞)、
 「終戦前のソ連との交渉に深く関与した人物で、貴重な歴史の証言者。しかし、最後までついに肝心要のことはしゃべってくれなかった。対談などの機会に何度も『話すべきだ』と説得したが、口を開く事はなかった」(作家・半藤一利 同読売新聞)
などという関係者の言葉を、我々はどう受け止めればいいのか。
  「戦後日本を築いた偉大な先輩を失い、悲しみでいっぱいだ。行財政改革でお世話になったのみならず、政治、経済、文化、社会、あらゆる面で日本人を指導してくれた。」(中曽根元首相 同読売新聞)、
  「明晰な頭脳と明治人の気骨を併せ持つ方だった。戦前、戦後を知る日本人のリーダーの一人を失い、寂しい思いがする」(山口信夫 日本商工会議所会頭 5日付朝日新聞)という賛辞の陰で、また一つ昭和の闇が墓場まで持っていかれた。
 

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2007年09月05日

とっくに決まっている米国の北朝鮮テロ指定解除

とっくに決まっている米国の北朝鮮テロ指定解除

  さる3日、朝鮮中央通信が、「ジュネーブで行われていた6カ国協議の米朝作業部会で米国が北朝鮮のテロ指定を解除することに同意した」と報じ、4日の各紙が一斉にこれをとりあげた。
  これに対し日本政府は「従来の米国の方針は微動だにしておらず、北の発表は間違いだ」(首相周辺)、「指定解除は各施設の無能力化や拉致問題の解決などいくつもの前提条件をクリアしたうえで実現する話し」(外務省幹部)(いずれも4日付日経新聞)、「米国は解除しないと言っている」(外務省幹部)(4日付読売)、などと否定してみせた。しかし与謝野官房長官は、翌4日の記者会見で、「米国からは、『核施設の無力化や核計画の完全な申告が行われていない状況下では、テロ支援国指定解除を行う事はない』との説明を受けている。指定解除のタイミングについては、米朝間で合意したとは承知していない」(5日各紙)と微妙にトーンダウンした(5日各紙)。
   その一方で、安倍首相は4日、美根慶樹日朝国交正常化交渉担当大使に対し、「(過去の清算など)他の問題についても進展が図られるように努力してほしい」と指示した事を明らかにした(5日毎日)。美根大使も、「不幸な過去の清算を行い、国交正常化を実現するのが大目標だ」と、今回の交渉で「過去の清算」を全面的に押し出す積極姿勢を見せた(5日日経)。
  これら一連の報道は一体何を意味しているのか。それがこのブログの内容である。
  この点について、5日の日刊ゲンダイは本質をついた記事を書いていた。すなわち日米の専門家の間では米国が北のテロ支援国家指定を外すのは既定事実になっているというのだ。その通りである。後は、「核計画の完全な申告」と「核施設の無能力化」を北朝鮮が何時、どのような形で実行するかである。そしてどのような形であれそれを米国は了承する腹を決めているのだ。
   だからヒル次官補が日本政府に言った通り、「今の状況では解除する事はない」というのは正しいが、同時にまた、米国は既に核合意のシナリオについて譲歩する腹を固めているのであるから、その意味で北朝鮮の言うように、「米国はテロ指定解除に同意した」という北朝鮮の発表もまた正しい。
   問題は日本の出方である。日本だけが「置き去り」にされるという醜態だけは避けたい一心で、ついに日本政府は過去の清算を行う事を全面に出して譲歩する事を決めたに違いない。賠償という形は決して取りたくないから、巨額の援助をちらつかせて北朝鮮を話し合いに引き込もうとする。それは5年前の小泉前首相の手法と同じだ。違う点は、。それに加えて、過去をお詫びして清算する事を決めたのだ。大きな譲歩である。
   しかし国民や右翼の手前もあり、「拉致問題の全面的な解決」なしに国交正常化はないという建前を崩す事は出来ない。そこで何を持って「全面的な解決」とみなすかという事が決定的に重要になってくる。「全面的な解決」とは、必ずしも横田めぐみさんらの無事生還ではない。「全面的な解決」の内容こそ今後日朝間で策略をめぐらす最も重要な内容なのである。日朝間で手打ちを図るべく密議を重ねる事にである。
 日朝国交正常化は関係者すべてが熱望しているところだ。小泉前首相はもはや自分の手柄にならないから日朝国交正常化に関心はないかもしれない。それでも、きっかけを作ったのは小泉前首相だとメディアは持ち上げるだろうし、なによりも、ケチのついた拉致問題が終るわけだから、歓迎だろう。安倍首相は人気浮揚の決め手としたいから大歓迎である。外務省は時の政権を喜ばして評価を高めたい。拉致など存在しないと言い張って北朝鮮との関係を重視した政党、政治家は、その誤りに蓋をする事が出来るから国交正常化は大歓迎である。多くの国民はもはや拉致問題に関心はない。
  かくして国交正常化は皆が歓迎する事なのである。外務省が少しぐらいの裏工作をして北朝鮮と密議を図ってもメディアも国民もこれを許すだろう。少なくともそういう読みは政府や外務官僚にはある。
  そうだとすれば、そう遠くない将来に北朝鮮問題は解決するということである。いや、もっと正確に言えば、中東問題にすべてを優先するブッシュ政権が、みずから大統領でいる間に米朝国交正常化を行うという事が明らかになった時点で、外務省は何があっても日朝国交正常化を実現しようとするのである。
  切り捨てられるのが拉致被害者の家族たちだけだとすれば、あまりにも残酷な話である。
 

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2007年09月05日

「アルジャジーラ」カメラマンの6年間「収容所闘争」

「アルジャジーラ」カメラマンの6年間「収容所闘争」

 「戦争当事国の『公式発表』は、ほとんど例外なく嘘である。戦前の大本営(発表)しかり、ベトナム戦争しかり。もちろんイラク戦争も例外ではない。
 米国と米軍は、嘘を真実にするために、あるメディアが邪魔だった。中東のニュース・チャネル『アルジャジーラ』である。
 そのカメラマンの一人が、なんと6年間もわたって米軍に拘束され、あの捕虜虐待で悪名高い「グアンタナモ収容所」に送られていたのである・・・」

  このような書き出しで始まる雑誌サピオ最新号(9月26日号)の「メディアを裁く!」という記事を、今日のブログで是非とも紹介したい。

  サピオは偏った雑誌である。毎号、毎号、中国や北朝鮮の悪口を書いて溜飲を下げている雑誌である。そこに登場する常連の言論人は、いわゆる愛国的、国粋的、保守、反動的と呼ばれる限られた者ばかりだ。
  しかしどのような雑誌でも参考になる情報はある。どのような言論人の言う事の中にも共感できる発言を見つける事が出来る。

  サピオという雑誌で私がいつも感心して読む記事が、この「メディアを裁く!」である。これは、アメリカのメディアの最新動向を鋭くウオッチングする権威ある雑誌、コロンビア・ジャーナリズム・レビュー(1912年にジョセフ・ピュリッツアーによって設立されたコロンビア大学ジャーナリズムスクール大学院が発行元)のレイチェル・モリス記者による特約連載記事の邦訳である。その第158回である最新号(9月26日号)の記事の概要はつぎの如くである。

   ・・・2001年12月15日、アルジャジーラの記者、サダ氏とカメラマン、アルハジ氏は取材の為アフガン国境に近いパキスタンの町シャルダンにいた。アフガンに入国し、米国の作戦を取材する予定であった。彼らはそれまで何度も同じようにアフガンに入っていた。ところがこの日、サダ記者はパキスタン入国管理官から信じられない言葉を聞いた。
  「あなたは通れる。が、あなたの同僚はお尋ねものだ。ここに留まってもらうことになる」
   ・・・こうしてカメラマン、アルハジ氏の不幸が始まる。アルハジ氏はまず、カブールの地下牢に入れられ米軍の勾留下に置かれた。そして02年1月7日、米軍のバグラム空軍基地に移送された。その時の様子をアルハジ氏は後日こう語っている。
  「15分ほどヘリコプターで移動し、氷のように冷たいタール舗装の飛行場に投げ出された。半分気を失った私を、米軍警察官が蹴りつけ、殴った後、私の持っていたバッグを奪い、服をナイフで切り裂いた。そして警察官は、『お前は、ビンラデンのビデオを撮った』と、罪状を申し渡した・・・」
  アルハジ氏はそれから6ヶ月間、バグラム空軍基地で拘束された後、02年6月にキューバのグアンタナモ米軍基地捕虜収容所に移送される。それから今日まで、アルハジ氏はグアンタナモにいる唯一のジャーナリストである・・・
  ブッシュ政権は、04年6月に連邦最高裁判所の判決が出るまで、同収容所にいる囚人の法的権利を一切認めず、捕虜の公正な扱いを定めたジュネーブ条約に違反し続けた。最高裁判決を受け、米政府は渋々囚人たちのヒアリングを開始したが、アルハジ氏の拘束理由は猫の目のように変わった。
当初、アルハジ氏が言い渡された“ビンラデンを撮った罪”はどこかに消え、かわって『アフガンにミサイルを買いに行った』、『96年にミサイルを買ったことがある』、『9・11テロ後、アルカイダに資金援助した』などと主張がなされたが、いずれも弁護士によって事実無根が証明されている。それでも釈放されないままだ。弁護士は断言する。
  『アルハジが拘束されている理由はただ一つしかない。アルジャジーラのカメラマンであることだ・・・彼はこれまで130回に及ぶ取調べを受けているが、犯罪について聞かれたことは全くない。そのかわりアルジャジーラの記者や幹部のアルカイダとの結びつきについて繰り返し問いただし、アルジャジーラの内情をスパイするなら釈放する』とも言われている・・・
  今年(07年)1月、アルハジ氏はハンガー・ストライキを実行した。見る見るやせ衰えていったが、米軍が取った措置は次のようなものだ。
  ・・・体重が2割ほど減った時、私は椅子に革紐で縛り付けられ、医者が鼻の穴からチューブを差込み、それが胃に到達すると250CCの黄色い液体が流しこまれた・・・
   アルハジ氏は6月に入って、再びハンストに突入した。その決意を再び弁護士あてにこう書いている。
・・・妻よ、息子よ、心配するな。起こるべきことは、起こるべくして起きる。事実は事実である。太陽は再び昇るだろう・・・

 サピオの記事は今回の連載を次のように締めくくっている。

上記・モリス氏のレポートの後、多くの米メディアがアルハジ氏の動向に注目するようになった。8月15日には国務省の記者会見で関連質問が相次いだが、ブッシュ政権は、「彼の敵対が終るまで、アメリカは彼を拘束する権利がある」とコメントしている。

  アルハジ氏の例はアフガン、イラク戦争にまつわる米国の不正義のほんの氷山の一角であろう。どれだけの犠牲と無念がこの6年間で重ねられた事であろう。
  しかしまもなくそれも米国の撤退によって終る。米国のアフガン、イラク戦争が世界中の良心によって裁かれる時がくる。その時が一日も早く来なければならない。そして米国に従属し続けた日本外交の誤りが、どう言い繕っても弁解できないほど、明らかになるのだ。明らかにされなければ、日本外交の蘇生はない。

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