Font-size: small medium big

Blog Calendar

サイト内 検索

 


 人気blogランキング(政治)に参加しました、応援お願いします。 人気blogランキング

2007年05月31日

軽はずみな発言を繰り返す安倍首相

 軽はずみな発言を繰り返す安倍首相

  ここに来て安倍首相の不用意な発言が目立つようになった。直近の例は松岡前農相の自殺に際して、記者団に答えた次の言葉だ。
「・・・捜査当局から松岡大臣や関係者の取り締まりを行なっていたという事実もないし、これから取調べを行なう予定もないと、このような発言があったということを承知しています・・・」
歴代首相は捜査自体に言及する時は慎重であった。安倍首相のここまで踏み込んだ発言は異例である、それは広義の指揮権発動にもつながるおそれすらある、と31日の東京新聞は「こちら特捜部」で取り上げている。
  しかし私はやはり安倍首相が今年3月の防衛大学の卒業式で述べた訓辞の言葉を重大視したい。安倍首相は「慎重と自制を説く忠言が、いかに致命的危険の主因となりうるか・・・」というチャーチル回顧録からの言葉を紹介した上で、「将来直面するであろう危機に臨んでは、右と左を足して二で割るような結論が真に適合したものとはならない・・・思索し決断する幹部であってほしい」と述べた。
  この発言については5月18日に行なわれた党首討論においても小沢民主党代表がシビリアンコントロールの観点から問題提起をしていたが、メディアは取り上げなかった。
   しかし「実業界」という月刊誌の6月号で、小島秀樹という弁護士が、「この言葉だけでも内閣は総辞職すべき」重大な発言であると次のように書いていた事に私は注目した。この事をブログで取り上げるためだけの目的で、670円を払ってこの雑誌を買って、今こうして書いている。
  すなわち1938年、時のチェンバレン英国首相は、ヒトッラーの「これが最後の領土的要求である」との言葉を信じてチェコスロバキアの一部であったズデーテン地方のドイツへの割譲を認めた。いわゆる「ミュンヘン宥和」であり、その後のヒットラーの増長を許したという歴史的事実である。そしてこれが国際政治を語るときに強硬派が決まって持ち出す、国際協調論者に対する批判の根拠である。
 チャーチルの言葉もまさに前任者の軟弱外交を批判した政治的発言であるのだが、、小島弁護士は、そのチャーチルの言葉は当時の経緯に照らし、英国民に向けられた発言としてはよく理解できるとした上で、しかし日本の当時の状況は異なると次のように述べるのである。
「・・・日本はどうであったか。満州事変は時の関東軍参謀石原莞爾が計画し、板垣征四郎参謀が、内閣の事前の承認なく、本庄繁司令官に承認させて実行した。36年の日中事変も、39年のソ連極東軍とのノモンハン事件も、現地での軍の衝突から始まっている。海軍の青年将校が犬養首相を暗殺した5・15事件、その後陸軍青年将校による2・26事件は帝国議会を沈黙させ、軍が政府を壟断することになる。それが真珠湾攻撃への序章となったことは疑いがない。つまり日本の軍部は政治家をテロで脅して手足を縛り、大局観・世界観を持たない東条をして対米戦を決断・実行させた。われわれが前後60年、大切に育て守ってきた価値とは、視野狭窄の軍人を政治から徹底的に排除して、国民から選ばれた議員、なかんずく内閣総理大臣を中心とする政治家が政治決定を行なうという議会制民主主義の政治理念ではないのか・・・」と。
  そして小島弁護士は次のように激しい言葉で結ぶのである。
   「・・・よりにもよって、将来の自衛隊幹部に向かって、『主体的に決断する幹部であって欲しい』とは何ということを言うのか。自衛官は如何に高い地位についても、国民の代表たる内閣の政治的決断に依存すべきであって、自ら『決断』してはならない。
  安倍訓示に対して大新聞やTV報道はなんら批判していない。厚生労働大臣の『女性機能論』には大キャンペーンをはった日本の主要メディア幹部のレベルを思う。安倍訓示をつくった役人のレベルも同じか。(そんな安倍首相を後任の宰相として)ふさわしいと思った小泉前総理にも身震いするのは私だけであろうか。

Copyright ©2005-2007 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2007年05月31日

反戦ママの引退宣言とブッシュ大統領の言葉

  反戦ママの引退宣言とブッシュ大統領の言葉

  昨日のブログでも書いたが、「反戦ママ」シンディ・シーハン(49)さんが引退宣言をしたというニュースが流れた。イラク戦争に関心のある人なら彼女の名前を知っているはずだ。04年にイラク戦争で24歳の息子を亡くしたシーハンさんは、ブッシュ大統領の農場があるテキサス州クロフォードで面会を求め、座り込みを続けて戦争停止を訴え続けてきた。その行動が全米で反イラク戦争の世論を盛り上げ、反戦運動の象徴的存在になった人だ。
  自らのブログで引退宣言をした彼女の次のような言葉を知って、改めて反戦運動のむなしさを感じる。「息子の死は無駄だった。イラクで何人が死亡するかよりも、テレビのアイドル番組で誰が優勝するかを気にする国のために息子は死んだのだ」、「民主、共和両党は人命を使って、政治遊びに興じている」、「米国よ、さようなら。私がいくら自分を犠牲にしても、国民が望まなければこの国は変えられない」、「家に戻り、母親となり、残された子供たちと一緒に過ごしたい」。
  ベトナム戦争のときに盛り上がった米国の反戦運動はどこへ行ったというのだろう。それともあの時は徴兵制であったため、自分や家族が犠牲になることが嫌だったので反対したに過ぎなかったのか。
イラク戦争を始めた米国の世論がこれだから、イラク反戦の盛り上がりが世界に広がらないのは無理だと諦めるしかないのか。日本で平和を語る事が少数派にとどまるのも無理はないというのか。
 いや、決してそうではないはずだ。この戦争に反対の声をあげない事は間違いだ。心の中の良心の声から逃げ続けることだ。何があっても戦争は間違いだ。それを言うことは正しいことなのだ。当たり前のことなのだ。ためらうことは何もないのだ。
  「イラクの夏は流血を伴う・・・」。これはブッシュ大統領が報道陣を前にして平然と口にした言葉だ。民主党からの撤退要求に対し、9月までに兵力を増強し、最後の掃討作戦を行なってイラクの治安を回復させるとの決意の表明である。どこまでイラク人を殺せばすむのか。自国の若い兵士たちに犠牲を強いるのか。
 そのブッシュ大統領は今、米国連邦検事8人の不当解雇疑惑で窮地に立っている。ブッシュ大統領の信認の厚いゴンザレス司法長官が、「検事や移民担当判事の任命に際しては政治的判断を禁じる」という国家公務員法に反して、民主党に近い連邦検事8人を解任したと非難されている。ブッシュ大統領の関与が疑われている。ゴンザレス司法長官の側近であったモニカ・グッドリングは「私は一線を越えた」と5月23日の下院司法委員会で証言した。
 ブッシュ政権の誤りが咎められるのはもうすぐだ。そのブッシュ政権を今こそ批判すべきだ。それが出来なくても、崩れ行くブッシュ政権から距離を置くことは、日本政府の最小限の責務である。

※26日街頭演説@数寄屋橋
26日 天木直人-街頭演説@数寄屋橋
http://www.youtube.com/watch?v=qtyCbaz2vp0

Copyright ©2005-2007 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2007年05月30日

私はあなただ。あなたは私だ⑤

私はあなただ、あなたは私だ⑤

  ブログへのメールが急増してきました。熱烈なメールが私のもとに寄せられています。もはや私の手を離れて一人歩きし始めました。文字通り「私はあなただ、あなたは私だ」の世界が生まれつつあるのです。今後どのように発展していくか分かりませんが、自分で騒ぎを起こした以上、出来るところまでこの動きを発展させて7月22日まで頑張り、その結果を問わずこの動きを責任を持って継続させていこうと思います。
  もはや重要な事は、7月22日の後だと思います。もし何らかの奇跡が起きて例えば私が当選するとします。その翌日から私は国会での政治活動というよりネットを通じた政治活動であたらしい世界の実現に向けて走り出すわけです。それは私が描いていた一つの夢に実現なのですが、それをどう進めていくか真剣に考えなくてはならない、そう思うともはや選挙のことよりも、これから発展していくネット上での集票活動、その後の「新しい世界」の構築をどうしていけばよいかという事のほうがはるかに面白く、夢のあることのように思えてきました。私はネットの専門家ではありませんから、しっかりした専門家を右腕として持つ必要があると思っています。
  お気づきのように今日のブログだけは「です、ます」調で書かせていただきます。明日からはまた、元にもどるつもりですが、とりあえず今日は読者の皆さんに私の思いを語りかけるつもりで「です、ます」調にしました。読者というよりも、もはや、支援者、または、「私はあなただ、あなたは私だ」という国民的運動の参加者、と言ったほうがいいとさえ思います。要するに「あたらしい日本」、「もう一つの政治」、「もう一つのメディア」、「9条の下に集まる共同体」などなど、名前は色々つけられるでしょうが、そういうプロジェクトを皆で創っていくというという事だと思います。そのきっかけを起こしたのが私であり、それをなんとか軌道に乗せて見せたいと思いますが、その後は私より若くてエネルギーがあり、志の高い後継者を見つけ、さらに発展させて行きたいと思いは膨らみます。
  しかしそれにはまず9条ネットの動きを全国に周知させなければなりません。それは読者の助言と協力を得て十分に可能であるとの思いを強めつつあります。思いつくままに今私が皆さんにお伝えしたいことを以下に書いていきます。
① 皆さんから寄せられたすべてに目を通しているのでメールを送られた読者はそのつもりでご安心ください。どうしても返答しなければならないものについては極力返答するつもりですが、今後はそれさえも困難になると思われますのでこの点あらかじめご了承ください。とにかく読者の熱烈な声援に押しつぶされそうで、私は実は俗物で食わせ者なのだと自分では思いますが、当分の間は私は「正義の味方」のように振舞って、このプロジェクトのリーダーとして成功に向けて走り続けます。
② 私は今でも、これまでのように時事問題についての解説記事を書き続けていきます。本当はそれこそが私の本意であり得意とするところなのですが、これからは「私はあなただ、あなたは私だ」というプロジェクトに実現に向けた発信が重要になります。その発信の一つとして、時事問題についても必ず書いて行きます。
③ これからは街頭へ出て通常の選挙活動をすることが多くなると思いますが、それはそれとして、世間の注目を惹くようなやり方について色々な助言を頂きました。その中でとりあえずこれから私がやろうとしていることを書いてみます。まずこのブログをできるだけ広める事が重要であるという助言に基づいて、「きっこの日記」、と「灰色のベンチから」にアプローチして協力をお願いしようと思っています。この二つのブログは私がもっとも注目していたブログで、平和、正義の実現といった根本的なところで思いは同じような気がしていました。私のブログよりはるかにアクセスが多いので、ぜひともネット上の支援を得たいと思っています。
④ 次に9条ネットのイデオロギー色をなくし、政治に距離を置く一般大衆の関心を集めるという観点から、全国意的に知名度のある人に参加を呼びかける、これを私自らがやってみようと思うのです。これまでも何人かの著名人に協力を呼びかけてきましたが、応援はするけれど自分の名前が表に出るのは勘弁という人がほとんどでした。しかし候補者にならなくても何らかの形で名前を出して支援してもらえれば9条ネットも随分広まると思います。かつて少しだけ付き合いのあった「夜回り先生」の水谷修に6月1日大阪で会う約束をしています。そのまんま東知事には何らかの形で「あなたこそ憲法9条を守ろう」と呼びかけるにふさわしい人だ、9条ネットを支援してくれないかと国民の前でメッセージを送ってみようと思っています。
⑤  メディアに取り上げてもらうことにより知名度を上げるようにすべしという助言も多く寄せられています。これはその通りですが、メディアが取り上げるかどうかは鶏と卵のようなところがあって、国民の間の関心が高まればメディアも取り上げざるを得ないという形にもっていくことが出来れば成功です。
     あとはやはりブログの機能を向上させて、これからはユーチューブを使って画像で活動状況を報告すると言うこともはじめたいと思います。今の心境としてはいつでも辞めるつもりで書き始めたブログが、こんな形で読者を巻き込むことになるとは思いもよらず、大変なことになったなあというのが偽らざるを得ない心境ですが、その一方でひょっとして歴史的な使命を帯びた重要な事をはじめたのではないか、という、いつもの通りの、過剰なまでの自信を持って自らを奮い立たせています。もはや目的実現に向かって走り続けるだけとなりました。
 本日のCNNニュースで米国のイラク戦争反対の活動を続けていた反戦母親シーハンさんが、「いくら頑張ってみても米国には通じなかった」という言葉を残して活動をやめる宣言をしたというニュースが流れました。彼女でさえもそういう思いを抱いたのか、米国でさえも(というよりも米国だからなのか)反戦運動は通じなくなったのか、というまことに悲しく、残念なニュースでした。しかし私は、イラク戦争を支持した日本政府は間違いであった、これ以上米国への軍事協力は進めてはならないという国民意識の覚醒を、これから日本で実現させて、シーハンさんのこれまでの努力に応えたいと決意をあらたにしたのです。私はあなたです、あなたは私です。

 カンパを頂いた方にはこの場をお借りして感謝します。これからカンパいただける方にはあらためて協力をお願いします。その志は決して無駄にはしません。

1 銀行振り込み
栃木銀行 三島支店
普通預金口座 店番号 081
口座番号 2234551
名義   天木直人

2 郵便振込み

振替口座   00140-5-706486
名義      天木直人

3 PayPal: naoto@amakiblog.com  
  

Copyright ©2005-2007 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2007年05月29日

復興援助という名の金のバラ撒き

復興支援という名の金のバラ撒き

  最近の外務省幹部たちは、やるべき仕事がなく手持ちぶさたにしているに違いない。こういうと読者は怪訝な顔をするかもしれない。重要な外交案件が山積しているではないかと。それはその通りである。しかしそれらの一つ一つが行き詰まっている。解決する知恵も外交力もない。それでもメディアが騒いでくれているうちはまだいい。メディアの注目をあびるうちはそれで仕事をしていると錯覚できる。国民もそう思って外務省の仕事振りを報道してくれるからである。しかしそれもなくなった。プレスに注目されなくなるととたんに外務省の仕事が見えなくなってくる。寂しがって「プレスが書いてくれる事を考えなければならい」となるのである。これは私が外務省にいた時の体験から話していることだ。
  具体的例を示そう。北朝鮮を巡る北朝鮮問題である。靖国問題を巡る日中関係の問題である。かつての国連安保理加盟問題である。普天間基地移設問題である。そのいずれもが連日のニュースで流れる日がかつてはあった。ところが今ではニュースにならなくなった。六カ国協議は完全に米朝の問題に移ってしまった。小泉前首相の手で破壊された日中関係はとりあえず収まった。国連安保理改革は凍結された。米軍再編問題はもはや交渉する話ではなくなった。あとは防衛省が実施するだけである。いずれも我々の生活になんのプラスももたらさない状況であるのに、メディアの監視対象外に置かれて忘れ去られていく。
  外務省の当面の仕事は6月の主要国首脳会議である。しかしこれがまた中身のない政治ショーになってしまっている。しかも今回のサミットの主要議題は環境問題、国際金融問題、自由貿易協定などであり外務省の権限の及ばないものばかりである。まったく出番がないのだ。
  そこで外務省はいつもの手を使う。つまり援助だ。これは手っ取り早い。誰も文句を言わない。外務省だけで勝手に決められる。受け取るほうは決して文句は言わない。そういう訳で、5月28日の産経新聞一面にパキスタンのアフガン国境地域開発に数十億円の支援を行なうという記事がのることになる。麻生外相が5月30日にドイツで開かれるG-8外相会議で表明するという。外務省が産経新聞に意図的にスクープさせて書かせたのだ。宣伝させたのだ。
  その裏にはさらにまた次のような事情がある。アフガンは反米テロ勢力が猛烈な勢いで巻き返している。混乱の極みだ。本来は自衛隊の派遣によって治安確保に向けた協力をしなければならないところを、さすがに自衛隊に危害が及ぶため、再三にわたるNATO、米国の要望にも関わらず断わり続けている。その代わり、援助資金だけはバラまくというわけだ。それを麻生外相のサミットへの手土産にしようとしているのだ。
  しかしこれはあまりにも安易なやっつけ仕事だ。パキスタンとアフガンの国境はイスラム原理主義勢力タリバンの拠点であり毎日のようにアフガニスタン越境テロが繰り返されている。開発計画を支援し、タリバン浸透の芽を摘むのが狙いであると、まことしやかな理由をつけているが、血税の無駄遣いである。かつて私が経済援助の担当をしていた時、援助が紛争地域には決して行なわない、行なえない、という大原則があった。それはそうだろう。紛争地域に援助したところですぐに破壊されるであろうし、そもそも紛争地域への援助資金の供与は政治目的に使われる事が明らかであったからだ。効率的な援助を確保できる状況にはないからである。そもそも紛争の一方に援助するということは紛争に関与する事になる。
 それが今では日本の援助政策はすっかりゆがんでしまった。開発計画も不明なままに、ただただ金をばら撒いて、戦争への協力要請を金の力でかわすためだけの援助である。それを復興援助と詐称しているのだ。パレスチナに対する援助もサマワの人道援助もすべてはそれだった。もっとも筋の悪い援助資金の使い方だ。その血税を正しい人道援助に使うならば、どれだけ多くの関係者が喜ぶか計り知れないのに。

Copyright ©2005-2007 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2007年05月29日

安保(軍事)関係者の暴走が知らない間に進んでいる恐ろしさ

 安保(軍事)関係者の暴走が知らない間に進んでいる恐ろしさ

 
  5月28日の東京新聞「新防人考」という記事は、9・11の同時多発テロ直後の自衛隊の行動の実情について、懸念を持って次のように振り返っていた。

・・・「海上自衛隊はいかなる支援も惜しまない」、「ありがとう、感謝する」。米中枢同時テロ直後の2001年9月11日深夜。石川亨海上幕僚長(当時)は、在日米海軍のチャップリン司令官(当時)に電話をかけた。支援は直ちに実行された・・・(その法的)根拠は防衛庁設置法の「調査・研究」。だが自衛隊の任務は日本防衛にある・・・米空母護衛は憲法9条で禁じた集団的自衛権行使に触れかねないきわどさがあった。実施前防衛庁内の会議は紛糾した。「根拠があいまいすぎる」と渋る背広組みの内局を、海幕が「日米同盟が崩壊してもいいのか」と説き伏せた。海上自衛隊は自衛隊の中で一番米国との関係が深い。『旧日本海軍の末裔』を公言する彼らは独立心が強く、日米同盟を支えているとの強烈な自負がある・・・しかし米空母護衛には誤算があった。首相官邸が「聞いていない」と不快感を示し、自民党内から「海自は調子に乗っている」との批判が上がったからだ・・・
  同時テロから8日後、小泉首相(当時)は7項目の緊急対応措置を公表した。この中に「米軍等への補給支援」があった。実は同じ項目は、海幕が独自にまとめた「海上自衛隊による支援策」にも書かれていた・・・当時防衛庁内局は小泉首相が示した7項目を全く知らなかった。対米支援に腐心する外務省が内局に相談することなく、たたき台をつくったからだ。「内局の考えた支援策は米国民避難のための政府専用機派遣。そんなニーズは米国にはない。だめだと思った」と元海幕幹部は振り返る。制服組はひそかに外務省と連絡をとりあっていた・・・
  01年11月9日、インド洋へ向けて海自艦艇三隻が日本を出発した。テロ特措法は国会審議中だったため派遣の根拠法は空母護衛と同じ、防衛庁設置法の「調査・研究」。違ったのは官邸がゴーサインを出していたことである。「海幕は裏工作をしている」。このとき内局に生まれた疑心暗鬼は今も消えず、澱のように沈んでいる・・・

 この記事は実に深刻で重大な日本の安全保障政策の実情を教えてくれている。それはシビリアンコントロールの崩壊である。防衛を任されている組織(軍隊組織)の内部分裂である。政府内部(外務省と防衛省)の権限争いである。これらはまさしく日本が太平洋戦争に突入して行った時の状況とそっくりである。しかも日本の対米軍事協力は当時(01年)に比べ遥かに広く、深く進展している。我々の知らないところでとんでもない対米戦時協力が一部の政府関係者の主導で進められているに違いない。それを政治が放任しているのだ。手遅れになる前に国民の手で自衛隊(軍隊)の暴走を止めなければならない。対米従属を優先し自衛隊(軍部)の暴走に加担する外務省の卑劣さを糾弾しなければならない。東京新聞のこの記事をきっかけにメディアがどんどんと我々に情報公開しなければならないのだ。

  

Copyright ©2005-2007 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2007年05月29日

私はあなただ、あなたは私だ④

私はあなただ、あなたは私だ④

 5月28日に「9条ネット」は二つの動きをした。一つは総務省の説明会に参加した。これについては29日の産経が次のように書いている。「・・・自民、民主、公明、共産、社民、国民新党、新党日本の7党以外では既に比例代表候補者を発表している「維新政党・新風」や「9条ネット」のほか、鈴木宗男衆院議員が代表を務める新党大地、女性党など・・・」
 もう一つは国会野党記者クラブで記者会見を開いた。これについては29日の朝日が次のように書いている。「・・・政治団体『9条ネット』は28日、参院選比例区に6人、兵庫選挙区に一人の計7人を公認すると発表した。すでに公認した。元参院議員の栗原君子・新社会党委員長ら3人と合わせ、比例区の名簿作成に必要な10名の擁立を決めた。」
 9条ネットは既に2月24日に最初の記者会見を開き、栗原君子元参院議員・新社会党委員長、鈴木渉元9条の会・北九州憲法ネット代表世話人、藤田恵元徳島県木頭村村長・みどりのテーブル徳島代表の三名を候補者として発表していた。共産党はただちに赤旗で新社会党が「9条ネット」を隠れ蓑として委員長を当選させようとしているなどと激しく非難した。右翼陣営からは左翼の悪あがきと冷笑された。
 そして今度の記者会見で7名の候補者を発表した。私のほかは次の通りである。
 石川一郎社会福祉法人月山福祉会理事長、小松猛元愛知県豊明市議会議員、小山広明前大阪府泉南市議会議員、ZAKIストリートミュージシャン、成島忠夫浜岡原発反対運動家、そして地方区から原和美元神戸市議会議員である。
  私はこれらの候補者について面識はおろかその信条や政治的こころざしについて知らない。初対面の人ばかりだ。正直言ってこのメンバーで風を起こす事は不可能な気がした。その理由はいくつかある。まず全員が善良な人たちばかりということだ。善良であるということは、すべての行動の最後の砦であると思っている。善意の人たちの集まりであるからこそ、私は失うものがある事を承知で最終的に参加を決意した。しかし後2ヶ月しかない選挙という修羅場にあって、善良だけでは戦う事は容易ではない。このような善良な人たちとどうやって力を合わせて戦っていけるか、それを思うと天を仰ぐ思いだ。もう一つの理由は、善良な人たちの集まりの常として、強力なリーダーシップが不在であるということだ。指揮命令も戦略作成も何もない。これは官僚組織という上意下達の世界で生きてきた私には驚くべき事である。これでは風は起こせないと思った。
  しかし今の私にはためらいはない。不可能と思われる事をどうしたら可能に出来るか、それを考えるだけだ。風を起こすことが出来ないのならば自分が起こすように頑張るしかない。
9条ネットに参加した人たちは、候補者に担ぎ出された人も、それを裏で支える人も、それなりの思惑と打算はそれぞれあるだろうが、基本的には善意の人たちである。平和を願い、憲法9条を守りたいと願う人たちである。だからこそ、彼らは、あるいは既存の護憲政党の組織の論理に弾き飛ばされてきた。学生運動に挫折した。世間は彼らを負け犬と呼ぶ。私もその意味で官僚失格の負け犬だ。しかし、私はつくづく思う。記者会見の後に何人かの人々と食事を共にして語り合った。立ち食い寿司の千円の食事代を割り勘で済ます普通の人たちだ。彼らの心には、しかし、もはや自らのエゴや邪心は消えつつある。純粋に善良な事に向かって微力を尽くしたいと言う謙虚さだけが残っているように見える。この組織を裏で支えている新社会党や全労協という組合活動家さえも、自らの自己主張を引っ込めて、9条ネットの成功を優先させようと思い始めている。ましてやそのほかの宗教団体とか市民活動家とか、文字通り、様々な境遇で人生を生きた、無力でバラバラな、しかし間違いなく善良なたちは、純粋な気持ちで9条ネットに参加している。
  それをまとめて全国の国民に9条ネットの存在を知らしめる、そしてそこへ無党派の支持を集中させて大きな動きを作っていく、これが私の役割なのだ。口には出さないが皆がそれを私に求めている。これは大変な重責だ。こんな事をする為に9条ネットに参加したつもりはなかった。しかしもはや私には迷っている時間も、後悔している時間もない。ここから出発するのだ。9条ネットを成功させる事がすなわち私の理想を実現することなのだ。ブログで書き続けてきた私の思いを実行することなのだ。そう考えると絶好のチャンスを善意の人たちの行動によって与えられたということになる。無理を承知でそう自分に思い込ませて、決意を新たにしている。「私には夢がある」という名せりふを吐いて米国の黒人市民運動に火をつけたマーチン・ルーサー・キング牧師や、27年間、孤島の牢獄生活から解放されて新生南アフリカを創ったネルソン・マンデラの姿を思い起こす。これはもう思い込みしかない。最後は成功するという自己催眠だ。まあ、それほど深刻には考えていないのであるが。遊び心を最後まで失わないつもりであるが。しかしそれでも全力を傾注しようと思っている。
  率直に言って出だしは逆風だ。政治と言うものは一寸先は闇だ。記者会見の直前に松岡大臣自殺のニュースが流れた。記者会見の時間が短縮された。記者会見の報道も吹っ飛んでしまった。朝日がやっと小さく書いてくれた程度だ。それよりも最大の逆風は、あれほど強硬姿勢を見せていた安倍政権が、年金問題と松岡問題で支持率を急落させ、参院選で大敗北をする流れになって来たことだ。与野党大逆転の流れになれば世の中の関心は一気に政権交替に移る。そしてそれは私も願っていた事だ。そうであれば新党などという試みは吹っ飛んでしまう。政権交替の足を引っ張ることになる。
  しかし、その一方で希望も膨らみつつある。ブログの読者から寄せられる私へのメールが急増し、しかも私への声援が熱烈なのである。それは勿論私への大変なプレッシャーになる。大それた事をしてしまったという思いがある。しかしそれはまたブログの読者が私の言動に強い共感を覚え、自らをそれに重ね合わせてきたということだ。それは同時に、ブログを読んでいない一般国民にも共通するものがあるのではないか。そうだとしたら、私の考えや9条ネットの動きを一人でも多くの国民が知るようになると、ひょっとして大きな広がりになるかもしれない。とにかく宣伝を広げることだと思う。世にこの動きを知らしめる事が風を起こす最短距離であると言うことだ。私に声援を寄せる読者の一人一人が私になったつもりで、自分たちの出来る方法で世の中にこの動きを伝えていくか、それが重要になってくる。それをお願いする。私はあなたであり、あなたは私である。
私は今、何人かの人に候補者になってくれないかと頼んでいる。その人たちが参加すればメディアは注目するし、9条ネットの存在も知れ渡ることになる。さまざまな分野の人が9条を守るという一点で集まってくるというコンセプトがより鮮明に打ち出せる。どんな人に参加してもらえば効果的か。名前を挙げて欲しい。私はその人たちに頼みにいく。たとえ断られようと。毎日、毎日、何か新しい行動を起こして行こうと思う。政治は生き物だ。いつ風向きが変わるかも知れない。順風が吹くかもしれない。それはすべて自分次第だ。あなた次第だ。あきらめてはいけない。我々は正しいことをしているのだ。正しいことをしている者が報われないはずはない。

カンパを頂いた方にはこの場をお借りして感謝します。これからカンパいただける方にはあらためて協力をお願いします。その志は決して無駄にはしません。

1. 銀行振り込み
栃木銀行 三島支店
普通預金口座 店番号 081
       口座番号 2234551
       名義   天木直人

2. 郵便振込み

振替口座   00140-5-706486
名義      天木直人


3. その他
PAYPAL: naoto@amakiblog.com


その他のオプション

Copyright ©2005-2007 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2007年05月28日

年金納付記録漏れ問題と安倍政権の支持率急落が意味するもの

年金納付記録漏れ問題と安倍政権の支持率急落が意味するもの

  いつの時代も、そしてどの国においても、政治は生き残りをかけた政権争奪争いである。政権を取ったものは何でも出来る。政権を奪われたとたんにすべてを失う。この前まで私が勤務していた中東はその典型だ。政権を手放したとたん、刑務所に入れられ、あるいは命まで失う。私が外務省をクビになった後にレバノンを訪れた時、ラフード大統領が私に笑って言った事は、「お前が生き残る道は政治家になってお前を首にした政権を倒すことしかない」であった。そのラフード大統領は米国という巨悪に闘う小悪シリアの傀儡となって文字通り命がけで中東政治の最前線に立っている。米国から狙われる。しかしシリアから離れようとすればシリアから殺されるのだ。しかし巨悪につけば安心というわけではない。巨悪の米国につこうとしたハリリ前首相はあっという間に暗殺された。エジプトを見よ、サウデイアラビアを見よ。独裁政権の維持と引き換えに国民を裏切って米国に従属した為政者たちは、国民の反乱をおそれてますます恐怖政治に走っている。米国の追従から離れようとすれば、CIAの手によって革命を起こされ倒される。権力闘争は命がけなのだ。
   さすがに日本の政権争奪争いはそこまで激しくないと国民は思っているかもしれない。しかし小泉前首相以来のこの国の政治はそれに似たような状況になってきた。権力を独占して悪事を重ねてきた政権政党は、一旦権力を手放した時の惨めさと、怖さを知っている。だからこそ、なんとしてでも参議院選挙に勝たなくてはならない。その恐怖感が彼らをますます強圧的、強権的にしていくのだ。
 しかしここに来て安倍政権に思わぬ誤算が生じた。開き直ったかのような強引な国会運営で支持率低下を食い止めたかに見えた安倍首相は、「年金納付の記録を証明しなければ年金は支払えない」というふざけた政府の対応によって国民の怒りに火をつけた。上向きかけていた安倍政権の支持率が急落した。このままでは参院選は戦えない。慌てた安倍首相は、野党が何を言っても相手にしないが、国民の怒りにおののいて、手のひらを返したように今国会で年金救済法を作ると言い出した。社会保険庁の歴代長官の責任を追及すると言い出した。
 連立政権の一翼を担ってきた公明党は別の意味で、学会員、国民の反応に恐れおののいている。どのように言い訳しても、米国の対アラブ虐殺に加担する日本政府に連立政権として加わっている公明党は、「平和の党」と言い続ける事は出来ない。憲法9条を棄てて戦争国家米国の戦争に自衛隊を差し出す自民党と連立政権組む事は、「平和の党」にとどまることは出来ないのだ。学会員、国民の支持を失う事になるのだ。
   ようやく国民が主役になってきた。小泉劇場に騙された愚かな国民はまた、何かのきっかけで豹変し政府を見捨てる残酷な国民となるのだ。為政者にとっての審判者に様変わりするのだ。今度の参院選挙は政権奪取戦にうつつを抜かす政治家たちにとって恐ろしい選挙になりつつあるのだ。選挙民が主役になりつつある。
 

Copyright ©2005-2007 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2007年05月28日

私はあなただ、あなたは私だ③

  私はあなただ、あなたは私だ③

  多数の激励が私に寄せられている。寄付金の方はまだ確かめていないが、生活費の一部をはたいて寄付を振り込んだ人たちが次々と連絡を寄越してくれている。望外の感激だ。一人一人に返答すべきであるがここでまとめてお礼を言わせてもらう。この支援があってはじめて、私は闘い抜くことが出来る気がする。あなた達こそが真の私の支援者である。私は期待を裏切らない。私はあなただ。あなたは私だ。この選挙はブログの向こうであなたも私になって共に闘う選挙なのだ。
  私はこれから7月22日までの間、私の選挙活動のすべてをそれら支援者に向けてこのブログで報告する。それと並行して書き続けるこれまでのブログは、あらゆる読者向けの私の時事解説であるが、「私はあなただ、あなたは私だ」は、私の立候補を支持し、身銭を切って応援してくれた人たちに向けての、私の精一杯の返答である。私の日々の心境を伝えて、これから始まる熱くて長い2ヶ月の記録としたい。
  さて今日28日の午後一時から国会野党記者クラブという所で「9条ネット」の記者会見が開かれる。私もそこに出席する。「9条ネット」についての最初で、最大の試練だ。その理由を書く。私が今抱えている最大のジレンマを書く。
  私が「9条ネット」に参加する事を最後までためらった唯一、最大の問題は「9条ネット」の不明さだ。「9条ネット」は全国比例区の候補者がほとんど集まらない段階で既に記者会見を一度開いている。その時、新社会党の代表である栗原さんという人が候補者の一人である事を発表した。それによって「9条ネット」は新社会党の隠れ政党だと日本共産党がすかさず叩いた。右翼からも「左翼の悪あがき」であると嘲笑された。これを一般の人が見たらどう思うだろう。うんざりするだろう。これでは風は起こらない。私がもっとも嫌い、困惑する状況である。この点を根本的に改めて出直さない限り私は「9条ネット」に参加する気など起こらない。何度も「9条ネット」の関係者と激論を交わした。納得が行かないまま、参加する事は出来ないといったんはきっぱり断った。ここまで頭を下げて頼んでいるのにと関係者の人たちと険悪な関係にさえなった。
 そんな私が最後に「9条ネット」への参加に踏み切ったのは、安倍首相の改憲姿勢の高まりと護憲政党の非力さである。ここでなんらかの国民運動を起こさなければ憲法9条は守れないという認識である。9条は変えさせないという強い気持ちである。だから「9条ネット」に最終的に参加することに決めたのは、私の自発的な決断である。誰からの命令もない。決断した時に、そこに「9条ネット」があったという事である。そしてその「9条ネット」を国民にアピールできる運動に自分の手で変えていくしかないと思ったのである。
   私は次の前提が崩れない限りにおいて参加する事を表明し、それが受け入れられた。すなわち一切の特定の既存政党と結びつかない選挙確認団体であって、様々な考えを持つ政党、組織、市民団体、個人などが「憲法9条を変えさせない」というただ一点で協力し合うものが「9条ネット」である。あらゆる護憲勢力に結束を呼びかけ、それを誰よりも先に実践するのが「9条ネット」である。「憲法9条を変えさせない」ということを除いて、参加する者たちの主義、主張がお互いを縛る事はない、影響を与え合うものではない。「憲法9条を守ること」の一点だけを全面的に打ち出す、それ以外の事を掲げない、議論しない。その了解で各人が参加する、こういう事である。
  この前提については一応了解された事になっている。しかし物事はそう簡単に整理はできない。不透明な部分は各人の意識の底に沈殿しているかもしれない。それよりも何よりも「9条ネット」という組織は依然弱体でバラバラである。選挙戦も各候補者が独自で闘わなければならない。組織としてのこの弱体性が今日の記者会見で露呈するおそれがある。官僚であった私からすればおよそ考えられないほどの詰めの甘さがあり、これほど重要な記者会見にもかかわらず、事前の打ち合わせも、作戦会議もまったく行なわれていない。ぶっつけ本番である。意地悪な記者の質問に対し返答に窮する事態も想定できる。返答次第では「9条ネット」は失速する恐れがある。そういう懸念を抱えながらも私はその「9条ネット」に参加した。もう前へ進むしかない。私が「9条ネット」の先頭に立って成功させる。記者会見も成功させる。その覚悟で臨むつもりだ。結果は明日のブログで報告させてもらう。
  もう一つの問題は「9条ネット」の出現が既存政党から警戒、敵視されるという事である。このうち自民、公明、民主は「9条ネット」を無視する余裕がある。しかし日本共産党、社民党という護憲を売り物にしてきた野党にとっては「9条ネット」は完全に対立する存在である。敵といってもいい。当然、これら護憲政党の支持者から批判される。その批判は「9条ネット」に参加した私、個人にも向けられる。その一方で私個人を支えてくれる保守層からも、「左翼に利用された」と私は批判される。このジレンマが私にとっての最大の課題だ。
  しかし今の私はそのジレンマさえも克服しつつある。左翼からの批判に対しては、「既存の護憲政党だけでは憲法9条は守れない。憲法9条を守る気が本当にあるのなら何故団結しないのか。だから国民が離れていくのだ。国民の心を捉えない限り憲法9条は守れない。その国民を結束させるのが9条ネットだ。自分の役割だ」と答えることにしている。右翼からの批判については、「対米従属から自立するには憲法9条を掲げて日本を守るしかない。政治的立場を超えてその思いを共有する者たちの選挙協力の場が9条ネットである。当選したら天木新党を立ち上げ、自分の考えを実行する」と答えることにしている。
   私は、自分に浴びせられるどのような個人的批判も恐れない。私のやろうとしている事は正しいからだ。一定数の熱烈な支持者が必ずいると思うからだ。その支持者たちと結束し、志を実現していく、ただそれだけだ。それが政治というものではないのか。政治に無縁な私がはじめて本気になって政治に関わっていこうとしている。その私はあなただ。あなたは私だ

Copyright ©2005-2007 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2007年05月27日

天皇と憲法9条

   天皇と憲法9条

   選挙運動をどう闘えばいいか、ブログの読者に対する私のこのような問いかけに対する読者からの回答の一つに、「ブログを書き続けることです。それが天木さんの最強のメッセージです」と言うのがあった。たしかに私にとっては書くことが一番性に合っている。これからも選挙活動の報告と共に、ブログでメディアが報じる情報についての私の思いを書いていく事にする。
   5月24日の毎日新聞は、太平洋戦争前後の昭和天皇の肉声を記録した英国政府の機密文書の存在をスクープした。また一つ史実があらたになった。この機密文書には駐日英国大使が昭和天皇に皇居で会った際の会話などが記されているという。
   その文書には、天皇は、「日中事変で日英関係が急速に悪化していることに、私は深い懸念を持っている。大使も力を貸して欲しい」と要請。大使が、「良好な日英関係を築く唯一の基盤は、中国を敵ではなく友人とすることです」と応えると、「その方向に、すべての努力を傾けなければならない」と語った事が記されているという。
   また別の機密文書では、「天皇を取り巻くアドバイザーが日本の政策を決定している」と分析。その上で、天皇の性格を、「周囲の人間の操り人形とならないためには強い個性が求められるが、今の天皇はそれを持ち合わせていない・・・自分の意見を形成する機会を持てなかった」とも記しているという。
   昭和史を少しでも学ぼうとした人は、新憲法の成立過程で、天皇制を残した憲法一条と軍国主義を排除した憲法九条が取引として同時に成立した事を知っている。その事を理由に、天皇の戦争責任を問う議論がある事を知っている。タブーとも言えるこの議論はさておいても、軍部が主導したあの戦争に昭和天皇が反対していた事はもはや明らかであろう。そして何よりも今上天皇が、父である昭和天皇が止められなかったあの戦争に心を痛め、何があっても過ちを再び繰り返してはいけないという強いお気持ちを持たれている事は、あらゆる言葉の端にあらわれるメッセージから明らかである。
   そうなのだ。天皇は最強の憲法9条護憲論者なのである。その天皇のお気持ちに反して軍事力を強化しようとしているのが、今も昔もこの国の指導者たちではないのか。天皇陛下は怒っているに違いない。自らの立場をわきまえた天皇だからこそ沈黙を守っているのだ。我々は自信を持って声をあげなければならない。神よ、立ち上がってください、怒ってくださいと。我々はその時を待っているのですと。

Copyright ©2005-2007 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2007年05月27日

私はあなただ、あなたは私だ②

私はあなただ、あなたは私だ②

 26日、九条ネットの宣伝カーに乗って、皆と一緒に数寄屋橋で道行く人々に呼びかけた。初めての本格的な活動だ。土曜日の午後、暑い日だった。大勢の行き交う人を眺めながら、果たしてどれだけの人が耳を傾けているのだろうかと思いながら話した。平和、平和と叫んでも、憲法9条、憲法9条と、その大切さを訴えても、人は、無関心顔で、急ぎ足で通過する。宝くじ売り場や映画館の前には人が行列をなしているのに、宣伝カーのまわりに足を止める人はまばらだ。
 話し終えて、路上でビラを配った。誰も受け取ってくれない。断られても、断られても渡す。明らかに不快な顔をする通行人の群。なぜ、ここまでしなければならないのか。元官僚が、元大使が、ここまで惨めな状態に身を置かねばならないのか。同期の連中の冷笑が浮かぶ。自尊心が自らを責める。
しかし、そんな自分が間違っていることに気づく。私のビラを若者のボランテアが遠くで配っている。年配の女性が汗を拭きながら配っている。断られても、断られても配っている。私の場合はまだいい。自分が当選するために配っているのだ。彼らの場合は、私の為にボランテアで配っているのだ。その動機は何か。平和を訴えたい、ただそれだけの思いが、無償の行為に駆り立てているのだ。この人たちこそが憲法9条を守る人たちだ。私はそういう人たちとの目に見えない結びつきを得ることが出来たのだ。これほど素晴らしい事はない。そう思って道行く人々にビラ配りを再開した。断られても配り続けた。
 嫌な事もあった。私が宣伝カーの上に上がった時だ。中年の男性がビラを配っている若者からビラを奪い取ろうとした。私をにらんで手でピストルの形をつくって撃つ真似をした。明らかに天木と知った上の行動だ。政府や外務省は私が立候補した事に仰天しているに違いない。万が一でも当選して政治家になられたらたまらないと思っているに違いない。どうせ当選しないと思っている間は傍観しているだろうが、9条ネットが世間の注目をあびるようになると裏であらゆる妨害を試みてくることだろう。
 選挙とは、政治とは、あくなき権力闘争なのである。普通の人間がそんな政治の世界に挑戦する。私はあなただ、あなたは私だ。私と一緒に、あなたはそんな選挙に参加して戦って欲しい。このブログで私の行動をフォローして行動を共にして欲しい。最後まで見届けて欲しい。憲法9条という名の正義の神を動かすために。誠意をもって最後まで闘えば神は必ず動く。少しでも疑いの気持ちが心の隙間に生じたら、そのとたんにすべてが失われていく。私は試されているのだ。逃げることは出来ない。逃げはしない。

26日 天木直人-出馬表明
http://www.youtube.com/watch?v=bBhKHnazYHM

26日 天木直人-街頭演説@数寄屋橋
http://www.youtube.com/watch?v=qtyCbaz2vp0

Copyright ©2005-2007 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2007年05月26日

私はあなただ、あなたは私だ 07-5-26

私はあなただ、あなたは私だ

 今日から毎日選挙報告を書いていく。これは読者に対して書くものだが、私自身の戦いの記録でもある。
 昨日25日夕、記者会見を開いて立候補を発表した。記者は3人(朝日、毎日、時事)しか集まらなかったけれどベンジャミン・フルフォード、副島隆彦、国弘正雄の三名が雨の中立ち会って応援をしてくれた。今朝の朝日には、黒川紀章が東京選挙区から立候補するという記事と一緒に私の事がのっていた。
 9条ネットも天木候補もまったくゼロからのスタートだ。9条ネットも天木も知名度はゼロだ。しかし私は宣言する。これから必ず風を起こす。私のブログを読んだ読者から、私たちに何が出来るのか、という問い合わせを良く受けていた。どう答えてよいかわからなかった。結局は政治に関与しないと何もできないのだ。でもどうしたら政治に関与できるのか。組織も何もない我々がどうして政治に影響力を与えられるのか。その声に答えて私は立候補した。あなたというただの一市民が私の姿を借りて日本の政治に参加するのだ。私は恥を承知の上で公衆の面前で話し続ける。あなたより少しばかりあつかましいだけだ。少しばかりエネルギーがあるだけだ。しかし同じようなものだ。こんな事は今でも躊躇いがある。しかし今となっては自分を別人に仕立て上げて、仮面をかぶって最強の候補者を演ずる。最後まで当選を信じて訴え続ける。必ずゼロから大きな風を起こす。今度の選挙はあなたが私の姿を借りて立候補するのだ。これから2ヶ月あまりの間、あなたは私と共にネットの裏側から選挙に参加するのだ。応援するのだ。メディアが報道しなくても、私が毎日私の行動をこのブログで報告する。
 勝つ以上は圧倒的な勢いで勝ちたい。どうしたら風を起こせるか知恵があったら教えて欲しい。どのような言葉で何を訴えればよいか、あなたならどんな演説をするか、教えて欲しい。選挙運動は東京近辺を中心に行うが、地方で受け入れてくれる人たちが北海道から沖縄まで出かけていく。カンパで集めた資金が続く限り旅費、滞在費、会場経費などすべて私が負担する。
  しかしやはりネットを活用したい。費用対効果を考えるとネットの活用が一番だ。リンクのネットワークを広げていくとか、ネット上のバトルを行うとか、どうすればいいか教えて欲しい。
  最後にカンパについて一言報告する。ネットに流したとたん多くの支援者からのカンパが始まった。一人一人にお礼はしないが、すべての人に感謝したい。あなたたちは私の同志だ。私の分身だ。私が政治家になれば私といっしょに新しい政治を作っていく人たちだ。「俺の大切な金だから勝手に使うな」という声もあった。人から金を無心する事は最初で最後だ。たとえ一円でも人の金を使うことは本意ではない。収支報告は勿論させてもらう。どれだけ集まったかについても経過報告させてもらう。使い道は東京での滞在費、事務所費、各地へ講演旅費、人件費などである。立候補に伴う供託金600万円とポスター、チラシ、東京での街頭宣伝費は9条ネットが負担してくれる。だから私が必要な資金は私個人の選挙活動費である。多く集まれば活動を広げる、資金がなくなれば資金の要らない形で運動を続ける。一番いいのはマスコミが書いてくれることだ。私は6月末にこのブログをまとめた本を立候補宣言として出版する。これが売れれば宣伝になる。まあ、今のところはそれくらい。
 でも繰り返して言う。私と言うプレーヤーを使ってあなたが選挙を戦うと考えて欲しい。自分だったらどう訴えるか。何を訴えるか。それを私が実行する。そして毎日このブログで報告する。隠し事は一切ない。敵も味方もない。私は私だ。そしてそれはあなた自身だ。
 今日は田町の集会に出て選挙協力を頼む。その後数寄屋橋で演説する。いよいよ始まりだ。それでは。

Copyright ©2005-2007 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2007年05月26日

私の怒りの原点は小泉前首相の言動にある

私の怒りの原点は小泉前首相の言動にある

 人の行動の原点はとどのつまり感情にある。私が小泉外交に異を唱えた最大の動機は、イラク戦争を支持する表明を行った際の小泉前首相の次の言葉にある。「日本はイラクの復興支援のために最大限の協力を惜しまない」
 4年前の3月20日、バクダッドを襲った米国の「衝撃と恐怖」という名の作戦は、日本に原爆を落とした時のように、抵抗する気力を一気に奪うほどの破壊を行えば直ちに降参するだろうという読みで行なわれた。そんな非人道的な爆撃によってイラク人が目の前で殺されている時に、復興援助を口に出し「最大限の支援をする」と自己宣伝する。「あなたがすべきことはこの戦争を今すぐやめさせることだ!」。イラク人犠牲者の傷口に塩を摺りこむこの無神経さ、欺瞞性こそ、日本の政権政党とそれを支える官僚の心の貧しさの原風景である。
 その小泉前首相が「農林水産物輸出促進全国協議会」なるものの名誉会長に就任し、都内のホテルに現れて挨拶をしたという記事が26日の各紙に載っていた。国会議員の本業である国会審議にすら姿を見せず、ひたすら私的な観劇や会食を楽しんでいる小泉前首相が人前に姿を見せ始めた。「日本の農産物や食文化を発信することは世界に健康を輸出することだ。世界の人々に日本の食文化が素晴らしいと分かってもらいたい」と身振り手振りで挨拶したという。日本の塩ジャケやイチゴが海外で高く売られている話などを延々と披露したという。
 彼の政治家としての経歴の中でおよそ農林水産関係に深く関わったという話は聞かない。彼は大蔵族議員であり、厚生労働大臣経験者だ。そしてなによりも郵政大臣経験者として郵政改革に命をかけると叫んだ。首相になっては49カ国を外遊し、引退後は経団連企業から20億円をあつめて外交シンクタンクをつくり、そこの名誉顧問となって中東外交をすると意欲を見せていると報じられた。拉致問題についても、参院選後に強行される消費税引き上げについても、すべては小泉政治の負の遺産である。そのような難しい問題については一切語らない。自分に不利になる問題は避けて通る。そして誰もが話せるような「日本の食文化は素晴らしい」などという当たり障りのない話を得意げに話す。「くわせもの」小泉前首相の真骨頂がここにある。
  そしてそれを許し、記事にして放任するメディアとそれを読んでやり過ごす我々の心のどこかには、同じような「くわせもの」の心が潜んでいるのではないか、そういう気がする。もちろん私の心にも。

Copyright ©2005-2007 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2007年05月25日

外交を行う者の覚悟と責任の重さ

     外交を行う者の覚悟と責任の重さ

  外交の失敗によって戦争が起きることもある。その意味で外交は国民の運命を左右する厳粛な仕事である。それを任された者はその責任の重さに畏れ、謙虚にならなければならない。責任の重さを実感し覚悟をしてかからなければならない。
  しかし世界でもまれな平和国家日本の外交は、そのような緊迫感を持たなくても誰もが勝手に出来るようだ。二人の外交担当者の次の言動はその典型だ。
 月刊ファクタという雑誌に麻生外相のインタビュー記事が出ていた。人のよさそうな麻生大臣であるが、吉田茂の孫という立場ではつい格好をつけたがるようだ。言葉が勢い勇ましくなる。その結果発言が乱暴になる。最近の日中関係について触れた件である。日本は中国との外交で卑屈になる必要はまったくない。しかし今や国際的に影響力を増しつつある中国を、いたずらに貶めたり、軽んずるような言葉は、自らの自信のなさの裏返しのようでいただけない。麻生大臣は言う。
「(日中関係の改善を中国側が示した事について)・・・ああ、来たな、と勘が働いた・・・だって海外からの対中投資は、前年(05年)は日本以外は平均でマイナスですよ。ここで日本の投資がとまったらとてももたん、と経済がわかる奴なら絶対にそう思うと踏んだ・・・李肇星(当時の外相)に「私は日中友好には興味がない」と切り出した・・・続けて「仲良くして損したら話にならん。日中共益が目的であって友好は単なる手段じゃないか」と言った。(意気投合したのは)それがきっかけですかね。中国はなかなか本音をしゃべらない国です。でも(もってまわった言い方をせず、すぱっと言えば相手も)すぱっと言いますよ。李肇星はそこそこ英語もできるし・・・」
 勇ましい事をメディアに言いたい気持ちはわからないではないが、麻生さん、相手がいないからと言ってそこまで格好をつけてはだめだ。李肇星は駐国連大使、駐米大使を経て外務大臣になった外交官ですよ。中国きっての米国通であり英語の使い手である外交官ですよ。あなたの英語がどの程度か知らないが、「そこそこ英語ができる」とは格好つけ過ぎだ。
 もう一つの例は、小泉前首相の秘書官であった飯島勲氏が「実録小泉外交」(日本経済新聞社)なる本を最近出版した事についてである。その前に出した「小泉官邸秘録」(日本経済新聞社)があまり外交に触れていなかったので、その批判に答えるためにも外国に絞って書いたという。しかしこれがまた全く内容のないものである。私が最も知りたかった訪朝の件については、「交渉が継続中であるから何も書けない」と逃げ、どこのホテルが一番良かったかとか、どこの景色が一番美しかったか、などという、小泉前首相の5年半で行った49カ国の外遊の同行者が書いたガイドブックなのである。
何が実録小泉外交なのだろう。もっともこれが小泉外交のすべてであったというのなら合点がいく。

Copyright ©2005-2007 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2007年05月25日

私の立候補宣言ー憲法9条の心に火をつけて見せる

       私の立候補宣言―憲法9条の心に火をつけて見せる

  このブログを書き始めた今年の1月にはまったく考えもしなかったことである。しかしそれから5ヶ月、ブログを書き始めた時点で、その行き着く先がこうなることは、今にして思えば必然の成り行きであったのかもしれない。昨日24日の日刊スポーツで私の事が流れた。今日25日午後4時半から記者会見を開いて立候補宣言をする。そのまえにこのブログの読者に私の考えを明らかにしておきたい
  何故、今立候補なのか。理由は二つある。いずれも私が選挙に勝利し、これからの6年間を政治家として思い通りの行動がとれる事を前提に書いている。
  一つは、憲法9条を変えさせないためである。私は憲法9条がそう簡単に変えられるとは思っていない。しかし、これから6年間、何が起こるかわからない。何があっても憲法9条を変えてはいけない、日本のためにも、世界のためにも、憲法9条を変えさせてはいけない、そう思っているので、その為に自分がなしうる最善の事を行おうと決意したのである。
  その最善の道とは、政治とは距離を置いた善良な市民たちの心に訴え、その心を一つにすることだ。護憲政党が政治の場で護憲を訴えてきた事には敬意を表する。彼らの役割はこれからが正念場であるから頑張ってもらいたい。しかし残念ながら護憲政党だけでは憲法9条は守れない。憲法9条は平和の神だ。沈黙を続けてきた神だ。その神が動き出さなければならない。その神を動かすことが出来るのは、イデオロギーや組織に縛られた選民ではない。一般大衆の素朴な平和への思いだ。何故神は動いてくれないのか?それは我々一人一人の小さな存在が、自ら動こうとしないからだ。一部の人たちが熱心でも、毎日の生活に埋没した多くの大衆が本気になって動こうとしないからだ。憲法9条という平和の神はそれをお見通しなのだ。お前たち、いいか、この俺を立ち上がらせたいのなら、まずお前たちが動いてみろ、憲法9条の神はそう言っているのではないのか。いやそうに違いない。
  本来ならば今こそ護憲政党が憲法9条の前にひざまずき、一致団結し、一般大衆を率いていくのがあるべき姿である。その場合はもちろん私もその中に入って最善を尽くす。しかし残念ながら現実はそうなっていない。そうなろうともしない。一般大衆がいくらそれを望んでもそうならない。ならばせめてそのような一般大衆の護憲の声を、既存の政治のしがらみから離れて、結束させることが出来ないか。そしてそれを力に、護憲政党統一のきっかけがつくれないか。誰かがそれを始めなければならない。それは成功するかどうかわからない試みであるが、挑む価値はある。そしてその時は今しかない。
  もう一つは、この国の政治を変える事だ。このブログの読者は、もう私の考えを知っているだろう。最近の日本の政治はまったく機能していない。年金の不祥事はどうだ。談合、裏金の不祥事はどうだ。米国の戦争にここまで加担している違憲状態はどうだ。あらゆる嘘が横行しているのに、そして皆がそれを知っているのに、誰もそれを正すことが出来ない。政治が機能していないからだ。
  今の選挙制度から生まれるいかなる政党、政治家も、現状を変える事は出来ない。政界再編や政権交替が行われようと、根本的なところでは何も変わらない。なぜか。それは政治家が選挙や政権取りにうつつを抜かし、国民の為の政治をおろそかにしているからだ。まったく新しい政治家を国会に送り込むことが出来ないものか。その政治家は数は少なくてもいい。最初は一人でもいい。参議院の政治家ならそれができる。6年間選挙の事を考えないで済む政治家が、本気になって国民の為に奉仕すれば、今までの政治家が出来なかった事ができる。国民の為の政治ができる。国会議員の特権を国民に代わって国民のために使える。政府の不正、不作為を情報公開し、監視することができる。政治の裏で行われている国民を裏切る行為をただすことが出来る。それを実践してみよう。そして閉塞感を打ち破ろう。その間に一人でも多くの本当の政治家を見つけ、それを育成し、日本の政治の将来につなげよう、そう思うようになったということだ。
  私は今、池波正太郎の書いた「おれの足音」の中の大石内蔵助を思い出している。なんで俺がこんな役回りをしなければならないことになってしまったのか。俺にはもっと楽な人生があったはずだ・・・そう自分につぶやきながら、女郎屋の暖かい布団の中から立ち上がり身支度をする内蔵助。「外は寒そうだなあ」と言いながらも、最後は運命に従順に決然と立ち上がる内蔵助。これはもちろん歴史上の話ではない。つくられた池波正太郎の世界の内蔵助である。しかし、一般大衆に今求められているのは、まさにこの内蔵助の生き方ではないのか。私はあなただ。そしてあなたは私なのだ。
 しかし私たちはあだ討ちをする為に死に行くのではない。生きて憲法9条を守るのだ。政治を変えるのだ。世界はそんな私たちに喝采を送ってくれるだろう。私は決意した。全力を尽くしたい。

  そういう訳で今日からのブログはこれから7月22日まで続く私の行動と思いを書いていくことになる。しかしその間も、毎日のブログも並行して書いていくつもりである。

  私は選挙のあり方を変えて行きたいと思っている。動き回る従来の選挙活動は勿論いとわないが、ネットの世界でどれだけ票が集められるかを試してみたい。そうすることによって政治もまた変わっていくと思うからだ。読者の皆さんの知恵と協力をお願いしたい。
  それからこんな事は最初で最後であるが、これから2ヶ月間全国を動き回る経費が必要になってくる。なんとか皆さんの支援をお願いしたい。支援していただいた人たちと一緒に政治を変えて行きたい、日本を取り戻したい。そう思っている。

 支援金 振込先

1. 銀行振り込み
栃木銀行 三島支店
普通預金口座 店番号 081
       口座番号 2234551
       名義   天木直人

2. 郵便振込み

振替口座   00140-5-706486
名義      天木直人


3. その他
PAYPAL: naoto@amakiblog.com


その他のオプション

Copyright ©2005-2007 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2007年05月24日

憲法9条は人類を救う「平和の神」だ

 憲法9条は人類を救う「平和の神」だ

 数日前から起きたレバノンのパレスチナ難民キャンプにおける銃撃戦は、イラク戦争が最悪のシナリオに突入しつつある事を示している。どうやら中東は後戻りできないほど暴力と破壊の地になりそうだ。
 詳しく説明している余裕はない。すべては米国、イスラエルのパレスチナ政策の失敗である。単純なブッシュ大統領が、ガラスの上を慎重に歩いてきた米国の中東政策を破壊したことから始まる。
ガザの悲惨な状況を見よ。神が人類を見捨てたかのようだ。アラブ地域を見渡してみよ。圧倒的な軍事力で制圧したはずのアフガン、イラクが反米武装抵抗の巻き返しにあって無政府状態だ。75年から90年にわたって起きたレバノン内戦が今まさに復活しようとしている。かつては米国の手先であったシリアが米国の豹変で追い詰められ生き残りをかけて抵抗し始めた。イランは核兵器開発に邁進している。親米アラブのエジプト、サウデイアラビア、ヨルダンは国民の造反におののいている。混乱はパキスタン、アフリカ、アジアに及びつつある。もはや誰にも止められない。
 第二次大戦後の世界秩序は、東西冷戦という世界規模の武力対立によって緊張と緩和の間を綱渡りしてきたが、皮肉にもそれが終ったとたん、中東が世界の紛争の震源地となった。この問題は人類を破滅に導く予感がする。なぜならば米国がすべてを握っているからだ。イスラエルがその米国を動かしているからだ。彼らは誰の言う事も聞かない不遜さがあるからだ。米国独立の父の一人、ベンジャミン・フランクリンはかつてこう言った。「米国はやがてユダヤ人に滅ぼされるだろう」と。その予言はどうやら正しかったようだ。中東の混乱は誰にも止められない。米国、イスラエルの暴力を世界がとめられないように。
 愚かなり日本。そのような狂った米国と歯止めの利かない日米軍事同盟を進めようとしている。憲法9条を捨て去ろうとしている。いしかし今ならまだ引き戻す事が出来る。その愚かさに気づくことができる。
 憲法9条はこれまで沈黙を守ってきた。蹂躙され、ぼろぼろにされながらも黙って我慢してきた。どのような罵声、悪態を突かれても動かなかった。しかし、もうすぐ沈黙を破る時が来る。怒りだす時が来る。憲法9条という「平和の神」がその意志を示し始めのだ。その時、誰もがその前にひざまづく事になる。その神が声を発したら、それに逆らう事は誰にも出来ない。そうだ。怒れ!憲法9条よ。愚かな人間を目覚めさせて欲しい。声を上げて欲しい。 
 憲法9条という「平和の神」を動かす事が出来るのは、世界の唯一の被爆国である日本国民しかいない。そうだ。日本国民の覚醒が「平和の神」を動かす。世界を救う。

Copyright ©2005-2007 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2007年05月23日

国民の税金を使って米軍基地を繋ぎとめようとする日本政府

国民の税金を使って米軍基地を繋ぎとめようとする日本政府

 昨日のブログで「再編交付金」というアメを使って関係自治体に米軍基地受け入れを迫る不当さについて書いた。5月23日の毎日新聞でもこれを大きく取り上げている。誰が見てもやりすぎだと思われるこのような馬鹿げた法案が、それでも粛々と国会で審議され続け、とうとう今日23日に成立するという。
 国民の税金を使って米軍基地を日本に繋ぎとめようとする日本政府の倒錯した政策は、実はこれだけではない。22日の各紙は、財務省の諮問機関である財政制度審議会が21日、防衛関係費のあり方について見直すべきとの意見を出した事を報じている。すなわち在日米軍基地で働く邦人職員数が、米軍基地を有している他国と比べて異常に多い事(米軍関係者の数が減っているのに邦人職員は増え続けている)、そしてその邦人給与が国家公務員の一般給与より1割も高い、という現状を見直すべきと求めたというのだ。
 何故こんな事になっているのか。それは地元住民の雇用を促進し、その待遇を優遇する事によって、基地撤退の声が出ないように懐柔する為である。その予算は国民の税金であるから政府の一存で何でも出来る。さすがに予算を執行する財務省から「おかしい」という声が出たのだ。
 このような税金の無駄遣いは他にもある。米軍基地に土地を提供している沖縄の地主は破格の地代を受け取っている。その金で道楽息子が仕事もせずにスポーツカーを乗り回している。彼らにとって米軍基地は打ち出の小槌なのだ。そうして米軍撤退を望む住民との分断が図られるのだ。どこまでも卑劣な政府のやり口である。

Copyright ©2005-2007 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2007年05月23日

イラクで戦死した米兵に涙ぐむ昭恵夫人

 イラクで戦死した米兵に涙ぐむ昭恵夫人

  これは産経新聞が安倍首相夫人を持ち上げている御用記事の典型だ。5月22日の産経新聞には「日米首脳会談秘話」として次のような囲い込み記事があった。
  訪米時のブッシュ大統領夫妻主催の晩餐会でのエピソードであるという。戦死した兵士らについて語る大統領の話に昭恵夫人が感動して涙ぐみ、それを見た大統領も目をうるませる場面があったことが関係者の話で明らかになった、と、あたかも美談のように書いている。
 昭恵夫人「大統領になられて、一番おつらかった時はいつですか」
 大統領 「(イラクなどで)亡くなった兵士の家族に会いたいと思っている。指導者は時にはつらい決断をしなければならない」
   この話を聞いて昭恵夫人が思わず涙ぐむと、大統領も目に涙を浮かべ昭恵夫人の手を握り、
   「あなたは心の優しい人だ」
  と話、大きく心を揺さぶられた様子だったという。

 こういうエピソードを記者に話して書かせようとする政府広報担当者、それをわざわざ「日米首脳会談秘話」として勿体をつけて書く産経記者。
 そこには米国軍の不条理、不合理な攻撃で殺されていったおびただしい数の無辜のイラク人の悲しみと悔しさは見事に欠落している。

Copyright ©2005-2007 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2007年05月23日

イラン・パぺさん

イラン・パペさん

  めったに人を褒めない狭量な私であるが、そんな私でも褒める人がいる。私が褒めるくらいだから本当に立派な人だ。その人の名前はイラン・パペさん。イスラエル人でありユダヤ人。54年生まれだから私より7歳ほど若い。英オックスフード大博士号を取得し、現在イスラエルのハイファ大学教授だから私よりはるかに高学歴、高教養人だ。両親はナチスの迫害を逃れたドイツからの移民。
  紹介はこのへんでいいだろう。5月22日の東京新聞「この人」欄に紹介されていた。講演の為に来日したという。勿論私は一面識もない。しかし次の説明を聞いただけで、私にはわかる。イラン・パペさんは立派な人だ。このブログで取り上げた事のあるイスラエルの女性ジャーナリスト、アミラ・ハスさんと同じぐらい立派な人だ。かつてこのブログで取り上げたフォトジャーナリストの広河隆一さんを思い出させる人だ。

 東京新聞はこう紹介している。

 ・・・93年のオスロ合意にもかかわらず和平は実現せず、イスラエル国内では今、対パレスチナ強硬論が優勢である。そんな中で、「パレスチナ難民が故郷に戻る権利を認める事なしに真の平和はありえない、イスラエルはユダヤ人の国でなければならないという執着を捨てる必要がある」と訴えている人である。「ユダヤ人の国」として1948年に建国されたイスラエルが、当時組織的なパレスチナ人追放や虐殺を行った事を、イスラエル側資料を元に検証している人である。だからイスラエルにおいては「裏切りもの」と呼ばれ、大学を追われそうになった。しかしパペさんが言う、「不正義の大きさ、パレスチナ人が払っている犠牲に比べれば、私が払う犠牲は小さい」と。
  イスラエルにこのような人が存在する事は驚きである。そこにかすかな希望を見る。

Copyright ©2005-2007 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2007年05月22日

選挙で選ばれた首相を「暗殺する」と公言するイスラエルという国

選挙で選ばれた首相を「暗殺する」と公言するイスラエルという国

 日本では中東といえばすぐに石油外交しか思い浮かばないが、中東は世界を揺るがす最悪の状況になりつつある激動の地だ。
 それはイラクだけではない。反米、反イスラエルの武装抵抗は確実に中東全域に広がりつつある。アフガンはもとより、パキスタン、レバノン、アフリカなどに拡大している。なによりも震源地であるパレスチナ状況の悪化だ。イスラエルのパレスチナ自治区ガザへの攻撃が連日のように激しくなっている。完全に和平の道筋が壊れてしまった。
  そんな中で、イスラエルの有力閣僚から「ハマス指導者の暗殺を辞さない」とする発言が相次いで行われた。5月22日のイスタンブール発日経新聞が報じている。
  「(ハマス最高指導者ハレド・メシャル氏を)見つけ次第、軍は彼を片づける」(ディヒター警察長官)
  「ハニア首相も襲撃対象になりうる」(オルメルト首相側近の閣僚)
  ハニア首相は米国の「中東民主化」の名の下に、民主選挙によってパレスチナ人民の6割以上の支持を得て選ばれた首相だ。それをイスラエルの首相側近閣僚が「殺す」と世界に公言しているのだ。
  もっともイスラエルはこれまでにもパレスチナ要人の暗殺を公言し、それを冷徹に実行してきた国である。こんな国は世界でもイスラエルだけであろう。暗殺を公言して実行が許される唯一の国だ。この異常な状態が、なんらの国際批判を受けることなく放任される限り、中東に平和は来ない。武装抵抗は収まらない。遠からずイスラエルが世界の平和を破壊する日が来るに違いない。我々はどうやらイスラエルという国を甘やかしすぎてしまったようだ。

 質問主意書が威力を発揮してきた

  かつてこのブログで質問主意書の効用を書いた。「質問主意書」新党を作って政府の政策を監視しようと提唱した。そのせいでもないだろうが、最近質問主意書を多用する国会議員が増えたような気がする。その答えが新聞などで以前より頻繁に報道されるようになった気がする。いい事だ。少しずつ情報公開の扉がこじ開けられようとしている。
 週刊アサヒ芸能5月31日号で、外務省のラスプーチン、佐藤優が、連載「ニッポン有事」でまた一つ質問主意書の効用を教えてくれた。
 4月25日にモスクワでエリツィン前大統領の国葬が行われたことがあった事を読者はご記憶であろう。その時日本だけが特使を送らなかったとメディアが批判した事を思い出して欲しい。この外交的失態を追及された塩崎官房長官や麻生外相は、「葬儀に間に合う商用便がなかった」という不自然な釈明を繰り返した。
  ところがこれが嘘であることがばれたのだ。鈴木宗男が提出した質問趣意書に対する内閣答弁書で、外交ルートで国葬が伝えられていた時点で商用便を手配する時間は十分にあったことが明らかになった。外務官僚から手渡された紙を読み上げるだけだったから嘘をつくことになったのだ。そもそも「葬儀に間に合う商用便がない」などという発言が外交失格である。外務省はどう責任をとるつもりか。
 

Copyright ©2005-2007 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2007年05月21日

米軍再編交付金制度という名の暴力

 米軍再編交付金制度という名の暴力

 この国の官僚が考え出す数々の悪しき政策の中で、米軍基地負担を受け入れる自治体にだけ交付金を与えるという政策ほど卑劣な政策はあるまい。
 わかっているつもりでいた私であったが、5月16日の朝日新聞「ニュースがわからん!」米軍再編交付金制度って?を読んで、あらためて怒りがこみ上げてきた。
 政府の横暴を国会で制止できない今の政治状況の下ではどんな法案でも通ってしまう。米軍再編特別措置法案もその一つだ。その中で米軍の基地施設をあらたに受け入れ、協力する自治体だけに交付金を出すというとんでもない裁量権が行政に与えられた。その一方で、反対する自治体には一切交付金が支払われない。露骨な「アメとムチ」政策である。我々から広く徴収した税金が、我々の了解なくこんな不合理、卑劣な政策に支払われていいのだろうか。我々の払った金が基地住民を苦しめ、分断することになる。そんな法律が果たして合法なのであろうか。
 金を恣意的にばら撒いて人心を左右すること自体が卑劣極まりないのに、その手口はもっと醜悪だ。基地受け入れというお上の命令にに対する従順度を成績表の如く4段階に分け、それを見極めたうえで金を小出しにばら撒く。①受け入れ表明②環境影響評価に着手③施設整備に着手④再編の実施の4段階がこれだ。少しでも遅れるとその段階で支払いをストップすると言う。こんな政策を黙って見過ごせるだろうか。
 私はパレスチナのハニヤ首相の言葉を思い出した。選挙で民衆の支持を勝ち取ったというのに、反米抵抗をやめないために「テロ」の烙印を押され、資金の流れをストップされて兵糧攻めにあったハマスの指導者の言葉だ。「我々は塩とオリーブがあれば生きていける」。それは勿論強がりである。一月もたたないうちに生活が出来なくなり、住民たちの生活を守る為に、悔しくても頭を下げることになる。しかしパレスチナの状況は、こんな事をしていては決して良くならない。米国はどんどんと追い込まれていっている。日本政府はどうして米国の誤りに気づかないのであろうか。

Copyright ©2005-2007 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2007年05月20日

参院不要論の裏を読む

参議院不要論の裏を読む

   参議院が5月20日で創設60周年を迎えるという。そのせいだろう。今日のいくつかの新聞は参議院の有用性について書いている。しかしこれは今日に始まったことではない。これまでにも折に触れて参議院不要論、参院改革論は論じられてきた。しかし最近は頻繁に参議院の不要論が強調されている気がする。
   5月20日の読売新聞の社説もその一つである。「今の姿のままではいられない」と題するその社説は、「参院に求められているのは、本来、衆院に対する抑制、補完の機能だろうが・・・実際の姿は衆院のカーボンコピーであり・・・衆院同様の審議を繰り返すため法案成立に時間がかかる(だけでなく)・・・郵政改革法案を否決・廃案に追い込んだ(例にみられるように)・・・法案成立に不安定性をもたらす・・・」などと、あたかも参院は不要であると言わんばかりである。
  確かに参院は衆院に比べて首相指名や予算先議権などで劣っている。最近では衆院で予算案が通過したり、重要法案が通過したりすると、それで国会の役割は終わったといわんばかりの風潮が、国会
  しかし参院が本来の機能を発揮すれば、「良識の府」として、衆院との均衡や衆院の補完、それにもまして衆院の暴走を抑制する役割は十分に果たせるのだ。参院が悪いのではない。それを構成する参院議員が悪いのだ。参院議員をそこまで軽視する衆院とそれを許す政情が悪いのである。
  解散・総選挙のない参院議員は、いったん当選してしまえば6年間の身分が保証される。それをいい事に、参院はタレント議員や、衆院を落選した議員の駆け込み寺になっている。仕事をしなくても、政党の宣伝や応援団になっていればいいのだ。それがおかしいと私は言いたいのだ。逆に言えば、6年間の身分保障を活用し、本気で政治家の使命を果たせば、参院議員は常に選挙におびえる衆院議員よりはるかに強い立場にあるはずだ。参院議員一期6年で使命を終える覚悟とやる気があれば、参院議員は誰も恐れることはない。おそれるのは一票を投じてくれた国民だけである。素晴らしい仕事ができるはずなのだ。その事はまた、三期18年も国会議員を務めておきながら、国政に何も残さずに辞めていったタレント議員などの例を想起すれば、能力とやる気のない者に参院議員の職を与えることが、いかにもったいない事かを証明している。
  仮に参院がなくなったとしよう。今の二大保守政党化の流れと、自公政権の強硬化を考える時、強行採決でなんでも立法化することが出来るようになるだろう。参院で同じような議論をしなくて済むということは、政権政党にとってそれだけ面倒なことがなくなるという事だ。こう考えると参院不要論は今の風潮と見事に合致する。
  必要なのは参院改革だけではない。衆院を含め、選挙制度を含め、国会議員の定数や評価の方法を含め、国会そのものを見直す必要があるのだ。その時が来ていると思う。それなくして参院の不必要性だけが強調されるのは、更なる権力政治の強化を目論む情報操作であるとさえ思ったほうが良い。
  もっとも参院がすぐに無くなるという懸念は不要だ。青木参院議員会長や扇参院議長のように、国会議員としての本来の使命を果たす事無く特権を享受して来た与党議員がなくならない限り、参院もまたなくならない。それはそれでまた大問題ではあるのだが。

Copyright ©2005-2007 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2007年05月19日

集団的自衛権をめぐる論議についてもう一言書いておく

集団的自衛権をめぐる論議についてもう一言書いておく

   昨日のブログで集団的自衛権をめぐるこれ以上の議論は不要だと書いた。そして、今日5月19日の各紙を読んで、改めて不要だと思った。しかしそれはまったく別の観点からだ。
   日経新聞に列挙されていた「懇談会メンバー」の考えは見事に解釈改憲で一致している。彼らこそ論議は不要であると言っているのだ。彼らと昨日の秋山収元内閣法制局長官やその考えを支持する人たちとの論争は、もはや不要というより不毛になってしまう。国民が分裂させられ、世の中が殺伐となる。団結した国の力がそがれていく。安倍首相は自分のやっていることを冷静に考えたほうがよい。日本を弱体化させる許しがたい指導者だったと後世に語り継がれない為にも。

柳井俊二・前駐米大使     
"今のままでいいのか。国際情勢や安全保障環境の根本的な変化を踏まえて解釈しなければならない"

岩間陽子・政策研究大学院准教授
"自衛権は本来国家に備わっているもの。行使できるようになったほうがいい"

岡崎久彦・元駐タイ大使     
"憲法以前の問題だ。行使できないというのは間違った解釈だ"

葛西敬之・JR東海会長     
"現実と解釈を一致させるべきだ。解釈変更して認めるべきだ"

北岡伸一・東大教授        
"すべて(行使を)可能にして、何が出来ないかを明確にすればよい。"

坂元一哉・阪大教授        
"解釈は変更が必要だ"

佐瀬昌盛・防衛大名誉教授   
"過去の政府解釈は欠陥品だ"

佐藤謙・元防衛次官        
"常識的な人なら4分類型全部認めて当然だと考える"

田中明彦・東大教授        
"保持しているが行使できないものが権利なのか"

中西寛・京大教授          
"行使しないのは政治的判断の問題で、変えることが憲法違反になるとは考えない"

西修・駒大教授            
"禁止されてはいない。米国が攻撃されているときに自衛隊が行くかどうかは政策判断の問題"

西元徹也・元統合幕僚会議議長
"厳密かつ狭すぎる解釈が国際平和協力を大きく縛っている"     

村瀬信也・上智大教授       
"国際制度の枠組みを正しく共有して政策的に判断して欲しい"


  なんだこれは。これでは議論する必要はない。いますぐ報告書が書ける。いやもうすでに防衛官僚の手で報告書は作成されているに違いない。
 
  同じ19日の読売新聞「点検 安倍政権」の中で、世耕弘成首相補佐官のこんな言葉が紹介されていた。政治家でありながら電通マンのように世論操作ばかりにうつつを抜かしている政治家だ。彼が安倍首相に同行してアラブ首長国連邦を訪れた時、そこで海上自衛隊から一枚のパネルを見せられた時のことだ。そのパネルには日本の補給艦が外国の艦艇に補給する為に重なり合い、その背後に日本の自衛隊の護衛艦が控える姿が写っていたという。そのパネルにじっと見入って熱心に説明に耳を傾けていた安倍首相。
それを眺めながら「ああ、これが集団的自衛権の現場なんだ」と世耕は感激したというのだ。

そんな単純な感動が「集団的自衛権の行使はあたりまえだ」という発想につながる。そもそも戦地に出向き、戦闘中の外国艦船に補給すること自体が、れっきとした憲法9条違反なのだ。論理が逆立ちしている。

Copyright ©2005-2007 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2007年05月18日

集団的自衛権をめぐる議論の結論はこれできまりだ

集団的自衛権をめぐる議論の結論はこれできまりだ

   今日5月18日は集団的自衛権について研究する安倍首相の私的懇談会の初会合が行われる。様々なケースを想定して、どれが集団的自衛権の行使といえるのか、どこまでが今の憲法の下において合憲と解釈されるのか、などにつき、結論を出すと言う。ご苦労なことだ。
   もっとも、懇談会メンバーに選ばれたいわゆる有識者と称する官僚OBや御用学者らは、自説を開陳して自らの存在を世間にアピールしようと張り切って腕をさすっている事だろう。彼らにとっては絶好の自己宣伝の機会なのだ。メンバーに選ばれなかったタカ派の連中は、何故俺が選ばれなかったのかと歯軋りしていることだろう。いずれにしてもくだらない話だ。
   なぜくだらないか。それはこれからメディアを通して流されるおびただしい議論は、すべて意味のないことであるからだ。「集団的自衛権は一定の範囲であれば現行憲法の解釈で認められる」という結論が、「はじめにありき」であるからだ。そして、その一定の範囲とは、すべて米国が日本に協力を要請してくる場合を想定したものなのだ。
   5月18日の朝日新聞 「論考 集団的自衛権」の中で、元内閣法制局長官の秋山収という人が、極めて明快な意見を述べていた。さすがに現役の時は、こういう意見を公言できなかったに違いない。いや、たとえ現役を退いたとしても、安倍強硬政治一色の今の世の中で、こういう発言を行うには勇気がいった事に違いない。よほど今の安倍首相の姿勢が危険であると思ったのであろう。誰かが歯止めをかけなければいけないと考えた末での投稿であったと思う。そして、この元内閣法制局長官の次の言葉の持つ意味は極めて重い。我々は、これから繰り広げられる集団的自衛権をめぐる不毛な議論に耳を傾けて自分の頭を混乱させるよりも、「この意見で決まり」であると思ったほうがいい。ただでさえ短い人生だ。もっと他に議論すべき重要な事がある。

・・・(歴代の政府が一貫して維持してきた)政府見解では日本が自衛権を行使するには三つの条件が必要だ。①わが国への急迫不正の侵害②他の適当な手段がない③必要最小限度の実力行使にとどめるーこの三要件だ。
  特に「わが国への急迫不正の侵害」という点が重要で、他国が攻撃されても自衛隊が応戦できるという解釈はできない(つまり集団的自衛権の行使はこれまでの政府の解釈では出来ないという事について既に答えは出ている)。
・・・政策論として集団的自衛権の行使を認めるべきだ、という主張は理解できる。だがそれは法律論ではない。憲法9条は、自衛隊の行動に国際法の基準以上の厳しい制約を課している。強引に解釈を広げれば、国際法と憲法との解釈が一致し、憲法の意味がなくなる・・・内閣法制局は憲法の規範的な意味を守ってきた。首相はそうした積み重ねを無視しないで欲しい。時の政府の判断で解釈を変更できるのなら、公権力を縛る憲法の意味が失われてしまう。歴代の首相が集団的自衛権の行使を「真っ黒」(違憲)と言っているのを「真っ白」(合憲)にするのは至難の業だ。解釈変更をしたいのなら、憲法改正で正面から対応するのが筋だ・・・

   これ以上の答えがあると言うのか。これで決まりである。それほど集団的自衛権の行使を認めたければ憲法9条を堂々と変えてみればいいではないか。これである。
   そしてこの点について、同じく5月18日の朝日新聞の「声」の欄に、常岡せつ子という横浜在住の53歳の大学教授の次のような意見が掲載されていた。憲法学者の一人として、安倍首相の改憲を公言する姿勢が、憲法99条で定める「憲法尊重擁護義務」に反する違憲ではないか、という読者の質問に答える形で投稿したものである。

  彼女は、「内閣に改憲の発案権があるかという問題については、学説がわかれており、仮に内閣に発案権が認められなくても、安倍首相は国会議員の資格で発案できる」とした上で、次のように述べているのである。

・・・為政者に改憲の発案権があるとしても、改憲の限界、つまり、どのような「改正」も認められるかという問題が残ります・・・憲法の基本原理を変える変更は、現憲法の否定であり、もはや「改憲」とは呼べないというのが学説の通説となっています・・・(ですから憲法9条を変えることは)新憲法制定、またはクーデターとも言うべきものです。96条の(改憲の)手続きで行うのは国民を欺くものです・・・

  その通りである。これが通説なのだ。すなわち集団的自衛権行使を容認すると言う事は、安倍首相とその取り巻きによるクーデターなのである。そう考えると、国民投票で為政者の改憲の試みを拒否することは、国民の側のクーデターである。私が繰り返し声を上げてきた日本の歴史上はじめての民主革命であるということだ。やっと日本国民も欧米諸国がとうの昔に成し遂げた民主革命を手にする時が来たのだ。
  こう考えれば雲が晴れたようにすべてハッキリとする。マスコミはこの点を繰り返し強調すべきだ。国民がこの事に気づくならば、為政者の改憲の企ては吹っ飛んでしまう。政権そのものが民衆の目覚めで倒されてしまう。安倍首相はとんだやぶへびの失敗を犯そうとしている。愚かだ。

Copyright ©2005-2007 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2007年05月17日

どうやら今の政治では憲法9条は守れない事がはっきりしたようだ

お知らせ  トップページのフォント選択ボタンで字を拡大できるようにしてもらいました。


 どうやら今の政治では憲法9条は守れない事がはっきりしたようだ

 今の政治では憲法9条は守れない。そう思わざるを得ない記事を最近の新聞で見つけた。
 私は5月15日のブログで「改憲問題は政争そのものだ」と題して、安倍政権の性急な改憲志向を阻止できるのは、保守系政党を中心とした野党連合しかないと書いた。反安倍、反自公政権の政局にして政権交代に近づけることであると書いた。しかし、私は政治というものを知らなかったようだ。ナイーブ過ぎたようだ。
  5月16日の産経新聞に、民主党最高顧問である渡部恒三氏の、次のような言葉を見つけた。自民も民主も国民新党も、表面的な政権争いの裏で馴れ合っているのだ。彼らに護憲を求める事は「ないものねだりということだ。

・・・8日夜の同期会は本当に楽しかった。森善朗元首相、綿貫民輔国民新党代表、小沢一郎民主党代表、羽田孜元首相・・・自民党は森君一人になってしまったけど、みんな昭和44年に初当選した仲間だ。
   いろいろと話に花が咲いた。ほとんどは夏の参院選の話題だった・・・結論は自民党、民主党のどちらが勝っても僅差だということだ。そうなると、参院選後は綿貫君の国民新党がカギを握ることになる・・・だから僕は、「森君と小泉純一郎前首相、安倍晋三首相は政局安定のために綿貫君に土下座する場面が出てくるんじゃないか。綿貫君は神主さんだけど、7月には神様になる」と言ったんだ。綿貫君は笑っておったが・・・健全な二大政党制は、外交や安全保障の基本路線ではどちらも共通した考え方を持っていなければ政権交代はできないんだ。民主党が政権をとったら自衛隊を廃止し、次に自民党が政権に戻ったら自衛隊をまた作ります、というわけにはいかないだろう・・・僕が民主党の若手中堅に期待しているのも、外交・安保で非常に健全な哲学を持っているからなんだ。この連中なら明日でも政権をとっても大丈夫だ・・・
 
 保守系政党はやはり皆自民党なのだ。そしてその自民党に対峙すべき護憲政党は、もはや絶望的だ。5月17日の朝日新聞は、社民党の苦境を次のように伝えている。もはや党勢退潮を食い止めるだけの政党になってしまった。知名度のある候補者探しに奔走しているという。上原前国立市長を公認したまではいいがどこまで票が集められるか不安だということで、タレントの太田光の擁立や辻元清美の参院選鞍替え、さらには引退した土井たか子前党首まで出馬するという。こんな事で国民の気持ちを熱くする事はできない。
 その社民党は、一方において「自民党と民主党は二大保守政党。民主党は憲法を変えない勢力にはならない」(福島党首)と批判しながら一人区での民主党との共闘を行う。そんな社民党を、同じ護憲政党の日本共産党は、「(民主と社民の選挙協力には)大きな隔たりがある。一番の基本問題が問われる」(志位共産党委員長)と批判し、真の護憲政党は日本共産党だけだといわんばかりに自己宣伝を繰り返す。
 そういう護憲政党の衰退の中で、驚くべく事態が進んでいる。5月17日の読売新聞「憲法改正への道」において次のような自衛隊幹部の言葉を見つけた。
「(北朝鮮戦闘機が米民間機を攻撃する場面に遭遇したら)自分が司令なら攻撃を命令する。憲法9条より、私は日米同盟を選ぶ・・・」
   国会で今すぐ取り上げるべき重大な発言だ。しかし16日の党首討論では、安倍首相は次のような発言を繰り返した。防衛大学校卒業式で「諸君らが将来直面する危機には、自分の信念に基づいて的確な判断で行動すべきだ」と安倍首相が訓示した事について、小沢民主党党首が、不適切ではないかと質問した事に対し、気色ばんで答えたものだ。
「・・・外国から侵略された場合には、戦闘場面でその判断を(彼らが)しなければならないこともある・・・」。これが国会での首相の発言である。しかも党首討論での発言である。これを野党党首がやり過ごし、マスコミが何も言わない。これでは憲法9条は守る事はできない。
  憲法9条を守りたいと素朴に、純粋に考えている普通の人は浮かばれない。彼らの思いを吸い上げて国会へ送り込む人はこの日本にはいないのか。誰かが一般の国民の心に火をつけなければならない。
 


Copyright ©2005-2007 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2007年05月16日

朝青龍の暴力を許す世相

朝青龍の暴力許す世相

 子供の頃には相撲に夢中になった時期もあった。テレビが出回った頃だ。若乃花の全盛期のころだ。それ以来相撲を見なくなって久しい。今ではやさしたる興味はなくなった。
 だからと言うわけではないが、私は朝青龍が嫌いだ。強すぎるからではない。モンゴル人だからという事では勿論ない。土俵上でみせる態度が傲慢で品性に欠けるからだ。
 その朝青龍に対する嫌悪感を決定的にさせたのは、4月30日の出稽古において、新小結の豊ノ島という力士を負傷させ、病院送りにしたという記事であった。ヘッドロック。そのまま首をねじり体をそらせ、崩れ落ちるところをさらに体重をかけて上から押しつぶした。稽古場には「グキッ」という鈍い音が響き渡り、そのまま豊ノ島は病院送り(5月7日日刊ゲンダイ)。
 八百長疑惑の腹いせでもあるまい。「鬼になる」と公言し、その後も、「弱いものいじめ」が続いていたらしい。相撲協会とか横綱審議会などは何をしているのか。
 そんな中、5月15日の日経新聞は、「仁義なき闘争心」という見出しをつけて二日目の朝青龍の取り口を次のように書いていた。大手新聞がここまで書くのは異例だ。

 ・・・ここはボクシング会場か、それともプロレス会場か。軍配が返った直後、朝青龍が左から繰り出したフックのようなかち上げに場内の歓声が一瞬途切れた。「すごい音がしたな」と土俵下の放駒審判部長・・・朝青龍のすさまじさに興ざめする館内。朝青龍は、仕切りで睨みつけるうちに、「自分の方が上だし、下に負けたくない」と燃えたという・・・この横綱にあるのは、狂気にも似た闘争心と我の強さだけだ・・・

   私は思う。この朝青龍の横暴と、それを正面きって諌めない風潮こそ、小泉前首相以来この国にはびこった「強ければいいだろう、文句あるか」という強硬姿勢に違いない。そして周囲はそれを見過ごしてしまう。そういえば朝青龍のファンは細木数子である。その細木は小泉前首相を盛んに持ち上げていた。「小泉自民党に入れないと、バチが当たるわよ」などと選挙妨害まがいの発言をしていた。朝青龍の傍若無人な乱暴さは、小泉前首相の自制なき弱いものいじめと、それを喜ぶ世相のうつし鏡だ。

Copyright ©2005-2007 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2007年05月15日

改憲問題は政争そのものである

改憲問題は政争そのものである

   国民投票法が成立した。2007年5月14日は、世論を二分する改憲論争の始まりとして、今後末永く記憶さるべき日となるだろう。だからやはりこのブログでも一言だけ書きとどめておきたい。
   最近の国会の勢力状況を見ていると、いかなる反対があろうとも国民投票法が成立するであろう事は明らかであった。それでも、いざ国民投票法が成立してみると、メディアは改めてそれが一大事の如く報道する。それでいて本気で心配している風情でもない。あたかも改憲までのシナリオが着実に進んでいく事を、あきらめ顔で容認しているかのごとくである。
   護憲政党の声は無視され、世論はなぜか動かない。動けない。何故か。それは小泉政権以来この国の政治均衡が大きく崩れてしまったからだ。それにともなってメディアが一気に権力側につくようになったからだ。
   政治の場における真の保革対立がなくなって久しい。いわゆる護憲勢力は衰退の一途を辿ってきた。それでも政治がバランスを保てていたのは、自民党の派閥争いによるチェック・アンド・バランスが働いていたからだ。それが小泉政権になって崩れた。自民党が一派閥の支配する政党となり、小泉党になった。この傾向は今後も当分続くだろう。その背後に米国の命令があるかどうかはここでは論じない。しかしハッキリしていることは安倍であろうがその後が誰であろう、今の政治状況が続く限りは親米一辺倒の自公政権の支配が当分続くということだ。
   小泉前首相の最大の罪は、権力に対する自制心を捨て去ったことだ。権力の横暴に身をゆだねたことだ。権力は、それが如何に横暴であろうとも、最後は他者を黙らせるという事を、小泉前首相はものの見事に見せつけてくれた。繰り返していうが、その背後に米国の命令があったかどうかはここでは論じない。後継者である安倍首相は、就任直後こそモタモタしていたが、最近になって急速に強硬に転じた。あたかも小泉前首相がそれを密かに伝授しているかのようだ。そしてその安倍首相が、改憲に向けて一気に舵を切った。
  「改憲問題を政局と絡めてはいけない」。これは皆が決まって口に出すことだ。それは一見正しいかのようである。しかし私は逆だと思う。改憲と言う国家の根幹に関わる事を決めるのは、まさに政治である。しかも改憲は日米軍事同盟と表裏一体だ。政治は政争である。権力闘争である。権力闘争の決め手は米国の支持を得られるかどうかである。
   こう考えた時、改憲を阻止する唯一、最善の方法は、護憲を、護憲政党の専売特許にしないことだ。平和運動という奇麗事だけに終始しないことだ。あらゆる手を使い、政局にしてでも憲法を守るという政治センス、戦略を駆使することだ。
   これを具体的に言えば、護憲政党が小沢民主や国民新党と「自公政権打倒」で共闘することだ。
たしかに民主党や国民新党のメンバーは旧自民党だ。その意味では心情的には改憲、親米かもしれない。しかしネオコングループを除いた小沢民主と、小泉刺客の恨みを忘れない国民新党は、小泉・安倍自公政権と対決するという意味では、護憲政党よりも政権打倒に執念を燃やしている。しかも彼らは改憲に突き進む安倍自公政権を許さない、という立場では護憲政党よりも護憲的だ。
  さて、このブログの結論を書く時が来た。憲法を守るのは、最後は国民投票による国民の一票だ。そのために私は国民の覚醒に尽力を傾けてきた。 国民投票において国民が為政者の改憲の意図を挫いてくれれば、それはもう日本における初めての民主革命だ、そう私は主張してきた。その思いは今も変わらない。
  しかしその前に、出来るものであれば政治の場で改憲の試みを挫いてもらいたい。日本共産党と社民党は、小沢民主を支え、国民新党も含めたオール野党を結束させて、次回参院選を戦ってもらいたい。米国に操られた小泉・安倍自公政権を許すのか、国民の側に立った反自公政権をつくるのか、その選択をせまる戦後政治史上最後の選挙にしてもらいたい。日本共産党と社民党は、もし本当に憲法を守る事を最優先するのであれば、政争を引き起こす形で小泉・安倍自公政権を打倒しなければならない。護憲政党としてバラバラなままで護憲を訴えても、世論は動かない。世論が動かなければ憲法9条は守れない。なんとしてでも小泉・安倍自公政権の改憲の動きに歯止めをかけなければならないのだ。
 

Copyright ©2005-2007 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2007年05月14日

クラスター爆弾禁止についてもう一度だけ書く

クラスター爆弾禁止についてもう一度だけ書く

   私はクラスター爆弾を禁止しようとする国際会議の動きに関し、1月23日と2月25日のブログで2回取り上げた。それは毎日新聞がこのクラスター爆弾について熱心に取り上げている事に敬意を表するからである。そして、平和外交を唱える日本こそこの非人道的な武器禁止に熱心であるべきなのに、米国に気兼ねして消極的な態度をとり続ける外務官僚のふがいなさを批判したいからだ。
   5月13日の毎日新聞「STOPクラスター」は、外務省の中根猛部長(大使)とのインタビュー記事を載せていた。それを読んでもう一度だけこの問題について書かざるを得ないと思った。
   私と読者との決定的な違いは、こと外務省に関することについては、外務官僚の考えている事が私には手に取るようにわかることである。この中根猛部長は私の5年後輩である。入省したばかりの頃、同僚と一緒に、まだ駆け出しの外務官僚であった私たちのところに、「今年入省した者です」と挨拶まわりに来ていた彼を昨日の事のように思い出す。彼はドイツ語の専攻であり、米国語の私と一緒に仕事をする機会はなかったが、職場ではよく顔をあわせていた。局長待遇である軍縮不拡散・科学部長にまでなったということは、それなりに出世したということだろう。とりたてて鋭いわけではなかったが、どこかあつかましくて自己主張をする、そういう者が、そこそこの出世をするのが外務省である。
  その中根部長が毎日新聞とのインタビュー記事で、日本がクラスター爆弾禁止に消極的と言われていることについて、「いわれなき非難」と反論したという。「よく言うよな、中根」と苦笑せざるを得なかった。
  彼の言葉はさらに続く。「会議へ出て日本の主張をするのが建設的」であるので、出席する方向で「前向きに検討している」が、「米露中などの大量保有国が参加していない」から「性急に条約が出来ても何のための国際的な約束かわからなくなる」、「全面禁止に進む事には懸念がある」、「全面禁止は受け入れられない国が多く、実施は難しい」などと毎日新聞のインタビューに答えているのだ。そんな言い訳をしているから批判されるのだ。どこが「いわれなき非難」なのだ。
  そう言えば5月14日の朝日新聞は元ジュネーブ軍縮大使で現衆議院議員である猪口邦子氏とのインタビュー記事を載せていた。あれほど平和外交を売り物にしている学者が、そして軍縮大使として平和外交に貢献したと自慢している元軍縮大使が、クラスター爆弾禁止問題については、「まずは日本が会議に出席した事自体を評価したい」などと、外務省と瓜二つの模範答弁をしている。自分の本心を殺し、政府弁護の官僚発言を行う。見事な御用学者の姿がそこにある。

Copyright ©2005-2007 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2007年05月13日

「平和」を語るアグネスチャンさんと安倍夫妻

「平和」を語るアグネスチャンさんと安倍夫妻

   これは誰かを批判するものではない。自問自答である。どうでもよい自問自答だ。
   社交の場では宗教と政治の話はするなとよく言われる。信ずるところが違うと人間関係が気まずくなるからだ。
   表面的な付き合いをしている限りでは、人間の価値観に触れるようなことは敢えて口に出さなくてもいいだろう。またその必要もない。それでも交友関係は維持できる。しかし生涯の伴侶であるとか、極めて親しい親友などの場合に、果たして心情、価値観においてまったく異なった者同士が、仲良くできるものだろうか。同じ屋根の下で暮らせるだろうか。
    5月11日の東京新聞「あの人に迫る」にアグネスチャンさんの事が大きく取り上げられていた。「歌の翼を広げて平和の思いを発信」したいというアグネスチャンさんだ。98年に日本ユニセフ協会大使に就任以来、アジアやアフリカを回り、特に子供たちの惨状をアピールして平和の大切さを訴えている。とても立派な事だ。これは皮肉でもなんでもない。私のように対米追従の政府や外務省を批判するばかりの人間よりも、はるかに立派な事をしていると思う。口先だけよりまず行動だ。これは私がいつも指摘していることである。「戦闘には勝っても、戦争には勝てない。みんな敗者。勝つ人は誰もいないですよ」。素晴らしい言葉だ。
   そこでどうも気にかかる事が出てくる。アグネスチャンさんが安倍首相夫妻と家族ぐるみの極めて親しい付き合いをしているという事が報じられていた。本当にそうなのだろうか。それともあれは安倍首相のHPにおける安倍首相サイドの宣伝なのであろうか。
   安倍首相はただの人ではない。日本の総理大臣である。しかもその総理大臣が、「戦後レジームからの脱却」を掲げて憲法9条改憲を自分の手でやり遂げたいと公言している。そのために、防衛庁を防衛省に格上げし、教育基本法を改正し、国民投票法案を成立させ、そして日米軍事同盟を押し進める。従軍慰安婦問題や歴史認識において、一貫して最右翼の立場を取る政治家である。そういう安倍首相と「平和と生命を、歌手活動だけでなく人生のテーマ」にしている人が、心底から親しくなれるのだろうか。 
   ついでに言えば、安倍夫人は首相の言動に心から賛同している人なのか。もっと言えば、ブッシュ大統領は「支持してくれるものがローラと愛犬だけになろうとも信念を貫く」と言っている。ローラさんはそれを支持しているのだろうか。一見して優しく、善良な人に見えるローラ夫人がブッシュ大統領のイラク戦争を支持しているのだろうか。私は時々そう思ってきた。愛犬がどのように考えているかは知る由もないが。

Copyright ©2005-2007 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2007年05月12日

「海上自衛隊の艦船が辺野古沖に向かって横須賀港を出港した」というニュース

「海上自衛隊の艦船が辺野古沖に向かって横須賀港を出港した」というニュース

  11日、米軍の普天間飛行場移設先である辺野古沖に向けて、海上自衛隊の艦船が横須賀港を出港したと報道された。久間防衛大臣は同日午前の閣議後の記者会見で、「警護とか仰々しいことは考えていない」と一応否定してみせたが、その舌の根も乾かないうちに、「先の事はわからない。一部で(海自の動員を)考えている人がいないとは限らない」と本音を漏らした。また塩崎官房長は、これに先立つ10日の定例会見で、「(海自が)防衛施設庁の身分として作業をやる可能性はある」と、形式さえ文民になっていればいいだろうといわんばかりの、アリバイ工作を認める発言をしている。
  これらの発言は明らかに地元住民との不測の事態に備えた自衛隊による威圧効果を念頭に置いたものである。場合によっては自衛隊による自国民への武力行使につながりかねない深刻な話だ。
  このニュースを知って、すぐに私の頭に浮かんだのは、最近読んだ保阪正康著の「60年安保闘争の真実」(中央文庫)の次のくだりである。多くの犠牲者を出して強行採決された改定安保条約は、6月19日午前零時をもって自然成立するのであるが、その前から騒乱が起こっており、岸首相はおそれていた。そういう背景での歴史的エピソードである。

  ・・・午前零時が近づくと、岸は蒼白になってふるえだした。不安になったのか、しきりに自衛隊を出動させろと迫った。自衛隊の一部は市ヶ谷に待機していると報告されているが、もっと近くに置けないかと催促したりした。防衛庁長官の赤城宗徳が強硬に反対し、自衛隊出動は見送られた・・・赤城は「自衛隊を出動させることは国民の血を流すことです。同胞を撃つ事はできません」と断固はねつけた。そのうえで、「もしどうしても自衛隊を出動させるというなら、私を罷免してからにしなさい」と岸につめよったという。それで岸はあきらめたとされている・・・(もしあのとき)自衛隊が出動して鎮圧することになっていたら、それ以後の自衛隊は国民の共鳴、共感を受ける事なく、憎しみの対象として存在する事になったはずだ。同時に、日本に、自衛隊のような軍事組織が存続しえたか否か、疑問である。なぜなら自衛隊は首相の私兵であり、国民に銃を向ける組織である、との理解が根付いてしまったに違いないからだ。この点で、私は赤城防衛庁長官こそ戦後日本の危機を救った政治家だと思う・・・

   当時の自民党には、このような発言を首相に正面切ってする政治家がいたと言う事を、今こそ我々は想起しなければならない。ひるがえって今の政治において、与野党の政治家を問わず、信念に基づく政治を行っている政治家はいるのか。政治家の発言が自己保身や自己宣伝のために大げさに走り、あるいはごまかしの官僚発言に堕している。これでは国民の心を揺さぶる事はできない。
  おりしも今朝(5月12日)の朝日新聞につぎのような記事が出ていた。久間防衛相は11日のイラク特別委で、インド洋で米艦などに補給している海上自衛隊の活動を、「軍事的支援だ。(米国が)自衛権の行使として戦っている軍事行動に支援した」と述べた。これに対して民主党議員が、憲法が禁じる集団的自衛権の行使ではないか、と質したら、「『軍事的な』ではなく、英米軍などを支援する『軍事上の』支援という意味だ」と釈明した。
   久間大臣はさきの米国批判発言の際も、自らの失言をあっさり認めた。国防と言う国の根幹にかかわる事項に責任を有す閣僚が、かくも軽い発言を国会で繰り返す。そしてそれを批判されると、あっさりと釈明する。しかもその釈明がかくもあいまいな官僚答弁である。こんな政治家が閣僚を務めているのである。あつかましさを少しばかり持ち合わせていれば誰でも閣僚は出来るということだ。赤城宗徳防衛庁長官の爪の垢でも煎じて飲んだほうがいい。

Copyright ©2005-2007 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2007年05月11日

本当の保守主義とはなにか

本当の保守主義とは何か

  読者はお気づきかどうかわからないが、私はこのブログを再開してから一日も書くことを止めなかった。一日に複数のブログを書く日はあっても、欠かした日はない。これは一つの意地である。
英語で併記する事はしばらく休んでいる。それは毎日ブログを書き続けることと関係がある。時間とエネルギーがあれば書きたい。しかしどんなに時間がなくても書き続ける事を優先すればどうしても英語が後回しになる。読者は主として日本人だと思うから、どうしても日本の時事問題に絞られるからだ。そしていったん止めると怠け癖がつく。やすきに流れてしまう。
そういう次第で最近は日本語だけになった。そのかわりブログだけは毎日書いていきたい。どうしても朝早く出かけるときは、前日の夜中に書く。これもその一つだ。

  
  5月10日の東京新聞に中島岳志という北海道大学公共政策大学院准教授という人が「保守」と立憲主義という題で興味深い事を書いていた。これが、昨日私がこのブログで書いた「戦後レジームからの脱却」と「かけがえのない日米同盟」の矛盾というテーマと共通しているのだ。今の「自称保守主義」の矛盾である。それを学者が言うとこういうことになる。

   ・・・「保守主義者」を自認する安倍首相は、憲法改正を最大の政治課題とし、自らの政権下での達成に並々ならぬ意欲を見せている。
   しかし、彼ら(保守派の改憲論者)「自称保守主義者」が保守思想の本質をしっかりと理解した上で、改憲論を展開しているとは思えない。逆に、明治以降の保守思想家が依拠してきた立憲主義を、保守派が破壊しようとしているのが現状ではないか。
   保守思想家は「懐疑主義的人間観」を共有する。人間は完全な存在ではありえず、どうしようもない悪を抱え込んでいる。おごりや妬み、エゴイズムなどを完全に払拭することはできない。保守思想家は、このような人間の不完全性を直視し、人間の限界を謙虚に受けとめる。「裸の理性」を疑い、一部のエリートによって理想社会を構築できるという考えを退ける。そのため熱狂的な改革には待ったをかけ、歴史の風雪に耐えた伝統に準じた漸進的改革を重視する。
  国家は、不完全な国民を統治するため、警察や軍隊のような暴力を合法的に占有する。また、様々な法律によって国民生活に一定の縛りをかけ、国内の秩序を保とうとする。しかし国家指導者も時に過ちを犯してしまう不完全な存在であり、多くの限界を有している。だから、国民の側が彼らに対して一定の規制をする必要がある。
  憲法は、こうした国民の側が政治指導者の行為に歯止めをかけ、権力や秩序のバランスをとる装置に他ならない。憲法を制定することで、特定の権力者の暴走を抑制し、社会秩序を保とうとするのが立憲主義である・・・
しかし現在の「自称保守主義者」たちは、この立憲主義の基礎を崩壊させようとしている。憲法を権力者に対する縛りではなく、国民に対する縛りへと転化し、権力の肥大化を志向する。多数者の圧制による平準化を嫌い、個の自由なる精神を尊重する保守思想家にとって、これは本末転倒以外の何ものでもない・・・
  九条についても同様の混乱が見られる。アメリカに寄り添う事を国是とする保守勢力は、憲法の条文よりもアメリカの政治的意向を優先する。これは日米同盟が憲法の上位概念であると表明するものであり、日本という国家の主権を脅かしかねない。憲法をないがしろにし、国家主権をアメリカにゆだねようとする者が、「保守主義」を掲げる日本は、どうかしている・・・「保守」を自称するならば、九条を死守することで、わが国の主権を保守することを目指すべきではないか。九条を保守することによってアメリカの意向への追随に歯止めをかけることこそ現実路線であり、日本人の主体性を保守することにつながる・・・

  私はつくづく思うのであるが、日本の将来と日本国民の幸福を真剣に考えた時、いや世界の国々にとってもそうだ、米国の言いなりになることなく、憲法9条を大切にして平和国家に徹すること、これ程正しい事はない。誰がこれを否定できるのだろうか。
要するに憲法9条を変えようとしたり、対米追従を正しいと唱えるものは、保守主義とかなんとか言う以前に、自分の事しか考えない者たちだ。少なくとも日本国、日本国民のためになることなど、本気で考えているはずはない。

Copyright ©2005-2007 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2007年05月10日

正しい日米関係は平和国家日本の確立から始まる

正しい日米関係は自立した平和国家日本の確立から始まる

  私は最近ある雑誌から寄稿を頼まれた。安倍政権の半年を検証してくれという。そのつもりで色々と思いを巡らせていくうちに、安倍政権のことなどどうでも良くなった。それよりも、戦後62年の日本の外交が、なぜここまで米国に従属してしまったのか、ほとんど不可能とも思える米国隷従のくびきから、どうすれば日本が自由になれるのか、その一点に思いが集中していった。そして今の安倍首相の対米関係を凝視する時、一つの確信にも近い考えにたどり着いた。それをこれから一言で書く。私は結局この私の考えこそが正しい日米関係を構築する唯一、最強の日本がとりうる途であると確信している。その考えは一言で言えばこうだ。
  小泉前首相の対米従属は米国にとって最も都合がよかった。なぜならばそれは主義主張のない完全な対米従属であったからだ。おまけに小泉前首相はエルビスプレスリーの真似をして狂態を演じながら国民を煙に巻いた。国民に気付かれずにこの国を完全に米国に売り渡したのだ。米国が小泉前首相を持ち上げるのは当然である。しかし日本国民にとっては万死に値する。
  ひるがえってその後に登場した安倍首相はどうだ。あきらかに小泉対米従属とは異なる。これは独立保守を目指そうとするものである。祖父岸信介元首相もそうであった。安保改定を成し遂げ改憲にこだわった。安倍首相は「戦後レジームからの脱却」を掲げ、自虐史観を捨て去る保守派の一人である。  しかしその安倍首相は一方において、「かけがえのない日米同盟」を掲げる。これは自己矛盾である。そしてその結果として米国に不快感と警戒心を抱かせる事になった。問題はその後の対応である。米国との関係修復を何にも優先させる以上、釈明をするしかない。信念を曲げるしかない。負い目を引きずった外交は従来以上に対米従属になって終わってしまう。久間防衛大臣の例をみると明らかだ。これは悲惨である。小泉対米従属より悪い。米国に嫌われてなお対米従属から離れられない。もっと卑屈な対米従属に終わってしまう。安倍首相は久間大臣を更迭した上で訪米すべきであった。久間大臣は日本の国益を考えればみずから身を引くべきであった。安倍といい、久間といい、あまりにも政治的センスが欠けていた。
  話が脱線したので元にもどす。どうしたら自主独立の日本外交ができるのか。これには二つのオプションしかない。自主防衛で独立を目指す途と米国が押し付けた憲法9条を掲げて自主外交を進める途である。前者はもちろん核武装にまで進まなければ意味がない。つまり核武装独立論だ。しかし米国からの自主独立には大前提がある。決して米国と敵対関係に入らない事だ。もちろん米国は日本が米国から自立することを許さないだろう。だからあらゆる自主独立に不快感を持つだろう。しかし不快感を持つ事と敵対心を持つ事とは決定的に異なる。いかに不快感を抱こうととそれが世界的に見て日本の自主独立に分があれば、それ以上の行動を米国はあからさまにはとれない。
 こう考えていくと武力を持たないことを宣言して、戦争国家米国の従属から離れることこそ最善の途となる。そのとき必ず出てくるのが「武器を持たずに日本をどうして守れるかという」反論である。これほど現実を無視した反論はない。平和宣言する日本を攻めてくる国が現実に存在するか。今日の国際社会で国家としての日本を攻撃する国として考えられるのは中国、ロシア、北朝鮮だ。しかし冷戦後のパワーバランスを考えるとロシアと中国が平和宣言する日本を単独で攻め入ることはありえなくなっている。だから現実の脅威は北朝鮮とテロと言う事になる。
 ここからが本論だ。テロと言ってもその実態はアラブの反米テロだ。日本とは無縁のテロだ。米国と一緒にイラク戦争に参加しなければ100%狙われる事はない。
  北朝鮮の脅威は軍事的な脅威ではない。米国の態度を見てみろ。北朝鮮が「テロ」に核兵器を渡さないという約束をしただけで米国はあらゆる譲歩をしているではないか。米国は北朝鮮の脅威など何も感じていない。北朝鮮の軍事的脅威は国が崩壊する時だけだ。その暴発を六カ国協議でさせないようにしているいるのだ。拉致問題は日本が独自で政治的に解決すべき問題である。日本の政治が拉致問題をゆがめてしまったのだ。
  私は非武装中立論者ではない。自衛隊の存在を憲法の枠内で認める現実的な平和中立論者である。自衛隊の目的と内容を、今の米軍従属から憲法9条の枠内の日本の為の専守防衛に切り替える事こそ誰も日本を攻めることの出来ない強力な自衛隊となるのだ。
  繰り返して言う。憲法9条を掲げて自主・自立を宣言することこそ正しく、健全な日米関係の始まりとなるのだ。

Copyright ©2005-2007 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2007年05月09日

自立できない自衛隊の戦闘能力

自立できない自衛隊の戦闘能力

  軍事アナリストの小川和久という人がいる。陸上自衛隊生徒教育隊・航空新聞記者などを経てフリーの軍事アナリストとしてマスコミに頻繁に登場する人だ。この人がいつも言っている事に、日本の自衛隊の実力は極めて偏っているという事がある。すなわち、「自衛隊はその成立から今日に至るまで、常に米国の軍事戦略の一角を担う形で作られてきた。だから部分的には極めて強力な軍事力を持っているが、国家として敵国を攻める能力や独力で国家を守る能力は持たない、持てない。そもそも米国が、日本の再軍備に当たって日本の自衛隊の自立を望まなかったからだ」というものである。
  ほとんどの日本国民はこの現実を知らないに違いない。私も小川さんの著書を読むまでは知らなかった。その意味で5月8日の毎日新聞夕刊に掲載された「特集ワイド」―軍事アナリスト小川和久さんに聞く―は極めて有意義な特集記事であった。その中で小川さんは次のように言っている。これによって国民の自衛隊に関する認識が深まるだろう。そしていかに日本が米国の軍事戦略に踊らされているかを。

  ・・・実は自衛隊は、軍隊としての本当の実力を表す世界ランキングには入れない特殊な構造です。例えれば、水泳だけはトップクラスだけれど、自転車もマラソンも苦手なトライアスロンの選手みたいなものなんです・・・(すなわち)海上自衛隊の対潜水艦戦闘能力(護衛艦や哨戒機を使って敵の潜水艦を捕捉し攻撃する能力)は世界2位と高い。また航空自衛隊の防空能力はF-15など400機近い戦闘機や空中警戒官制機(AWACS)があり世界3、4位と高い。しかしそれ以外は並みかあるいは全く欠如しているのです・・・
  (戦力をあらわす基本概念として)国家としての戦力投射(パワープロジェクション)という言葉があります。(これは)核武装をしていない(通常戦力の)場合でも「数十万人規模の軍隊を上陸させ、敵国を占領し、戦争目的を達成できる戦力」とされる。自衛隊にはこの能力がまったくありません。(それは)日本の再軍備にあたって米国がそれを望まなかったからです。自衛隊は米国の軍事戦略の一角を担う形で位置づけられており、そもそも自立できない軍事力なのです・・・

  なんという現実であろう!こんな状態でありながら核武装論や集団的自衛隊がまじめに論じられているのである。米国の高価な最新兵器を次々と買わされて米国軍需産業を支援しているのである。日米軍事同盟の正体こそ議論されなければならないのだ。

Copyright ©2005-2007 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2007年05月08日

ノーベル物理学賞受賞者、小柴昌俊の見事な反骨魂

ノーベル物理学賞受賞者、小柴昌俊の見事な反骨魂

  もう随分前の事のように思われるが、2002年に二人の日本人がノーベル賞を受賞した。物理学賞を受賞した小柴昌俊と化学賞を受賞した田中耕一だ。
  田中さんが、その人に好かれる人柄と、「小泉元首相にお会いできて感激です」などと言って権力に従順な姿勢を見せていた事により、やたらマスコミに重用されて小泉パフォーマンスに付き合っていたのと対照的に、この爺さんはなぜか無愛想だった。あまりマスコミに出てこなかった。そういうかすかな記憶が私にはあったのだが、それさえも忘れてかけていた。
  その小柴さんを5月8日の朝日新聞に見つけた。そしてその言葉に触れた。朝日求人情報の広告ページであるSTAGEに見つけた「談」である。それを読んだ私は思わずうなってしまった。見事な反骨魂である。滅多に人を褒めない私だが、ひざまずいて敬服したい。

  ・・・おちこぼれを自認してきた私ですが、人の言説や反対意見に右往左往したり、つぶされたりしなかったのは、逆説的に言えば仕事の現場でエリートではなかったからでしょう。ノーベル賞を受賞できた事はうれしく、私の実験や研究が広く評価されてありがたいことだと思いますが、それまでのプロセズが独創的であればあるほど、実は冷ややかな目にあうことも多かったのです。
 もしも私の学業や研究が順調にきていたら、反対意見にさらされて馬脚を現していたかもしれません。日本では人の言われたことをそのまま受け入れて学ぶ人間がエリートコースを歩いていますが、これが日本の打たれ弱さでもあると思いますね。
   仕事人であるなら、今はまったく評価されない発想でも、いつかはモノにしてみせるという自分ならではの考え方をじっと抱え、育てていくべきだと思います・・・日々の学業や仕事はもちろん手を抜かない。雑事もある。しかし、静かに胸深くにある自分のすべき仕事が、人を強くするのです・・・学問でも仕事でも同じ事でしょう。一人の人間が基礎を学び、試行錯誤して働く時間は本当に長い。それでもあきらめずに、わたしたちはずっと学問や仕事のバトンを渡し続けて、今日を築いてきたのだし、今生きている誰もがそれを担っているのだと思います・・・

 見事な言葉である。また一つ私は勇気づけられた思いだ。

Copyright ©2005-2007 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2007年05月08日

国会対策委員会という名の談合政治

国会対策委員会という名の談合政治

   このブログを今読んでいる読者は、もう一度私の書いた過去のブログを読み返していただきたい。そしてあらためて私の書いた事の正しさを確認していただきたい。現実の政治は物の見事にそれとは全く逆の方向へ進んでいる。ここにこの国の政治のイカサマ振りがある。読者がこの国の政治を少しでもまじめに考えているのなら、私と同様に怒らなければおかしい。
   私は4月28日のブログで「連休明けには政治が動く予感がする」と書いた。それは連休前の国会においては、重要法案の相次ぐ強行採決によりほとんどまともな議論がなされていなかったために重要法案が山積していたからだ。負い目を負った我が国要人の一連の訪米で何が話されたかがあまりにも不透明で、米国からの要求を一方的に飲まされたおそれが強いためだ。
   国会が国民の代表である政治家の討論の場であるならば、そしてその政治家たちが、立場の差異はあるにせよ、国民の安全と繁栄を真剣に考えているのであれば、国民の前で議論をして自分たちの仕事ぶりを見せるのはあたりまえだろう。連休明けに国会が再開されれば、今度こそ少しはまともな議論が行われると考えるのは当然である。そしてまともな議論が行われれば、与野党の対立が明確になる事は明らかだ。だから政治が動く予感がすると書いた。
   更に私は、5月6日のブログで、連休明けの国会で野党が真っ先に追及すべきは、イラク特措法の2年延長という与党提出法案である、「これで決まりだ」と書いた。それはイラクのマリキ首相が5月4日に「今年中にも日本の自衛隊は必要なくなる」と明言したからである。共同通信のインタビューに答え、それを共同通信が配信した。この記事が事実ならば凄い事である。政府の今までのイラク派遣の説明が根底から崩れる。しかも5月4日という直近の発言である。
   重装備した自衛隊はイラクから見れば軍隊だ。他国へ軍隊を派遣する事はその国の同意なくてはできない。同意なき派遣は国際法違反である。それは他国への軍事占領であるからだ。「年内にも不要になる」というマリキ首相の発言がなされた時点で、政府はその報道の発言の真意を公式にマリキ首相に確認しなければならない。そしてそれが事実であれば、更に2年間派遣を延長するというのが政府の改正法案を撤回して政策を見直さなくてはならない。少なくとも今提出されている改正案の策定時にはマリキ首相の「年内にも不要になる」という発言はなかった。明らかな事情変更だ。百歩譲って延長幅は半年も延長すれば十分だ。どう考えても2年延長はおかしい。
さて、ここからが今日のブログの本題だ。「週内の11日にもイラク特措法改正案が衆議院特別委員会で採択される事を与野党の委員が確認した」というニュースが、7日の夕方7時のNHK全国ニュースで流された。わが耳を疑った。翌8日の朝刊各紙で確認してみた。わずか朝日新聞と毎日新聞ぐらいしか本件を報道していない。しかも野党の質問について、「イラクが安定的な国家運営ができるには、かなり時間がかかる」(塩崎官房長官)、「イラク政府を通じて派遣継続の要請は不変であることを確認した」(麻生外相―いずれも5月8日毎日新聞)と突き放し、それ以上の追及はない。連休中の官僚がみな休んでいる時にどうして確認したというのか。もし確認したのならそこを公式文書で開示しなければならない。
   国会は談合だ。嘘のない政治家を国会に送り込み、ガチンコ政治の出来るもう一つの政治をつくるしかない。新党をつくる必要性はそこにある。既存の政党間では真の与野党論戦が完全に失われているのである。国民の利益が守られるはずはない。

Copyright ©2005-2007 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2007年05月07日

武器輸出禁止三原則見直し発言の背景にあるもの

武器輸出禁止三原則見直し発言の背景にあるもの

   久間防衛大臣は5月2日、訪米先のワシントンで、武器輸出禁止三原則を緩和する意向を、ワシントンの研究機関であるヘリテージ財団での講演で表明した。その前日の5月1日には、同じく額賀福志郎・前防衛長官が同じ場所で同様の発言をしている。これらの発言は勿論偶然ではない。米国政府に向けて「日米同盟の一層の強化を誓います」とメッセージを送っているのだ。
  その根底にあるのは、核保有議論の解禁、集団的自衛権の見直し、国民投票法案の強行採決という、改憲に向けてまっしぐらの、安倍首相の「戦後レジームの変更」という強硬策である。しかしそこで終わっていては理解不足になる。それぞれの動きの裏には、それぞれの固有の理由がある。武器輸出禁止三原則の見直しの動きについても、極めて明確な理由から、こうした政策変更がこのタイミングで言い出されてくる理由があるのだ。5月4日の読売新聞の解説記事、「点検 安倍政権」はそれを見事に説明してくれている。
  そもそも武器輸出禁止三原則は1967年佐藤栄作首相が衆院決算委員会で表明したことから始まった。その内容は①共産圏諸国②武器などを輸出してはいけないと国連決議で禁じられている国③国際紛争当事国、の国に対して、武器輸出を禁じたものだ。冷戦真っ只中での国際紛争助長回避策からスタートしたものだ。それが76年の三木内閣の下において、対象を事実上すべての国に拡大した。その形式も政府統一見解という形に格上げされた。平和志向三木内閣下での、より明確な憲法9条国家の表明である。ところが中曽根内閣の83年には、官房長談話の形でこの政府統一見解に例外が設けられた。米国に対する武器技術供与だけは例外としたのだ。日米貿易摩擦の圧力の下での、親米中曽根首相の対米配慮外交の結果である。
  このように考えていくと、武器輸出三原則の変遷は、その時の自民党指導者の心情と、その時の国際情勢、対米関係といった国際環境の二つが微妙に組み合わせで変遷していったことがわかる。
  それでは今回の武器輸出禁止三原則の見直しの背景にはどのような理由があるのであろうか。もちろんその一つには、戦後の歴代自民党首相の中でも、ここまで右傾化の方針を全面に打ち出した首相はいなかったと思われるほどの、安倍首相の軽々しい改憲体質がある。
  しかしそれだけで説明を終わっては不十分である。久間、額賀発言の背景には、米国軍事装備の高度のハイテク化と、それにともなって生ずる莫大な金額のハイテク技術産業に後れてはならじとする日本の大手企業の要請がある。必ずしも積極的に米国に武器輸出したいということではない。必ずしも諸手を挙げて死の商人を目指そうというのではない。武器輸出禁止三原則の見直しは日米軍事同盟をこれ以上進めていく結果としての帰結であり、グローバル経済の中で生き残るための止むを得ない資本主義経済の要請なのである。
   読売新聞の記事は言う。米国では「軍艦革命」が始まった。これまでのイージスシステムよりはるかに革新的な技術が必要になる。それは日本の技術なくしては開発できない。そしてその技術の所有権はすべて米国に帰属させなければならない。共同開発する武器技術はこれまでのような個別的例外では対応できないような多岐にわたるものだ。ここに、武器輸出禁止の根本的見直しが必要となってくる。見直しをしなければこれからの日米軍事同盟そのものが成り立たなくなってしまうのだ。
  その一方において軍事技術の開発は欧米間でどんどん進んでいる。それにともなって欧米企業の技術力がどんどん進む。平和にこだわるあまり企業を衰退させる事は認められない莫大な商談を前に、指をくわえて眺めていることは耐えられない。綺麗ごとではすまされない、こういう事だ。
   このように考えていくと、武器輸出禁止三原則の見直しは今の政・官・財の支配体制の下では防ぎ難い時代の要請である。だからと言って一気に武器輸出禁止が解禁される事はない。それはあまりにも憲法9条の精神から逸脱するからだ。例外を一つ一つ増やしていくことになるだろう。しかも極めて複雑なやりかたで。それはまさに官僚の知恵の出しどころだ。それはあたかも日米軍事同盟優先の政策が時代を経てなし崩し的に憲法9条の精神を侵食して行った過程と瓜二つである。すべては日米同盟関係を最優先にするこの国の姿勢から生ずるものだ。
   一気にこの流れを断ち切る事はできない。一気に日米軍事同盟を破棄する事は現実的ではない。しかしこれ以上進めていけば日本は無条件で米国に飲みこまれてしまう。歯止めをなくしてはならない。それが「憲法9条を変えない」という事の本当の重要性である。
                                                                  

Copyright ©2005-2007 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2007年05月06日

18歳選挙権を主張する者は改憲論者に違いない。

18歳選挙権を主張する者は改憲論者に違いない。

  ビートたけしが週刊ポスト連休特別号のなかで、「国民投票権は18歳のガキになんて与えずに、年齢制限を30歳以上まで引き上げろっての!」とほえている。その理由として、「オイラは普段から何も考えていないガキどもに、ニッポンの運命を決められるなんてマッピラごめんだぜ」と言っている。この発言は一見乱暴に聞こえるが、実は国民投票法案は、まだまだ議論が尽くされていない重要な論点が残っている事を端的に示している。
私はビートたけしとは異なった観点から18歳の若者に国民投票権を与える事に疑義を抱く。それは18歳に投票権を与えることは間違いなく改憲に有利に働くと思うからである。それを主張する者は改憲論者に違いないとさえ疑うほどだ。
  5月6日の読売新聞の「政なび」という論説のなかで、米国の有権者教育に詳しい横江公美(42)という人が、「誰に投票するかを判断できる環境が整っているのならば18歳でも構わない。でも現在の日本では整っていない」として、若者たちが真剣に政治と向き合う状況になっていない状況下での引き下げは意味がないという言葉を紹介している。他方で同じ5月6日の日経新聞の「風見鶏」という論説では、自民党が大勝した05年の小泉郵政解散選挙において、いつもは平均よりはるかに低い20代、30代の若者の投票率が異例の高さを見せた事を統計的に示した上で、この若者世代の多くが小泉強硬政治を支持した周知の事実を我々にあらためて思いださせた。
重要な事は、格差社会が広がる今日において、このような若者の右傾化がさらに進み、その背景には、「知能指数の低い者」を対象に、広告会社を通じてメディア洗脳することを自民党政権が周到に工作しているという指摘があることだ。更に言えば、何故国民投票法案で3年間も改憲が凍結されているかについて、「今の世論ではまだ9条護憲の国民が多い。三年かけて十分な環境づくりをしてもはや改憲の世論が大勢を占めるようになったときに確実に国民投票で改憲してみせる」という深謀遠慮があるからだと見る人もいる。その標的が若者であるということだ。
  このように考えると、投票権の若年化は、護憲に向かうよりもはるかに強い力で改憲に向かうであろう事は容易に想像できる。
   憲法改正という国の基本問題について、幅広く若い人たちの意見も反映させようという意見は一見もっともに聞こえる。憲法改正で最も影響を受けるのは将来の世代であるから彼らの意見こそ反映されねばならないという主張は一定の説得力を持つように聞こえる。しかし自民党を大勝させた若者は、もはや小泉劇場の手を離れ、さらなる大きな力によって日本右傾化の尖兵になりつつあるのだ。誰かがそのような若者の目を覚醒させなければならない。
  不思議な事に18歳投票権が民主党の主張を自民党側が受け入れる形で決まった事だ。民主党は最大の9条改憲論者かもしれない。
 
 

  

Copyright ©2005-2007 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2007年05月06日

「空自の輸送支援活動は不要になる」と発言したマリキ首相

「空自の輸送支援活動は不要になる」と発言したマリキ首相

   連休明けの国会で真っ先に野党が追及する問題はこれで決まりだ。5月6日の大手各紙は殆ど取り上げていないが、イラクのマリキ首相が4日、共同通信との単独会見で、イラクでの航空自衛隊の輸送支援活動について、需要はながく続かないとした上で、「今年中にも日本の部隊は必要なくなる」と言明したという。
   これを正面から報じたのは私の見る限り毎日新聞だけだ。日経新聞は皮肉にも、政府がイラク復興支援特別措置法改正案の採決を週明けにも踏み切る、という大きな記事の下に、一段の小さな記事で「年内にも自衛隊は不要になる」というマリキ発言を掲載して滑稽ぶりだ。
   安倍首相が国民投票法案を強行採決し、集団的自衛権を可能にしようとしている状況にあって、連休後の政治論争は改憲問題に集中しつつある。しかし改憲が具体的に国民の前に提示されるのはまだ先だ。そもそも改憲論議のきっかけは日米軍事同盟強化の必要性であり、そのさらに根本にあるのがイラク戦争に追随したわが国の自衛隊派遣の是非がある。
   イラク戦争から4年がたち米国のイラク攻撃が間違いであった事は世界が認めるに至った。残り一年余のブッシュ大統領の最大の政治課題はイラク撤兵問題である。ブレア首相はイラク戦争支持という最大の汚点を残して支持率低下のままに英国政治の舞台から去ろうとしている。唯一日本の首相だけが、このイラク戦争を今でも正しかったといい続け、自衛隊のイラク派遣の正当性を繰り返す。
   そしてイラク派遣の正当性の最大の理由として小泉、安倍政権が繰り返し強調してきたのがイラクから要請されているというものである。その理由を言わんが為に、日本政府はあらゆる工作をしてイラク関係者に喋らせてきた。しかしそのイラクの首相が5月4日の時点でとうとう「需要は年内にもなくなる」と明言したのだ。
   それにもかかわらず安倍自公政権は、イラク派遣を更に2年延長する法案を成立させようとしている。野党はこの発言を真っ先に国会で取り上げるべきだ。政府は今度こそ返答に窮するに違いない。
   
 

Copyright ©2005-2007 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2007年05月05日

富田メモ研究委員会の最終報告

 富田メモ研究委員会の最終報告

   もうすぐ連休が終わる。そして再び政治が動き出す。後半国会で問いただす事は山積している。しかし開き直った自公政権の前に、非力で、結束の脆い野党は、なすすべなくひねられて終わるだろう。政治意識を少しでも持った国民であれば、あてにする政党を持てない欲求不満を募らせて当惑し、政治など関心も、いや意識すらない国民は、世の中の動きに気づかないまま漂流を続ける。政治家だけが自分たちの食い扶持をかけて参院選挙に狂奔する。
   そんな政局が始まるまでメディアもしばし連休を楽しんでいるかのごとくだ。大したニュースもなかった連休だった。そんな中でやはり群を抜いて注目されたのは、日経新聞が5月1日、2日の両日にわたって連載した、富田メモ研究委員会の報告書である。
    もう忘れ去られようとしているが、小泉元首相は昨年8月15日、中国、韓国はもとより、米国との外交まで破壊しようとして、独りよがりの靖国参拝を行った。その直前の昨年7月に、A級戦犯が靖国神社に合祀された事に対する昭和天皇の不快感を示した富田元宮内庁長官のメモが、日経新聞にスクープされた事は色々な意味で衝撃的であった。
   「親の心子知らず 私はあれ以来参拝していない それが私のこころだ」という昭和天皇のお言葉が事実であるとすれば、我々はこれをどう受け止めればいいのか。ましてや靖国神社やこの国の指導者は昭和天皇のこころにどう応えるべきか。これは天皇制を尊重する者はもとより、天皇制を否定する者にとっても大きな問題であった。だからこそその時、誰もこの問題を真正面から議論することなく、このメモが何故今頃出てきたのか、そもそも富田メモなるものは本物なのか、などといった末節な議論に終始し、忘れ去ろうとした。
   それから10ヶ月、日経新聞は6ヶ月かけて歴史学者ら専門家に検証をゆだねた結果を、「富田メモ研究委員会報告書」として公表した。御厨貴、秦郁彦、保阪正康、熊田淳美ら歴史、政治専門家からなる検討委員会が下した結論は、「富田メモの記述は詳細、正確であり、全体が昭和史の貴重な資料である事を確認」するものというものであった。それどころか、健康に不安を抱える中で、退任間近の富田長官に多くの事を語った天皇と、それを漏らさず聞き、記録しようとした富田長官の信頼関係、富田長官の緊張感、が横溢している第一級の資料であると確認したという。
  特に靖国参拝に関する部分については、昭和天皇の「靖国神社へ行けない無念」や、「怒りにも似た不快感」を必死に記録したものであった。
  これを一新聞の私的な検証結果にとどめてはなるまい。いみじくも委員の一人である秦郁彦元日本大学教授が紙面で書いているように、靖国神社に関するすべての疑問に答えるため、総代会の議事録や社務日誌などの関連資料をすべて公開する義務があるだろう。それが昭和天皇の大御心に答えることでもある。もはや史実にすべてを語らせる時である。
   それにしても、と私は思う。小泉元首相は今後とも8月15日に必ず靖国参拝を行うのであろうな。あれほどこだわった参拝である。一議員、一私人になった今こそ、思う存分信念を押し通せるはずだ。そうしたところで誰も文句は言えないはずだ。人から注目されなくなったからといって参拝を止めるというのなら、文字通り食わせ者であったということだ。マスコミはこれを見届けて欲しい。 

Copyright ©2005-2007 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2007年05月04日

国民投票法案の最大の問題点は何か

国民投票法案の最大の問題点は何か

  「憲法論議はもううんざりだ」と書いたばかりの私だが、私の気はすぐに変わる。読者と共有したい記事があれば書きたくなる。5月4日の毎日新聞の連載記事「国民投票法案 五つの論点を聞く」その④に、カタログハウス社長の齊藤駿氏が、国民を改憲の方向へ洗脳していくCMの危険性を指摘している。この「改憲に果たすメディアの役割の大きさ」こそが、国民投票法案の数ある問題の中で、ダントツに大きな問題であると私は思う。
  彼は言う。今の国民投票法案は投票日前の14日間だけテレビCMを禁止している。しかし法律で全面禁止して護憲、改憲の双方のCMの「ゼロ公平」を確保することしか、真の公平は保たれないと、次のように強調するのだ。

 ・・・(14日前の禁止だと)二週間前までは何をやってもいいことになる。テレビ局に本当に公平な自主規制ができればいいが、広告主の一人でもある私の実感から言えば、今のテレビ局にその力はない・・・CMはお金がかかりすぎる。うちの会社の簡単なCMでも、セットをつくって撮るだけで1500万円。新聞なら一回広告を出せるが、放送するにはさらに億単位のお金が必要だ。うちがメジャーになったきっかけは、(双子の長寿姉妹)きんさん・ぎんさんを起用した92年の正月CMだけど、あれだってブームになると思ってどんどんお金をかけたから、受けた。
  CMはお金を掛ければ掛けるほど受ける。改憲派には経済界から支援があるかもしれないけれど、護憲派はそんなに集められない・・・しかもCMの放映回数や時間帯は、テレビ局と広告代理店の関係で複雑に変わる・・・公平を期すのは現実的に無理だ・・・私の体験で言えば、今だって政治的な意見広告は事実上だせない。以前『憲法9条はやっぱり大切にしたいね』というCMを企画したら、広告代理店の段階で『政治的に偏った一方の意見は広告にできない』と門前払いだった・・・ワンフレーズなら量が多い方が勝つ。量がけた違いなら、そっちのワンフレーズは記憶に残って片一方はまったく忘れられる。みんなテレビCMの恐ろしさを分かっていない・・・

  私は、外交官の体験を通じ、これからの国際政治状況を考えると日本の最善の安全保障政策は、実は日米同盟の強化などではなく憲法9条を一字一句変えないことであるという確信に最後にたどり着いた。これは誰がどのような議論を並べようと、後で振り返ってみて間違いなく正しいと証明される結論なのだ。その事を一人でも多くの国民が共有し、政府の改憲のもくろみを国民の一票で拒否できる事を期待して発信し続けてきた。頼まれもしないのに一人で毎日ブログを書いているのも、他にする事が無いということもあるが、その為である。
  しかしこの齋藤氏の記事を読むと、それがおそらく真実であろうと実感できるゆえに、暗澹たる思いがするのである。平和をのぞむ普通の人が善意から平和を叫び、デモをし、自分の生活とは関係の無い遠い場所に行って平和運動をする。その尊い努力が、政府と企業と広告会社が金に任せて行う改憲への大衆誘導策に、一瞬にして負けてしまう。そう考えると悔しすぎる、悲しすぎる。
  しかし諦めてはいけない。権力者がやろうとしていることは所詮そういうことなのだと知った上で、なお憲法9条の大切さを国民一人一人の心に訴えていけばいいのだ。
  戦後唯一の国民的政治運動であった60年の安保闘争は一体何であったか。様々な理由が語られている中で、あれは東条内閣の閣僚でありながら戦犯を免れた岸信介が、戦争の悲惨さがまだ消えていない国民の感情を逆なでして強硬に日米軍事同盟を進めようとした、その岸信介という一政治家に対する、あらゆる層の国民の怒りが広げた運動であったという指摘がある。その孫の安倍首相が、国民の合意のないままに改憲を強行しようとして、国民を分裂しようとしているのは、歴史の皮肉である。つくづく安倍首相は愚かだ。国民の怒りを軽視してはならない。
  中曽根元首相がいみじくも指摘しているように、改憲は世の中を「殺伐」としたものにする。国民の意識はいまだ熟していない。そんな状況で強行してはいけない。今の日本はそんな事をしている場合ではない。それを繰り返し唱えていけばよいのだ。それでも改憲したいなら、「やれるものならやってみろ」と私は言う事にしている。


Copyright ©2005-2007 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2007年05月03日

真の改憲論議はまだ先の話だ

真の改憲論議はまだ先の話だ

  最強の護憲論者となったと吹聴している私がこんな事を書くと矛盾すると批判されるかもしれない。しかし正直なところ私は昨今の改憲論議に食傷している。
  私の護憲に関する考えは既に固まっている。だから今更他人の意見を聞く必要性はあまりないというのがその理由の一つである。しかし私が今の改憲論議に熱中できないより大きい理由は、勝負の時はまだかなり先だ、だからその時まで体力、気力を温存すべきだと思うからだ。
  たしかに安倍首相は改憲に向けて前のめりの発言を繰り返している。これに護憲政党や活動家は危機意識を持って声をあげている。しかし改憲の危機は本当に差し迫っているのか。私は、安倍首相がどんどんと日米軍事同盟強化の政策を進めている事については大いに危惧し、反対しなければならないと思っている。しかしこと改憲については、出来るものならやってみろと突き放している。今改憲の緊急必要性はない。国民にその意識はない。それにも関わらず強硬に改憲を進めようと思えば国民の反発を招くことは必至である。改憲を公言する事により追い込まれるのは安倍首相なのである。
  憲法改正問題をめぐる最近の新聞記事の中で、もっとも私に近い考えを5月3日の毎日新聞に見つけた。法政大学の杉田敦教授は次のように述べている。
  すなわち自公政権が強行採決しようとしている国民投票法案では、憲法改正案を3年間は審査・国会提出をしない事になっている点に注目し、自民党はしばらく様子を見るほかはない、具体的な改憲案を想定して議論する段階ではない、国民世論がほとんど関心を持っていない状況では拙速に進められない、国会が改憲案を発議し、国民投票で否定されたら重要な問題だ(から性急に事を運べない)・・・と喝破しているのだ。
  さらに杉田教授は、改憲を公言する安倍首相を、状況がわかっていないか、あるいは強硬な発言を繰り返すことで自分の政治的立場を高めようという(不純な)動機があるかも知れない、と切って捨てる。本当に改憲を目指すのか、改憲を目指す政治的な演技で得るものがあるのか・・・他に争点化するものが見つからない手詰まりの中で(改憲の重要性を)強調しているだけではないか・・・と見抜いている。
  くしくも同じ5月3日の日経新聞のインタビューで、改憲論者の大御所である中曽根元首相がつぎのように答えている。偶然とはいえ杉田教授の言とピタリ一致する。
・・・(憲法改正は)二合目だ。安倍君は5年後と言っているけれども、今度の法案で(改憲案の国会提出・審議ができない)三年間の保留期間が設定されたから、その分を入れて6-7年はかかる・・・憲法改正の内容について国民は知らされていない。だから抽象的な改憲論や新しい時代のための基本法をつくろうという程度の議論になってしまっている・・・
  そしてその次に続く中曽根首相の発言は驚愕的でさえある。さすがは改憲に政治生涯を賭けてきた政治家だ。安倍首相など足元にも及ばない。
・・・これは時間を要する。思想の交流や人の付き合いの積み重ねがないとできない・・・党の要職をやった人たちが「生涯最後の大勝負」と乗り出してきて異常な力を発揮する場はあると思う。その代わり時代は殺伐となる。国民の中に賛成、反対の議論が起き、酒場でも料理屋でも議論になる。そのくらい熱中しなければ出来ない問題だ・・・
 今はとてもそんな状況ではない。改憲論議はしばらくほうっておけばいい。


Copyright ©2005-2007 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2007年05月03日

歴史を動かす実感を共有する ②

  歴史を動かす実感を共有する ②

 多くの意見を頂いた。その一つ一つに御礼を言う変わりにこの文章でまとめて返答させていただく。
 一人のただの人間が、歴史を動かす実感を手にするなどと大げさな事を言い、政治に無縁な一個人が、新党構想について読者の意見を募るなどという大それた事をした。その軽率さを反省している。それにもかかわらず何人かの読者から真摯な意見を頂いた。心から感謝したい。同時に新党構想に対する強烈な願望も実感できた。新党構想についてはこれからも時に触れて論じて行きたい。タイトルも、歴史を動かす実感を読者と共有していきたいという意味で、そのように変えて書いていく。
 さて、とりあえずの反応と私の今の考えである。
   ①既存のいかなる政党にも期待が持てないとする私の考えに賛同する意見は驚くほど強かった。もっとも私の読者からの意見であるからあたりまえではある。しかしブログなどを読まない人たちの間でもこの思いは多いと確信できた。私の目指す方向は間違っていない。
   ②問題は百万票を集めることは容易ではない、ましてや憲法9条をテーマにしてはとても集められない、格差の犠牲になった人たちの生活に直結するテーマでなければアピールしない、という多くの指摘があった事である。これは正しいか。そうであればどう対応すべきか。
   たしかに憲法問題については、政治家や活動家たちばかりが盛り上がっていて、一般国民は醒めている。それは私もまったく同感である。このことについては今日のブログでも書くつもりだ。しかし、それでも私は新党を立ち上げる時のテーマはこれしかないと思っている。なぜならば私の考える新党は、そもそも政治は不要だと考える人たちが今の政治を否定、監視するために自分の分身を政治に送り込むという発想でつくるものである。それは護憲とか社会民主主義と言ったイデオロギーによる賛同者ばかりの集まりではなく、様々な立場や考えの人が、唯一つのテーマの下で結束し、今の政治に意見を申し立てるという発想である。砂のようにバラバラな非政治的国民をまとめるには強烈なリーダーと皆がひれ伏すテーマが必要である。リーダーについても問題は別の意味で大きな問題であり、これについては後日書いていこうと思うが、テーマについてはやはり最もふさわしいのが「憲法9条を変えさせない」というテーマであると私は思う。今の日本には「憲法9条を変えさせない」という強い思いを抱く人たちが少なからずいる。その殆どが共産党や社民党支持者なのであるが、どちらも駄目だと考えている人たちも少なからず存在する事を私は感じてきた。その数が百万に届くかどうかはわからないが、とにかくその人たちの政党として立ち上げるのだ。
③新党が出来もしないうちにこんな事を書くのは殆ど冗談であるが、新党が出来れば何でも出来る。まず新党を実現することだ。その後でそれ以外のテーマを掲げていけばよいのだ。とにかく一人でも代表を国会に送り込んで新党をつくることだ。その後には無限の可能性が広がっている。よく「一人では何も出来ない」という意見がしたり顔で語られる。いままでの新党はすべて失敗したという人もいる。それはいままでの新党が私の考えている新党と根本的に異なるからだ。その新党を担う政治家が、私の考えている政治家とまったく違うからだ。私の考えている政治家は、能力も、こころざしも、ビジョンも何もかも、それに合致する政治家は一人も存在しなかった。旧来型の政治の発想では想像が出来ない新党なのである。まあ、この辺りになると議論が分かれて混乱するのでやめておく。
④最後に右翼化する若者をこの新党に如何にひきつけるかという問題がある。じつはこの点こそが重要であり、私が熟慮していることである。私の構想の最後に政治は企業活動だということを書いた。実はこれこそが若者を対象にした発想なのである。
   この点についてはよくわからないと質問が出た。無理も無い。私自身考えがまとまっていないからだ。一つのヒントがホリエモン騒動である。ホリエモンがどれだけの個人資産を持っているか知らないが、そしてホリエモンが違法な資金操作で大金を手にしたという事になっているのであまりいい例ではないが、彼は数十億円の金を使って宇宙旅行したいと公言している。もしその金を、もっと有意義な事に使えないのかと思う。そこがホリエモンの正体であり、限界なのであろうが。わたしだったらこうだ。どうやって成功すればいいかわからない若者のための道先案内の基金として活用する。どれだけ多くの若者が希望を持つようになるかわからない。なんでも好きな事をやって自分の手で金を儲けてみろ。その金を貸してやる。出世払いでいい。しかし成功すれば、基金に大きく貢献して、後に続く若者を助けてやれ、そういう事である。どんな仕事をやるかを皆で考える。金儲けは公共善と両立しないといわれている。しかし両立する金儲けもあるのではないか。戦争に加担しなくても金儲けできるのではないか。皆に喜んでもらって同時に金儲けできることはあるのではないか。それを見つけようじゃないか。実行しようではないか。心配してもいい。金は出す。しかし失敗しないように全力で頑張ってみろ。それほどの大金を儲ける必要はない。儲けた奴は他の人にも融通してやれ。皆で金持ちになれないか。それよりもなによりも、働く事が、こんなに楽しいものであったかという事を若者に体感させる。そういう企業体を作っていく。そしてそれは国際的に広がった企業を目指す。
   私が考える新党は無理をして政治家を増やす必要はない。限られた代表的政治家は全国区比例区で確実に当選させる。だから政治資金は選挙の為に一切使わなくてもいい。そういう新党であるから政治資金の殆どを企業育成の基金に使える。こういう政党が出来ないものかと思うのだが。

Copyright ©2005-2007 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2007年05月03日

「油に浮かぶ黄金郷(エルドラド)に安住する飽食のベドウィンと、「塩とオリーブがあれば生きていける」と叫ぶ反骨魂

「油に浮かぶ黄金郷(エルドラド)」に安住する飽食のベドウィンと、「塩とオリーブがあれば生きていける」と叫ぶ反骨魂

  安倍首相の湾岸諸国訪問に180名もの財界人が同行した。隣接するイラクやパレスチナで毎日殺戮が繰り返されているというのに、やれ資源外交だ、やれ出遅れてはならないなどと、金儲けしか能が無いかの如くである。
  5月2日の日経新聞で布施広という論説委員が次のような書きはじめで湾岸諸国の発展性を書いていた。「・・・安倍晋三首相が歴訪したペルシア湾岸のアラブ産油国は『油に浮かぶエルドラド(黄金郷)』とも呼ばれる。同じ中東でもイラクやパレスチナが流血の荒野なら、湾岸は金銀財宝に満ちた穏やかな街といった落差がある・・・」
  この記事を読んだ瞬間、私はパレスチナの反米武装抵抗組織ハマスのリーダーであるハニヤ首相の次の言葉を思い出した。昨年一月の選挙で勝利をおさめたパレスチナのハマス政権は、反米、反イスラエルであるという理由だけで米国、イスラエルから「テロ」の烙印を押され、経済制裁を受けた。選挙をしろと言っておきながら、その選挙で勝った政権を、気に食わないからと言って叩き潰すのが米国の「民主化」なのだ。それに欧州や日本などが追従したため、パレスチナは完全に兵糧攻めにあった。そんな時に口にしたハニヤ首相のセリフである。
  「塩とオリーブがあれば我々は生きていける」
  もちろんこれは強がりである。それからわずか一月ほどしてハニヤ首相は白旗をあげた。公務員の給与も払えず、食糧や幼児の薬の入手もままならない状況では、塩とオリーブだけではさすがに生きて行く事はできない。
   しかし、米国・イスラエルが蛇蝎のように嫌う「テロリスト」ハマスの指導者のこの言葉に、身震いするほど爽やかな反骨魂を感じたのは私だけではないはずだ。
   同じアラブ民族でありながら石油という黒いダイヤを手に入れたばかりに一夜にして成金になった湾岸諸国の支配者たち。神から授かったその富を、民族の幸福のために使うことなく、いや正しく使う能力がない為に、それを自らの欲望と政権保持の為に私物化する。金が全ての欧米資本主義がその愚につけ込んで群がる。いや今日では中国を含め全ての国の指導者が金満湾岸国をおだてあげ搾取しようとしているのだ。
  その一方で、米国とイスラエルの国家的暴力の犠牲にさらされ、同胞のアラブ諸国からも見放されて、連日のように殺されて行く同じアラブの民、パレスチナ人。世界は彼らを見捨てたままだ。隣接する同じ中東で存在するこの絶対的不平等、不条理こそ、オサマ・ビン・ラデンの「テロ」の根源なのである。
  それはまた、格差社会の急速な拡がりになんら手の打てないこの国の指導者たちと、それを黙認する多くの「物分りのいい日本人が、知らず知らずのうちに日本を、そして日本の歴史を破壊していく姿でもある。
  「塩とオリーブ」があれば生きていける。我々も確かにそういう時代を生きていた。その時の我々の心の豊かさが懐かしい。そこには未来に向かって正面を見据える確かな毎日があった。

Copyright ©2005-2007 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2007年05月02日

久間防衛大臣の訪米に思う

久間防衛大臣の訪米に思う

   久間防衛大臣の今回の訪米は、かつてのどの防衛庁長官の訪米にも見られなかった異例な訪米に終わった。歴史に残る最悪の訪米であったと記憶されるであろう。自らの対米批判発言で米国を怒らせた久間大臣は、イージス艦機密漏洩の責任問題までも抱えて、敢えて訪米した。これでは対等な協議は望むべくもない。負い目を負った訪米は安倍首相ひとりで十分だった。
   久間大臣の迷走ぶりは今振り返って考えてもお粗末なものであった。イラク攻撃は誤りだったと言ってブッシュ大統領を批判した久間防衛大臣は、普天間基地移転問題では「あまりやかましく注文をつけるな」と文句を言った。当時日本のメディアの中には、あれは久間大臣の信念に基づいた計算された発言であったなどと、まことしやかに報じるものもあった。とんだ見当違いだ。単なる軽率な失言に過ぎなかったのだ。安倍首相は久間大臣を更迭して米国の批判を封じるべきであった。失言による辞任が不名誉というならば、イージス艦機密漏洩の責任をとっての辞任という事もできた。それだけの深刻な漏洩事件であった。更迭が正しい政治的対応であった。
   しかし安倍首相はそういう政治センスに欠けていた。久間防衛大臣も失言の影響の大きさに対する自覚と責任感がなさすぎた。その後の迷走ぶりは哀れですらあった。チェイニー訪日時には面会を拒否され、日本国民の前で辱められた。それを許す防衛官僚も情けない。親分をここまでコケにされて、なお宗主国米国の指導者にひれ伏す様は、国防を預かる者の矜持のかけらも感じられない。小役人根性そのものである。
  米国の反応に震え上がった久間大臣は、自らの発言の釈明に追われた。その負い目は自らの政策判断の放棄にまでつながった。沖縄の意向を重視すると言っていた普天間基地移転先のキャンプ・シュワブ「V字形滑走路」について、「米国には逆らえないところがある」とうそぶいて丸呑みし、その負担を沖縄県民にしわ寄せした。ついに安倍首相は4月27日の首脳会談で沖縄住民の了承のないままに、「合意通り着実に実施する」と表明してしまった(5月1日日経新聞)。これから沖縄県民にどう説明するつもりであろうか。
  今回の訪米は米国内の不信感を解消するための「我慢の旅」(5月2日読売新聞)であった。米国に着いて真っ先に訪れたのは、対テロ戦争で中心的な役割を担うフロリダ州タンパの米中央軍司令部だった。ファロン司令官は不在で、対応したのはニコルス副司令官であった。日本関係者はこれに不快感を示すのでもなく、「まだ米国は怒っているのか」とおびえていたという(5月2日 読売新聞)。その副司令官に、久間大臣は聞かれもしないのに「引き続きバックアップしたい」と伝え、会談後の記者会見では、イラクの安定化に向けた米軍の増派について「私は支持します」と言い切った。驚いたのは、その記者会見で、ブッシュ大統領の増派決定を「最後の賭け」と言った事だ。一歩間違えばまたしても失言になりかねなかった発言である。「増派をしてでもやる、という決意を高く買う」とごまかして批判を免れた。
  ゲーツ国防長官との会談では冒頭から約30分も久間大臣が一方的に釈明につとめ、会談時間の7割は久間が話してゲーツ長官がコメントを付け加えるだけだった(5月2日 日経新聞)。あげくの果てにゲーツ国防長官には「防衛省だけでなく、日本全体の問題だ」といわれる始末である。安倍首相はこれをどう聞くか。
  こんな状態で2プラス2会談を行ったのだ。麻生外相もまた、「青い目(白人)がやるから中東はうまくいかない」などという失言を犯して精彩を欠いている。とうていまともな対米外交などできるものではない。米国の要求するミサイル防衛計画への協力の前倒しを合意して帰ってくるだけのセレモニーだ。集団的自衛権の議論や憲法改正などの議論はもはや不要なのである。すべては米国の言うとおりに進められていく。戦後62年経って、ここまで対米従属が完成したという事だ。日本はどうなっていくのか。

 

Copyright ©2005-2007 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2007年05月02日

国家権力と右翼・暴力団

国家権力と右翼・暴力団

   このブログはできるだけ短い文章で終わらせる方針で書いている。重要な問題をできるだけさらりと書こうと心がけている。しかし、今日のブログは長く、重い。読後感の後味も悪い。ご容赦願いたい。
   伊藤長崎市長の銃殺事件には共犯者がいた事がやっと明らかにされた。殺害の動機はどうであれ暴力団がらみの計画犯行である。許しがたい殺人だ。恐ろしい世の中だ。おりしも20年前の5月3日は朝日新聞神戸支局の小尻記者が赤報隊と名乗る右翼組織とおぼしき何者かに射殺された日とあって、暴力と人権についての特集記事が各紙をにぎわせている。一般市民が暴力団の犠牲になった事件は、どれ一つを思い出しても痛ましく、腹立たしく、そして恐ろしい。
  この種の事件が起きた時、きまって語られるのは「暴力に屈してはならない」という言葉だ。それはそのとおりである。しかしそれを徒手空拳の一般市民に求めるのは酷であり、お門違いだ。伊藤市長の例を見るまでもなく、銃剣を持った暴力団が組織的、計画的に殺害を企図すれば、一般市民はひとたまりもない。そのような暴力を取り締まる事ができるのは絶対的な権力を持っている国家だけである。だからこそ国家指導者の毅然とした「許さない」という態度表明が、間髪を入れずに求められるのである。
  昨年8月15日に加藤紘一元自民党幹事長の実家が放火された時、夏休み中であった小泉前首相は事件から13日もたってはじめて事件に触れた。記者団から「発言が遅いのでは」と問われると、「私はいつも、聞かれた事に答えてます。聞かれなかったまで」と突き放した(5月2日朝日新聞―テロの正体)。安倍首相もまた長崎市長の銃撃直後の談話で、テロに対する怒りにひと言も言及せず、「真相が究明されることを望む」と淡々と述べた。暴力に向かい合う小泉・安倍首相の心象風景と、それを許す今の日本の時代風景を思うと、臆病な私は怖くなる。
   実は首相の発言などは大した話しではない。深刻な事はこの国の国家権力が右翼・暴力団と癒着しているのではないかという疑惑である。古くは安保闘争の鎮圧のために時の権力が右翼・暴力団に協力を依頼しようとしたという話しから、竹下元首相の褒め殺し事件で明るみになった暴力団との貸し借り関係に至るまで、国家権力と暴力団の癒着については、我々は薄々気づいている。しかしそれを正面から取り上げ糾弾することはタブーである。そんな中で、本日(5月2日)発売の週間ポストはベンジャミン・フルフード氏の鋭い安倍首相追及の緊急寄稿文を掲載した。
   安倍首相といえば、週刊朝日が5月4日・11日合併号で、秘書のトラブルが長崎の市長殺害事件に関係していたと受け取れる内容の記事を掲載した事に対し、「私や秘書が犯人や暴力団の組織と関係があれば、私は直ちに総理大臣も衆議院議員も辞める考えだ」と怒り、週刊朝日はすぐさま朝日新聞紙上でお詫びして一件落着となっている。
   これに対しベンジャミン・フルオード氏は、安倍首相はそんな発言をして大丈夫かと、次のような裁判における検察論告を引用して追及している。すなわち3月9日に福岡地裁で一つの判決公判があった。安倍首相の自宅車庫や後援会事務所などに火炎瓶が投げ込まれた事件(00年6月と8月に発生)について、襲撃を指示した指定暴力団と、その暴力団に犯行を依頼した会社社長らに実刑判決が下された。
  問題はその裁判の中で検察が、安倍首相の当時の私設秘書はもとより、安倍首相自身までも、有罪判決を下された会社社長と、地元議員の選挙支援に関する金銭授受のトラブルをめぐって交渉を行っていたと明らかにしていた事である。その会社社長は「暴力団の構成員」ではないにしても、地元財界と暴力団の「つなぎ役」のような存在であった。暴力団と一体の人物であった。検察の論告ははっきりそう書いているというのだ。
   ベンジャミン・フルフオード氏のこの緊急寄稿文は、これだけの重要性を持ちながら、おそらく日本のメディアに無視されてしまうだろう。だから安倍首相の勢い余った軽率な発言も、その責任を問われる事なく、忘れ去られてしまうであろう。ベンジャミン・フルフォード氏もそれを承知の上に違いない。だからこそ彼はその緊急寄稿文を次のように締めくくっているのである。
・・・そもそも日本の政治家は暴力団と切っても切れない関係にある・・・外国人特派員として日本社会を見ると、街中に「非合法なもの」が数多いことに気づく。たとえばパチンコ屋の換金に並ぶ行列。売春が禁止されているのに堂々と営業するソープランドなどだ。日本には「法の枠外の秩序」が当たり前のように存在している。その象徴が暴力団であり、それを利用しているのが日本の権力者たちだ・・・(その後彼は安倍のほかにも暴力団との関係を取りざたされた政治家として久間、小泉、森、中川、などの名前をあげた後、こう締めくくっている)。政治家とやくざは何故結びつくのか。一つには選挙に暴力団関係者が介入するためである。買収や敵対陣営の妨害といった「汚れ仕事」は暴力団のノウハウがなくてはできない。それと引き換えに暴力団は、政治家が地元にもたらす公共事業の分け前にありつく・・・仮に安倍首相が「暴力団関係者に選挙に協力してもらった」と認めても、私は驚きもしない。それは多くの政治家がこっそりやっていることだからだ。最大の問題は・・・そうした政治家たちが、国民向けには「暴力団と関係がある者はバッジをつける資格はない」といいながら、裏では「バッジをつけた者が暴力団と一緒に国民を搾取する」という二枚舌なのだ・・・
   国民はどんな思いでこのベンジャミンの緊急寄稿文を読む事であろう。しかし更に付け加えなければならない。この事実は大手メディアも警察、検察、司法も、とうの昔に知っている。知っていながら保身のために口をつぐんでいる。これが現実である。これでは一般市民は浮かばれない。

Copyright ©2005-2007 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2007年05月01日

歴史を動かす気概を持って行動を起こす ①

 歴史を動かす気概を持って行動を起こす ①

  ブログを再開してほぼ4ヶ月が過ぎた。書きながらいつも自問してきた。それはまた読者の多くが抱く問いかけであるに違いない。
  一つは、批判ばかりする自分がみじめにならないかという問いかけであり、もう一つは批判するだけでは何も変わらないという問いかけである。
  このうち最初の問いかけについての私の答えは簡単だ。私自身はそれを克服している。私が批判する対象は権力者の巨悪である。我々は誰しも小悪を犯す不完全な存在だ。タダの人がどのような小悪を犯そうとそれは、小説やドラマの題材にはなっても私の怒りの対象とはならない。国家権力という圧倒的な力を私物化し、あるいはその国家権力に追従して私欲を満たそうとする権力追従者の巨悪をこそ追及するのである。究極の巨悪は勿論武力行使である。
  他人を批判する事は自らを傷つけることでもある。批判される者の反感を受ける。ましてや国家権力を正面から批判する事は危険ですらある。それでも書き続ける最大の動機は、権力者たちの悪をここまで放置しておいていいのかという怒りであり、誰も反論できない、させない、という過剰なまでの自負である。勘違いとも思える強烈な自惚れなくしてはこんなブログを書き続けられるものではない。今のところ私はまだ自分を見失っていないつもりでいる。自分が壊れてしまうと感じたら、私は直ちにブログを書くことを止める。そういうバランス感覚は失わないでおこうと気をつけている。
  もう一つの問い、つまりどうすれば解決策が見つけられるか、見つけられないまでも明るい将来を予感させるブログにならないかという問いかけに答える事は、実は容易ではない。私はこのブログの冒頭でブログを再開した理由を書いている。それは、世の中の真実に迫り、それを一人でも多くの人と共有したいという願いであり、為政者の悪を跳ね返すだけの意識を持つ自立した国民が一人でも多く増えればという期待である。
   しかし日本の現状と近未来を考える時、ひょっとしたら日本は既に歴史的な危機の入り口に立ちつつあるのではないか、為政者の悪政を跳ね返すだけの受身の対応にとどまらず、いまこそ同じ思いの国民と力を合わせ、政治や政策づくりに積極的に関わっていかねばならないのではないかという思いを強くする。
  この国は官僚が政策を独占している。その官僚を制御できる唯一の者は政治家である。官僚ともたれあっている多くの無能な政治家には期待できないが、真の政治家が本気で官僚を制御しようとすれば一人の政治家でも出来る事は絶大である。そういう政治家を我々の代表者として送り込む時、この国の将来は変わる可能性が出てくるに違いない。それが真の変化に発展していくかは更なる要素が必要になるであろうが。
  ここに二つ目の問いに対する答えがある。つまりこのブログの到達点は、このブログの読者とともに新たな政党をつくる事であるのではないか。大げさに言えばこれが二つ目の問いに対する答えという事になる。
  そこで明日からのブログについては、今までのようなブログの書き込みと並行して、「歴史を動かす気概を持って行動を起こす」新党構想について思いつきのまま書いて見る事にする。
  かつて私は「質問主意書」新党構想をこのブログで書いた事があった。その時、その反応の大きさにいささか驚かされた。今その考えをさらに発展させてより具体的な新党構想をつくろうとする試みである。読者からの共感、助言、対案が必要となる。それらを参考にして、あくまでも自分の考えに固執した新党構想を提示したい。それを「未来に希望をつなぐ」私と読者の共同作業としていきたい。それが完成した暁には、その「考えを第三者に取られないようにその著作権はこのブログとその読者に帰属する事を予め宣言しておこう。
   今回はこれでとどめておこうと思ったが、もともと気が短い私である。読者からの意見を誘発するためにも、私の新党構想の骨子について以下に触れておく。

① 新党は従来の政党とは全く異なるものを目指す。既存政党の再編などではなく、既存政党の全否定だ。その表現が不穏当であれば、今の政治の外にもう一つの政治をつくるということである。
② 政権を目指す事は最初から考えない。政権を取ろうとするからろくでもない候補者をかき集めて数の政治に堕するのだ。選挙に金がかかり腐敗や不正が生まれるのだ。支持者の声を政治に届け、政権政党の政策に一定の影響力を与えるような政党を目指す事に徹するのであればそう難しいことではない。最終的にはキャスチングボードを握れるところまでの議員を擁する政党になれば理想的である。しかし最初からそれを性急に求めるような愚は決して犯さない。
③ 今の選挙制度の下においてどうすれば最短距離で実現できるか。それは参院選全国区で一人の当選者(約百万票)を出す事を目指す事だ(その意味で百万人の党)。それをきっかけに次回の参院選全国区や衆院における大都会複数定員区(東京、大阪、横浜、札幌、名古屋、福岡、など)において、当選可能な選挙区に絞って二人目、三人目の当選を目指す。究極的には政党助成金を受ける資格のある政党(5人?)を目指す。
④ 歳費の半分程度は生活費として受け取るが、そのほかの歳費や議員特権は、すべて活動のために使う(支持者に還元する)事を公約して選挙に臨む。将来政党助成金を得る場合でも、それを議員に分配するのではなく、すべて本来の政治家活動に使う。それを公開する。選挙に金をかけなくても当選できる政党にする。政治家は次回の選挙の事を一切考えないで活動できる体制をつくる
⑤ 従来型の選挙運動は行わず、インターネットを中心に活動する。その経費に活動費の多くを当てる(その意味でネット新党)。
⑥ マニフェストは「国民投票で憲法9条を守る」の一点とする。つまりこの一点で結束できる、左翼イデオロギーから離れた広範な国民の「護憲政党」である。憲法9条は守りたいが共産党にも社民党にも投票したくないと強く考えている国民の受け皿としてスタートする。そういう国民は全国で百万人ぐらいはいるだろう。百万人の非イデオロギー護憲国民がいないようでは、そもそも憲法を守る試みは徒労である。
⑦ 新党は独自のメディアを持つことを目指す。つまりネット新聞、ネットTVを立ち上げ、既存メディアと異なった観点から真実を報道するメディアをつくる。ネットメディアの創設はこの新党の大きな活動の一つと位置づける。
⑧ 最後に、いささか唐突な感がするだろうが、この政党は一つの企業体として発展させていきたい。つまり政治家一人の政治活動費(たとえば一億円)を出資金として政治目標(憲法9条を守り日本が率先して平和な世界を実現する)のために様々なビジネス活動を行うのである。それは政治活動資金を作る事にもつながる。政治というものを抽象的なものと捕えるのではなく、生きていく事、その為に生活費を稼ぐ事、その事を通じて世の中の政治を考え、政治に影響を与えていくという意味で、生活感を伴った政治感を養うのである。あわせて若者や再チャレンジャーに職場を与えていく。利益は彼らに与えるがその収益の一部を政治活動費に還元させ、自らもまた新党のマニフェスト(9条を守り世界の平和実現に率先して尽力する日本をつくる)にコミットさせる。この新党(企業体)は最終的には世界的な規模の企業体に発展させていく。

Copyright ©2005-2007 www.amakiblog.com
人気blogランキング