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2007年04月11日

米国の豹変と拉致問題の行方

米国の豹変と拉致問題の行方

 六カ国協議の過程で、米国が突如北朝鮮に妥協した事によって、拉致問題が置き去りにされようとしている。拉致被害者家族の心中を察すると耐え切れない思いだ。

 しかしこうなる危険性は小泉訪朝の時から十分予想されていたことだ。「日朝国交正常化という歴史的偉業の前に、わずか十数名の事でガタガタ言うな」。これが日本政府の本音である。実際にそれを公言した外務官僚もいた。

 しかもそれさえも嘘なのである。国交正常化の実現さえももはやあきらめた。その一方で政治家と官僚は拉致問題を自己の栄誉と出世に利用することだけは熱心なのである。

 4月20日号の週刊朝日がこの点を厳しく指摘している。三十年も前に発生し、7年前に月刊文芸春秋で明るみに出ていた拉致疑惑が4月初めになって突然浮上した。そしてこれがニュースで大きく報じられることになった。その背景には参院選挙を控えた安倍政権の「拉致」利用と、それを振付けた警察庁長官の政治的振り付けがあったというのだ。

 週刊朝日はその記事の中で、捜査関係者のひとりのつぎのような言葉を引用をしている。「・・・本件は数年前から、いつ表にでてもいい話でした。それがこのタイミングで出たのは、統一地方選をにらんだ政治日程以外に考えられない。警察庁の漆間巌長官はすごく政治的な動きをする。安倍首相のところに行って、この日程が決まったと聞いています・・・」

 そして週刊朝日は、拉致の政治利用は小泉政権も同じであったと、曽我ひとみさんの夫のジェンキンスさんの解放と感動の再会が、04年の参院選投票日の二日前であったことを我々に想起させている。もっとも「拉致の政治利用は小泉政権も同じであった」ではなく、小泉首相こそはじめからおわりまで拉致を政治利用して、そして使い棄てた政治家であったのだ。週刊朝日はハッキリとそう書くべきだ。

 話を六カ国協議に戻そう。そもそも拉致問題と核問題を同じ俎上に載せ、六カ国協議の場で解決しようとした外務省の戦略に根本的な誤りがあった。核問題は北朝鮮と米国に任せておけばいい問題なのである。なぜならば北朝鮮ははじめから米国の脅威への対応しか念頭にないのであり、その一方で北朝鮮の核問題にどう対応するかについての判断は、超核大国である米国の判断にすべてが委ねられているからである。それを米国が、94年の直接交渉で北朝鮮にだまされたという失敗を避けるため、今回は関係六カ国を巻き込んで共同で北朝鮮に圧力をかけたいと言い出し、対米追従の日本はそうだ、そうだと付和雷同したに過ぎない。その米国は、今や北朝鮮との直接交渉に豹変し、おまけに核問題で一方的な譲歩を始めたのだ。

 拉致問題は核問題とはなんら関係ない日本国民の人権に関する問題である。それは六カ国協議があってもなくても、核問題にどのような進展があろうとなかろうと、まったく独立した形で日本政府が北朝鮮政府との間で直接交渉し、解決しなければならない問題である。

 拉致問題が解決しないのは六カ国協議が失敗したからではない。米国が裏切ったからでもない。一重に日本政府が本気になって日本国民を救い出そうとしなかったからである。今からでも遅くない。安倍首相と官僚たちは、自分たちの手柄や出世を投げ捨てて、金正日と本気で直接交渉することだ。その結果がどうであれ、金正日が誠意を見せるまで、世界の見ている前で北朝鮮に拉致被害者の解放を強く訴え続けることだ。この最大の人権侵害について私心を棄ててなりふりかまわず訴え続ける事だ。それがせめてもの拉致被害者家族への罪滅ぼしである。

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2007年04月11日

閑話休題 生きていくことの悲しさと美しさ

閑話休題
生きていくことの悲しさと美しさ

 政治が悪いと人々は平和で安穏とした生活ができない。だから何としてでも政治を監視し、権力の濫用から国民を守らなければなければならない。しかし所詮政治はそれだけのものだ。政治が良くなった後に、一人一人の人生が始まる。この世に生まれた我々は、誰もが自らの問題に向かい合い、折り合いをつけてその人生を生き続けなければならない。それこそが我々の最大の仕事であり、そこに永遠のドラマがあるのだ。

 私が学生の時に書いた小説の中に、主人公のこういう言葉がある。甲子園球場で球児が野球をやっているのをテレビで見ながら友人に語る言葉である。

 「あいつらはいいよなあ。甲子園をめざして毎日白球を追う生活に明け暮れていればいいんだから。勝って泣き、負けてまた泣いて、来年に向かって汗と涙の感動の日々をはじめる。しかしだ・・・あいつらだっていずれ高校野球を卒業する時がやってくる。問題はその後だ。その後に控えている長い、退屈な人生を生き続けていかなければならない時がくるのさ・・・」

 毎日新聞に「悲しくて美しい」という小文があった。目の不自由な17歳の女子高校生が地下鉄のホームから転落した事故を、その記者が取材した時の記事の一節である。運良く高校生はかすり傷だけで助かった。その記者が病院に駆けつけた時には、その高校生は簡単な治療をすませて受付の長いイスに座っていた。そこへ両親らしき中年の夫婦がやってきた。その時の光景をその記者は次のように書いていたのだ。たった数行のこの文章の中に私は一つの人生を見る。それは、愚劣な百の政治よりも、はるかに尊いものに違いない。

娘さんとひとしきり言葉を交わした後、夫婦は娘さんを間にはさんで座ると下を向いたまま黙り込んでしまった。

気配でそれを察した娘さんも黙ってうつむいた。3人は長いすの上で肩を寄せ合うようにして、いつまでも彫像にように動かなかった。両親は娘の無事を喜ぶ一方で、目が不自由なゆえに事故に遭わねばならない身の上を不憫に思ったのだろう・・・

私はその時これほど美しい光景を見たことがないと思った。世には確かに『悲しくて美しい』光景がある。


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