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2007年04月30日

京都で一人考える

京都でひとり考える

  連休の真っ只中である。私はその連休を京都で一人過ごしている。
  京都生まれで、京都そだちの母が、人生で一度だけ自己主張した事があった。京都に家を建ててくれと父にせがんだ事だ。無理をして親戚から土地を借り、父の退職金を前借して家を建てた。もう50年近くも前の話である。
  新聞記者であった父は出世から程遠く、その一生を殆ど地方記者で過ごした。そんな父に嫁いだ母は何かと口実をつけて京都に帰りたがった。幼い時に両親が離婚した母は、母親に引き取られて育った。まもなく母親が交通事故で急死する。その後は祖父の手で、そして祖父が死んだ後は叔父の家に引き取られて育った。だから京都に帰ってみても落ち着ける場所はないのであるが、それでも幼い子供を引き連れて夜汽車を乗り継いでよく京都に帰った。京都駅が近づいた時、もうすぐ京都に着くと言って喜んでいた母の姿を幼心に覚えている。
  子供が家を離れ、父が他界した後も、母はその家を決して離れようとはしなかった。その母も2年前88歳で他界した。父が25年ほど前に亡くなった時、母は家の裏手にあるお寺に墓を立てて父を埋葬した。その墓に、生前の母の言葉通り、私は母を埋葬した。今は空き家になったその家を、私は掃除と墓参りを兼ねて、一人で時々訪れることにしている。今回もそういう理由で京都に来ているのだ。
  昨日29日は春の天皇賞の日だった。好天に誘われて淀の競馬場まで足が向いた。競馬が好きだというわけではない。趣味の無かった父は定年後は毎週のように競馬に熱中していた。そんな父をふと思い出したのだ。好天に恵まれた競馬場は家族づれも多かった。若い男女の姿も目立った。様々な人が一瞬のロマンを求めて来ているのだ。平和があるからこそ競馬も楽しめる、そう考えた後で、すっかり平和主義者が板についてしまった今の自分に一人で苦笑してしまった。
  有望馬ばかりを組み合わせて6枚、都合6千円買ったのだが、二着に穴馬が突っ込んできたために予想は見事に外れてしまった。しかし目の前を全力疾走で駆け抜ける馬たちを見た私はそれだけで満足だった。凄まじい迫力で走る馬たちは感動的であるとともに何故か悲しい。人間もまたそうなのだ。どんな人生であれ、人がそれを全力で生きる時、それは等しく美しい。そして悲しい。その一方で、嘘のあるごまかしの人生は、たとえそれが世俗的な成功に恵まれ得意げであっても、醜悪である。
  その後私は三条京阪を経由して嵐山に向かった。母が好んだ場所だ。着いた時は既に夕暮れにさしかかっていた。渡月橋から眺める景色は何時見てもいい。そこから嵯峨野に向けて歩く。私は嵯峨野路に死の臭いを感じずにはいられない。死を怖れるのではない。死と向かい合いながら生を全力で生き抜ける、そのことの重要性に気づかされる場所なのだ。
  自然と悠久の歴史の中に身を置くとき、毎日ブログを書いて権力者を批判している事がつまらなく思えてくる。批判するだけでは気が滅入るだけではないか。そういう問いかけに対する私の答えを、次回のブログで明らかにしたい。


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2007年04月29日

安倍訪米ー無意味な解説記事より裏話から真実に迫れ

安倍訪米―無意味な解説記事より裏話から真実に迫れ

   安倍首相訪米の記事を読む時、私は解説や評価の記事を重視しない。それは書き手の意見であり感想に過ぎないからだ。そんなものを読んだところで勉強にはならない。かつてイラク戦争が始まった時に岡崎久彦外務省OBはあるセミナーの席で「昔は東大の教授(北岡伸一と田中明彦)がイラク戦争を支持することは正しいといえば、世間はそうかと納得したものだが・・・」と嘆いて見せた事があった。この発想こそ笑止千万なのだ。情報の共有がここまで進んだ今の世の中では、意見の正しさは発言者の権威ではなく中味で評価される時代になった。皆が対等に意見を言い合える時代になったのだ。権威にあぐらをかく時代は終わったのだ。重要な事は事実を出来るだけ多く知ることである。事実に基づいて各自が自分の意見を持ち、自分で他人の言動を批評的に読んだり聞いたりすればよい時代なのである。だから私は、自分が知らなかった関係者の発言や舞台裏の情報を探すようにして新聞を読む。それとても眉唾で読まなければならないが、それでも下手な解説記事よりは為になる。その観点から私が注目した安倍訪米がらみの最近の記事を紹介したい。
   4月25日の毎日新聞「首相初訪米 事前点検」には次のようなエピソードが書かれていた。
 ・・・慰安婦問題の強制性を「狭義」と「広義」に分け、軍による「狭義の強制性」を否定するという仕分けは、前掲の岡崎久彦外務省OB(元駐タイ大使)らが発案した仕分けであるという。こんな官僚的で複雑な説明が単純な米国人の頭に分かるはずはない。「何で(米国メディアは)理解してくれないんだ。おれは河野談話を継承するといっているではないか」と安倍首相の苛立ちは高じた。「迷路に入ってしまった」というのが官邸内の雰囲気だったという。的場順三官房副長官は「これ以上総理に謝らせるな」と叱責したらしい。しかし叱責された外務省には「この問題で議論しても勝ち目はない」と白けた空気が流れたという。前後してシーフアー米大使が塩崎官房長官に「このままだと大変な事になる」と指摘した。3月9日に首相執務室に安倍首相、麻生外相、塩崎官房長らが集まり、「沈静化を優先する」ことで政権の意思統一が図られた。4月3日にはブッシュ大統領に電話し釈明した。この電話については首相官邸と外務省は電話すべきかどうか迷ってもめたという。大統領から非難めいた言葉を浴びせられるのではないかと恐れたからだ。それが杞憂に終わって皆安堵したという。驚くべき腰砕け振りである。
   今度の訪米の重要な議題の一つは北朝鮮政策に関する日米の差の違いを修復する事であった。ありていに言えば米国の豹変について日本がどう文句を言うかであった。はしごをはずされた日本側の怒りは相当なものだったらしい。4月29日の日経新聞はこう書いている。1月のベルリン米朝協議で日本の頭越しに金融解除のシナリオを進めたヒル国務次官補に対し、「お前の顔は二度と見たくない」と日本の首席代表である佐々江外務省アジア大洋州局長が罵倒したという。佐々江の5年先輩で彼を良く知る私は、彼が米国にそこまで強く出たとは信じない。要するにそこまで外務省は米国に腹を立てていたということなのだろう。そこまで米国にコケにされたのであるから、安倍首相はブッシュ大統領に毅然として日本の立場を伝えるのが筋である。しかし4月29日の読売新聞はこう書いている・・・大統領は北朝鮮のテロ支援国家リスト解除では、首相が重視する拉致問題を「考慮に入れる」と述べた・・・(その)一方で、(安倍首相は)ライス国務長官やヒル次官補が主導する柔軟路線も、「ソフトというより賢い外交だ」と支持した・・・という。何だこれは!
  読売新聞はさらに続ける。「小泉政権から引き継いだイラク政策を維持しなければ、米国が北朝鮮(問題)で日本に配慮することはない」と首相同行筋が話したという。この同行筋とは外務官僚に違いない。「イラク戦争を支持しなければ北朝鮮のミサイルから守ってもらえない」と根拠無く言い募って対米追従に走った外務官僚は、それから4年たって今度は拉致問題を人質にとって米国のイラク戦争についていくしかないと言っているのだ。驚くべき対米追従ぶりだ。
 その北朝鮮問題に関し、ブッシュ大統領は一時間半の首脳会談の中で「長い時間」をさいてくれたと日本側は喜ぶ。そして「日本政府への変わらぬ支持を確約したい」と言ってくれたと喜ぶ。首相同行筋は「百点満点」とまで言って喜びを隠さなかったという。米国の真意がまったくわかっていない。29日の朝日新聞は6者協議の初代米政府代表を務めたケリー前国務次官補の次のような言葉を紹介している。「・・・拉致問題で日本の政治家が厳しい決断を迫られる時期が来るかもしれない」。要するにケリーは、日本は最後は米国の対北朝鮮政策に従わざるをえなくなるという事を言っているのである。
 笑ってしまったのは安倍首相がブッシュ大統領にゴルフを持ちかけて断られたエピソードである。4月28日の朝日新聞はこう書いている。・・・「一緒にゴルフをやりませんか」。訪米前、米側にそんな打診があったという・・・その昔、祖父である岸首相とブッシュ大統領の祖父は、ワシントン郊外のゴルフ場で一緒にプレーしたことがある。祖父同士がプレーしたゴルフ場で、一緒にクラブを握る。思い描いたのは、そんな光景だったに違いない。だがブッシュ大統領の返答は、こうだった。「自分はイラク戦争が続いている間はゴルフをしないと決めている」・・・そういえばブッシュ大統領は日米首脳会談後の記者会見で、イラク駐留米軍の撤退と引き換えにイラク戦費を認める補正予算案には「拒否権を行使する」と明言した。残りの人気が迫っているブッシュ大統領にとってはイラク戦争に勝利して大統領職を終える事がすべてである。その為には議会との対決も辞さない。時間はどんどん限られてきている。支持率はどんどん低下してきている。ブッシュ大統領は神がかりになって自分を追い込んでいる。そんなブッシュ大統領にとって日米首相会談など頭の中にはないのである。そんなブッシュ大統領との友好・信頼関係を構築しようとすることが無意味なのである。そんなブッシュ大統領に気に入られようと全ての政策で譲歩する事は国益に反する事になるのである。
  
 
 

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2007年04月28日

連休明けから政治が動く予感がする

 連休明けから政治が動く予感がする

 安倍首相の訪米が終わった。それを報じるどの記事を読んだところで何も本当の事はわからない。そもそも日本にとって得る物のない訪米である事は以前のブログで書いた。得る物がないどころか安倍首相はみずから強調した「かけがえのない日米同盟」を実績で示さなければならない宿題を背負って帰ってくる事になる訪米だ。「かけがえのない日米同盟」がわずか1日の訪米で「確認」されるものではない。その後の政策でその「確認」を証明しますと約束した訪米であったのだ。
  ただでさえ安倍首相は空手形を連発してきた。日中関係の改善、NATOとの安保協力、憲法改正の公約と集団的自衛権行使の容認など、米政府が求めてきた外交・安保上の政策に次々と手をつける姿勢を見せた。米政府はそれにつけこんで、「コイズミには外交・安保政策はなかった。だから安倍首相は具体的政策を示して欲しい」とほめ殺しの圧力をかけてきた。おまけに自らの慰安婦問題発言で招いた弱みがある。米国は狡猾な国だ。失言で米国に嫌われた久間防衛大臣は、情けない事にその後は日米再編問題でベタ降り状態である。安倍首相も大きな負い目を負ってしまった。
 4月27日の毎日新聞に外務省幹部の次のような言葉が紹介されていた。
「・・・安倍政権はまだ2,3のことしかやっていないのに5やると約束しているようなもの。右肩上がりのグラフに自ら先の点線を書き込んでいる。参議院選挙後に一気に動かすのではないか・・・」。動きは参院選前にも動くことだろう。安倍首相は連休明けから自らのイデオロギーに基づいた外交・安保政策をどんどんと強行に進めざるを得ないだろう。そして今の日本の政治状況は、そんな安倍首相の強硬姿勢を阻止する力は無い。護憲派の国民の間に不満と敗北感が高まる。しかしそれを吸収する野党勢力は無い。不満は内部に鬱屈して行く。そのまま敗北主義に退いていくのか。それとも何かのきっかけで、その不満が爆発してあらたな政治運動に発展していくのか。いずれにしても連休明けに政治が動き出す。
 

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2007年04月27日

閑話休題は言葉使いの誤り

閑話休題は言葉使いの誤り

   以前読者から指摘を受けて、あらためて辞書を引いてみた。閑話休題という語は、話しを本筋に戻すときに用いる言葉で、「むだばなしはさしおいて、それはさておき」という意味であるとなっている。私は無駄話という意味で使っていたつもりであったので、誤って使っていたわけだ。だから次回からは無意味な事をブログで書くときは、他の適切な言葉を使わなければならない。もっともこれから書く事は無駄話のつもりで書いているのではない。だから閑話休題でもよいのかもしれない。
   27日の毎日新聞に気分の悪くなるような記事があった。こんな事を全国紙の毎日新聞が書くのかと思った。思った後で、しかし、こういう記事こそまともな新聞は書くべきだと思い直した。どの新聞にも出ていない。それを敢えて取り上げた毎日新聞のデスクは思うところがあったのだろう。書かなかった他紙も敢えて書かない理由があったに違いない。前置きが長くなった。その記事とは次のような内容の記事である。
  26日の衆議院本会議で、隣同士で最後列に陣取っていた自民党の森喜朗元首相と小泉純一郎前首相が、ダイエット談義に熱中のあまり、民主党提出法案に間違って「賛成」したというのだ。「体重が100キロを切った」と森氏が披露したら、「私は初めて60キロを超えた。森さんの肉がこっちに来た」と小泉氏が応じた。二人で笑いあって駄弁っていたら議長が法案採決を宣言した。二人は政府案と勘違いしてあわてて起立したところ、実は政府提出の雇用対策法改正案に対する民主党の対案であった。民主党から「ありがとう」との声が飛ぶ一方、与党席には笑いが広がった。なんという緩みきった国会であろう。本会議である。与野党対決法案が山積している国会である。
  この記事を笑って読み飛ばす事の出来る読者は、小泉流で言えば「鈍感力」があるということに違いない。しかし鈍感力も、度量もない私は、この記事を笑い飛ばして読む事はできない。こんな連中がついこの間まで立て続けにこの国の首相であった事を考えると、そしてそんな連中にこの国の政治をここまで劣化させられた事を考えると、暗澹たる気持ちになる。
  私は繰り返しこのブログで、今の政治は機能していない。そうであれば政治家など不要であると書いて来た。この毎日新聞の記事を読んで改めてその意を強くした。今の日本が直面している内外の状況を考えると政治家としてやるべきことは山ほどあるはずだ。それをやらずして年間1億円ほどの歳費や経費を国民の税金から受け取る。政治家を辞められないはずだ。世襲がなくならないはずだ。しかし国民はそれを鈍感力でやり過ごしていては永遠にこの国の政治はよくならない。この意識を読者と共有したいために、このくだらない話しを敢えてブログで書いてしまった。書いた後で、こんな事を笑い飛ばせない自分がみじめに思えた。
 

 

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2007年04月27日

西尾幹二氏の安倍批判に保守・右翼はどう答えるか

西尾幹二氏の安倍批判に保守・右翼はどう答えるか

 4月27日の産経新聞「正論」に西尾幹二氏の意見が載っていた。「慰安婦問題謝罪は安倍政権に致命傷」というタイトルの主張である。この主張は、安倍首相がこれほどまでに信念を曲げ、隠して迷走しているというのに保守・右翼主義者たちが奇妙に沈黙し続けているという、「保守・右翼の身をよじらせたジレンマ」を如実に浮き彫りにした、極めて注目すべき主張である。
 彼の論旨は極めて明快だ。すなわち、「保守の星」安倍氏は、首相になってからその保守の姿勢を大きく曲げた。「・・・村山・河野談話を踏襲し、東京裁判での祖父の戦争責任を謝り、自らの靖国参拝をはぐらかし、核と拉致で米国にはしごを外されたのに、ブッシュ大統領に抗議の声一つもあげられず、皇室問題も忘れたみたいで、中国とは事前密約ができていたような見えすいた大芝居が打たれている・・・」と指摘し、「・・・しかるに保守言論界から明確な批判の声は上がらなかった。『保守の星』安倍氏であるがゆえに、期待が裏切られても『7月参院選が過ぎれば本格政権になる』、『今は臥薪嘗胆だ』といい・・・慰安婦問題決議案が(米議会で)出て、安倍氏が迷走し、取り返しがつかない失態を演じているのに、『次の人がいない』、『官邸のスタフが無能なせいだ』とかわいい坊やを守るようにひたすら庇う・・・」と、これ以上ない明快さで保守言論界の政権べったりを批判しているのである。
 極めつけは西尾氏の締めくくりの次の言葉である。「・・・首相退陣後にとてつもない災難がこの国に降りかかるであろう・・・日本の永久非核化であり、米国への一層の隷属である。経済、司法、教育の米国化は着々と進み、小泉政権以来、(それが)加速されている。安倍内閣は皇室を危うくした小泉内閣の直系である。自民党は真の保守政党ではすでにない。私は安倍政権で憲法改正をやってもらいたくない。不安だからである。保守の本当の声を結集できる胆力を持った首相の出現を待つ」
 私は歴史認識、国家観などにおいて西尾氏とは異なる考えを持つ者である。しかし安倍首相の信念のなさとその迷走振りが日本を急激に悪化させているという認識においてはまったく同感である。そしてそれにもかかわらず、政権べったりの保守、右翼主義者が沈黙を守っていることのふがいなさについても西尾氏の言に全面的に賛同する。
 私のブログにやたらに迷惑メールを寄越したり、罵声を浴びせるメールを送ってくる「右翼ブロガー」が増えつつある。しかしその中にはこの西尾氏のような意見を述べる者は一人もいない。反論しようにもしがいがないのだ。願わくば保守・右翼主義者はこの西尾氏の如き真性保守主義で統一してもらいたい。そうすれば論点が明確になり議論もできる。
  この西尾氏の主張を正論で掲載した産経新聞に私は敬意を表したい。

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2007年04月26日

特殊法人の赤字を国民の負担で補填していた事実

特殊法人の赤字を国民の負担で補填していた事実

   4月25日の日経新聞は一面トップで一大スクープを報じた。橋本行革の名の下に2003年度以降次々と行われた特殊法人の独立行政法人化の陰で、特殊法人が抱えていた繰越欠損を政府出資金で穴埋めしてチャラにしていた事を告発したのだ。今日まで54の特殊法人が49の独立行政法人に移行された。その特殊法人の繰越欠損総額はなんと12兆円に上るとう。
 そもそも特殊法人から独立行政法人へ移行した目的は何のためだったのか。それは、資金調達の国家保証を取り去り、納税義務を課して、特殊法人の効率性を民間企業の並みに高める事にあったはずだ。しかし官僚はその口実の陰で特殊法人のずさんな会計処理を隠蔽して処理しようとした。
   このようなからくりを国民の誰が知っていたというのか。その意味でこの日経のスクープの意義は大きい。ところが不思議な事に翌26日の他紙は一切後追い記事を書いていない。テレビも取り上げない。会計処理の問題は技術的過ぎてわからないからなのか。それとも問題の深刻さに気付いていないからなのか。 
  日経新聞は書いている。これまでこの事実は国民にまったく説明がなされてこなかった。その理由は、特殊法人から独立行政法人へ移行する際の設置法において、「資産から負債を差し引いた額を政府出資とする」と抽象的にしか書かれておらず、具体的な減資額(補填額)はもとより、減資の理由などが一切公表されなかったからだと。そしてこのいい加減さは、減資を行う場合は株主総会での特別議決など厳格な手続きが必要となっている民間企業と比較すれば、一目瞭然であるという。この問題は国会で追及することはできたはずだ。しかし日経新聞は、「与野党で議論された形跡はない」と書いている。
  私は期待する。今後いずれかのメディアがこの問題を取り上げて、国民にわかりやすく説明してくれる事を。我々はこの日経の記事の反応がどう発展していくか、注意深く監視していかなければならない。
  官僚が独占する立法権とその解釈・運用に関する裁量権の大きさによって、これまでにどれだけ多くの不合理な事が国民の知らない間に行われてきたことであろうかと思う。それを見つけて糾弾する事こそメディアの使命である。この日経新聞のようにメディアの奮起を期待したい。
 
 

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2007年04月25日

国の介護放棄政策を糾弾する多田富雄東大名誉教授を応援しよう

国の会議放棄政策を糾弾する多田富雄東大名誉教授を応援しよう

 記憶がさだかではないが最近の新聞で米国のどこかの州が州法を改正し、病院が患者を路上に捨てる事を禁止したというニュースを読んだ。その記事を読んだ私は、米国の格差社会もついにここまで来たのかと思ったものだ。金持ちが高額の契約料を払って個人ドクターを24時間キープする一方で、多くの低所得者が医療保険に入れずに寿命を縮めている米国。文字通り「金で寿命まで買える」格差社会米国だ。その状況は頭では知っているつもりであったが、金の無い患者が路上に放り出されていたとは知らなかった。ここまで生命が粗末に扱われていたのかと驚いた。
 しかし日本の厚生官僚が進める医療制度改悪も似たような物だ。小泉、安倍政権が急速に進める日本の構造改革は財政赤字削減と自己責任の掛け声の下で老人や弱者にそのしわ寄せを押しつけている。とうとう身障者やリハビリを必要とする絶対的弱者にまで負担を強いて恬として恥じない。そんな「改革」と一体何なのか。何のための政治なのか。
 専門外の私にかわって5月5・12日号の週刊現代がかわりに怒りをぶつけてくれている。中里憲保の手になる「リハビリ切捨てが招くあらたな介護地獄」がそれである。半年たっても回復しなければ介護保険を打ち切るというあらたな制度の不合理についての渾身のルポである。
 彼は書いている。「・・・世界がうらやむ国民皆保険の制度を持っているのに、それを崩壊するような危険な事態が始まった。障害を持った人間の、最後の頼みを断ち切る乱暴な改定。保険制度が誕生して以来、はじめて『患者きりすて』が行われる・・・」。
 これは厚労省が打ち出したリハビリテーション医療に支給される診療報酬に日数制限を設ける医療改悪のことである。この「打ち切り方針」を打ち出してから多くの患者団体の怒りの声が殺到し、あわてた厚労省は「重度の人は180日を超えて」という除外規定を設け、批判をかわそうとしている。しかし基本的姿勢は変わらない。「回復しなければ死ね」という生存権の侵害である。
 私がこの問題に特に関心を持ったのは、免疫学の世界的権威でノーベル賞級の業績をおさめている多田富雄という東京大学名誉教授が脳梗塞で倒れてリハビリ闘病中である事をずいぶん前のテレビの番組で見て知っていたからである。免疫学の泰斗であるばかりでなく文化社会論でも高名な多田教授は常人では及びもつかない立派な人に違いない。その人がある日突然脳梗塞になって要介護の人となる。そのとたんに国にとっては役立たずになるのだ。
 その多田教授が、不自由な体をおして、リハビリテーション患者を代表して介護制度改悪阻止のために政府と闘っている。「リハビリは最後の命綱なんです。それなのに言語リハビリを打ち切るという。私は一生しゃべれなくなってしまう」。この多田教授の叫びは、病に倒れ、必死にリハビリに励んでいるすべての国民の叫びなのだ。
 私はつくづく思う。小泉前総理や安倍首相は、郵政改革に命をかけたり靖国参拝にこだわったり、あるいは憲法を変えて日米同盟を強化するという。しかし本当は彼ら指導者がまず行うべき事は国民一人一人の人権、生存権を何があっても守る事ではないのかと。そこに心が向かわずしてどんないさましい掛け声をかけてもそれは偽者だ。ましてや「美しい国」をつくることではない。
 4月11日の朝日新聞の連載「ドキュメント 医療危機」⑦のなかに医師不足と闘う長崎大名誉教授高岡善人氏のついての次のような体験談が掲載されていた。この国の指導者の正体を見事に描いた象徴的なエピソードである。
・・・山口の病院時代にも政治家にがっかりした経験がある。病院の名誉会長は安倍首相の祖父・岸信介元首相。81年に岸さんが緊急入院し、退院できるまで回復した。いい機会だと病室を訪ね「日本の医療の話を聞いてほしい」と申し出たが、岸さんはプイと横を向いた。高岡さんは失望し一ヶ月ほど後、院長を辞任した。「医療に関心のある政治家はいない」。高岡さんは嘆く。

    Political Leaders Who Belittle Sick and Invalid People

When I read the news that a new law that prohibits hospitals to discard patience has been passed in a certain State of America, I was so shocked. But I was similarly shocked to know that recently Japanese Government decided to kick out the patients after 180 days no matter how they need further rehabilitation treatment.
During 5 and half years Koizumi regime financial reconstruction is an utmost important political platform and harsh budgets cut have been made by the bureaucracy. As a result traditional “ Medical Insurance for All” policy of Japan, which Japan is proud of to the world, has been given up.
It is a matter of political choice to decide which budgets be cut while others be maintained. Prime Minister Abe repeatedly said he was making Japan a beautiful country while he tries to changes Peace Constitution of Japan and strengthen Japan US military alliance. This means Japan will be a beautiful country like US where fighting against terrorism the no.1 priority of national policy and the rich gets richer and the poor gets poorer.

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2007年04月24日

安倍首相の根本的矛盾、対米追従外交の限界

安倍首相の根本的矛盾、対米追従外交の限界

  22日のブログで私は今回の安倍首相の訪米がまったく安倍首相にとって、そして日本にとって楽しくない訪米になるだろうと書いた。ひたすら「日米同盟の重要性」を演出するだけの芝居となるであろうと書いた。皮肉にもその原因は安倍首相自身の自己矛盾と日米同盟強化を唱えることしかしてこなかった日本外交の限界から来ているのだ。
  考えてみるがいい。安倍首相が繰り返して口にする言葉に「戦後レジームの転換」というのがある。しかし戦後の日本のレジームは米国の占領政策によって全てがつくられた歴史ではなかったか。その完成として小泉前首相の時に日本経済の米国化と自衛隊の米軍従属化が決定されたのではなかったか。そして安倍首相は憲法9条を改憲し、日米軍事同盟を後戻り出来ないまでに固定化しようとしている。この事と「戦後レジームの転換」は100%矛盾するのである。自主、独立の日本はむしろ遠ざかるのである。
 安倍首相は訪米を前にした内閣記者会のインタビューで集団的自衛権の行使を禁じる憲法解釈を見直す事を公言した。これが可能であれば9条改憲など急ぐ必要はまったくない。憲法9条以外の部分の改憲については安倍首相はまったく関心は無い。それでは何の為に改憲を急ぐ必要があるのか。これも安倍首相の自己撞着である。それともどっちに転んでも米国の戦争に協力できるように米国に追従するつもりなのか。
 安倍首相は、7月末に期限が来るイラク復興支援特措法の2年延長を決定した。陸上自衛隊がイラクから撤退した後も航空自衛隊は残り、バクダッドに飛んで多国籍軍の兵士を運んでいる。その理由を聞かれた安倍首相は、「まだ(イラクは)復興していない」と答えたらしい(4月24日朝日新聞 ニュースがわからん!)。これではイラクの復興支援は終わらない事になる。口から出任せなのだ。
 ついでに今日の新聞で見つけたいかさま発言を二、三紹介する。26日からの首相訪米を前にして朝日新聞は安倍首相が求める「強い日米同盟」は再構築できるのかという特集記事を書いている。そのなかで「(イラクへの自衛隊派遣で得た米政権の信頼は)賞味期限は完全に切れた」という外務省関係者の言葉を紹介している。イラク自衛隊派遣は米国のご機嫌取りでしかなかった事を今頃になって外務官僚が認めているのだ。
   毎日新聞「記者の目」で北米総局の及川正也記者が書いている。「・・・かつてない強固な日米同盟を言われる土台になったのは親密なブッシュ・小泉関係だったが、昨年9月、米政府元高官が私との雑談で『小泉さんには外交政策はなかった。日米同盟重視だけでは外交戦略とはいえない』とこぼした一言が印象に残っている」と書いている。その後で及川記者は書いている。「硬直した小泉外交を脱却し、柔軟で戦略的な外交を・・・と。しかしそう考えた後で、我々は、結局のところ戦後の日本外交は対米追従外交しかなかった事を知って愕然とするのである。及川記者もその後に続く言葉を失っていたのであった。

 

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2007年04月23日

外務省を劣化させる外務官僚

外務省を劣化させる外務官僚

 いまさら外務官僚批判はしたくはない。やるせないからだ。しかし批判せざるを得ない時もある。外務省という立派な組織を無能な外務官僚が壊している。それを端的に物語る三つのエピソードを4月の報道で見た。外務官僚は特殊なエリートだと信じている一般国民にとっては驚きかもしれない。しかしこれが今の外務官僚の実態である。これではいい外交はできない。
 4月7日の新聞によれば外務省が「名探偵コナン 外務省を探る」という漫画の広報誌を5000部作成したという。漫画好きの麻生外相が自ら発表した。その中に「世界中のうめーもんが食えるなら悪くは無いなあ」などと言って外務省の仕事を宣伝しているくだりがあるらしい。そこまで言って外務省を宣伝しなくては人が集まらないのか。もっとも世界中のうまいもんを食いながらろくな仕事をしない職員は外務省にはあふれている。だからこそこんな広報雑誌を何の躊躇いもなく作って恥じないのだ。
  二つ目は稚拙なメディア工作だ。安倍総理の米国メディアに対する慰安婦問題謝罪発言は、訪米前に火種を消しておきたいとする外務官僚の浅知恵だ。本質的な解決策を怠り、メディアにうまく書いてもらって乗り切ろうとする。記者から事前に質問をしつこく求め、質問を厳選し、そしてインタビューする記者を外交機密費で「寿司」接待しまくって「お手柔らかにお願いします」とやっていたらしい。いつも見てきた手口であるが、今更ながらつまらない仕事を繰り返していると思う。
  極めつけは4月21日の朝日新聞の「人材バンク賛成の事情」という記事だ。国家公務員の天下りをあっせんする「人材バンク」については各省庁がこぞって反対している。そんな中で外務省だけが賛成しているという。その理由が振るっている。外務省には本省で出世できなかった者には大使や総領事という在外公館のポストがあってこれで外務官僚は60歳過ぎまで身分保障されている。だから他省庁のように天下りポストに必死になる必要は無いというのだ。しかしそれでも「能力が真ん中より下」の高齢化職員がゴロゴロしており在外ポストだけでは足りなくなりつつある。使い物にならないこれら高齢職員の処遇は外務省人事当局の頭痛の種だ。「再就職先を確保してくれるなら、そんなありがたいことはない」という事らしい。どの民間企業がそんな者を使うだろうか。

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2007年04月22日

慰安婦問題で米国メディアに謝罪した安倍首相の迷走ぶり

慰安婦問題で米国メディアに謝罪した安倍首相の迷走ぶり

 今回の安倍首相の訪米ほど盛り上がらないものはない。訪米直前であると言うのに新聞もほとんど報じていない。報じる内容が無いのだ。一体何のための訪米なのか。

 22日の日経新聞は一面でアフガンへの復興について首脳会談で資金協力を表明すると報じた。これには驚いた。自衛隊の海外派遣を本来業務にしたばかりの安倍首相は、米国やNATOの要望する自衛隊のアフガン派遣を断りつもりだとすでに報道された。こんどの報道でいつものように資金協力だけで済まそうとしている事がわかったのだ。130億ドルもの資金協力をしたにもかかわらず評価されなかった湾岸戦争のトラウマは一体何だったのか。そのトラウマの反省から自衛隊の海外派遣の実現を急いだのではなかったのか。いくら憲法を変えても危ないところには自衛隊は出さないのだ。だったら何故憲法を変えようとするのか。

 日経新聞はまた日米間の自由貿易協定(FTA)も話題に上る可能性があるという。これもおかしな話だ。4月はじめに米国と韓国が自由貿易協定を締結した時は、同じ農業問題を抱える日本は衝撃を受けた。貿易立国の日本こそ自由貿易協定の先頭に立たなければならないのにこれでは取り残されると多くの識者が警鐘を鳴らしている。それにも関わらず無策な農業政策のゆえに日本は動きが取れない。農水省と経済産業省にはさまれて主導権を持たない外務省は「安易に動かないのも一つの方法」(外務省幹部―4月21日日経新聞)などととぼけた事を行っている。そんな日本が首脳会談で日米自由貿易協定の話を喜んでするはずはない。その他にも牛肉輸入再開や郵政民営化後の米国保険・金融業界の日本市場参入など、米国に攻められる問題ばかりだ。日本にとっていい事は一つもない訪米である。

 そう思っていたら、安倍首相が従軍慰安婦問題で米国のメディアに謝罪したというニュースが飛び込んできた。今度の訪米の隠れた議題がこの慰安婦問題である。安倍首相にとって最大の頭痛のタネであった従軍慰安婦問題について沈静化の駄目押しを図ろうとしたのだ。

 私は3月9日のブログで、慰安婦問題は米国政府関係者が「軍の強制は無かった」という安倍発言を擁護できないと言った時点で勝負がついたと書いた。その通りになった。日本の立場を正しく説明しに行くと息巻いていた保守・強硬議員の訪米も結局米国を逆なですると言う事で停止に追い込まれている。

 それにしても安倍首相のインタビューの発言は全面降伏だ。英文を読むとよくわかる。

 I need to apologize…Japan bears responsibility…We feel responsibility for having forced these women…

 安倍首相のこの発言は河野談話以上に強い調子で慰安婦問題を認め、謝罪している。対米追従、事なかれ主義の外務官僚の言うなりになったということだ。安倍首相に信念というものはあるのか。それは容易に曲げられる信念なのか。それとも日米同盟重視という信念がすべての信念に優先するということか。

 これほどの大事件にもかかわらず日本のメディアがほとんど取り上げていないことは不思議だ。17日に首相官邸で取材に応じているにもかかわらずその事実すら報道されていなかった。まるで申し合わせたように隠していたかのようだ。そして21日の米国メディア(ニューズウィーク、ウールストリートジャーナル)を通じて我々は初めて知ることになる。米国のメディアの報道を日本のメディアが後追いで報道している。よほど都合の悪いことだったと見える。「慰安婦問題など存在しなかった」などと強硬な発言を繰り返していた国会議員や保守・愛国主義者はこの報道を見てどう反応するのだろう。安倍首相のこの無定見、無節操、対米従属ぶりに怒らなければすべては八百長だったということだ。

 それよりも、なによりも我々国民にとって許せないのは、日本国民やアジア諸国に対しては強硬姿勢を貫きながら、米国のメディアを通じ米国に対して謝罪したという事実だ。一体これは何なんだ。


PM Abe Apologized on the Comfort Women Issue to US media、 not Japanese and Asian people

 What is the merit of PM Abe’s visit to US for Japan this time? As far as Japanese media reported so far the agenda of the summit meeting are as follows;

 Follow up of 6 parties negotiation on North Korea
 Afghanistan, Iraq issues
 US- Japan FTA
 BSE affected US beef issue
 Free entry of US insurance companies to a Japanese market
 Japanese cooperation with US War on Terror
 etc.

 It seems as if US President demands and Japanese Prime Minister concedes.

 But the most difficult hidden agenda is how PM Abe evades the mounting criticism against PM Abe’s remark about the Comfort Women Issue. PM Abe once said that there didn’t exist so –called forced comfort women and this remark infuriated the US Congress.

 All of sudden Japanese people knew through US media, Newsweek and Wall Street Journal of 21 April that PM Abe apologized for his remark admitting the existence of forced comfort women. It is so obvious why PM Abe made such remark in the interview with US media. He wants his first official visit to US without troubles. He attaches the most importance to his successful visit to US putting aside his political belief and betraying his colleagues insisting there is no comfort women's issue. It is interesting to watch how the repercussion of this PM Abe's remark among Japanese people.

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2007年04月21日

ブッシュ大統領との朋友関係を小泉前首相はなぜ活用しないのか

ブッシュ大統領との朋友関係を小泉前首相はなぜ活用しないのか

 4月21日の日経新聞は報じていた。ブッシュ大統領は19日のワシントンでの講演で日本に関する得意のワンパターン演説を次のように繰り返したと。

国際社会で親友の一人が日本の首相。プライム・ミニスターコイズミだ

 その後で、「米国と戦争をした日本が今では民主国家になった」と続ける。占領の模範例として日本占領を引用しやがてイラクも日本のようになると言いたいらしい。誰かに振付けられたこの表現はすっかりブッシュ大統領の頭に刷り込まれたようだ。

 しかし、ブッシュ大統領の小泉前首相礼賛は、あながちそのような政治的計算のみから出る発言ではないように思える。ブッシュ大統領は小泉前首相を気に入ったのかもしれない。「「ケミストリーが合う」という表現がよく使われるが、ブッシュ大統領と小泉前首相は相性が良かったのだろう。米国大統領との個人的友好関係をここまで築きあげた日本の首相はいなかった。この事については小泉前首相の個人的資質を素直に認めなければならない。

 問題は首相を辞めたあとそれをどう活かすか、活かす意思と力が小泉前首相にあるかということである。不思議な事にこ小泉前首相にその気配はない。小泉前首相がブッシュ大統領と交友関係を持続しているという報道にお目にかかったことはない。もし本当にブッシュ大統領と小泉前首相の個人的関係が良好であり、本物であるならば、なぜ小泉前首相はその関係を個人的な資産として大切にし、自分のために、そして日本のためにそれを活用しようとしないのか。なぜ安倍首相や外務省、財界は、小泉前首相に一肌脱いでもらおうとしないのか。

 ここにきて日米関係にずれが目立っている。北朝鮮を巡る政策の違い、従軍慰安婦問題をめぐる米国議会の対日批判の動き、米中関係の緊密化、牛肉問題再開に向けた米国のごり押しなどである。

 それに加えて4月19日の毎日新聞には見逃せない記事がのっていた。米国の下院歳入委員会ランゲル委員長(民)とマクレリー筆頭理事(共)が日本の郵政民営化方針に「強い懸念」を表明し、安倍首相との日米首脳会談の議題に取り上げようとブッシュ大統領に迫っているというのだ。米国保険業界など更なる日本への業務進出ができるように、民営化後の郵政会社の優遇を止めろと文句を言い出したのだ。郵政民営化は小泉前首相の専権事項であった。今こそ小泉前首相の出番ではないのか。それとも小泉前首相の郵政民営化の目的は米国への利益誘導であったとでもいうのか。

 シンクタンクをつくって小泉前首相を名誉顧問に仕立てた財界もよく考えるべきだ。今こそ小泉首相の初仕事として小泉前首相を訪米させ、ブッシュ大統領と会談を実現して同席するくらいの知恵を出していいはずだ。  

 そのような動きが本人にもまわりにもまったく無いところが底の浅い日米関係の正体をよく表している。日本人の戦略の無さを表している。ブッシュ・小泉朋友関係の嘘くささを物語っている。


Koizumi-Bush good relation, Is it Real?

 Nikkei Shinbun of 21 April reported that President Bush once again referred to Mr. Koizumi as a one of his best friends among the international leaders in his speech in Washington.

 It is obvious that when President Bush quoted the example of US successful occupation of Japan he wishes the occupation of Iraq will end up with the similarly successful one. Therefore emphasizing the good relation with a Prime Minister of one time belligerent country, Japan, might be construed as a well thought political expression.

 It is, however, true that apart from such political consideration President Bush is fond of former Prime Minister Koizumi and the good relation between President Bush and Mr. Koizumi is somewhat real.

 The question is why Mr. Koizumi does not seem to take advantage of this personal good relationship for his own interest and the interest of Japan and Japanese people.

 There have been many issues between Japan and US such as the issues of North Korean Nuclear, Comfort Women, US military bases etc. which might erode the credibility between two countries.

 Strangely enough Mr. Koizumi does not seem to have communicated with President Bush nor President Bush personally contacted Mr. Koizumi after Mr. Koizumi left Premiership. Neither Japanese Government nor Japanese business circles has asked Mr. Koizumi to make use of his strong relationship with President Bush in order to avoid frictions with US.

 This makes me doubtful whether good relationship between President Bush and Mr. Koizumi is real or not .

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2007年04月20日

日本の政治は機能していない。政治家は不要だ

日本の政治は機能していない。政治家は不要だ。

 機会ある毎に私は指摘してきた。この国の国会は機能していない。今の日本に政治家など要らないと。もちろんこれは極論である。しかし極論が極論ではなくなりつつある。さすがの新聞もそう思い始めたらしい。

 18日の読売新聞は、政府・与党が、夏の参院選挙を念頭において「安倍色」に彩られた重要法案を次々と審議入りさせる方針であると書いていた。その法案とは国民投票法案や在日米軍再編推進特措法であり、教育改革関連3法案、イラク特措法改正、社会保険庁改革関連法案であるという。このうち社会保険庁改革法案を除いては国民の生活にとって緊急に必要なものは何もない。しかもその社会保険庁改革法案でさえ国民の要望から程遠い「食わせ物」である事は4月14日のブログで書いた通りだ。年金問題の解決にはまったく役立たない改革である。しかも改正法案の目的が、「民主党と公務員労組との関係をあぶりだす」(政府筋―18日読売)というのであるから国民不在もはなはだしい。そしてその記事の横には17日の衆議院本会議の写真が載っていた。統一地方選挙や参院補選の期間中だから欠席や途中退席が相次いでいる。議席の半分が空席になっているのだ。これで最重要法案の審議を行っているのだという。そしてまもなく国会は連休休会となる。おびただしい国会議員が税金を使って世界に外遊に繰り出す。

 一方19日の朝日新聞は民主党が国会ですっかり存在感を失っていると書いている。国民投票法案はじめ重要法案の衆院通過を次々と許し、論戦でもアピールできていない。与党が強い姿勢で国会に臨む姿が常態となった。それはひとえに野党が機能していないからだ。「与党が強行すれば、もはや国会戦術の余地はない」と民主党の国対幹部からあきらめの声が漏れると言う。なんという情けない野党第一党であろうか。共産党は頭から相手にされず、社民党の政党存立は風前の灯だ。野党は存在しないも同然だ。

 20日の読売新聞は塩崎官房長官が「集団的自衛権は公明党に配慮して議論進めたい」と19日の記者会見で述べたことを報じている。なんということか。国民の意見より、政権維持に必要な連立相手の政党の意見を優先すると公言しているのだ。 

 このような国会の現状を直視すれば政治家は要らないという極論があながち極論ではないと思えてくる。いや、本当に政治家は要らないのかもしれない。国民の間の利害を公正に調整し、国民の共生、共存を乱す暴力を排除する警察機能さえ確保されていれば、政治家などいなくても日本は国民の手で立派に運営できる。後は外交と国防に専念する国家機能があれば十分だ。特権だけを享受して本来の仕事をしない、できない政治家が、衆参あわせて700名以上も存在する必要性はどう考えても無い。彼らよりはるかに優秀で、知識・教養があり、そして何よりも性根が善良な国民がこの国には大勢いる。彼らは何の特権もないただの国民だ。しかしその国民のほうが有能なのだ。善良なのだ。

 政治さえなくなれば、政治ニュースも不要になる。政治に寄生する政治記者や評論家という職業も不要になる。くだらない政治番組もなくなる。その分だけ我々の暮らしに直接関係する重要なニュースが報道される事になる。

 立法権を独占する政治家は自らの利権を減らすような制度をつくることはない。改憲などという前にいっそのこと国民投票で政治家を削減できないものかと思う。


In Today's Japan the Diet Doesn't Work. Members of The Diet Are Useless

 I don’t know whether in earth any country exists whose political system works for the interest of the people. But certainly the Diet is not working and members of the Diet, therefore, are useless in Japan today.

 For example LDP, the government party led by PM Abe, hastens to pass the bills of Educational Reform, Referendum for Constitutional Amendment, Extension of Dispatching Self-Defense Forces to Iraq, Cooperation for US Military Reorganization etc. which are not urgent in the light of the desperate need of Japanese people who are dying for measures of redressing gaps between the poor and the rich.

 PM Abe tries to pass these bills , not by persuading opposition parties, but by resorting to voting as if showing off his strong leadership.

 Opposition parties are too powerless to stop this arrogance of LDP. Democratic Party, the biggest opposition party, is basically sympathetic with LDP and tends to avoid the dead confrontation with LDP. Japanese people are basically anti-communism and Communism Party has never won and will never win more than a limited support from the people. Social Democratic Party, at one time the biggest opposition party and played the checking role against LDP policies, is now disappearing.

 Under such political situation the debates in the Diet are lacking of seriousness and members of the Diet are doing nothing other than their concern of being reelected in the next election. NO wonder half of the Japanese voters don't have any political parties to vote for. Indeed the Diet doesn't work and members of the Diet are unnecessary in Japan today.

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2007年04月19日

暴力を容認する政府とそれを黙認する我々が長崎市長を殺したのではないか

暴力を容認する政府とそれを黙認する我々が長崎市長を殺したのではないか

 長崎市長が殺された。皆は口をそろえて「あってはならないことだ」、「民主主義の敵だ」、「暴力に屈してはいけない」などと当たり障り無いコメントを繰り返す。しかしそんなことで弱者を黙らせる不条理な暴力が防げるとでも言うのか。

 これまでにも政治家を襲う暴力はあった。「私も選挙期間中に火炎瓶を投げつけられた経験をしているんですから」と安倍首相は言ったらしい。しかし背後から至近距離で銃弾を撃って即死させた犯人のやり方は脅しやいたずらではない。このような明確な殺意を持ったテロは特異だ。

 山口系組織暴力団の代表代行という幹部の反抗である。何故そのような組織が放置されてきたのか。何故銃が日本でほしいままにされているのか。「伊藤市長を殺して自分も死のうと思った」犯人が何故その場で自分の頭にピストルの弾を撃ち込まずに逃げようとしたのか。メディアも国民も何故その事に焦点をあてないのか。右翼と組織暴力団の境があいまいになりつつある今の日本では、間違いなく暴力による言論封鎖は繰り返される。普通の人間であれば間違いなく言動を抑制することになる。自分だけは被害者になりたくないと考える。この事件は暴力を容認する政府とそれを黙認する我々が起こした事件ではないのか。
 何故かむしょうにアミラ・ハスの「パレスチナから報告します」(筑摩書房)という本を読みたくなって、今それを手にしている。イスラエル人でありながらパレスチナ自治区に住んで、苛烈を極めるイスラエルの占領の実態を世界に訴え続けた女性ジャーナリストの6年間にわたる告発記録である。この本を最初に読んだ時の深い感動を私は忘れることはできない。それはパレスチナ抵抗史上に残る最も苛烈な期間(97年―03年)のイスラエル占領政策の実態を誰よりも正確に伝えているからだけではない。世間が褒め称えた「オスロ合意」を「決して混乱に終止符を打つものではない。それどころかアパルトヘイト(人種隔離政策)に行き着くものだ」と喝破し、「パレスチナ問題の本質はイスラエルのパレスチナ人弾圧政策にある」と公言した勇気が私の心を勇気付けたからだ。
「私は傍観者にはならない、傍観者である事は無関心だということです。不正義に対し何もしないことこそ、悪を許すことなのです」と断言し、「ジャーナリストは弱者を追跡するスパイになるべきではありません。強者をこそ追跡するべきです」と述べるアミラ。そのアミラが全身、全霊をかけてパレスチナの現状を訴えてみても世界にその声は届かない。それはあたかもギリシア神話に出てくる美少女カッサンドラの如くである。天賦の予見能力に恵まれながらアポロンの怒りに触れ、語る言葉のすべてが人に届かない魔法をかけられたあのカッサンドラである。しかし私には聞こえる。真実を語り続けるアミラの言葉がいつかは正しかったと証明される時が来ると。

敵を恐れることはない。敵はせいぜい君を殺すだけだ。
友を恐れることはない。友はせいぜい君を裏切るだけだ。
無関心な人びとをおそれよ。彼らは殺しも裏切りもしない。
だが、無関心な人びとの沈黙の同意があればこそ、地上には
裏切りと殺戮が存在するのだ。

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2007年04月18日

イラク情勢の混乱に「貢献」する日本外交

イラク情勢の混乱に「貢献」する日本外交

 イラクを破壊してしまったのは勿論米国のイラク攻撃である。その米国が今度はその占領政策の失敗によってイラクの再建を妨げ、イラクを内戦状況に突き落としてしまった。

 米国が撤退の前提としていた「選挙によるイラク政権」が成立して久しい。それにもかかわらず米国は撤退しようとしない。そしてその米軍の撤退を巡ってイラク政権の亀裂が深まる一方である。米国占領軍の撤退こそ全てに優先するという超宗派の大規模デモが起きる一方で、「治安回復が撤退の前提だ」として増派と掃討作戦を強行するブッシュ大統領の間で、マリキ政権はもはや完全に統治能力を失っている。

 そんな中でイラク政権内部のさらなる対立が表面化した。シーア派の対米強硬派指導者サドル師派の閣僚6人全員が辞任するというニュースが4月15日、世界を駆け巡ったのだ。

 その原因がマリキ首相の訪日中の発言だったとしたらどうだろう。4月16日の日経新聞(夕刊)はそう報じているのだ。「マリキ首相が先の訪日時に、米軍の駐留期限を設ける必要は無いと発言した事に反発、政権をゆさぶる狙いがある・・・サドル師は一貫して米軍のイラクからの撤退を求めている。昨年11月マリキ首相がブッシュ大統領と会談した際にも閣僚らの職務を停止してマリキ政権に抗議した・・・」という記事がそれだ。

 あらためてマリキ首相訪日を報じる当時の新聞を読み直してみた。4月10日に行われた日本記者クラブの会見では、「(イラク駐留米軍について)現段階では撤退日程を設定する必要は無い」と述べたと報じられている。この発言を日本の新聞は「増派による治安回復を目指す米政権の方針を擁護した」と勝手に解釈して書いている。その一方でマリキ首相は「自分たちの治安部隊ができつつあり、できるだけはやく多国籍軍が不要になるところまでもっていきたい」とも述べたという(いずれも4月10日朝日新聞)。本音では米軍撤退を望んでいる事は明らかだ。

 私は4月2日のブログで、やはり日本に招待されて訪日したイラクのハシミ副大統領の「米軍撤退」に関する発言の迷走と、その裏にある日本政府の工作疑惑について書いた。

 立て続けにイラク要人を招聘する外務省の魂胆は、イラクへの自衛隊派遣の正当性を国民の前でアピールすると共に、イラク特措法延長や米軍再編協力特措法成立を狙う安倍政権を支援する目的があることは明白である。その芝居をさせる為に招待したイラク要人が、日本国内で「米軍撤退」のを発言されては困るのである。

 しかしそんな外務官僚や安倍政権の「私益」、「私欲」のための国内向け偽装外交が、イラクの混乱にさらに拍車をかけているとすればどうか。イラク人同士の殺し合いにつながっているとしたらどうか。日本の中東外交は、平和に貢献するどころか、もはや中東和平の敵となっているのかもしれない。

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2007年04月17日

「女性は犬のように子供を産め」と言った小泉前首相

「女性は犬のように子供を産め」と言った小泉前首相

 4月29日号のサンデー毎日に岩見隆夫が小泉前首相のおどろくべき発言を暴露した。もっともこの発言は岩見氏が直接聞いた小泉発言ではない。月刊誌「一冊の本」(朝日新聞社)4月号の連載コラム「ロンドンから」の中で文筆家の森嶋瑤子さんが怒りを込めて書いていた記事を見つけて引用しているのだ。ちなみに森嶋瑤子さんとは04年に没した元ロンドン大学教授森嶋通夫氏の夫人である。

 森嶋さんは次のように書いているという。すなわち昨年(06年)1月5日の「タイムズ」紙に笑顔の小学生たちに囲まれて嬉しそうにしている小泉さんの写真が載っていたが、その見出しが「戌年にあやかって、犬のように子供を産むようにと女性に言った」となっていて驚いた。記事を読んでみると「犬はたくさん産み、しかもお産が軽いからそれにあやかって産めよ増やせよ」と小泉前首相が発言したというのだ。新年の記者会見での発言であるという。更にまた小泉前首相は05年暮れの閣僚懇談会でも「日本は明治時代からもともと子供をたくさん産む社会で、生活水準がみたされていない段階でもたくさん育てていた」と喋っている事を知って(05年12月24日ASAHI.COM)さらに驚いたという。そして森嶋さんは次のように問題提起をしているのだ。

(第三次小泉改造内閣の発足に際して)少子化担当の大臣をつくった首相の新年早々の第一声がお屠蘇気分のジョークにもならないようなものではあまりにもお粗末だ・・・この小泉発言はまったく無視され続けているのに比べて柳沢発言は大臣退陣要求や議会進行に支障が起きたりしていると聞く。この反応の大きな違いはどこから出ているのか・・・

 この森嶋さんの記事を見つけた岩見氏は、「この小泉発言は自分も初めて知った」と認めた上で次のように書いている。元政治記者の勘で、この発言は看過できないと直感したのだろう。

森嶋さんのご指摘はいろいろと重大な問題をはらんでいると私は思う。小泉発言は当然、聞き流すことができない・・・事実とすれば許しがたい暴言であり、即ニュースである。「機械」よりも「犬のように」のたとえのほうが女性に対して侮辱的と感じる人が多いのではないか。それが日本ではニュースになっていなかった。なぜなのか・・・ロンドン駐在の日本人記者はなぜ「タイムズ」紙の記事をニュースにして本社に送らなかったのだろうか。不思議である。最近、米紙に載る従軍慰安婦問題の記事はせっせとニュースにするのに。「タイムズ」紙が報じた事は小泉さんの不名誉であり、日本の不名誉である。ロンドンの日本大使館がどう対応したかも知りたいところだ・・・小泉発言が事実なら、今でも十分にニュースである。日本の新聞、テレビはきちんと報道してもらいたい。

 岩見氏の言うとおりこの小泉前首相の「女性は犬のように子供を産む」という発言は柳沢大臣の「機械」発言よりはるかに侮蔑的だ。しかも総理大臣の発言である。問題にならないほうがおかしい。岩見氏が知らなかったほどだから、小泉ウオッチャーの私もさすがに気づかなかった。おそらく日本人は誰も知らなかったに違いない。そうだとすると岩見氏の言うとおり今でも大きなニュースである。 

 いまやサンデー毎日誌上で岩見氏によってこの小泉前首相の暴言が全国に公開された。メディアが取り上げないほうがおかしい。柳沢発言であれほど厳しく詰め寄った超党派の女性国会議員たちは黙るわけには行かないだろう。小泉前首相の朋友である作家の林真理子や「過労死は自己責任」発言で女を上げた(?)人材派遣会社社長の奥谷礼子らはどうコメントするのメディアは聞くべきだ。しばらくこの岩見発言の影響から目が話せない。

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2007年04月17日

アフガン復興支援チームへの不参加を表明した安倍首相

アフガン復興支援チームへの不参加を表明した安倍首相

 こういうニュースに日本国民の目をひきつける事こそ私のブログの目的である。4月17日の朝日新聞は、安倍首相がアフガン地域復興支援チーム(PRT)への協力について「自衛隊を参加させることは考えていない」と述べた事を報じている。訪日中のイタリアのプロディ首相との会談後の共同記者会見で語ったというのだ。

 そもそもイタリアの首相の訪日などまともに報じているメディアはない。あったとしても、08年にG-8の議長国になる日本とその翌年09年の議長国イタリアの首相がエールを交換したとか、地球温暖化に対する協力を確認したとか、北朝鮮に対し6カ国協議の合意実施を求めたなどという、外務省の広報記事にとどまっている。上野公園の東京国立博物館を訪れてダビンチ展を一緒に鑑賞したなどという記事もあった。そんなどうでもいいようなブロディ首相訪日の記事の中で、この朝日新聞の記事は異彩を放っていた。鋭いところを突いているのである。記者のジャーナリズムセンスに敬意を表したい。

 何故私がこの記事を重視するのか?その答えは詳しくは3月5日のブログをお読みいただきたい。そこで私が指摘した事が見事に証明されたのだ。それは一言で言えば安倍首相の改憲姿勢のいかさまである。もっと言えば憲法を改正し、国際貢献の名の下に自衛隊を海外派遣するという「美しい国」の羊頭狗肉さ加減である。

 サマワの自衛隊派遣を想起するが良い。あれは安全であったから派遣したのだ。しかも派遣した後も金にまかせてイラク人を全面に押し出し、自らは外国軍に守られて安全第一に終始した。「滞在することが目的」の派遣であったのはもはや誰の目にも明らかだ。

 今のアフガンは内戦状態のイラクに比べてもはるかに危険な戦争状態の国である。米軍やNATO軍の特殊部隊が毎日のように民間人を巻き込む攻撃を繰り返し、その抵抗による自爆攻撃で仕返しされている。そんなところへ自衛隊が行けば間違いなく殺し、殺されることになる。

 安倍首相は今年1月の訪欧の際NATO本部で、「自衛隊が海外で活動することをためらわない」と大見得を切った。その時点で私は安倍首相の浅薄さを見て取った。私は小泉前首相についても安倍首相についても、戦争に対する覚悟は全く無いと思っている。言葉で威勢のいい事をいうのは誰でも出来る。しかし日本が軍隊を持ち、その軍隊に国家目的よって人を殺し、殺される事を命ずることが如何に異常な事か、それは戦争を経験しない彼らや今日の多くの国民にも容易に想像できる。歴史に対する謙虚さと真実を直視する勇気さえあれば誰でもわかることなのだ。

 朝日の記事はこう書いている。「・・・首相の積極姿勢を受けて、政府はPRT参加についても検討に着手。しかし政府内には違憲のおそれがあるという慎重論が多く、首相も現状では実現は難しいと判断したものとみられる・・・」と。これはまったくの誤りだ。サマワの派遣や米軍支援の為のバグダッドへの航空自衛隊の空輸は明白な違憲である。それが差し迫った脅威でなければ平気で政府は違憲を繰り返してきた。自衛隊の人命が現実に危険にさらされることが分かっていれば違憲であろうと無かろうと今の政府にはそれはしない、できない。その覚悟は無い。それだけのことだ。そこまで朝日には書いてもらいたかった。

 安倍首相の進めようとしている改憲の愚かさは、この覚悟もないくせに日本を再び軍隊を持つ戦争のできる国にしようとしている事だ。欧州諸国やNATOの要請であれば日本はその要請を一蹴することはできる。しかし米国が本気になって日本の自衛隊に海外における米国の戦争に付き合えと求めてきた時はどうか。それを断れば米国に怒鳴られる。日米同盟は崩壊する。しかしそれをおそれて自衛隊を戦地に派遣することは国民を自らの都合で犠牲にする事だ。まさに売国的所業なのだ。まともな国民ならそれを許すはずは無い。憲法9条に守られるのは日本国民である。そしてその庇護を真っ先に受けるのは安倍首相なのである。なぜこんな自明な事が分からないのかと思う。


PM Abe Declared Japan Will Not Send Self-Defense Force To Afghanistan

 According to the Asahi Shinmun of April 17 PM Abe made it clear that he would not send Japanese Self-Defense Force to the Provincial Reconstruction Team in Afghanistan. This seems to contradict what he said in his speech at the Nato Headquarters in January, “ I have no hesitation to send Self-Defense Force overseas.”

 This contradiction itself symbolizes PM Abe’s contradiction himself. Mr. Abe, like any other leaders of Japan including former PM Koizumi, has been get used to a lucky peaceful situation of Japan since the end of WW2. None of Japanese today is ready to accept his people kill or be killed by others. Despite controversies it is certain that the Article 9 of Japanese Peace Constitution made this happy situation possible.

 It is a historical fact that Japanese leaders have managed to dodge US one sided demand to re-arm Japan to fight a war on Communism at one time and a War on Terror now by emphasizing the necessity of abiding the Article 9 without damaging the Jpana US relation. Now PM Abe, for the first time in history declared to change the Article 9 in order to meet Japan a real partner of US. PM Abe seems to commit a serious mistake by discarding the Article 9 which protects himself from the intolerable pressure of War mongered US.

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2007年04月16日

不都合な日米同盟関係は最後は国民を不幸にする

不都合な日米同盟関係は最後は国民を不幸にする

 国民投票法案の強行採決以来メディアが思い出したようにこの問題を取り上げだした。しかし報道する方も、それを眺める国民の方も奇妙に白けている。しかしよく考えると日本は今大きな歴史的分岐点にさしかかっているのだ。その話をわかりやすく説明してみたい。

 男女の恋愛を題材に扱った江戸時代の歌に都々逸というのがある。その歌のひとつに、嫌いな男にどんなに優しくされても私は好きな男の意地悪のほうがいいのだ、というのがある。片思いの恋心を見事に言い当てた歌である。

 日米関係は日本の片思いだとよく揶揄される。しかしこの歌のように日本は心底米国に恋焦がれ、無理な注文も、愛する米国の為だからと思って受け入れているのだろうか。決してそうではない。醜くかつ悲しい仮面恋愛なのだ。日本は米国の事をこの都々逸のように心から愛してはいない。それどころか米国のあまりの傍若無人ぶりに、いっそぶん殴ってわかれてしまいたいといつも思っている。しかし別れると損をする、その後が怖い、不安だ。だから別れられない。その間にも被害はどんどん大きく、深くなっていく。これが今の日米関係なのである。

 4月15日の毎日新聞に、なんらの見返りも得られないまま金融制裁を解除した米国に対し、「米国の取り組みは場当たり的。結果として協議進展を遅らせている」と外務省幹部が苛立ちをぶつけたという記事を見つけた。このような外務官僚の米国に対する不快感は省内に蔓延しているに違いない。  

 あれは私がまだ若い課長の頃であったから20年近く前のことだったと思う。北米担当局長が省内の若い職員の前で、会議の冒頭、「今の米国が正しいと思っている者は私を含め省内で一人もいない」と言い放った事があった。さすがの私もこんな発言を担当局長がするようではおしまいだと思った事を昨日の事のように思い出す。あの時の日本は貿易摩擦から来る米国の不当な対日要求に辟易していた時であった。

 経済摩擦が激しかった当時にくらべ今の日米経済関係はなんと良好であるかと言う者がいる。それが国民を騙す目的の発言ならまだしも、本気でそう思っているとしたらお目出度い。日本経済は米国が文句をつけられないほど米国に食い物にされてしまったという事なのだ。

 そして今米国は日本の自衛隊を米国の軍隊にし、「テロとの戦い」に引きずり込もうとしている。最後の要求である。これが実現すれば米国の日本に対する要求はもはや存在しなくなる。終戦以来の日本占領政策が完了するからだ。外務官僚はもとより政治家も財界人もこの事に気づいていないはずは無い。それにもかかわらず米国の要求を受け入れ続ける理由はどこにあるのか。今安倍首相は国民投票法案を成立させ、憲法9条を変えて自衛軍を海外へ派遣できるようにしようとしている。それを多くの国民は当然の如く歓迎している。そこに日本の将来を冷静に分析した結果としての判断があるのか。国民はただ漠然とそれが正しいと思っているだけなのではないか。政治家や官僚は、米国に従属し続ける事が日本の将来にとって本当によい事なのかという問題を突き詰めることなく、自らの目先の利益を優先してズルズルと日本を米国に売り渡しているのではないか。

 愛の無い不都合な男女関係の結末が悲惨な結末で終わる事は社会の三面記事にあふれている。

 改憲で真っ先に犠牲になるのは自衛官たちとその家族である。護憲論者はそう呼びかけるべきだ。

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2007年04月16日

これがこの国の「優秀」な官僚の姿である

これがこの国の「優秀」な官僚の姿である

 最近見つけた二つの新聞記事にこの国の「優秀」な官僚像を見た。勿論「優秀」とは皮肉を込めて言っているのだ。みずからの立身、栄達と、所属省庁の権限を守る。そこには国民の利益などいささかも念頭にはない。この厚顔な神経を持ちうる者こそ「優秀」な官僚なのだ。

 4月15日の日経新聞に、安倍政権が執着する集団的自衛権に関する研究をめぐって防衛庁が排除されようとしているという記事があった。近く設置される有識者会議の人選については、内定しているメンバーとして、座長を務める柳井俊二前駐米大使を筆頭に、岡崎久彦元駐タイ大使、北岡伸一東大教授(元国連代表大使)ら外務省関係者が多い。そもそも人選を含め有識者会議の設置について防衛省は「蚊帳の外」に置かれていたというのだ。その背景には集団的自衛権行使の解禁に前向きな安倍首相と集団的自衛権行使を解禁して米国に取り入ろうとする対米従属一辺倒の外務省の利害が一致したのだ。

 集団的自衛権行使が解禁されると真っ先に自衛隊が犠牲になる。自衛官の生死に直接責任を有する防衛省は慎重にならざるを得ない。安全保障政策で押されっぱなしの外務省がその防衛省の弱みににつけ込んで安保政策の主導権を取り戻す巻き返し作戦を始めたのだ。安倍首相に気に入られているとされる谷内事務次官の狡猾な采配である。

 一方、4月14日の日経新聞「大機小機」には「安倍晋三首相と2人の高級官僚」と題する次のような囲い記事があった。すなわち慰安婦問題で訪米の成功が危うくなりかかった安倍首相を二人のトップ官僚が救ったという記事である。外務省の谷内正太郎事務次官はブッシュ大統領と安倍首相の電話会談をセットし、安部首相に河野談話の継承をしますと言わせてブッシュ大統領から「首相を信じている」という理解を引き出すことに成功した。取りあえず事態の沈静化を図ったのだ。安倍首相の訪中をお膳立てして取りあえず見せかけの日中友好を演出した時と同じ手口だ。

 他方安倍首相の売りは拉致問題である。慰安婦発言で窮地に陥った安倍首相を救う為に警察庁の漆間巌長官は73年に失踪した主婦と二人の子供の拉致失踪者疑惑を、今頃になって突然マスコミに発表した。世論の注目を再び「拉致問題」に惹きつけて北朝鮮との対決姿勢を演出したのだ。日経新聞は次のように書いている。「・・・歴代首相に比べ霞ヶ関の官僚とは距離を置く首相だが、例外的に谷内、漆間両氏は首相の信任が厚いことで知られている。二人の高官が首相の窮地をとりあえず救った・・・」これで二人の官僚の栄転も保証されたということだ。国民にとっては実にくだらない話である。

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2007年04月15日

タミフルの危険性を黙殺した厚労官僚

タミフルの危険性を黙殺した厚労官僚

 4月14日のブログで私は年金官僚の不正に関する週刊現代の告発記事を紹介した。今回はタミフル薬禍に関するやはり週刊誌の告発記事だ。4月20日号の週刊ポストの記事は必読の記事である。

 4月4日、厚労省はタミフル服用の副作用による「異常行動」が過去128人起きていた事を公表した。今年になって厚労省は前言をひるがえし長年否定して来たタミフルと異常行動の因果関係をめた。さらに3月20日には10代の患者にタミフル使用制限を打ち出した。そして今回の「異常行動」の公表である。

 国民の生命に関わる薬禍であると言うのに、政府はなぜかくも遅く、断片的な対応しか出来ないのか。これは国民の素朴な疑問であり、怒りの気持ちであろう。

 しかし4月20日の週刊ポストの記事は、タミフル問題をこれで終わりにしてはいけない事を我々に教えている。

 「薬害タミフル脳症被害者の会」代表である軒端晴彦氏は、17歳で長男を失った(タミフル服用後に交通事故で亡くしている)人であるが、その軒端晴彦氏は「家族は近所に知られたくないという理由から報告しないケースもあり、異常行動者はまだまだいると予想しています。行政はこうした事態が発覚して大問題になることをおそれ意図的に隠した疑いすらある」と週刊ポストに話している。

 さらに週刊ポストは厚労省が製薬会社や医療関係者から危険性の報告を受けていたにもかかわらず精査してこなかった疑惑を、関係者のつぎのような発言を引用して提起する。

販売以来、副作用の報告は、重症度に合わせて『15日報告』や『30日報告』で厚労省に上げています」(中外製薬広報部)。

私は05年11月に日本小児科学会で(タミフルの副作用症例を)発表し、対策を講じるよう要望しました。ところが国の研究班は同じ時期に『インフルエンザ脳症ガイド』を作成し、タミフルの危険性には一切触れなかった・・・(このままでは医療現場が混乱すると危惧したので)私はタミフルと異常行動の因果関係を示す意見書を当時の川崎二郎厚労相に加え、同省の健康局長や医療食品局長、結核感染症課長らのエリート官僚に送りましたが・・・ことごとく幹部医師に黙殺された・・・(医療ビジランスセンターの浜六郎医師)。

何故黙殺され続けたのか。「厚労省は既に国策としてタミフルの備蓄を進めており、危険があるために販売禁止となれば責任問題になる。政策の間違いを認めたくなかった」と週刊ポストは厚労省関係者の言葉として紹介している。更にまたその厚労省関係者は、「研究班の医師や関係学会の医師は、中外製薬から寄付金をもらっていた可能性があるので、議論したくなかったのでしょう」と話している。実際のところ、厚労省のインフルエンザ研究班に名を連ねる医師である横田俊平横浜市立大学教授や森島恒雄・岡山大学教授には1000万円、600万円が渡っていたし、06年の調査会に参考人として出席した五十嵐隆・東大教授にも300万円が寄付されていた事が明らかになっている。明らかな「利益相反」である。

タミフル服用と異常行動の因果関係を渋々認める辻哲夫厚労事務次官の記者会見時の表情を、読者は記憶されているであろうか。奇しくも彼は厚労省の審議官時代の04年10月22日に、年金掛け金の「監修料問題」が発覚した時、「顔から火がでるほど恥ずかしい。国民の信頼回復に努めてまいりたい」と弁明した官僚である。心にもない弁解を国民の前に平然と繰り返すことのできる厚かましさを持ちうる者が官僚社会で立身出世するのだ。

このまま行けばタミフル問題もまたやがてメディアから消えさってしまうことだろう。官僚の不作為の責任はまたしても放置される事になる。いつかはその悪循環を断ち切らねばならない。

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2007年04月15日

経済支援は真の平和が達成されてからの話だ

経済支援は真の平和が達成されてからの話だ

 NHK記者を経て「週刊こどもニュース」のキャスターで人気を集めた池上彰という人がフリージャーナリストとなって活躍している。その池上氏が4月20日号の週刊ポストで日本政府の「平和と繁栄の回廊」構想を絶賛している。その要旨は次の通りである。

自爆テロは、マルクスがかつて「プロレタリアートには鎖しか失うものがない」と書いたように、愛する人や財産を失った人、失業に苦しむ若者たちのように、「絶望しか失うものがない」人たちが起こすものである。その解消には「失っては困るもの」をたくさん作り出すことだ。日本には「金持ち喧嘩せず」ということばがあるではないか。

その意味で日本政府が「平和と繁栄の回廊」と名づけた開発援助は素晴らしい。これはパレスチナ自治区(ヨルダン川西岸)を一大農業産地として開発する計画で、イスラエル企業も技術参加してパレスチナ人に職場を与え、生産物や加工品はヨルダンを通じて湾岸諸国に輸出してヨルダンにも利益が落ちる。

この計画を具体化するため外務省は3月14日に麻生外相、ペレス・イスラエル首相、エラカート・PLO交渉局長、カスラウィ・ヨルダン国王特別顧問による「4者協議」を東京で開いた。この機会を利用して中東和平についての取り組みの話し合いも行われた。日本が中東和平にイニシアテブをとろうとしているのだ。

おりしもパレスチナでは対立する二つの派(穏健派のファタハと過激派のハマス)がようやく妥協して連立政権が誕生した。ブッシュ政権はハマスが参加する連立政権にいい顔をしていないが、ここでは日本政府が独自の立場をとった。ヨルダン渓谷に住む人々が「対立すれば自分たちの富が失われる」と考えるようになれば対立や紛争を自分たちで解決しようという意欲や行動も生まれるだろう。武器を輸出したり軍隊を派遣したりするのではなく「繁栄」を輸出する日本の発想を誇らしく思う。

 私が批判するのは権力者の悪だ。だから池上さんのようなフリージャーナリストの評論を糾弾するのは本意ではない。ましてや池上さんはテレビなどから受ける印象では好感の持てる人だ。批判するには忍びない。

 しかしこの解説は到底認めがたい。本気でそう思っているのであればパレスチナ問題の現状がまるで分かっていないということだ。分かっていてこの解説を書いているのであれば、池上さんが日本政府の広報を請け負った御用ジャーナリストに堕してしまったということだ。いずれにしても中東問題に疎い日本人の読者をミスリードすることだけは許されない。

 確かに自爆テロは絶望からくる破壊行為である。しかし繁栄という「失うもの」を与えれば自爆テロがなくなると考えるのは大きな間違いだ。自爆テロに走る者たちの原因は様々である。経済的貧困から自爆テロに走る者もいるだろう。原理主義の狂信に取り付かれて自爆テロに走る者もいる。しかし自爆テロの本質は米国とイスラエルによる不正義とそれをひとごとのように傍観し続ける国際社会に対する「怒り」と「恨み」である。人間をそこまで追い詰める米国とイスラエルの絶対的暴力を国際社会が抑止しない限り、どんな策を講じても自爆テロはなくならない。

 日本の中東和平に関するイニシアティブは決して金をばら撒く事ではない。その前に、公正で長続きするパレスチナの和平を達成しなければならない。経済復興で平和は達成できない。平和があるからこそ経済復興が可能なのだ。これは日本政府の援助政策の基本原則であった。それを政治が捻じ曲げてしまった。金という餌で自己宣伝し、弱者に影響力を与えようとするようになった。

 東京で開かれた「4者協議」について3月28日の朝日新聞「私の視点」に、イスラム政治思想研究所長(英国)アッザム・タミミ氏の次のような寄稿があった。この意見こそ外務省は耳を傾けるべきだ。

「平和と繁栄の回廊」構想に関する4者協議と称する会議は、時間と税金の無駄遣い以外の何物でもない。参加した代表は中東紛争の現実の諸問題にほとんど無関係の人たちだ。イスラエルを代表するとされるペレス副首相、パレスチナ代表のエレカット交渉局長とも、和平交渉が失敗に終わった過去の時代の人たちである。ヨルダンは、域内の関係国では最も影響力が低い国であり、パレスチナの人々に選ばれた政府(ハマス)に最も敵対的である・・・06年1月にパレスチナの人々はハマスに信任を与えた。日本が和平促進のイニシアティブを追求しようとするなら、こうした動きを無視できないはずだ。注ぎ込まれた時間と税金が、民主的な選択をしたパレスチナ人に対する国際社会の制裁を止めるために使われれば、もっと建設的なものになっただろう。日本は米国とイスラエルの友人らに、「占領が続く限り、中東に平和も安定も訪れない」ということを説得したほうがいい。日本政府は、紛争の両当事者を交渉させ、長期的な停戦によって暴力を終結させることが出来る立場にいるのだから・・・

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2007年04月14日

国民の年金が自民党政治家への献金に消えていた!

国民の年金が自民党政治家への献金に消えていた!

 日本外交を批評する事はなんとか出来ても、この国のあらゆる権力の不正を監視、糾弾する事はとても一人で出来る事ではない。なんとか心ある有能な同士が叡智を結集し、手分けし、協力して、巨悪を糾弾し、除去して行けないものかと夢想する。 

 4月21日号の週刊現代を読んでその思いを強くした。その中に書かれていたフリージャーナリスト岩瀬達哉の年金官僚の悪を暴く緊急レポートをこのブログで紹介したい。

 安倍首相がぶち上げた「天下り規制」がかくも無残に腰砕けに終わったのを見るにつけ、何故自民党の政治家がこれほどまでに官僚の肩を持つのかと誰もが思うに違いない。一つの理由は、国民に選ばれ、本来は国民のための政治を行うべき政治家の多くが官僚出身であるため、後輩官僚と癒着して官僚の利権を守り通そうとするからである。この政・官癒着は、あらゆる分野に広く、深く浸透しているに違いないが、年金をめぐる癒着は、それが国民の老後の生活を直接に食い物にしているという点で断じて許せない。

 政治家の年金未納があれほど騒がれたにもかかわらず、年金問題についてはその後なんらの具体的な改善策もなされないまま国民の年金不安はどんどんと進んでいる。その一方で年金官僚が未だに年金を食い物にしようとしているというのだ。「社会保険庁改革」という名にごまかされる裏で、年金官僚がさらなる利権を温存し、拡張しようとしているという。いわゆる「焼け太り」である。それを自民党政治家が助けているという。その要約は次のとおりである。

3月13日に安倍内閣は「社会保険庁改革関連法案」を閣議決定し衆議院に提出した。これは社会保険庁を廃止し、それにかわる「日本年金機構」を設置するためのものと受け止められている。しかし同時にもう一つ別の法案がセットになっている。「国民年金等の運営の改善のための国民年金法等の一部を改正する法律案」という長ったらしい名前の法案である。これが年金掛け金の流用を合法化するとんでもない法案であるというのだ。

初代年金保険課長に花澤武夫という官僚がいたらしい。その官僚の悪知恵で、当時の年金保険法の条文の中に、「福祉を増進するために、必要な施設をすることができる」という条文が設けられた(花澤条文)。以来この条文はその後の年金関連法に必ず盛り込まれてきたという。そしてこの条文を根拠に年金官僚はグリーンピアのような無駄な施設を全国に建設したばかりではなく、それを勝手に拡大解釈して掛け金の流用を果てしなく広げていった。

この反省に基づいて、社会保険庁の「廃止」とともに花沢条文も削除されることになった。しかし年金掛け金の流用を規制するために設ける新たな法案においても、「教育及び広報」、「相談その他の援助」、「被保険者等の利便の向上に資する情報提供」などという文言を盛り込むことによって年金積み立て金の使用は引き続き認められており、その解釈と運用はもっぱら年金官僚にゆだねられているという。これでは流用防止の歯止めにならないばかりか、あらたな法律が出来ることにより晴れておおっぴらに流用が認められたと言うわけである。年金官僚たちは、内心ほくそえんでこの法案が無事に成立するよう「息を凝らして」国会審議を注視しているというのだ。

腹立たしいのは年金の流用が政治家への献金にまで及んでいた事だ。ひところ騒がれた「監修料問題」というのがあった。これは厚生労働官僚が「監修」する書籍を出版社から大量購入し、その購入費の一部を「監修料」という名目で業者から厚生労働省にキックバックさせて、それをプールして裏金にしていた事である。その裏金を使って政治家を支援していたというのだ。

 以上が岩瀬氏のレポートの概要である。この岩瀬氏の告発が真実であれば許しがたい犯罪である。ただでさえ年金収入が不足するというのにこんな形で流用されていたとすれば国民は救われない。メディアも野党議員も、この問題は徹底追及しなければ嘘である。

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2007年04月13日

慰安婦問題の解決は徹底した調査しかない

慰安婦問題の解決は徹底した調査しかない

 大騒ぎした報道がなくなるとともに慰安婦問題は沈静化した感がある。しかしこの問題は実は何も解決していない。安倍総理訪米を控えていつ再燃するとも限らない。沈静化した今こそ政府は徹底的に調査をして歴史的事実を確認しておくべきなのだ。今さえ切り抜ければ後でどんな騒ぎが繰り返されようと、その時の総理、その時の官僚に任せればよい、そういう考えで今日まで来てしまった。この政府の不作為がこの国の多くの問題の根底にあるのだ。

 この点に関し4月10日の朝日新聞に元日本弁護士連合会会長の土屋公献(こうけん)という人が的確な指摘をしていた。彼は、現在起きている慰安婦問題についての混乱の原因は、93年に政府が発表した調査報告と「河野官房長官談話」のあいまいさにあるとした上で、なぜ政府は93年以降、真剣に調査してこなかったのかと問いかける。政府が調査した形跡がないばかりか、被害者の聞き取り調査さえもろくにしてこなかった。その怠慢さ故に、河野談話の取り消しを策する連中につけ込まれる愚をおかしているというのだ。 

 この指摘は実に正しい。信じられないことであるが官僚の怠慢は驚くばかりである。内部にいてそれを目撃してきた元官僚の私が言うのであるから間違いはない。河野談話の時でさえ十分な調査を怠ってとにかくその場をしのげばよいという考えで口先だけの作文で終わらせようとした。将来に備え問題が沈静化した後に本格的な調査をやっておくべきであったのに、何もしなかったのだ。そして今回の従軍慰安婦の強制問題である。これほどまでに大きな問題になっているにもかかわらず、外務省や内閣の官僚たちは未だに事実関係の調査を行おうとしていない。

 土屋氏は次のように主張する。すなわちオランダや韓国など被害者の政府も国際機関も独自に調査を重ね被害事実を認定している。日本の裁判所も証拠調べの結果、強制の事実を認定している。日本弁護士連合会も現地に委員を派遣して調査し報告を公表した。自分(土屋氏自身)も各国の被害者に直接会って中国やフィリピンなどの占領地で拉致、暴行、監禁についての証言を聞いてきた。日本政府は今こそ徹底的に調査と聞き取りを重ねて、何が行われてきたかの実態を明らかにし公表すべきであると言うのである。まったくその通りだ。

 敗戦時に証拠隠滅で多くの文書が焼却されたとしても、各省の倉庫にはおびただし量の文書が未調査のまま残っている。存命している当事者はまだ生きている。私もかつて国会答弁を作成する為に外務省の書庫で調べ物をした事があるが、その時知ったのは、幹部から平の職員に至るまで、外務省の職員がまったく知らない書類が山のように書庫に眠っているという事実だ。それを調べれば良いだけの事だ。それを官僚はやろうとしないのである。しかも調べるとまずい事実が明らかになるからやめようという明確な政策判断で調査をしないのであればまだわかる。しかし実態は単なる怠慢でしかないのだ。そんな面倒な事よりも、目先の事態を政治的に乗り切る事が処世術であるのだ。

 軍の強制があったかどうか、狭義の強制なのか広義の強制なのかと言った判断を急ぐ必要はまったくない。慰安婦問題に関わるあらゆる事実関係を一つ一つ確認し、それを羅列して公表すればいいだけの話である。そうすれば驚くほど膨大な恥ずべき事実があった事を我々は知らされるであろう。強制されたかどうかなどという瑣末な話は吹っ飛ぶに違いない。

 こう言うと決まって出てくる反論は、あの戦時中はどこの国の軍隊も同じような事をしてきたではないか。何故日本ばかりが責められねばならないかという事である。しかしこれはまったくナンセンスな議論だ。今問題にされているのは日本の過去の行為である。他国の同様の行為についてはそれを問題にしたい国があれば誰でも批判すれば良い。たとえば米国占領軍が日本の女性に恥ずべき行為をした事を、日本の反米国民が批判したければ米国に対して行えばいいだけの話である。そう思う日本の国会議員がいるのであればそのような国会決議を日本でも成立させようとすればいいだけの話である。もっともそんな事をしたからといって、日本の行為を他国の同様の行為によってチャラにしてくれということにはならない。そんな主張をすれば世界の日本を見る目はもっと厳しくなるだけであろう。

 要するに歴史認識に関わる問題は事実に語らせろということだ。事実がはっきりしないのであれば、はっきりするまで徹底的に調査をすればいいだけの話だ。右翼の立場からも左翼の立場からも、全ての情報を持ち出せばいいではないか。それらを総合すればいいではないか。日本政府や官僚が下手に判断する必要は無い。事実をすべて国民の前に列挙して、こんな事が行われていましたと提示すればいいだけの話だ。そうすればさすがにこれは酷かったということになる。申し訳なかったということになる。慰安婦問題もおのずと解決される事になる。

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2007年04月12日

国民投票法案の強行採決を前にして

国民投票法案の強行採決を前にして

 憲法施行60年を迎えた今年、改憲の大きな一里塚である国民投票法案なるものが安倍政権の手で一両日中にも強行採決されようとしている。改憲は戦後最大の政治課題であり、国の将来、国民の運命を決める問題である。その改憲に直結する国民投票法案を強行採決するなどという行為を、安倍首相はよく出来るものだと思う。あらためて安倍晋三という政治家の軽薄さと思慮の無さを感じる。しかし私は不思議なぐらい冷静である。その理由をこれから述べてみたい。

 その一つは国民投票法案の成立は、確かに改憲に向かっての一里塚であり、しかもそれは大きな一里塚であるのだが、その後には、改憲案の確定、国民投票の実施という、遥かに大きな一里塚が控えているということである。どれ一つとってみても政府にとってその決断は容易なことではない。護憲派にとっては腕の見せどころはこれから来るのである。

 様々な思考過程を経て、最後は「憲法9条を一字一句変えてはいけない」という最強の護憲論者にたどり着いた私はあらゆる手段を講じても改憲は阻止さるべきと考えている。改憲の手続きを定める国民投票法案が成立されない限り改憲はできないわけだから、その意味でいえば国民投票法案が成立しないほうがいい。しかしその事のみで反対するというのであれば、「何でも反対」という事になって一般国民の幅広い共感を得られないであろう。改憲の試みは国民の一票によって挫かれねばならない。それは大袈裟に言えば日本人が初めて自らの手で国のあり方を決めると言うことだ。日本の歴史上初めての民主革命である。だから護憲派は国民投票法案阻止がすべてであると考える必要はない。むしろ強行採決という政府の暴挙を逆手にとって、その後に続く本格的な護憲の為の戦いに全力を傾け、国民を覚醒させ、平和国家日本の実現に向けた民主革命のチャンス到来と前向きに考えるべきだ。

 もう一つの理由は、国民投票法案をめぐる議論が十分尽くされておらず、たとえ強行採決しても欠陥法律として必ず問題が出て来ると思うからである。強行されようとしている法案が改憲派にとって有利になっている事は勿論好ましくない。しかし所詮は改憲をもくろむ政府がつくる法案であるから、政府がその気になれば、程度の差こそあれ改憲に有利な法案になることは避けられない。しかしそれ以前の問題として今の法案についてはその解釈や運用を巡って曖昧な箇所があまりにも多すぎるのではないか、つまり与野党とも完全に議論を尽くしていないのではないかと思う。そんな状態で政府が強行採決しても必ず将来問題が出てくるであろうし、野党にとってみれば強行採決された法案の不備を指摘し、修正を求めていく事が出来る。またそうしなければならない。

 最後に、やはりなんと言っても、国民投票法はあくまでも手続法であって、それに基づいて実際に国民投票が行われる事との間には、天と地ほどの隔たりがあるという事である。政府がどのように改憲に有利な手続法をつくり、その後にあらゆる情報操作をしてみたところで、国民に改憲の決断をさせるということは容易な事ではない。

 考えてもみるがいい。今改憲するという事は米国のテロとの戦いに付き合わされるという事である。米国が行っているテロとの戦いは「人間の良心」が悲鳴を上げるほど不合理で残酷な戦いである。米国自身が認めているように、それは終わりのない戦いである。日本の国や国民を守るという本来の防衛とは何の関係もない、米国の戦争、しかもアラブの国民を不当に差別した戦いである。それに付き合わされる事の愚かさに気づかない国民がいるというのか。日本の国民はそこまで愚かでお人よしであろうか。しかもテロとの戦いに駆り出された自衛隊は間違いなく殺し、殺される事になる。それは名誉の死として靖国神社に祀られるものでは決してない。愚かな指導者の命令による犬死だ。それどころか親日的なアラブの民の恨みを買う悲しい犬死なのだ。どの指導者がそのような愚かな命令を自衛隊に下せるというのか。その愚かな命令を、祖国と国民、家族を守るために自衛隊を志した勇者たちが、唯々諾々と従うというのか。

 国民投票法案の強行採決をやれるものならやってみろと私は突き放している。後悔するのは安倍首相だ。それはあたかも小泉前首相が、あの愚かなブッシュ大統領を「正しい人だ」と公言してイラク戦争を支持し、その汚名を歴史に残したのと同じように、安倍首相にとっての歴史的な誤りとなる。そんな事をするために自分は総理になりたかったのかと気づく事になる。あまりにも愚かだ。

 護憲派は強行採決を前にうろたえる必要はない。その後の事態の進展はその誤りを厳しく責めていくことになる。国民はやがて改憲の愚かさに気づく。護憲派が行うべき仕事はむしろこれからである。

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2007年04月11日

米国の豹変と拉致問題の行方

米国の豹変と拉致問題の行方

 六カ国協議の過程で、米国が突如北朝鮮に妥協した事によって、拉致問題が置き去りにされようとしている。拉致被害者家族の心中を察すると耐え切れない思いだ。

 しかしこうなる危険性は小泉訪朝の時から十分予想されていたことだ。「日朝国交正常化という歴史的偉業の前に、わずか十数名の事でガタガタ言うな」。これが日本政府の本音である。実際にそれを公言した外務官僚もいた。

 しかもそれさえも嘘なのである。国交正常化の実現さえももはやあきらめた。その一方で政治家と官僚は拉致問題を自己の栄誉と出世に利用することだけは熱心なのである。

 4月20日号の週刊朝日がこの点を厳しく指摘している。三十年も前に発生し、7年前に月刊文芸春秋で明るみに出ていた拉致疑惑が4月初めになって突然浮上した。そしてこれがニュースで大きく報じられることになった。その背景には参院選挙を控えた安倍政権の「拉致」利用と、それを振付けた警察庁長官の政治的振り付けがあったというのだ。

 週刊朝日はその記事の中で、捜査関係者のひとりのつぎのような言葉を引用をしている。「・・・本件は数年前から、いつ表にでてもいい話でした。それがこのタイミングで出たのは、統一地方選をにらんだ政治日程以外に考えられない。警察庁の漆間巌長官はすごく政治的な動きをする。安倍首相のところに行って、この日程が決まったと聞いています・・・」

 そして週刊朝日は、拉致の政治利用は小泉政権も同じであったと、曽我ひとみさんの夫のジェンキンスさんの解放と感動の再会が、04年の参院選投票日の二日前であったことを我々に想起させている。もっとも「拉致の政治利用は小泉政権も同じであった」ではなく、小泉首相こそはじめからおわりまで拉致を政治利用して、そして使い棄てた政治家であったのだ。週刊朝日はハッキリとそう書くべきだ。

 話を六カ国協議に戻そう。そもそも拉致問題と核問題を同じ俎上に載せ、六カ国協議の場で解決しようとした外務省の戦略に根本的な誤りがあった。核問題は北朝鮮と米国に任せておけばいい問題なのである。なぜならば北朝鮮ははじめから米国の脅威への対応しか念頭にないのであり、その一方で北朝鮮の核問題にどう対応するかについての判断は、超核大国である米国の判断にすべてが委ねられているからである。それを米国が、94年の直接交渉で北朝鮮にだまされたという失敗を避けるため、今回は関係六カ国を巻き込んで共同で北朝鮮に圧力をかけたいと言い出し、対米追従の日本はそうだ、そうだと付和雷同したに過ぎない。その米国は、今や北朝鮮との直接交渉に豹変し、おまけに核問題で一方的な譲歩を始めたのだ。

 拉致問題は核問題とはなんら関係ない日本国民の人権に関する問題である。それは六カ国協議があってもなくても、核問題にどのような進展があろうとなかろうと、まったく独立した形で日本政府が北朝鮮政府との間で直接交渉し、解決しなければならない問題である。

 拉致問題が解決しないのは六カ国協議が失敗したからではない。米国が裏切ったからでもない。一重に日本政府が本気になって日本国民を救い出そうとしなかったからである。今からでも遅くない。安倍首相と官僚たちは、自分たちの手柄や出世を投げ捨てて、金正日と本気で直接交渉することだ。その結果がどうであれ、金正日が誠意を見せるまで、世界の見ている前で北朝鮮に拉致被害者の解放を強く訴え続けることだ。この最大の人権侵害について私心を棄ててなりふりかまわず訴え続ける事だ。それがせめてもの拉致被害者家族への罪滅ぼしである。

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2007年04月11日

閑話休題 生きていくことの悲しさと美しさ

閑話休題
生きていくことの悲しさと美しさ

 政治が悪いと人々は平和で安穏とした生活ができない。だから何としてでも政治を監視し、権力の濫用から国民を守らなければなければならない。しかし所詮政治はそれだけのものだ。政治が良くなった後に、一人一人の人生が始まる。この世に生まれた我々は、誰もが自らの問題に向かい合い、折り合いをつけてその人生を生き続けなければならない。それこそが我々の最大の仕事であり、そこに永遠のドラマがあるのだ。

 私が学生の時に書いた小説の中に、主人公のこういう言葉がある。甲子園球場で球児が野球をやっているのをテレビで見ながら友人に語る言葉である。

 「あいつらはいいよなあ。甲子園をめざして毎日白球を追う生活に明け暮れていればいいんだから。勝って泣き、負けてまた泣いて、来年に向かって汗と涙の感動の日々をはじめる。しかしだ・・・あいつらだっていずれ高校野球を卒業する時がやってくる。問題はその後だ。その後に控えている長い、退屈な人生を生き続けていかなければならない時がくるのさ・・・」

 毎日新聞に「悲しくて美しい」という小文があった。目の不自由な17歳の女子高校生が地下鉄のホームから転落した事故を、その記者が取材した時の記事の一節である。運良く高校生はかすり傷だけで助かった。その記者が病院に駆けつけた時には、その高校生は簡単な治療をすませて受付の長いイスに座っていた。そこへ両親らしき中年の夫婦がやってきた。その時の光景をその記者は次のように書いていたのだ。たった数行のこの文章の中に私は一つの人生を見る。それは、愚劣な百の政治よりも、はるかに尊いものに違いない。

娘さんとひとしきり言葉を交わした後、夫婦は娘さんを間にはさんで座ると下を向いたまま黙り込んでしまった。

気配でそれを察した娘さんも黙ってうつむいた。3人は長いすの上で肩を寄せ合うようにして、いつまでも彫像にように動かなかった。両親は娘の無事を喜ぶ一方で、目が不自由なゆえに事故に遭わねばならない身の上を不憫に思ったのだろう・・・

私はその時これほど美しい光景を見たことがないと思った。世には確かに『悲しくて美しい』光景がある。


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2007年04月10日

神の指示に従ったブッシュと、そのブッシュに追従し続ける日本

神の指示に従ったブッシュと、そのブッシュに追従し続ける日本

 日本のイラク政策の過誤は米国のイラク攻撃を支持し自衛隊をイラクへ派遣したことから始まった。しかし日本にとってのより大きな間違いは、4年間の混迷を経て世界中がイラク情勢の行き詰まりに気づきその政策を見直そうとしている現在においてなお、現実が目に入らない「閉じこもり外交」を世界でひとり続けていることにある。中東情勢に関心の薄い大方の国民を惑わさないためにも、メディアはあらゆる公開情報を国民に知らせるべきだ。外務省の広報説明を繰り返すだけでは大きな誤りを犯すことになる。

 たとえば10日の各紙の報道である。マリキ首相の訪日をいっせいに伝えるだけでその評価がまったくない。安倍首相とマリキ首相は「長期的・戦略的パートナーシップ」を構築する事で一致したという。外務省はよくもそのような言葉だけの外交を臆面も無く口に出せることだ。メディアはそれを平気で国民に伝えられることだ。内戦と化しつつあるイラクに「復興支援」数百億円を行い、それを日本の貢献であると宣伝する。それは経済援助の基本原則を逸脱したODAの政治的流用だ。そんな事しか日本外交はは出来ないのか。おりしもマリキ首相が訪日しているその時に、バクダッドでは宗派を超えた数十万人の米軍撤退デモが起きている。イラクの治安悪化はもはや日常茶飯事となりつつある。

 イラク問題の本質を知る第一級の公開情報はボッブ・ウッドワードの「ブッシュのホワイトハウス」(日経新聞出版社)であることをこのブログで以前書いた。そのウッドワードが本日(10日)発売の月刊文芸春秋でジャーナリスト堀田佳男のインタビューに次のように答えている。極めて興味深い内部情報である。外務省も安倍首相もそして日本のメディアも、これを読んで考え方を新たにすべきである。特に訪米を控えた安倍首相はこのウッドワード氏の言葉を思い出しながら首脳会談に臨むべきだ。少し長くなるがここに抜粋して引用したい。これが「ブッシュのイラク戦争」なのである。

私がもっとも重視しているのは、ブッシュ大統領の公の場の発言が、私的な言葉と違っている点です・・・ブッシュ政権内部には明らかな秘密情報があった。大統領はそれを歪曲し、虚言を吐いていたのです・・・戦争に反対したパウエル前国務長官でさえ、最終的には政権の意向に従いました。「イラクを攻撃すべきではない」とブッシュ大統領に真剣に進言した人間は、政権内には一人としていません

興味深いのはチェイニー副大統領から、「政権外部の人ではキッシンジャー氏に最も頻繁に会っている」と聞かされた事です。ブッシュ大統領とも一ヶ月半に一度のペースで面会していました。しかしキッシンジャー氏と言えば、ベトナム戦争を泥沼化させた一人。その人物をブッシュ大統領がアドバイザーとして招くなど、本当に信じられないことです・・・キッシンジャー氏はイラクから脱する唯一の方法は勝利しかないと断言しています。この考え方がブッシュ大統領とチェイニー副大統領の心を揺さぶらないはずはありません

(ブッシュ大統領がイラク戦争に突き進んでいった理由の一つにネオコンの影響があったのではないかと聞かれ)彼らは外野席からわめいていたに過ぎない。バックコーラスとでも言えばいいのでしょうか。ネオコンが主張したのは、イラク戦争はたやすいという点だけでした。ステージ中央で歌っていたのはあくまでブッシュ大統領です。その点について私はブッシュ大統領に再三聞きました。するとブッシュ大統領は椅子から身を乗り出して二つの事を言いました。一つは9・11がすべてを変えたこと。テロの脅威と戦う必要が生じたと口にしました。二つ目はアメリカの伝統である理想主義です。彼は民主主義を他国にもたらす使命があると心底から信じている。これはネオコンの考えではありません・・・(ブッシュ大統領は自分は外交政策についてはほとんど何も知らないと告白していた)戦うことが必要だと大統領を説き伏せたのは、チェイニー副大統領なのです

開戦を決断するにあたって、父親にはまったく相談しなかったというのです。それよりも「その上にいるファーザー」に懇願したと・・・なんだと思いますか。神なんです。これには私も驚きました。でも大統領はそう明言したのです。大統領とのインタビューテープを聞き返すと、「私たち」とか「彼の推薦」という言葉が出てきますが、それは神を指し示しています

来年の大統領選挙の争点は一にイラク、二にイラク、三もイラクです。今後一年数ヶ月の間に株の暴落や(あらたな)テロ攻撃が無い限り、イラクが最大の争点になることは間違いありません。(筆者註:このいずれかが起きるとすれば情勢は一変して再び米国全体が強硬姿勢に転じるという事である。それを狙ってブッシュ大統領が意図的にそのいずれかを起こすかどうかは勿論私にはわからない)


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2007年04月09日

政治の季節がやってくる予感

政治の季節がやってくる予感

 都知事選で石原慎太郎が圧勝した。その事についての政治解説記事がしばらく新聞を賑わすことになろう。だから私は敢えてこのブログでは書かない。唯一のコメントは、逆説的に言えば、これで政治が面白くなってきたという事である。ひょっとして私の考えの正しさが証明される時が近づきつつあるのではないかと、これ以上ないほどの自惚れを込めて勝手な思いをめぐらせている。

 今度の選挙の結果政治はますます右傾化していく。野党はますます無力になる。日米軍事同盟が急速に進んでいく。護憲政党だけでは憲法9条は守れない。しかし、日本の政治が終焉してはならない。そうなっては日本の将来が失われていく。総保守化、体制化する中で、それに抗う新しい政治家集団が渇望される時が必ず来る。それは既存の政党の全否定から始まる。既存の護憲政党とはまったく異なる強い護憲政治勢力が国民を揺さぶる時が来る。その事が来るまでに日本の政治は混乱する。戦後初めての政治の季節が訪れるに違いない。その混乱からしばし離れるために、政治とは無関係な事を書いていく。政治などというものは一人、一人の人間の営みにとっては、取るに足らないものなのだ、皆がそう思えるような世の中がくればいいと思っている。

 「カレーパンの味」については反響が大きかった。それでは次のような文章はどうだろう。朝日新聞の連載、「親父の背中」で見つけた文章である。こういう文章を書ける人は素晴らしい人に違いない。

30代半ば、偶然に自分の戸籍を見たら親の欄に知らない名前がありました。両親が生みの親でないことを初めて知りました。

結婚する時、父は僕の妻にそれを告げ『實には知らせないで』と言ったそうです。希望を尊重し、僕も知らないふりをすることにしました・・・

(父は)青森の貧しいリンゴ農家の末っ子で、小学校を出てから働き、18歳で上京。進駐軍のスクールバスやタクシーの運転手をして働きづめでした。心臓に持病のあった母の治療費を工面するのに精一杯だったのでしょう。

僕の通っていた都立西高校は進学校。母の闘病を見ていたので、僕は医学部に行こうと決めました。でも父は『行かなくていい』。6年も通わせる余裕はなかった。僕は歯ぎしりしながら泣いて頼みました。そして、自分はなぜ医者になりたいのか、改めて真剣に考えました。

結局、許してくれました。同時に『弱い人、貧しい人がどんな気持ちで医者にかかるか。それを忘れるな』と・・・僕の背景には常にこの言葉があります・・・

87年、病院の近くにログハウスを建て、東京で暮らしていた父を呼びました。血はつながっていなくても、3世代の家族として共に過ごしたい。大事に使えば200年はもつ家です。『岩次郎小屋』と父の名をつけ、父を頂点とした家族を作りたかった。父は僕らと暮らし、7年前に88歳で亡くなりました。僕は最後まで、気づかないふりを通しました。

実の父親の墓を訪ねたことがあります。成功者だったそうで、驚くほど立派な墓でした。でも僕は、貧しくても運命から逃げず、誠実に生きた父に育てられて良かった。それに気づくまで、ずいぶん時間がかかってしまったけれど・・・

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2007年04月08日

閑話休題 ブログを書く事に倦んだ時

閑話休題
ブログを書く事に倦んだ時

 ブログをはじめてちょうど三ヶ月がたつ。書くことを止めようと思ったことはないが疲れを覚えたことは何度もあった。権力者の悪を批判し続ける事は、同時にまた自らのエネルギーを使い果たす事でもある。知らないうちに心がすさんでくる。人間が卑小になるような気がする。そんな時は心の豊かさを取り戻す努力をする。  

 どうするか。あてもなく散歩をして木々や草花の息吹を感じる。三匹の犬とたわむれる。雑踏の中に身を置いて行き交う人々の人生を思う。

 そして、書きとめておいた好みの文章を読み直してみる。次の文章もその一つだ。太宰治の庶子である大田治子が新聞に書いていた短文である。亡き母の思い出を綴ったものだ。すさんだ心に染みわたってくる。

夏休みが来るといよいよお金がなくなった。毎日恵比寿駅前の家から渋谷の宮益坂の古本屋さんまで、母と本を何冊も抱えて売りに出かけた。行きは車の往来の激しい明治通りを歩き、帰りは少し遠回りして広尾の住宅街をゆっくり歩いて帰った。

古本代の二十円で買ったコッペパンを、途中の神社の境内で食べた。コッペパンを一つ食べるだけの日が続いた。ついに母は私を連れて福祉事務所へ出かけた。母は化学会社の子会社の倉庫会社へ就職が決まった。目黒区清水町(現在の目黒本町付近)にある倉庫会社の食堂で、調理の仕事をすることになったのである。私は毎晩、母を恵比寿駅の改札駅まで忠犬ハチ公のように出迎えに行った。

母がなかなか帰ってこないある晩のこと、泣きべそをかいて部屋に戻ってくると、隣の部屋の長距離トラックの運転手の若い奥さんがコロッケパンをご馳走してくれた。ソースのしみたコロッケがコッペパンに挟まっていた。生まれて初めて食べるコロッケパンはおいしかった。泣きながら夢中で食べた。今でもコロッケパンが大好きである

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2007年04月07日

良識ある国民は「集団的自衛権行使に関する有識者会議」を監視しなければならない

良識ある国民は「集団的自衛権行使に関する有識者会議」を監視しなければならない

 ここに来て安倍首相は急速に改憲の実現化に向けて舵を切りつつある。その一つが5日に決定された集団的自衛権の行使に関する有識者会議の月内の立ち上げである。戦後のわが国の安全保障政策の歴史の中で、ついに来るべきものが来たという思いを抱く。いよいよ本気になって安倍タカ派内閣の暴走を防ぎ止めなければならない。

 ただの国民であっても出来る事はある。有識者会議のいかさまを喝破し、その活動を監視し、やがて提出される報告書の内容の誤りを一人でも多くの国民にわからせる努力をすることだ。国民が有識者会議の危険性、偏向性に気づき、その提言を拒否すれば、安倍政権としてもその声を押し切って集団的自衛権の容認に突っ走る事はリスクを伴うに違いない。

 そもそも有識者とは誰か。4月6日の読売新聞によれば、柳井俊二前駐米大使、北岡伸一東大教授、岡崎久彦元駐タイ大使、佐藤謙元防衛事務次官ら10人あまりであるという。安全保障政策に関する良識ある有識者は日本国中にあまたいるにもかかわらず、選ばれるのはすべて安倍首相を支える元官僚、御用学者たちで固められる。だからそのような有識者が出す結論ははじめから決まっている。いままでの政府(内閣法制局)の「集団的自衛権は保有するが行使はできない」という見解を否定し、「現行憲法でも行使できる場合がある」という報告書を作る、これである。

 報道によれば、「集団的自衛権の行使に当たる行為とそうでないものを整理する」という。しかしこれはナンセンスだ。有事になった時に、どの場合が集団的自衛権行使に当たり、どの場合が当たらない、などと使い分けることなどありえない。「米国を攻撃する弾道ミサイルを撃ち落す」ことや、「米軍が襲われれば駆けつけて反撃する」事を認めなければ、そもそも集団的自衛権の意味はない。

 このタイミングでいきなり集団的自衛権を検討する有識者会議が出来たのも、動機が不純だ。26日からの訪米を控え、従軍慰安婦発言などで軋んだ日米関係を取り繕う為ブッシュ大統領に釈明の電話をした安倍首相であったが、今度は集団的自衛権を認める姿勢を見せて訪米を成功させようとしているのだ。米国の戦争に協力する姿勢を示すということなのだ。日米同盟のためなら憲法も国民も踏みにじるということなのだ。

 しかし有識者もそう簡単に集団的自衛権行使を認める事はできないであろう。なにしろ、集団的自衛権の行使の承認は憲法9条の完全な否定である。彼らに良識のかけらがあるというのなら、改憲もしないのにそこまであからさまに集団的自衛権行使に踏み切れるか。

 それよりも何よりも集団的自衛権行使を承認するということは自衛官を米国の戦争に駆りだす事になる。それは米国の為に死を覚悟しろと自衛官に命ずることだ。そんな事が出来るとでも言うのか。

 こう考えると、集団的自衛権行使の承認問題は必ず国論を二分する問題になる。その時は護憲論者のほうが圧倒的に有利になる。どう考えても米国の戦争に巻き込まれる事は国民にとって損であるからだ。政治家の保身や自己満足の為に命を奪われてはたまらないと考えるのが普通であるからだ。安倍首相は大きな間違いを犯そうとしている。


Study Group of Experts on the Issue of Collective Self-Defending Right

 Prime Minister Abe decided on 5th April to set up a study group of experts on the issue of collective self-defending right. According to the established interpretation of the consecutive governments Article 9 of Japanese Constitution does not allow the governments to fight with an enemy which attacks an allied country, i.e. the United States.

 Prime Minister has already announced his view that the current Japan US Security Treaty should be an equal and mutually supporting one. Therefore he wants to amend eventually the Article 9 and in the meantime expands the traditional interpretation of the Article 9 so that the collective self-defending right can be used even under the current Article 9.

 Therefore the role of the study group is pre-decided. It has no coice but submitting the report that after the thorough study there are cases in which collective self –defending right can be used.

 Prime Minister Abe hastened to set up the group because he wanted to show his allegience to US before his visit to US on 26 April. But he seems to gamble his regime on embarking to admitting collective self-defending right because there exist strong voices against collective self-defending among Japanese people. More importantly who dare to order Japanese Self-Defense Forces to die for US War against Terror?

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2007年04月06日

タミフル問題に象徴されるこの国の機能不全

タミフル問題に象徴されるこの国の機能不全

 大騒ぎをしたタミフル問題が何の解決策も見出されないままニュースから消え去ろうとしている。ここに私はこの国の絶望的な将来を見る。

 国民の生命に関する問題であるにもかかわらずあまりにもいい加減に幕が引かれようとしている。監督官庁の弁明が二転、三転する。タミフルと副作用の明確な解明はなされないままだ。製薬会社と厚生省関係者の癒着も指摘された。しかし責任官庁である厚生労働省の責任は一切問われない。国民にとってこれほどの不条理はない。

 しかしこれはタミフル問題に限ったことではない。あれほど騒いだ年金問題は何の解決策もないまま年金制度の崩壊に向かって進んでいる。次々と発覚する社会保険庁の杜撰な実態についても抜本的な解決は示されないままだ。耐震偽装問題もそうだ。当初は大騒ぎをし、住民は膨大な経済的負担を抱えて移転を余儀なくされた。その後続々出てきた耐震不足の問題についてはほとんど問題にされない。責任者の追及も「とかげの尻尾切り」で終わってしまった。災害対策に対する政府の怠慢は許しがたいほどだ。阪神淡路大震災の時はもとより、その後に続いて起きた大型災害に対して政府はまったく無能であった。それどころか国民の救助について極めて冷淡である。ボランテアが被災者を助けている始末だ。

 このような政府の不作為、国民軽視は最近の事件に共通して見られる。実はこれらは今の日本の機能不全と国民切捨てを象徴しているのだ。

 それはまず無能な官僚組織の実態である。国民には信じられないであろうが、今の官僚たちにはどう対応していいかわからないのだ。二つ目は官僚組織の責任所在の不明確さである。最後は誰も責任をとらないですむ。このような無責任体制においては、一体誰が真剣な仕事をするというのか。三番目は政治の無能さである。こんなときこそ政治が官僚を動かして国民の為の政策を実現しなければならない。しかしこの国の政治家と官僚は面従腹背のもたれあい関係になっている。お互いが批判し合いながら、利用し合っている。政治家による官僚への厳しい責任追及は決して行われない。最後は野党政治家の非力とメディアの正義感の欠如である。野党はすっかり無力となってしまった。もはや国民の代弁者として与党、政府を追求する機能をなくしているかのごとくである。メディアは一時的に大騒ぎを、政府批判をして見せるが、最後まで与党、政府を追及することはない。次から次へとニュースを消費するメディアになってしまっている。その事によって我々の正義感までもが消費され、不感症にさせられていく。

 かくして最後は国民が泣き寝入りすることになる。国民は怒りたくてもその術がない。国民は救われないのだ。やがて国民はまじめに考えることをやめ、スポーツや娯楽番組にうつつを抜かして現実を忘れようとする。気がつけばこの国はどんどんと無責任、無気力になっていく。誰かがこの流れを止めなければならない。


Tamiflu Drug Issue Mirrors Hopeless Japan Today

 Since the beginning of this year so many incidents have occurred caused by the suspected side effects of anti- flu drug, Tamiflu. The Ministry of Health and Labor, at the beginning, denied the co-relation between the incidents and the Tamiflu side effects but as the reports of incidents are increasing the Ministry reluctantly changed its attitude and issued the advices to use it with certain restrictions. And yet the Ministry fails to identify the exact cause and result relation and leave it to the individual discretion. The Ministry has never been penalized for its negligence.

 as a matter of fact this example of Tamiflu issue mirrors the hopeless situation of Japan today under which Japanese people are left victimized. for example our pension system has been collapsing due to the miscalculation and mishandling of bureaucrats. People are so angry and worried about their life after retirement. this is the numer one concern of Japanese people. And yet no solution has been shown by the government.

 Two years ago a big scandal swept over Japan. So many hotels and apartments were found to have been built below the legally required anti-earthquake resisting level. And yet until today nobody knows how many buildings were built short of requirement. It has been reported that the Ministry overlooked the violation of anti-earthquake regulations by the constructing companies or even colluded with them but no further investigation has been made. No one in the government has been penalized.

 In short so many incidents which damaged the people’s life have been left without any fundamental solution. There is always a danger that similar incidents will occur in future.The government and bureaucrats will never be indicted and it is always the week, helpless people who suffermost.

 It is always the people of Japan who have to suffer from the mishandling or the neg

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2007年04月05日

89歳の国民に「私はみなしごや」と言わせるこの国の政治

89歳の国民に「私はみなしごや」と言わせるこの国の政治

 4月4日の毎日新聞「記者の目」に泉谷由梨子という若い記者の素晴らしい記事があった。過疎高齢化地域である能登半島の地震被災の惨状を活写した記事だ。過疎が極端に進み、8人中6人が高齢者という「限界集落」を昨年から取材し続けていたという彼女は、「昔は大雨の時も助け合って増水を防いだが、年取ったものばかりでは・・・」という住民の声を聞き、大災害でもあったらひとたまりもない、と思っていたという。その危惧が現実になったのだ。

 この記事で衝撃的なのは、高齢者被災者の現状である。彼女は書いている。

避難所にいるのは、ほとんどがお年寄り・・・以前取材で知り合った一人暮らしの河合としさん(89歳)。声をかけても反応が無い。補聴器をなくし『何もわからない』としょうすいしきった様子だった・・・全壊した自宅を初めて見た河合さんは、さらに落ち込んだ。『私はみなしごや・・・』

 この国の天災はまちがいなく人災であると思う。官僚の手にゆだねられている行政は目の前の問題に手をうとうとしないのだ。何をしたら良いのか分からないのだ。その官僚を使う立場にある政治が政治指導力をまったく発揮できていないのだ。

 高齢化地域の問題がわかっていながら放置してきた政治、天災が起きるたびに被災者が放置され続ける政治、それよりもなによりも、人生を生き抜き、せめて人生の末期を安穏に過ごしたいと願う老人にかくも残酷な政治。いったい日本という国の政治はどうなっているのか。

 与党も野党も政争に明け暮れている場合ではない。国民のための政治を命がけで行うべきではないか。安倍首相や塩崎官房長のすまし顔をみるにつけ、これら二世議員の国民との意識のずれに腹が立つ。こういう甘やかされた人間が政治指導者に居座っている限り、この国の政治は弱者の痛みが分かる政治には絶対にならないと思う。

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2007年04月05日

みせかけの電話首脳会談

みせかけの電話首脳会談

 4月4日、5日の各紙は、ブッシュ大統領と安倍首相の首脳電話会談の事を一斉に報じている。しかしこの報道ほど無意味なものはない。

 その理由の一つは、どの新聞を読んでも電話会談の内容を正確に伝えるものがないからである。それはそうだろう。新聞記者が首脳電話会談を傍聴できるわけがない。盗聴もできない。だから新聞が報じる内容はすべて外務省広報の説明をそのまま記事にするしかない。だからいずれも同じ内容の政府広報記事になる。外務省幹部に親密な個人的関係を築いている記者がせいぜい断片的な情報をもらって少しばかり気の利いたこぼれ話を書く程度だ。それとても外務省幹部は本当の事を話すとは限らない。新聞記者に「ここだけの話だ」と勿体をつけて、都合の良い話を新聞に書かせようと意図することも多い。

 二つ目の理由はわずか15分の電話会談で従軍慰安婦問題のような機微な問題についてどれほど説明できるかということだ。しかも安倍首相は英語でブッシュ大統領と話せない。すべて通訳を通して話すしかない。笑ってしまうのは、従軍慰安婦問題のほかにも、北朝鮮の核問題をめぐる六カ国協議への対応や、7月末に期限が切れるイラク復興支援特別措置法を2年間延長する改正案を提出したことなどについても意見交換をしたという。それらをわずか15分の電話会談で行ったというのだ。しかも通訳を通じて。それに対するブッシュ大統領の答えはどうだったのか。そもそも答える時間があったのか。ブッシュ大統領は牛肉輸入問題を持ち出さなかったのか。誰もが抱くこんな常識的な疑問を新聞記者は誰も書かない。

 今回の電話首脳会談は、いつも外務省が使う国内対策パフォーマンスだ。「安倍首相もブッシュ大統領と直接電話で話せる間柄だ、慰安婦問題については安倍首相みずからブッシュ大統領に直接説明し、ブッシュ大統領もこれに理解を示した」という首脳外交振りを日本の国民に宣伝することが目的であったのだ。「私の発言が正しく伝えられていないので、念のため大統領に私の真意を伝えた」(安倍首相)、「大統領は首相の真意を十分理解されたのではないか」(塩崎官房長官)(4月5日毎日新聞)と首脳は宣伝する。それは本当か?我々はもうすぐ安倍総理訪米で、それを知る事になる。

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2007年04月04日

情報発信力の無い日本の指導者

情報発信力の無い日本の指導者

 英国人の語学教師が日本で殺害された事件は実に痛ましい事件である。警察は一日も早く犯人を逮捕し、せめて遺族の無念に答えてほしいと願う。

 ところで、この事件直後に報じられた父親の記者会見は感動的であった。娘を異国で不条理に殺害された父親の気持ちは察するにあまりある。さぞかし無念であり、内心は怒り心頭であったに違いない。しかし彼は極力冷静に記者会見にのぞんでいた。さすがに涙をぬぐう場面はあったが、その無念さ、その怒りを極力おさえながら、「娘は殺される為に日本に来たのではない、日本は安全な国と信じて、日本人の役に立つために来た。いい娘だった」と訴える言葉に胸を打たれたのは私一人だけではないはずだ。

 私は思う。日本の外交を語る時、最近よく情報収集力の重要性が指摘される。しかし日本が最も劣っているのは、情報収集力もさることながら、言葉による表現力、情報発信力なのではないか。それは小泉前首相のような言葉をぶつけてごまかす表現ではない。正しい言葉を駆使し、相手を説得する表現力、情報発信力である。

 確かに日本人は語学に弱い。しかし語学力以上に日本人に欠けているのが、自分を正しく理解させよう、自分の要求を押し通そう、とする意志、気力なのである。

 かつて私が経済協力を担当していた時の実話である。日本の高名な大学教授がリーダーとなって行う農業技術協力プロジェクトがあった。その教授は言葉で説明するよりも手っ取り早いと思って毎日畑に出て手取り足取りでその国の農民に教えていた。その間に、その教授のチームの一人である若い米国人の助手は、クーラーの効いた涼しい部屋でプロジェクトの計画表や指導要領を作っていた。現地の農民はプロジェクトのリーダーはてっきりとその米国人であると勘違いしていたというのだ。

 我々一般の日本人であればまだ仕方が無いとやり過ごすことが出来るかもしれない。しかしこの国の政治家や官僚となるとその責任は重大である。3月30日の朝日新聞は、「内弁慶に未来なし」という見出しで、日本の政治家や外交官の国際会議における存在の無さを次のように嘆いて見せる。

『もううんざりだ』。米国のある国防長官経験者は、日本から大挙して『ワシントン詣で』にやってくる国会議員たちへの批判を隠さない・・・議論を挑むでもなく、有力者と握手し、笑顔で記念写真に納まるだけ・・・ダボス会議では年々、中国とインドの存在感が高まる。米国の人権団体が中国の人権を批判すると、中国の元フランス大使は言ったものだ。『フランスの女性参政権獲得はいつだった?革命から150年以上も後。歴史はゆっくり進む』。知的所有権をめぐり英国人が中国やインドの海賊版をヤリ玉に挙げた。インド代表がお国なまりの強烈な英語で反論する。『では申し上げよう。古代インドはゼロを発見し、中国は羅針盤や火薬を発明した。西洋は1セントも払わずに無断使用してきたではないか』。ああ言えばこう言う。『かなわないね』と英国人は肩をすくめる。会場はどっとわき、発言が続く。しかし、そこに、日本人の姿は影すらない

 またしても連休の季節がやってくる。国会開会中でもろくな仕事をしていない政治家たちだが、連休になるとこぞって外遊する。安倍首相は訪米する。慰安婦問題や牛肉輸入問題で沈黙することなく、言葉を使ってどうブッシュ大統領と外交を展開してくるか。日本の国益を守ってくるか。我々は見守らなくてはならない。

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2007年04月03日

ビル・トッテンという日本人

ビル・トッテンという日本人

 昨日(4月2日)のブログでベンジャミン・フルフォードというカナダ人が日本のために「米国から自立しろ」と警鐘を鳴らしていると書いた。今日はビル・トッテンという米国人を紹介する。もっとも彼は最近米国籍を捨てて日本国籍を取得したので日本人だ。彼が米国籍を捨てた理由がふるっている。2004年8月に乗った米国の航空会社で厳しい身体検査を受け、「なぜこんなに厳しく調べるのだ」とたずねたら、お前は日本で米国の悪口を言ってばかりいるので米国のブラックリストに乗っているからだ、と聞かされ立腹し、これではもはや米国には住めないと決意したというのだ。9・11以降以降米国は変わったというのだ。

 そのビル・トッテン氏が「日本は略奪国家アメリカを棄てよ」(ビジネス社)という本を最近出版した。数ある対米批判の書のなかで、これほど分かりやすい本はない。この国の首相や官僚、財界をふくめ、米国の本質が何も分かっていない大方の日本人にとって、これは一読すべき本である。

 その中で私が最も注目したのは、日米安保条約こそ不平等条約であるという事実を喝破したくだりである。周知のように日米安保条約はサンフランシスコ講和条約を締結した1951年に、米国に恫喝されて吉田茂が単独で秘密裏に締結した条約である。そしてそれが10年経って期限が来る前に、米国に命令されて岸元首相が恒久条約化させられて今日に至っている。あの安保騒動の時である。

 安保改定の最大の改善点は岸元首相が頑張って、それまでの片務協定から、「米国が日本を守る」という事を義務付けた点であるということになっている。

 ところがビル・トッテン氏は、改定後の安保条約こそ不平等条約であるというのだ。つまり改定された安保条約をよく読むと、「共通の危険に対処するよう行動する」と書かれているだけで、どこにも「日本を守る」とは書かれていない事をあらためて日本人に教えてくれている。いったいどれほどの日本人がわずかA4二枚ほどの安保条約に目を通したというのか。

 この文言については今でも関係者の議論が分かれているのである。アメリカが共通の危険を感じる相手から攻められない限り、日本を守ろうとしないという解釈ができる。つまり中国や北朝鮮が日本を攻めてきても、その時点で中国や北朝鮮が米国の友好国となって米国にとって危険を感じる国でなければ、米国は日本を守ろうとしないのだ。そしてその現実が今まさに起きようとしているのだ。その一方で日本は米国の軍隊を日本全土に受け入れることを約束させられ、そのための人的、財政的負担を支払わされている。しかもこれからは「テロとの戦い」という日本の防衛とは何の関係もない米国の戦争の為に、ほとんどすべて日本の自衛隊が使われるのだ。これは大変な不平等条約ではないか。

 実はこの指摘こそ外務省が決して口に出さない、国民に知られたくない点なのである。突き詰めて言えば、日米安保条約は完全にその機能を変えてしまったのである。日米同盟を原点から見直すべき時にきているにもかかわらず、外務省はそれをごまかしているのである。これ以上の怠慢はない。これ以上の不誠実はない。

 それにしてもフルフォードといい、トッテンといい、日本のためを思って「米国から独立せよ」と言ってくれるのがカナダ人や元アメリカ人だけであるというのが、いかにも情けない。右翼も左翼も一致団結して日米関係を見直す努力をすべき時が来ている。彼らに日本国民を思う気持ちがあるのなら、今こそ日本の国益のために、「米国から裏切られる前に、日本のほうから日米関係を見直せ」と日本政府に詰め寄るべきなのである。

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2007年04月02日

閑話休題 盛り上がらない地方選挙と世の中を変える方法

閑話休題
盛り上がらない地方選挙と世の中を変える方法

 都知事選挙が一向に盛り上がらない。なぜか。私に言わせれば既存政党のいずれを選ぶかはもとより、無党派層というわけの分からない票を狙った選挙さえもが、政治に関係なく毎日を賢明に働いている一般市民、国民にとって胡散臭いからだ。

 それに比べ私が提案した「質問主意書」新党に対する読者からの反応の大きさに驚いた。自画自賛するつもりはないが、ひょっとしたら私の考えはあながち的外れではないのかも知れないと思い出した。悪乗りの続きとして、同じようなことを考えている人たちを最近知ったので紹介したい。

 一つはベンジャミン・フルフオード氏である。カナダ人のフリージャーナリストである彼は、外国人であるにもかかわらず(というよりも外国人であるからこそ)、日本の権力構造の闇を精力的に取材、糾弾して、日本は変わらなければならないと警鐘を乱打している人物である。その彼と最近対談する機会があった(財界展望―ZAITEN 4月号)。その中で彼はこう主張していた。すなわち日本を変えるのは簡単だ。自民党の政治家や財界、官僚、ヤクザ、宗教団体など既成勢力の中から、何人かのトップクラスの有志があらわれて、「このままでは日本は米国に滅ぼされてしまう」と立ち上がることだと。

 もちろんこのフルフォード氏の考えは現実的ではない。既存勢力の中に身を置いて、おいしい思いをしている連中が、そのぬるま湯から出て世の為に行動を起こすとは考えられないからだ。しかしこのフルフォード氏の指摘はまさに真理をついている。つまり反体制のイデオロギー政党や、社会の負け組みがいくら政治の場で大声を出し、政治の外で騒いでも、今の日本の権力体制を崩すことは出来ない。既存の護憲政党が弱者のためにいくら正義をかざしても大衆の心を揺さぶることはできない。体制の側から変革の動きが出てこないと世の中を変えられないのだ。もし体制の中枢にいる権力者、支配者の中で、このままでは日本は駄目になる、国民のために本気で日本を変えなければならない、その為には犠牲を払っても良いと考える人たち(それは同じ権力者でも小泉前首相のように、自分のために改革と言う言葉を弄んだ卑しい政治家や、石原のような弱者を頭から無視する傲慢な人間とは対極的な人物である)が、たとえ少数でも各界の指導者の中から出てくるようになると、確かに国民を動かすきっかけになるかもしれない。

 もう一つの考えは、月刊現代5月号に掲載されている内田樹氏の「7%の勇者が日本を救う」という考え方である。「下流志向」(講談社)という著書を出版して日本のモラルの低下を分析した彼は、日本を救う為にすべての国民にモラルの向上を説いてみてもはじまらないという。そして、国民の中で能力とやる気のある一定数の無私の人間が、劣化する日本を食い止める「雪かき仕事」を引き受けることで日本は救われる、その数は人口の7%もあればいいというのである。しかもこの7%の国民は付和雷同するような大衆ではなく、個の確立した、群れない国民達だというのだ。

 この考えの背景にあるのは、自分も含めほとんどの国民は決して聖人でも完全な善人でもない。それどころか嘘もつき小悪を重ねる。そういう欠陥だらけの人間が寄り合って暮らす社会には必ず不都合が積もっていくが、それにまかせて積もらせてしまったら社会はつぶれる。誰かが少々の自己規制と自己犠牲をはらって雪かきをしなくてはならない。全員が立派になる必要はない。人口の7%でいいというのである。

 本来は国民のためにそれを行うべき立場にある政治家や官僚が臆面もなく巨悪を重ねている現状を見ると、この考えは日本をこれ以上悪化させない為の最善の方策ではないかと思う。

 そしてそれを政治の世界につなげていく考え方が、私の言う「質問主意書」新党の考え方なのだ。人口の7%というと800万人ぐらいだが、私はそんなにいなくてもいいと思っている。100万人で全国比例区の国会議員を参議院で一人送り込める。もし300万人ぐらいの国民が、世の中の巨悪をやっつけよう、弱いものを救おう、と無私の気持ちを持って、新党に賛同するようになれば、3人ぐらいの国会議員を送り込めるのだ。これで十分である。この国会議員は300万人の真の代表であるから、能力も、やる気もあり、何よりも無私の正義感を少しばかり持つ。6年間で十分だ。その間に政治の世界で大暴れする覚悟を持てばいい。最初は質問主意書でもいいが、数人ぐらいになれば国会質問をし、キャスチングボートさえ握れるかもしれない。

 自民党といい民主党といい、政権をとろうとするから質の悪い政治家を数多く当選させなければならないのだ。そのためには利権や不透明な金が必要になってくる。そうして当選させた政治家のほとんどが役に立たない数合わせの政治家だ。こんな馬鹿げた政治を変えなければならない。しかし今の選挙制度ではすぐには国会議員を削減したり選挙法を変えるわけにはいかない。

 だから「質問主意書」新党をつくるのだ。そしてとりあえずその有用性を国民に実証して見せるのだ。そのうちに人口の7%いや3%程度の国民が気づくようになると、キャスチングボートを持てる政党に育つかもしれないのだ。その他の雪かきをしない国民がどの政党に入れようが気にしない。なぜならばそれは「雪かき」政党だからだ。人のために雪かきをしようと思うような人は常に少数だ。しかしその少数の国民が、大方の国民の小悪の雪かきをし、今の権力者の巨悪に立ち向かっていくのだ。役目を果たしたらとっとと政治からおさらばする。次の者にバトンタッチして自分の本来の生活に戻る。皆が交代で6年間だけ政治家を務めればいいだけの話だ。政治なんて所詮必要悪だという心意気で、政治に寄生する連中を日本から一掃していく。腐った官僚を完全にコントロールする。こういう政党が出来ない限り、どの政党が政権をとっても、誰が当選しても、何もかわらない。まったく新しい政治を作り出すしかないのである。

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2007年04月02日

イラク副大統領発言の豹変の裏側

イラク副大統領発言の豹変の裏側

 少し前のことになるが気にかかっていた事があるので遅ればせながら指摘してみる。

 今から一週間ほど前に外務省が多数のイラク人を日本に招待し、イラク安定のために日本政府が貢献している事をアピールしたことがあった。何かあるとすぐに東京に招待し、セミナーや国際会議を主催して「外交」をやっている振りをする。これは金にまかせて外務省が行うもっとも安易な「まがいもの外交」であるが、それを批判するのがこのブログの目的ではない。

 招待客の一人として訪日したタリク・ハシミというイラクの副大統領の一人が、3月23日毎日新聞の単独インタビューに応じた。その内容が24日の毎日新聞に報道された。その記事は、「米軍、来秋までに撤退を」と言う見出しで、彼の発言を次のように紹介していた。

「(駐留米軍の撤退について)個人的には1年か1年半でイラク治安部隊の再編成、訓練が完了すると思う。その後は(米軍主導の)多国籍軍は必要ない」

 実は私はこのニュースを新幹線のなかで流れるテロップで読んだ。そして「これは米国やそれに追随する日本にとっては都合の悪い発言だなあ。わざわざ日本に招待しておいてこんな事を日本で発言されてはたまらないだろうな。米国にも怒りやしないか」と思って読んだ。

 ところが翌日の新聞各紙は、24日に行われた日本人記者クラブでの記者会見で、ハシミ副大統領が次のように発言したと一斉に報じた。

「(米英など多国籍軍の撤退時期に関し)今の段階で一年先か二年先か分からない。治安の空白をつくってはならず、イラク軍立て直しが先決」と述べ、米国で強まる早期撤退論に釘をさした」

 わずか一日で180度違う発言をしたハシミ副大統領に何が起こったのか。毎日新聞の単独インタビュー記事が誤報であったのか。それともハシミ副大統領の頭がイラク情勢そのもののように混乱しているのか。

 私はこう推測している。毎日新聞のインタビュー記事を読んだ外務省が慌ててハシミ副大統領に連絡をして発言の軌道修正を求めるように圧力をかけたに違いないと。おりから日本政府はイラク特措法の2年延長を決定しようとしていた矢先であった。米国においても上下議院の早期撤退決議の動きに対してブッシュ大統領は拒否権も辞さずとして米軍駐留の長期化の構えを見せている。そのブッシュ大統領を後ろから撃つようような真似を日本がしたら大変だ。ブッシュ大統領から怒鳴られる。だからなんとしてでも多国籍軍の長期駐留の必要性をハシミ副大統領に言わせなければならない、そう考えて外務省がハシミ副大統領に慌てて伝えたに違いない。

 おりからクルド自治政府閣僚のディルシャド・ミラン氏は3月29日の朝日新聞紙上で次のようにイラクの現状を述べている。

 「三年前なら可能だったが、敵意と相互不信はすでに、解決から程遠い水準に達している」、「唯一の道は連邦制だ。いまやシーア派はスンニ地区に住めないし、スンニ派はシーア派地区に入れない。つまり連邦制への過程はすでに非公式に始まっている。これが現実だ」、「宗派抗争の本質はどちらが首都を奪還するかの戦いだ」、「連邦制での中央政府の役割は、各自治政府間の調整と外交などに限定される。トルコがイラクのクルド地区に介入したら、中央政府が防衛の義務を負う。クルドにとって独立より、連邦制でイラクの枠内にいた方が政治的利益は大きい」、「多数派となるシーア派の主力も連邦制推進の立場だ。一方スンニ派に選択権はない。抵抗したら完全な敗者となるだけだ」

 凡庸な百人の日本の専門家の分析よりも、おそらくこれが現実のイラク情勢である。このようなイラク情勢を前にして、日本がとるべき貢献策など皆無だ。ましてや自衛隊をバクダッドへ派遣し続けることが国際貢献だなどといっているのは、現実を無視したブッシュ政権追従以外の何物でもない。しかもそのブッシュ政権の対イラク政策そのものが完全に行き詰まっているというのに。

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2007年04月01日

イラク特措法延長を弁護する読売新聞の社説はあまりにもお粗末だ

      イラク特措法延長を弁護する読売新聞社説はあまりにもお粗末だ

  私はこのブログを書くために朝早く起床して大手新聞を読み比べている。それにつけても思うのだが面白い記事が少ない。面白い記事という意味は、権力者が隠そうとしている嘘をスクープする記事という意味だ。これこそがジャーナリズムの使命であると思うからだ。事実関係を教えてくれる当たり前の記事は必要はない。それはどこでも手に入るからだ。やはり記者諸君の取材能力、ジャーナリズム精神が失われつつあるのだろう。しかし新聞社の顔である社説まで劣化してしまったらもはや新聞の価値そのものまでもなくなる。3月31日の読売新聞のイラク特措法延長を支持する社説がそれだ。支持する意見を述べる事自体は読売新聞の自由である。しかしその論拠がまったくでたらめなのだ。
  政府がイラク特措法の2年延長を閣議決定したことについては驚かない。問題はその必要性を訴える政府の言葉に嘘があるということだ。国民は松岡農水相の嘘を見過ごした安倍首相を許した。しかしこのイラク特措法延長の閣議決定を国会で通過させようとする時は決して安倍首相の嘘を許してはいけない。
  何が嘘か。それは日本の自衛隊派遣がイラクの平和回復に貢献し、国際社会の期待に答えているという説明だ。ブッシュ大統領の最強の朋友であるブレア首相でさえ段階的撤退を打ち出した。いまや主要国の中では日本だけが取り残される形でブッシュ大統領を支援している。これがどうして世界の要請に答える国際貢献なのか。そもそも今のイラクの混迷は米国では解決できないのである。その米国に協力してどうしてイラクの治安に貢献していると言えるのか。
  高村元外相が20日の自民党国防部会でこう述べたという。
 「これは対米配慮でやっている、と国民に正直に説明したらどうか。国連決議はあるが、最大の理由は対米配慮だ」(8月31日朝日新聞)。その通りなのだ。安倍首相はこの事を明言して国民の賛同を得る努力をすべきなのだ。
  しかも日本政府はその米国に真実を知らされないままイラク占領を支持をしていたのだ。政府が繰り返して強調するサダム・フセインの国連決議違反さえも嘘だ。イラク攻撃の直前においては、サダム・フセインは査察を求める国連決議1441を全面的に受け入れていた。もうしばらく査察を続けていれば大量破壊兵器の有無は確認されていたとブリックス元国連査察監視委員長も言っていたのだ。ブッシュ大統領の頭には「はじめにイラク攻撃ありき」しかなかった。その事はボブ・ウッドワードの近著「ブッシュのホワイトハウス」(日本経済新聞社)で明らかにされている。
  これだけの事実が明らかになっているというのに、3月31日の読売新聞の社説はイラク特措法の延長を「イラクの破綻を防ぎ、国家再建の道を開くため、日本が国際社会の一員として国連及び26カ国の支援の取り組みに協力を継続するのは当然のことである」と結論づけている。
  これは驚くべきお粗末な社説だ。今のイラク情勢の混迷についてまったく理解がない上に、航空自衛隊がどのような活動を行っているかも知らされずに(政府は国民の情報公開の要求を無視し、空自がどういう活動を行っているかを一切説明しない。読売新聞が知っているはずはない。それとも読売新聞だけは政府からこっそり知らされていたとでも言うのであろうか)、はじめに政府支持ありきで鉛筆をなめて書いた作文でしか過ぎないのだ。それにしてもどのような論説委員たちが、どのような議論を経て、こんな社説を国民の前に臆面もなく垂れ流す事を決めたのであろうか。
  賢明なる国民は批判精神を失うな。大手新聞の論説だからと言って、ありがたくそれを拝聴する必要はない。今はもはやそんな時代ではない。ほとんどの情報は瞬時に世界に公表される時代になった。メディアや専門家の言うことと、自分の力で情報を集め、考える国民が、いまや対等に競合できる時代になったのだ。メディアや専門家が愚かな言辞を弄するなら、「馬鹿にするな」と、大いに批評しようではないか。彼らの言っていることは往々にしておかしいと思ったほうがいい。なぜならば彼らには権力に迎合しようとする不純な動機があるからだ。何物にもとらわれない、素直で自主、独立の人間の目のほうが、数段優れているのである。

   Japanese Government’s Decision To Extend Self-Defense Forces To Iraq For Another Two Years Has No Legitimacy

Despite the fact that Iraq situation is now beyond the control of US and even the US Congress demands President Bush to withdraw its troops early next year Japanese Government alone, among the major industrialized countries, decided to continue sending their Self- Defense Forces to Iraq for another two years.
It is so obvious that the only logic behind this decision is that Japanese Government is crazy for Bush and decided to commit a double suicide with him. Nevertheless Prime Minister cheated Japanese people by not confessing this and saying Japanese Self-Defense Forces are requested by the UN, Iraqi Government and the rest of the world and they are making great contribution to recovering the stability of Iraq. Who believe this nonsense?
The Yomiuri Shinbun, the most widely read Japanese papers, does! In its editorial of March 31, it full –heartedly supports the Abe Government’s decision. It repeats exactly the same excuse, i.e. Japan can make a contribution to the stability of Iraq by continuing sending its Self-Defense Forces! Is this a journalism or just a propaganda branch of the Abe Government?

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