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2007年03月04日

閑話休題 政治的活動は人生の脇役でしかない

閑話休題 政治的活動は人生の脇役でしかない

 これから書くことは文字通り閑話休題である。政治問題、社会問題とは何の関係もない。そのつもりで読み流して欲しい。

 私は、誰に命令される事もなく、好んで毎日せっせとブログを書いている。メディアの裏側に潜む権力者の「いかさま」を喝破し、政治家、官僚、その他あらゆる権威の言動に嘘はないか、メディアは正しく真実を伝えているかについて、私なりの思いを伝えたいと思って書いている。できれば世界中の読者に読んでもらいたいと思って英語で要訳までつけている。好きでやっている事とはいえご苦労なことだと自分でも思う。

 しかし毎日書きながら、自分の残された人生はこんな事をするためにあるのだろうかと疑問を持ち続けて書いている。毎日書いていて決して楽しくないのだ。

 ちなみにアクセスは少しずつ増えつつあり一日6000程度になった。いずれ一万は超すだろう。「この程度のアクセスで世の中を啓蒙できるのか」などという不遜な事を少し前にブログに書いた。その事を反省している。私は勝手に書いているだけだ。その私の一方的な独り言を読んでくれる人たちが一人でもいる事に感謝しなくてはいけないのだろう。その読者のためにこれからもしばらく書き続ける。

 二ヶ月間で私にメールをくれたのはわずか155人である。それもそのはずである。私はこのブログで読者と論争する気はまったくない。読者からのメールは私しか読む事は出来ない。一対一の対話である。読者間の広がりは起こらない。もっとも私は寄せられたメールには殆どに返事を書いてきた。幸いであるというべきか、当然というべきか、寄せられてくるメールはすべて激励のメールである。私の考えに反対の意見を持つ読者は私に噛み付いてもどうしようもないと思っているのだろう。批判的なものは来ない。私と考えの違う読者はやがて離れていくに違いない。それでいい。世に出回っているブログの中にはアクセス数を競うあまりクリックしてくれと頼み込んでいるものがある。何を考えているのかと思う。またブログの中には、ふざけたり、茶化したような表現を使うものがある。私は、時として言葉が激しすぎるということはあるかもしれないが、最善の言葉を選んで私の考えの全てを表現しようと努めている。書いた物を何度も読み直し、表現を推敲して掲載している(それでも誤字、脱字が避けられないところが情けないのであるが)。毎日真剣に書いているのである。

 話が脱線した。本題に入ろう。155通のメールのなかで、「天木さんとビジネスをはじめたい」というメールが最近届いた。私はそのメールをうれしく思った。勿論私はその読者とビジネスを本気ではじめたいと思っているわけではない。その読者も具体的に何かをオファーしているわけではない。私に寄せられるメールのすべてが政治的なメッセージであるのに対し、そして私はそのようなメールを歓迎するのであるが、この人のメッセージは、「天木さん、政治批判もいいけれど、世の中もっと面白いことがあるよ。金儲けをしようよ。天木さんと一緒ならビジネスで成功すると思うから」というものであった。もちろん言葉遣いはこの通りではない。もっと上品である。しかし私にはそう聞こえたのだ。そしてそれが嬉しかったのだ。私は毎日政治的なブログを書き続けているが、政治的なことなど本当は生きていくうえでどうでもいい事だと思い始めている。だからこのメールが嬉しかったのだ。

 実は私は外務省を首になってから、生計を立てる必要性に迫られ、一人で起業して金儲けの可能性を探ってきた。そして今のところすべてに失敗し、あるいは騙されて、つくづく自分の人生は官僚しかなかったのだ思い知らされている。その意味でこのメールを寄越した読者の「天木さんとならビジネスで成功すると思う」という見立ては、完全に外れているのである。しかし、失敗の連続であるとはいえ、私は官僚時代には味わった事のない生きがいのある人生を送っている。生きている実感をかみ締めながら生きる事が出来るようになったのだ。「政治的発言よりももっとほかにする事があるはずだ、それを一緒にしよう」というメッセージが私の心に響いたのは、まさにその通りであると思うからだ。

 我々は限られた人生を何のために生きているのか。その答えは勿論人さまざまである。しかし私を含めて大半の人は食べるために日々一生懸命働いている。少しでも成功し、出世をし、お金を稼ごうとして生きている。そこに喜怒哀楽のすべてがあり、人生があるのだ。世襲議員のように政治活動しかしなくても食べていけるような人間には本当の人生はわからない。

 個々の人間の営みに比べれば、政治は必要悪のようなものだと思う。人々の生活がうまく行くように、あるいは不正がないように、更には敗者や弱者が救済されるように、そういった社会的仕組みをつくることが政治である。そして何よりも、人々が一度しかない人生を送る為の最低条件である「平和な社会」を確保することこそ政治のつとめであるのだ。

 つまり世の中の主役は一人一人の人間の人生である。政治は脇役なのだ。ところが最近のメディアを 見ていると政治や政治家があたかも主役のように扱われている。それはおかしい。世の中がうまく行っていれば、そもそも政治など要らないのである。ましてや政治家が法外な手当てを貰って特権を享受することなどは間違いなのである。

 残念ながら現実の世の中はうまく行っていない。そこで政治の役割もまた必要になってくる。しかし我々は原点に立ち戻ったほうが良い。政治の事ばかりを考え、政治的活動に係わることが偉い事、重要な事ではない。政治に関心のない事が悪いことではない。政治家や政治評論で飯を食っている連中は、そこのところを自覚するべきだ。自分たちのやっていることは、まじめな個々人の人生に比べれば立派でも尊いことでも何でもないのである 

 例えば政権交代である。それが出来れば民主党は嬉しいであろう。しかし我々国民にとっては政権交代が目的ではない。政権交代が起こると少しはまともな政策が期待できるのではないかと期待するだけだ。我々の関心は唯一つ、良い暮らし、平和な暮らしができるかどうかなのである。どんな政権であろうと、どんな首相であろうと、そういう社会を確保してくれさえすれば それでいいのである。

 護憲運動にしてもそうだ。憲法9条を守ろうと声高に叫ぶ事は、特に安倍政権の下では憲法9条が放棄されるかもしれない危険性があるので、重要ではあると思う。しかし問題は、憲法9条を守る事が出来たとして、その後に日常生活にもどって平凡な生活をすることこそ重要なのである。政治的な活動を生きがいとしている一部の人たちは、環境、人権、差別など次々と政治的テーマを見つけて、終わることのない政治活動を続けようとするかもしれない。しかしそれは本当の人生ではない。人生で一番重要なことは、平凡な日常生活を、楽しく、仲良く、面白く、人に迷惑をかけずに生きていくことである。退屈な人生を行き続けることである。苦しい人生を生き抜くことである。

 世界には、それさえ出来ない人々がいる。そしてそれは政治が悪いのだ。日本はそういう国に比べれば恵まれている。しかし最近は日本もそういう状況に近づきつつあるのではないか。政治は必要悪でしかないが、それが悪政になりつつあるのではないか。そうさせてはならない。私がブログを書く意義があるとすれば、悪政を監視することなのだ。そう思って面白くもないブログを私は書き続けていく。自分がなすべき人生、ほかにある筈だと思いながら。

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2007年03月04日

国民投票法案の廃案を訴えるだけで憲法9条を守れるのか

 国民投票法案の廃案を訴えるだけで憲法9条を守れるのか

  3月3日の朝日新聞にきわめてタイムリーな記事を見つけた。憲法9条を守ろうとする護憲勢力の間で、あくまでも国民投票法案の廃案を訴える人々と、国民投票によって改憲案を葬るべきだという人々に意見が分かれているというのだ。
  様々な思考を経て、最後に「憲法9条は一字一句変えてはいけない」という結論にたどり着いた私は、今となっては誰よりも強い護憲論者になった。だから改憲の試みはあらゆる手段で阻止したいと思っている。
  国民投票を実施するための手続きを定める国民投票法案が成立しなければ、もちろん国民投票は実施できない。憲法改正には国民の過半数の承認が必要であると現行憲法で謳われているから、国民投票が実施できなければ改憲はできない。その限りにおいて私は国民投票法案成立反対の人たちと行動をともにしている。
  しかし私は国民投票法案の成立阻止が全てであるかのように声を張り上げるよりも、憲法9条を変えようとする事がいかに間違っているかということを一人でも多くの国民に気づかせる努力を重ね、どんな改憲案が出てこようと、どんな国民投票法が成立しようと、国民の一票でこれを拒否して見せる事によって、すなわち文字通り国民の手によって、憲法9条を守る事に全力を傾けるべきだと思うのである。
  私がそう考える理由はいくつかある。自民党と民主党が国民投票法案を成立させることで一致している以上、国民投票法案を国会で成立させないとする試みは奏功しない。それどころか、何があっても反対だと叫ぶばかりでは、一般国民は離れていくであろう。
  更に言えば、「改憲をさせない為に、手続法である国民投票法案を成立させない」と主張するのでは、これもまた一般国民の理解は得られないであろう。今の憲法には改憲条項が存在する。国民投票が規定されている。それを無視して国民投票法さえもつくらせないというのでは、やはり一般国民の目には硬直的と映る。
  これらの理由は、しかし、たいした理由ではない。本当の理由はこれから述べることにある。
私は憲法9条が守られるかどうかは、一部の熱心な護憲主義者の「運動」によってではなく、日頃政治にはあまり関心のない一般国民が「今の憲法のほうが良い」、「憲法を変える必要はない」と素直に考え、判断するかどうかにかかっていると確信している。だから一般国民が「おかしい」と思うようなやり方では憲法は守れないと思っている。国民投票法案成立阻止の政治運動は、護憲の戦いの「本丸」ではない。いや「本丸」にしてはならないのだ。
  考えてみるがいい。権力者の改憲の試みを、権力を持ち合わせていない一般市民が自らの一票で否定するならば、これこそ民主革命、市民革命と呼ぶにふさわしい出来事となる。そのような形で日本国民が憲法9条を守ったならば、世界は拍手喝さいを送ることであろう。護憲を目指す人々は、一致団結してその快挙に向かって国民運動を起こす努力にすべてを傾けるべきなのである。
  私がこのような意見を述べると、とたんに批判してくる護憲活動家や護憲政党が現れる。あいつは協調性がなくいつまでたっても官僚臭が抜け切らない奴だと攻撃してくるのだ。
「官僚的である」という意味が唯我独尊という意味であれば、確かに私は官僚的だ。常に自分は正しいと思っている。そんな傲慢な人間でなければ、時の最高権力者である小泉前首相に、「イラク戦争を支持したあなたは間違っている」などと正面から批判できなかったであろう。しかし私がどんなに傲慢であろうとも、憲法9条の前には頭を地面につけて跪くのだ。憲法9条を守るために人知れず地道な活動を続けている人たちに限りない畏敬の念を抱くのである。
  見ているが良い。戦争国家米国がいかに力で世界を押さえつけようとしても国際情勢はそんな米国を決して許さないであろう。安倍政権が米国の言われるままに憲法9条を放棄しようと頑張ってみても、客観情勢はますますそれを許さないようになっていくであろう。「できるものならやってみろ」と突き放してやらせればいいのである。我々は堂々と改憲のおろかさを指摘し続ければよいのである。一般国民に分かり安い言葉で訴え続ければいいのである。それでも改憲案を政府が提出してくるのであれば、そしてそれに賛成する国会議員が多数出てきたとしても、我々は自らの一票でそれを拒否すればいいのである。
  改憲を進める指導者やそれに同調する政治家は必ず恥をかくことになる。政治生命を失う事になる。そうさせようではないか。正義は我にあるのである。

    Article 9 of Japanese Constitution Should Be Maintained By National Referendum

     PM Abe announced he would like to amend the Article 9 of the Japanese Constitution , which prohibits Japan to engage a war, within his tenure so that Japan can fight a war with US.
Although the popularity of Abe Cabinet has been decreasing consistently and people starts thinking Abe Cabinet won’t last long, Abe’s declaration of amending the Article 9 made pro-Article 9 people got mad and let them to take various actions against it.
According to The Asahi Shinbun of March 3, however, pro-Article 9 people are split into two groups, i.e. a group who insists to let the draft bill of national referendum aborted on one hand and a group who insists to let the government submit the amendment draft to the Diet and veto it by a national referendum.
The current Japanese Constitution says that any amendment has to be approved by a majority of national referendum votes. Despite of this constitutional requirement procedural law for national referendum does not exist and the government hastens to pass the bill at the current session of the Diet. Thus the bill for national referendum is one of the confrontational bill.
I am one of those who believe that Japan should be proud of the Article 9 of Japanese Constitution and it should be maintained. In order to achieve this goal I think we should attach more importance to campaigning among the public that the Article 9 be a shield from the aggressive demands from US to join in the US War against Terror than appealing to the parliamentarians not to pass the bill of national referendum. Because I believe it would be a civil revolution for the first time in Japan's history if people of Japan veto the Government's trial to amend the constitution. Let it happen.

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