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2007年03月31日

佐藤栄作と赤尾敏の知られざる友情

佐藤栄作と赤尾敏の知られざる友情

 私が一番許せないと思うのは、政治権力と暴力が通じていることである。右翼であれ暴力団であれ、無抵抗の市民が彼らの暴力で圧殺されるようであればこの世は闇だ。それを取り締まり、国民の人権と自由を守るのが国家権力の責務であるのに、その国家権力が暴力ともたれあっているならば、問題はもっと深刻だ。だからこそ政治家と右翼や暴力団の癒着が人一倍厳しく問題にされなくてはならないのだ。しかし現実はそうではない。また一つ、この国の支配者と暴力の関係が明らかにされた。

 赤尾敏という右翼活動家がいた。1951年に親米反共の右翼団体「大日本愛国党」を結成した人物である。1960年に社会党委員長の浅沼稲次郎を刺殺した山口二矢(やまぐちおとや)らを門下生に持つ。

 その赤尾と佐藤栄作元首相が友情関係にあったという事を私は初めて知った。3月24日の毎日新聞「近耳遠見」で岩見隆夫が教えてくれた。岩見は、75年6月に行われた佐藤元首相の国民葬の際に、時の首相である三木武夫が暴漢に殴られた事件に言及し、その時の暴漢が赤尾敏の門弟であった事を明らかにしている。その背景について岩見氏は次のような石原慎太郎の言葉を引用して説明している。すなわち石原はその著書「国家なる幻影―わが政治への回想」(文芸春秋社)において次のように書いているという。

 ・・・(三木元首相を殴った)暴漢は赤尾敏氏の門弟だったと聞いた・・・国葬という声を踏みつけ、国民葬などという体験ですましてしまった三木総理への憤りを、赤尾氏は満座の前で披瀝したに違いない。世間が佐藤氏と赤尾氏の知られざる友情をつまびらかにされることはなかったが、私には納得気がした・・・

 岩見はまた、赤尾がまだ生前の時に佐藤家を頻繁に訪れていたことや、佐藤は赤尾の応援者であったことなどを、前掲の石原の著書や「佐藤栄作日記」(朝日新聞社)を引用して明らかにしている。

 私は思想としての右翼も左翼も排斥するものでは決してない。この日本をよりよい国にし、まじめで勤勉な国民の生活を守る政治の実現に向けて、あらゆる思想が切磋琢磨すればいいと思っている。しかし山口二矢の浅沼刺殺事件に見られるように、異なる思想を暴力で排除する事だけは絶対に許してはならない。それは民主主義の自殺である。この考えについては右翼も左翼もない。立場を超えて等しく日本国民が共有すべき普遍的な考えであるはずだ。だから総理や政治家という支配者が暴力を容認する人物や組織と深い関係にある事は厳しく追及さるべきであろう。

 岩見氏は、「近聞遠見」を次のような言葉で締めくくってお茶を濁している。

 ・・・そんな過激な右翼活動家が、二人の首相(佐藤、三木元首相)の間に介在していたのも、戦後政治の一断面である・・・

 残念だ。「政治と暴力はいかなる理由があっても両立させてはならない」と何故断言できなかったのか。


Political Leaders and Rightwing Groups In Japan

 This might not be a peculiar phenomenon in Japan. Political leaders are more often than not have an intimate relation with rightwing groups or the mafia and they use violence to oppress the opposing rivals.

 This has not to be accepted by any means in a democratic society. In this context it was shocking to know through the article of Daily Mainichi of March 24 written by political commentator Takao Iwami that former Prime Minister Eisaku Sato, one of the longest and most powerful Prime Ministers in post war period, was in a close relationship with Mr. Bin Akao, a leader of rightwing group of Big Japan Patriotic Party. One of the members of that group once assassinated a leader of the opposition political party.

 Mr. Iwami alluded in that article that in the past this kind of unwelcome relationship did exist but he didn’t mention whether that relationship continues to exist today or not.

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2007年03月31日

一億総評論家時代の落とし穴

一億総評論家時代の落とし穴

 いつか書こうと思っていたことがある。それは昨今のテレビの報道番組、政治番組についてである。このブログの読者の中にはメディア関係者もいると思う。あるメディア関係者がこう言っていたことを思い出す。「俺たちを怒らせると後が怖いぞ。マスコミを使って叩くからな」と。驚くべき傲慢な発言だ。しかし叩かれても失うものを持たない私にとっては無意味だ。

 かつてテレビが一般家庭に普及し始めた60年代前半に、評論家の大宅壮一はこれを一億総白痴化だと評した。それにならって今日のテレビを論ずるとさしずめ一億総評論家の感がする。どの時事番組を見ても、専門家、アナウンサー、政治家、芸能タレントが入り混じって好き勝手な評論を言い合っている。

 私はその風潮を一概に否定するものではない。「世間に知恵がついてきて、やりにくくなってきた」。これは外務官僚時代の同僚が私の前で語った言葉である。しかしこれは外務官僚に限ったことではない。あらゆる省庁の官僚、いや政治家を含めた権力者すべてに共通した本音であろう。彼らが一番困るのは、情報が一般国民に共有されることによって自分たちの特権が失われることである。すなわち情報を独占することによって仕事の質の低さを覆い隠して来た、それが出来なくなって仕事に厳しさが求められるようになってきた。日常茶飯事のように表面化している今日の数々の醜聞は、当たり前のように行われてきたずさんな仕事の実態が、情報公開や内部告発の一般化によって表面化しただけのことだ。だからメディアが情報を視聴者に提供し、それについて誰もが勝手なことを論じ合う風潮は、それ自体は歓迎されるべきである。

 しかしである。昨今のテレビに限って言えば大きな弊害がある。はじめから意図して作られた醜悪な討論番組はもちろん言語道断であるが、それはまだ罪は軽い。番組を作る方も、出演者も、ふざけた娯楽番組であるということを承知の上で、仕事の為に、あるいは売名で、あるいは高額なギャラほしさのために、身を貶めているからだ。見るほうもそれを承知で、馬鹿にしながら見るからである。

 問題は一見まじめな時事番組、報道番組における一億総評論家の風潮である。大騒ぎして政府批判をするくせに、権力者にとって真に都合の悪いとろにまでは決して踏み込まない。問題提起はするが、是正の為の追及を徹底的に行わない。国民の不満のガス抜き効果で終わってしまっている。それは結果として権力者に加担することにならないか。そういう気がしてならない。


Too Many TV Political Talk Shows But None of Them Really Confronts With The Government

 When we watch TV political talk shows, which are now flooding at every channel, it seems as if all of 100 million Japanese, not to mention journalists, politicians, bureaucrats, scholars but singers, entertainers, talents or even amateurs, become commentators.

 This phenomenon itself is not bad at all. As the knowledge and information be shared widely among people it is natural that people tend to express their view and criticize things. This can play the role of checking the wrong doing of the rulers.

 The frustrating thing of recent TV shows, however, is that commentators never reach the point of real criticism. If their comments end up with only absorbing the anger of the TV viewers they might support the rulers in a sense they stop indicting the ruler to the end. That is dangerous.

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2007年03月30日

現実が先行し法がそのあとを追いかけている今の日本

現実が先行し法がそのあとを追いかけている今の日本

 3月25日からその一面で連載が続いている東京新聞の特集記事「変貌する自衛隊」は、国民が一読すべき重要な特集である。なかでも25日の第一回の記事は衝撃的だ。 こんな事が行われていた事をどれだけの国民が知っていただろうか。すこし長くなるが要約して引用する。

昨年11月、航空自衛隊のC130輸送機が米軍基地に着陸しようと高度を下げたところだった。「ピー、ピー、ピー」突然、操縦室に警報が響いた。同時にボン、ボン、と鈍い音を残しておとりとなる火炎玉のフレアが機外に自動発射された。「右だ!」機体が傾き、急激に右へ旋回する。続いて左旋回。さらに右旋回、左旋回と警報が消えるまで切り返しは続いた。

警報機はミサイル接近を探知すると鳴る。イラクに出回っているのは旧ソ連製の地対空携帯ミサイル「SA7」だ。熱源のエンジンめがけて飛び、機体近くで炸裂する・・・バクダッド便を経験した乗員は同じ感想を抱くという。「これは訓練ではない。実戦なのだ」・・・イラク特措法に基づいてクエートに派遣されている空自部隊約200人は、日本政府の決定により昨年7月31日からバクダッドへの飛行を開始した。そこで求められたのは「ミサイルからの回避行動」。それまでは一度もなかったことだ。

警報が鳴り、回避行動をとった回数について、空自幹部は「頻繁にある」と驚くべき証言をする。「空自が狙われているのか」との問いに、統合幕僚監部運用二課長は「撃たれたことは一度もない」と断言する。それでは機械の誤作動なのか。昨年12月に帰国した一佐は「『分からない』というのが正確な答えだ」

 昨年9月、首相官邸。安倍官房長(当時)のもとへ空自幹部が報告に出向いた。
 幹部「多国籍軍には月30件ぐらいの航空機への攻撃が報告されています」
 安倍「危ないですね」
 幹部「だから自衛隊が行っているのです」
 安倍「撃たれたら騒がれるでしょうね」
 幹部「その時、怖いのは『なぜそんな危険なところに行っているんだ』という声が上がることです」
 安倍「ああ、それなら大丈夫です。安全でないことは小泉首相(当時)も国会で答弁していますから」・・・

 この記事によって米国の戦争のために日本の自衛隊が戦地に赴いている事が証明された。日本の防衛とは何の関係もないにもかかわらず、同盟国の戦争を支援するため戦地に自衛隊が派遣されている。これはれっきとした集団的自衛権の行使である。安倍首相は、ここにきて急に「(現行憲法の中で集団的自衛権の行使が可能となる)解釈の余地があるか検討してみる」と言い出したが、少なくとも今日までの憲法9条の解釈では集団的自衛権は認められていない。現実が先行しているのだ。

 メディアや国民の関心は陸上自衛隊がサマワから撤収してから急速に薄れてしまった。その裏で日本政府は航空自衛隊による米軍支援を続け、その活動の詳細を公表せず、論議を封印したまま7月に期限切れとなるイラク特措法の延長を図ろうとしている。米国の上下院議会が米兵の早期撤収を可決したと言うのにである。
 そういえば26日の共同通信は、米国防総省高官が、日本海上に配備する次世代ミサイル(SM3)は米国へ向かうミサイル(テポドン2)を撃ち落すことを想定していると共同通信の取材に応じた事を報じていた。これも集団的自衛権の行使を当然視した発言だ。

 現実がどんどん先行し、その後を追って、解釈改憲、条文改憲が行われていくのだ。日本政府は現実と法のギャップを覆い隠すために、早晩改憲に踏み切らざるを得ない。あらゆる手段を講じて国民投票による国民の承認を確保しようとしてくるに違いない。

 しかしどのような宣伝、広報、情報操作を政府が行おうと、「今憲法を変えることは米軍の戦争に巻き込まれる」という単純・自明な真実を国民が直視すれば、まともな国民であれば、「ちょっと待ってくれ。それはおかしいんじゃないか」と思うはずだ。

 戦後60余年の歴史の中ではじめて、政府と国民のガチンコ勝負の時が来る。一人の国民でも、バラバラな国民でも、反対票が集まると大きな力となる。国民のたった1票で政府の違憲を裁く事ができる。日本を米国の軍事支配から救うことが出来るのだ。


Actual Policy Comes First. The Constitution Follows It After.

 Amid the fierce protests from peace loving people of Japan Former Prime Minister Koizumi dared to send Japanese Ground Self-Defense Force to Iraq in the name of humanitarian and reconstruction assistance. But at the same time Air Self-Defense Force was also sent to Iraq for supporting US military operation.

 Since Ground Self-Defense Force was withdrawn completing their job in last July media seldom reported Japan’s involvement in US war in Iraq and therefore Japanese people seem to have lost their interest in Iraq war.

 The series of special articles of Tokyo Shinbun starting from 25 March, however, reminded us that Air Self-Defense Force continues or even strengthens its support US war.

 Prime Minister Abe who succeeded Mr. Koizumi last September takes over the policy of sending Air Self-Defense Force to Iraq and even extends its tenure for another two years.

 The article of Tokyo Shinbun of 25 March so clearly tells Japanese people the reality of Air Self-Defense Force’s activities in Iraq. The activity of Air Self-Defense Force is nothing to do with defending Japan and Japanese people but only supporting US war against Iraq.

 This obviously violates the article 9 of Japan’s Constitution which limits Self-Defense force’s activity only defending Japan and Japanese people.

 This means actual policy goes beyond the current Constitution. the Japanese Government has to either stop her support of US fighting in Iraq or to amend the Constitution enabling Self-defense Force to fight overseas for US 's war.

 SinceJapanese Government believes Japan-US military alliance comes first she takes it for granted to discard the Article 9. On the other hand lots of Japanese people believe the Article 9 has protected Japan from being involved in wars.

 If Abe Government passes the controversial National Referendum Law and tries to amend the Constitution a showdown between the Government and the Japanese people who are against the amendment will be unavoidable. This might be a historical moment. If the people wins its is a sort of the firts people's revolution of Japan

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2007年03月29日

閑話休題 イラク帰還兵のさけび

閑話休題
イラク帰還兵のさけび

 3月26日の毎日新聞「風に吹かれて」 in the U.S.A.から、米国イラク帰還兵(25歳)の言葉を引用したい。日本の若い自衛隊員諸君はこの言葉をどういう思いで聞くであろうか。

 自衛隊員も、私も、そしていまやほとんどの日本国民が戦争というものを知らない。しかしこの米国の帰還兵のように、自分がイラクの戦場へ一兵卒として行かされた時の事を想像することはできる。そう思って次の言葉を噛みしめることはできる。

進軍した最初のころ、終戦を知らないイラク兵が撃ってきた。撃ってくるから、もちろん殺した。そのうち夜に攻撃されるようになった。体温を感知する赤外線ゴーグルをつけて民家を捜索していると、近づくイラク人が見えるんだ。何度も、何度も、来る。殺したイラク人の遺体を運んだ・・・おれは隣にいる男、仲間のために戦った。だが、友人は死んだ。なぜ妻子がいる友人が死んで、独り者のおれが生き残ったのか、分からない。

帰国してから眠れなくなった。夜中に叫び声をあげ、汗をかいて起きる。遺体を運ぶ夢を繰り返しみる・・・酒を飲んだ。麻薬を始めた。両親は「違う人間になった」と嘆いた。元軍人の父に説明しようとしたが、わかってもらえなかった・・・星条旗に包まれたひつぎ、墓地、砂漠などを見ると、フラッシュバックに襲われる。でも、ここ(ホームレス収容所)には同じ経験をした元兵士がいて話ができる。一人で我慢しなくていいんだ

 もちろん、この米国帰還兵たちの犠牲になったイラク人側の無数の叫びがある。平和過ぎる日本に身を置いてやたらに好戦的な言辞を叫ぶ連中には、この悲惨な声が聞こえないのか。ロサンゼルスからこの記事を発信した国枝すみれ特派員は、そう我々に問いかけているに違いない。

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2007年03月29日

人材バンク構想をわらう

人材バンク構想をわらう

 今日29日の各紙は、人事院が28日に発表した「国家公務員の民間企業への再就職状況をまとめた年次報告」(いわゆる天下り白書)を報じていた。その記事には元同僚であった各省の官僚が役員や顧問でさまざまな会社に天下っている一覧表がついていた。それを見ながら元同僚たちの顔を思い浮かべた。あいつがこんなところへいっているのか、いい思いをしているなあ、しかしろくな仕事もなく、つまらん人生だなあ、などの思いが浮かんでは消える。たしかに天下りは官僚の甘やかしだ。これほどまでに世の中の雇用形態や雇用事情が様変わりしているというのに、旧態依然とした官僚の再就職保証が手付かずで残っている事は驚きである。そしてそれはとりもなおさずこの国の官僚支配、官僚天国の醜悪な姿を浮き彫りにしている。

 世間は天下りの実態についてどれほどわかっているのかと思う。天下りには大別して二つの種類がある。もちろんそのいずれもが官僚甘やかしで、一刻も早く全廃されるべきである。

 ひとつはキャリアの早期天下りである。これは同期生が幹部になる50歳前後から、幹部になれなかった者に対する救済のような形で与えられるポストである。出世という名誉を得られなかったかわりに生活面での厚遇を保証するというものだ。年下の上司の下で働くことが当たり前の民間企業にくらべ、なんという甘やかしであろうか。

 もうひとつは60歳を過ぎて定年退職したあとも保証される再就職である。これはノンキャリアにも当てはまる。

 いずれの場合も、最終ポストの軽重によって優遇度に差はあるというものの、70歳過ぎまで色々な職場が既得権益のごとく用意されている。

 天下り先は、純粋な民間企業の場合と、各省庁の関連団体やそのまた孫団体のような機関への再就職の場合の二通りがある。前者は当然利権と結びつく。後者は税金泥棒となる。

 このように考えると天下り防止策として連日新聞を賑わせている「新人材バンクの創設」なるものが、いかに甘っちょろい、馬鹿げたものであるかがわかるだろう。それは「各省庁の押し付け的な天下りをなくす」という、天下りのごく一部分のみをいじくろうとする目くらましに過ぎない。おまけにその人材バンク創設には税金を使った予算措置を講じるというのである。不透明きわまりない。それさえもいつから導入するかで政治家や官僚が大喧嘩しているのである。話にならない。

 3月28日の朝日新聞「経済気象台」に、的確な意見がのっていた。「・・・この人材バンクで天下りの何を根本から変えようと言うのか・・・まずやるべきは、独立法人などの縮小、廃止である・・・併せてやるべきは民間企業への公務員の再就職期間の強化・延長である。ゆめゆめ解除などしてはならない。もしそれらを抜きにして人材バンクを立ち上げるなら、それはおそらく官にとって最も都合のよい天下り促進機構になってしまうだろう」

 当然過ぎる意見だ。ひとつだけ付言してこの不愉快な天下りに関する私のブログを終えることとする。「天下りを規制すると優秀な人間が集まらなくなる」とか、「官僚の優秀な知見を民間で活用すべきだ」などという意見が必ず出てくる。この考えこそが天下りがなくならない元凶なのである。優秀な人間や、志のある人間は、天下りなどなくても官僚を目指すものだ。仮に天下りを廃止したから優秀な人間が集まらないのであれば、所詮は官僚という職業はそういうものであると世間に見られているのだ。そんな組織は縮小すればいいだけの話だ。官僚の優秀な知見を民間が必要とするなどという意見に至っては民間軽視もはなはだしい。親官庁とのパイプ以外に官僚の古手にどんな知見があるというのか。国家権力を手放した官僚がいかに使い物にならないかは、民間企業が一番知っているはずである。その民間企業が、国家権力にゴマをすっておいしい目をさせてもらおうとする浅ましい考えのない企業であれば。


About Abolishing So-Called Descending From Heaven Practices

 In Japan public servant is neither public nor servant. They are aristocratic and masters. Amid the severe employment situation in Japan only bureaucrats or public servants enjoy favorable treatment. They are guaranteed to stay untill 60 years old and even after they retire they are offered new posts by governments. They go to either private companies which governments ask to accept or various subsidiary organizations which governments create st the tax-payers' money. indeed It is Descending from Heaven posts.

 It is natural that people are so angry at this practice and ask the government to abolish this. Mr. Abe, who is so desperate for recovering his decaying popularity, made it clear that he would introduce the measure to redress this unpopular practices. He seems to faces, however, a strong resistance from the bureaucrats.

 As a compromise he try to establish a new company which facilitates retiring bureaucrats to get a new jobs in the private companies. This idea itself is nothing but spoiling bureaucrats. In Japan bureaucrats are the strongest.

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2007年03月28日

「質問主意書」新党をつくろう

「質問主意書」新党をつくろう

 このブログの読者の中には間違いなく官僚がいる。だから本当はこんな事を書くと警戒されてしまうのだが、それを承知で敢えて書く。「質問主意書」新党を国民はつくるべきだということを。

 質問主意書は国会法74条にもとづいて国会議員が内閣に対して行う文書による質問である。内閣は閣議決定を経てその答えを議長を通じ7日以内にその議員に文書で答弁しなくてはならない。

 これを有名にさせたのが鈴木宗男である。一人政党の新党大地には国会での質問時間は割り当てられない。それを逆手にとって鈴木宗男は質問主意書を連発したのだ。残念ながら鈴木宗男の質問は外務省に対する嫌がらせのような次元の低い質問がほとんどであった。だからメディアも国民もこの質問主意書の本当の重要性に気づいていない。しかし、もし国会議員が国民に代って政府のさまざまな政策についてまじめな質問をし、政府を追い詰め、政府の答えをメディアを通じ国民に情報公開したらどうか。おそらく最も有効、かつ強力な情報公開の手段となるであろう。

 3月28日の日経新聞に、今大騒ぎをしている天下り問題に関する政府答弁書の記事が出ていた。国家公務員の天下りについて、政府答弁は「国民の目から見て押し付け的なものも含まれている」と認めたうえで、「官製談合等の背景には押し付け的なあっせんがあったであろう」と踏み込んだのだ。この表現をめぐっては、閣議決定の前の各省次官会議で次官の一部から反対の声があがりいったんは閣議決定見送りの観測も浮上したが、総理官邸側の判断で押し切ったという。そんな経緯があるほど政府を追い詰めた質問主意書であったのだ。無所属の国会議員である江田憲司衆議院議員が質問主意書を提出したからこそ、政府を追い詰められたのだ。

 いまや国会審議は完全に空洞化している。一方において自民党の八百長質問が延々と続き、野党の質問に対しては、政府はまともに答えようとはしない。共産党や社民党の弱小野党はろくな質問時間を与えてもらえない。こんな中での国会質問は茶番である。そんな質問を繰り返すよりも、良質で鋭い質問主意書をどんどんと政府にぶつけ、政府の政策を追及するほうがはるかに効果的である。

 そのためには国会議員に頼まなければならない。しかし大部分の国会議員は政党に属しているために、必ずしも国民の知りたい事、聞きたいことをそのまま質問してくれるとは限らない。しかも質問の手柄は所属政党のものになる。これでは本物の質問にはなりえない。

 だから新しい政党をつくるのだ。もっぱら国民に代って質問主意書を政府に提出し、その答えを国民に届ける役目を果たす国会議員を一人国会に送り込むのだ。たとえば私が何らかの形で国会議員になったとしよう。直ちに「質問主意書」新党を立ち上げて国民に呼びかける。国の政策について知りたいことはないかと。あるいは国民の中から有識者を集め良質の質問を作っていく。そしてそれらをどんどんと政府にぶつけていってその答えを国民に情報公開する。国民との連絡はすべてインターネットで行えばよい。自らのHPで公開してもよい。既存の政党に属さないので自由に何でもできる。国民の支持が広がれば複数の政治家を当選させることができるようになるだろう。政権政党など目指す必要はない。国民の声を代弁し、どの政党が政権をとろうとも、政府を監視し続ける「質問主意書」政党に徹すればいいのだ。国民の支持が広がり複数の優秀な政治家を擁するようになると、キャステイングボートさえ握れるようになるかも知れないのだ。これこそが私が考えるまったく新しい政党なのである。

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2007年03月28日

「沖縄密約」訴訟の判決に思う

「沖縄密約」訴訟の判決に思う

 3月27日、東京地裁は、「沖縄密約」を否定した日本政府を相手取った元毎日新聞記者西山太吉氏の損害賠償の訴えを、「除訴期間(権利の存続期間、20年)を過ぎており、賠償請求権は消滅している」として棄却した。

 この事件については若干の説明を要する。沖縄返還協定で定められていた返還地の復元補償費400万ドルの米軍負担を日本政府が肩代わりするとの密約の存在が明らかにされたのは72年の国会審議における野党議員の質問からであった。しかし密約の存在の有無という本質的な問題がはぐらかされ、西山氏が外務省の女性職員をそそのかして極秘電信文を入手したというスキャンダルに世間の関心が集中した。西山氏は機密漏洩罪で起訴され、78年の最高裁判決により懲役4ヶ月執行猶予一年の刑に服する事が確定した。ところがその後2000年5月に密約の存在を裏付ける公文書が米政府の秘密解除により明らかにされた。西山氏は05年4月、「密約を否定した日本政府により名誉を傷つけられた」として損害賠償を求める訴訟を起こしていたのだ。その後06年2月に密約の当事者である吉野文六元アメリカ局長が北海道新聞などに密約の存在を認める発言を行うまでに至った。ここまで事実が明らかになったにもかかわらず、政府、外務省は一切なかったといい続けている。そんな中での西山訴訟であり、今回の東京地裁の判決であったのだ。

 この判決については次の三点を指摘しなければならない。ひとつはこの国の司法が政治権力に完全に屈服しているということだ。すなわちこの国の裁判官は政府に不利になる判決を決しておこなわない。一部の良識ある裁判官によって政府の犯罪が裁かれることがあっても、それは極めて例外であって、そのような判決を行う裁判官は批判され、左遷される。遺書まで書いて正しい判決を書かなければならないのだ。しかも、大方の裁判官の卑怯なところは、訴訟の内容を正面から受け止め、審理を尽くして政府弁護の判決を下すのではなく、今回のように訴えの資格がないという理由で退ける態度である。つまり裁判官の良心から逃げているのである。私は自衛隊のイラク派遣違憲訴訟の原告の一人として、この現実を目撃してきた。

 二つ目は黒を白といい続ける政府、外務省の脆弱さである。きょう(28日)の読売新聞はその社説で、「密約がなかったというこれまでの政府の答弁をもう撤回してもいい時ではないか」と書いている。あの読売でさえ、麻生外務大臣の「密約というものはございません」、小泉前首相の「外務大臣の答弁した通り。おかしいとは思っておりません」という答弁を、「言い張るな」と言っているのである。政府や外務省が、その時の判断が国益上正しかったと思うのであれば、米国の公文書が公開された時点でその存在を認めるべきであったのだ。その勇気さえ持たない今の政府、外務省の態度は、米国、英国を含め世界がイラク戦争の間違いを認めている今になっても、ただ一人「正しかった」と言い続けている態度とまったく同じである。事実を認める勇気がないのである。自らの政策に自信が持てないのである。後ろめたさを引きずり続ける政府や外務省は、やがて精神の荒廃を来たして内部崩壊していくであろう。

 三つ目はこの西山事件の重要性を深刻に報道しない大手メディアのジャーナリズム精神の放棄である。インターネットの急速な発展によって既存の報道メディアはやがてその存在価値が失われていくと言われている。おそらくそうなっていくであろう。権力におもねり、権力者の不正や真実の追究を怠るジャーナリズムはもはやジャーナリズムではない。彼らの行き着く先は娯楽番組だけになるのだろう。「やらせ」がここまで広く、深く浸透しているということはそういうことなのだ。嘘でもなんでも面白ければいいのだ。これはジャーナリズムではない。

 西山氏は、「勝ち負けの問題ではない。違法な秘密の問題性を発信し続けていく。最後までやる」と控訴の意向を明らかにしたという。私は一面識もないこの西山氏の勇気に喝采を送りたい。さまざまな権力の不当な犠牲になっている人たちはこの西山氏の苦しい戦いに支援を送るべきだ。正しいことを言い続ける者にはいつか必ず報われる時が来る。嘘を言い続けるものたちは自らの嘘の重みに耐えられず崩壊する時がいずれ来る。少数派がいつの日か多数派に逆転する日が来る。今の日本の混迷は、日本がその限界点に近づきつつある事を示しているような気がするのである。

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2007年03月27日

みのもんたのセクハラ事件とこの国の正体

みのもんたのセクハラ事件とこの国の正体

 これから書く事は「みのもんた」という報道人の醜聞についてではない。もちろん個人攻撃ではない。この問題の対応にこの国の正体を見た、その事を書きたいのだ。それは一つには強者に弱く弱者をいじめるこの国の後進性であり、もう一つはその体質を象徴するこの国の大手メディアの姿勢である。

 みのもんたがセクハラを行ったのは間違いない。個人的体験からそう断言できる。次の文章を読んでいただきたい。これは昨年の11月29日に展望社という出版会社のHPに寄稿した私の文章である。

 皆さんは、毎朝のニュース番組であるみのもんたの「朝ズバッ!」をご承知だと思う。私はみのもんたが特段好きという訳ではないが何故か憎めない。しかしそんな彼でも許せない発言を見逃すわけにはいかない。

 あれはジャパンカップで、ディープインパクトが勝った翌日だったから11月27日の「朝ズバッ!」だったと思う。ディープインパクトはこの勝利の後、今年最後のGIレースである有馬記念を最後に引退する事になっている。そしてその後は種牡馬として第二の人生(馬生?)を送ることは競馬ファンなら誰でも知っている。

 みのもんたはそのことを茶化して「うらやましいなあ、男冥利に尽きる」と発言した後、隣の若い女子アナウンサーに、「どういう意味だかわかる?」とニヤニヤしながら質問した。そのアナウンサーは戸惑いながら一生懸命言葉を選んで答えていたが、みのもんたは執拗に「それは具体的にどういう意味か」とたたみかけたのだ。言葉に窮した女子アナウンサーを前にみのもんたは最後に、「それを種付けというんだ」と言い放った。

 これをセクハラと言わずしてなんという。朝早くからこのようなみのもんたの増長振りを全国放送で聞かされた私は不愉快であったが、もっと残念だったのはこの発言をたしなめるメディアがまったくなかったことだ。あるいは私が見落としているのか、あるいはこれからどこかのメディアがこれを取り上げるのか、それはわからない。しかしもしこのみのもんたの発言がこのまま何も無かったかのように封印されるとすれば、私はこの国のメディアのふがいなさを糾弾せざるを得ない。弱いものいじめはいくらでもするが視聴率を稼げる人気者の不始末は見過ごす、それが今のメディアに違いない。

 今回の事件から明るみになったみのもんたのセクハラはもっとひどいようだ。周囲の間では皆が知っていた。それにもかかわらず放置されていたという。

 この問題を最初に報じたのは4月5日・12日号の週刊女性セブンだ。その後に週刊フライデーや週刊ポスト、週刊アサヒ芸能などが報じている。しかしテレビや大手新聞は不思議な沈黙を守っている。まるで腫れ物にさわるようだ。 

 私がどうしても許せないのが、セクハラの被害者である女子アナウンサーを悪者にするかのような報道姿勢である。例えば3月27日の日刊ゲンダイなんかはひどい書き方をしている。被害者である女子アナを実名で報道した上で、彼女の評判について「上司とも同僚ともうちとけないタイプですね。飲みに誘っても断る事が多くて、同僚も誘いづらいといっています。」と貶め、あげくの果ては、「(みのは)仲間とわいわいやるのが大好きだからね。セクハラといってもみのには悪気がなかったんじゃないかな」などという関係者の弁護発言を引用する。あべこべだろう。この女子アナには何の非もない。100%被害者だ。それにもかかわらず、左遷され今肩身の狭い思いの毎日を過ごしているのだ。天下の視聴率男「みのもんた」様を困らせた悪い女と言われているに違いない。

 権力に弱いメディア、強者の不正を告発したり強者の立場を悪くするような言動をした者に対する軽蔑とバッシング、そしてなによりも、権力者の都合の悪い事はすべてをうやむやにしてしまう隠蔽体質。みのもんたのセクハラ事件は、今日のこの国の病を見事に示している。


Sexual Harassment of a Famous TV Commentator in Japan

 A weekly magazine scooped that Mino Monta, one of the most popular TV commentators in Japan committed a sexual harassment to his colleagues.

 This scoop must have been a sensational scandal but strangely enough none of the major TV or newspapers did follow up this scoop and now the scandal seems to be silenced. Mino Monta continues to appear in TV as if nothing has happened. The victim of the sexual harassment kept silence as if she was forced to do so.

 This strange phenomina so clearly illustrate Today’s Japan. Firstly the status of women in Japan is so weak even today in Japan. Secondly media are weak and flattery to the power. Mino is one of the most popular commentators in Japan and media have taken advantage of his popularity for their lucrative programs. More importantly Japanese people are generous about the scandal of the powerful man while they are harsh toward the weak's misbehavior. In short this incident shows Japan has not yet been a true democratic country.

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2007年03月26日

閑話休題 経済的自立のすすめ

閑話休題
経済的自立のすすめ

 若い人たちから助言を求められることがある。今なすべき事はなにかと。そんな時に私はこう答える事にしている。なるべく早い段階で経済的自立を確保するように目標を設定しろと。最低限の生活を確保できれば、あとは自分の好きな事をしながら人生を送る事が出来る理想的な人生を追求できるのだ。なによりも精神の自立が得られる。自分に正直な発言が出来るようになる。要するに自分を解放できるのだ。定年になってから自由になっても、それはもう遅いのだ。

 なぜ私がいきなりこんな事を書くかというと、3月22日の毎日新聞に出ていた、北海道大学教授(行政学)山口二郎氏の言葉に大いに頷くことがあったからである。山口氏はこう言っている。


(かつては)自立した市民が、腐敗した官僚や自民党を乗り越え、民主政治を作り出すというイメージを持っていた。その市民は、やはり安定した職を持つ存在です。それが新聞を読み、テレビの報道番組を見て、批判的知性を持つ。そういう民主主義を考えていました・・・この議論は、戦後の経済成長と再配分の蓄積で人々が中流意識を持てたからこそのものでした。その蓄積を食い潰し、なりふり構わぬ新自由主義が展開されると、市民の生活は相当に陥没してきた。私が想定してきた市民は実は非常に脆弱なもので、もう一回、生活をきっちり確保しないと、民主政治がどうだなんて議論はできないと考えています。

山口は、小泉改革なるものによって格差がひろがり、一握りの金持ちの裏で大多数の経済的弱者が生まれてしまった、その弱者は健全な政治的批判力を失い、強者の乱暴な言動にあこがれる、かくして日本の社会は右傾化した閉塞社会になってしまったというのだ。為政者の思う壺だ。

 経済的自立の重要性は、清沢きよし(さんずいへんに列と書く)という戦前の反戦外交評論家の生き様をみれば頷ける。2月25日の日経新聞の「日記をのぞく」という連載でつぎのような興味あるエピソードを私は見つけた。

反戦、反軍国主義を訴えた清沢は内閣情報局から執筆を禁止され原稿料が途絶えた。そんな時どうやって暮らしていたかというと、株式の配当にたよったほか、所有地を畑にして暮らしたという。言論人としての独立を守るためには経済的自立、つまり生活基盤の安定が大切であると清沢は考えていたのだ。それがあればこそ、孤立を恐れずに自分の信念を訴え続けられるのだ。

 上記の二つの引用は、政治活動や言論活動に限られるものではない。今日を生きるあらゆる人間に共通して当てはまる事だと思う。まず自分の手で継続的、安定的な必要最低限の経済的自立を確保することだ。その後は無限の可能性が広がる。大金持ちを目指すのも良い。清貧に甘んじるのも良い。自然と共生する人生を求めるのも良い。自分で納得できる人生を自分の手で選ぶ事が出来るのだ。そしてそのような自立した生活が出来る者こそ人生の勝者なのだ。金の多寡では決してない。

 日本外交が行き詰まるのは米国から自立できないからである。米国に逆らったら怖いと言う幻影におびえているからである。その檻から解き放たれた時、日本は大空を自由に飛べるようになる。日本も日本人ももっと自分を信じるべきだ。そして檻を破る勇気を持つべきなのである。

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2007年03月25日

官僚のつくる法律に支配される国民生活

官僚のつくる法律に支配される国民生活

 24日のブログに続いて、もう一回だけこの国の不条理な政治システムについて書きたい。

 賢明なる読者のはたして何人が、ゲートキーパー(門番)法案なるものが23日の衆院本会議で可決されたことを知っているだろうか。私はもちろん知らなかった。24日の東京新聞「こちら特捜部」を読むまでは。

 いつものことながら東京新聞の「こちら特捜部」の特集記事は、国民に重要な問題提起をしてくれている。今回は犯罪収益移転防止法案という難しい名前の法案(俗称ゲートキーパー法案)について我々に注意喚起している。

 この法案は、反対派にとっては密告義務化法案と呼ばれているらしい。共謀罪法案、個人情報保護法と並んで、テロ対策強化の名目で猛スピードで導入されようとしている権力法案である。(政府はOECDの合意に基づいて国内法を整備しなければならないと例によって国際的要請を強調するが、OECDの勧告は決して拘束力のあるものではない。立法化の動きを見せていない国も多い)。

 具体的には、犯罪組織のマネーロンダリング防止を目的として、金融機関、不動産業者、貴金属商など38業種を「門番」とし、①顧客の本人確認②取引記録の7年間保存③犯罪の疑いのある取引の監督官庁への通報などを義務付け、違反すれば罰金を科すというとんでもない法案である。

 東京新聞は「デスクメモ」でこう締めくくっている。「犯罪収益の疑いのある客のことを通報しないと、懲役や億単位の罰金の危険(がある)。それにおびえた業者が無実の客を通報するケースが心配だ。客は通報の事実を知らされないから、弁明も出来ない。「疑い」も抽象的だ。厳罰化やマイノリティー白眼視の空気が強まる中、この制度がモンスター化する危険はないか」

 私がここで問題にするのはこの法案の是非ではない。この法案はその一例に過ぎない。我々国民の生活に多大の影響を与える法律案が、我々の知らないところでどんどんと作られ、十分な審議もなく成立し、気がついたら我々の行動を縛っている、この現実である。いくらその法律に不満を抱いても、成立してしまったらもはやどうにもならない。この不条理な現実を読者と共に考えたいと思うからである。

 この国では法案をつくるのは官僚である。官僚がつくる訳だから、官僚に広範な裁量を与え何でも出来る抜け穴を必ず設ける。本来立法は国民に選ばれた政治家が、国民のために行うものであるはずなのに、今の政治家は選挙と政権争いに明け暮れて、法律をつくる暇も能力もないのが現状だ。

 与党の殆どの政治家は中身もわからずに採決の時だけ出席して票決に参加するだけだ。民主党は第二自民党だからチェック機能を果たせない。いまや極端に少数政党になった共産党や社民党の議員は、数少ない議員が100本を超える法案を読むだけで精一杯だ。ほとんどパンク状態なのである。しかも国会質問の時間さえろくに与えられない始末だ。国会での議論が形骸化しているのはこのためだ。そして最後は数に任せた強行採決だ。なにしろ、存在しない浄水器や、飲んでもいない還元水を平気で口にする閣僚が、何の咎めもなく放置される国会なのである。チェック機能は完全に失われている。

 地方選挙が始まった。参議院選挙もその後に控えている。しかし既存の政治家や政党がどんなマニフェストを作っても、どんな奇麗事を叫んでも、今の政治システムが続く限り、国民の真の利益は決して守られることはない。政治が国民と乖離したところで、政治屋と政治評論家の飯の種にさせられているのだ。無党派層が増えるのは当然である。彼らはけっして政治に無関心なのではない。今の政治に期待が持てないからである。どうすればこの現状を変えることが出来るだろうか。意見を聞かせて欲しい。


Japanese People Are So Disappointed with the Current Political Situation

 This year Japanese people face crucial elections, i.e. election of local governments in April and the national election of the Upper House in July.

 According to the recent polls, however, the percentage of the people who do not support any of the existing political parties now becomes bigger than ever. The people who don’t support any political party now outnumber the people by far who support the LDP, the biggest government party.

 The major reason of this nation-wide apathy toward politics comes from the fact that the LDP lost the support of the Japanese national and yet it stays in the power. The biggest opposition party, the Democratic party is a mini-LDP which fails to demonstrate a clear cut alternative platform against the LDP’s. The Socialist Party and the Communist Party, which show the alternative, are too ideological and cannot attract the sympathy of the general public.

 But these are not the only reason of the political apathywhy. The more serious derives from the fact that it is bureaucrats , not the legislators, who virtually draft every bills neglecting the wish of the people. The politicians are too busy to win the next election and they are all preoccupied with winning the political power. They rubber stamp the draft bills prepared by bureaucrats. No matter how strong opposition parties are against bills, the government party finally resorts to the violence of majority. No wonder Japanese people become apathetic. How about your country?

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2007年03月24日

国民の手の届かないところで日本の風景が変えられていく

国民の手の届かないところで日本の風景が変えられていく

 外交批評しかできない私が様々なテーマに口を出すのはおこがましいとは思うが、もと官僚として、官僚のやっていることは手に取るようにわかるので、口を出さずにはいられない。
 次の二つのテーマは日本の風景(単に景色だけではなく日本という国の姿という意味)にかかわる大問題だと思う。それを、国民の反対を押し切って、あるいは官僚の裁量で、どんどんと進められていっていいのだろうかと思う。国民はもっと声をあげてよい。

1.公的資金を使った農地集約
 3月22日の朝日新聞は一面トップでこのニュースを報じていた。すなわち政府(農水省)は2008年度から公的資金(税金)を投じて全国の市町村に「農業再生機構」(仮称)を順次設置し、耕作放棄地(遊休地)の利用権を買い取って株式会社など新たな農業の担い手にまとめて売却する仕組みをつくるという。

 これは農業を大規模化して競争力を強化するのが目的であるという建前になっている。しかしその実体は日本の農業のアメリカ化である。企業の大規模農業参入を助けるものだ。かつてコメ自由化が大きな国際問題になったとき、農林省(当時)の構造改善課長は私に言ったものだ。農家を守るのは、日本の田園風景を残すことです、日本のふるさとを守ることです、と。それは嘘であったということだ。日本の田舎が、大型農耕機が走り回る米国の景色に変わっていく。そんな政策を国民が許したというのか。

2.暴走する裁判員制度導入
 いつのまにか法律が通り、平成21年度からいよいよ裁判員制度が導入されるという。最高裁が電通と結託して裁判員制度の宣伝をしている。そう思っていたら今度は企業までこれに協力し始めた。

 3月22日の産経新聞は、トヨタ自動車やアサヒビールなど、政府に協力的な大企業を使って、各社の社員名簿から裁判員役の職員を選び、模擬裁判を実施すると報じた。模擬裁判に協力する会社はほかに、三菱東京UFJ,東京電力、三井不動産、資生堂などであるという。いずれも政府に従順な大手企業ばかりだ。

 世論調査では国民の8割近くがこの裁判員制度の導入に反対している。それはそうだろう。まともな人間なら、刑事裁判で人を裁くことなどしたくないはずだ。そのためにプロの裁判官がいるのだろう。量刑をテーマにした模擬裁判では人によって量刑が分かれるという。一般市民の判断を取り入れて不平等、不均衡にならないか。

 そもそも何のために裁判員制度が導入されなければならないのか。導入を急がなければならないのか。「国民が刑事裁判に参加することにより、裁判が身近でわかりやすいものとなり、司法に対する国民の信頼向上につながる」ことが目的だという。余計なお世話だ。そんな暇があるくらいなら現行の裁判の質を高める努力をすべきだ。

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2007年03月23日

外国人投資家を非課税扱いする法的根拠を問う

外国人投資家を非課税扱いする法的根拠を問う

 少し前の記事になるが、気にかかっていたのでここで取り上げたい。それは3月17日の日経新聞にのっていた、次のような記事だ。

政府は外国人投資家が保有する地方債の利子収入にかかる所得税や法人税を2008年1月から非課税にする。現在は日本で利子の15%が源泉徴収となっているうえ、海外でも課税されるため。税制改正で外国人投資家が保有しやすくし、投資家の多様化につなげるのが狙い・・・地方債は地方自治体が歳入の不足を補うために発行する債券・・・外国人投資家の保有分が非課税の国債にくらべ、地方債は利回りが高い場合が多く、「超長期債を中心に外国人投資家のニーズがある」(みずほ証券アナリスト)

 要するに地方自治体の財政赤字を埋め合わせるため15%の利子所得免税という差別的優遇して地方債を買わせる(融資させる)という事だ。しかしそれは妥当か。日経新聞の記事は政府と結託して国民の目をそらしているということはないのか。

 この記事を読んで次のような素朴な疑問を抱いた。
まず頭に浮かぶのは、こんな税制上の不平等待遇を法的根拠なく行政の裁量でできるのかと言う事である。我々は民主主義の大原則として、国民の基本的人権や私有財産にかかわるあらゆる政府の行為は、法律なくしてはこれを行えないと聞かされてきた。だからおそらく根拠法があるのだろう。しかし問題は、法律は官僚が作り、その法律が官僚に強大な裁量権をゆだねているという、この国の官僚支配のからくりにある。この記事によれば、「海外でも課税されているため」ということを一つの言い訳にしているが、それは二重課税防止条約で処理すればいいことだ。私は気づかなかったが既に国債については非課税になっているらしい。いつ、どんな根拠でそれがなされたのか。その時議論は起こらなかったのか。国の財政は地方に負けず劣らず赤字である。だから財務省の役人が海外に出張して国債を売り込んでいることは報道で知っていた。しかし非課税にしているとは知らなかった。地方債がそれに続くのは時間の問題だったわけだ。地方債の主管庁は総務省(旧自治省)である。縄張り争いからも財務省に遅れをとるわけには行かないのだ。

 もう一つの質問が国債、地方債という借金を外国人投資家にゆだねる事に危険はないのかということである。日本の国債、地方債はそのほとんどが日本人の手によって保有されているから、いくら債務が増えても(外国人は日本が破産してもお構いなしに債権を取り立ててくるかもしれないが、日本人の場合は日本のためを思うから)安心だと、ついこの間まで聞かされてきた。もはやそんな事を言っていられないほど債務問題が深刻になったということだろうか。日経の記事によれば07年度の見込みでは外国人投資家の保有残高は1%にも満たないという。しかしこれが急速に増えない保証はない。

 それにもまして、やはり15%の非課税と言う不平等さだ。外国人投資家といってもそれが法人である場合はその原資は日本人が出資している場合が多い。投資の世界では黒い目の外国人投資家が常識だ。金を持った日本人投資家が優遇されるということではないのか。その裏には官僚と投資会社と資産運営に余念のない金持ち日本人の三者のもたれあいの危険が残る。もう一つの格差が日本人の間で生まれることにならないか。


Some Thoughts on Japanese Government’s Recent Decision of Tax Exemption Treatment for Foreign Investors

 The Nikkei Journal of March 17 says that Japanese Government will introduce tax exemption treatment from the beginning of 2008 for foreign investors who hold local governments’ bonds. In other words interest income tax of 15% will be exempted.

 Reading this article it occurred to me the following fundamental questions:

 Firstly it is not clear that on which specific law the government( in this case the Ministry of Internal Affairs) is allow to introduce such discriminatory tax measures. There might be a law which I am not aware of. But even if the relevant law exists it is so certain that the law gives the bureaucrats an ample scope of discretion so that bureaucrats can decide virtually everything. In Japan any law is drafted by bureaucrats and lawmakers (parliamentarians) pass the law without understanding the contents.

 Secondly it is dangerous to invite foreign investors to purchase Governments’ Bonds because they are so volatile to cash bonds. They don't care whether Japan defualts or not.At the moment the percentage of foreign investors share is negligible but it might be increasing quickly.

 Thirdly the definition of foreign investors is so vague. It is widely known most of the money which foreign investors operate come from Japanese investors. Therefore an unequal treatment occurrs between the rich and the poor. In any event this new policy measures contains a danger of collusion among bureaucrats, financial companies and so-called foreign investors.

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2007年03月22日

参院選出馬を目指す佐藤元先遣隊長の発言の軽さ

参院選出馬を目指す佐藤元イラク先遣隊長の発言の軽さ

 このブログを書き始めた時、私はそれを英語に要訳して世界に発信しようと考えた。日本で何が行われているかについて世界中の人々に知らせようと考えたからだ。

 しかし、自分がどうしても書きたいと思うテーマが、必ずしも世界の関心になりそうもないと思えることが多い。それを英訳にしても外国の人たちにはピンと来ないだろう。そう思うと英訳をする気が起こらない。英訳をしたり、しなかったりすると、悲しいかなたちまち英訳することが面倒になってくる。そういう訳で「閑話休題」が増えてくる。これもその一つである。そう思って読み流しいていただきたい。

  週刊現代の3月31日号に、「ひげのイラク先遣隊長」として有名になった佐藤正久氏の「イラク秘話」なるものが出ていた。彼は最近講談社からイラク自衛隊「戦闘記」を上梓したらしい。その宣伝をかねて同じ講談社の週刊現代が宣伝インタビューを載せたということだ。立派な営業活動に文句を言うつもりはない。

 さらに言えば、佐藤正久氏は夏の参院選に出馬すると報じられている。おそらく全国比例区で出馬して自民党票の上積みに貢献し、自らも100万人の自衛隊とその家族の票を集めて当選するのだろう。今度の出版は、名前を売り込む為にタイミングよく出版されたものに違いない。これら一連の講談社と佐藤氏の連係プレーについても、私がとやかく口を挟む筋合いのものではない。

 しかし私は心