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2007年01月23日

閑話休題 パレスチナ問題に取り組むフォトジャーナリスト広河隆一

閑話休題  パレスチナ問題に取り組むフォトジャーナリト広河隆一

 1月20日の夕、私は都内で開かれた「広河隆一パレスチナ記録フィルム試写会」の集まりに行った。そして彼がこれからの人生を賭けて取り組もうとしている記録映画の一部を見た。驚いた。そして感動した。世界で誰一人として本格的に取り組んでいない「パレスチナの消えた村々」の記録を纏め上げるというのだ。40年かけて自ら撮り続けた膨大なフィルムをつなぎ合わせたそのドキュメンタリーは、見るだけでも30時間以上に及ぶ。それを若者たちの力を借りて一人で行うというのだ。
 外務省勤務34年余を振り返って、私が「仕事らしい仕事を経験した」と実感するのは、南アフリカのアパルトヘイト(黒人隔離政策)と中東のパレスチナ紛争にかかわることが出来た事だ。アパルトヘイト問題はネルソン・マンデラという類まれな黒人指導者が94年に南アの大統領になることによって解決をみた。ところがパレスチナ紛争は解決の目途がたたないばかりか、世界の平和と安全を脅かすほどの深刻な事態に発展している。解決が困難な最大の理由はイスラエルによるパレスチナ弾圧の歴史が、明らかにされないままに闇に葬り去られようとしているからだ。世界がパレスチナ問題の本質を知らされていないからだ。広河はその闇を照射しようとしているのだ。
 これは大変な事業である。世界的な反響を呼ぶ作品になる。同時にまた作り方次第では米国、イスラエルの圧力をまともに受ける作品になる危険性がある。あらゆる批判を許さないイスラエルとそのイスラエルを全面的に擁護する米国への批判になるおそれがある。
 それでも敢えてこの難事業に一人挑戦する広河を突き動かすものは何か。それは彼の次の言葉に象徴的に表れている。
 「・・・パレスチナ難民が発生し、イスラエル国家が誕生した1948年から再来年で60年になりますが、この48年に何が起こったのかは、今でも世界ではほとんど何も知られていないままです。真実はいまだ歴史の闇に埋もれているのです。それを解き明かすには当時の記憶がある人々に出来るだけ多く会って、インタビューをするほかありません・・・私は、パレスチナ問題の根源に当たる難民発生の問題を知らなければ、パレスチナで現在起こっている出来事を理解することは出来ないという思いをいよいよ強くしました・・・」
 そして広河は続けるのだ。これは何もパレスチナ問題に限った事ではない、日本が中国やアジアで何をしてきたか、それを体験した人々が生きている間に正しく記録に残さない限り、私たちは不毛な論争を繰り返し、再び誤りを犯すことになる・・・と。
 今年還暦を迎える私は、もはや自らの情熱をかけて取り組むべき人生の課題はなくなりつつある。どうでもいいのだ。四季の移り変わりに目をとめ、耳を傾けながら草木や野鳥と語り合って過ごせれば至福であると思う。
  しかし私が外交官人生の最後に遭遇したこのパレスチナ問題だけについては別だ。この問題だけは今しばし関わって行きたい。その行き先を見届けたい。そう思っていた矢先に広河氏の記録映画作成に出くわした。及ばずながら協力させていただきたい、そう決断した1月20日の試写会であった。
 関心のある読者のために連絡先を紹介しておきたい。
{1コマ}サポーター事務局
YIU27625@nifty.com
FAX 045-894-0763

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2007年01月23日

クラスター爆弾禁止の国際会議をボイコットする日本外交

        クラスター爆弾禁止の国際会議をボイコットする日本外交

  日本外交がその建前と本音において大きく乖離していることは今に始まったことではない。しかしクラスター爆弾の禁止を求める国際会議に日本がここまで消極的なのには驚かされる。なぜなのか。平和外交を掲げる日本が消極的になる理由はどこにもないはずだ。
  私がクラスター爆弾禁止条約をつくろうとする国際会議があることを知ったのは昨年12月18日付の毎日新聞夕刊の記事からであった。その記事は、ノルウェー政府がクラスター爆弾禁止に積極的な国や被害国の「有志」を集めて禁止条約づくりの国際会議を開催しようとしていると報じていた。すでに35の国や市民団体に招待状を送ったが、その中には、クラスター爆弾禁止に消極的な日本や、クラスター爆弾を生産・使用している米・中・露、イスラエルは含まれていないというその記事は伝えていた。
  招待されるまでもなく日本こそ率先してこのような会議に協力すべきではないのか。招待されなかったからといってヘソを曲げて不参加を決め込んだとしたら情けない。日本も参加したいと手を上げて参加すべきではないか、そう思ってこの記事を読んだ。
  ところが実は日本はこの会議に反対していたと言うことを知って驚いた。1月6日の毎日新聞によると、昨年11月13日、ジュネーブの国連欧州本部において、クラスター爆弾禁止を推進するNGOとの共同記者会見に臨んだ田中信明国連事務次長(軍縮担当)は、こう言って新条約作りへの高まる期待に冷水を浴びせたというのだ。外務省から国連職員に一時的に天下っている田中が日本政府の意向を反映して言動していることは明らかだ。
  「・・・一部の国だけで進めるならば、それはNGO(非政府組織)が批判する米国と同じ一方的な行動になってしまう・・・」
  田中はついこの間まで外務省で机をならべて仕事をした一年後輩の元同僚だ。田中よ、なぜそんな発言をしたのだ。国連の会議にしようという提案が多くの国連加盟国の反対で否決されたからやむを得ずノルウェーは有志国の会議にせざるを得なかったのだろう。日本政府もその国連会議に反対したのではないのか。なぜだ。平和外交を掲げ、人道外交を謳う日本が、無辜の子供たちの命を奪うクラスター爆弾という非人道的な殺戮武器を禁止することに反対する理由はどこにもないではないか。
  有志国や非政府組織の主導で条約づくりが進められた例として96年にカナダと市民団体がイニシアチブを取った対人地雷全面禁止条約(オタワ条約)がある。地雷を製造している国内業者の利益を損ねるとする防衛庁の反対で最初は消極的であった外務省も、これを知った小渕首相(当時)の一声で方向転換し、あわてて条約に署名した経緯がある。なぜ外務省は安倍首相に伝えて「平和に貢献する日本外交」を実現しようと努力しなかったのか。
  前掲の毎日新聞は元防衛研究所教官、岩本誠吾・京都産業大学教授のつぎのような言葉を紹介している。
  「・・・非人道性を訴えるキャンペーンは理解できるが、現実には軍事的必要性を感じる人たちがいる限り、その兵器をなくすのは困難だ・・・」。驚くべき発言だ。非人道的兵器を認めているのだ。外務省は米軍再編をめぐる防衛庁との主導権争いにうつつを抜かすより、平和外交の実現をめぐってこそ防衛省と闘うべきなのだ。
  クラスター爆弾は米国・イスラエルがイラクやレバノンで人体実験のごとく使っている。まさか米国・イスラエルに気兼ねしてクラスター爆弾を禁止出来ないのではないだろうな。もしそうであるならもはや語る言葉を私は持たない。外務省を批判する気にもならない。
 クラスター爆弾禁止条約国際会議は2月22日―23日にノルウェーの首都オスロで開かれる。日本外交の正体を見届けたい。

  Why Japan Boycotted the International Conference of Banning the Cluster Bombs?

  When I read the article of the Mainichi Journal of Dec 18 last year telling me that the International Conference be held in Oslo and yet Japan was not invited,
  I was wondering why so and why Japan did not asked Norway to invite Japan. There was no reason for Japan not to Join the nternational cooperation banning the cluster bombs that are so cruel and inhuman.
I was so shocked to know through another Mainichi article of Jan 6 which told me Japan itself criticize the conference. According to that article Norway proposed UN to organize a UN conference on banning the cluster bombs but many countries opposed it. Therefore Norway had no choice but organizing another conference which is composed of only willing countries and NGO.
Japanese diplomat Mr. Nobuaki Tanaka now working as deputy UN Secretary General for Disarmament criticized NGOs in the press conference saying that organizing the like-minded conference against the opposition of many UN member countries means the same of US unilateralism which NGOs ciriticize so harshly.
It is said Japanese military industries are lobbying Defence Ministry not join the conference. But real reason for Japan not enthusiastic about the conference is the fact that US and Israel use cluster bombs in Iraq and Gaza. Japanese Government does not and cannot undertake any independent diplomacy against the interest of these two countries. Even if that diplomacy suits well Peace and Humaniterian Diplomacy which Japan so repeatedly declared towards the international community.
 

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2007年01月23日

閑話休題ー仙波さんを支援する会に参加して

      閑話休題―仙波さんを支援する会に参加して

  1月19日私は四国松山を訪れ「仙波敏郎巡査部長を支援する会」の集まりに参加した。現職の警察官でありながら裏金づくりの実態を記者会見で告発したのは丁度二年前だった。その二周年記念集会に参加したのだ。
  組織を離れて孤立無援だった私にとって新聞で読んだ仙波氏の勇気ある行動は何よりもの励みになった。一度会って話がしたかった。それがやっと実現したのだ。
  仙波さんは告発した一週間後に閑職に配置転換され職場軟禁の状態だった。その不当人事の撤回を求めて仙波さんは闘って来た。それを弁護士たちと支援者が支えた。06年6月ついに県人事委員会は「人事権の濫用」を認定し「異動は妥当性を欠く不利益処分」と断じた。名誉は挽回された。しかし元の職場に復帰したところで「裏切り者」には変わりはない。仙波さんにとってはつらい毎日に違いなかった。
  しかし仙波氏の表情は意外に明るかった。それは「自分はいささかも後ろめたいところはない」という強さがあるからだろう。事実、裏金作りのための偽造領収書の署名を最後まで拒んできたただ一人の警察官であった。だからこそその告発に迫力があったのだ。
  そうは言っても現職の警察官でありながら告発をした事に対する警察組織の圧力は大変なものであったに違いない。その中で毎日を過ごした仙波さんの辛さは想像を絶する。「支援の会」を司会していた代表者の一人が、はじめて姿を見せたという仙波さんの年老いた母親の姿を前の席に見つけ、思わず涙ぐんで言葉が途切れるという一幕があった。その光景こそ過去2年間の仙波さんの苦労を象徴的に表していると感じた。そういえば私も心配をかけた母親がいた。今は亡き自分の母親の面影を仙波さんのお母さんに重ねていた。
  それにしても仙波さんは幸せだと思った。仙波さんを支えてくれる支援者がこれだけいるのだ。不当人事を撤回させた多くの弁護士がいるのだ。だからこそ2年間をがんばることが出来たのだろう。孤立無援の私には羨ましく思えた。
  帰り際に私は仙波さんに私の思いを伝えた。あなたがこれからなすべきことは定年までのあと2年間を歯を食いしばって勤めあげることだ。間違ってもこれ以上あなたは裏金の追及をやってはいけない。これ以上警察を追い込んで警察の反発を招くようなことをしてはならない。後は県民の仕事だ。司法の仕事だ。メデイアの仕事だ。そしてこのまま無事に定年まで勤めあげることが出来ればその時こそあなたの正しさが揺るぎのないものとなるのだ。その時はゆっくり酒でも飲みましょう・・・と。
  もしあの時・・・と私は帰りの飛行機の中で考えた。もしあの時、多くの警察官が仙波さんの勇気に動かされ裏金の事実を語りだしたとしたら・・・百人、二百人単位の警察官が告発の正しさを語り始めたらおそらく検察も司法も動かざるを得なかっただろう。警察組織全体が犯罪を認めざるを得なかっただろう。山が動いただろう。
  イラク戦争にしてもそうだ。もしあの時外務省の多くの職員が立ち上がり米国の不当を批判していたならば、その米国を支持した小泉首相の判断が間違いだと声を上げていれば、日本外交は正しさを取り戻せたに違いない。日本はここまで米国のイラク戦争に巻き込まれずにすんだに違いない。小泉首相の責任もまた間違いなく問われていたのだ。
  現実は決してそうはならなかった。警察組織は微動だにしていない。小泉首相は任期を全うしイラクの状況の悪化などどこ吹く風と言わんばかりに私的生活を楽しんでいるという。
  それでも私は晴れやかな気分で岐路についた。これだけ多くの善意の人たちに囲まれてしばし孤立無援の自分を忘れることが出来た。いや私は決して孤立無援ではない。あの米国の不正義な中東政策の犠牲になったアラブの民の怒りと悲しみを背にして今日まで生き続ける事ができたのだ。不正義は必ず正される時が来る。私はブッシュ大統領の行く末を見届けていく。日本外交のこれからを監視していく。

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