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2006年02月28日

【バックナンバー】2006-02-28

2月28日―メディアを創る(最終回)

 読者の皆さんには愛読をありがとうございました。皆様のご意見はすべて目を通しています。その一つ一つにお答えすることはしませんが心から感謝します。
これが最後の文章となります。最終回もいつものように今朝の各紙の報道から適当なテーマを見つけてその所感をつづろうと思いました。しかし、それを始めてしまうといつまでたっても「メディアを創る」を終えることが出来なくなります。書きたい事は山ほどあるのですがきっぱりと振り切って、最後はこの話で締めくくろうと思います。
 私はこのあいだ一つの夢をみました。私は睡眠時間は極端に少ないのですが、集中的に眠るとみえてあまり夢は見ません。しかしその夜は珍しく夢をみました。夢ですからところどころ奇妙なところがあるのですが、しかし今でも鮮明に思い出す事のできる妙に印象的な夢でした。決して笑わないで下さい。これは作り話ではありません。私が先日見た夢なのです。象徴的な夢を見たと思っています。それを再現する事によって最終回とさせていただきます。
皆さん、叱咤、激励を本当にありがとうございました。さようなら。

  将軍の姿をした小泉首相が、居並ぶ家来たち一人一人の前を通り過ぎようとしている場面から始まる。なぜか私がその中の一人として伏臥している。小泉将軍が私の脇を通り過ぎようとしたとき、しっかりと目が合った。
 小泉将軍、「なんだお前のその目は。敵意に満ちている・・・」
   私   「おそれいります・・・」
 小泉将軍 「そこに控えろ」
        そういうや小泉将軍は正座して相対する私に腰の刀をすばやく抜いて全力で振り下ろした。刀は私の顔面数センチのところを、空を切って振り下ろされた。
 小泉将軍 「何故よけなかった」
   私   「あなたは私を切るおつもりではなかった」
        その言葉に気色ばんだ小泉将軍は、こんどは三十センチほどの竹の定規(ここのところが夢なのでなんとも滑稽なのですが)を持ち出してきて、何故か上半身を裸にした私の右の胸に力いっぱい押し付けてきた。
 小泉将軍 「 こんどはどうじゃ」
        私は無言のままその定規の先を胸に受けて引き下がらなかった。小泉首相は手加減をすることなくグイグイとその竹の定規を力いっぱい私の胸に押し付けてきた。やがて強烈な痛みとともに竹の定規は私の胸をつき破りそうになった。私は間一髪のところで引き下がり、将軍にこう言った。
   私   「もういいでしょう。傷つくのは将軍様、あなただ」
        小泉首相はいまいましい表情をしてその場を立ち去るのだった。

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2006年02月27日

【バックナンバー】2006-02-27

 「・・・改革それ自体は目的とはなり得ない。改革の結果、物事が改善されるのでなければならない。このようなあまりにも当たり前のことをあえて言うのは、最近の日本では、果たして事態の改善につながるか否かが十分検討されないまま、とにかく、改革、改革と大声で叫ばれ、少しでも慎重論を唱えればたちまち守旧派と非難される状況になっているように思うからである・・・」

 このような書き出しで始まる投稿が27日の読売新聞の「論点」に掲載された。筆者は元駐米大使、外務事務次官を経験した斉藤邦彦氏である。この寄稿論文には小泉首相のことは、勿論ひと言も触れてはいない。しかしその全文を貫いているのは明らかに小泉改革批判である。この論文の末尾では小泉首相が叱責した谷垣財務相の消費税引き上げ発言を擁護するオマケまでついているのだ。

 やはり外務省OBで駐米大使、事務次官を経験した栗山尚一氏が、今年の初めに、外務省の広報月刊誌外交フォーラムで小泉首相の靖国参拝を批判する論文を寄稿したことがあった。これを目にした小泉首相が不快感をあらわにしたという報道がなされた。同時に又、小泉首相の独断外交に手を焼いている外務省が、OBの口を借りて小泉首相の暴走を止めようとしているという情けない推測記事も当時見られた。

 今度の斉藤氏も栗山氏と同じように外務省の本流中の本流を歩いたミスター外務省と自他共に認めた人である。それがここまで明確に小泉改革に疑義を呈しているのである。外務省による小泉首相へのあらたな挑戦状であるのか。小泉首相の目にとまらないはずはない。靖国参拝とならんで、いやそれ以上に小泉首相が入れ込んでいる「改革」路線についての批判である。今後関係者の間で話題にならないはずはない。

 それにしても、栗山氏といい、斉藤氏といい、現役を退官した自由の身であるとはいえども、現職中は政府の立場を代弁し続けた官僚たちである。その官僚たちが小泉首相を批判し始めたということは、小泉首相が所詮は二流首相であると見くびられているのか、あるいは先が見えてきたので遠慮はいらないと思われ始めたのか。それとも、密約を告白したOB吉野文六氏に触発されて、権力に逆らってまでも自分の信じることを発言する勇気を持つようになったということか。いずれにしても外務官僚という人間を良く知っている私にとって極めて興味深い斉藤氏の寄稿文である。

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2006年02月26日

【バックナンバー】2006-02-26

 ハーバード大学長であるローレンス・サマーズ氏がとうとう辞任を表明したらしい。そのことについての26日の毎日新聞の論説「余禄」がおもしろかった。自他ともに認める世界で最も有名な大学のひとつであるハーバード大学の学長に、そもそもなぜサマーズ氏のような攻撃的な人物が選ばれたのか。確かに、28歳にしてハーバードの終身在職権を手にし、おじさん2人がノーベル経済学を受賞しているサマーズ氏は、いずれハーバード大学学長にと目されていたのかもしれない。その意味で順当な人選であったのかもしれない。しかし同時に謙虚さを彼に求めるのは無駄だとも言われるほどの傲慢な人であった。なぜもっと穏やかな人物を学長にしなかったか。この問いに対して毎日新聞の論説は「答えは簡単」と次のように書いている。
 「・・・企業同様、大学もいま、世界的競争にさらされている・・・のんびりした学長ではハーバードといえども、世界の一流大学の地位から滑り落ちないからだ。ハーバードが世界の世界一であり続けるための腕力が必要であった・・・」というのである。競争至上主義の米国がもたらしたものであるということか。
 その結果、サマーズ学長は「・・・女性が科学で優秀な成績をあげられないのは素質の差だ・・・」という傲慢な問題発言を犯してしまった。しかも、その発言が内外の批判を浴び、教授会の対立を招いたにもかかわらず、サマーズ氏は強硬姿勢を崩さなかった。その末に、対立を解くことができないまま辞任せざるを得ない状況に追い込まれたとすれば皮肉な結末である。米国の社会といえども、いや米国という厳しい社会であるからこそ、有能で傲慢なサマーズ氏さえも辞めざるを得なかったということかもしれない。

 自衛隊諸兄の責任ではないのかも知れないが

 長らく外務官僚をつとめてきた私には、防衛庁にも、自衛隊にも知己はいる。そしてそれらの組織の中に多くの優秀で、善良な人間がいることも知っている。さらに言えば、これから書くことについて、個々の職員を責める気は毛頭ない。また一般論としていえば、日本という国や国民が敵に攻められたとき真っ先に犠牲になって国防に身を捧げる自衛官諸兄に敬意を表する。災害にあった被災者を救済する彼らには感謝する。
 ここまで前置きをした上で、それでも私は一連の報道を見て一つの思いを抱かざるを得ないのである。26日の毎日新聞は一段の小さな記事で、サマワで戦闘が行われた事を報じている。すなわち25日未明、武装グループがイラク軍、警察、イギリス軍の合同オペレーションセンターを襲撃し、銃撃戦となった。24日深夜にはロケット弾が打ち込まれイギリス軍のヘリが出動した。これは戦争ではないのか。イラク特措法に基づいて戦争が起これば自衛隊は即時に撤退しなくてはならなかったのではないか。これまでも同様にサマワで戦闘がたびたび起きていた。それにもかかわらず、国会で一切議論がなされなかった。自衛隊の撤収が目前に迫っている今の時点でさえも、自衛隊のイラク派遣は一体何だったのかという根本問題が一切議論されないでいるのだ。
 おりしも21日、千葉県で二等陸曹が万引きでつかまったという事件が報じられた。その理由が「イラクへ行きたくなかったからやった」という。その言葉を聴いて情けないと思った。しかし私がもっと残念に思うのは、米国の間違った戦争に付き合わされて、しかも明らかに「法の支配」を犯してイラクへの派遣を命ぜられることについて、タダの一人もこれに抗議して自衛官を辞する若者が出てこないという現実である。「自分は日本を守るために自衛官を志したのだ」という科白を吐いて小泉首相に辞表を叩きつけるような若い自衛官が、嘘でもいいから現れてほしいと思う。

 これはどういう意味であろうか

 26日の東京新聞の一面で、要因が確保できないために、新防衛計画大綱の目玉に位置づけられた緊急即応集団が、直轄連隊を持たないまま発足せざるを得ないという記事が掲載されていた。
 これはどういうことなのか。緊急即応連隊は、他の普通科連隊と違って担当地域を持たず、ゲリラ攻撃への対抗や海外派遣の先遣隊として活用が見込まれているという。危険な活動に従事する人員のやりくりが出来ないということか。今後の自衛隊の活動の危険化にともなって自衛隊要因の必要数確保さえも困難になるということか。米国の要求に応じるためには、国民への協力、すなわち徴兵制に必要性が将来不可避的になるということか。この記事の意味するところについて教えてもらいたい。

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2006年02月25日

【バックナンバー】2006-02-25

2月25日―メディアを創る

 中東は燃えている

 ここ一両日に報じられた中東からのニュースは、米国のイラク攻撃に端を発する中東情勢がいよいよ深刻な局面を迎えてきたことを示している。
鳴り物入りで行われたイラクの連邦議会選挙が昨年12月に実施されたにもかかわらず正式政府の発足の見通しは混迷のままだ。そんな中でシーア派の聖廟が攻撃され、その報復としてスンニ派のモスク襲撃が各地で起きている。専門家によればこれまでで最悪な宗派抗争であるという。
その一方でサウディアラビアの石油施設を狙った初の本格的なテロが発生した。主要施設から1.5キロの地点で銃撃戦となり二台の車の自爆はパイプラインに引火した。幸いすぐ消化され大事にいたらなかったが、アブカイクという石油処理施設は世界最大であるとされサウディアラビアの原油輸出の三分の二はここを経由するという。深刻なテロが起こったら世界の一大事だったに違いない。
一方ブッシュ大統領は20日ウィスコンシン州ミルウオーキーで演説し、「政情が不安定な国や米国の原油に依存すれば原油が人質にとられて米国の影響力が低下する」と警告した。ブッシュ大統領はすでに1月末の一般教書演説で中東の石油原油への依存を軽減し資源代替エネルギー開発を推進する方針を明らかにした。これは原油を戦略武器として使ってきた米国の歴史上特筆すべき政策転換である。その背後には中国との世界規模の石油争奪戦に敗れつつある事情もある。
米国は23日、ネバダで21ヶ月ぶりに臨界前核実験を実施した。テロに対していつでも核兵器を使うという意思表明だ。世界の批判などお構いなしだ。その一方で「国際原子力エネルギーパートナーシップ構想」を発表し、核燃料の濃縮や再処理を核保有国5カ国と日本だけに限定する意向を世界に示した。日本政府は、唯一の被爆国であるにもかかわらず喜んでこの構想に協力するらしい。
イランの核開発問題は解決の兆しはない。それどころかイランは米国から兵糧攻めにあっているパレスチナのハマスに財政支援を約束し、シリアとの協力を強め、レバノンの反米武装組織ヒズボラへ支援を強めている。ライス国務長官は急遽レバノンを訪れレバノンの親米派をてこ入れしようとしているが、うまくいっていない。レバノンは十数年前の内戦終結以来最大の内戦危機に見舞われている。
このような中東情勢が、不透明なイラク情勢に影響を及ぼさないはずはない。核拡散を恐れる米国は、すぐにでもイランの各施設を攻撃したいところであろうが、その場合のイランの抵抗はイラクの比ではないだろう。イラクをはじめ中東各地で反米テロが起きるであろう。ブッシュ政権は、その強がりとは裏腹に今最大のジレンマに陥っているに違いない。
米国のイラク攻撃はここにきて文字通りその失敗を露呈しつつある。小泉首相はそんな中東情勢に何の関与も出来ないままに自分の任期中にイラク陸自の撤退にこだわっているという。自衛隊に死者が出ないうちに撤収し、イラク派遣が成功だったという事にしたいのだ。なんという低次元の発想であろう。無事にイラク陸自の撤収が行われたとしても、間違った米国のイラク攻撃に加担した歴史的誤りを拭い去る事はできない。いやそれよりも中東情勢を悪化させた共犯者として歴史に名をとどめることであろう。中東は燃えようとしているのである。

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2006年02月24日

【バックナンバー】2006-02-24

2月24日―メディアを創る

 老外交官を告白に向かわせたもの

 最近の報道で私が最も驚いたものに、日米密約に関する元外務省アメリカ局長吉野文六氏(87歳)の告白がある。71年の沖縄返還協定の陰で、米国が負担すべき土地の原状回復費用400万ドルを日本が肩代わりしたと告白したのだ。
 この密約の存在は、これまでも外務省機密公電の暴露(西山事件)や米国公文書の公開などで周知の秘密であるが、外務省高官、しかもアメリカ局長というまさに当時の担当最高幹部がその存在を認めたことは衝撃的だ。
 しかし私がもっとも驚いたのは、24日の朝日新聞で語った彼の次の言葉だ。
「(00年に我部琉球大学教授と朝日新聞が米公文書で密約の存在を見つけたとき)外務省の事務当局から電話があり『密約は存在しない』と否定してほしいと頼まれた」、「(西山事件のおかげで、問題の核心が密約文書の存在から、女性職員との情を通じた機密漏えい問題に世論の関心が移ったおかげで)国会で何度も嘘をついていたので個人的には助かった」、「とにかく沖縄返還協定を国会で批准させることが大事だった。あとは野となれ山となれという気持ちだった」、「国会でも法廷でも『忘れた』という以上、忘れなきゃいかん。意識的に記憶から消そうとしてきた。その方が良心の呵責を覚えなくてすむ」、「400万ドルの肩代わりというのは小さな密約(日米軍事同盟の裏にはもっと深刻な密約がある意)。米軍再編が続くなかで沖縄をどうするかという本質的な議論に移ってほしい」
 読者にはどこまでこの発言が凄いものかお分かりではないだろうが、これらの発言は今すぐ国会で証人喚問して追及すべき程の衝撃的なものなのである。外務省はさぞかし、「何を血迷ったのか、この老いぼれめ」と怒っていることだろう。その外務省に振付けられた政府や外務大臣は、「全くそういう密約はなかったと報告を受けている」(安倍官房長官)、「この話しは終わっている。外務省の態度に変化はない」(麻生外務大臣)。
 何が老外交官をしてここまでの告白に向かわせたのであろう。それはやはり小泉政権が住民の気持ちを無視して在日米軍再編へ突き進む事に対する抗議ではないのかと思う。自分の過去の誤りをここで吐露しなければ死んでも死にきれないという思いなのであろう。
 吉野局長は私がまだ外務省に入ったばかりの駆け出しの頃、アメリカ局長という仰ぎ見る立場にいた人であった。幹部にしては珍しい温厚で正直そうな人であった。写真で見るこの老いた外交官の勇気に私はひざまずいてその小さな体を抱きしめたい思いである。

ODAにしがみつく外務省

 小泉行革の一環として断行されようとしている政府系金融機関の一本化の動きのなかで、私が興味をもって見守ってきたのが政府開発援助(ODA)をどの政府機関が担当することになるかである。外務省は省をあげてなりふりかまわず工作を続けた。その甲斐あってなんとか主務官庁の地位を死守した。
 そもそもわが国のODAについては、技術協力と無償援助は外務省を主務大臣とする国際協力機構(JICA)が、そして有償援助(円借款)は財務大臣を主務官庁とする国際協力銀行がこれまで担当することになっていた。それが小泉行革の後は国際協力機構に一元化されるという。外務省の大勝利のはずであった。
 ところが2月22日の毎日新聞は一面トップで、この決着の裏で、外務省と財務省の間で「従来の権限関係を変更しない」という密約があったことをスクープしたのだ。このニュースが報じられるや安倍官房長は記者会見を開き、関係省庁の既得権益の温存を認める発言をせざるを得なかった。何のことはない。看板だけは書き換えても実態は従来どおりのニセ改革であるのだ。
 ここで問題にしたいのはそのような小泉改革の欺瞞ではない。何故外務省はそれほどまでに ODAの所管にこだわるのか。ODA絡みの利権が欲しいわけでは決してない。もっとけち臭い、しかし切羽詰った理由があるからだ。すなわちODAの所管を守れるかどうかは空洞化しつつある外務省の生き残りがかかっているのである。
 私が外務省に入って間もない頃、よく聞かされた言葉に「外交一元化」というのがあった。すなわち外交はこれを外務省が一元的に実施する、他の省庁には主導権を渡さない、という外務省至上主義のおごりである。
 国際化の進展に伴い外交が多様化、専門家する中にあって、外務省がそれらすべてを一元的に担当することなど出来るはずはない。それどころか、対米追従外交に安住する外務省は次々とその仕事を各省に奪われていった。挙句の果てに、米軍再編をめぐる日米交渉に見られるごとく、外交の要である安全保障政策の主導権までもいまや防衛庁に奪われる始末である。このうえODAまで手放せば、外務省には領事事務と儀典しか残らなくなって外務省そのものさえ不要になる。だから何があってもODAだけは手放すわけにはいかないのだ。問題はそのODA政策さえも外務省は満足に実施していない、できない、ということである。

 在日米軍再編反対集会に参加して

 2月23日の夕、私は日比谷公園野外音楽堂でおこなわれた在日米軍再編反対のための全国集会なるものに参加した。デモに参加することはあまりしたことがないが、たまたまこの集会を知ったので参加してみた。私はこの米軍再編に対する日本の協力は絶対間違いであると思うからだ。イラク戦争に反対したときと同じように、この歴史に残る間違いに体を張って反対したという事実を自分の人生に刻み込んでおきたかったからだ。
事実この問題は、日本が直面している数ある深刻な問題の中で、もっとも大きな、そして差し迫った問題であると確信しているからだ。3月にも最終合意がなされようとしている在日米軍再編の中間報告を撤回させることができなければ、日本は永久に米国の軍事駐留から解き放たれることはないからだ。護憲を訴える人たちこそ、在日米軍再編のデモに参加すべきだ。なぜならば改憲よりもはるか先に憲法違反の政策が行われるからだ。その後にいくら改憲を叫んでも無意味であるからだ。
デモの前に開かれた集会を最後尾で眺めていた私には言いようのない違和感を覚えた。私のような一般の市民は見かけなかった。のぼりを立てた労組関係者の集まりであった。壇上で演説をしていた福島社民党党首は、「今日はいい女のてんこ盛りです」などとしゃべって傍らの辻元清美を紹介していたが、演説が終わると皆そそくさと立ち去ってデモには姿を見せなかった。共産党の姿は一切見られなかった。この期に及んでも一緒に行動を取れない護憲勢力とは何であろうか。それとも共産党は別のところで共産党だけの集会や行進を行っているのであろうか。
私の目的はデモ行進であるのだからそのままデモに参加した。沖縄一坪反戦地主の団体が「入るところがなかったら一緒に行進しましょう」と声をかけてくれたので、沖縄基地撤廃の横断幕の端を持って一緒に歩いた。
外務省、大蔵省の間の道を登っていった。かつて夜遅くまで働いていた職場であったが今は巨大な国家権力の塊のように思えて拒否感が募った。官邸前を通るとき、「米軍再編に協力する小泉首相を許さないぞ!」というシュプレヒコールに、私もつい力が入って叫んでいた。衆参両院の前で待機していた国会議員に陳情して散会した。社民と民主の議員だけでやはり共産党の議員はいなかった。民主党議員の中には前回の総選挙で民主党に鞍替えした元社民党の横光克彦議員の顔もあった。
散会後一人銀座に向かって歩きながら疑問が湧いてきた。この熱気のなさは何であろうか。こんなことで一般国民の意識を目覚めさせられるのか。それとも他にもっと盛り上がったデモがあるのか。これから盛り上がっていくのか。国会議員はなぜデモに参加しないのか。今こそ市民を率先してデモの先頭に立つべきではないのか等など。
23日の毎日新聞「記者の目」に尾中香尚里という記者が書いていた。
「共産党と社民党の党大会を相次いで取材した・・・本気で改憲阻止を目指すなら、両党はもっと共闘すべきではないか。ささいな理念の違いに縛られ主導権争いに終始すれば、改憲に迷う国民を分断し、改憲阻止の逆効果になりかねない・・・」
それはそうかもしれない。しかし真の共闘など出来るのか。仮に出来たとしても社民、共産の共闘で国民がついてくるのか。民主党が分裂して旧社会党系が統一に加わっても大した力にはならないだろう。組織やイデオロギーを肥えて、普通の一般市民の平和の心を揺さぶるような政党、政治家が生まれてこない限り世の中は変わらないだろう。
やがて銀座の雑踏にたどり着いた。デモなどとはおよそ縁のない大衆の群れがそこにあった。

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2006年02月23日

【バックナンバー】2006-02-23

これからも読者の皆さんとともに歩んで行きたいと思います。

  読者の皆さんから多くのメールを頂きました。私は小泉首相と違って常に迷い、ぶれる人間です。従って多くの読者から、書き続けてほしいというメールを頂いて感動、感謝し、「書き続けるか」という思いになったりもしました。しかしやはり2月28日を持って私のHPは終わらせていただきます。
自分が自らのHPを維持して書き続けるには、やはり覚悟と努力が必要です。そしていい加減なものを書きたくないというこだわりもあります。それを支えてきたのがこの国の政治や、世の中の不正義、不合理に対する怒りでした。しかし、しばらく日本から遠ざかって、再び日本の現状を目の当たりにした時、言いようのない違和感を覚えました。発言し続ける情熱がすっかり消えてしまったのです。書きたいことは山ほどある。この国の現状の不正義は加速度的に膨れ上がっている。それらを前にして、一日中それらに取り組んでいたら自分がダメになるということに気づいたのです。
この国は間違いなく深刻で大きな問題にぶち当たります。それは小泉や安倍がどうのこうのという問題ではもはやありません。私の反権力のエネルギーの源は小泉批判でした。なぜならば彼は間違った首相であり、この国を壊す首相であると見抜いていたからです。警鐘を乱打したかったのです。残念ながら彼は分不相応に長い間首相の座にとどまりました。彼の5年間の無責任な政治が、危機に瀕していたこの国を正常にもどせるかどうかのわずかなチャンスさえ奪い、この国の息の根を止めてしまいました。
さすがの小泉首相の任期も残り少なくなり、もはやあと半年、何も出来ないでしょう。パフォーマンスさえ白々しくなっていくでしょう。それがわかっているにもかかわらず、彼は任期をまっとうするでしょう。国民もそれを許すでしょう。ここにこの国の政治の最大の問題があります。それを許すメディア、国民の救いがたき間違いがあります。もっと危機意識を持たなければ為らないのです。過ちを改めるには一日でも、一刻でも無駄にすべきではないのです。もっと真剣にこの国の将来を考えなければならないのです。世界の動きに目を向けなければならないのです。未だに靖国参拝の問題が繰り返し報じられるような日本、拉致され、助けを求めている国民に何も出来ない国が救いようのない異常な国であるということに気づかなければならないのです。
この半年間は今までの5年間以上に重要な時期です。国際情勢も国内問題も、深刻な問題が加速度的に進んでいく半年になります。それにもかかわらず日本の政治もメディアも国民も、何とかしなくてはならないという切迫感が皆無であり、テレビでは深刻なニュースがすべて言いっ放しのワイドショー化となっています。
そういう状況の中で自分は、我々はどうすればいいのか。それはしばし言論を止め、これから起きるであろう激変の世の中を、息を殺して見守る事だと思うのです。そして起きうる大混乱の犠牲者にならないように、巻き込まれないように、各人が自己防衛をはかりつつ、大混乱から生ずるあらたな日本の国づくりに備えてエネルギーを蓄積し己を磨くことです。
それは必ずしも選挙を繰り返したり、新たな政党に参加したりといった、従来の政治活動である必要はありません。むしろ従来の政治から決別するところから何かが生まれるのかもしれません。今の日本の政治を見ていると、政治そのものが壮大な不良債権と化し、財政赤字の元凶となっていると思うのです。テレビでしゃべっている政治家の誰一人として立派な者はいない。それどころか平凡だけれども毎日を真摯に生きている一般国民よりはるかに劣った人たちばかりです。ましてやテレビに出ていない政治家は、多額の税金を掠め取りながら一体我々に何をしてくれているというのか。極端に言えば政治家そのものが不要なのです。今の日本の政治そのものが不要なのかもしれません。
そう考えたとたんに政治批評を続ける事自体がエネルギーの無駄であると気づいたのです。政治評論家や政治ジャーナリズムは政治で飯を食っている人たちですから、彼らが政治を語る事は、IT関係者がITビジネスに奔走したり、医者が患者を診たり、小説家が本を書いたり、農業従事者が農作物をつくったりするのと同じことです。我々はそれぞれ生きていくために働き、生活費を稼ぎ出す必要があります。そしてそのような様々な人たちの日常的な営みの中にこそ人生の本質があり、尊さがあるのです。私は残された人生をもう一度地面に足をつけた生き方をしてみたいと思うようになりました。
その場合にどうしても大切にしなくてはならないのは、平和であり、公正さであり、権力の横暴に対する断固たる抵抗です。私はもはや日本の政治には関わるつもりはありませんが、改憲をさせないこと、米国の戦争に断固反対すること、沖縄問題に象徴される日米軍事同盟の呪縛からの解放を実現することだけは訴えていこうと思っています。
2月28日まであと何本書くことになるかわかりませんが、それらをもって私の「メディアを創る」の最終章にさせて下さい。書き始めておよそ11ヶ月、累計100万数を越える見知らぬ無言の読者の方々には、改めてここで御礼を述べさせていただきます。皆様の無言の声援なくしては、私は一日たりとも書き続けることは出来なかったと思っています。私が毎日画面に向かって書き続けて居た時、常に向かい合っていたのは、そのような見知らぬ無言の読者でした。そしてそれはもう一人の自分でもありました。私はそのような読者の皆さんとこれからも一緒に歩んで生きたいと思っています。

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2006年02月20日

【バックナンバー】2006-02-20

書く気力が萎えてきた

 わずか一週間ほど日本を離れて再び日本の報道に接してみて、うんざりするほどの異常な気持ちを抱く羽目になった。日本は確かに滅亡に向かって突き進んでいると思う。それを誰も気づかないままに、いや気づいてもどうしようもないというあきらめなのか、報道もテレビも低俗すぎる。
 世界中の国々は多くの問題を抱えていても、生き残こりに真剣だ。国づくりに一生懸命だ。ところが日本はどうか。一体この国の政治家は何をやっているのか。官僚は何が出来るのか。それらを甘やかし続けるメディアや視聴者は何を考えて毎日を過ごしているのか。
 武部の息子が堀江から金をもらったかもらわないか、これに白黒をつけるよう国民は小泉と前原にガチンコ勝負を求めなければならない。どんなことがあってもうやむやにさせてはいけない。小泉政権が倒れるか、民主党が政党として解体するか、どちらかでなければならない。そんなことはさっさと白黒つけて、生き残った政党は、国民の明日のために粉骨砕身して働くべきだ。遊んでいる場合ではない。日本という国の政治が、経済が、社会が、国民が、世界から取り残されつつある。
 一年近く勝手なことを書き続けた私であるが、急速に書く気力を失いつつある。

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2006年02月08日

【バックナンバー】2006-02-08

CIAに日本を売った読売新聞の正力松太郎

 これは超弩級のニュースである。本日発売の週刊新潮2月16日号で、早稲田大学の有馬哲夫という教授が、正力松太郎がCIAに操縦されていた歴史的事実を明らかにした。その根拠は、例によって、米国公文書館の公開された外交機密文書である。しかも彼が見つけた文書はいまだ殆ど誰も手にしていない文書であるという。研究者にとっては願ってもない貴重な文書だったと有馬教授は述べている。この発見がこれからどこまで日本で波紋を広げていくのか。
 その文書から有馬教授が読み解いた事実の一端は次のとおりである。
 まずそのファイルの量である。同じCIAのファイルとして既に研究されている岸信介元首相や重光葵元外相のものと比べても、圧倒的な厚みであるという。CIAが正力を如何に徹底してマークしていたかの証明である。しかも正力を「ポダム」という暗号で呼んでいる。
 正力は東京帝大を出て警察庁につとめ戦前、無政府主義者、共産主義者の取締りで名をあげたという。その正力は政界の大物から大金を借りて当時わずか5万部に低迷していた読売新聞を買収し、自ら陣頭指揮をとって、奇抜な企画や大衆に親しみやすい紙面つくりに励み、毎日、朝日につぐ大新聞に読売を成長させたといわれている。米国はその正力に目を付け、援助を与えることによって彼のマスコミに対する大きな影響力を利用しようとしたのだ。日本全土に、親米・反共のプロパガンダを流す手段にしたのだ。
 今度の研究で具体的に明かされた事実として、CIAが1000万ドルの借款を正力に与えて、全国縦断マイクロ波通信網を建設させようとしていたという。これが完成した暁には、CIAは日本テレビと契約を結んで、アメリカの宣伝と軍事目的に利用する計画であったという。
 幸か不幸か、この工作は成就直前で破綻した。その原因は、「正力とアメリカの国防総省が陰謀をめぐらし、正力がアメリカの軍事目的のために、アメリカの資金で全国的な通信網を建設しようとしている・・・近代国家の中枢神経である通信網を、アメリカに売り渡すのはとんでもない」という怪文書がばらまかれ、国会で取り上げられたためCIAが作戦を見直したからである。
 それにしてもCIAは資金や女性問題、果ては麻薬によるコントロールまであらゆる情報をファイルして工作対象者をマークしていることがこの文書で明らかにされている。正力の場合は、「テレビのベンチャーに対するアメリカの資金供与」と記載されていたと有馬教授は書いている。
 これまでにも岸信介元首相をはじめとして様々な日本の指導者が米国の手先となって、米国の日本間接統治に手を貸していたことが明らかにされている。しかし今回のCIAの正力ファイルはこの事実をここまで詳しく明らかに示した。
読売グループが何故ここまで対米追従のメディアであるのかは、この歴史的事実からつじつまが合う。
あれから半世紀、小泉、竹中は言うに及ばず、米国CIAの日本工作は我々国民の知らないところで驚くべき広さと、深さで進んでいることであろう。しかし恐れる必要はない。その事実が国民に知れた時点で、大きなしっぺ返しを食らう事になる。最後の決めては情報公開である。内部告発でも、密告でもなんでもいい。とにかく一つでも多くの隠された事実を白日の下にさらすことだ。これこそがジャーナリズムの使命であり、醍醐味である。

 9日-15日不在に着き「メディアを創る」を休みます。

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2006年02月07日

【バックナンバー】2006-02-07

岩国住民投票に反対する読売の社説

 2月7日の読売新聞の社説「安全保障政策は対象にならない」を読んで、あらためて読売新聞の偏向とジャーナリズム精神の低さを感じた。
 「国の安全保障にかかわる政策は住民投票になじまない。混乱を招くだけだ・・・」という書き出しで始まるこの社説は、論理性も説得性も何もない。ただひたすらに「住民投票によって米空母移転が拒否されては困る」という政府の意向を代弁しているだけの社説である。一体読売新聞とは何なのか。これでも新聞か、メディアか、ジャーナリズムか。
 どうせ官邸筋か、防衛、外務官僚筋から機密費で飲み食いさせてもらって頼まれたのだろう。国家権力と対峙するという心意気のかけらさえ失って、国家権力との親交関係を喜んでいる御用メディアの姿を見る思いだ。
読売社説が住民投票に反対する理由はこうだ。
  「岩国市は周辺7市町村との合併を控えている。その後は新市長選挙もある。その直前に、新たな市の一部(でしか過ぎない現岩国市)の意思だけを聞く住民投票はおかしい」という。論理が逆ではないのか。基地とは関係のない地区が合併によって新岩国市になったからといって、その住民に基地の切実な問題がわかるのか。従来の岩国市民の意見を聞いてこそ基地問題に関する住民投票の意味があるのだ。
 社説はまた、「市議会の多数は、受け入れを前提に国との対話路線に転換すべきだと主張して住民投票に反対しているから、市政を混乱させる」と言っている。首長と市議会が対立していればなおさら市政の主体である住民が最終的な結論を出すべきではないのか。市長も市議会も住民の意見に従うべきではないのか。
 「在日米軍再編は国の安全保障の問題であって岩国移転問題も『市の権限』外の問題だ」と言うに至っては論外である。
 これを要するに、基地を抱える他の自治体に住民投票が伝染して行ってはたまらないという事に尽きる。とんでもない社説だ。この問題はこれからも岩国市長に大きな圧力となってのしかかってくるであろう。岩国市長は果たしてどこまで住民投票の初志を貫徹できるか。けだし興味深い。

 立花隆と榊原英資

 このおよそ共通点のない二人の言論人が、2月5日の毎日新聞と日経新聞で、奇しくもライブドアの闇の部分について言及していたことを私は興味深く読んだ。
 すなわち立花隆は毎日新聞のロッキード事件の特集記事へ、、「闇世界の核心つけず」と題する寄稿文をよせて次のように書いている。
「・・・規模においても、その仕掛けにおいても、かつて考えられなかったような性格を持つライブドア事件のような一大経済犯罪が生まれてきた・・・このライブドア事件、そのもっとも怪しげな部分は、明らかにブラックの世界に入り込んでいる。事件の中心部分がブラックの世界にあることがわかっていながら、その部分についに手をつけられずに終わったロッキード事件の轍を踏むことなく、事件の徹底究明にあたってほしいものだ」
 他方榊原は、日経新聞ビューポイントで「インサイダー疑惑解明を」と題してこう書いている。
「・・・様々な容疑が問われているようだが、筆者が最も注目したのは、インサイダー取引が行われたかどうかだ・・・金融庁は過去数年、不良債権処理問題には極めて厳しい態度をとってきた。しかしインサイダー取引については、傘下に証券取引等監視委員会を持つのに、殆ど行動をとらなかった。特に『報道』をコンテンツとして持っているインターネット企業が証券業務をやることを許容し、彼らがインサイダー取引をしているかどうかの検査をしてこなかった・・・ライブドアが時間外取引で大量にニッポン放送株を取得した時、伊藤達也前金融相は、『基本的に規制の対象になっていない』とライブドアを事実上容認した。竹中平蔵・元金融相とともに、インターネット企業やファンド系企業のインサイダー取引について、意図的に甘かったと疑われても仕方がない・・・」
  いずれもいま一つ歯切れが悪い。それでも言わんとしていることはわかる。
私はだいぶ前のこのコラムで、ライブドア事件の馬鹿騒ぎ報道の中で、本当の問題が一向に報じられていないイカサマ振りを書いた。その後、野口元取締役の他殺説とか、暴力団絡みの話しとか、投資組合なるものの不透明さなどの、いわゆる「闇」の部分が盛んに報じられるようになった。しかしそれも私にいわせれば所詮は本当の「闇」を隠すダミーでしかない。
本当の「闇」は何か。権力の中枢にあったものがその立場を利用して金儲けをしていたのではないかということだ。政治資金作りでも個人の蓄財でもなんでもよい。親戚、知人へ金を儲けさせたことでもよい。多くの一般投資家が損をしている中で、何らかの情報をいち早く知る立場にあった権力者が、それを利用して濡れ手に粟の金を手にしていたとすれば我々はそれを許せるか。一人でも小泉政権の側近にそのような人物がいたことが明らかになったらどうか。国民の怒号の前に政権は吹っ飛んでしまうであろう。
  はたしてそんな実態が明るみにされるのか。検察は膨大な調査の中からその事実を掴む事ができるのか。仮に掴んだとして、かつて田中元首相を葬ったように小泉政権を崩壊させることが出来るのか。その決意が今の検察幹部にあるのか。そのような正義感が検察にまだ残っているのか。それともすべてを闇のままにして終わらされるのか。
  立花隆の寄稿文の中で、検察の厳しい取調べに抗する事が出来なくなって口を割った伊藤宏丸紅元専務の情景が次のように活写されている。
「・・・「伊藤さん、あなたは背負いきれない重荷を背負っている。それをもうおろしなさい。私がおろすのを手伝ってあげます」の検事のひと言に、激しく泣き始め、十分以上手を震わせて泣き続けてから「申し訳ありませんでした」と供述をはじめたという。この時伊藤の涙の供述を取ったのが、当時最若手の捜査検事であった松尾邦弘検事である。その松尾が今検事総長となってライブドア事件の総指揮を取っている・・・」
  私も官僚の端くれであったから同僚たちの姿を見てよくわかっている。検事総長といえども只の官僚だ。たかが官僚が、手にした絶大な権限を、弱者には苛斂誅求を極めて行使する一方で、権力者には自らの保身の為に手心を加えているとすれば、それは人間の風上にも置けない卑劣な存在である。私は伊藤を泣かせた若き松尾検事が権力の絶頂に上り詰めた今日の姿を監視して行こうと思っている。

 民俗学者・大月隆寛のたわごと

  ついでにもう一つ、関連して書く。2月7日の産経新聞に「断」という小さな囲み記事の論説があった。その筆者である民族学者・大月隆寛が「責任の所在」と題してこう書いている。
 「・・・世のため人のために粉骨砕身、私生活も清貧に甘んじて身ぎれいにー公務員でも政治家でも、そんな絵に描いたような「エラい人」がいまどきそうそういるわけない。第一、ほとんどの人がそんなの勘弁、と思っているはず。自分もしたくない、できないことをどこかの「エラい」誰かに押し付けたまま、そんな消費者意識の横着ばかりが蔓延したら、そりゃどんな社会もなりたつもんじゃない・・・凡人が凡人なりに正気を保って、あたりまえに出来ることを互いにやる、そんな中から「責任」をつむぎ出していく・・・自分もこの社会の当事者なんだ、という前提なしにはどんな民主主義も自由も成り立たない・・・」
 この論評の最大の間違いは、昨今の不祥事で責任を追及されている連中が普通の人間、彼の言う凡人でないことを捨象しているところにある。政治家といい、高級官僚といい、我々は彼らに清貧や粉骨砕身を期待しているわけではない。我々凡人と同じように彼らも又過ちを犯すこともあろう。自分たちは過ちを犯してもいいが彼らが過ちを犯すことは許さないなどと、ないものねだりをしているわけでは全くない。
許せないのは彼らが我々にない特権を享受しておきながら、我々以上に無責任であり卑劣な間違いを重ねて平然としている、この不公平さ、理不尽さを許せないと言っているのである。
民俗学者の大月が社会評論を書くなというつもりはない。何を書いてもいい。それをありがたがって載せる産経新聞というスポンサーがいる以上、言論は自由だ。しかしこれだけはわきまえておいてもらいたい。世の中の多くの凡人の置かれている立場を考えて発言すべきである。その出ない発言は「自分は凡人ではない」と自ら白状しているようなものだ。自分は「エラい」政治家や公務員の仲間だと言っているようなものだ。語るに落ちるとはこのことだ。

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2006年02月04日

【バックナンバー】2006-02-04

墓場まで持っていく秘密などあるものか

 私が大嫌いな言葉に、「墓場まで持っていく秘密」という言葉がある。最後まで真実を明らかにしないという決意を示す言葉だ。それが私的な秘密であれば勝手である。しかし政治家の嘘や公共の利益に反するメディアの自制であれば許されない。秘密を隠し続けて偉そうにするな。  
2月3日の毎日新聞「記者の目」で岸井成格という政治記者がロッキード事件の思い出を書いていた。当時の取材活動を懐かしく振り返りながら、その後の政治記者としての醍醐味を自慢げに語っている。
彼は書いている、「・・・『権力とは何か』を問い続ける立場では、権力闘争、国会対策、派閥、族議員、『黒幕』と『政商』、捜査と政局、内閣総辞職と解散・総選挙、国会の証人喚問と参考人招致、メディアの立場―最近起きている多くの事例を解くカギがロッキード事件にすべてそろっている・・・」
私がここで言いたいのはそんな政治記者の自己満足、自画自賛ではない。次のようなオフレコ話を書いた部分である。
「三木おろし」の中で解散権を封じられたまま、任期満了選挙の敗北で退陣した三木首相に岸井は退陣直後に呼ばれたという。その時の会話を書いている。ロッキード事件の取材で最も心残りは何かと三木首相に聞かれた岸井は「児玉ルートと次期対潜哨戒機導入問題が、手つかずのまま疑惑が残った事です」と答えた(註;ロッキード事件ではロ社―丸紅―全日空「トライスタ」売り込みルートは解明されたが、疑惑の核心である児玉ルートの21億円と軍用機である次期対潜哨戒機導入問題は解明されないまま終わった)。
これに対し三木首相は「そこです。これは大変なことです。国の安全保障の根幹を揺るがしかねない問題です」と答える。
「今頃言われても困ります。なぜ首相として解明するよう指示されなかったのですか」とたずねる岸井に、三木首相は答える。
「結論から言えば、行政や捜査には限界があったということです。ここから先は国会とマスコミの仕事ではないですか」
長々と書いてきたが、私が注目するのは次のくだりである。岸井は当時を振り返ってこう書いている。
「・・・しかし、その壁はとてつもなく厚く、高かった。法務・検察首脳の一人は『(日米の)首脳会談の中身まで捜査せよ、ということですか』と苦笑まじりに答えるのみだった。ニクソン米大統領(当時)は、経営難のロッキード社テコ入れの為、米中央情報局(CIA)まで動員して、世界規模のわいろ商法を展開させた疑いが強い。毎日取材班は、こうした壮大な構図を描いていた。そこへたどり着けなかった悔しさが残る」
私はこの岸井の言葉を額面どおりに受け取らない。苦笑まじりに答えた検察首脳も、それを追及しなかった岸井も、知っていながら喋らなかった、書かなかったのではないのか。権力者と対決する覚悟がなかったのではないのか。残る悔しさは、真実を突き止める事が出来なかったのではなく、真実に迫ろうとする度胸がなかっただけなのではないのか。国家権力の悪に完全と立ち向かうジャーナリストとしての自己犠牲の心がなかったことへの反省ではないのか。
 私が何故こんな事を書くかというと、岸井を初めとした今日の政治記者が、あまりにも小泉政権の不正義を知っていながら許しているからである。政治記者の立場を悪用しているからである。「墓場まで持っていく秘密」などあろうはずがない。権力者の不正を国民に知らせる努力をするからこそ政治記者である。だから我々は彼らの傲慢を許しているのだ。彼らに権力を与えているのである。国がひっくり返ること真実などありはしない。よしんば国がひっくり返っても国民は何の痛痒も感じない。政治記者は格好をつけることなく粛々と真実を発掘して報道する事だ。それが出来ないのなら自らの取材能力のなさを認めるべきだ。権力と対峙できない勇気のなさを恥じるべきだ。

米国産ジャガイモの輸入解禁に見る政治的配慮

殆ど注目されていないが私は見逃さなかった。2日の毎日新聞は農林水産省が米国産ポテトチップス用ジャガイモの輸入を解禁した事を報じていた。その記事によると米国ではジャガイモシストセンチュウという害虫が発生し、だからこそ農水省は米国産ジャガイモの輸入をこれまで禁止してきたのだ。それにもかかわらずその害虫の駆除についてのなんらの説明もないままに①病害虫の発生のない州からの輸入に限定②輸入者は港に隣接した工場に直接搬入して加工する③輸入期間国産ジャガイモの端境期である2-6月に限るという条件で輸入を認めるという。
こんないい加減な行政裁量が許されていいのだろうか。何がその背景にあったのか。
私は豪州の日本大使館とレバノンの日本大使館でりんごとオレンジの輸入を農水省から取り付けようと苦労した事がある。いずれも害虫の駆除について気の遠くなるほどの検査を義務づけている。豪州の場合は外交問題になるほど馬鹿げた交渉の末やっと輸入が認められた。レバノンの場合は初めから相手にされなかった。
米国の場合、政治的配慮に終始していることBSE問題を見るまでもなく明らかだ。表向けには国内果実や野菜に害虫がつかない為だと言っているが本音は国内産業の保護さえ確保されれば消費者の保護は二の次だ。
こんどのジャガイモ輸入再開の条件を見ると一目瞭然である。輸入用のポテトチップスは加工用に限りしかも国産ジャガイモの端境期だけ輸入を認めるので国産ジャガイモに影響はないとわざわざ石原農水次官が2日の定例記者会見で強調している。その一方で病害虫の危険防止については、発生していない州からの輸入だから大丈夫であるとか、港から工場まで直接搬入するから大丈夫だとか、およそ考えられないようないい加減な条件でこれを許可している。
こんな行政裁量があるだろうか。BSEの輸入禁止に対する政治的配慮であるとしたら語るに落ちる話である。

皇室典範改正と郵政改革

 私は皇室が女系になってもいいと思っている。というよりも皇室典範の改正などどうでもいいのだ。我々の生活に影響はない。もっと重要な事は今の日本には山ほどある。暮らしの安全と豊かさへの回復がどれほど必要であるか。嘘と不正に満ち溢れた今の日本を正す事にこの国の指導者は全力を傾けるべきだと思うからだ。
 小泉首相は皇室典範の今国会提出にこだわっているようだ。女系天皇制の持つ複雑な意味はまったく理解せず、圧倒的多数の国民世論が男女平等を支持しているからというただそれだけで皇室典範の改正を強行しようとしているに過ぎない。郵政改革を叫び、「ぶれない」ことで人気を稼いだ小泉首相が、味をしめて、ここでぶれては人気が落ちるとばかり、皇室典範の改正を強引に急いでいるだけの話だ。
 しかし今回はどうなるのか。小泉陣営からも反対の意見が出ている。国民の間でも意見が分かれている。ここで強行に改正を急げば、日本が分断されることになろう。何があっても小泉首相を支持するという小泉ファンは、皇室典範の意味もわからずに小泉支持を続けるであろう。そういう国民と、皇室典範を変えてはならないと確信する国民との間に、日本が分裂する。小泉首相は自民党ではなくこの国を壊すことになる。まったく馬鹿げた話だ。急ぐ必要はないのに小泉首相は任期のある間にぶれてはいけないと、それだけで皇室典範の改正案の今国会提出を急ぐ。それだけの話だ。
 憲法改正で国が分断されるまえに、皇室典範で国が分断される。これほど皮肉な事は無い。このような愚かな首相をやりたい放題にさせてしまった国民の自業自得である。
 
 既存の政党の離合集散ではこの国の政治は絶望的である

 私はもはやこの国の政治に愛想を尽かしているので何でも言える立場にある。だから言うが最近の報道を見てこの国の野党はどれもこれも絶望的だ。
2月4日の日経によれば民主党が4点セットを「対案」を出して攻めるという。ピンとはずれも甚だしい。こんな態度であるから自民党に負かされるのだ。今は自民党の悪を攻めまくる時である。対案などで国民の怒りを吸い上げる事などで気はしない。民主党がいつまでたっても政権に近づけないのは「反対の党ではなく政策の党」であると格好をつけて対案、対案と叫んでいるからだ。小泉ワンフレーズポリテックスを見てみろ。国民はそんな小難しい事を望んでいるわけではない。ストレートに本質をつく事だ。一気に攻められないから、次々と自民党から身内のスキャンダルを出されて腰砕けになるのだ。自民党は笑っていることだろう。
 社民党も絶望的だ。社民党は2日の常任幹事会で自衛隊を違憲だと再び言い出した。今頃になって旧社会党に戻ってしまったかのようだ。これでは国民の支持を広げる事はできない。自衛隊については、戦後60年の歴史的議論を経て国民的合意はつくられたと見るべきだ。つまり自衛隊は自衛隊であって軍隊ではない。同時に国民は災害救助などで活躍する自衛隊を憲法の枠内で認め評価している。そんな自衛隊を違憲といったところで国民の支持を得られるはずはない。自衛隊は専守防衛の存在として、日本固有の自衛隊として現実的に現憲法の制約の中で認められている。それが大方の国民の意識である。それを味方にしようとしない発想が信じられない。むしろ国民的合意を急ぐのは日米安保体制がもはや有益ではなく実害のあるものになりつつあるということだ。このことを国民に知らせ、日米軍事同盟を破棄する事に全力を傾けることだ。村山内閣の時に日米安保体制を認めた時点で社民党は政党の存在性を失ってしまった。
  共産党にはぜひとも頑張ってもらいたい。しかし共産党は変わらない。変われない。国民の支持が広がらない。それを見越して小泉首相は平気で共産党を排除し続けている。そこがわからない共産党を残念に思う。

拉致問題と国民世論

  4日から始まると言う日朝包括並行協議ほど欺瞞的な交渉はない。日本政府が本気になって拉致不明者の救済を求めているのであれば、拉致問題は解決済みとする北朝鮮との交渉はとっくに打ち切られているはずだ。この問題についての北朝鮮側の誠意ある対応がない限り、国交正常化の話など始められるはずはない。普通の国民であれば誰でもそう思うはずだ。
  しかしこのまま北朝鮮との交渉を打ち切ると、自分の手で国交正常化を成し遂げられなくなる、点を稼いだ北朝鮮外交が無残な失敗に終わる、この事に耐えられない小泉首相と、一兆円とも言われる経済援助が喉から手が出るほど欲しい金正日総書記の奇妙な談合があるのだ。だから同時並行交渉といいながら、ウラでどうやって拉致の幕引きをして国交正常化を進めるかを日朝の担当者が必死に話し合おうとしているのだ。小泉首相の任期が切れる9月までに。
  そのためには国民の反北朝鮮世論をこれ以上高めるわけにはいかない。こういう思惑が政府にはある。私はそのような日本政府の正体を見極める一つの試金石として、米国人がつくった横田めぐみさん失踪の映画が、果たして日本で上映されることになるかに注目している。
  報道によれば、横田めぐみさん救出活動を題材にしたドキュメンタリー映画「アブダクション(誘拐)」が、米ユタ州の「スラムダンス映画祭」で観客賞をとったという。本来ならば日本人がつくってもよさそうな映画であるが、日本人は小泉首相に気兼ねしてこんな映画は作らない。
我々は一刻も早くこの映画を日本で見なくてはならない。ところがおそらくそうならないであろう。なぜならばこの映画で日本国民が感動して横田めぐみさん救出の国民的運動が高まると小泉首相は窮地に追い込まれるからだ。政府は圧力をかけて上映できないようにするだろう。すでにその動きは明らかである。日本のアニメや娯楽映画が外国で賞をとれば大騒ぎをするメディアも、この「誘惑」という映画については、まったく報道しない。
  報道が小泉政権に加担しているのは、細木かず子の実弟の逮捕ニュースがまったく報道されず、何もなかったかのように細木かず子のテレビ出演が今でも放置されていることからも明らかだ。普通であれば身内が犯罪を犯せば即座にメディアから叩かれる。締め出される。しかし細木の場合はそうならない。これは単に細木がテレビにとって視聴率が取れる、稼げるというだけではない。細木はかつて自民党に投票しないと「罰が当たるわよ」と選挙違反まがいの発言をメディアに流すほど小泉援護をしてきた。裏でどういうつながりがあるかわからないが明らかに政権側に組して世論を誘導する役割を果たしている。守られて当然なのである。

懲りもせずまだやっている安保理常任理事国入り

 もうずいぶん昔のような気がするが、町村前外務大臣が世界中の日本大使を東京に呼び寄せて檄を飛ばしたのはつい数ヶ月まえだ。日本の安保理常任理事国入りが世界から見放されたにもかかわらず、責任も取らずに同じ顔ぶれの外務官僚がまた動き回っている。よほど他にすることがないのか。
 毎日新聞が、日本がかつての共同提案国である独,、ブラジル、印を裏切って、米国に受け入れやすいよう常任理事国増の数を抑えた新しい日本案を持って世界中を説得に回り始めたとスクープをしたのは1月22日だった。その後1月29日になって日経や東京も同じ記事を流し始めた。
 こんなことで上手く行くはずがない、そう思っていたら、案の定2月2日の朝日新聞がボルトン米国連大使のインタビュー記事で、米国の反対の意見を報じた。
「・・・日本を常任理事国にしようという過去16年間の動きは、すべて失敗であった。そろそろ、簡単な方法はないということを自覚すべきだ・・・今のところ日本の望みを叶え、かつ我々が満足するような案はない・・・」
これを知った日本政府に戸惑いが広がったという。「(我々の案に)難色を示したものかよくわからない・・・米国が積極的に賛成する案が最初から出来るとは思っていない」。こんなとぼけた発言が外務省報道官や幹部の発言である。もう無能外務官僚の出る幕ではない。

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2006年02月03日

【バックナンバー】2006-02-03

少し前の話になるが、1月31日の毎日新聞の「西雷東騒」というコラムで小田実が書いて事を紹介したい。久しぶりに共感を覚える文章に出会ったからだ。
「私は『主権在民』の民主主義を政治の原理としてもつ市民社会の根本は、デモ行進だと考えている。デモ行進は労働組合や過激学生だけがすることではない。市民がさまざまな違いを越えて、共通の主張、反対、抗議の意思表示のために集まり、ともに歩く。これが市民デモ行進であり、市民社会だ」という文章で始まる、「デモ行進と市民社会の成熟」という随筆は、かつてベトナム反戦活動を率いた小田の面目躍如である。
  彼は、「自分は決して奇矯の言を弄しているのではない」として、市民が政治主張をしたいなら、反対、抗議をやりたいなら、選挙を通じてやれ、そのためにこそ議員がいる、政党がある、議会がある、といった反論が間違いであると、要旨次のように述べるのである(筆者要約)。
 「・・・民主主義と市民社会の伝統を持つイギリスのロンドン市長が、イラク反戦のデモ行進に際して『市民よ、デモ行進に立ち上がれ』と発言したことを思い出せ、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、などで何十万人、何百万人の規模のデモが起こったことを思い出せ、これらの国こそ立派な政治制度を持つ国ではないのか。民主主義の起源はアテナイの直接民主主義である。そこでは「選挙」は重要ではなかった。全員自由参加、回り持ち、といった市民の直接参加こそ求められていた。「選挙」が重要となるのは古代ローマからであるが、同時にその時代から民主主義の堕落・衰退が始まり、帝政への道が開かれることになった。現代の民主主義国家ではどうか。市民の生死がかかっている重要な問題でも、首相や議会が勝手に決めて事は始まり、終わる。市民に残された民主主義手段はデモ行進だけだ・・・」
  私は学生時代にはデモを避けて過ごした。官僚になってからは一度もデモに参加することはなかった。その私が外務省を辞めて自由な身になって初めてデモに参加することになった。それは、権力側に身を置いていた時には決して感じなかったこの国の民主政治の限界を、嫌と言うほど見せつけられたからである。選挙で選んだ政治家や政党が、我々の権利や主張をよく代弁してくれない時、最後に残された抗議はデモ行進しかない、小田実の言葉がその通りであると思うようになった。
  そうは言っても、やはり違和感を抱く自分を正直に告白する。何故だろうかと考える。小田が言うように自分は欧米と違って市民社会の成熟度がたりない日本という国の、典型的な国民だからなのか。社会の見る目を恐れるからか。自分の時間を犠牲にしたくないからか。見知らぬ人たちと行動をすることへの警戒感があるのか。かつて仕えた国家権力への畏敬からなのか。おそらくそれらのすべてであろう。
一つだけデモで賛成できないことがある。デモ行進する多くの人が、デモを規制する警官や門衛たちに敵対的な態度を取りがちな事だ。それは間違いだ。我々の敵は権力者である。決して末端の警官や守衛ではない。彼らはむしろ我々の同輩であり味方であるのだ。そこのところを認識せずに闇雲に敵対的になるのでは民主運動も広がらない気がする。敵はあくまでも権力者である。こんな事を言っていては小田実に怒られるであろうか。

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2006年02月01日

【バックナンバー】2006-02-01

日本に民主革命が起きる時

 政治が機能しなくなって久しい。しかし昨今の日本の政治状況を見るにつけ、日本という国は、権力者の暴走が無統制のままに放置されっぱなしの国、強者が弱者を支配し続ける国になってしまったかのようだ。
耐震偽装事件、ライブドア騒動、BSE問題は言うに及ばない。天皇陛下の靖国参拝を求める発言を軽々しく言い放った外務大臣、閣議決定を公然と違反しなお閣僚にとどまっている農水相、組織ぐるみの構造的談合がこれほど明らになっているのに責任を問われない防衛庁長官。これらのどれ一つとってみても、直ちに内閣総辞職につながる政治問題であるはずだ。
 普通であれば大衆革命が起こってもおかしくない不正義が臆面も無く行われている。小泉無責任政治の真骨頂だ。
どうすれば政治が機能するようになるのか。どうすれば弱者が強者と対等に自己主張できる政治状況がつくれるのか。国民の手による民主革命が日本で実現できるのか。私は、その一つのきっかけが、憲法9条改憲の動きを国民投票で阻止できるかどうかにあると考える。政府や国会議員が進めようとしている憲法9条改憲の動きを、国民投票によって国民が拒否できれば、その時は日本で初めての民主革命が起きる時であると考える。それを契機に日本の政治が大きく変わっていく事を期待する。
なぜ憲法9条を守る事が革命なのか。その理由はこうだ。憲法9条の改憲を主張する人々は日米関係を最優先する人である。その人たちは、米国の日本支配によって国民の生命と暮らしが脅かされることを知っていながら、自分だけが助かればよい、自分だけがいい目を見られればよい、損になる事には目を瞑る、黙して本音を語らない打算的な人々である。そのような支配層のまわりに、対米追従政策の犠牲者に真っ先にさせられる事に気づかないお目出度い人が群がる。情報操作に踊らされているとも知らずに、反中、反テロを叫び、右傾化に傾く人たちがいる。
 その一方、護憲を訴える人たちは、米国の軍事優先の政策が間違っていると考える人である。これ以上日本が米国に従属していくと、我々の安全と暮らしが損なわれる事を正しく理解している人たちである。犠牲になるのは自分を含めた一般大衆、弱者であることに気づいている人たちである。強者であっても、自分の事ばかり考えずに、弱者が犠牲にされるような世の中にさせてはならないと考える人たちである。
 強者は弱者に決して支配権を渡そうとはしない。支配者はあらゆる国家権力を使って抵抗者を押さえつけようとする。そのような強者、支配者に付き添って自らの利益を確保しようと考える者は、メディアであれ、財界であれ、御用学者、評論家であれ、強者側に追従する。すなわち政権政党と権力者と勝ち組の国民が国家権力をたらいまわしして自分たちの利権を守っているのだ。
世の中の現実の仕組みがそうである以上、弱者が自らの手で権力を勝ち取る事はできない。暴力革命など日本で起こる気配はまったくない。それでは日本はこのまま強者が弱者を支配する政治が続いていくしかないのか。民主党の言動を見ているとそう思う。彼らの意識は政権党のそれと同じだ。彼らの意識は強者のそれだ。民主党が日米関係を最重視し、憲法9条の改憲を言い出しているのも頷ける。
憲法9条改憲を許す事は、単に平和が脅かされるだけではない。強者による弱者の政治が固定されるということだ。だから弱者は何があっても改憲を阻止しなくてはならないのだ。憲法改憲の是非を決める国民投票を恐れてはいけない。国民投票法案が出来れば憲法が改憲されると恐れてはいけない。むしろ絶好のチャンスと捕らえるべきだ。国民投票は誰でも自らの意思を投票できる。もし半数以上の国民が反対票を投じれば、それでだけで強者のもくろみを覆す事ができる。弱者が強者に勝てるもっとも簡単で最短距離の方法だ。日本で初めての民衆革命を起こせるのだ。
 いま世界は米国と言う軍事優先国家の暴力にひざまずいているかのごとくである。世界中の国民が、国家が、米国の単独主義に眉をひそめながら、何も出来ないで屈している。唯一その米国に抵抗しているのがアラブの武装抵抗だ。しかし暴力では米国を倒せない。世界の世論を味方にする事はできない。
日本国民が、憲法9条を守り米軍再編への協力を拒否することを世界に示せば、世界は喝采するであろう。世界中の民主革命の先鞭をつけることになるかもしれない。
 憲法9条を守るということはそれほど大きな意味を持っているのだ。日本国民がその事に気づくまで、私は発言を続けて行く。

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