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2005年09月29日

【バックナンバー】2005-09-29

壇上で水を飲む小泉首相

 総選挙が終わって2週間以上も経つというのに、政治ニュースの殆どが小泉首相にまつわるものにはうんざりさせられる。しかもそれが政策に関する意味ある報道ならまだしも、新人議員や小泉首相のまわりのゴシップばかりでまるで芸能ニュースだ。メディアがこんな体たらくだから小泉首相がますます増長してきた。どこまで自制心がないのか。
 28日の代表質問の風景がテレビに映し出されていた。前原民主党代表の質問に対する小泉首相の答弁である。
「選挙で大幅に議席を減らしたけれど・・・日本をあきらめずに、前原代表の下で政権交代を目指す政党に成長していってほしい・・・」
よく言ったものだ。これが国会の答弁なのか。これほどの皮肉を代表質問の答弁で言われて前原代表はぐうの音も出ないのである。
 しかし私が心底腹立たしく思ったのは、質問に答える前に小泉首相が壇上で水を飲むしぐさが映し出された時だ。一回、二回、三回・・・四回、明らかに人を食ったパフォーマンスだ。四回目に水を飲み干す時は薄ら笑いさえ浮かべていた。
 ここまで国会をバカにした総理があっただろうか。拍手さえ出る始末だ。マスコミはどの局をとっても、どの司会者をとっても、誰もこの小泉首相の態度を問題にしない。
これから始まる国会審議でこのような小泉首相の傲慢な答弁態度を見せ付けられるかと思うと暗澹たる気分になる。国会中継はやめたらどうか。どうせまともな審議は行われないのだ。まともな答弁は期待できないのだ。
 それよりも、この国で起きている異常な事件をどう捉えればよいのか。市民に向けられた無差別発砲、暴力団員の警察官への襲撃、異常な殺人事件、麻薬汚染の政治家や自衛官・・・日本が壊れていくこととこの国の政治の崩壊とは、決して無関係とは思えない。

 誰が小泉首相を勝たせたのか

 今度の選挙が小泉首相の圧勝に終わった原因について、うんざりするほどの検証がなされているがどれもこれも似たようなものばかりである。そんな中で、28日の朝日新聞「論壇時評」で金子勝慶応大学教授が書いていたものは興味深かった。
 そこではまず、郵政民営化という問題は我々の暮らしに切実感がない問題であるからこそ国民は安心して「小泉劇場」に熱狂できたのだと指摘した後で、「世の中が人情味にあふれ、ぬくもりに満ちたもの」ではなく、「誰もがイラつき、不安を抱えた時代である」からこそ、大衆はそこに欠けているものをあられもなく求めるのではないか、理路整然としたロジックやレトリックは百害あって一理なしと退けられ「感動が商品として機能する」、これを小泉首相は利用したのだ、その結果の勝利だという。
 そしてそのような小泉首相を支持した層の一つが「下流階級」の若者だったという指摘は今日の日本の問題点の根深さを物語っているとする。金子は、「小泉自民寄りクッキリ 20代のココロ」(東京新聞9月13日朝刊)などの論壇を引用し、20代前半は30代や40代よりも高い自民党寄りの傾向を示しており、しかも不安定就業層の若者のインタビューで、首相を格好いいと思って支持したという答えが目立ったことに注目する。それを裏付けるように、三浦展「下流社会 新たな階層集団の出現」(光文社新書)などを引用し、「下流」とは単に所得が低いだけでなく総じて人生への意欲が低く、小泉「構造改革」で増大した「下流社会」の若者たちが、市場原理主義に対して強い批判意識を持つどころか、むしろ為政者に「分割統治」され、すべてを受容させられているという、そしてそういう若者たちが今回の「政治バブル」を支える側に回ったことを明らかにしている。
日本はもはやまともな議論が通用しない世の中になろうとしているのだろうか。小泉首相がわが世を謳歌しているのも無理もないと思えてくる。

 公明党は護憲政党であることを本気で示してほしい

 前原民主党の誕生によって憲法改正が現実的になった。自公民による憲法改正案が提示される時はいつか。そんな中で9月28日の朝日新聞、「この人に聞きたい」で、公明党代表の神埼武法氏がこう答えていた。
 「・・・自民党だけで改正案を出しても、それだけの話・・・9条1項と2項は堅持し、集団的自衛権は認めない。そこは揺がない。9条で合意出来なければ、連立そのものに響いてくる・・・」
 その言やよし。前原民主党よりはるかに護憲的だ。しかし・・・その言にごまかしはないだろうな。集団的自衛権を認めないことをどのように担保するつもりか。9条3項に何を追加しようとするのか。国際貢献の名の下に自衛隊の海外派遣を認めることと集団的自衛権の行使との違いをどう区別するつもりか。
公明党が真に平和をのぞむ護憲政党であることを切に望みたい。今後の憲法論議の中ではっきりと証明してもらいたい。

イラクの現実を見ようともしない小泉首相

 イラクの現状は混迷の一途をたどっている。10月15日に迫る新憲法案の国民投票を前にしてイラク民族や宗派の対立は深まるばかりだ。危機感を強めた米英軍やイラク軍が掃討作戦を続け犠牲者が増え続けている。これに対する抵抗も日常的に行われている。28日の共同通信は、ついにイラクでも女性の自爆者が出たと報じている。悲しくも痛ましい事態だ。
このようなイラクの現実を一顧だにせず、小泉首相は26日の所信表明演説で、ただ一言「・・・イラクは平和な民主国家を建設中である・・・」と述べた。驚くべき欺瞞である。
「・・・間違いを認めない限り、ブレア首相も英国もイラク戦争を歴史の中にしまい込むことはできない・・・」これは先月急死したクック元英外相の言葉であるという。このような政治家が今の日本に出てこないことが悲しい。
小泉首相が「自分は正しい」と強弁を続けるのは、間違いと認めた瞬間に政権が崩壊する恐怖に内心脅えているからに違いない。小泉首相は見せかけとは裏腹に、小心で出臆病な人間に違いない。

どうなる普天間移設問題

 9月28日の朝日新聞にふざけた記事があった。日本側が米側キャンプ・シュワブ内に代替施設を建設する案を提示したのに対し、米国側は辺野古沖の現行計画案を縮小する案に固執し、先の大野防衛庁長官との会談でローレス国防副次官は日本案を一蹴したと伝えられた。
ところが28日の記事によれば、この事態を打開するためにワシントンで外交・防衛当局の審議官級の協議が行われるという。大臣間の話し合いで決められなかったものが、どうして事務官の、しかも局長よりも格下の、審議官級の話し合いで決められるというのか。案の定29日の各紙によれば話し合いは物別れに終わったという。
このような無駄な仕事を繰り返してどうして役人は責任を問われないのか。税金の無駄遣いと誰も批判しないのか。
そもそも米軍基地は削減、縮小するべきであるのだ。外国の軍隊を永久に認めるような国が世界のどこにあるというのか。在日米軍は時間をかけてでもいいから削減、撤退させていくという基本姿勢をはっきり打ち出さないかぎり、日米関係は矛盾と欺瞞の繰り返しに終始するほかはない。真に良好な日米関係が築けるはずがない。

米国従属は安保関係だけではない

 おそらくこのようなエピソードは限りなく存在し続けてきたのであろう。そのほんの一端が、折に触れメディアに漏れ伝わるのである。それにしても衝撃的である。竹下登蔵相がここまで屈辱的な態度をとっていたとは。
 朝日新聞で「プラザ合意から20年」という特集記事が連載されている。9月28日の記事の中で、ベーカー元財務長官はこう述べている。
「・・・日本は進んで合意した。合意直前に竹下登蔵相は『円をどのぐらいの水準にすべきか』と聞き、我々は『1ドル=217円』と答えた。蔵相は『2週間で217円になる』と言い、実際そうなった・・・蔵相は、我々が議会の保護主義に直面していることを認識していた。我々の圧力はなかった・・・」
いうまでもなく、85年のプラザ合意は戦後の日米通貨体制の転換期であった。政治的圧力によってドル安、円高が決められた。それをきっかけに日本のバブルが助長され、そして弾けた。今日に続く日本経済の低迷のきっかけであった。米国の圧力をはねつけたドイツと好対照にあっさりと円高要求を呑んだ日本であったが、その時の大蔵大臣がここまで米国に従順であったとは。そしてその大蔵大臣が日本の首相になるのである。

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2005年09月25日

【バックナンバー】2005-09-25

おやじのせなか

 他に書きたい記事もあった。しかし今日はこの記事だけにしておく。皆さんの中にも読まれた方も多いと思う。朝日新聞に連載されている「おやじのせなか」というコラムの、25日のそれは私の心に響いた。内科医の鎌田實氏が書いていた。少し引用してみたい。
 「・・・30代半ば、偶然に自分の戸籍を見たら親の欄に知らない名前がありました。両親が生みの親でないことを初めて知りました。
  結婚する時、父は僕の妻にそれを告げ『實には知らせないで』と言ったそうです。希望を尊重し、僕も知らないふりをすることにしました・・・
  (父は)青森の貧しいリンゴ農家の末っ子で、小学校を出てから働き、18歳で上京。進駐軍のスクールバスやタクシーの運転手をして働きづめでした・・・心臓に持病のあった母の治療費を工面するのに精一杯だったのでしょう。
  僕の通っていた都立西高校は進学校。母の闘病を見ていたので、僕は医学部に行こうと決めました。でも父は『行かなくていい』。6年も通わせる余裕はなかった。僕は歯ぎしりしながら泣いて頼みました。そして、自分はなぜ医者になりたいのか、改めて真剣に考えました。
 結局、許してくれました。同時に『弱い人、貧しい人がどんな気持ちで医者にかかるか。それを忘れるな』と・・・僕の背景には常にこの言葉があります・・・
  87年、病院の近くにログハウスを建て、東京で暮らしていた父を呼びました。血はつながっていなくても、3世代の家族として共に過ごしたい。大事に使えば200年はもつ家です。『岩次郎小屋』と父の名をつけ、父を頂点とした家族を作りたかった。父は僕らと暮らし、7年前に88歳で亡くなりました。僕は最後まで、気づかないふりを通しました。
 実の父親の墓を訪ねたことがあります。成功者だったそうで、驚くほど立派な墓でした。でも僕は、貧しくても運命から逃げず、誠実に生きた父に育てられて良かった。それに気づくまで、ずいぶん時間がかかってしまったけれど・・・」
 
 いい話だと思って読んだ。そして生きていくということの意味を考えた。人の数だけドラマがあり感動がある。星の数ほどある地球上の個人が、それぞれの個人的な人生においてドラマを作りだしている、それが生きる事の証に違いない。そしてそのドラマは全て等しく感動的であるのだ。
 しかしそのドラマをつくりだすことが出来るのも、平和があってこそだ。イラクやパレスチナの現状に思いを馳せる時、理不尽に一瞬にして人生を奪い取られる彼ら悲しみと怒りはいかばかりかと思う。自分の人生を生きることができないのだ。
何故我々は戦争を防ぐ事が出来ないのか、防ごうとしないのか。テレビで田原総一郎が政治家や評論家を相手に安全保障論議の司会をしていた。日本の安全保障政策を得意顔で論じる政治家や評論家を前にして、田原が相槌を打っていた。そんなことにメディアを使うよりも、イラク情勢の悪化やイスラエルのガザ攻撃を報じるべきだ。世界各地で開かれている反戦集会の高まりを報じるべきなのだ。これこそが本来の人間の姿なのだ。

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2005年09月24日

【バックナンバー】2005-09-24

商店街を陸上自衛隊が武装行進

 もう一週間ほどまえの出来事になってしまったが、9月18日の朝日新聞でこんなことが白昼に堂々と行われていることを知って驚いた。長崎県佐世保市の中心地にあるアーケード街を、自動小銃や軽機関銃を手にした迷彩服の陸上自衛隊員240名がパレードしたというのだ。佐世保市にある相浦駐屯地の創立記念行事だという。四年前から始められたが商店街に入って武装行進をしたのは今回が初めてという。こんなことが許される世の中になりつつあるということだ。
佐世保市当局は「市民の理解もひろがり、商店街も歓迎している」と武装行進や観閲台設置を認めたという。佐世保市長とはどんな市長なのだろう。
 「市の経済にとっても自衛隊は大切な相手。商店街で銃を持つことにも特に抵抗はない」と平然とうそぶく商店会連合会長の竹本慶三さん(55)なる人は一体どういう人なのか。ここまで日本人は、日本の社会は、戦争を本業とする自衛隊に無頓着になってしまったのか。
 そう思っていたら9月23日の朝日新聞投書欄に、東京都狛江市の無職関口昭子さんという人が、「・・・こうやって市民の生活に軍隊や武器が入り込み、慣らされていくのではないか・・・市民が気づかないうちにある日突然『戦闘状態に入れり』とならないだろうか・・・」と懸念を述べている。当然の思いである。
 それにしても総選挙でにわか政治家になった国会議員の、同じような顔ぶれの連中の動向を、まるで芸能記事のように垂れ流す政治記者たちが、このような出来事を一切取り上げないところに、この国のメディアの劣化と責任のなさを実感する。

 駐留米軍に基地使用料の増額を求めたキルギス大統領

 9月23日の毎日新聞の記事に注目した。中央アジアにキルギスという国がある。この国のバキエフ大統領が、米軍に提供している首都ビシケクの国際空港の基地使用料を増額要求したというのだ。
 米軍は01年9月の米同時多発テロ後、アフガン戦争の支援基地としてキルギスとウズベキスタンに駐留を始めたということであるが、基地使用料なるものを米国から徴収している国があると知って驚いた。それに加えて「米国と01年に結んだ基地使用条件(年間約5000万ドル)はわが国にとって不都合だ」と言って増額要求をしたバキエフ大統領の対応に驚いた。
 しかしよく考えてみればこれは当然のことなのだ。米国の占領から60年もの歳月が経過し、しかも冷戦が終わって十数年もたつというのに、何の疑問も躊躇いもなく日本国中の一等地を米軍に差出し続けるにわが国の政府、おまけに「思いやり予算」と称して財政困難にもかかわらず経費負担まで膨れ上がらせて行った日本政府、そしてそれに疑問も反発も抱かない国民、これこそ異常ではないのか。あまりにも米国に従順過ぎるのではないか。冷笑して済ませられる問題ではない。

 米軍再編問題から目を離すな

 この国が直面している最大の問題は、今後急速に進められようとしている日米軍事同盟をどう考えるかということである。憲法問題も平和問題も、つまるところは戦争国家になってしまったブッシュ政権との関係をどう進めていくかに突き当たる。日米軍事同盟関係を放置しておきながら、憲法改正や平和問題を論じたところで不毛である。
ところがこの日米安保問題については、事柄が深刻なのか、安全保障論議は難しいと錯覚しているのか、それとも共産党的とみなされることを嫌うのか、誰も正面から議論しない。
しかしよく考えてみるがいい。この問題は、特殊な問題でも、イデオロギーの問題でも、何でもない。安全から始まって、我々の財政問題、社会問題、さらには心理面にまでも深い影響を与え続けてきた、戦後の日本の最大の問題なのである。60年代の国論を二分した安保論争はどこに行ってしまったのか。
日米軍事協力を重視する前原氏が民主党代表になった今、日米安保体制を堅持、強化していくことしか日本の将来の政治的選択はないかのようだ。しかしそれでよいはずはない。
自民、民主の日米軍事同盟優先の考えに対立した、日米経済、友好協力関係重視の対立軸を鮮明にする第三政党こそ、今早急に望まれるのである。しかもその政党は共産党や社民党といった過去のイデオロギー政党の寄せ集めでは国民の支持を得られない。保守や革新といったイデオロギーを超え、幅広い一般国民の声を代弁する新たな政党でなくてはならないと思う。そうでなければ政治的な広がりと力強さを期待できない。
私がこのようなことを言い出すのは、9月24日の各紙の報道によって、米国が、普天間飛行場移設問題をめぐる日本側の提案を拒否し、規模を縮小してまでも辺野古沖の現行計画にこだわったこと、その理由として地元の理解や支持がない代替地への変更は認められないと述べたことを知ったからである。
すなわち米国は日本国民の民意を無視した米軍再編は了承できない、それでは上手くいかない、だからまず日本政府が国民を納得させる案をつくって提示してくれといっているのである。
このような米国の要求にもかかわらず、外務、防衛官僚は国民の反発を以下にかわそうかという受身の姿勢に終始し、国民的合意を取り付けないまま中途半端な代替案を提示し続けてきた。この重要な問題を小泉首相は官僚に丸投げし、「なんの指示もない。郵政改革とは対照的に米軍再編にはまったく無関心」(9月24日朝日新聞)であると関係者を嘆かせているのである。
もはや郵政改革を叫び続けることのできない小泉首相の最大の問題は米軍再編問題である。我々はこの問題に小泉首相がどのように取り組んでいくのか最大の注意を払って監視していかなければならない。今こそ日米軍事同盟の強化の是非について国民的論議が始められなければならない。パフォーマンスに明け暮れた小泉首相が最後に行き当たるのは日米関係である。
小泉外交の是非を正面から国民に提示できるのは前原民主党では決してない。日米安保体制は段階的に解消すべきであるということを正面から主張できる国民的政党の結成が早急に求められるゆえんである。

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2005年09月22日

【バックナンバー】2005-09-22

小泉ブームを支え続けるメディア

 この国のメディアに意図的な作為はないと思う。そこまでメディアに深謀遠慮はない。単に質が劣化しているだけだと思う。てっとりばやいニュースを流し続けるだけだと思う。しかし結果的にそのような安易なニュース作りが小泉首相を手助けしているのだ。
 特にテレビが悪い。毎日、毎日、よくもこれだけ同じような国会関係のニュースを流すものだ。連日のように小泉首相の一挙手、一投足を報じる。小泉チルドレンなどという言葉を使って同じような新人議員の動向を報じる。メディアが流すべきニュースは他にもあるはずだ。そもそも国会関係のニュースがそれほど我々の生活にとって重要なことなのか。
 やれ首班指名で誰に投票したのか、造反議員の処罰をどうするのか、小泉首相は任期を延長するのか、郵政民営化のあとの小泉首相のサプライズは何か、などなど。そのようなゴシップ的な記事を流せば流すほど小泉首相に焦点が当たり続けることになる。しかも政策とは何の関係もない丸で芸能関係ゴシップ記事の乗りで。
 しばらくは放っておけばよいのだ。好きなように郵政民営化をやらせればいいのだ。そうすればたちどころに化けの皮がはがれる。あんな不完全な郵政民営化法案などさっさと成立させてしまえばいいのだ。報道さえしなければもはや誰も関心を持たなくなるだろう。もともとあの法案の内容を少しでもわかっている国民がどれほどいるというのか。わかっていないからこそ、改革、改革という言葉にだまされたのではないか。
郵政民営化法案は、成立したとたんに次から次へと矛盾が表面化することは間違いない。死んでもいい!と格好をつけながらそんな不完全な改革しか出来ない小泉首相に、この後どんな改革が出来るというのか。小泉首相は任期の延長をしないと繰り返し言っている。当たり前だろう。この上任期を延長して何が出来るというのか。米国の無理な注文をどんどん聞き入れていくしかない。パフォーマンスだけでここまで持った無能な小泉首相もさすがにもう勘弁してくれということだろう。他のどんな人物が後を継いでも、たまりにたまったツケに立ち往生することになる。貧乏くじだ。挙句の果てにやっぱり小泉さんが一番よかったということになる、そんなシナリオを頭に描いているのではないか。小泉という男はどこまでも自分勝手な、無責任な政治家であったということだ。

崩れていくこの国の政治

 さすがに私もこの国の政治に愛想を尽かしたい気持ちだ。これだけ大量のわけのわからない人物が政治家になってしまった。税金を使って彼らに年間一億円もの歳費を使わせるなどと考えるだけでもおぞましい。それにしても永年政治家をやってきた大物の自民党政治家が、小泉首相に造反したからといって端の議席に固まって追いやられる。新人議員ばかりがニュースの前面にでる。さぞかし悔しい思いであろう。彼らに同情する積りはないが、やはり今度の選挙結果は間違っていた。それを許した有権者に将来はないだろう。
 この国の政治は一体どうなっていくのだろうか。今回の総選挙で選ばれた国会議員の一人一人をよく眺めてみて、誰一人としてこの国の政治をまともな方向に変えていける人物は見当たらない。というよりも仮にそのような政治家がいたとしても、メディア、財界、国民がこぞって支えている小泉政権の下で、それに対抗できる勇気ある行動はとれないであろう。
 それにしても21日にテレビに映し出された辻元清美には失望させられた。各党にあいさつ回りしている小泉首相と握手した辻元は、「大勝できたのは運が良かったんだ」と話す小泉首相に対して嬉しそうに相好を崩して、「私も運がよかったんです」と答えている。以前からそういう感じを抱いていたのであるが、彼女もやはり政治屋の一人であることを証明した光景だ。こんどこそ落選するわけにはいかないとばかり、社民党の比例で当選した彼女にどのような志を見ることが出来ようか。
 川口順子が神奈川の参院補選に立候補するという。これに対して民主党は未だに候補者を出せないでいる。あの総選挙の結果をみれば誰が出ても勝てないということか。情けない野党第一党だ。これでまた物欲しげな顔をした官僚あがりの女性議員が小泉首相の回りに群がることになる。
 政治の話はバカらしいのでしばらくやめることにする。次回の「メディアを創る」からは、本来の「メディアを創る」に立ち戻って内外の動きに論評をしたい。

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2005年09月19日

【バックナンバー】2005-09-19

日本国民はここまで冷淡になったのか

 突然の小泉訪朝から丸三年たった9月17日、拉致被害者の早期救出を求める市民集会が開かれ、この模様が18日の各紙で報じられていた。しかしもはや拉致問題に関する報道も国民の意識も、「英雄」になった小泉首相を前にして、かすみ、沈んでいる。
なにが辛いかといって、横田さん、増元さん、有本さんたちの家族のむなしい叫びを聞くほど辛いものはない。なにが悲しいかといって、まるで人事のように、彼らの叫びを聞き流し続けた日本国民の冷淡さほど悲しいことはない。自分の子供や家族があのような形で拉致されたとしたら、我々はどこまで冷静でいられるか。かすかな希望を抱かせられながらむなしく3年間も放置され続けられてきた拉致家族の精神的苦痛を我々はどこまで共有しようとしたか。人の世の幸せが、金や地位がなくとも家族仲良く平穏に暮らすことであるとすれば、これほどの不幸があるだろうか。
小泉外交の最大の間違いが米国のイラク攻撃に加担したために日本を戦争犯罪国家に貶めてしまったことであるとすれば、人間小泉純一郎のもっとも冷淡かつ自己中心的な性格をあらわしたのがこの拉致問題についての欺瞞である。
あの時彼は外務官僚の誘いに飛びついて、北朝鮮が拉致を認める事と引き換えに国交正常化を行う裏取引をした。歴史に残る首相になれる、佐藤栄作がもらったノーベル平和賞も夢ではない、そう思った彼の頭には拉致家族の救済は二の次であった。何人拉致されたのか、何人生存しているのかなどはどうでもよかった。これまで一切拉致を認めなかった北朝鮮が拉致を認め、そして何人かの拉致被害者が帰ってくるのだ、そのことだけで十分であった。しかも彼は北朝鮮との国交正常化の本当の意味を考えてはいなかった。靖国神社の公式参拝にこだわる小泉首相が、その歴史的重さを考えて北朝鮮との国交正常化を心底願っていたとは到底思えないし、また彼にはその資格はない。
要するに当時の心象風景を一言であらわせば、1兆円の経済協力を行うので国交正常化の共同宣言に合意してくれ、その際拉致問題についても解決した形にしたい、これである。
この裏取引に狂いが生じたのは、生存していると通知された拉致被害者があまりにも少なかったことと日本国民の怒りが強かったことである。一方において小泉首相は金正日と取引をしているからこれ以上強く出られない。他方において拉致家族の怒りや国民の反発の前で、「裏取引があったからこれ以上強く出られない」とは白状できない。かくしてこの拉致問題は動きが取れなくなってしまった。自分の得にならないことには全く関心を示さない小泉首相は、すっかりこの問題に興味を失った。それどころかはやく終わりにすることで頭は一杯なのだ。
そこで出てきたのが、総選挙圧勝の勢いに乗じてこの問題を一気に幕引きするという動きである。9月30日号の週刊ポストに以下のような記事が掲載された。
「・・・ハリケーン処理やイラク情勢でつまずき北朝鮮どころではなくなった米国は北朝鮮の核の平和的利用を認める譲歩を行い6カ国協議は進展する。総選挙で圧勝した小泉首相はもはや世論を気にする必要がなくなった。日本は軽水炉建設の支援のツケをまわされ、拉致問題は幕引きされる・・・」
どうやらそんな筋書きが見えてきた。日朝協議が再開される動きが出てきた。お互いに困っている金正日と小泉首相は利害が一致している。この筋書きにそって後はアリバイ作りをはじめるだけだ。小泉首相を圧勝させた日本国民のことだからそんなシナリオをも黙って観賞するのだろうか。私は許さない。小泉首相は今こそ誠意をもって拉致家族の訴えに正面から対抗すべきなのだ。

出でよ!安保論争のもう一方のリーダーよ

 民主党の新しい代表に前原誠司という保守政治家が選ばれた。このことにより日本の政治は二大保守党の時代に急速に突入しようとしている。
 当然のことながら旧社会党、共産党を支持する人々や平和を願う市民グループからは危機感が漂う。果たして民主党が分裂し、新しい護憲派たちの第三勢力が出来上がるのか。というよりもそのような勢力が出来上がらなければ、この国は戦後60年を境に根本的に変容して行ってしまうことになる。
 第三勢力のキーワードは何か。それは弱者の政治、平和(護憲)の政治、自然との共生の政治などなどであろう。しかしそれでは弱いのだ。もっと根源的なテーマ、すなわち日米安保、軍事体制を是とするか非とするかというテーマを前面に出して議論がなされなければならない。奇妙な事にどのメディアもコノテーマを取り上げようとしない。
 日米安保体制に反対の立場をとる勢力は、これまでは共産、社会主義、労働組合であると相場が決まっていた。いまでもそうだ。だからこそ一般国民に広がりを見せなかった。メディアもこれを正面から取り上げようとしなかった。 
しかしそのようなイデオロギー的な立場から離れて、この日米安保体制の是非について国民的論議を進めなくてはならない状況に来ていると私は思う。なぜならば、二大保守政党のもとで、わが日本が、世界で最大の超軍事国家である米国に、もはや無条件で軍事協力させられる国になっていこうとしているからだ。
その結果は、我々の生活の全てに大きな影響を及ぼしてくることになる。日本の経済は米国の赤字補填にますます差し出され、その結果負担は増えていく。改革をいくら進めてみても肝心なところで日本経済は米国に搾り取られるのだ。我々の生活もより競争的になり二極化が進むことになる。日本の安全保障政策は当然のことながら戦争を前提とした攻撃的なものになっていく。
このように日米安保体制の将来を考えることは、イデオロギー論争を超え、護憲や平和主義を超えたこの国の基本姿勢の問題にかかわってくることであるのだ。
日本を間違ってもこのような方向に追いやってはならないと考える人達、私もその一人であるのだが、そう人達は、何よりもまず日米関係を見直すことの必要性を本気で考え主張しなければならない。日米軍事同盟をこれ以上進めてはならないこと、在日米軍は削減、撤廃さるべきこと、米国なきあとの日本の安全保障は、日本独自の軍事力強化ではなく平和憲法を世界に訴えてこそ安全を守れると本気で考え、主張することがますます必要になってくると思う。
そしてこれが一番重要なことであるのだが、どうしたらこのような正しい考えを一般国民に理解させその気にさせられるかを真剣に考えなければならない。そのためどうしても必要なのは、平和思想に裏打ちされた安全保障論議を行う事の出来るカリスマ的なリーダーである。我々に急がれるのは、そのような人物の発掘であり、その下に結集することである。

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