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2005年07月30日

【バックナンバー】2005-07-30

新垣勉という沖縄の歌手

 私が新垣勉という沖縄の歌手を知ったのはもう20年ぐらい前であった。当時私はまだ外務省のバリバリの課長をやっていて、川崎市中原区の公務員住宅から毎朝東横線で霞ヶ関までせっせと通っていた。
朝のテレビ番組を横目で見ながら朝食を取り、(当然のことながら)雨の日も風の日も出勤していた。そういう日常生活のある朝の番組で、「さとうきび畑」を歌っていたのが新垣であった。はじめて聞いた「さとうきび畑」の詩と、新垣の透き通った声も印象深いのだが、テレビで語っていた新垣の言葉が今でも忘れられない。彼は次のような事を淡々と語っていたのだ。
 「・・・私を捨てた父を憎み、目の見えない私の不幸を恨んだ。何度も死のうと思った。ある日そんな私をさとすように学校の先生が言った。『日本人離れした声をしている。その声はお父さんから受け継いだものだ。それを大切にしたらどうか』。その一言で歌の道に進もうと思った・・・他人の人生と自分の人生を比べるのはやめよう。自分には自分の人生があるのだ。それだけを考えることにした・・・次第にすべてを許せるようになった・・・」
  7月30日の朝日新聞土曜日のb版で、偶然にも新垣勉の特集記事を見つけた。20年前の感動がよみがえってきた。
米国統治時代の1952年に沖縄県読谷村に生まれた新垣の父は沖縄駐留兵だった。まもなく母を捨てて米国に帰国。母は別の男性と再婚した。たまに来る母のことは姉だと教える祖母の手で新垣は育てられることになった。出産直後、「助産婦」のミスで家畜を洗う劇薬を点眼され、光を目にすることなく失明した。新垣が「母」ということばで思い浮かべるのは「勉の目がよくなるように」と、いつも眼球を舌でなめてくれた祖母である。
その祖母も、一方においては身内に障害者がいることを恥じるような古い人だった。「人の世話になるんだから、人によくしなさい」が口癖だった。来客があると、カーテンで仕切られた部屋の一角に身を潜めるように言われた。彼女には障害児を学校へ行かせるなど想像もできない。遅ればせながら盲学校へ入ることになったのは行政関係者が祖母を説得したからであった。
正しい愛し方とは言えなくとも、祖母の愛を疑ったことはない。家を出て盲学校の寮に出発する日、祖母のすすり泣く声を聞いた。中学2年の冬休み、その祖母が脳梗塞で倒れた。入院治療の費用も出せず、家で寝たきりのまま3ヵ月後に亡くなった。床ずれの匂いが部屋に充満していた・・・
  武蔵野音大大学院を終了した新垣勉は、今では全国の学校や教会を行脚してライブ活動を続けている。
「立派になって、あなたを捨てたお父さんやお母さんを見返してやらなきゃね」そういって近所の人から盲学校へ送り出された新垣、自分を捨てた両親や視力を奪った助産婦への恨みをくすぶらせながら歌を歌い続けた新垣。その新垣が、今ではコンサートのたびに必ず次のメッセージを説くようになった。
 「皆さんは学校でも家でも、ナンバーワンになれと追い立てられていると思います。しかし大事なのは、自分だけのオンリーワンの人生を生きることです」
SMAPが「ナンバーワンにならなくてもいい」と歌うずっと以前から、新垣は若者たちに「オンリーワン」を語り続けてきたのだ。
 歌と死に引き裂かれた新垣が、今日に至るまでどれほど辛い思いを乗り越えてきたかは想像に余りある。その新垣が7月に「命どぅ宝―平和への祈り」という新譜を出した。彼もまた戦争の犠牲者の一人である。いたずらに戦争を美化し、国防の重要性を唱える連中たちには、新垣の言葉は決して通じないであろう。

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2005年07月29日

【バックナンバー】2005-07-29

冗談だろう、民主党が格闘技振興議連を結成しただって

政権交代の絶好のチャンスを棚からぼたもちのように与えられているというのに、民主党の迫力の無さはなんだ。そう思っていたら、29日の毎日新聞で、民主党のプロレス愛好家議員による「格闘技振興議連」(37人)が結成されたことを知った。冗談のような話だ。
 プロレスのほか、K-1 や PRIDE などの新格闘技を盛り上げるのが狙いだという。多種の格闘技が戦う祭典を企画するという。町道場に通えば大学の単位取得が認定される仕組みなどを検討するという。
 会長は柔道2段の野田義彦前国対委員長であるという。なるほど体格がいいと思っていた。それよりも驚いたのは副会長に森ひろこの名前あったことだ。この議員は昨年の年金国会でプロレスラー議員大仁田厚議員と取っ組み合いをした議員だ。念のため国会要覧で森ひろこのプロフィールを見てみた。・・・平静15年7月のイラク特措法案の委員会審議で、ミニスカート姿で机によじ登り法案阻止に奮闘、一躍世間の注目を集めた・・・とある。そういうことか。プロレスを売り物にしている議員だったのだ。
私がこの森ひろこという議員を覚えているのは、今年の郵政民営化審議の予算委員会で、早く持ち時間が終わらないかと時計ばかり見ながら、小泉首相をヨイショする愚にもつかない質問を続けて、大切な野党の質問時間を空費していたからだ。国会要覧のプロフィールにはまた、こう書かれている。・・・13年の参院選に自由党の公認を受けて初出馬。自民党の内紛に助けられて当選を飾った・・・
2大政党下の流れのなかで、民主党公認という名前だけで、多くの不明な議員がまたあらたに生まれてくるのであろう。民主党が自民党以上に質の悪い政治家の集まりにならないことを願うのみである。

検察審査会に注目したい

 東京第二検察審査会が、山崎拓前自民党副総裁を日歯連の不正献金疑惑で「起訴相当」と議決したことについて、29日の朝日と毎日がそれぞれ社説で取り上げている。そこで知ったのが、検察審査会が市民により構成されている機関であったということだ。
「・・・山崎氏の疑惑は過去の話になりつつあった。その流れに、一般の有権者11人で構成する検察審査会が待ったをかけた。検察側が提出した資料を読んで、山崎氏は起訴されるべきだ、と判断したのだ。日歯連事件では、やはり東京第二検察審査会が橋本氏の「不起訴不当」を議決し、再捜査が続いている。私たちは、このような市民の感覚を大切にしたい。
国会も敏感に応えて、政治と金の問題を問い直すべきだ。しかし、国会の現状はお寒い限りだ・・・」(朝日新聞社説)
「・・・容疑あるものを起訴する権限は検察が独占する。司法の独立は保障されているといっても、疑いのある大物政治家を起訴する場合、どうしても遠慮がちになる。検察審査会は、不起訴になった事件について、(その)判断が適正かどうか市民が審査する機関だ。11人の審査員のうち6人以上が再審査を求めると不起訴不当、8人以上なら起訴相当となる。法的拘束力はないが、検察はもう一度しっかり捜査しろ、とつきかえしたに等しい。市民感覚としては当然ともいえる判断だ。とりわけ山崎氏に対する起訴相当の意味は重い。起訴相当は審査会の全議決のうち1%にも満たないほど珍しいからだ・・・」(毎日新聞社説)。
29日の日経新聞によると、自民党の久間章総務会長が、「プロの判断と素人の判断は違う。素人が言ったというだけの話だ」と、はやくも相手にしないとの態度を見せている。そのうち検察審査会そのものを解散すると言い出しかねない発言だ。
我々はこの機会に検察審査会の設立経緯や、審査員11人の選考手続き、任期、顔ぶれなどを十分に調べる必要がある。そしてその機能をもっと活用し、この国の司法における国民の期待に応えるものにしていかなければならないと思う。

つまらなくなってきた6カ国協議

連日大騒ぎして報道されている6カ国協議だが、まったくつまらない協議になってしまった感がある。
それは日本が蚊帳の外に置かれているからではない。協議の焦点が、はじめからお互いの顔をたてる共同文書の草案作りに堕してしまっているからだ。こうなってしまってはもはや北朝鮮の勝ちである。そもそもはじめから米国は北朝鮮に負けていたのだ。泥沼のイラクで米国は精一杯なのである。
およそ共同声明という外交文書の草案作りほど不透明なものは無い。第三者にはまずその意味がわからない。それどころかつくっている当事者でさえ同床異夢で妥協する事になり、訳が分からなくなってしまうのだ。
そもそも6カ国協議といったところで実務者の協議である。彼らがどこまでの権限を持っているというのか。ヒル米国務次官補だとか、佐々江アジア大洋州局長などは役人にすぎない。ましてや北朝鮮の代表は、政治的決断は何も出来ないことは自明である。北朝鮮問題の真の解決は、米国と中国が危機回避のためどこまで真剣に考えるかによって決まる。
今回の協議でどのような表現の妥協が図られようと、北の核はあいまいな形で放置されることになる。ましてや拉致問題については、日本政府は「人権」という言葉が文書に残されれば大成功と吹聴する積りであろうが、実体は何も進展しない。それはアリバイづくりに過ぎないのだ。
こんな協議を連日大騒ぎして報道するマスコミはご苦労なことだ。それを見てわかったような気にさせられる国民は気の毒だ

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2005年07月28日

【バックナンバー】2005-07-28

アメリカに見捨てられた小泉首相

 これは本日発売の週刊新潮8月4日号の特集記事の見出しである。その真偽はもちろん私にはわからない。しかしこのような記事が堂々と週刊誌に出るようになったということは小泉首相の寿命が終わったということである。
 まあ、週刊新潮に指摘されなくとも、第二期ブッシュ政権になった後の日米関係は明らかにそれまでと異なってきた。それを読み取る事の出来ない小泉首相の自業自得である。もともと米国は小泉首相の利用価値は郵政民営化までと考えてきた。それももうすぐ終わる。どんな形にせよもはや米国がどうこうできる状態ではない。ここまで国内を混乱させた小泉首相は米国にとって計算違いだったのだろう。
今や小泉首相は、BSE問題、国連安保理改革、北朝鮮問題、米軍再編問題など、どれをとっても対応が煮え切らない。あれほど米国に従ってきた小泉首相は米国のことを何もわかっていない。ここまで突き進んだのだから、毒を食らわば皿までもとトコトン米国の命じるままに従えばいいのに、外交戦略もなく、国内世論に右顧左眄する外務官僚のいう言葉に踊らされ、米国の機嫌を損ねてしまったのだ。ブッシュを喜ばせた自衛隊のイラク派遣でさえ、その米国が来年の春には米軍の大規模な撤退を本気で考え始めた。小泉首相は最後までイラク派遣にこだわるであろうが、もはや米国はそれさえも有難いとは思わなくなっている。
それにしてもアーミテージの後を継いだゼーリック米国務副長官は、「外務省の事務方と会う積りはない」と未だに加藤良三駐米大使と面会していないという。これが本当ならば驚くべきことだ。
28日の日経新聞は囲い込みの記事として、9月に訪米する中国の胡錦濤国家主席との首脳会談をブッシュ大統領はクロフォードの私邸牧場で行うことにした、そして11月にはブッシュ大統領は訪中を決めたと、米中関係の緊密化が一段と深まりつつあることを報じている。国際政治の現実である。

日本歯科医師会の不正献金事件が再び動き始めた。

 なにやら意味ありげな動きである。政治資金規正法違反に問われている村岡兼造元官房長官はかねてから橋本元首相、野中元自民党幹事長、青木自民党参院議員会長の証人喚問を求めていたが、東京地裁は27日の公判においてこれら3人の証人採用を決定したと報じられた。尋問は青木会長が8月24日、野中元幹事長が9月6日、橋本元首相が9月16日とまだ先のことであり、その頃の政局がどうなっているかさえ不透明であるが、これで青木、橋本、野中の政治生命は終わったということである。東京地裁といえども小泉首相の了承なくして証人喚問に踏み切れるはずはない。小泉首相の平成会潰しがこれで完成したということだ。郵政民営化がどのような形で終わろうと、もはや小泉首相は青木参院議員会長を必要としなくなったということだ。
ところが興味深いのは、その同じ日に、小泉首相の盟友である山崎拓前自民党副総裁が、やはり日本歯科医師連盟をめぐる迂回献金疑惑で、検察審査会に「起訴相当」と議決されたことだ。これが28日の各紙で一斉に報道されている。これは、日歯連問題で迂回献金はなかったと国会で答弁し続けてきた小泉自民党総裁の責任問題にも及ぶ議決である。反小泉派の逆襲なのであろうか。
それにしても検察審査会とはどういう機関なのか。そもそも橋本、野中、青木が起訴されなかったことについて、その東京地検の判断が「不当」としたのが東京第二検察審査会であった。
東京地裁が橋本、野中、青木三氏に出廷を求めたタイミングと同時に、バランスをとるかのように、検察審査会は今度は小泉首相の朋友である山崎氏を「起訴相当」と議決したのだ。「起訴相当」が2回議決されると法的拘束力が生ずるという。
日本医師連盟をめぐる疑惑解明の動きは、ポスト郵政民営化の日本の政局を、さまざまな思惑を秘めて揺さぶる事になるかもしれない。国民にとってはどのような形であれ疑惑を徹底的に解明し、公正な処罰をしてもらえればよいだけである。

鹿砦社の名誉毀損事件をめぐる暗闇

 鹿砦社(ろくさいしゃ)という聞きなれない出版社がある。これは休刊になった「噂の真相」の岡留編集長を師と仰ぐ松岡利康社長が、同じようなゴシップ記事を掲載する雑誌を発刊している出版社である。
 その鹿砦社の松岡社長が、大手パチスロ機メーカー(東京)役員らの私生活を中傷したとして先日逮捕された。2年も前の記事がなぜ今頃問題になるのか。しかも在宅起訴を飛び越えていきなり逮捕というのは、この種の名誉毀損事件では異例である。このことから、この逮捕事件の裏には政治的意図があると多くの関係者が指摘している。
三流のゴシップ雑誌社の社長を捕まえたところで国民は同情しない、そういう読みのもとに、権力者に都合の悪いことを書くマスコミの口封じを行う、そういう意図があるのではないかというのである。
私もそう思う。パチンコ業界が警察の天下り先のひとつとなり、裏で警察とつながっていることと無関係ではあるまい。
 そう思っていたら、28日の新聞で、大阪府内のゲームソフト会社が神戸地検特捜部に家宅捜査されるという記事が大きく掲載された。新聞記事によるとこのゲームソフト会社はその大手パチスロ機メーカーにデザインを流用されたとして、著作権、商標権侵害で訴えているというのだ。
そのゲームソフト社が、大手パチスロ機メーカーを中傷した鹿砦社の雑誌を大量に買い込み、販売代理店に配っていた事が判明したという。すなわち自らの裁判を有利に運ぼうとして、鹿砦社の松岡社長と結託して、大手パチスロ機メーカーの役員の名誉を毀損したというのである。
私は大手パチスロ機メーカーやゲームソフト会社のどちらか一方の肩を持つ積りはない。鹿砦社の松岡社長に味方する義理もない。しかし松岡逮捕に続くソフトメーカー会社の家宅捜査と、ソフトメーカー会社をあたかも犯罪者のように大きく報道する新聞に、警察とクラブ記者の一連のデキレースを嗅ぎ取るのである。
大手パチスロ機メーカーについて調べてみる必要がある。鹿砦社の雑誌の記事の内容を詳しく読んでみる必要がある。ソフトメーカーが著作権侵害で大手パチスロ機メーカーを訴えている内容をよく調べる必要がある。
もしも大手パチスロ機メーカーが警察と組んで、鹿砦社やゲームソフト会社を悪者にして葬ろうとしているのならば、そしてそれを知ってか知らずか、新聞が警察からの情報を検証もせずに一方的に垂れ流しているとすれば、ゆゆしい問題であるからである。

恥ずかしいぞ、日本外交

 28日の新聞の小さな記事が私の注意を引いた。いずれもわが外交に関する記事だ。
 一つは6カ国協議に関する28日の朝日新聞の記事である。日朝首席代表が3度目の接触をしたという記事である。二国間できわどい交渉でもしているのかと思って読んだら、なんのことはない。休憩時間中に立ったまま話したというだけのことである。その前の接触は廊下ですれ違いざまに言葉を交わしただけである。それが二国間協議なのだ。
そういえばかつて拉致問題で訪朝した藪中という局長が、帰国後「有意義な話し合いをした」と胸を張って記者説明した後で、北朝鮮側がそれを、「嫌がる自分の袖を掴んで無理やり声をかけてきただけだ」とばらして恥を書いた事があった。
すべてこの調子だ。話し合いが出来なかったというのでは説明がつかない。そこでアリバイを作ることに専念する。何を話し合ったか、ましてや成果があったか、などという事は、もうどうでもいいのだ。とにかく物理的に接触したという事実を作ることだ。たしかにそれは「話し合った」、「接触した」ことにかわりはない。うそではない。しかしだからどうなんだ。これをイカサマというのではないのか。
もう一つの記事は28日のしんぶん赤旗の記事だ。イタリアの国連大使が26日、国連総会で演説し、
「G4は、各国政府に対して、財政支援をテコにして圧力をかけている。いい加減にして欲しい。ある国に対してG4案の共同提案国になることを求め、拒否した場合は46万ドルの児童むけ開発プロジェクトが『立ち消え』になると脅した」国があると述べたと報じられている。
名指しこそしなかったがこれが日本であることは明らかだ。私も長らく経済協力局にいたが、こんな発言をする幹部を多く見てきた。なにしろ小泉首相が、かつて郵政大臣か厚生大臣か忘れたが、現職の大臣の時、アフリカの小国を訪れ、そこの大統領と面会できないのを怒って、「こんな生意気な国への援助は打ち切れ」と怒鳴ったのだ。そんな男が首相になっている国なのだ。日本には援助などする資格はない。国連常任理事国になる資格もない。そもそも世界に貢献する外交を何もしていないのである。

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2005年07月27日

【バックナンバー】2005-07-27

小泉首相の国会答弁

 今でも国会が開催しているとは知らなかった。それほど存在感が無い。26日に衆議院で本会議が行われ、小泉首相がサミットの報告をしたという。どの新聞もこの国会でのやり取りを何も書かない。それほど無意味なサミット報告なのだ。
その中でしんぶん赤旗が、共産党の赤嶺政賢議員の質問と小泉首相のやり取りを掲載していた。共産党の機関紙であるから共産党の議員の質問しか書かない。それでも赤嶺議員の質問に答える小泉首相の答弁振りを知ることは有益だ。こんな答弁をするような首相は現実から目を瞑っているとしか思えない。首相失格をみずからの答弁で証明しているようなものだ。
赤嶺議員:「過去の戦争は正しかった」とする靖国神社の参拝に首相が固執していることが、アジア諸国との溝を深めている。きっぱり止めるべきだ。
小泉首相:適切に判断する。
赤嶺議員:サマワの自衛隊宿営地や部隊への攻撃が繰り返され、駐留し続ける理由は成り立たない。自衛隊を直ちに撤退させるべきではないか。
小泉首相:(自衛隊派遣は)イラクへの自衛隊派遣は、中東のみならず国際社会の平和と安全の為に重要である。
赤嶺議員:(沖縄の実弾射撃訓練に抗議し一万人の集会が開かれたことをあげ)基地の縮小・撤去を求める声にこたえるべきだ。
小泉首相:(訓練は)日米安保の目的達成のため必要不可欠だ。

シベリア元抑留者に補償をするのはあたりまえだ

 26日、民主党、共産党、社民党の三党が共同で「シベリア抑留補償法案」を参議院に提出したという。法案の趣旨はシベリアへの抑留者が戦後強制労働させられた対価として、抑留期間に応じ特別給付金を支払うというものだ。
 野党三党が共同で何かを行うことは、よほどの事である。それほどこの法案は必要だということだ。
 シベリア強制労働は、戦時中の出来事としては、広島、長崎の原爆や沖縄戦に比べてそれほど詳しく報じられることはない。しかし戦争が終わったと思ったのも束の間、理由も告げられずシベリアの酷寒の地に連れて行かれて強制労働させられて死んでいった兵士の無念さは筆舌につくせないものがあるの違いない。
 しかもそのシベリア強制労働が、当時の帝国陸軍参謀とロシアとの取引で行われたとされている。大本営の幹部が、末端の兵士を裏切ってロシアに売り渡したのだ。政府がいくら補償してもしすぎることはない。私も何人かのシベリア抑留帰還者から直接話を聞いたことがある。それは辛いものであったという。今頃になって補償法案が提出されるとは驚きだ。国をあげて謝罪し、抑留者の辛苦に報いるべきである。

戦後60年記念の国会決議案

27日の各紙が、与野党が今国会の衆院本会議で採択を目指している戦後60年の国会決議案について報じている。なんでもそれが、戦後50年(1995年)の国会決議と比較して後退し、50年の決議に明記されていた「植民地支配」や「侵略的行為」という言葉を削除しているというのだ。
戦後50年の国会決議の頃は村山自社さ政権の頃だ。その忌まわしい旧社会党色を、戦後60年の今年の決議から薄めたいということらしい。7月29日か8月2日の採択を軸に自民、民主、公明の三党の賛成で成立する見通しだという。また一つ歴史認識の逆コースにもどりつつある。こんなことをしているから中国、韓国は日本の反省を本気だと思わないのである。
長野県知事の田中康夫は、28日の日刊ゲンダイ紙上でこの事に触れた後、読売新聞社のドンである渡邉恒夫の発言を引用し、「どこの平和主義者が行った発言でありましょうか?」と傾聴に値するとしている。
以下の発言はたしかにあのナベツネの発言としては傾聴に値する。願わくば、このような本音の発言を、田原総一郎責任編集の雑誌「オフレコ!」創刊号でサービスするのではなく、読売新聞をはじめとする大手メディアの中で堂々と主張して貰いたいものだ。
「・・・安倍晋三に会った時、こう言った。『貴方と僕とでは全く相容れない問題がある。靖国参拝がそれだ』と。皆軍隊の事を知らないからさ。勝つ見込み無しに開戦し、敗戦必至となっても本土決戦を決定し、無数の国民を死に至らしめた軍と政治家の責任は否めない。あの軍というそのものの野蛮さ、暴虐さを許せない・・・勇んでいって、靖国で会いましょうなんか信じられているけど、殆どウソです。だから、僕はそういう焦土作戦や玉砕を強制した戦争責任者が祀られているところへ行って頭を下げる義理は全くないと考えている・・・」

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2005年07月26日

【バックナンバー】2005-07-26

書かずにはいられない

 「メディアを創る」を毎日書き続ける際の悩みは、書きたいと思うことが多いのにそれをすべて書くには時間とエネルギーが足らないということである。新聞各紙や多くの雑誌に目を通すこと自体大変な作業なのであるが、それよりも、その中で思い浮かぶ様々な考えを、頭の中でまとめ、そして書くという作業が結構大変である。
 そのすべてを一日で書き終えるには限度がある。そこで泣く泣くそのままにしておく記事があまりにも多い。今日は、そのように見逃してしまうにはあまりにも勿体無いものを、まとめて出来るだけ短く書いてみたい。寸評鉄を貫くと行きたいものであるが。

 「負けっぷりのよい負け方をしろ」だって?

 週刊朝日8月5日号に、舟橋洋一がふざけた事を書いている。週刊朝日は田原総一郎と舟橋洋一の二人の御用ジャーナリストの記事を隣りあわせで毎週連載しているが、いずれもさしたる情報源にはならないものが殆どだ。しかし今週号の舟橋洋一の記事にはあきれた。難航している日本の国連安保理入りについて、もはや大失敗に終わるだろうと見通した上で、次のように書いているのである。
 「このままでは日本の国連改革外交は壮大な失敗に終わる公算が大きい。ただ、日本が常任理事国入りに名乗りを上げたことが間違いだとは思わない。大切なことは負けっぷりをよくすることだ。英語でいうGOOD LOSERになることだ・・・」
 負けっぷりをよくするとはどういうことか知らないが、これでは負けることがわかっている日米開戦に突入して言った当時の無謀な指導者の言葉と同じである。大切な事は成算がないとわかったらさっさと撤退する事ではないのか。そしてその過ちがどうして起こったのか検証し、責任を明確にすることではないのか。官僚と癒着している御用ジャーナリストにそれを期待することは土台無理か。

6カ国協議の結果は見えている

 マスコミが大騒ぎをしている今回の6カ国協議の正体は、実は、米国も北朝鮮も二国間の非公式会議を優先させているということにある。重要な事は事前に二国間で話し合い、6カ国が顔をそろえる公式な全体会合はセレモニーとなるだろう。日本はどの二国間協議でも埒外だ。もともと核問題に関し日本の影響力は全くないし、拉致問題は敬遠されている。
 この事を、8月9日号の週刊プレーボーイと8月4日号の週刊アサヒ芸能がそれぞれ次のように書いている。
 「・・・協議の主役はアメリカと中国。彼らはお互いの世界戦略をかけて激突している・・・中国は北との仲介役を装いながら米国の軍事力を分散させるべく北を重要な駒として使ってきた・・・一方アメリカの極東戦略の要は北の核放棄と中国包囲網の構築だ・・・アメリカにとっては東シナ海のガス田開発問題はどちらが取ろうと採掘の米国企業が参入すればそれでよいし、拉致問題は核問題に比べれば微々たるものだ・・・米朝中韓でなんらかの合意があるのではないか。日本はエネルギー供給や経済援助のツケをまわされるだけになる・・・」(前掲週刊プレーボーイ)
「・・・イラクで余裕の無いアメリカは、表面的には突っぱねて、裏では『核を輸出しない』程度で妥協する可能性もある。北はポーズとして核全廃を宣言し、援助だけを引き出す可能性がある・・・拉致問題の進展の可能性は殆どないことを承知の上で日本が拉致問題を提起すると言い張っているのは、ひとえに日本国民への世論対策だ・・・」(週刊アサヒ芸能)。
因みに週刊アサヒ芸能は、拉致問題に進展は見込めない中で、小泉首相は必死になって裏工作をして、在任中にもう一度訪朝して成果を上げ、支持率を上げよう取目論んでいのではないかと指摘している。鋭い見方である。米朝の手打ちがなされて経済援助のツケをまわされれば、これを逆手にとって1兆円の経済協力と国交正常化を一気に進めようと考えているのではないか。かくして拉致問題は吹っ飛んでしまう。

内田副総裁の逮捕で終わらせてはいけない

 橋梁談合の大騒動は、内田副総裁の逮捕で終わらせてはならない。
26日の朝のテレビで、コメンテーターが政治家への金の流れの解明が重要であるとさりげなく語っていた。この点についてはしんぶん赤旗がはやくから小泉内閣の多数の閣僚・副大臣が談合企業から政治献金を受けていることを報じてきた。
談合企業の殆どは経団連のメンバーであり、奥田経団連会長は、「談合はなくならない」と臆面もなく言い放っている。
かつて道路公団民営化騒動で首を切られた藤井前総裁は、「自分がすべてを話せば死人が出る」とすごんで見せた。
この談合事件は日本の政・官・財の癒着犯罪の縮図である。その究明がトカゲの尻尾切りで終わるのも、これまた「法の支配は日本の支配者層には及ばない」というこの国の悪習の繰り返しである。

野中広努が大いに語る

8月5日号の週間ポストで野中広努が語っている中で、見逃せない言葉があった。小泉政治の強権的な手法を批判したくだりでこう述べているのだ。
「・・・小泉さんは多くを語らず政策を進める。説明責任を果たさない。与党との政策のすり合わせも無く、議会の意見を無視している・・・」
そのあと野中氏はこう続けているのだ。
「・・・行政府が立法府を押さえつけ、時には司法も動かしているのではないかと思われる状況がある・・・(橋梁談合事件の捜査は建設族議員の多い橋本派への圧力という見方について)悪いものは捜査しなければならないが、それなら竹中大臣の秘書の友人が会社をつくって政府広報の郵政民営化パンフレットを1億5000万円で随意契約した疑惑に、警察や検察がなぜすぐに入らないのか・・・そういう問題に司法の手が伸びないのは、やはり小泉首相の強権的な政治の中で、行政府が立法府、司法を含めすべてを制御して制圧しているからだ。それに対して立ち上がる政治家も、いさめる官僚もいなければ、メディアも批判しない。大変な時代にきた・・・」
さすがに政界の裏を経験してきた男だ。よく見抜いている。彼こそ残された人生を国民の為にお返しすることに使ってもらいたいものだ。

イラクで自衛隊はどんな事をしているのか

フォーサイトという月刊誌の8月号に見過ごせない記事を見つけた。今年の5月31日にバクダッドのイラク駐留米軍の拠点、キャンプ・ビクトリーが武装抵抗組織のロケット弾に襲われ、米兵や民間人など約20人が死傷した事件があった。なんとその場所に数名の自衛隊員もいたというのだ。
フォーサイトの記事はこう書いている。
「・・・一般にはほとんど知られていないが、キャンプ・ビクトリーには数名の自衛官が駐留している。人数は安全上の理由から公表されていないが、多国籍軍の一員たる自衛隊と米軍の連絡将校の役割を担っている・・・戦闘地域には自衛隊を派遣しないとするイラク特措法にもかかわらず、イラクでもっとも戦闘が頻発しているバクダッドに自衛が駐留している。バクダッドを非戦闘地域とするのはいくらなんでも無理がある・・・」
もし5月31日の爆撃で自衛官が死傷していたらどうなっていた事だろうと思う。政府や防衛庁はあまりにも多くのことを国民に隠し続けているのではないか。日本のメディアは知っていながら書かないのか、それとも何も知らないのか。知ろうとしないのであれば、それはもうメディアの使命の放棄だ。

官僚の不作為の罪の深さ

7月25日の産経新聞一面に、旧労働省の複数の幹部が、産経新聞の取材に対して述べている内容が掲載されていた。アスベスト(石綿)による健康被害のおそれについてこう述べているのだ。
「危険性は省内では一致した認識だった」、「企業への指導が徹底できたかどうかはわからない。認識が甘かった」
旧労働省は昭和51年5月、各都道府県の労働基準局長にあてて、「労働者のみならず、作業衣を家庭に持ち込むことによりその家族にまで災いが及ぶおそれがある」などという通達を出している。しかし通達をだしては見たものの、産業界の反発などで石綿を本気でなくしてしまうことはできなかったと、法規制をしなかったことを認めている。要するに危険性を知りながら、ここまで深刻になるとは考えずに何も手を打たなかったのである。典型的な官僚の不作為の罪である。
エイズ被害をはじめとして、官僚の不作為により受ける必要の無かった被害を国民が受けてきた例は、おそらく随分とあるのだろう。官僚はその権限の大きさに見合う責任の重さがある。そして責任を取る必要がある。

誰か教えて欲しい

産経新聞がやたらに「亡国のイージス」という映画を宣伝する。7月26日の朝刊に至っては2ページ全面を使っての宣伝振りだ。
産経新聞がその政治的信条に基づいて自衛隊を英雄扱いしようとしているのはわかる。日本の再軍備に向けて世論を勇ましい方向に誘導しようとしていることは明らかだ。
しかしどうしても確認しておきたい事がある。自衛隊は国民の税金で装備したみずからの軍備を、私的な商業活動に提供してもよいのか。まさか無料で提供しているのではあるまい。しかしどれだけの対価で映画作りに提供しているのか。その対価は正当なものか。いや、たとえ正当な対価を受け取ったとしても、そもそも自衛隊の装備や隊員を商業映画に提供することが自衛隊の一存で決められよいのか。誰もそのことを指摘しないのだけれど、法的に、政策的に、それは許されることなのであろうか。「戦国自衛隊」など同様の映画が、最近やけに目立つのも気にかかる。

バランス感覚を失ったわが国の外交

 八方ふさがりの日本の外交の責任は、わが国外交にとって何が重要かという基本的なバランス感覚を失って迷走する外務官僚にある。
 7月24日の東京新聞で、町村外務大臣が27日からのラオスで開かれるアセアンプラス日・中・韓3外相会議に欠席するという記事を読んだ。国連安保理改革の調整でニューヨークにとどまらなければならないというのがその理由らしい。
 アセアン外相会議に日本の外相が欠席するなんて考えられなかったことだ。ましてや中国のアセアンでの影響力が拡大しつつあるいまこそ、アセアン外相会議に出席すべきである。6カ国協議も開催中なのである。外務省は本気で外交を行おうとする気迫はあるのか。
 そう思っていたら7月26日の日経新聞がやはりこのことに触れてこう書いていた。
「アセアン関係者からは、『我々との会議より重要なことがあるのだろうか』と突き放した物言いが目立っている。援助などでアセアンに急接近する中国の李外相は6カ国協議の合間にラオスを訪れる予定で、日中双方の存在感が好対照をなすのは確実だ」
誰が見てもそう思うのだ。

吉田由里という国会議員秘書に賛同したい

週刊金曜日の7月22日号の「吉田有里の政治評論」はよかった。中国残留孤児国家賠償請求訴訟で中国残留孤児の請求を棄却した大阪判決や、「障害があってサービスを利用するのはあなた達だから、自分で支払いなさい」といわんばかりの障害者自立支援法に言及しながら、戦前も戦中も戦後も、この国の政治と伝統は、指導者たちが、いつも民を斬り棄ててきたということではないか、と語る。そして次のように締めくくっている。
「・・・この国に政権交代は必要だ。しかし、それは若手政治家たちの政局遊びのためであってはならない。どんなことがあっても民を棄てない。民とともに苦しみ、民とともに考え、民とともに実行する。基本とも言えるこのことを愚直に実行する新しい政治の幕開けであるべきだ」
吉田有里さんは国会議員秘書ということだ。誰の秘書なのか。

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2005年07月25日

【バックナンバー】2005-07-25

NHKの番組変更騒動の真相が明らかになってきた

 今年1月12日付の朝日新聞が、「NHKが、政治家の圧力で、旧日本軍の従軍慰安婦を扱った特集番組の内容を変更した」と報じて大騒ぎになった。この騒動は、安倍、中川両議員によるNHKへの政治介入があったかどうかという本来の問題が、NHKと朝日新聞のどちらの言い分が正しいかという泥仕合にすり替えられ、曖昧なままに忘れ去られていった。
 それから半年、最近の新聞で二つの興味深い記事を見つけた。その一つは、7月22日付の毎日新聞が報じる、東京高裁に提出されたNHK幹部の陳述書についての記事である。すなわち、この番組の制作に協力した市民団体「『戦争と女性への暴力』日本ネットワーク」は、「政治家の圧力で内容が改変された」と、NHKなどに損害賠償の訴訟を起こしていたのであるが、その控訴審で、NHK幹部5人が東京高裁に陳述書を提出していたのだ。
 毎日新聞が報じるこれら幹部の陳述書は生々しい。伊東律子元番組制作局長の陳述書では、海老沢前会長秘書から電話で呼ばれた伊東元部長が、「なんだか騒がしいようだな。この問題はいろいろな意見があるからな。なにしろ慎重にお願いしますよ」と海老沢会長に言われ、「ご迷惑をかけて申し訳なく思っています。現場も慎重に扱っています」と答えていることが明らかにされている。そして伊東局長はその直後、海老沢会長と話したことを松尾武元放送総局長に伝え、番組内容を松尾局長と話し合った結果、元慰安婦の証言シーン削除などを決めて部下に指示したという。
 一方国会対策などを担当していた野島直樹元総合企画室担当局長の陳述書はこうだ。NHKは毎年NHK予算が国会に提出される前後の1、2月ごろ、与野党の衆参議員のうち総務委員会や放送通信関係部会に所属する約450人に個別に予算や事業計画を説明するのであるが、その際本件について、「NHKが女性国際戦犯法廷を番組で特集する話を聞いているが、どうなっているのか」、「予算説明の際は必ず話題にされるから、きちんと説明できるように用意しておいたほうがいい」などと古屋圭司衆院議員などから言われたという。そのため、「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」事務局長を務めていた安倍晋三自民党幹事長代理へ松尾局長とともに説明に行ったと認めている。
 もう一つの記事は、25日付の朝日新聞の記事である。朝日新聞は、「読者の皆様へ」と呼びかけて、「・・・読者の様々なご指摘を受け止め、取材についても検討を続けてきました。(事件)発端の報道から半年を経たのを機に、番組改変問題とその取材過程について、改めてご報告します」と、新聞の2ページを割いて詳細に記述したのだ。この中で朝日新聞は、中川議員と松尾局長は放送前に面会したのか、中川、安倍両議員は松尾局長を呼び出したのか、朝日の取材は結論ありきの強引な誘導だったのか、松尾局長と朝日の記者は取材記事に関する調整の話をしたのか、などの点について、検証している。
 これらの記事からNHKが政治的意図をもって番組内容を変更した事は明らかになった。問題はそれが政治的圧力によるものかどうかである。
 NHKは直ちに、「新事実の提示がない。政治家の圧力による番組変更の構図がより明確になったとする朝日の主張は理解できない」と応じた。
 圧力をかけたと安倍、中川議員が認めるはずは無い。NHKがいまさら圧力を受けて変更したと認めるはずは無い。何が圧力なのかは当事者の心象の問題であるからどうとでも言える。だからこの話はいつまでたっても平行線である。
 しかしこの二つの記事は、常識のある一般国民から見たら、政治家の意向に沿う形でNHKが番組を変えたことを明らかにしているのである。そもそも国会で毎年予算を通してもらうNHKである。そのために毎年政治家一人一人に説明をいっていることを認めているNHKである。それだけでもNHKは中立性をとっくに捨て去っていると言える。
その際に政治家の中に注文をつけるものがいたとすればどうだ。その注文を聞き入れないと面倒なことになるから聞き入れる。これは官僚経験のある私がすべての官僚の習性として目撃してきたことだ。官僚が政治家の圧力を受け入れるのにNHKの職員が受け入れない筈はない。NHKは安倍、中川の意向を汲み取って番組を変えたのである。

サマワは大丈夫か

 よりによってイラクでもっとも安全な地域を選び、あらゆる防備を尽くし、危ない行動を控え、おまけに地元住民やオランダ、英国、豪州の軍隊に守ってもらい、やることといえば資金をふんだんに使って地元住民の歓心を買うようなサッカー遊びや盆踊り。これでどうしてわが自衛隊が危険な目にあうというのだ。私はサマワの自衛隊が被害を受けることはないと思ってきた。いまでもそう思う。一般の受け止め方と違って、私はサマワの自衛隊に犠牲者がでれば、「その犠牲を無駄にするな」と号令をかけてますます小泉首相が強硬な政策を取るということにはならず、必ず小泉首相は責任を取らねばならなくなると思っている。小泉首相もそう思っているに違いない。だからこそ、安全に万全を期すように指示しているのだ。
 しかしここに来てサマワがきな臭くなってきた。それはロケット弾が頻繁に打ち込まれたり、走行中の自衛隊の車列が被害にあったというだけではない。サマワの日本友好協会のアンマル・ヒデル会長が、「日本人との付き合いを止めなければ殺す」と脅迫を受けたため日本友好協会を解散したという記事を24日の東京新聞で知ったからだ。
26日の日刊ゲンダイは悪化するサマワの反日感情をもっとリアルに報じている。「22日には日本友好協会会長のアンマル・ヒデル氏の経営する宝飾店にデモ隊が90人押しかけ、『日本に心を売った裏切り者』と脅かされる騒ぎもあった」のだ。ヒデル氏は、自衛隊との交流行事を開催して市民とともに宿営地を頻繁に訪問していたという。おそらく日本政府から手当てが支給されていたのであろう。宣伝塔、広報マンの役割をさせられていたのだ。しかしその彼が、『無理やり子供たちを自衛隊の前で躍らせている』と批判されていたという。自衛隊の都合の為に、金をえさにイラク人を手なずけ、その結果イラク人同士を離反させることにさせたとしたら、日本政府の罪は深い。そう思っていたら、24日の深夜、そのヒデル氏の経営する宝飾店が爆破されたという事を知った(25日産経新聞夕刊)。
イラクの自衛隊は復興援助どころか、サマワに災いをもたらしているのだ。その自衛隊もいよいよ危なくなってきたと私は思い始めてきた。

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2005年07月24日

【バックナンバー】2005-07-24

彼女は泳ぎきった

 内外に事件が続出している。書きたいことは多くある。しかし今日はこの新聞記事についての感想だけを書きとどめたい。
 24日の東京新聞で見つけた、佐藤次郎記者の「私設 論説室から」の小さな記事だ。
 障害者スポーツセンターを訪ねた時に何気なく見た光景を、彼はこう綴っている。
「・・・25メートルを往復する女子50メートル背泳ぎ。選手たちにはそれぞれ障害がある。その組の4人のうち3人は2分から3分ほどで泳ぎ終えた。だが、端のコースにはその後もずっと、一人の選手がとどまっていた。彼女は手足がかなり不自由で、手先だけですこしずつ水面を進んでいたのだった。泳ぎは遅々としていた。ちょっと離れた観客席からだと、ほとんど進んでいないようにさえ見えた。だが彼女は泳ぎ続けた。5分がたち、10分が過ぎる。やっと25メートルに達した時、そこで挑戦は終わるのかと思ったが、彼女は時間をかけて向きを変えると、また同じようにしてコースを戻った。ついに50メートルを泳ぎきった時、タイムは21分44秒58を示していた。彼女は手助けを受けて水から上がった。その顔に輝くような笑みが浮かんだのが観客席からも見て取れた・・・
  障害者スポーツは、少しずつ、だが確実に発展している。困難は多く、誰もが気軽にスポーツを楽しめるわけではない。それでも様々な人々が、厳しい状況を克服してそれぞれの競技と取り組んでいる。
 もし元気をなくしたら彼らの大会に行くといい。帰りには勇気がわいているはずだ」

 この記事を読んで、なぜか島木健作の短編「赤蛙」を思い出した。私の座右の書の一つだ。
彼らとは比べ物にはならないが、私にも生まれつきの肉体的ハンディがある。私の人生は一つにはそのハンディと戦うためのものであったのかも知れないと思うことすらある。しかし人は皆それぞれ大なり小なりのハンディや自らの運命と向き合いながら、それと折り合いをつけて生きているに違いない。運命に逆らう事のできないひ弱な人間が、自分の人生を恨みたい心と戦いながら、その運命と折り合いをつけて精一杯頑張る時、そこに私は神を見る思いがする。
この記事から連想する光景を思いながら、彼女の笑顔にエールを送りたい。そしてこの記事を書いた見知らぬ佐藤次郎記者に感謝したい。

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2005年07月22日

【バックナンバー】2005-07-22

沖縄の米軍射撃訓練事件に見る国民と政府の限りなく遠い距離

 国民ということばで我々は何を連想するだろうか。一つの集合体と思ってしまうであろう。ところが実際はそうではない。この国を動かしている一握りの人々とその側に立って様々な特権を享受している体制側に立つ人々(それは官界、財界、業界、学界などあらゆる分野に及んでいるのだが)が一方にあって、その対極にそうでない大半の庶民、大衆、労働者などが存在する。もちろんその中間に多数の人々が存する。しかしその人達も、結局はこのいずれかに属していることになるのだ。
 そしてこの世の中は、目に見えない形で、前者と後者の対立、闘争で成り立っていると思えてくる。
 何故このようなことを私が唐突に言うかというと、先般沖縄で起きた米軍の都市型戦闘訓練に対する住民の抗議と、それに対する政府の対応、世論の冷淡さを見てつくづく感ずるのである。
 この平和ボケした日本にあって、国民(住民)の一部が戦争の実戦さながらの脅威にさらされているというのに、政府のこの冷淡な対応をどう考えればよいのか。これを殆ど大きく報じないわが国のマスコミをどう考えればよいのか。くだらないことにヨタ話を繰り返すテレビの解説者や文化人が、わが国民の生命が外国の駐留軍によって蹂躙されていることにかくも無関心にいられるこの国は、どういう国なのか。俺たちとお前たちは別個の国民群であるということなのだ。
 21日、超党派の沖縄県議団が首相官邸、外務省、防衛施設庁を訪問し、訓練の即時中止を訴えた。これに対する町村外務大臣の対応は信じられないものであった。しかし実はこれこそが外務官僚の体質を象徴的に示している。
 「訓練の中止を求めるわけにはいかない」
 何故中止を求められないのか。まったく理由は無い。その気になればすぐにでも政府は米軍に中止を求める事が出来る。イラク占領を続ける米軍の実弾訓練を、住民の生命を危険にさらしてまで遠い沖縄の地で行う理由がどこにあるのか。それを何故止めさせることが出来ないのか。日米安全保障条約があるからこそ、日本政府は中止を求めるべきなのである。日米両国の友好と信頼に基づいた軍事同盟の維持の為にも、日本政府は米国政府に中止を求められるのだ。求めるべきなのだ。そしてそれはできるのだ。米国との交渉が面倒なだけなのだ。
杉浦官房副長官も大野防衛庁長官も、「安全に配慮してやっている」
と人事のように述べるだけだ。彼らがどこまで安全性を確認して発言しているというのか。官僚の作った答弁を繰り返しているだけだ。
 こんな無責任かつ国民に冷淡な政府の大元締めは小泉首相だ。彼はこの問題にコメントしたことがあったか。記者たちは小泉首相にコメントを求めようとしたか。評論家や識者はこのことについて正面から発言をしてきたか。
この問題の根底にあるのは、日本の国民を無視してきた小泉政治がある。日本の国民を分裂させて統治してきた小泉手法がある。彼のもとで急速に固定化されて行った日米関係の不平等さ、不自然さ、不健全さがある。
我々はもう一度国民としての一体感を取り戻さなくてはいけない。人の痛みは自分の痛みと受け止め、自分だけ安逸な生活を送っていれば良いという貧しい心を捨てる心の豊かさを取り戻さなくてはいけない。もうそろそろ小泉首相の貧相で、いじましい生き様を、日本の生き様の合わせ鏡のように放置することは止めなければいけない。95年の少女暴行事件、先日の少女猥褻行為、今度の射撃訓練事件など、どこまで人権蹂躙を放置すれば気がすむのか。その間にわれわれの良心が風化していく。これを許してはいけない。

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2005年07月21日

【バックナンバー】2005-07-21

世襲政治家の勘違い

 産経新聞には、時として驚くほど共感できる記事が掲載されることがある。7月21日のコラムニスト・富岡周平氏の「断」という論評もそれである。
 富岡氏は、衆議院議員の小渕優子さんが、社会人を対象にした早稲田大学大学院の公共経営研究科に合格したという新聞記事を読んで、次のように指摘している。
 「・・・小渕さんは、代議士と学生の兼務について、うまく両立させて学んだことを仕事に生かしたいと語っている。志はよしとしなければいけないかもしれない。しかし、多額の歳費をもらい、公設秘書や政策秘書もいる政治家が、仕事の合間に大学に通って勉強するということは、いったいどういうことなのか・・・」
 私もまったく同じ感想を持ってこのニュースを受け止めていた。更に富岡氏は、総選挙の時は休学し選挙運動に専念すると言う彼女の言葉に疑問を呈する。
 「・・・彼ら(政治家)が(政策について)勉強もしないし情熱もないから、大学の外に出たことも無く実務も乏しい連中(大学教員)たちがテレビに出て、政治や経済のことをああだ、こうだと言うのだ・・・」
 そして富岡氏はこうしめくくっている。
 「・・・今日の政治家は内外に問題が山積しているのに公費をちょろまかしたり副業をやったりと、何を考えているのかとあきれる。それからすれば小渕さんはまだいいのかもしれないが、二世、三世の世襲政治家が、(政治家を)職業と勘違いされては困る。あなたたちは公人なんですよ、誰の為に働くのかということを忘れないでほしい」
 産経新聞ので見つけたコラムにまともな意見が載っているのである。
それにしても小泉首相をはじめ、安倍、福田、細田、平沼、谷垣、野田などなど首相候補者まで皆世襲議員ではないか。石原、鳩山なども必死で息子を政治家にさせようとしている。野党の菅直人までも息子を次の選挙で当選させようと必死だ。政治家という職業はそれほどおいしいのか。こんな意識をもって政治家になる彼らに国民の為の政治を行う志があるとはとても思えない。

 若手記者が喝破した小泉改革の正体

 小泉改革のいかさま振りについては、もはや少しでも政策を理解している者であれば皆知っている。しかし何故か新聞はこれを書かない。それどころか、道路公団民営化からはじまって三位一体改革、年金改革、郵政民営化改革など、どれも官僚との妥協の結果による改悪であるにもかかわらず、いまだに小泉首相は改革者と呼ばれ続けている。
そんな中で、7月21日の毎日新聞「記者の目」で、青島顕という若い社会部の記者が、小泉首相の偽物ぶりを喝破している。小泉首相の後援会機関紙「泉」(81年に創刊)に発表された政治家小泉の「政治信条」を検証しながら、小泉首相の矛盾を次のように批判しているのである。政治部の記者ならここまではっきりと小泉批判はできなかったであろう。そして若い記者であるからこそ書くことが出来たのであろう。
「・・・首相とその周辺を取材して感じるのは、今回の『解散』に代表される言葉の軽さだ・・・91年5月発行の泉20号には、『政治資金の収支状況が不透明すぎると批判が多いんですから、その透明性を高める改革をはやく始めるべきだと思っているんです』とある・・・しかし小泉首相は自らが関係する二つの政治団体が同じ事務所を使っていながら、家賃などの事務所経費を別々に政治資金収支報告書に記載していた。これにより毎年500万円以上の使途不明金が生じている。この点を毎日新聞は昨年来報じてきた。しかし小泉首相は、『法令に基づいた届け出の通りだ』の一点張りで不透明さを高めようとしない・・・
同じ泉20号には、『海部首相は選挙制度改革に内閣の命運をかけていると言っていますが、自民党内にも強い反対があり、野党全部が反対しているのにできるわけがない。理想を追うのもいいけれどもっと現実を直視してもらわないと困る・・・』とある。まるで郵政民営化法案に内閣の命運をかける今の自分自身に言っているようだ・・・小泉首相が小選挙区制反対の急先鋒だった理由は、地元横須賀で人気のあった田川誠一元自治相やその後継者とぶつかるおそれがあったからだ。打算を理想で言いくるめる政治手法のルーツがここにある・・・
小泉首相は『封書、はがきは国家の独占事業でいいとして、誰も言わない』、『郵政事業民営化は郵政省だけの問題じゃない。省庁再編にもつながる。財政投融資、特殊法人全部に関係してくる』(泉29号)と述べてきた。しかし今回の法案では、民営化後も封書、はがきの独占は続くことになっている。また省庁再編はとっくに終わっており、また財政投融資改革も始まっているので、その観点からいっても郵政民営化法案に固執する根拠はなくなっている・・・」

青島記者は改めて問う。一体何のために小泉首相は郵政民営化法案の成立にここまでこだわるのかと。そして政治資金規正法の抜本的改革や、国会議員の年金廃止に取り組んだほうがよほど改革の名に値するのにさっぱりそれらに関心を示さない小泉首相は、本当に改革者であるのかと問うているのだ。
参議院本会議での採決の票読みとその後の政局ばかりが報じられている中で、このような本質的な記事がもっと、もっと書かれるべきではないかと思う。

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2005年07月16日

【バックナンバー】2005-07-16

戦争を想像する

16日の毎日新聞、「近聞遠見」で岩見隆夫が次のようなエピソードを紹介していた。さる6月23日、沖縄戦戦没者慰霊祭に参列するため沖縄を訪れた河野洋平衆議院議長は、ホテルの部屋に届けられた「沖縄戦新聞」を見てびっくりした。この「沖縄戦新聞」は、琉球新報社が、戦後60年報道の一環として、昨年7月から毎月一回発行しているもので、河野議長の目にとまったものは1945年6月23日の終戦の惨状を報じたものだった。
「沖縄戦 事実上の終結、牛島司令官ら自決、重傷者に青酸カリ、死ねない兵には銃向ける」などの見出しとともに、野戦病院の負傷者約1000人が命令で命を絶った場面が、看護要員だった女子高生(当時17歳)の証言で再現されている。
「強烈でした。戦争を知らない若い議員に是非とも読ませたい」と言って河野議長は50部買って帰京したという。
このエピソードは何を物語るのか。河野議長でさえ沖縄戦のことを殆ど知らなかった。そして、偶然目にした沖縄戦の光景に驚き、認識をあらたにしたのだ。
戦争体験者が日本から消え去る日も遠くない。しかしそれを危惧するには及ばない。戦争を知ることはいつでも出来るのだ。史実が保存され、それが包み隠さず我々の前に示されれば、そして我々が戦争を知る努力を怠らなければ。
戦争を体験しからといっても、その体験から学ぼうとしない限りその人は戦争を知ることにはならない。戦争の時代を生きたからといって、戦争の実態に関する情報に接しなければ本当の姿はわからないままだ。
3泊した北京のホテルで、毎日「抗日戦争」の記録フィルムがテレビで流されていることを知って驚いた。こんな画像を毎日見ていると、戦争を知らない中国の若い世代が日中戦争を常に念頭に置く事も頷ける。日本の右翼的な言論人たちは、これこそが反日教育であり反日感情の元凶だと言い立てるであろう。しかし果たしてそうであろうか。
私はこの映像を見ながら、史実を知ることの重要性を再認識した。抗日戦争を知らない世代にそれを画像で教える。その結果若い中国人の中に反日感情を持つ者が増えたとしても、それをもって意図的に反日教育を行っていると決め付けていいのか。むしろ日本の教育こそ日中戦争の事実を教えなさすぎるのではないのか。
被害を受けたものが恨みを抱くのは当然の感情だ。悪い事をしたほうがそれを思い出したくないのも当然だ。あるいは自らの誤りを認めたくないという感情を抱くのは当然だ。
しかし重要なことは、戦争の事実を客観的に知ることだ。自虐史観であれ皇国史観であれ、客観的な事実を知れば知るほど戦争の悲惨さ、不条理さに思いをめぐらさざるを得ないであろう。どのような史観にたった歴史教育であれ、戦争の史実を教える時は、残酷な場面を避けてはならない。人が人を殺し、人が人に殺されるということ、それが如何に理不尽であり人間性に反するか、そこから目をそらすような歴史教育は不完全である。そしてそのような事実をこそ、人をして反戦に至らしめる。まともな感性を持った人間であれば、反戦にならないほうがおかしい。

ミサイル防衛システムを認めた自衛隊法改正案

 15日の東京新聞に重要な記事が出ていた。参議院外交防衛委員会が14日、ミサイル防衛システム(MD)の運用手続きを定める自衛隊法改正案を自民、公明両党の賛成多数で可決したという記事だ。この法案は20日本会議で可決、成立する見通しだという。
 これにより、他国がミサイルを発射する明確な兆候がある場合は防衛長官が迎撃を命じることが出来るようになるという。さらに実際にミサイルが発射されれば、現場指揮官の判断だけでミサイルを迎撃できることになるという。
 問題は、これほど重大な権限を防衛庁長官、自衛隊制服に与える法改正が、国会でほとんどまともな審議が行われないまま成立するということである。
東京新聞の指摘によれば、防衛庁自身が、さらには自衛隊制服までもが米国の迎撃ミサイルシステムの実像を把握していないらしい。国会審議の過程で満足な答弁が出来ず、法案のほころびが次々と判明したという。それでも法案は成立するのである。
 一例として武器輸出三原則に関する防衛庁長官の答弁が指摘されている。昨年末の官房長談話で武器輸出三原則が緩和され、米国向けのMD関連部品に限って、輸出が解禁されたばかりである。それにもかかわらず、14日の参議院外交防衛委員会で大野長官は、「場合によっては第三国への供与があり得る」とあっさりと、官房長談話を拡大した。その答弁を誰も問題としない。
 また、MD運用のための米国との情報共有についても、米国が日本の提供する情報を使って攻撃や迎撃を行えば憲法が禁じる武力行使や集団的自衛権に抵触することになりかねないのに、どのような情報提供を日本が米国に行うかについて一切決まっていないが如きである。
こんないい加減な国会審議があってよいのか。ここまで国会の安保審議を空洞化させたのは、野党第一党である民主党が日米安保協力に積極的であるからだ。憲法9条改正に積極的であるからである。自民、民主の2大政党下では、安保政策の歯止めがまったく利かなくなってしまったようだ。

テロ送金対策強化

テロ対策といえば何でも出来るといわんばかりだ。16日の産経新聞が一面で金融庁による送金規制の新方針を報じた。
すなわち金融庁は来年早々の通常国会に関連法案を提出し、これまで200万円超の送金の際に必要な本人確認について、10万円以上にまで対象額を大幅に引き下げるという。さらにまたテロ資金供与の疑いのある取引を当局に届けるよう、公認会計士や弁護士に義務づけることにするという。
そもそも現在の本人確認制度は、2001年9月11日の米国多発テロを受けて平成15年1月から施行された本人確認法に基づいたものであるという。それがわずか2年後に200万円から10万円へと一気に送金額が引き下げられようとしている。
ロンドンでの同時テロを受けて、テロ資金を根絶するための対策強化の一環であるという。米・英への協調政策なのであろう。これからもテロ対策の名の下にどんどんと規制が進むであろう。テロに狙われる米・英にとってテロ対策は死活問題である。そしてどんなに策を講じても米・英はテロの脅威から逃れる事ができないのだ。
米・英がテロに狙われるのには明確な理由がある。それは彼らの中東政策がアラブ過激派の恨みをかっているからだ。単なる貧困や差別からくる無差別なテロではない。米・英軍が行ってきた宗教的敵意やアラブ人に対する攻撃、虐待、差別などに対する報復である。それらの恨みは日本とっては本来まったく無関係のものだ。
米・英の中東政策が正しくないからこそアラブの反感を買うのだ。百歩譲って米・英の中東政策が間違っていると言わないまでも、日本は彼らの中東政策を支持する必要性はない。彼らの中東政策から距離を置くべきなのだ。
それにも関わらず、彼らの中東政策を支持し、自衛隊を派遣して米・英のイラク攻撃に協力するものだから、アラブのテロ組織に敵視されるのである。
本当に狙われる前に日本は「テロとの戦い」から中立になるべきだ。

誰も書かないことが多すぎる

 時事通信が15日にまとめた7月の世論調査では、小泉内閣の支持率は前月比2・4ポイント減の38・0%となった。一方不支持率は38・3%である。不支持率が支持率を上回ったということは大きなニュースである。しかしこの記事を載せたのは東京新聞だけである。大手新聞は小泉首相に不利になることは見事に自粛しているようだ。
 来年度の予算編成作業が小泉首相の鶴の一声で遅らされたという。16日の各紙がこれを一斉に報じている。例年7月中に閣議了解しているにもかかわらず何故遅らせたのか。
表向きは参議院での郵政民営化法案の審議に全力を傾けたいということらしい。しかし本当の理由は06年度の予算案が05年度の予算に比べて、一層厳しいものにならざるを得ないからだ。そんな予算原案を郵政民営化の審議中に閣議了解しては、ますます国会審議が苦しいものになる。郵政民営化法案の参院審議に悪影響を及ぼす。そこで小泉首相の一声で後回しにさせられたのだ。
 それにしても郵政民営化をめぐる参議院での国会審議はお粗末である。聞くほうも答える方も、中味の議論は一切無い。たまたま聞いていた江田五月の質問にはあきれ果てた。私もあなたも二世議員です。参議院は良識の府であり衆議院の判断をチェックするところです。私は衆議院議員と参議院議員を行ったりきたりしました・・・郵政民営化法案は死に体法案だ・・・こんなことを長々と質問で喋っているのである。
答える小泉首相も相当な答弁だ。「法案が生きているからこそここで答弁しているのです・・・」
民主党の大塚耕平氏が「首相は法案のどの部分に詳しいのか」と質問されると、待ってましたとばかり官僚が用意した答弁を下を向いて読み上げる、
「郵政改革の五原則にのっとり国民の為になる民営化法案を考えた。五原則を読み上げます。経済活性化原則、利便性原則・・・」、郵政族に気配りを見せて、「郵便局のシンボルマークは愛着がありますよね。あれは変えなくていいのです」、「子供の頃は本当に切手を集めるのが楽しみでした。さまざまな大きさ、形、図柄を眺めてよく楽しんだものです・・・」
こんなやりとりが一日何億円もかけて延長した国会の審議なのか。
小泉首相は国会終了後、例によって若い記者を相手に行う記者会見でこう答えている。
「今日の答弁は丁寧だったでしょう?わかりやすかったでしょう?そう思わない?」そしてこれが茶の間のテレビで流れる。
日本の政治家は楽な商売だとつくづく思う。

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2005年07月10日

【バックナンバー】2005-7-10

取材源秘匿を許さない米国

 7月6日、ワシントンの連邦地裁は、米紙ニューヨークタイムズのジュディス・ミラー記者に対し、法廷を侮辱したとして収監した。これは、6月28日に米連邦最高裁が、取材源の開示を拒否した米記者二人を有罪と判定したことを受け、それでも開示を拒んだミラー記者を地裁として収監せざるを得なかったからである。
 9・11事件をきっかけにブッシュ政権は愛国者法を成立させ、民主主義の基本を次々と崩してきた。そして内部告発を抑制すべく取材源の秘匿を否定する政策を導入するに及んだ。
 ミラー記者は、「秘密を守る信頼がなければジャーナリズムたりえず、自由な報道はありえない」としてジャーナリズム魂を貫き、そして収監された。
 見せしめのようなこの判決の効果が早速現れた。10日付の読売新聞は、米オハイオ州の有力紙プレーン・ディーラーが、8日、機密文書を入手して書いた特ダネ2本の掲載を見合わせたと報じている。もちろん、捜査当局に情報源の開示を迫られることを恐れたからである。それを拒んだら、ミラー記者と同様に、プレーン・ディーラー紙の記者も収監される。編集局長としては慎重にならざるをえないのだ。
 困った事になった。米国のまねをする日本のことだから、日本にも同様の報道規制がなんらかの形で導入されることは時間の問題であろう。そう思っていたら、8日の毎日新聞に気になる記事を見つけた。7日東京高裁が、東京地裁の判決(04年12月)を取り消し、新潮社に300万円の損害賠償支払いを命じる逆転判決を言い渡したという記事が大きく掲載されていた。
 この裁判は、平沢勝栄衆議院議員がパチンコ業者から違法献金を受けたという週刊新潮の記事に対し、名誉毀損で訴えた平沢氏の訴訟について、一審判決は「情報の具体性などから真実と信じる相当な理由があった」として平沢議員の訴えを退けたのに、東京高裁はそれを取り消し、一転して新潮社に損害賠償支払いを命じたという記事だ。
 驚くべきは、その理由の一つとして、「取材源秘匿により、真実と信じたことの立証責任を免れることは、原告の反証の機会を奪う事になり、許されない」として、「情報源はパチンコ業者と認められ、業界の性質を考慮すると告発者が秘匿を望むのは合理性がある」とした一審の判断を否定した事である。
 裁判長は明らかに米連邦最高裁の判決を念頭に置いていたのであろう。またしても一つ、報道者への締め付けが増えた。そして我々は真実を知る権利を奪われていく。

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